夜になった。
結局、あれから誰からも電話がなかった。先輩もあかりも雅史も志保も、まるで連絡がない。
・・・行ってみるか、神社へ。
神社の境内には少しずつ人が集まりつつあった。この雰囲気は昔とあまり変わらない。
ただひとつ変わったとすれば、俺の目線の高さだけだ。
まだ花火までは時間があった。もしかしたら、そのうちにあかり達も来るかもしれない。
時間つぶしに露店を冷やかしていると、聞きなれた怒声が耳に飛び込んできた。
「こんなバチもんに、400円も出せるかい!」
あれは委員長だ。たこ焼きやに喧嘩を売ってるよ。
「何だねーちゃん、うちの売り物にイチャモンつけるんかい!」
「こんなもん、よぉ売り物と言いきれるな。ええか、ほんもんのたこ焼きはなあ、もっとタコが親指くらい
に大きく、こないな火力でべっしゃり仕上げたりせんと強い火力でサクサクに、そいで紅しょうがと揚げ玉を
あふれるほど突っ込んでやな、たっぷりのかつ節かけて、おたふくソースで仕上げや!」
「いいぞねーちゃん、あんたの言うとおりっ!」
おいおい、周りの見物客から喝采を浴びてるぞ…。
「言うのは簡単なんだよ、出来もしねーくせに!」
「・・・おっさん、誰に向かって言うとんのや?貸してみいっ!」
おいおい、ついに焼き始めちゃったよ・・・。
しかも上手だし・・・。
「い、いいんちょ・・・何やってんだ?」
「あ、ふ、ふじたっ!! いや、このおっさんの手際がな、あんまりやったからつい、な」
「はあ・・・がんばれよ」
「藤田もな」
「俺が何をがんばるんだよ?」
「いや、な、何でもあらへん」
・・・委員長、なんだか歯切れ悪いな。
俺はこの数年、すっかりかすみのことを忘れていた。今ごろになって思い出すなんて・・・情けない。
でも、約束の日に思い出せてよかった。あのときのかすみの泣き顔。
きっと、かすみは約束を覚えている。きっと、かすみはあの場所に来る。
石段の前には、ひとりの女の子がいた。
「・・・もしかして・・・吉行・・・かすみさん?」
「藤田君、藤田君なんだ・・・あまり変わってないね」
おおきくなったかすみは、あの頃と変わらず華奢で、あの頃と変わらず、大きくてきれいな瞳をしていた。
「そうかなあ。確かにかわらないかもなあ。吉行さんもあんまり変わってない・・・いや、かわいくなったかな」
「ありがと・・・でも、『吉行さん』なんてくすぐったいよ。かすみ、か、モンちゃんでいいよ」
そう言ってかすみは笑った。あの頃と変わらない、
いや、あの頃よりもかわいい笑顔だった。
「まだ花火まで時間があるし、露店を見てみようよ」
「うん」
「藤田君、かわいい子つれてるなあ」
「委員長、まだたこ焼き焼いてたのか?」
「そや。このおっさん、てんで飲み込みが悪ぅて困るわ。なあ、同級生のよしみで1パック買うてんか?」
委員長は浴衣の袖を捲り上げてたすきがけまでしている。しゃべりも妙に慣れている。
「そんだけ商売上手なら、けっこう売れただろ?」
「うちは本場『京たこ』仕込みやからな。そないな話ええから買うてって言うとるやろ!」
本場の関西弁は洒落にならない…おっと京都弁だっけか?
「そろそろ始まるかな・・・」
俺とかすみは石段に腰掛けて、本場のたこ焼きを堪能していた。言うだけあって委員長のたこ焼きは美味かった。
「さて、そろそろ移動しないと」
「何処に?」
「ちょっと道がきついけど、がんばれるよな?」
「うん。だって、これを楽しみにしてたんだもん」
石段を登り、神社の前に来ると、俺達は神社の裏手を抜け、山の中へ分け入った。
それは道と言えるほど立派な道ではなく、かろうじて踏み荒らされて地面が見える、と言う程度のもので、完全な悪路だ。
小さい頃は余裕だったのに、今の俺にはちょっときつい道だった。俺でさえそうなのだから、かすみにとっては物凄い
難所だったに違いない。それでも、かすみは黙ってついてくる。どれだけ歩いただろうか、俺達は山の頂上に着いた。そこは
広い野原になっていて、とても見渡しがいい。
「・・・あ」
遠くから小さな光が空へ登っていくのが見えた。
ぱあん!
小さな光は大きな光を四方に散らし、そして消えた。
「・・・きれい・・・」
久しぶりに、この場所から見る花火だった。あの時から、俺はこの場所を使わなくなっていた。
俺は無意識のうちに、この場所をかすみのためにとっておきたかったのかもしれない。
花火のあかりに照らされて、かすみの横顔が闇に浮かび上がる。
・・・視線がそらせなくなった。
俺はずっと、かすみの横顔だけを見ていた。
「・・・ねえ」
「・・・あ」
気づくと、かすみが俺のほうを向いていた。
つながる視線。
「・・・わたしね、花火が大好きだった。みんなに喜んでもらえる花火、とてもきれいな花火が好きだったの。
でもね、わたし、花火が嫌いだったの。きれいだけど、すぐに消えてなくなって。なにもなかったみたいに、
ぱあっ、って」
「でも、みんな、花火の鮮やかさを焼き付けてる」
「うん。わかってる。だから、花火が好きで、花火が嫌いだったの。わたし・・・病気がちで、友達もいなかったの。
同じクラスの誰も、わたしのことを知らなかったの。授業も一度もちゃんと出たことがなかった。
わたし、花火の不発弾みたいだ、って、ずっと思ってたの。誰にも見てもらうことがないまま、誰にも覚えて
もらえないまま、ぱあっ、と散ってしまうような」
「・・・」
「だからわたし、藤田君に会えてうれしかったの。だから・・・わたし、藤田君に覚えててほしかった。
だから、あんな約束をしたの」
あの約束には、そんな意味があったのか・・・。
「ごめん・・・俺、ぎりぎりまで思い出せなくて」
「ううん。私も待てなかったから、おあいこ」
「・・・」
「それに、こうして、藤田君と花火を見ることが出来ただけで、わたし、うれしいんだよ」
「・・・もう・・・行くのか」
「うん。でも、その前に」
かすみは顔を近づけてきた。
そして、俺とかすみは短くて・・・長いキスをした。
「俺、今度こそ忘れないから」
「ありがとう。わたしも、今日のことは忘れない。あの人にも御礼を言っておいてね」
かすみの姿が少しずつうすぼんやりと、溶けていく。
「ああ。俺からも礼を言わないと」
「・・・さようなら」
「・・・多分、また会えるさ。覚えてさえいれば・・・」
「・・・藤田君・・・あの頃から、わたし、藤田君が好き。これからも、ずっと・・・いつか、また会えるよね?」
かすみの泣き顔が、闇に解けて消えた。
☆
「かすみちゃんに手を貸してあげたの、先輩だろ?」
こくこく。
来栖川先輩は首を縦に振った。すべてを知ることが出来たのは、先輩だけだ。
だからこそ先輩は俺と祭りに行くのをあきらめて裏方に徹してくれたのだ。
『・・・早く思い出してあげないと・・・』
あの言葉がなかったら・・・。
「ありがとう、先輩」
ふるふる。
先輩は首を左右に振りながら、小声で
「・・・とんでもありません・・・」
と言った。
「ヒロ・・・ごめん。言い出しづらくて」
志保は結局、事実を知ることが出来た。だけど、その事実の重みを感じ、俺に伝えられなかったのだ。
「いいんだ。なんとなくわかっていたから」
それは本当だった。いつからわかっていたのか、それははっきりしない。もしかしたら、あのプールで幼い頃の
かすみの姿を見たときからかもしれない。
「・・・志保、彼女の眠っている場所を教えてくれ」
「あ、う、うん! この志保様の徹底リサーチ、小麦粉のひとつまみほどの情報も漏らさないんだからっ!」
志保は目をこすると、元気よく立ちあがった。
☆
吉行かすみは港を一望する高台の一角に眠っていた。俺と出会って間もなくだったそうだ。
それでも、苦しまずに、眠るようだったと、かすみのお母さんは話してくれた。
墓前に花と風船ヨーヨーを供え、手を合わせた。
『・・・わたしね、花火が大好きだった。
みんなに喜んでもらえる花火、とてもきれいな花火が好きだったの。
でもね、わたし、花火が嫌いだったの。きれいだけど、すぐに消えてなくなって。
なにもなかったみたいに、ぱあっ、って』
誰でも、そういう不安はもっていると思う。
でも、それは杞憂に過ぎない。
必ず、俺達を見てくれている人がいる。
必ず、俺達を覚えてくれている人がいる。
・・・俺は忘れない。
・・・忘れなければ、きっといつか、また会える。
潮風が、彼女の返事のような気がした。