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傍嶋さんのホームページ     H12.1.09

 傍島さんは、ホームページ作成参考書の著者。

隣の下呂町の本屋まで出かけていって見つける。五冊ほど並べてあって、迷ったがきめる。HPの作成についてはゼロなので、決めるためのキイもない。が、FrontPage EXPRESSなるもの〈内蔵〉を使えば、ワープロ感覚で簡単にできる、という発言ないし囁きが、さらに、解説書にしては妙に文に粘りのあるところが、この本に決めさせた。

帰ってさっそく開いてみる。頭が痛くなる。腹が立ってくる。イライラしてくる。なんのせいか。食べ物か、寝不足か、マネーか、ふうふのあくたいの吐合のせいか。全部。しかしパソコンのせい、自分の頭と体力と時間のせい。要するに自分が描いた当初の脳内映像のようにはいかないせいだ。世の中自分の思うようにいくことなどないと承知しているのに。

買うとき、簡単そうに見えた。出版社もそのような仕掛を作ってきている。この場合、要はこちらの頭が鈍いということだ。要するにグチだ。

まずしょっぱな、HTML言語の実例があって、〈ホームページを作ろう〉という文章をそれで作る。教科書のとおりに打ってみると、できた。うれしい。

内蔵のFrontPage EXPRESSを使うと、機械が裏でかってにHTML言語に変えてくれるのだとわかって、感心してしまう。普通にワープロ操作をすればいいということ。直接HTML言語を使わなくていいということ。なるほどなるほど感心する。感心しても実際に複雑な操作ができるかどうかはまったく別のこと。しかし感心でもして繋がりをつけなきゃ機械ともHTMLとも疎遠になるばかりだからね。

そこから先へは頭がしびれてまったくダメ。絶望だ。暗い気分だ。

コーヒーブレイクで、ホームページの管理とか運営とか宣伝とかのところを読んでみると、よく解るしおもしろい。だから買ってきたのだけれども、通りいっぺんの解説ではなくて、体重が乗っていて迫力あり。

このことを傍島さん自身のホームページを読んでみて、納得した。以下に書いてみます。次の三つについて書いてみる予定。

その一は、T教会勧誘のこと。二は、東京で一人生きる三十代前半のテクニカルライターなる職業女性のこと。三は、パソコンの時代になっても、「源氏物語」以来の日本の女性がちゃんといるということ――冗談を言っているのではありません。ハッタリくさいけれども大真面目です。以下は私の考え。とんでもない見当はずれでないことを祈るのみ。

このひとは、十二月十日、五時間も新宿西口で勧誘されつづけた。普通ではない。始めちょっと観察してやろうかと色気を出して、そのうちマインドコントロールに入ってしまったようだ。

ずっとがんばって生きていて、この本の出版その他も終って、ホッとして、途端にひどい疲れに襲われた。数日の間ひどい疲労感に浸されていた。これが最大の原因。普通の判断力が効かなくなってしまうほどに疲れてしまっていた。虚脱感。

このとき、自分が非常に不安定になる。支えてくれるものが要る。それは言葉、包み込んでくれるようなやさしい言葉、また、誰かの安定した心と言葉。誰かの大きな安定した心と言葉がいちばんの癒しだ。だが疲労のため、ただただ受身の弱い自分がいるだけ。

彼女は名古屋から東京へ出て一人自活し、パソコン関係のライターとして暮そうとエネルギーの百二十パーセントをつぎ込んだ。そして事はようやく成った。このタイミングに、T教会の勧誘と出会った。

この場合のキーは、〈言葉〉。――言葉の支えがなくては、我らは生きがたいこと。言葉がぼんやりしているような状態、不安定な状態では生きられない。周りは言葉だらけ。言葉に包まれ、空気に包まれて生きるように生きる。――私の場合なら、言わせてもらうと、マネー。言葉などはどうでもいいようなもので、マネーさえあればなんとかなる。マネーがなくては言葉もなにも始らない。足元が具体的に危ない。

彼女は極度の疲労ため、安定した状態から、そのころ墜落していた。だから、言葉と自分に関係を持たせることに長けた「彼女らの言葉」にすっと引きこまれていった。「先祖」とかの、不透明だが「血」という繋がりを持つこういった種類の言葉に引きこまれていった。

人と人との関係をあらわす言葉のなかでは、血族姻族の表現にいちばんの安定を見出す。途方にくれて、安定や救いを求めるとき、血族のぬくもりに、ぬくもりの思い出に浸りたい。最後のよりどころだから、この世界には弱い。ひとつの人工の倫理に敗れても別の人工倫理の言葉を求めることができる。しかし、家族に関る倫理の墜落には耐えられない。この虚無〈ニヒリズム〉には耐えられない。

だから、彼らは、この弱いところを微笑をたたえて攻めてくる。理屈では――人工倫理語では、人は土台をゆさぶられない。

血の倫理は、からだの問題だ。母はからだの問題であり、阿弥陀仏はそういものとして、大いなる母の倫理としてある。南無阿弥陀仏は、母の、血の、肉の倫理であり、虚無からの決死の脱出である。これが日本の仏教の倫理で、虚無と一体の、感覚の倫理だ。危険と同体の倫理。

話が大げさなものになったが、傍嶋さんの公開日記から、昔からある情(じょう)にくるまれ情を発散させつつ生きる女性を、私は懐かしく感じ取ることができた。こんな合理と能率一辺倒なはずの都市の経済のなかで。それで彼女のHPの日記にひかれた。

彼女は情にくるまれ情を発散させたい。

戦後の活気ある、つまり行動がすべてを救い上げ、ニヒリズムを忘れさせた経済社会なので、〈源氏物語〉などにあるむんむんする情の世界が、ドタンバタンするエッチやセックスの氾濫のなかで金属的感触に変ってしまっていることだろうと、私はきめこんでいた。だから、アレッとおもった。

いま思いだしたが、数年まえ、山田詠美という作家の二十代前半のデビュー作を読んでみることがあって、その時も、行動は自由っぽく自立っぽく男っぽいのに、奥のほうに、日本女性の情といったものがしっかりとあるのに驚いた。この女流作家自身もそれには気づいていなかったろう。彼女は、このアメリカふう社会の中で勢いにまかせて生きつつ、自分の奥のほうでは、それと自覚なしに、抵抗していた。抵抗のよりどころとなっていたものが、彼女が嫌ったかもしれない古い日本の、美の感性であり、それに基く倫理の感性であった。

傍嶋さんの感性にもそれがあるよう。それがどうも、男たちとうまくいかせない。彼女の感性が満たされない。男たちの感性は往々、権力など力まかせのもので、あるいはそれにひりひりと引張られているので、彼女の奥にある感性をなかなか包めないしひらけない。

彼女は取残されているのである。しかもケナゲに一人自活している。しかも、感性を、情を、錆びつかせていない。結婚などをすれば、気分がまぎれるだろう。感覚を鈍くたわめることができるだろう。彼女は、今はそれに妥協していないようだ。

T教会の勧誘にあれほど動かされマインドコントロールされて、五十万ほどを払う契約にサインまでしたのは、あの感性の渇きのせいだろう。彼らのベテランは、〈先祖〉などの話を持出して、彼女を動かしたのである。事実彼女は、フウッと動いてしまった。極度の疲労と渇きと孤独によって。

 1・25・00

正月に見たときの日記は更新されてしまっていて、ぜんぶ新しくなっているのに、はじめから終りのほうへずうっと字を追っていっていると、この女性の肌合が文脈の向うにちゃんと見えてくるから面白い。充実の燃えさかり、生命力の集中、が伝わってきて気分がいい。
 一人合点に燃盛っていてはこうはならないので、傍嶋という女性はなかなか厚みのある人なのだろう。東京で一人奮戦している様が僕の頭に刺激を与える。
 感性の充実ぶりというのはただでは成らない。人知れず気配りなど地味に努めておられるよう。育つときいい土台ももらっておられるのでしょう。ただし――パラサイトシングルではまずむずかしい。安易に、ぐにゃっと、くさくさしてしまう可能性大。また逆に頑張ればいいというものでもない。頑張っているうちにとがってしまう可能性も大。この議論はむずかしい。悪がわからないような者に善はわからない。善や正義は、これまた危ない。

パラサイトシングルという言葉を傍嶋さんのHPから教えてもらった。これは気持の悪い言葉ですね。他人に対して向っていかないというのは、共同体としては要注意。人間は、好ききらいはともかく群をなして生きる生きものなので、他者と、結果はともかくしごき合わないというのは、共同体の衰弱の兆候。
 私のような者がこんな道徳家の発言をするとは驚きです。歳ですかねえ。

最後にもうひとつ。OLでは一人でくらしを立てて行くことが、物理的にもなかなかむずかしいということを知らされたこと。だから二人で生きる道を選ぶなら、昔からそのようになったのでした。
 それをあえて一人自活する道を選ぼうとする女性がいる。勇猛ですね。内舘牧子なんていう女性は、私などには、ただただ頭が下がるばかりです。遠巻きに見ているばかりです。颯爽としていますね。ごく例外なんでしょうか。