燕雀鴻鵠


突然の人変わりに周雲は不信を募らせていた
周雲から見て、お上の言うことにだけ注意を払い
民のことなど考えることもない、必要もない
そう言い放った男が、突然お上の意向に背く行為を肯定したのだから

「周雲、次はどうすればよいと思う」

「早く貯水池を作りたく思いますが・・・」

「高台にどうやって水を引くかだな・・・やはり難しい」

二人が頭をあわせて真剣に治水工事のことを考えている
その方法については、まだまだ
かなりの難所があり、現状の目標は
引き当てた水場を井戸に、さらに大きく貯水池に、用水路の整備
これらをしなくてはならないだろう、周雲はそう思っている
一度、墨寧に訊ねてみたが、墨寧も「さもありなん」とそれに賛同した

やはりこの人は、頭があまりよくないらしい

周雲はそのやりとりでそう思った
目を白黒させながら、実際どうしなくてはならないのか解らない様子で
そういった事が墨寧の得意とするところではないのが解った
墨寧がこの事業を成功させないといけない、そう考えているのは理解できるが
それに対する方策は全て周雲が提案したそれになった
周雲は考える
この人変わりは、おそらく上への新しいおもねりの方法だろう
それを利用して、それがこの男が出世する方法だとしても、結果、民が喜ぶことをすればよい
大人の判断ともいえるが、それは言葉として発声するほどやさしいことではない
智恵がいる

「墨寧様・・・」

「おお、翁どうした」

「省から使いが参られると」

「そうかわかった・・・・周雲、工事の方は任せた」

言うなり忙しげに墨寧はその場を去った
相談をするようにはなったが、相変わらず
どこからかやってきた役人などの相手をし続けているのも確か
悪い相談をしているのだろうかと勘ぐりたくなる

「周雲様」

「!・・・これは、翁殿」

一緒に去ったかと思ったが、その場に残っていた爺に
少々驚きを覚えつつ、その瞳を見る
相変わらず何を考えているかわからない目だ

「墨寧様は中央役人と話しながら、この地の取りつぶしを阻止することに懸命となっております」

「なんと?」

「今回の件、墨寧様はあなた様に先手を打たれた状態になっておるのですよ」

「そのような、勝ち負けの問題ではないと思うのです・・・話し合えればよいと常々思っているのですがね」

にやり、翁は不気味な笑顔を見せただけで
それについては何も言わず、別の言葉を継いだ

「ともあれ、お二人はあまりお話をせぬ様子ですから、わたくしが橋になりましょう」

くっくっく、翁は笑い、影のようになって消えた
不気味な男だと周雲は感じている
悪い役人が暗殺者を雇うという話はよく聞くが
まさにそれではなかろうか、そうとも思うが
最近、この二人を観察していて、主従という関係ではないものを見出すようになった
利害関係が一致しているというか、縦よりも横のような関係
この老人は、たやすく墨寧を裏切るのではないか、そう思える瞬間が時々ある
薄情な関係だが、墨寧はそれを良しとしている、むしろそれを好んでいるのかもしれない

「どちらにせよ、味方がいることはよいことか・・・・・味方」

周雲は、改めて地図を見た
自分の頭脳では、どうやっても時間がかかる手段しか思いつかない
ただ、それでも大局で見れば間違いのない理想的な
そして、時間、費用、これらが揃えば絶対に達成できる目標を立てている
現状はそれを許されない、息詰まっている感じがする
外では、大きな声を出しながら、それでも働き続ける県民が何人も見える
まもなく昼休みとなるだろうか

「味方・・・・・・探してみるか」

周雲は思い立って外へと出た
自分に足らぬ所は、足りる者を探してくる
周雲は、何の変哲もないこの思いつきが
どんなに優れた策謀よりも勝るように感じられていた

「これはこれは、使いの方、遠路はるばるようこそ」

「いや、気遣いなく」

「このたびは、どのような御用向きで?」

墨寧は、ことさら慇懃に相手の様子を伺う
省から来ているから、十中八九、宰相派のものだろう
墨寧としては、予定通りだと思っている

「なに、随分とこの土地で羽振りがよいとのことを聞いてな」

「帳簿を見られましたか、いやはや、毎度少ない納税額でご迷惑をおかけしております」

「いやはや、しかし流石は墨寧殿、森近県での活躍も聞いておりましたが、こうも早くに
この地にて結果を出されるとは・・・」

嫌味な顔でそう言う
これは皮肉だよ、そう告げたそうな瞳が心地よい
墨寧はそう聞いて、それを、言葉の通り受け取ったふりをする

「いや、お褒めにあずかり恐悦至極、内心は怖いのでありますが、安心しもうした」

「はて?」

「先日、州のお偉方がたまたま通りかかられたらしく、そこであまり派手にするなと言われておりまして」

「ほう」

使者はがらりと瞳の色を変えた
それは墨寧を疑う瞳の色だが、墨寧は馬鹿を絵に書いた面構えで
とうとうと続ける

「お上の意向に背く形となるため、いつかおしかりを受けるかと思っておりましたが、安心しました」

「いや、お上の意向に背くのはよくありませんがね」

「ははは、ご冗談を、郡令様の言葉ならいざしらず、州の役人の声など聞かずともよいかと」

言葉裏、墨寧が伝えたいのはこれだ
『宰相派の声は聞いても、天帝派の意向には背いている』
当然、分かり易すぎて、そして、嫌らしすぎるこの言葉
使者は不快感をたっぷりとするが、その情報だけは得たことになっている
正式には、不快感のため私感が入り、歪んでしまった情報を得ている
墨寧の真骨頂だろう

「墨寧殿は、かなり勉強をされたのですかな」

「それはもう、以前ので果たして、懲りました、この通りでございます」

頭を垂れて、そして、そすっと机の下から包みを渡した
ぬかりが無さ過ぎて、白々しい
使者は、この男の下品なところがことのほか気に入らない
見聞きする田舎の政治家の姿そのままではないか

「このような田舎づとめ、私、ただ、平穏に暮らしたく考えております」

心を透かしたかのような言葉で、使者を馬鹿にした笑顔を見せている
使者は、頭に血が上ってきているのを自覚した
少し落ち着こう、こいつは生まれ持ってこの顔なのだ、可哀想な馬鹿なのだ
そうやって自分に語りかけた
その様子を見て、翁が頭に描く、術にはまったという言葉

「あいわかった、ともあれ、また次回の納税の時にでもまた話をさせて戴こう」

「は、その時はよしなによろしくお願いいたします」

途中まで道案内をし、県境で何度も礼をして別れた
相手が見えなくなってもしばらくそうした、ここまでしておけば当面よかろう
墨寧は急ぎ県庁へと戻る
すがら、工事の風景を見ている
徐々に進んできてはいるが、遅々とした進み具合だ
周雲はこの遅さをどうにか打破しようと頭をひねっているが
墨寧は、遅いなら遅いでともかく力づくでも先へと進めようと考える
だから毎日仕事をさせているし
考えることは放棄して、ごり押しすることばかりを考えてムチを振るう機会を伺っている

「墨寧様」

「周雲か、どうだ、進み具合は」

少し離れた所で周雲が、県令の姿を認めたらしく大きく腕を振ってから近づいてきた
面倒な、思うがとりあえずの会話はしておきたい
墨寧なりに見ていて、少なくとも、周雲が指揮を執っている間
作業の効率と進み具合が好転する
どういう作用かはよくわからないが、ともかく、県民はこの男を信用しているとか
そういうことなのだろう、くだらない、だが利用せねばならぬ

「少し足らないものがありますが、なんとか進めております」

「何が足らないのだ」

「やはり、木材が足りませぬな、古い屋敷などを取り壊して材を得ましたがそれもまもなく」

「それさえあればよいのだな」

「と、言われますと?」

「三日待て」

言うと墨寧は、また急いで県庁へと足を向けた
翁を探す、書斎にて茶をすすっている

「翁、仕事だ」

「これはこれは」

「森近県へな」

「ほう・・・・久しぶりに、らしい、仕事でありますな」

「まぁ、そうでもないが」

墨寧は、影翁を使って森近県から木材を買ってこさせることにした
少し前に補充した生木があるはずと踏んだのだ
木材は何年か寝かさないことには使えない、だから
寝かせていない木材は、使いづらいだろうが安いはずだ
それに、ツテのある商人が居る

「三日で戻ってこい、頼むぞ」

「三日と言いますと、ああ」

まもなく、天帝派の使いが来るだろう
墨寧がそう定めた日が三日後になる

周雲が呼び出されたのが昼少し過ぎくらいだったろう
辿り着いてみると、そこには物々しい護衛を連れた一人の男が見えた
護衛は5人、中心に役人の装束をまとった男がいる

「あれは?」

「なんでも州のお役人の一人だとか・・・」

「州!?・・・なぜ、そのような人物が」

いつも不気味な笑いを浮かべている影翁ですら、どこか声が小さく萎縮している
あれがそうなのか、中央の役人という人種を初めて目にする周雲
見た感じでは利発そうだという印象が一番強い
それでいて、心の強さだろうか、威圧的な風を感じる
その役人と向かい合って、膝をつくどころか、頭をこすりつけるかというほどの礼をしている墨寧も見える
少々遠巻きで、翁と周雲はその姿を見守っている

「約束を守っておらぬそうだな」

「いえ、決してそのようなことは」

「ほう?郡の輩には、そう伝えておるというではないか」

「何かの間違いでござい・・・」

「州の言うことは聞かずともよいとか、まぁ言葉など信頼できぬこと、外の様子のほうが雄弁であるな」

言いながら、窓の外、整いはじめている灌漑施設をじっと見つめた
役人は、たんたんと、当たり前の事を言うだけなのに
言葉だけで墨寧を追いつめているのがよくわかる
周雲も、自分が叱責されるわけではないにも関わらず、気持ちがすりつぶされるような
恐怖に似たものを覚えている

「外にあった木材の山、なるほど、森近県は、そなたの前職場であったな」

「ははっ」

「さて、これ見よがしにその出自がわかる、森近県の烙印を押された木材・・・あれは、どういう意味か?」

「いや、この工事に際してどうしても必要なため、古くのツテを辿り買い求めましてございます・・・」

「どうしても必要、それは、あれか、貴様が宰相派と繋がっていると、我に言いたいがための策か?」

「め、滅相もございません」

「ふーん」

役人は、やや口早、そう感じるようなテンポのよい口利きで
墨寧が謝りの言葉を繋いでいる途中で、すぐに次の指摘を繰り返している
どれもこれもが図星なのが、とてつもなく重く響いている様子だ
周雲、影翁共に畏れている
周雲は、あまり見てこなかったが、それでもこの墨寧という男のやり口が
あざといまでの罠と、わざとらしい設定で相手を挑発して勝負するそれだと知っている
そして、それが今までことごとく当てはまってきていたのも見た
だが、今は、まるでそのハッタリが通用していない
いないどころか、ハッタリが完全に悪い方向へといざなわれている

「あとあれだ、何度かやってきている省や郡の役人とも、同じように会っておるとのことだな」

「はっ、小役人故、ご足労いただきました方全てに、このように頭を下げて」

「ほう、それらと同じように、今下げておるのか、この州の役人に対して、三下役人と同じようにか」

「も、申し訳ございませんっ」

「貴様は口と人間が軽いと見えるな、賢くもない、やりようも悪い」

「・・・・・・愚図故に、間違ってばかりおります」

「なんだ、我に間違いばかりを申すと言うか」

「〜〜〜〜!!」

顔を真っ赤にして、もう、ただ、平謝りに謝るしかない墨寧
恥も外聞もないとはこのことだろう
いつもなら、こういう演技だとわかるのだが
影翁も初めて見る様、本気でどうしようもなくなっている
他愛のない揚げ足取りだけだというのに、その威風からくる重圧に負けて
いつもの調子をまったく出せないで、ずるずると情けないままとなっている

「まぁよい、貴様が間違ったことはわかった、即刻あれを破壊せよ」

「そ、それはっ!!!」

墨寧が即答するかと思った周雲が、すぐに口を挟んだ
それは困る、墨寧をどれだけ追いつめようと知らないが、それは困るのだ
周雲は思わず身を乗り出したが、すぐに側近と思しき使いが立ちふさがった

「よい、典晃さがれ、そなたは周雲であったな、なかなかの慧眼の持ち主と聞いておるぞ」

「いえ、このように軟弱で、まだまだ至らぬことの多きものでございます」

「ならば、至らぬ者のことなど聞くまでもないな」

するりと、役人は切り返してきた
だが、ここで墨寧のようにやりこめられない
周雲は、さらに鋭く切り返す

「至らぬまでも、愚者の訴えをなにとぞお聞きとげください」

「愚者のことなど」

「は、ご助言でありましたらお耳にいれることもありませぬが、訴えは違います
地を這う虫にしか見えぬものもございます、なにとぞ」

「ふむ、まぁ、よい、なんだ」

「この土地の民が荒む故に、土地を枯らしておられると聞き及びました」

「さもありなん」

「しかし、それは根幹が間違っておられます、荒む民が多いのではなく、土地が枯れているから
荒まざるを得ないのです、彼らは皆、もとは心根の清い、そして勤勉な民でございます」

「信用ができぬな、何よりも、今までの事実が、貴様の言葉よりも雄弁に真実を語る」

「否っ!、真実ではございませぬ、破壊を命ぜられた施設をご覧ください、あれをわずか15日で、
この何もない土地で構築せしめたのです、彼らの勤勉さは並大抵ではございません、
ただ、指揮を執る私の知能が足らぬため、ややも遅い進行となっておりますが、決して
中央やその他の工を生業とする人族に劣るとは到底思えませぬ」

「ふむ・・・それでどうすると」

「しばしの時間を頂戴いただけましたら、県民全てを立派な工の人として、国のため働かせます」

「ふーん」

「彼らは、今まで税を知らぬものでしたが今は異なります、身を粉にして国のため、そして
自分たちのためとして、働くのです、この力は万人が集まる時にかならず役立ちます」

「万人が集まる時な・・・」

役人は少し黙った、小やかましいわりには、大した内容もない
だが、驚いたことに情熱でこれを語る、希に見る熱血漢と見えた
少々煙たいが、この志と心意気は、少なくとも墨寧より遙かによい
それに、指摘した通り、万人が集まる時、すなわち国家の大事業の際に
優れた献身的な工人がいれば、それは心強い
精兵が100人で、2000人の農兵を駆逐することを考えれば
優れた工人も同じ程度となるやもしれぬ

「しかし、この土地を肥やすわけにはいかぬのだ」

「どうして」

「お上の意向である」

土地の人間が荒むというのは、本当の理由ではないということか
周雲はそう感づいたが、隠されている真意が何かまではわからない

「ともかく、ならぬのだよいな」

言い終えると役人は席を立った
忙しい身分であるらしく、帰り支度を始める様子だ
周雲は落胆を隠すこともなく、立ちつくしている
やがて、役人が表へと出た、慌てて墨寧がそれについて出る

「墨寧とやら、わかっておるな」

「わかりました、土地を肥やさぬように、それは決して破りませぬ」

「?」

役人は足を止めた
墨寧の表情がまるで変わっている、先までの脅えた様子は微塵も見られない
不審に思って、そのわざとらしい台詞に違和感を覚えた

「未だ、約束は守っております、以前の使者様にお伝えしました通り、あと三ヶ月、かっきりお納めいたします」

「・・・・・話が見えんな、くだらん駆け引きはよせ」

「土地は肥やしませぬ、そして、最終月は、大きく祝儀を載せて納税させていただきます」

「・・・・・・私は、お前の事が嫌いだよ」

くっくっく、墨寧はその言葉を受けて最高の笑顔を返した
役人はそれを見て、不快だと感じて、一つ気付いたことがある
ここまで分かり易く、人生にしがみつこうとしている人間は価値があるのかもしれん
そう思わせるために、この男はこういうことをしているのだろう
もうどこまでが墨寧に誘導された考えなのか、自分が導き出した考えなのか
わからないようになってくるのが不快だ
だが、この男のこれは才能なのだろう
これで殺されないで今に至っているというのが、何よりも凄まじい能力である

役人は静観することにした、ただし

「典晃、貴様はここに残れ」

「は」

「見張れ、いや、手伝ってやれ」

「かしこまりました」

「・・・・・随分と、嬉しそうだな」

「いえ、そのようなことは」

「周雲とやら、お前が探している主人になるか?」

役人は突き放すようでもないが、真面目な顔で典晃にそう問いかけた
典晃は真っ直ぐに瞳を見返して、小さく首を横に振った

「それはまだ、わかりませぬ」

「そうか、お前を失うことは私にとって、何にも代え難い辛さがある、あるが、約束は約束だ」

「申し訳ございません」

「はげめ」

言い残して、従者の一人をこの地へと置くことに決めた
典晃と呼ばれた大柄の男は、この役人の護衛役
信用にたる人物として重宝されていた
義侠に厚く、以前どこかの豪商のもとにいたらしいが
その主人が病に倒れ、別れの際に、よい主人の下で働け
そんなことを言われて、ただそれを実行するために生きている
役人は、腕が立つということで側に置いていたが、その潔癖さを気に入り
天帝の側のいずれかに推挙しようと思っていたが
あくまで主人は自分で見つけたいとのことで、それを固辞した過去がある

「典晃ともうします、力仕事の類ならば、なんなりとお申し付けください」

「それは助かります、一緒に働いてくださるとは、ありがとうございます」

周雲は屈託のない笑顔でそれを迎え入れた
墨寧は愛想笑いをしている、翁も似たような顔をしている
簡単な挨拶のあと、すぐに工事にとりかかる

あと3ヶ月、墨寧は空を見て、自らも現場に向かった

つづき

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現在、また懲りずに小説を読んでおるのでありますが
その無駄の無さというか、文章のステキさに
感服して仕方ないこのごろであります
わたくし、いつからこんなに長い文章書く人になったんだろうか
削って削って、そして、言いたいことだけを
ちゃっちゃと場面に描いていく
そういう風になりたいわと嘆きつつ、せつせつ更新であります
本日わたくし誕生日のため、無理矢理アップでございます

駄文長々失礼いたします
R(06/05/12)