にわとり H12.1.13

今から二十年近く前、長男が中学生ころだった。と、なぜ覚えているかいうと、「にわとり」について四五枚の随筆ふうに書いていたものを彼に見せたところ、その時はただ黙っていたが……。

にわとり

数日後、二人で家のすぐ裏手にある神社へキャッチボールかなにかしに行って、その公民館の左手に、にわとりが箱の中にいるのが、金網ごしに見えた。一羽。

そのころ、にわとりを飼うなんてことはしなくなっていたので、私も、「ほほう、にわとりだなあ」とちょっと珍しく思ったが漠然と目に留めただけだった。夜店か祭りに子供が買ってきたものが大きくなったのだろう。背が高かったのでオスだとわかった。夜店などではメスは売らない。理由は経済。

彼はつかつかとまっすぐそちらへ、三十メートルほども足早に近づいて、じっと見ているのである。注意して見ているふうなので
「どうしたんだろう……そうか、あれを読んでいたからかな」

そのころは慣れない稼業〈宿屋〉をはじめたばかりで、秋から冬にかけてはお客がばったり途絶えて、困った。借金の返済に途方にくれたものだった。普通に金を使うことができない。で、うちに閉じこもって、朝から晩まで、お茶とご飯と味噌汁と漬物ばかり食っておった。彼は、私には何といって不平を言わなかったが、家内には言ったろう。いや、後妻さんだったから、それをわきまえて我慢していたかもしれないが、そのあたりのことは話さないことにしているのでわからない。

〈随筆クラブ〉などという洒落たものに入会した。本部は関東にあって、入会金と年会費がいる。頭を下げ手をすり合わせて一万円ほどを出してもらった。嬉しかったね。ちょっと天が広くなったね。

なにせ、銭を稼がぬ男などゴミみたいなもので、最低だと、しょっちゅう罵られていたので、まあこれは面白くないがこの際黙るよりほかの道はない。黙る。しかし、クッソ―と歯をかむ。一度や二度や三度ではない。このムラムラが頭に上って、しかも発散させられるところがないので、それが逆流して、いまだに体も脳も調子が悪い。

「ひょっとしたら金にできるぞ」と言うと、まんざらでもない顔をするので、勢いをつけて二階にあがって、いかにも熱心に勉強する様子を見せる。

会のほうから何々について書けと指示があるので、とにかく書く。内容については何も言わない。二ヶ月に一回ほどの割合で書いた。枚数は五枚まで。

たしか十二三回ぐらいは送った。添削とともに感想も添えて送り返される。ほめてあるのが三つほどもあったろうか。一応営業には営業なので、大体はほめ気味の添削をするようになっているようだった。そのなかで「にわとり」と「庭」が自分としては、お気に入り、になっていた。

さて年月は過ぎてみれば、演歌にあるように、早いもの。しかも、この私めが生延びて、しかも、パソコンなどという神のごとき物に触れられるようになり、しかも、ビルゲイツなどという実にやさしげな母のような天才男にこの機械で会おうとは !

この秋、彼と格闘を続けうなっているとき、二十年前の作文のことを思い出した。懐かしくてもう我慢できない。手あたり次第に家の中のものをひっくり返す。そのころの日記も探したが出てこない。ほとんど諦めて裏口でぼんやりしていると、義兄が、なんだなんだとやさしい表情で慰めに近づいてきた。これこれと訳を言うと、

「おう、それならその箱にあるかもしれんぞ」と、後ろの棚のホコリだらけの箱の方を見た。

あったあった。作文も中学生以来の日記も。
彼は、なんでもちょっと変ったものは仕舞っておくというクセがあって、骨董的に古いものは、なんでもかんでも仕舞っておく。ガラクタのようなものでも、本人が宝物のように思っているのだからそれでいいわけだ。

彼は、日記その他を、ちょっと開いてみて、捨ててはいけないと判断した。「ここにこんなものがあるよ」と私に言えば、そのころ、頭が普通ではなかったので、「捨ててくれ」と言うかと恐れて黙っていたのだろう。手にとって確かにそうだとわかったとき、なんとも言えず嬉しかった。彼が有難い有難い人物に見えたものだった。

しかし、「庭」はあったが「にわとり」は見つからない。描写してみたその場面場面はまだ覚えている。読んだ子供が、ああしてにわとりをしげしげと見ていたのだから、確かにインパクトを与えていたのである。

これからやろうとすることは、「にわとり」を今あらためて書いて〈打って〉見ようというのだ。感覚が、かなり横着強引になっているので、どういうものが出来あがるか。当時はいまのように饒舌でなかった。切りつめることをもって良しとしていたものだったが。

 そのころ……一年生の昭和二十三年ごろ、父親が前年病死して、僕のほかは女ばかりになった。僕は大事な子供になった。なにしろ一人だけしかいないのだから。僕だけが腕白なのだが、女たちはおろおろするばかりで、怒らない。男はそれでいいんだとしていたのだろう。夕方帰ってくると、服も手も顔もドロがこびりついていた。それを祖母が〈おばあちゃん〉がいつのまにか洗ってくれている。手で。洗濯機はない。だから彼女の手の指が、冬になると、三倍くらいにふくれあがった。炊事や洗濯など水を使うからだとはわかっていた。それはぜんぶ僕たちのために働くからだともわかっていた。あたりまえにしていた。

大人になってからも、その事〈汗水して女たちが働くこと〉をそういうものとしているので、僕のことをホウケンテキだホウケンテキだと、よく言われたものだった。そのバツとツケがあとで回ってきて困った。

食物に難儀していた――(当時ぼくは子供だったし、死にそうに腹が減るほどのことはなかったので、実感できない。ただし、柿、栗、イチゴ、西瓜、大根などは盗んで食った)――それで、みんなにわとりを大切にして飼っていた。この辺りみんなそうしていた。ヒナ鳥は結構高かったろうと思う。

卵は、バナナほどではなかったが貴重品だった。今は、卵もバナナもムチャクチャ安いけれども、僕にはあのころの記憶が消えないので、特に卵は大切にする。バナナなどは安すぎておもしろくない。一本五百円になればいいのに。

黄色のひよこが、二年ごといつもだいたい六羽ほど来る。

さあそれからが大変だ。そのころすでに凝性のところがあって、まっすぐ学校から帰ると、奥の部屋のミカン箱をそっとのぞく。新聞紙の上をカサコソとせわしなく歩き回る。一段と声を張上げる。ぴよぴよぴよぴよぴよ。競争して鳴いているよう。仲間を踏みつけてまで這い上がろうとする。踏まれたほうは、あんな赤ん坊なのに、ぎゃぎゃぎゃとけたたましく鳴く。箱の中は、カサコソ、ピヨピヨピヨ、ギャギャギャ、とものすごい事になる。

僕は、ふたをずらせて、穴からじっと見る。僕が親分で先生で親。じっと覗く。なんとなく気持がいい。だから、じっと覗く、長いあいだ。目が熱くなる。

暖房は電球。四十ワット。明るくて熱い。コードを持ってキュキュッと引張ると、途端に、カサコソピヨピヨギャギャがフオルテになって箱がこわれそう。

僕は疲れて、箱のそばで横になる。ひざを抱くようにして横になって、ひよこの騒ぎをきく。箱が静かになると、コードを引張って鳴くようせかす。そのうち眠くなる。ひよこも静かになる。たまに単発でピヨと鳴く。

はじめ可愛らしかったひよこは、すぐに大きくなって箱がいっぱいになる。やつらは病気にならない。弱らないし死なない。スズメやインコとは違う。大きくなると、ヘビやワニのように、物凄いところをみせる。

箱の中がけたたましくなる。息が詰りそう。でも死なない。弱らない。やがて裏口にある鳥小屋の小さい方へ移す。大きい方には先輩たちがいる。

にわとりは、獰猛というか愚かというか原始的というか、同期のものとしか一緒に暮せない。同期でないものは、最終殺し合いをやる。犬や猫からみると、同じく生物とは思えないほど。彼らのようには、絶対なつかない。可愛げがない。ヘビの方がまだしも可愛いよう。

学校から走って帰る。鳥小屋をのぞく。こっちに近づく。やつらはエサをくれることはわかる。解りすぎるくらいわかる。このときはバカではない。我先にと金網にぶつかってくる。ムチャクチャにぶつかってくる。このときはまたバカに見える。

それでもまだ僕を頼りにしてくるのだから悪い気はしない。そばの畑から適当に菜っ葉をちぎってくる。にわとりと同じように、ただ考えもなくムチャクチャにちぎってくる。僕のムチャクチャを家の者は怒らない。ムチャクチャ家族か。そんなことはない。だらしないというか鷹揚というか。僕をにわとりと同じくしょうがない奴としているのか。ムチャムチャのところは、みつごの魂に入ってしまって、まだ直らない。

僕は菜っ葉を金網に突っ込んで、食べさせて、観察する。やつらは飛びかかってきて食う。競争で食う。ムチャクチャに競争する。

「ばか」
僕は、菜っ葉を意地悪して引込める。奴らは右往左往する。このとき金網に指など近づけようものなら、ガブッとやられる。

今度は親切に菜っ葉を両手にそれぞれ持って突っ込んでやる。広くなって食べやすそう。うまそう。中に、あせって息せき切って食うので、のどに詰らせる奴がいる。だが、咳などしない。前後に、首をクックッと動かすと、中へするっと入ったみたい。そのとき、一瞬キョロッとして、またがつがつ食う。忙しい奴らだ。

止り木を作ってやる。観察して待っていても自分で飛びあがってのらない。しびれを切らして、捕まえて無理にのせる。すぐ下りてしまう。またのせる。また下りる。

夜行ってみると、いるいる。のっている。首を羽に突っ込んで寝ている。

ふぞろいだが、大きくなった。もうとっくに子供の体ではない。けれども発育遅れがいる。二匹「二羽」のうちの一つが特に小さい。大きいのに押されてエサがなかなか食えない。

ある時、いつものように小屋を覗いてみると、隅に白いものがある。なんだろう……卵だ !

手にとって見ると、生暖かくてやわらかい。
「おばあちゃん、生んだよ」
「そうかそうか。どれどれ……」
珍しいものを見るように、僕の手のひらの卵を首を伸ばしてみる。
「ほほう…、生んだか生んだか。今日は食べていいよ」
「やったあー」

どうやって食ったか。ナマはうもうないので、たぶんゆでてくれたのだろう。いつもは食えない。いつもはお客さん用。

二羽いた体力知力の遅れた奴も、一つはとうとう卵を生むようになった――二週間に一度ぐらいだったけど。最後のは、生まない。生めるような体をしていない。

やつは、一日中ギャーギャ―と走りまわっている。仕事みたいにして、ケツを左右に振りぎみにして逃回る。全員がつっつく。エサを食おうとすると、ぎゃっとやられる。食おうと構える姿勢をつくるだけでやられる。僕はそれをじっと観察する。

「くそ―、なんだこらー」
やつはぜんぶの毒と攻撃を背負っている。僕はやつを外に出してやる。
ところが、ビクつくクセがついてしまって、おどおどして、恐る恐るエサをついばむ。チョッチョッとついばんでからすぐ、キョロキョロ横を見る。ついばむ、キョロキョロ……。

「ばかー」
菜っ葉を取ってきてやる。よけい落着かない。さらにキョロキョロせわしない。
「ばかー、誰も来んよ」
ぼくはもう飽きてしまって、気になるけど、やつを小屋へ放り投げておいて遊びに出る。

今の私の顔を出さしてもらうとしたら、キリストはこんなようないじめられぬく男だったのだろうか。まさか。いくら毒と罪を背負うと言ったって、いくら無抵抗と言ったって、こんなことはない。こんな人間では病人だ。しかしギャッとやっつけるほうは気持よさそう。涼しそう。気持のいいホルモンか何かが出ているのかも。人間も攻撃好きの動物だから、条件が整うと、夢中になってギャッギャッとやっつける、殺す。

若いころ、漱石先生の『明暗』という小説を一念発起して、ねじりハチマキをして、毎朝五時に起きて取組んだことがあった。異常なような小説なので、よほど気を引締めてかからないと終りまで行けない。まず退屈を克服しなければならない。やがて、慣れて面白くなるにはなる。にわとりのいじめほど露骨ではないが、その猛烈な攻撃のやりあいぶりに圧倒されて、脱帽。降参。恐れ入ります。

にわとりのようにあからさまではないが、インにこもって、頭をずるく使って、猛烈にやっつけあう。日当の30000円をくれると言うなら、読まんでもないが、趣味で読むべきものではなさそう。しかし猛烈な力技だ。大鵬と北の湖が向っていっても歯が立たないほどの文字のエネルギーだ、漱石先生は。

私がぎょっとしたのは、猛烈な喧嘩をやりあう後半になって、突然、まったく突然にだ。作者の目が、でっかい目が、紙面からじっと見ているのに気がついた。驚いた。その目は、怒った目ではまったくなかった。悲しいようなやさしいような目だった。とてもやさしい目だった。しばらくは、字よりも目ばかりが目について、落着かない。こっちの頭が疲労していたんだろう、きっと。

その時にわとりの事を想い出したか。いや。まったくゼロ。だが、逆に今、にわとりのやつのことを打って「書いて」いて、漱石先生の目を思い出したのだ。

さて、ついにやつは絞められることになった。可愛そうだからではない。エサの不経済から。

その晩は、鍋からとてもいい匂いが漂ってきた。あいつでもたまらない匂い。年に数回の匂い。でも、僕はやつのことを知っていたし、世話もやいてやったし、あんなに痩せてやつれてしまったあいつ。首の辺りは突つかれどうしに突つかれて羽がなくなっていた。赤肌がむき出されてひりひりと痛そうだ。いなばの白兎のよう。

おばあちゃんが、
「ほーら卵だよ」と、小さいのを下から出してきた。あいつのだ。小さいのが二つ三くっついていた。
「生むつもりだったんだ」
僕は、皿にとってくれたあいつの卵を鍋に戻した。おばあちゃんと僕は目を合わせた。彼女はなんにも言わない。僕は野菜だけを食べて席を立った。なんだか面白くなかったので、外へ出ると、走った。どんどん走った。

次の日、学校から帰ると、ギャッギャッと騒々しい。あいつか……そんなはずはない。もうあんなでっかい声は出せなくなっていたのに……。
「第二のあいつだ……」

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