姉SS
サーティース アヴェニュー
嫌なことばかり考えちまう
「っ!」
舌打ちにはぎりぎり届かない、だが、
近しい感情の発露
慌てて、その品のないそぶりをたしなめる
いい年こいた大人が、人前で舌打ちとかしてられない
そういう、些末なことばかりに気を取られて
30年積み重ねてできあがったのが、この、はてだ
「どうしたんすか」
「いや、しくじられた」
「珍しい日本語っすね」
「そうだよ、歳喰ってっと、難しいこと知ってんだよ」
「言うほど、年齢変わらねぇのに、よく言いますね」
別部署の後輩が目尻を下げて笑う
いい笑顔だと常々思う、こうならモテたんだろうとかも
そういう、鬱々としたマイナスオーラを
どうしても隠しきれなくなってきた
いい加減、色々重苦しく鬱陶しい
自分でも、よくよくわかるんだが、もうどうしようもない
30にしてどうしたのか、孔子をたしなまないので
なんとも言いようがないのだが、
大卒8年目、直属の部下というのを初めて与えられた
10も年下の女、もう、ダメだ
「いい子じゃないですか、新人にしちゃよくできる」
「後輩ならそれでいいんだがな、部下はちょっと違う」
「嘘だ、女の子だから困ってるんでしょうに」
にやにやしながら、後輩がペットボトルを揺らしている
モニターと電算機がぞろぞろ並ぶ作業室
飲み物の持ち込みが良かったかどうかは覚えがない
ただ、とりあえずの休憩時間、夜中1時過ぎ、ぼんやりと輝く部屋の中で
背筋を伸ばしての雑談という甘露に負ける
「ちげーよ、30になりゃ解る、色々すげー考えちまう、人使うってんだからな」
「やだやだ、お年寄りだわ、精神から」
「自分のこともわけわかんねーのに、他人の面倒なんざ…まったく」
乱暴にカバンを漁り、中からレーションを取り出して
無造作にかじる、こういう夕飯というか、夜食にもすっかり馴染んだ
おかげで、つやつやの体皮とてっぷりとした腹周りを携えてる
ふた口分を噛み砕いて、聞かれてもいない話を続ける
「お前も考えておいたほうがいいぞ、20代の油断は後に響く」
「またまた」
「30になって、今、子供作っとかねーと、俺ぁ孫抱くのにとんでもない時間を要する」
「はぁ?なんすかいきなり」
「だってそうだろう、30で、今からだと最短で31の時、で、その子供が次の子供作るんだが、
当然俺の子だから、オクテでどうしよーもねーだろう、俺より手こずるかもしれない、するとどうだ、
俺がお爺ちゃんを満喫できる時間は、お前、65過ぎたあたりからとして、ああ、5年あるかないか、
恐ろしい、怖くて、なんも見えねぇ!20代の内になんで色々済ませておかなかったか、後悔の日々」
がしゃん、長台詞を吐いて、思いっきり机を叩いてみる
キーボードの類は他に寄せてあるから、机が嫌がるように吼えるだけだ
他部署の後輩は、半笑いでその様子を見て、はかりかねている様子
そりゃそうだ、正気かあやしい言動だ
「いいじゃないですか、新しいあの子となんとかなったら」
「ダメなんだよ」
力無くうなだれる
「何が?」
「俺ぁ、残念なことに、20とかそういう小娘、無理なんだよ」
「結局そういう話じゃないっすか」
その後のことは記さないでおく、
なんだか上っ面を撫でただけのような、腫れ物を触るような具合で
他部署の後輩が、やんわりと会話を避けていった
そういう事実だけで十分だろう、一人残された、
時計を見ると1時30分、次のミッションの時間が近づいてくる
すると同時に、もう一つのミッションも始まる
「ちーす、もどりましたー」
「…」
抜けているようでもない、若干眠そうだが、
それでもはっきりと聞き取れる、通りのよい声色
くだんの部下がやってきた
「機嫌、悪いですか?」
「いや…」
言葉少なく、ぶっきらぼうに対応していると
20女が心配そうな面もちで近づいてきた、
心が叫ぶ、近づいてくんな、無理だ
会話の糸口すら掴むことができねぇ、とか
「あ、私の書いたとこ、やっぱり、間違ってました?」
「ん、ああ、そう、ここと、ここが、直しといたからいいよ」
「す、すいませんでした」
謝ると、すごすごと反省の空気を発信しつつ逃げるように離れていく
その事実に安心する、がどこか、心が傷ついたようにも感じる
なんとか距離を保って、触れ合わないで済むなんてよいことだが、
なんだこの残念感わ
「…」
黙り込んではいけない気がする、何かないか
思うままに、とりあえず作業室から出てしまう
逃げているんじゃない、作戦を練るためだ
がたり、必要以上に大きな音で椅子が鳴く、驚いた様子で20女がこっちを見る
な、何か言わなくては
「どうしたんですか?」
「いや、雪隠だ、気にするな」
「はーい」
聞き分けのよい返事を投げてよこす
バカにされているような口調だとか、色々思うんだが
ともかく、ここは立ち去る
凄まじい敗北感のようなものに襲われる、ああ、本当に尿意が
「…情けない」
独り言を吐いた、胃の奥からせり出したような声
後輩の手前、偉そうなことをのたまわったが
言われた通り、女の子とのしゃべり方が解らないだけだ、
多分、俺以外にもいくらでもいるだろう、そう、信じている
何を喋ったらいいだろうか
このミッションは大変憂鬱きわまりない
前回は、旅行の報告をさも面白そうに聞いてて、
その前は、最近食べた美味しいものの話をさも面白そうに聞いてて、
その前の前は、飼っている犬とのなれそめをさも面白そうに聞いてて、
いつも、あっちに喋って貰ってるな…
いや、違う、俺が喋らせているんだ、念じるというのは祈る行為、力強く頷いた
鏡に映った顔を見てみる、なんて悲壮感だろうか
「いかん、自分で自分を追いつめてる」
感情の通わない自分の声が、耳に空々しく届く
わかっている、深夜だから、うつうつしてる
細切れになった思考が、ぐるぐると脳味噌をかき回していく
疲れてるせいだろうか、なんだろう
ああ、全てに言い訳を探している
はた、
「いかん、男の便所が長いなんて、色々不審すぎる、仕方ない」
戻ろう、
何一つうまいこと考えられないまま、
こういった時間つぶしをあっと言う間に浪費して、
あと数時間をどう過ごすのか、とりあえず話題だ話題
いや、それよりも相手に喋りやすい環境を作ってやらないと
そうだ
がらがら
「ただいまー」
「!、お、おかえりなさい?」
戸惑った感じで部下は驚きの目だ
しまった、なんか間違えた
脳味噌が火を噴くように回転しはじめる
何か、次だ、フォローを、レシーヴを、リカバリーを
1:家と間違えたんだ
2:家と間違えたというボケのつもりだったんだ
3:家かー!(ノリツッコミ)
「…」
「え、と、あの…」
一瞬、気が遠くなったように感じたが
慌てて脊髄が反射を起こす、それはマクロ再生に似ている
「いや、その、飯くったか?」
「あ、夕飯ですか?夜食ですか?」
「んあ、そうだな、どっちでもいいんだが」
「???」
「いや、その、何食べたのかなって…」
「夕飯はオムライスで、夜食はたこ焼きです」
「そうか、うまかったか」
「はい」
「そうか」
「…?」
ひたり、
殺陣が浮かぶ、このテンポで繰り返される会話というのは
いわゆる受け太刀のそれじゃないだろうか、鍔ぜりあうではなく
かきんかきんと、卓球に近いような
ラリーに近いそれなんだが、ひらりひらりと踏んだ最後
踏み込まれて、喉に剣先が届く
この感じ、悪寒が全身を包む、この空気、何もかもが、ああもう
「主任は今日もコンビニだったんですか?」
「ん、そうだ、あそこの牛カルビ丼がうまくてな」
「味濃いの好きなんですね、なんというか、運動部の男の子みたい」
「ああ、そういや高校の時から喰ってるっちゃぁ喰ってるな、相撲部で二杯喰うのが流行ってて」
「え、す、相撲部だったんですか?」
「ああ、変か?」
「いや、高校で相撲やってたって人、初めてみましたから」
「そうか、この業界じゃ確かに聞かないな、うん」
「高校だけだったんですか?」
「そうだよ、ただの相撲好きだったからな」
「相撲が好きなんですか」
チャンスだ、相撲の話題ならなんとかなる
一瞬、自分が盛り返してきたという構図を思い描いたが、すぐに止める
女の子が、はたして俺の言う相撲についてこれるだろうか…
男子でも、ほとんど相撲の話で盛り上がったことなんざないのに
それを、こんな年端もいかない女子に…分別というのは、
大人が手に入れた武器だと思っていたが、違う、
失った勢いの成れ果てだ
「っと、定時進捗確認、どうなってる?」
「え!、あ、はい、調べます」
唐突にめくらましを食らわす
相撲なら猫ダマしといったところか、くだらない
作業に戻って、しばらくは無言としよう、十分に喋ったはずだ
定期進捗確認以外にも、実際やらないといけない作業がある
没頭する時間がやってくる
ノーミュージックがくだらない人生だと言った人がいる
ところが、音楽を知っているから、無音が心地よいと思うときもある
実際は些末な音が何かを必ず奏でてくれる
かたかた、というキーの音もそうだ、
わわわわわわ、というマシンがうなる音もそうだ、
誰かが静かに呼吸をする、そんな音もある
がさがさと音をさせている、気付いているが振り向いてあげない
いや、振り向くことができない
ぱた、
「すいません、トイレいってきます」
「おう」
ぴらぴらと後ろ手で合図だけ送っておく、振り向かなかった
よかった、緊張からの解放、インターバル、ハーフタイム
いずれかを思い浮かべつつ、次の会話について
あれこれと考えないといけない、いい加減、とことん面倒くさい
どうしてこうも、会話というのをしないといけないんだろうか
でも、応えないといけないだろう
どうしたらいいか
☆
ぱたぱた
「よ」
「うるさい」
「機嫌悪ぃな、なんだよ」
「なんでもない」
「先輩になんかされたのか?」
びったーーーんっ
派手な音で思いっきり平手をぶちかます
不意を付かれたからか、そもそもの破壊力が大きいのか
わからないが、後輩の男の頬が真っ赤に燃える
「はったおすわよ」
「すでに倒れてる…手こずってるみたいだな」
「っとに、この業界はなんでああいう人ばっかなの、まったく」
二人は兄妹だ
社内ではほとんど知られていない、つまり、
わけのある兄妹なわけだ、名字が違うし、出身も異なっている
だが、そういうことは実に些末なことだ
「それでも、なかなか今回は気合い入ってんじゃないか」
「まぁ、そうかもね」
裏表がはっきりとした女なのか
雰囲気はばっさりと入れ替わって、気の強そうなデコを見せている
夜のネオンもほとんどが消えている
真っ暗な外を見る、うっすらと一本の道が伸びているのが見える
ちょうどそこからどこまでも続いているように
はっきりと真っ直ぐな、通称30番通り
「ねぇ、知ってる?この道、まっすぐ行くと突き当たりなんだって」
「ああ、有名な話だ、初めてだとだいたいひっかかって戻ってくんだよ」
「そうでしょう、でも、主任は違ったんだって」
「?」
「突き当たりのビルに入って、裏口から抜けたんだってさ」
「な、んというか、すげぇな」
「まぁ、そういうわけで、気合いを入れてみようかなんて」
「よくわからんな」
「面白いじゃない、なんていうか、色々細かく抗ってる感じが、愚直で」
「お前のような女は本当、末恐ろしい」
後輩は、頬をなでなでしながら自分の部署へと戻っていった
女部下は眼下の道をもう一度見る、行き止まりのビルは途方もなく大きい
朝日はいつも、あの方向から上がってくる
とりあえず、しばらくはご飯の話題が一番かな
女子のトイレは意外と短い
長いように見えるのは、それ以外に色々あるからだろう
朝が明けるまでまだ、時間がある
30番通りに日が射すのは、いましばらく後のことだ
こんなに時間かけるつもり
まったくなかったのに…
絶望感に打ちひしがれながら、無理矢理終わらせました話
この才能の無さっぷりが酷いなと
改めて思うのですが、もう、
色々ダメになってきている様子です
お読みいただけたのなら幸い
R(08/12/10)