燕雀鴻鵠 おまけ
墨寧という中央役人がいる
警邏総督
それが彼の任務であり、地位であり、職業となる
警邏隊と呼ばれる治安維持部隊と
延国内の至る所で必要となる労働力の確保
公共事業の下支え、それらを業務として日々、忙しく過ごしている
「ああっ、なんで森近県の開拓進んでねーんだ、馬鹿野郎っ、あの県令クビにしろっ」
「しかし総督殿、県の財政が逼迫している以上なかなか」
「逼迫するのは脳が無いからだろ、てめぇも同罪だっ、しっかり監督しろ、馬鹿省令っ」
「何を、あんたこそふんぞり返っているだけのくせに、直轄上司でもないあんたに
言われる筋合いなんざないわっ、不愉快だっ」
「じゃかぁしぃっ!!!顔洗って出直してこいっ」
「なんだよ、こんな仕事量そもそもこなせるわけねぇだろっ、しかも担当初めてだっつうのに」
「アホかてめぇ、言われた仕事できねぇで給金貰おうっつうその根性が腐ってんだ」
「話にならねぇ」
「口のきき方から勉強してこいっ、こわっぱがっ」
怒鳴り声をあげながら、部下というか下っ端との諍いがやまない毎日
それに没頭しながら、墨寧は毎日を浪費していく
来る日も来る日も仕事、業務、作業
労働は喜びだと誰かが言ったそうだが、おそらく相当の変態だろう
この男にはそういった虐待されることを望むような歪んだ願望は無い
ただ、目の前の仕事をかたして、今の地位を守り
あまつ、今よりも高い地位へ昇りたい
そう思いながら、上にこびへつらい、下に檄を飛ばし、今日も今日とて生きている
「墨寧、森近県民から苦情が殺到しておる、どうなっておる」
「ははっ、対処をしておるのでありますが」
「が?なんだ貴様、上司に向かって逆接の言葉を繋げるつもりか?」
「あ、いや、その・・・」
「いや?それもだな、お前、とことん上司を嘗めてるな、顔洗って出直してこいっ、降格にするぞっ」
「うへへぇ」
中央役人の中では、下級に属するのだから、そのすれ違う圧倒多数は
全て上司にあたる、また、中央というのは優秀な役人が揃う場所でもある
だからこそ、一層その風当たりはきつい、皆がいっぱいいっぱいに競い合うようにして
仕事をこなし、そのギリギリでも負けてしまった者は、他の勝者全てから
容赦のない罵声を浴びる、それが嫌なら働くしかない、そして他のものを
罵る日を手に入れるしかない
そういう状況が、中央役人の低級から中級のあたりでは行われている
なるほど、皆、一同に顔色悪く生気がない、しかし、仕事はこなす
よくできた頑丈な人物のみが、働くことを許されている
「身が保たん」
そう思い、短いながらも慣れ親しんだ中央から
自ら派遣県令として赴くことを考慮し、南へと向かったのである
中央から離れる道すがら、かつて左遷されるときと
同じように、どこか文明の行き届いていない
酷い場所を思い浮かべていたが、当時よりは遙かによいそれ
楽しみながら、中央は周雲という副将に任せつつ
ただただ、邁進するのみである
この墨寧という役人は、県令という位置だけで見るならば
類い希なる、凄まじい才能を発揮する、素晴らしい御仁となり売る逸材である
「清々しいな」
ぽくぽく、馬の音は響く
誰に言うでもなく、大きな声でその天地の広さを体感している
南は、暖かさと雨の少なさで知られる
砂漠と呼ばれる、大きな砂地がところどころで顔を出している
その姿を、郷愁という言葉に逃げていたと
この後気付くのである
☆
「・・・・・・・」
そもそもこの県へ赴任してきたのは
致命的に県令が使えないということにあった
なにせ、犯罪発生の度合いが、他の地域と段違い
南はもともと治安が悪いところではあったが
旅行者が誤って入ると、必ず一度は盗難に遭い、さらに二度目が半分の確率で遭う
つまるところ、犯罪発生率という奴が15割なのだ、割られてない
さらに分かり易い、この当時にない単位を示すならば150%だ
絶対一度は賊に会う、なおかつその後続けざまに遭う確率が50%
かくいう墨寧も
「なんだお前」
「おとなしく、金子を・・・へべべっ!!!」
「・・・・驚いたな、公人の服装(なり)をしてる奴を襲う、致命的なノータリンが存在するとわ」
冷や汗をかいたのはこの時だけではない
この後、その確率に支配された犯罪発生は
ことごとく墨寧を襲い続けた、しかし、墨寧は優秀な男である
というか、こういった下々の世界に慣れた役人である
起こることはだいたい想定できているし、それらよりも上手
つまるところ、墨寧の思考は彼らに近い上に彼らよりも上なのだ
おおよそ、どういうことになっているか解っているから
起きたことについて、実に適切な対処が出来ている
「下等な悪人がはびこっている・・・県令はよほどの阿呆だったのだな」
夜のとばりが落ちている
焚き火をしつつ、その道脇、森の影に、いくつか
犯罪者というべきか、夜盗、強盗、盗賊の類の影が見られる
寝たら襲われるのかもしれない
これは、獣の類よりも厄介だ
墨寧はそう思いつつ、仕方なし、一つ、策を講じることにする
ここまで下等な相手なのだ
それを経験で悟ったから造作でもない、彼らには教養と文明が欠損している
だから、理論に屈する可能性が高い
それも、理論が暴論であろうとも、それを補う暴力があればなおさら
「お前ら、俺に仕えてみる気はないか?」
大声でそう言い放った
無論、その返事はない
それは想定内だ、墨寧はさらに続ける
「俺は見ての通り公人だ、それに雇われるということはお前ら出世のシッポを掴むぞ」
ざわ、森が蠢いた
それに首尾良く、さらに墨寧は続ける
「お前らが俺のことを知っているとは思えんが、俺は公人でも特殊な類だ、
貴様らのような身分から、例の大乱で出世した輩だ、お前らのことはおおよそわかる」
言葉はなおも帰ってこない
「だから、お前らを雇い、うまいこと社会復帰させることができる、考えたことがあるか?
もう、日の目を見られない身分から、働けば金を貰える身分になれるのだ」
「お前、下等出身といいつつ、それでも上等だったな?」
ひっかかってきた、墨寧はしめしめと
それを表情に出さず、闇に向かって声を投げる
「そうでもない、お前達の確かに、楽に稼げるという気持ちはわかる
一生懸命働いて手に入れられる額は少額で、それをかすめ取る方が遙かに経済的だわな
わかるが、それは、もうすぐ成り立たない生業になるぜ」
「どういうことだ」
「警邏の鬼、典晃を知っているか?」
「・・・・・中央伝説の鬼か、それがどうした、先の大乱で死んだのだろう?」
「違う、山賊となっていて、また中央に戻ったのだ、貴様ら如き血祭りだぞ、最早酌量は無い」
どぉ、動揺が走った
なんとも他愛ない
「俺はその先鋒だ、視察に来たというわけだ、ここで俺を襲ってみろ、わかるか?」
威圧の声は、重くゆっくりと
墨寧は目の前の焚き火から目を移さず
そこへ視線を注ぎつつ、持ってきた干し肉をゆっくりと焼いている
この男、モチを焼かせれば天下一だが、肉を焼かせてもなかなかである
香ばしく、焦げはほとんど出さずに、ゆっくりと素晴らしい具合に仕上げていく
あれほど渇いていた肉から、油が滴るかと思うほどの焼き加減である
「お前達は運がいい、これから俺の仕事に協力すれば、鬼の手から逃れられるのだ」
「貴様、本当に公人か?」
「どういう意味だ」
「悪人ではないか、考え方が、声が、顔が」
失敬な
考え方はともかく、声と顔は関係無いだろう
カチンときて、ようやく振り返る
闇の中だ、当然見えるわけもないがそこにいるのはわかる
抗議の意味を含めて、睨み付けたつもりだったが
焚き火の逆光で、ぼんやりと浮かぶ墨寧の顔は
闇に隠れる男達に、悪鬼、のそれを思い出させたのである
「お、鬼だ・・・ほ、本当に鬼の使いなのだ・あわわわわ」
「待たんかこら」
「うひへえええっ、わ、わかりました、もう悪いことはしません、お、お、おかあちゃあああん」
世の中に産まれながらの悪党というのは
いないのかもしれない
そんなことを思わせるのであるが、墨寧は首尾良く
この土地での足がかりを掴んだのである
翌朝、賊とは連絡の方法だけを伝えあい、一度別れそのまま県庁へと向かった
「!!!!な、け、警邏総督様っ!?」
「ああ、約束もなくやってきてすまぬな、調査だ」
「お、お一人で参られたのでありますか」
「なんだ、悪いのか?」
墨寧が睨み付ける
地方にくれば、中央で高官に近い位の墨寧はやりたい放題ができる
とりあえず、日頃の鬱憤を晴らすかのように
県令を軽く苛めておくことにする
「しかし、聞きしにまさる治安の悪さだな」
「いえ、その・・・この地域で、一人歩きでは・・・」
「お前阿呆か?一人歩きができぬような治世でいいと思ってるのか、この能なしっ!!!」
「も、も、も申し訳ございませんんんんっ」
「治安維持要請を受けて、見てみればこの体たらく、隊を動かすほどではないわ」
「ええ、そ、そんな・・・」
「治世でなんとかできる範囲内だ、働け馬鹿野郎っ!!!」
「ひ、ち、ち、畜生っ、いくら中央高官とはいえ、お、オヤジに言いつけてやるっ!!」
「子供かっ!!」
怒鳴り散らす墨寧、この後、この県につとめる役人全てに
罵倒の限りを尽くして、随分と憂さを晴らしたのである
まぁ、もっともなところもあったのだが、その甲斐あって
すくすくと、するすると、あっと言う間にこの土地の治安が回復されていった
ちょろいものである
しかし、いささか羽を伸ばしすぎた
「中央警邏総監ともなると、偉そうだ」
「本当だ、偉そうだ」
「偉そうだ」
部下というほどではないが、その県につとめる全ての役人を敵に回したのである
もっとも、この程度でひるむような弱い男ではない
そうなるだろうと、なったところでどうってことはない、俺は偉い
そんな不遜な態度を示して過ごした、赴任して2週間ほどである
そろそろ仕上げになろうという時
「おお、墨寧殿、働いておられるな」
「こ、これは、中央よりわざわざ・・・」
「なに、活躍ぶりを聞いてな、是非この目で見たいとな」
現れたのは、中央高級官僚である、かなりの上位職だ
久しぶりに見た天敵というか、上役に一瞬翳りを覚えた墨寧だったが
褒められるとわかると、やたら慇懃にその相手をすることにした
上へはちゃんとこびへつらっておく、あわよくば今よりも待遇よく
そのために、へこへこと、凄まじいゴマをすっておく
「いやぁ、私、このての仕事にはほとほと慣れております故」
「ふむ、感心感心」
ずかずか、高級官僚と並んで歩く
威を借る狐でもないが、一緒に歩いているだけで
県の役人達も、おおお、などと声をあげて
慌てて頭を下げて、礼を尽くしていく
なんとなく気分がいい、墨寧はとくとくと気をよくしつつ進んでいくと
県令が向かいから歩いてきた
「ああ、紹介いたします、こちらが県令で、治安の悪化の原因を」
「これはこれは」
「ああ、父上っ!!お久しぶりでございますっ!!」
カッ
凄まじく渇いた音、なんといったらいいのか
極上の鰹節を二つ、拍子木の代わりにたたき合わせたというか
ともかく、圧倒的に渇いた音が墨寧の頭の中で響きわたった
もはや瞳孔が開いているのではないか
それほどの喫驚を墨寧は催している
「おおお、随分務めておる様子だな」
「申し訳ございません、家名に泥を塗るようなマネをしておりまして・・・毎日、墨寧様に叱られる始末」
「あ、いや、県令殿はかなり見込みがあると思われた故、つらく当たっておりますが充分答えておられますぞ」
苦しい、我ながら苦しすぎる
だって、さっき思いっきり罵倒してしまったもの
そう思うが、最早仕方がない、全てを悟った墨寧としては
ひたすら平身低頭を続けるしかない、それを解っている
嘲笑うように、県令は視線を墨寧に向ける
この糞ガキ、思うが言えるわけもない
「ともあれ、息子の不始末でご迷惑をおかけしました、総督殿」
「い、いやとんでもございません」
「しかし、あっと言う間にその問題を解決してしまうとは流石でございます、私も安心です」
「何が、安心でしょう?」
「いや、昨今、国の資金繰りが難しくなっておりましてな、予算のことでどうしようかと」
「まさか」
「いやはや、一人で百人力とはこのこと、警邏については、予算は考えさせていただきましょう」
「ご、ご冗談を、いやいや、治安だけならいざ知らず、我らは各地の治水も行っておりますゆえ」
「はっはっは、その分もうまくやりくりして貰わねばならぬなぁ」
焦る墨寧
別に、予算配分など彼の取り分が増えるわけでないので
どうでもよさそうなものだが
それにより、働きに支障を来す、仕事の納期遅れる、上から叱られる、下から蔑まれる
また、暗黒の螺旋階段が下へ下へと伸びていくのが目に見えてわかる
阻止したい、いや、せねばなるまい、必死でしがみつく墨寧
「お、お代官様っ、な、なにとぞっ!!」
「ええい、はなさんか、というか、気持ち悪いなんだいきなりっお代官様ってなんだっおい」
「殺生な、そればかりはなにとぞ、なにとぞっ」
「五月蠅い、貴様がいつも言っておるそうではないか、能なしはともかく働いて打破せよと」
「あ、あんまりでございますっ、それでは一族郎党が路頭に迷い」
「一族もなにも、貴様独り身ではないか、うつけっ、離せバカタレ、着物が汚れるわっ」
げしっ
「えひぃっ」
情けない声をあげて、床を転げ回る墨寧
あまりにも必死にしがみついていたため、振り切られた反動は凄まじく
馬車に轢かれたかのような、酷い転がりっぷりで廊下に骸を晒した(死んでない)
☆
「うごぉおお・・・・畜生、なんで俺ばっかりこんな目に・・・」
居酒屋で酔いつぶれる総督
仕事が終われば、一人の男に戻るのである
中間管理職ならではと言うべきか、下がついてこない上には怒られる
そんな嫌な状態を仕事中味わったとなれば
夜は、安い酒でも呑んでくたばるしかない
あの後、なんとか拝みに拝み倒して、予算については再考の約束を取り付けたが
そのあまりに必死すぎるそれから、それまで散々に当たり散らしてきた
下っ端役人共が、蔑みの視線を強めて、もうこの土地で墨寧の存在は
ムシケラよりも劣るそれになっている
権勢を究めようと思うような男が陥る状態ではないが
ともかく、中央で随分疲れていた、そして久しぶりの出張でついタガが外れた
よくあることではある(あっては困るが)
「お客さん、お客さん」
「うるへー、次だ、次もってこい」
もう何本も空けてしまった
支払い大丈夫だろうかと少しだけ心配したが
今は、それよりもただ酔いつぶれたいと思って
ぐだぐだになっている
「お役人様、何かあったのですか?」
「ん?看板か?」
「あ、そ、そうなんですけど、その」
「そうか、悪いのう」
ぐでんぐでん
墨寧、久しぶりというか初めてではないかというほどの酩酊ぶり
ふらふらと、それでも、金銭感覚だけは研ぎ澄まされているらしく
財布から、きちんと耳を揃えて勘定を払う
というか、店の言い分聞かずに、ずばり平値を当てるところがこの男の怖いところだ
店主としては、迷惑料を少しとろうと思っていたらしいがつぐんだ
「ああ、あ、危ない」
「ぬおお、おお」
ふらふら、墨寧がふらふらしている
見るに見かねたのか、雇われの娘が肩を貸す
よたれかかるが、まだ正体は失っていない
「すまぬな、なに、大丈夫だ」
「大将、あたし、この人送ってきますね」
「ああ、そうしてやれ、夜道は危ねぇしな」
治安が回復したとはいえ、まだまだ
他の土地から比べれば危ないことこの上ない土地柄だ
このぐでんぐでんぶりでは、明日の朝には
全裸で川に浮いていても何一つ不審がない
「うう、すまねぇな・・・」
「いえ、っていうか、嘘っ、超偉い人なんじゃないですか」
館の前である
特別待遇の部屋をあてがわれているから
その様相は凄まじいものがある
娘はそれを見て驚いた、ただ者ではないと
「ん、まぁ、そうか、そうかもしれんな、折角だ茶でも馳走しよう」
「え、お、お茶!?そんなもん呑めんの」
口のきき方を知らない娘だが
ここまで連れて来て貰ったのだから、せめて礼をしよう
そうとでも思ったのか、墨寧は茶を馳走することにした
なお、茶はまだまだ普及乏しく高級品の部類に入る
その喜びように、まだまだ茶葉はやりようで金になると
めざとく墨寧は考えたが、それは余談
「座ってな」
「というか、役人様、もう大丈夫なの?」
「酔いつぶれてたら、役人はできねぇんだよ」
まだ、かなり残っているし、相当眠いのだが
他人がいるという不信感から、絶対に油断を見せない
よたついていたのは実際だが、護衛代わりに店のものを連れ出す作戦だった
墨寧、それは言わないが、ともかく茶を煎れた
「うあ、美味しい・・・白湯とは違うね」
「まぁな」
「お役人様、お仕事大変なの?」
「ふむ」
「やっぱり、あれなんでしょ、上から下から酷い目に遭うんでしょ」
「なんだ、どっから聞いたんだ、そんな話」
「うちのお店くる人みんなそうだもの、中央から来た役人さんだって、なんだったかな、
息子が馬鹿で問題ばかり起こして困るとか」
「ほう?」
墨寧の酔いが一時的にすっと引いていった
その話、詳しく知りたい、そう思って
茶をさりげなく、もう一杯煎れてやる
「お金を使い込んじゃったから、その分で、どうのこうのとか、悩みはつきないらしいわね」
「使い込んだって、そりゃ大変だろうな」
「そうみたいなの、なんか凄い玉の彫り物を買ったとかなんとか」
横領じゃねぇかそれ・・・
墨寧は、思わぬことを聞いてしまう
おそらく娘が言っているのは、あの馬鹿息子を持つ高級官僚の戯言だろう
だが、横領しているとなると話は別だ、個人的にも憎いが仕事上も捨てておけない
しかも物品の証拠が出るとなれば・・・
意趣返しも含めて、中央から追い出す必要があるな
墨寧の顔が、久しぶりによい顔に戻った、ここに来て抜けていたのと違う
上を狙い、あざといあの視線を戻しつつある
「しかし、美味しいお茶だぁね」
「おお、そうだな、そりゃそうだ」
墨寧もがぁっと茶を煽る
娘の話のせいだろう、ひどく美味い茶に思われた
それを飲み終えると、やれやれと腰を上げて洗いに戻る
少し娘から離れて、考える顔をする必要がある
他人に、悪巧みをしている瞬間を見られることを酷く嫌うのだ
しかし、思いつきはすぐに片づけておかないとダメだ
墨寧は、茶碗洗いで席を外したように見せて、台所で考えた
方策は問題ない、先に影翁に調べさせよう、最終的に強請るでもかまうまい
決定して、うれしそうに戻ってくる
つと、娘が座っていたところを見る、居ない
もう帰ったのか?思ったが、くるり
顔をふって、寝床を見て驚愕する
「ああっ!!!何寝てやがるっ!!!」
「んー、もう食べられましぇーん」
「アホっ、馬鹿娘っ、起きろっ、たわけっ!!!」
「ぬーん、呑めしぇーん、やだーん」
けぇええーーーーーっ!!!
墨寧が奇声をあげてみるが、さっぱり動く気配がない
完璧に眠りに落ちている、なんという娘だ
なんたることか、寝床を盗られて呆気にとられる墨寧
「まぁ、いい、褒美だ、よい話も聞いたしな」
仕方ない、さっぱりと諦めると
墨寧は仕方ないので、別のところに床作りをして
身体を横たえることにする、ただ、他人がいるとなると
うまく眠れるかどうか
と、思ったがすぐに、ぐらり、眠気が美味い具合にやってきて
そのまま意識を浚ってくれた、やはり飲み過ぎだったのである
そして、朝が来た
「ほほほ、これはこれはお役人様、申し訳ございませんでした」
「んー、誰だお前」
「やだ、記憶無いのかよ、おっさん」
「覚えてるよ、馬鹿野郎、他人の寝床奪い取りやがって、さっさと帰りやがれ」
「はーい、あ、送り賃!」
「茶ぁしこたま呑んだくせに、それでチャラにしとけ」
「・・・・・仕方ないか、んじゃーねー」
ブンブン、凄い勢いで腕を振って
娘はさっさと帰っていった
騒がしいことだった、墨寧、改めて己の領分を取り戻し
瞳に鋭さを宿して、再び登城するのである
☆
「あ、馬鹿息子・・・いや、県令殿」
「なんか仰いましたか総督様」
「べつに」
軽い鞘当てを終えておき
とりあえず、中央高官が帰ったのだけは確認した
とりあえずこの馬鹿息子にもお灸を据えておこう
墨寧はそう考えて、するすると計画を進めていく
「時に県令殿、私もこちらへ来て半月を過ごしました、そろそろ中央へと戻ります故、引継を」
「これはこれは・・・もっと長くおられるかと思われましたが、残念です」
このガキ、俺を左遷させる手まで打ってやがったな?
鋭い瞳で射抜くが、しれしれとそれを受け流す県令
だが、所詮お子様、流石に墨寧を異動させようと思うと
かなりの権力が必要となる、その反動を見せつけておかなくてはならない
策というものは、失敗した時、多大な反撃を被るということを
「いえ、申し訳ございません、下っ端が忙しいのは世に知れた事実、わたくしも下っ端故・・・」
「ははは」
「さておき、県令殿には私の後、これだけの仕事をこなしておいていただきます」
さらっと、渡すのは仕事の覚えがきである
墨寧が丹念にこさえた、素晴らしい仕事の注文書
伊達に、中央に入ってから事務一般をこなしていたわけではない
「ぬぁっ!!こ、こんなに、無理だ、そんなっ」
「おやおや、この墨寧がこちらに赴任してから行ったのがこれ、ということはまぁ、
この程度はやって戴かなくてはなりませんな」
「・・・・・・あい、わかった」
渋々、そういった感じで県令は受け止めた
この書類、受け止め易いように、そこまで酷く作っていないのだ
本来ならば、その三倍の仕事は残っているはずだが
それを敢えて目をつむったものとした、その手心を当然書類から感じ取ったであろう
県令は、墨寧が歩み寄りを、媚びを売ってきたと思うのだ
それを表情で読みとり、県令は、にやにやと立場にそぐわぬ笑顔を漏らす
墨寧は、何喰わぬ顔で慇懃にそれを伝えておく
「いやはや、楽しみであります、これをうまく解決できますればお父上の鼻も高いでしょうし、
何よりも、お早く出世できることでしょう」
「おお、そうか?そうなのか」
色めき立つ、まだ若い
墨寧はその後も、散々に煽り文句でおだてておき
いよいよ、その場所を後にすることとなる
最終的には、その色のツケ具合に、随分と心酔したのか
墨寧に間違った意味で気を許してきた
「墨寧殿、私が中央へと行けば、必ずそなたを頼る事になろう、よろしく願います」
「いえいえ、貴方のように優秀な方が一人でも中央に増えますれば、世の中は等しく治まるようになりましょう」
「ははは、待っていて欲しい」
「さぁさ、お急ぎなされ、それをこなすのですぞ、ただ、こなせなかった場合は、
当然、罰則が酷いこととなりますので」
「それは解っておる、取引という奴だろう、もっとも確実に行われる談合めいたこれでは」
「お口が過ぎますな」
少しだけいさめるような、爺の口調で墨寧はあやしておき
いよいよ、その場所を去ったのである
ぽくぽく、馬はようようと半月前に来た道を戻っていく
途中、待っていたように一組の商人団とすれ違う
道を譲り合うようにして、少し戸惑って双方は顔を合わせる
「旦那」
「おう、いいぞ、存分に暴れてこい、手はずどおり、この川堤を落とし、あちらの土手を壊すのだ」
「うへへ、いいんですけい?天下のお回りが」
「黙って働け、よけいなことしたら、貴様ら全員打ち首だ」
すれ違った
商人に隠れた、当初墨寧を襲っていた賊である
墨寧の指示は的確である
納期以内に、きっちり県令が働いていれば
これから起こる事故は防ぐことができる
そういった、細工を施しにやらせた
なお、墨寧がなんぼ悪人でも、現在の地位からかんがみて
町民や罪のない県民には、人的被害がでないようにはしてある
つまり
二ヶ月後
「墨寧様、先だって視察に行かれた県にて、洪水が発生したとか」
「それはそれは・・・」
「墨寧様、ちゃんと見てこられたのですか?これは、流石にまずいですよ」
周雲がたしなめている、被害報告書を見ると
『洪水により、県庁水没』
と、記されている
被害は県庁のみに集中しているらしい
堤防が壊れて、道に沿って一直線に県庁が沈んだとのこと
その他の畑などについては、既に対処がとられていた様子で無事
「まぁ、県民に問題がなかったからよしではないか?」
「確かに、しかし墨寧様」
じろり、周雲は見透かした瞳で一つ苦言を呈す
「今回、防げたのは貴方が手ほどきした場所ですね、わざとですかな?」
「さて、なぁ、それよりも周雲、アレはどうなった?」
「今日、蔵慈殿が向かっております、捕らえてこられるでしょう、しかし、よく知ってましたね」
「情報網というのは、なかなか侮れないぜ、地方でも働いたということさ」
墨寧が、これみよがしに威張る
もたらした情報により、先の高官は一度
鈴音御使に捕らえられた
ただし、取引が認められ、玉と財産の没収
そして予算について、警邏役への考慮など
様々な特権を駆使し、不問となった
元々優秀な役人であるため、中央が削除するのを惜しんだことも由来するが
墨寧としては万事うまくいったのである
なお、県令は失策をなじられ、降格処分となっている
当然、オヤジ殿の力が働かなかったことも起因している
「さて、働きもよいですが、客人がおいでですよ」
「客?」
万事うまくいった
そう思っていたところに、墨寧を訊ねて客がやってきた
周雲に聞いたが、苦笑いをして答えない
不審に思うが、渋々、対応のため出てみる
「おあ」
「ちわっ、元気してた?」
娘だ、あの酒場の娘だ
「な、なんだお前、何しにきた」
「責任とって貰いに」
「は?」
「子供ができた、三ヶ月、籍入れよう、でないと・・・」
「ば、馬鹿なこと言ってんじゃねぇっ、何言ってんだお前っ」
「墨寧殿、それはいかん、いかんぞ、男として」
なにやら狼狽している墨寧が珍しく
典晃が顔を出してきた
開口一番がそれである、既に墨寧が今までになく悪人である
「違う、そんなこと、断じてない、するわけがないっ」
「やだやだ、一晩一緒にしたのに、そんなわけないじゃない♪」
「♪とかつけんなっ、ふざけるな、馬鹿娘っ!!」
「ひ、酷い、あんだけしといて、なんてことをっ!!」
「だから、なんもしてねぇだろっ」
「あらやだ、酔いつぶれて寝てる時に、んもう、なに言わせんのよ」
殺そうか
墨寧が、今まで決して破ってこなかった禁忌を
まさに今破ろうかと思っている
だが、それを許さないように、すぐに娘は続ける
「でもちゃんと出来たんだよ、ほら、お腹、ちょと出てきた」
「どこの子だ、俺のせいにするんじゃねぇ」
「やだよぅ、クビしめたら急にその気になって、仕方ないからかたしてあげたのに♪」
「墨寧殿、そなた、そういう趣味が」
「ち、違うっ、色々、本当に、ち、違うっ!!!」
これを遠方の国の言葉でパニックと言うらしい
墨寧が、のたうちまわるように、必死に大声で否定を続けるが
白々しく聞こえてしまう
なお、追記しておくが、クビをしめていたしたという所は
男の本能というよりも、生物的に、自分の死期を悟りついつい子孫を残そうと
遺伝子が気合いを発した証拠である、仕方ない、これは仕方ない
「ともあれ、責任とって頂戴、警邏総督様♪」
「うるせぇっ、お前みたいな出自もわからねぇような娘」
「おお、何をしているのだ娘よ」
「ああ、お父様♪」
「は?」
呆気にとられる墨寧の横から
出る機会を見計らっていたかのように、素晴らしい状況で通りすがる影翁
「この人が旦那様です」
「なんと、墨寧様、よろしいのですか!?」
「え、娘?っつうか、爺、お前幾つだ、おい」
「いや、これはめでたい、不詳の娘でありますが、墨寧様を見初めるとはなかなか、慧眼であるぞ」
「えへへー、もう、子供もいるのよー」
「いや、だから」
「なんと・・・・順序を違えるとは、墨寧様・・・これは流石に父として・・・」
影翁が、本物の父親の顔でそびえ立った
墨寧の背筋が凍った
この男が、本気で怒ったらどうなるのか
それを知っているが故に、肝を冷やした
「いや、その、お待ちなさい、お父様」
「ああ、父上を、お養父様ってっやたっ、認めた」
「違ぇっ、何勝手に漢字変えてんだ、おいっ」
「いやはや、父親として、娘を拐かされたとは思いたくはないのですがなぁ」
かくして、背後では典晃が爆笑をする中
なし崩しで、結局墨寧はこの娘をヨメとすることになってしまったのである
ずるりずるり、人生はそのように進む
後、考えてみるに
都合良く南への用事ができる
都合良くいざこざが起きる
都合良く横領などの罪を見つけることができる
それらの鍵となったのが、影翁の娘
もうわかるだろう、墨寧はしずしず己の浅はかさを呪った
あの娘と出会う、いや、こうなることが罠にかかっていたのだ
影翁は、自分以外の見張りの目をつけたのである
「旦那様♪」
「五月蠅い」
「あら、いやだ」
幸せそうな二人である、後日、このご婦人は別名を冠することになるのだが
「あたしが居れば、必ず出世させて見せますとも」
「ほう?」
「影翁の娘ですよ、貴方を支えます、そして必ず更に出世を適えて差し上げますとも」
「期待せず、待っておるよ」
うまくいくかもしれない
そう、油断した墨寧は後日知ることとなる
世の中、全ての夫婦の夫が感じる恐怖を
後に物語となる
「墨寧様、まずは、これだけかたしなさいな」
「いや、お前、無理だろ、おい」
「あら?できないわけがありませんことよ、ほほほ、ほほほほ、ホホホホホホホ」
鬼ヨメ軍師という物語となるのである
おしまい
こんなお話だったら、もっと評判よかったかもしれませんね
などと、思ったりなんだったりしながら
本当は本編にいれたかったエピソードでありましたが
これにて落着
あとは、伊乾のお茶を広める話くらいを書きたいとか
俺だけが楽しい状態が進んでおりますが
とりあえず、これで燕雀鴻鵠にてやりたいことは終わったのでありましたとさ
駄文長々失礼いたしました
読んでいただきましてありがとうございます
R(06/09/19)