彼にとって『妻と私』は何であったか

 「文春」の『妻と私』を読みました。痛ましいです。お二人の終焉がそうなのですが、もっと痛ましいのは公人江藤淳の文です。その文の社会性のなさが痛ましくも残念です。この人にとっての政治や日本や友人知人や国民はなんだったのだろう。明晰な人ですから承知の上でこの文を仕上たのでしょう。

私は漱石の短い文が好きで、たまに開いてみます。中でも「文鳥」には感心させられます。三重吉と豊隆が漱石の家へ文鳥一式を持ってくる。それを漱石は飼うけれども、しばらくして死んでしまうという、それだけの話です。
 夏目家とその主人、学生、家の者の様子が気持よく伝わってきて楽しくなる。政治も国もないけれども、人間がいる。その人間は自分と相手との駆引きの中で〈社会性〉を持って生きている。これを書いた作者の人柄にそれがある。魅力が自ずから伝わってくる。

江藤氏自身というよりも戦後というものが、重大な面で何かがおかしいのではと自信が持てなくなります。要するに頭でっかちなのです。単に言葉としての、観念としての政治や社会が威張ってしまった。身につかない言葉の氾濫。
 社会党が、みじめに墜落してしまった様は、戦後社会の急所を象徴しているようです。

『妻と私』は作者がノイローゼ気味だったゆえの作品とは思いません。彼は何もかも承知していて書いたものと判断します。自分の頭でっかちと、生身の自分の衰弱とを、身をもって示したものと判断します。彼は最後の勇気と力をふりしぼって、作品で、そんな自分をまな板にのせて、愛する日本にさし出した。

こういうふうにも考えられます。
 もともと彼は、女性的あるいは幼児的感受性の濃い人物であった。青少年期からそれに反発した。それが言語能力の秀抜と結びついて言葉でどんどん自分を社会化していく。仮に自己形成期に戦争など物理的危機と出会うとすると、言語による自分の社会化が無力と知らされて、体の鍛錬などの方向に向うでしょう。言葉に不信感を持つでしょう。

彼の場合、そういう障害に出会わなかった、あるいはそれを避けるようにした。それで言葉のふくらみ、水ぶくれを許した。戦後社会の、理念理想の横行病のようなものに、進んで入っていった。そのために、一般には生き抜くためにする自分の弱い部分の鍛錬を先延ばしにしてしまった。

戦後の平和日本、社会党ふう理念理想に対する熱中、それによる言葉の自己増殖と軽さにつかまってしまった。言葉の大安売りといった傾向は、ノーベル賞作家の大江にもあるのでは。

評論家江藤淳は作家であって単に学者ではない、肉体を通して言葉を使うという点で。だから、なんとも言えず痛ましい。

トップページへ