身近にいた生きものたち 2

8月1日 あじめ 泥鰌(どじょう) 7月21日  きんぱく、ごむし、 6月30日 みみず 6月14日  6月5日  5月13日 うさぎ(兎) 4月23日 蛇  4月11日 回虫 

回虫 カイジンソウ

このごろ、藤田という先生がこの虫のことをちょいちょい発言している。彼は、研究の結果として、近年流行のひどい皮膚病など、厄介な新しい病気は回虫が駆除されてしまったことに関係する、と言っている。

さもありなんと首をたてにふる。とてつもなく長い付合いのものだったはずだ。おそらく人間が猿人とか言われているころからのものだろう。そんな途方もなく長い付合いだったものが、ここ二三十年でいなくなってしまった、日本では。むろん、先輩格で先生格の清潔潔癖好き国アメリカでは。

インドネシアだったか、フィリピンだったか、彼はちょいちょい研究で訪れている。そこは、日本の常識では、不潔だそうだ。泥にまみれて、しかし元気で暮している。回虫はみんな持っている。けれども、皮膚はつやつやしている。
すぐ思い出すのは、ガンジス川の沐浴風景で、えらく不潔そうな水の中へみんなが飛込む、嬉しくもありがたく。ずぶりともぐる。ギョッとする。清流馬瀬川、益田川と自慢にし大切にしている者からすると、なんということかと唖然とする。

数千年続いている儀式だろう。聖なる儀式。
もしこれが病気などをもたらすことになったとすれば、ここ近年の文明の成果だ。文明こそが邪悪疫病の元だろう。そして、邪悪を運んできた文明を直し癒す文明が待たれることになろう。
回虫の駆除駆逐は、この文明の華々しい成果とみえてきたのだが。

かといって、僕たちは、もうむかしのあの臭いの中には戻れない、戻りたくない。国をあげて、清潔と衛生にまい進してきたのだから。あの臭いはバッサリ切捨てられるべき遅れた日本、封建日本、江戸日本の残滓だったのだから。いまさら戻れと言っているわけではない。清潔も行き過ぎの信仰、狂信、のようなことになってしまっては大変だと。

どうも日本は、それっと走出すと、もう止められないやめられない国になってしまう傾向あり。それっと田植稲刈にいそしむのは、数千年の習慣だからね。全員一致の。異分子排除の。
東条を、戦後、それっと悪者に仕立て上げたけれども、あれは、国民もそれっと熱心に熱中したのだからね。それっとやりだすと、ある種の集団魔術にかけられて仕舞ったかのようにみんなが走出すからね。

で、それっと悪の代表にされてしまったみたいに、あの虫は気味悪いように教育されてきたのでした。もし、あのころ、小学生のころ、これは大切な虫だから扱いに気をつけて、と教えられたらそう思って疑わない子供に育ったでしょう。

僕が回虫でまず一番に思い出すのは、部屋も母も一緒に思い出すようなのは、一二年生のころ、初めて回虫というものが尻から出てきたときだね。
この時、どうも尻がカユイ感じで、何か変なものが穴のあたりでぷらぷらする感じ。母に(おかあちゃんに)言うと、パンツをずりおろして、出ている出ていると、感激して言っていたようだったな。その感激の内容は、いとおしむような感じ。嫌悪ではなかったね。
「お前の養分を横取するんだからね」と利口そうに言ったかどうか。新聞紙か何か紙でつまんで引っ張り出して、ほれっ、と見せた。
それよりも覚えているのは、あの感触だ、ずるずるっと引っ張り出されて出てくるときの。痒いような感じで、ちょっとほかにないお尻の穴の感触。

出て来たときの形が、まっすぐなのが雄だとか雌だとか、まがっているのが雌だとか雄だとか、言っていたな。僕はしげしげと見たものだったが、こんなものがお腹にいつもいるということが、飼っているということが、不思議だったよ。

それから母はこんなことも言ったよ、その時のゆがめて見せた彼女の表情が強く残っている。これが、後々まで、虫を不気味なものにさせる元になったようだ。それは、あるとき、彼女が二十歳前の、子供ではないとき、虫が口から、出てきたとき。気づいて、ガアッと吐出したとき。これには僕は驚いて、だからまだこの話を覚えているんだ。

後で、保健体育の時間かで、虫はノドの方まで動き回ると読んだことがあった。そのころはもう虫はいなかった。みんなにもいなかった。

虫がお尻から痒い感じで出てきたのは二回ぐらあったかな。これは、何か錠剤(虫くだし)を飲んだときのように思う。小学校も高学年になると、もう虫はいなくなっていたろう。
虫の話の最後は、カイジンソウ。青臭いにおいの汁。学校でこれを年に一二度飲まされた。虫は、尻の穴の痒い感じ、カイジンソウ(海人草)は強烈な臭い――感覚として体に刻印されてしまったみたいだ。

4月23日 土曜日  博東ちゃん、ためサ、マムシ

◎ 生れ出てきた者のうち、普通の者が大半で、飛びぬけて優秀の者がごくわずかいる。それと対応して、飛びぬけて弱いもの、頭の弱いものがいる。普通だったものが、子供のころ熱病などのため、頭に傷害を受けてしまう者もいる。また、いままで敏感だった者で、青年期に人格に極端に変容をきたす者がいる。それやこれやで、健常から外れていく者は、どのくらいの割でか、でる。

へび

僕のまわりで、多かったのは、青年期に精神に異常を持ってしまった者たちで、いま思い出してみるにざっと6人もいる。中学生までは普通だ。むしろ成績は優秀。高校の終りぐらいから、おかしくなる。こっちと、なぜか波長が合わなくなる。やがて自殺する者がでてくる。また、ぴったり音沙汰がなくなってしまう者もでてくる。

僕は、そういう者たちのことが気がかりで、また、自分もそうなるんじゃないかと怯えたものだった。いまでも、ないことはない。で、僕の場合、医者でも専門家でもないが、それらのことを並以上に考えてきたものだった。

それで、蛇についてなにか書くとなると、すぐ思い出すのは、風変りな者たちのことだ。ひとりは、ためサ呼ばれ、もうひとりは、博東ちゃんと呼ばれていた。そして、彼らはなんとなくみんなから親しまれ愛されていた。と、僕は子供のころ思っていた。大人が、あれは危険だから近づくな、とは言わなかった。大人の格好して、いかつい顔つき、体つきをしているのに、なにかが抜けている不思議な人たちだった、子供にとって、風変りな人物の、最初の体験。異物の扱いではなかった、たまたまそういうものに生れてきた、としてみんなはやさしい気持を持っていた。ひどいワルをするだけの甲斐性がなかったのかもしれない。

博東ちゃんは、なんでも東京博覧会を記念して名づけられたのだと、まことらしく言われていた。あるいは本当かもしれない。子供のころに、いちばんの思い出は、恐かった思い出は、博東ちゃんに追かけまわされるときだ。危害はくわえない。彼は、ただ面白がって追かける。大人は彼を問題にしないのに、小さい子供だけ、彼を一人前以上にしてくれる。そりゃ、二三歳のころから、やんちゃをして言うことを聞かないと、博東ちゃんが来て連れて行くよと脅されてきているので、恐さは子供の体に染付いている。すごい効能。昔々からの、山から青鬼赤鬼が来て連れて行くよ、と同じに。地獄の閻魔さまが舌を抜くよ、と同じに。

僕が大人になってからも、そしてまだごく最近まで、彼が死ぬ前まで、農協のスーパーあたりで、ひとがいいような表情で、言葉つきで、優しそうな怯えた目つきで、みんなに相手にしてもらいたがっていたが、そんな時、博東ちゃんも老けたな、とヘンな気持になったものだった。そして何より、まだ、あの恐さが自分の中に生きているのに、びっくりする。博東ちゃんは、僕には、子供のころの博東ちゃんのままなのだ。

このごろは、風変りな者、異形な者がいなくなってしまったようだ。専門の学校施設にいて、文化的になっているのだろう。
しかし、もしあの博東ちゃんがそういう所にいちゃ、なんだか淋しい。スーパーなどで、彼を見るたび、僕なんかギョッとしてなにかふっと考えさせられたものだったのに。

◎ 彼は、脳の病気になったために、その細胞の大部分をやられてしまっていたのだろう、それに対して、蛇の「ためサ」は違った。脳の細胞がおかしいわけではなかった。まさに風変りな人物そのもの。
その異形のいちばんは、がっしりした体に真丸い顔。白くて黄色い大きな歯が分厚い唇の向うに見え隠れしておって、真丸く大きなどろんとした目をしておって、なによりも、その黒光りしている顔、まあ一度見たら忘れられない、まさに異形。

毎日、リヤカーを引張って歩く。彼の仕事を、ぼろ買い、とみんな言っていた。屑拾いのこと。古い新聞や古い雑誌、用済の鉄、あか(銅)、真鍮などを買い集めてきて売る。ためサのほかにもいたけれど、その人たちは、普通で、異形ではない。
彼には連れがいた。人のいいようなオバさん、小柄な。ためサが、その連合いを、「だれかあー、かかあーを貸してくれるぞー、どーや―」と呼ばわるのにはギョッとした。それを、まともに平然として言っていて悪びるところがない。

いつもニャッとしていて、平然たるもの。カゲなんてものはなにもない。だから、恐ろしいような人物だった、常なる平然が。強暴なところも、コスイところもない。堂々としていて、ニャッとする。悟った傑僧のよう。人生なんてものは成るようになって成らぬようにはならん、終りがきたら終り、病気が来たら来させるだけ、と。こんな心境は常人には遥に遠いので、彼は恐るべき人物だった。

ためサは、蛇をとった。いまは、蛇を見なくなってしまったが、そのころはあちこちにいた。彼は根気にこれをとって、注文先に売った。蛇は、安くはなかった。食料ではなく、薬として売れた。これをカラカラに焼いて食う。虚弱質の者や、結核病みの者が食った。マムシは高い。次にはシマ蛇だろう。なぜかアオダイショウは敬遠されていた。

◎ マムシが、水を入れた一升瓶に入れてあるのを見たことがある。頭を水からちょこんと出している。そうやってまず泥を吐かせる。きれいになったとされるころ、焼酎を入れる。これがマムシ焼酎。強烈に効くと喧伝され信仰されているが、僕は飲んだことがないし、飲んでみたくもない。

去年の秋、ほんとに久しぶり、好きではない蛇を見た、前の川原で。大氾濫のあとで、荒れようを見てまわっている時、目の前をずるっと動くものがある。1メートルは優に超しているアオダイショウ。のんびりと動く。その悠々たる様に敬意を表してきたのだろう、人間どもは。
それにしても、僕は蛇との相性が悪い。釣りをしていると、よく蛇に出くわすが、ドキッとする。あとがいけない。落着けない。早々に場所を移す。

蛇が得意な者がいて、見るとすぐ捕まえてしまう、マムシでも。ほとんどの者が、蛇はいやがるのに、好きな者がいる。人生自分を基準にしちゃいけませんな。

忘れがたい人を思い出した。
井伏鱒二に、『遥拝隊長』という短編があり、そこに戦争ボケの人物が出てくる。復員してからも、皇居の方角に向って遥拝を続ける。

それと重なるが、3キロほど下流の在に、ほるおまという人がいた。彼はりっぱ顔をしている。渋くて四角い顔。ホリが深い。
彼はぶらぶらと歩いて、上流の町の方へ来ることがあった。すると、子供たちは、ほるおまの前へ走っていって、「ほるおま、敬礼」と言って、右手を耳のところへ持っていって、敬礼の真似をする。すると、あら不思議、彼は、敬礼をして返すのである。悪童は、キャッキャッ言って跳んで仲間のところへ帰る。また別の者がやる。するとまた、ちょっと気取るように重々しく敬礼を返す。それだけだが、子供ごころにちょっと切なかった。彼は、顔つきも体つきも非常に立派だったが、狂暴ではなかった。おそらく頭はがらんどうになっていたのだろうが、子供には、得体の知れない気味の悪い人だったな。

もうひとり想い出した。この人は先生で、戦争ボケといわれていた人。中学の時の職業の先生。授業は騒がしくてムチャクチャ。でも、「これこれ、静かに」、と言うぐらいで本気で怒らない。彼は、延々としゃべり続ける。困ったふうではない。なんだか楽しそうに喋りつづけていた。ヌケた人のような、聖人のような不思議な人物だった。
ほるおまは、有能な帝国陸軍兵士の感じだったが、先生のほうは律儀だけど有能ではない将校のようだった。

5月13日 土曜日  うさぎ(兎)解体業者

にわとりが飼われていたころ、兎もいた。50cm四方くらいの箱の中にいた。いちばん思い出すのは、
目、耳、糞。口。

うさぎ

目は丸くて大きい。ぱちぱちやらない。穏かな目をしている。口は小さくて、いつもモグモグさせている。植物ならなんでも食べる。サクサクと音をさせていかにも気持よげに食べる。その糞は、黒い豆だ。箱の中に、だから黒豆がいっぱいある。アンモニアのにおい。
全体に恐いところがない。こんな優しい生きものが、よく生きてきたものだな。

野生の兎がいた。いまもいるだろう。山にちかい同級の者たちは、ワナをかけて取った。取って肉にして食った。野生のものは、あんな優しい目はしていないだろう。
人間のほかに兎を捕まえて食ったものは、いれば、オオカミだろうな。

兎をつぶしに、秋にその業者がきた。で、皆でそこへ持っていった。大勢集った。そこは、馬の市などもあった。川辺りの広い所。
そこに解体業者が3、4人並んで待っている。棒が渡してあって、兎をそれに吊るしてさばいていったような気がする。しげしげと見た記憶はない。かわいそうだ、などという雰囲気はない。業者は収入を喜び、1年かけて育てた者は、肉を喜ぶ。また、首巻にしたようにも思う。首巻は、狐か狸が一般だったが。

あの長い耳は丈夫で、ここを持ってぶら下げて運ぶ。そんなに暴れない。いつも大きい赤い目を見開いて、口をもぐもぐさせ長いひげを動かし、前足をそろえてこちらを見て、エサをねだる。それだけ。にわとりほどの深い付合いはない。僕が小学三年ころには、兎は飼われなくなっていたのじゃないかな。

兎と亀が競争して、亀が勝てるわけがないのに、勝ってしまった。油断大敵。にがい思い出は、誰にもある、とり返しのつかない、思い出したくない、油断、失敗。

お諏訪様

蝉でまずぴんとくるのは、鳴声。
たとえば、真夏の息苦しい暑さの中、まどろんでいる時、すぐ傍で、ミーン ミーンとやられると、びっくり仰天、必ず目を覚ましますね。この甲高い音は、ほかにちょっとない。これは大音響です。数メートルの所で、突然これをやられると、何事が起きたかと目を覚ます。近頃は、蝉があたりまえじゃないので、よけいにギョッとします。ギョッとしてホッとします。なんだ蝉か、おお、お前まだいたんだな、と懐かしい。

蝉を、お諏訪(諏訪神社)で袋網を使って捕まえた思い出よりも、まずその鳴声が思い出されるのは、老いてきている証拠かな。捕まえた快感よりも、その大音響にびっくりする方が切実とは……。

いや、あるいは捕まえることには、なにか楽しめないものがあったんじゃないかな。どうもそんな気がする。
捕まえて持って帰ると、もう鳴かないし、その代り、ときどき、ギィギィと苦しそうに鳴く。すぐ羽根が傷む。その羽根でバタバタと手のひらの中であせる。やがてぐったりする。もうなんにもならない。ただの動かない死骸。そんなふうに意味のないことをしたのは自分。だから嬉しくない。
木に止って鳴いているのが蝉で、魅力ある蝉で。死んだらただのいやなブツ。

木に止っている蝉を見つけた時が最高だったんだ、実は。と今わかる。
その背中。背の上には、きちんと縦に並んでたたまれている二枚の羽根。そこへそっと近づく時のわくわく、しかも鳴いているやつを見つけた時の。さて息をつめて網をかぶせようとしている時に、急にぴたっと鳴きやむ時の、スリル、気づいたか、と、ひるんでいると、こっちを無視してさっと飛び去る時のいまいましさ。

自分の手が届く所にいるやつじゃないと面白くない。高あいところにいるやつは、意味がない。背の届かない自分が馬鹿にされているようで面白くない。

それからまた、思い出されるのは、神社の木、大木、太くてまっすぐな。緑の葉。枝。
そして、いちばんいいもの、香り。木の香り、葉の香り、緑の香り、空気の香り。自分の汗の香り。
さっと風が吹いて、額やランニングの脇の辺りが冷たく涼しくなる時の。その心地よさ、香り。

痛いくらいの暑さの中から、神社へ入っていくと、ひんやりと天然のクーラー。けれども、蝉たちは猛烈に暑く暑く鳴きまくる。猛烈なシンフォニー。単調で暑苦しいシンフォニー。僕は蝉たちを見つけ追うことに我を忘れて、シンフォニーと一緒に、藪をかき分けかき分け進む。

6月14日 シャムネコ、写真、宗教、マルクス

猫で思い出すのは、20年前。
20年にしてすでに〈古きよき日本〉になってしまったあの頃、猫を入れて4人で写した写真です。

猫

さて、手持のマネーは今のほうがある、けた違いに。当時いくらあったか、10万円以上あったことはない。だが今のようにびくびくおどおどしない。金は使えないし、使わない。が、学生の頃に染みついた習性を使って、1,000円で10,000円使っているかのように詐術する。いや、犯罪をするわけではなくて、自分を騙す、モルヒネを打つ、自分で自分に、思い、というヤクをしかける。

惨めな者、貧乏な者の最後の術はこれですね。誰に教えられたわけでない。キリストにも、シャカにも、マホメットにも。
昔、学生運動が学園エネルギーの一方の旗頭であった頃、デカルトもカントもショーペンハウエルもはやらなくなっていた頃、マルクスが流行していた頃、彼がくどくど言っていたことで忘れられないのは、宗教はアヘンだとの説。

アヘンは、アヘン戦争のアヘンだ、受験必須出題項目なので覚えこもうとした、そのアヘン。これが、宗教と結びついて、しかも、ラディカル中のラディカル、ファンダメンタル中のファンダメンタルとして出てきたのには驚きましたね。結びつきの意外さに、詩を読んでいるような、漫画でも見ているような気さえしました。


なんだろう、考えてみる、すると、スミスがどうのとか、フォイエルバッハがどうのとかについてはチンプンカンプンだったのに、こればっかりはピンときましたね。わかるってことは嬉しいですね、今も昔も。

今の強く豊な若い人たち、高度成長の頃の壮年者たちにもわかりにくいでしょう。今日よりも明日、明日よりもあさってと、空想するまでもなく、実際が前向きに実現されていっていたので。
だが、明日がどうにもならなく落ちていくばっかりなら、どうします、このデフレ日本で、さらに落ちていくばっかりのこのごろ、どうします、エッ、。惨めな現実が、明日もあさっても100パーセントなら、慰めは、タダで無料でする慰めは、空想しかないじゃないですか。空想こそ、惨めで貧乏な者の唯一の救い慰めじゃないですか。

モーゼの直系マルクスは、だから、空想とみなす宗教に宣戦布告する。目の前の現実を変えろ、と。共に産し、共に分ち合う現実に変えろ、と。彼はたかだかと共産党の宣言をした。
注 この「たかだか」という言葉は、司馬さんが大好きで文中よく使われていました。この場合どんなものでしょうか、司馬さん〉

なるほどそれは迫力ある説でした。ついこないだ地球と歴史は、そのように動いた。が、見られるとおり、共産圏は撤退し、宗教は繁盛している。
つまり、惨めとか虚しさとか、つまりシャカが言う無明(むみょう)といったものは、貧乏の所産というより、むしろ豊かさの中に盛上がる、人間の厄介な一種の精神の病、精神の精華、達成、文化なのでしょう。業病。
むしろ権力や名誉や財力に関るものなのでしょう。

話が、猫を介して20年前と今とを行き来するうち、こむずかしいことになってしまって。
あの写真は、四つ切のモノクロで。全部自家製。つまりその頃僕は写真に凝っていたのでした。

思い出してみると、フィルムは、その頃出たばかりのネオパン400で、プロ用の長尺もの。これを小分けして、使い捨てられていたパトローネにつめる(よくぞパトローネなんていう言葉が20年ぶりに脳中と手に出てきたもの)。現像液は、D76。印画紙も出たばかりの、艶出しをかけなくていいもの。現像タンクは、なんとかメーカーの金属性のもの。暗室は洗面所に臨時の暗幕を張巡らして。

そして拡大機。じゃなくて引伸ばし機。これが富士写真製の立派なもの。チャチではありません。それと引伸ばしレンズ。これが高かった。なぜこんなものが買えたかたと言うと……内緒にしておきましょう。
カメラは、中古のペンタックスSP。レンズ、55ミリF18。自動シャッター、タイマーを使って。しぼり開放で15分の1秒。フラッシュはまだ買えないので、ナマで、三脚を立てて。夜。夕食前。何を食べていたか思い出せないが、情景は浮びます。たぶん、アジの干物と味噌汁と漬物と。

写真には、僕と妻と、小学校4年生の長男。そして猫。シャムネコ。彼が猫のように精悍な面構えでこれを抱かかえている。
シャムだから、タイに関係があるのでしょう。これが、たまたまササマタという金物屋の前に2匹いたのです。売りものとして。めずらしいので、見ているうち、安かったので、買ってしまった。いつも見かけるのとまったく違う猫なので。その姿に引きこまれて。猫を飼うのはこれが最初で最後でした。

写真機具同様、その頃、唯一、ちょっと贅沢ができたのです。可愛い贅沢でしょう。あとはプア―につぐプア―です。業病です。

この猫は、いつも腹をこわして、コタツにもぐっていたので、秋から冬にかけてのことでしょう。
雌か雄か思い出せない、呼名も。
思い出すのは、つとコタツを出て外へ用足しに行ったことですね。これには感心しました。で、庭先の戸を数センチ開けておいてやりました。

生あるものは全て滅すで、春先、家の前で車にひかれて、ごく短い生涯を終えました。

もしスキャナーが手に入れば、探し出してのせましょう。

6月30日 みみず釣り エサ

子供たちは、ミミズ(蚯蚓)を見たことがあるだろうか。自然界では簡単には見ないだろう。私らも見ない。だから、学校の授業に、ミミズ探しが組込まれているんじゃないかな。土を作る大切なものとして。腐葉土を作るものとして。また、ミミズのいない土はどんなものか、どんな様子か、などなどについて理科の時間に勉強するだろう。

その気になって探せば、ミミズはいる、今でも。
どうしても必要なものなら、たとえば遊びに必要なものなら、また探すことそれ自身が楽しいなら、子供らは探すだろう。
僕の場合、みみず獲りは、直接には楽しいことではなかった。したくないことだった。そんなことちっとも面白くなかった。けれども探しあさった。オバさんたちの冷たい目に監視されているような気分を背中に背負いつつ、なるべく手早く探して獲った。

僕らがなぜそんなことをしたのか解る者は、どのくらいいるかな。その割合は、今も4、50年前もたいして変りないと思われる。あれをやる者にはすぐわかる。無関係の者にはまったく解らないこと、今も昔も同じだ。

釣りの餌。
釣りが楽しいから我慢してミミズ獲りをする。なぜ我慢したのか。なぜオバさんたちの目を気にしたのか。

我慢は、まずそれが汚い所にいたから。どぶ泥の中に。台所の排水の流れの中、どぶの中に。今はそういう所はなくなっている。いや、台所の排水は必ずあるが、それは人間の目から隠されている。暗渠になっている。昔は、それは一部露出していた。そのちょろちょろと流れる土の中に、ミミズはいた。水も土も腐っているので、臭いがする。それだ。この時の臭いがまだ僕の体に立派に残っているのだ。

直接に悪意も恨みも持っていないのに、ミミズというとまずあの流れの汚さと臭いがピンと来てしまって、今でも気持にクッと抵抗するものがある。まして、人生途上のもっと忌わしい思い出なら、激しく深くその人にまとわりついてしまっているだろう。逃げるに逃げられない深い傷としてなどなど。

ミミズは長さ4、5センチ。表面はきれいに赤みがかっている。環状の模様が頭から尾まである。頭の部分が少し大きくなっていて、僕はそこがちょっと不気味だった。この不気味さは、今でも同じにある。それをつまむたびに子供の自分と今が一瞬つながって、ミミズが恐くなることがある。

ミミズには特有の臭いがある。その、からだの割には強烈な臭いは、食べ物の排水という条件によるのかな。そして、これが、僕らにはちょっといやだったけれども、魚たちにはいい匂いだった。役にたつ、命に味方をしてくれる匂いだったのだな。
なぜかって、彼らはそれに集ってくるのだから。不快なものに、敵対するものに、害になるものに近づいてくるはずがないから。ミミズも魚も人間も、同じく生きものなので、この条件は同じだ。ただし、人間の尺度は人間には当てはまっても魚にもミミズにもそのまま当てはまらないということ。

魚たちは、普段の川の流れにそれが乗って来ることがあって、エサだと知っているのでしょう。だから、その匂いに敏感に集ってくる。ハリにもイトにも警戒せぬのが、ガブッと食い付いてしまう。そして釣られる。そして人間たる僕に喜ばれる。ただし、僕は魚を僕のエサ、食べ物にするわけではない。釣って楽しむだけ。人間って、ミミズや魚と比べて、だから、イヤな所があるね。でも、それが人類文化だからね。

さて、ミミズにはたくさん種類があるそうですが、そのほかに僕の知っているのは、ハリのように小さな糸ミミズ、それに普通ミミズ(ドバミミズ)。
糸ミミズは、一般のミミズと似た所にいます。土の中そのものにはいません。べたつく排水泥にいました。かたまりになって。

普通ミミズは、畑などにいました。これは、ウナギを釣るのに使います。これを、僕は嫌いだったな。かわいげがなくて。不気味で。太く大きいので。回虫を思い出して。いま打ちながらでも、体がなんだか楽しくないです。寒い感じです。

言い忘れました、オバさんたちににらまれるのは、僕たちがどぶを掘ってあさるからです。じろっと見ないほうがおかしい。だが、ミミズを獲っていけないよ、と言った人はひとりもいませんでしたね。

いまでは、ミミズは産業の対象になっているんですよ。立派に仕事になっています。パック詰にして売られています。きれいに作られています。でも ,僕などは、昔の思い出があるので、消えないので、以上に書いてきたことはそのまま変わりなく僕の体にあります。

7月21日  ごむし、きんぱく、ひらた、さざめ、かわむかで

数年前、道路沿いに、10キロに渡って、キンパク、の旗がはためいていたことがあった。1本や2本ではない。目だつように立てられている。それを見て、キンパクという人が議員に立候補したものと思い込んだ者があった。地元でそんな間違いをする者はいないが、旅の人なら、町会議員か県会議員か、と思ってもおかしくない。

キンパクは、釣りエサで川に棲む虫です。表題のものは、ぜんぶ、川に棲む幼虫。成虫して、どんな形のものになり、どう呼ばれるか知らない。写真があればいちばんだけど、ここにはない。

キンパクはこの辺り、4月には羽化して川底にはいなくなる。その1ヵ月ほどに渡ってこの虫は人気ランク1位。アマゴの好物です。ですから、この虫は売られています。1匹、15円ぐらいもします。釣道具屋をやっている時、私もとりに行きました。みんなが取るので、やがて少なくなってしまい、諦めました。

可愛らしく、気持のいい虫で、女性でもこの虫なら嫌いません。1、2センチあります。やわらかいゴムのように弾力があります。金箔を張ったようにも見えます。金色と黒のまだら。きれいな川にいます。馬瀬川のは最高。そこに暮す魚も最高。あじめ、かぶ、あまご、うぐい、放流アユ……。

そんな虫なので仕事にして、専門に取る人が現れた。で、売りさばこうとしてキンパクの旗を目立つように立てたわけです。明くる年には、この旗は見かけなかったので、その年だけで終りでした。理由は、思ったほどに取れなくて、採算にのらなかったのでしょう。

話はとびますが、さっきテレビで、南米のペルーだったかで、体長4、50センチほどのミミズを映していましたね。これをエサにして、でかい川魚を釣る。で、この虫が売れる。売れるので、仕事にする人が現れた。どこも同じです。売る人買う人、とる人生産する人。それにしても、この巨大ミミズには驚きます。それで釣った川魚にも。スケールが違います。

キンパクが少なくなったように、南米の巨大ミミズもそのうち姿を消すでしょう。何億、何十億年かけて土を作ってきてくれた虫が、瞬く間にいなくなってしまう。暗い気分になりますね。厭世観ですね。忙しければ、まぎれてそんな事考えないのに。ヒマは全てにおいて罪作りです。

タイトルの虫のなかで、いちばん多いのは、ごむし。長野県じゃ、これは佃煮にして売られているそうです。これには驚き。長野県のほうが、岐阜県よりも、同じ山国なのに、きっと文化の程度も意欲も上だったとわかります。ごむしにかぎらず、すべてに、少しずつあの県は違うでしょう。きっと、私らの県は、人間は丸いけれども……と言われていることでしょう。

それを補って、川とそこに棲む魚はよかった。だが、この辺りの戦後の経済は、自然をかまうことで成立ってきて、自然を壊してマネーにする。私もそのおかげで、この年までここで生きられました。
でも、自然破壊を、よくよく考えて破壊する知恵はなかったのだろうか。破壊と修復は同時進行できないのだろうか。破壊ばっかりの公共投資とは、なんと芸のない。つまらん県です。程度がよろしくない。魚や、キンパクや、水辺の植物や、古来からの石や岩、それらを一瞬にしてがらがらと壊してしまうことの、長い目でのとり返しのつかない損失を、やっぱり気づかないのだろうな。さし当ってのマネーなのだろうな。それにしても、なにごとか工夫があるべきだが。

この町の町長は、川を、自然を大事にするをキャッチフレーズに当選した。中央から、先生方を連れて来て、毎年公開討論会をやっていた。今でもやっているのかな。
町民は、そんなこと、どんな意味があるのかと、冷たかった。なんのための予算消費かと。文化とは、そういうものかね。

文化とは、土を耕すようにまだるっこいもの。それをやらなくては、しっかりと地面に足のついたホンモノの文化は生れない。公開討論会などは、ショウだ、見世物だ。なのに、これを文化だとしている。討論会は、この地にどんな種をまいて、どんなふうに育っているのだろう。ただのショウなら、公開討論会はNHKに任せとけばいい。

実際に、川を少しずつでも修復して、この手でやさしくしてやることだ。その精神、根性だ。
学校でも、点数競争はもう時代遅れだ、と承知して地味な文化づくりに出発してくれ。戦後に育った大人たちは、全員失格だと、堂々宣言して間違いない。かけ声ばっかりの社会民主主義の、マネーが全てだった我々の、いまになっての取柄は、戦後日本の失敗の見本として、まな板にのせて自分を差出すことだね。
先生こそ、責任重大だぜ。胸をはり、肩をいからせろよ。

8月1日 あじめ貴重品 どじょう

広辞苑はどうかしている。見出しに「あじめ」がない。こりゃだいぶどうかしている。あじめは、どじょうにそっくりだけれども、はっきり違う。この辺りの者には常識だ。
この魚は岐阜県周辺の清流に棲む。清流です。泥流ではない。どじょうは泥の中に棲むが、あじめは澄んだ川に棲む。だから、その香りが珍重される。アユと同じに。姿も香りもいい。

どじょうはもう4、50年も見ない、棲んでいた泥の流れがなくなってしまったので。今では、コンクリートに囲われた流ればかりだ。こんな所にどじょうは棲めない。
小川はしょうがないとして、大川がコンクリート張りになってきている。無粋だ。実につまらん。コンクリート感覚が我々の中のなにか重大なものを壊していっている。人間も生きものの一つだというあたりまえの感覚を。自然との交感を。

小学校低学年のころ、近くに泥いっぱいの小川があった。そこへ、ショウケ(ざる)を持ってすくいに行った。いわゆる宴会の泥鰌(どじょう)すくいだが。僕はあのころ、草むらの下の泥を足でかき混ぜてショウケにすくってとった。一心不乱に。だから、後年、宴会芸として面白おかしくふざける意味がわからなかったな。僕は、泥鰌すくいを面白おかしくやったことはないので。おお真面目だったので。
だが、それをどう処分したのかは知らない。とって遊んだだけだろう。泥鰌を食う話は、聞いていない。泥鰌には泥のイメージ。

あじめは違う。これは、今でも高級品だ。年に一度だけ食べる。見る。ある料理屋では、これを得意として前々からずっと出している。皿にたったの2匹。貴重だからうまい。料理代を値切ると、あじめ料理は出ない。だから、出たときは、ほほうほほうと感激していただく。

萩原へ帰ったころ、二十代の終りに、アユ、アマゴの先生の長谷さんから、あじめ穴を一つもらった。あじめ穴は、産卵のためにあじめが出入する穴。
9月ごろから産卵する。伏流水の流れる地下で産卵される。そこで、人間どもは、まず伏流水の湧きでる場所を見つける。深くてはだめ。ごく浅い所。
格好な場所を見つけたら、誘導水路を作る。湧き出るところに、竹でできたエビテというものを設置する。入ると出られない仕掛になっている。

エビテは必需品、道具。近辺にこれを作る人がいる。今では、これは、中国などで作っているんじゃないかな。一つ一つ手作りなので、高いはずだが、安くしてある。エビテを作るほうも、あじめを獲るほうも趣味なのでかな。組合発行の鑑札、許可証は、穴一つに二万五千円する。あじめは高価なので、みんなねらって穴を掘る。

県のほうとしても、乱獲をやめさせるために、鑑札の数は限定している。
カブもそうだが、あじめは、産卵に集るのを獲るので、つまり卵をもったのを獲るので、ほかっておけば、人間はこれを絶滅させてしまう。で、捕獲制限する。
まだ、30年前は、制限はなかった。特別な鑑札もいらなかった。
これでわかることは、あじめを獲る人は猟師にちかい人で、きわめて少なかったのだろう。のんびりしていた。乱獲の心配も、まだなかった。

それが近年、極端に少なくなった。乱獲ばかりでなく、年中行事の川の工事、掘り起しもあじめの敵だ。

あじめ穴をやってエビテを設置したのは、そのころの2年だけ。なんでやめたのかな。獲れなかったのかな。面倒だったのかな。両方だろう。出水には、エビテを引上げに行かんならんし。

あの時、両手の平にいっぱいほどもとれたかな。だだくさに(おおざっぱに、粗末に)処理したもんだった。しょうゆ味にしたかな。特別にうまいとも思わなかった。どう料理するのか、こんなに沢山どうするのか、当惑していた覚えがある。猫に小判だな。あじめさんには、申し訳ないことをした。子持あじめなので、せめて、丁寧に味わっていただくべきだった。


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