姉SS
ウロング プリヂクト
「…酷いだろ、いくらなんでも」
「おねがい♪」
「…何度目だよ」
「ごめんね♪」
「もう、僕だって忘れましたよ、こういうの、この感じ、こんなのが何回あったかなんてっ」
ガタン、机を強く叩く、威嚇の表現としては極めて幼稚だ
だからこそ効果が高い、幼い表現は強すぎて、大人なら怖がってしまう
強く叩いて、怒りを表現して、それを目の前にした女
それを油断なく観察する、怒った態を装って、じっと、探る
「これで、最後だから、ね」
笑顔がかえってくる、何一つ、派手な音なんかに意識を分けない
そんなことが勿体ないとでも言いたげに、ただ、自分のそれを通してくる
ああ、もう、なんでそんなに綺麗に笑うんだ、笑うとどうして、可愛すぎるだろう
その造り上げられた台詞と、本物だと信じたい笑顔
二つのそれに躍らされて、結局彼女のためになんだってする
「で、今回はどうするんですか?」
「そう、親戚は全滅してるし、病気も一通りでっちあげたし…」
彼女は僕よりも2つほど年上だが、会社での立場は僕が上になる
単純なこと、雇用形態が違う、正社員なのが僕、派遣社員なのが彼女
正社員が偉いというわけではないが、その配下に派遣社員が登録される
そういう仕組みの会社なんだから、短絡的な上司部下だ
そして、彼女は何度目かのズル休みの理由を作りに相談に来た
業務日報には休暇願いの相談と記すところ、馬鹿馬鹿しい
「先輩、高校ん時はもっと真面目な人だと思ってましたよ」
「そう?今でも真面目だよ、仕事はちゃんとしてるじゃない、上司様♪」
「その、媚びる口調やめてもらえませんか…」
言いながら、半笑いになってしまう、ああ、嬉しいのが口元あたりに宿ってしまう
誰が見たって、弛んでいる顔だというのに彼女はそれを見ていないように
ただ、にこにこと気付いていないふりをしてくれる、とてもよく出来ている
そして、凄く悲しいことだ
「…そうか、今月まだ使ってないし、生理休暇にしておきましょうか」
「せいりきゅうか?」
「はい」
と、返事をしてから、まじまじ彼女に見られているのに気付いた
何かおかしかったろうか、不思議に思いその眼を見つめ返した
視線を捕まえられる、目が離せなくなる、瞳から伝わってくる
途端に、自分がセクハラをしてしまった、そういう反省のようなものが上ってきた
業務上、まるで問題のない単語だけど
それが、いやらしい、そんな色をまとったと、目で伝えられる
顔が真っ赤になってしまう、そ、そんなつもり、な、ないのに
「いや、その、え、ちがく…」
「もう」
少し間を置いて
「えっち」
僕は言葉を失ってしまう
代わりでもない、ただただ、顔を真っ赤にして
小さくうつむいてしまう、彼女は小さく笑う、嘲笑うんじゃない
はにかむように、とても可愛らしげに、微笑む
それだけが済むと、何も言わずにそっと去っていく
ずっと昔からこうだったように思う、思いたいが違う、高校の時は
こんなに近づいたことなかった、ただ、そうなりたいと思ってただけだった
ただ、一度だけ、
「ありがとう」
と、同じ笑顔で言われた
それだけで、もう、ずっと追っていた
追いすがる僕を見て微笑んで、踏み出せない俺に近づくなんてせず
ただ、笑顔だけで過ぎた、あの頃よりは会話がある
だが、あるだけに、より空虚だとわかる
はっきりと未来が見える、近づけば突き放される、もじもじしていても離れない
ただ、一定距離だけはとこしえに守られる、そんな絶望的な甘劇
いけない、仕事をしよう、なんというでもないんだ、上司と部下だ
パーテーションで囲われたそこから出る
ミーティングルームというが、実際は部屋になんてなってない
意外と声は外に漏れないらしいが、密談には向かないスペースだと思う
すぐに出てしまったら、彼女を追って出ていくように見えないか
余計な気を回して、少しパーテーションの中で時間を潰す
ケータイをぬじぬじ、仕事のメールもいくつか入っている
一通りを確認しおえてから、ようやく出る
「お、何してたんだ?」
「いや、派遣さんが休むからって退勤管理してた」
戻りばな、いきなり同僚に声をかけられた
あらぬ誤解をまねくところだったかな?
そう思われたいという破滅的なことも、脳の片隅に浮かぶが
苦笑をうまく、半笑いに変換する
「何笑ってんだ、気持ち悪い」
「人の笑顔を、気持ち悪いとかよくないと思います」
「思ったことを正直に伝えず、嘘をつくのはいけないと思います」
「嘘も優しさの内だろうよ、それよか、なんだ」
「いや、別になんでもないんだが…あ、そういや、あの派遣さんな、課長となんかあるらしいな」
「…」
「なんだ知ってたのか?」
「いや…そうなんだ、大変だな、僕」
「そうそう、お前の考課というか指導がそれこそ、色々影響するわけだろうしな」
「楽しそうに絡むのやめろ」
「正直者だから仕方ないのさ、なんかあったら教えてくれ」
ぽん、なんて気軽に肩を叩いて同僚は去っていく
憂鬱すぎる、そして、状況はさらに進捗をする
その課長が入れ替わりにやってきた
ちらり、視線を飛ばしてきた、ようやく見つけたなんていう顔をしている
逃げることはできないらしい、コーヒーが呑みたい
そんな言い訳が出てくる、何に対しての言い訳かはよくわからない
「おう、探したぞ」
「コーヒーが呑みたいです」
「はぁ?なんだ?いや、まて、そうだな、ごちそうしてやろう」
少し考えた顔を見せたあと、課長は僕を連れて歩き出した
コーヒーを呑めるスペースは会社のそこかしこにある
が、連れていかれたのは、上役御用達のそこだった
別に何か特別なものがあるでもない
ただ、そういう住み分け上できあがった、いちコーナーに過ぎない
辿り着くと誰もいない
そういえば、役員会で上役は全部会議室か、ということは
「今の時間帯のここは静かだからな、ゆっくりくつろげるぞ」
「なんすか、誰にも聞かれたくないみたいな」
ちらり、課長は癇に障ったという視線を見せた
くわばら、冗談で済ませてくれない表情
内容は彼女のことなんだろう、知らないふりをしなくてはならない
「そうだな、お前の進退に関わることだからな」
「え、!?」
「嘘だよ」
「マジびっくりしましたよ、勘弁してください」
しおらしく見せておく、半分は本気で安堵という具合だが
ともかくこのやりとりで、僕の現状を認識できたとしよう
生殺与奪の権利はこの人が握っているのだ
僕はできる範囲で、できることを精一杯するだけだ
「お前コーヒーじゃなくてカフェオレかよ」
「いや、ミルク多いだけでコーヒーですよ、で、お話は?」
「うん、君のところの派遣の子だが…」
僕は息を呑む、一瞬を睨む、まだ課長の話の途中だ
そこに間髪入れず、いい一発を突っ込んでおかないといけない
甘いコーヒーは都合良く、僕の脳を刺激している
糖分最高、大好きだ、カフェオレ
「少し、休みが多いんです、明日も休むようなんですが」
「!、そうか…その許可はどうした?」
「出しました、生理休暇だそうです、仕方ないですよね」
課長は得心した笑顔を少しだけ覗かせた
そんなこったろうと思ったよ
僕は内心で、よくよく推理を進める、休みが多いのはこの人のせいだ
明日も何かあったんだろう、僕が許可するように何か言うつもりだったのか
明日この人も休むんだろうな、なんで不倫の片棒を担がないといけないんだ
カフェオレのようなコーヒーが、酷く胸に焼き付いてくる、二口目以降は甘すぎる
「いや、お前がその件で悩んでいるんじゃないかと思ってな、今回の判断は正しい、なぜなら…」
何か、取り繕ったことをそのあと続けていた
その堂々とした口振りとやりざまに、
怒りと呼ぶには幼いそれが、ずぶずぶ灯ったように思う
拳を小さく握った、だが、すぐにそれを解いた
灯火は消える、今、ここで振りかざそうとする怒りの根源が
まるで他愛のないそれだと気付いてしまうからだ
ただの横恋慕で、嫉妬だなんて笑えない
ガキのままならなんて、思うような、ああ、もうぐだぐだだ
「まぁ、お前も大変だろうが頑張れ」
「え、あ、はい」
言い終わった様子だが、課長はさらにタバコを出した
特に会話も見あたらないので、挨拶をしてその場をあとにした
彼はそれに対して、特段の返事はしなかった
姿から僕が用済みになったと言いたげだ、久しぶりに味わったように思うこの感覚
てとてとてと
「あれ?」
「いけないんだ、さぼってる♪」
階段を降りていくと、入れ違いに上ってくる彼女に会った
考えすぎるのはよくないことだ、だけど、想像は加速する
彼女は彼に会いに行く途中なんだろうか、いや、それはない
僕と課長は偶然ここに来たんだし…
「仕事の話をしてたんだ」
「本当に?」
「そりゃそうさ、ここは上役様御用達のコーヒーコーナーだからね」
「ふふ、でも今は役員様様は会議中でいないはずじゃない?」
そんな笑顔を向けないでくれ
胸が焼けてしまう、カフェオレのせいだけじゃなくなってしまう
僕は苦笑いをやっぱり見せて、言葉を探す、妄想が進む
彼女が言ったことは、彼女の知識にそれが備わっている、
まわりくどい言い方になってるな、そうじゃない
彼女はここに人がいない時があると知っているんだ
そうか、今はたまたまだけど、いつもはここで…
「顔色悪い?」
「あ、うん、ちょっと甘いものに中たった感じ」
嘘はいってない、もの、ってのが何を指すのか
自分でもわからなくなっている
目の前にいるこの人が、この大好きな笑顔が、ああ、
なぜ自分の想像で、苦しまないといけないんだ
恐怖は人間の想像が引き起こす、悪しき創造物だ
偉い本に書いてあった通りになってる、脅えるのは考えすぎた罰だと
「上、今は人がいるよ」
「誰?」
一瞬、戸惑った
これは失敗した
「…課長が」
先輩の表情が細かく変化したのを見てしまった
様々に駆けめぐっていった、脳信号のそれこれが
精緻に、瞳の色と表情と、全てを包む空気に伝わった
先輩は頭がいい、僕がこんだけあれこれ考えてしまうのと同じくらい
彼女もまた、あれこれ考えて結論を導いてしまったんだろう
僕が、彼女と課長のことを知っていると
じゃぁ、僕はこうするしかない
「行かないほうがいい」
「うん?」
「行かないで、先輩」
「…うん」
「先輩」
僕はどんな顔を見せただろう
まるでわからないけど、その全てを見つめたまま
彼女はやっぱり笑いかけてくれる
だけど、今回は特上だ
「ありがとう」
記憶上のそれと、まったく同じ、その笑顔でそのトーンで
僕の耳に今一度上書きされた
より強い記憶として、忘れることができないほど鮮やかに
そして、その後の動きもまるで一緒に見える
動きや姿は全然違うのに、僕は置いていかれる
彼女は、止めていた足を踏み出す、僕と入れ違いに階段を上る
あの場所に向かっていく、いやだ、いやなんだ、そんなの絶対いやだ
あの時のように、また、誰とも知らないところに行くなんて
「…っ」
僕は勇気を振り絞った、小さく、とても小さく抵抗をした
横を過ぎていく彼女に手を伸ばす、そっと
柔らかく、細心の注意をはかり、優しさとは違う、脅えた手で彼女に触れた
強くひっぱるとか、捕まえるとか、すがりつくなんて強烈さはない
手首に触れた、彼女の温かさが伝わる、僕の冷たさが伝わる、二つが混ざる
「…」
黙ったままだった、僕はどこを見ていたのかわからない
どんな顔だったかなんて当然知らない、いつだってそうだ
彼女と何かあるとき、自分を見失っている
そんな頼りなく、呆然とした僕を彼女がただしてくれる
彼女は二段階段をのぼった、僕よりも少しだけ高い位置になった
そして、上から覆い被さるように、僕の首に腕を回した
とても柔らかい、暖かく、甘い
「!…」
ふぁ、重ねた唇が離れる
自然とお互いの息が漏れた
真っ暗な階段でこんなこと、できすぎた少女漫画じゃないか
「やっぱりさぼってたんだ」
「え?」
「カフェオレの味がした」
言いながら、彼女は同じ笑顔を僕に向けた
目の前にあの笑顔がある
僕は手で触れる、くすぐったそうにして、体を預けてきた
彼女の体温と重さを受け止める、途端に、抱き締めた
柔らかくて、いい匂いが、カフェオレよりも甘い
「先輩…」
「重い?」
「そんなことない、です」
「びっくりした、…抱かれちゃった♪」
言い終わると、ゆっくりと離れ笑顔を残して階段をのぼっていった
見送るという気持ちもなく、見つめ続けた、けど、彼女は振り返らない
僕はやっぱり置いていかれる
どう歩いたか覚えもなく、気付けばデスクで
パソコンを眺めている、今日の日付を確認する
「れ?課長、明日会社いるじゃん」
ふと、共通のスケジュール表が目にとまった
課長のスケジュールは間違いなく出社となっている
明日は彼女だけが休むのか?
そう考えてから、もう一度、一通りの事象を撫でた
そして、なぜか一本の想像が物語になった
「妄想だ」
呟いたけど、涙がこぼれてしまった
僕は残酷な嘘をついた
生理休暇なんて、どれほど酷く傷つけただろう
この予想が、愚にも付かない妄言の類ならばそれでいい
そう願いながら、二重にも、三重にも過ったこと、
あのころから変わらず、やっぱり、自分本位でしか彼女を見ていなかったこと
キスの味を思い出した、もう二度とないだろうそれと「ありがとう」の声
彼女は翌日、最後の休みをとった
俺も頭悪ぃーなぁ
本当に説明が足らないけど、説明でなくて描写でと
今回は自分の浅はかさを頑張ってみたように思いました
後で読み返して悶絶します
・彼女は課長と不倫していて、その子供ができてしまいました
こういうお話であります
それに気付いて、「僕」はそんな彼女を受け入れる器がないことを知って
最後に泣いたのでありました
そんなでも好きだと言えるなら、学生の頃に近づいておるわけであります
彼女が何もしてくれなかったという、独りよがりな男の哀れな物語と
長い解説を書いておいて、今回の思い入れの深さを刻む
ご愛読ありがとうございました
R(09/06/10)