ダイアリー、エッセー 2
◎ 3月16日
野球と現実
◎ 3月12日 ビートルズ 前半 後半
◎ 3月8日 名古屋へ
◎ 3月6日 傍嶋さんのHP
◎ 3月3日 6年前のメモ
◎ 3月1日 歯医者さんで
◎ 2月28日 ちょっとけたたましかった一日

2月28日Mon ちょっとけたたましかった一日

  きのう、早川一光さんについて入力しているとき、どうも体全体が重苦しいので、うつらうつらしていて、それでもと思いなおして、無理ぎみに打ち始めたのがよくなかった。向うと、さがりたくなくなって機械にしがみついておった。文字の、指への出が悪い。もがきぎみになる。こういうときは、心身に不快感が残ってしまう。

ワープロの楽しみは、気持よく入力できたときの快感。その満足感だ。言葉が自分としっくり仲良くしてくれるときの快感だ。その逆はにがい。それを期に遠ざかる。ここにあるのはただ単純に、快不快の問題。だから、不快の最中になにか思いがけない愉快なことが起きると、それで、それまでを忘れてしまって機嫌がよくなる。天下でも取ったかのようにコロッと有頂天になる。

 きのうはだめ、ずっと重い感じに引張られてうつらうつら。けれども、ひとつだけ光がある。そこへ気持を集中させるようにする。早川さんの言葉の響きを思い出すようにする。思い出して、彼から、自分が語りかけられているかのように想定しようとしてみる。すると、入力できるようになるし、不快感も遠ざかるが、すぐまた不快な重苦しさに戻ってしまう。それを繰返す。そのうち時間が過ぎて行く。

 八時半になっても起きてこないので、飛出す。ふらふらする。店へ行って、ストーブその他の準備をする。九時すぎ、起きてきたので、金魚にパンを少しやってから、部屋にもどりぐたり横になる。すぐ眠ったよう。
 何時ごろだったか、十二時ごろだったか、大きな声に目が覚める。誰々を電話で呼べと言っているようだ。起きれない。目をつぶると、また眠る。また声が響いてくる。どうやらこのあいだのAAのようだ。マッチビューティのだんなを呼べといっているようす。もうひとりにも。また眠ってしまう。

 と、のりこママが、顔をとんがらせて、風呂のタンクから水でている。と例によってけんけん言う。がばっと起きる。顔をとんがらせ、けんけん声で、なんだ、いつだ、いまか、なに、と例によってまくす。ふらふらし、かっかっしてくる。落着けと自分に言う。風呂の窓をのぞく。間違いない。前よりひどい。ざあざあ出ている。しまった、ここずっと小さいほうのボイラーを使っていたからだ。しまった、使っておかなくてはいかなんだ。しまった。うろうろ歩きまわる。まだ頭がハッキリしない。日曜日だ。休みだ。だめだ。元を閉めることにする。

 マッチビューティのだんなが、呼びに来る。来てくれ、たのむ、ちょっと来てくれ、と。だめだ、手を強く振る。今日出ていくとロクなことにならない。彼を押し返す。すると、また新たに誰か来たようだ。五六人いるようだ。
 三時半にみんな帰る。急に静かになる。バタンと戸を開けて、十五本も飲んだ、と言うとまたバタンと閉める。がばと起きて、元を閉めといたから井戸を使えて言う。いやだと言う。ばか者、沸して使うから大丈夫だ、俺らはずっとこれで育ってきたのだ。腹痛など一度もない。いいかげんにしろ。清潔バカと言おうとしてこらえる。紛糾してはいかん。また蒲団にぐたり。起きれない。
 九時に起きると、待ってましたとばかり、例によってグチを言出す。男の客は遠慮しないで、気に食わなければ、かわいげがなければ、やっつけてくる。やられて面白くないので、こっちに毒を吐をはいてくる。こっちもたまらんから怒る。お互い、性根というもの直るものではない。

3月1日 Wed 歯医者さんで

歯医者さんお医者さんが好きだという人は、ちょっと変り者でしょう。とくに歯医者さんは。人間までがついでに敬遠されるので気の毒だ。痛さが、敏感な部分をきりきりとやられるので、鋭い感じでいやなのだ。

ここ五六年、歯医者さんとの付合いが急に増えた。ぼろぼろと抜けてしまった。体の調子にも頭の調子にも障ってくる。美的感覚の方面にも。
 人に汚く見られないように実際に気配りするのは、大切な社会感覚だ。ここがおかしいと、いくら口で上手そうなことを言ったとしても、感覚としてはヒネこびている。いやなところのある人間になっている。

と、自分のことを判断している。可愛げもない。俺は俺だなどと開き直るのは、すでに変になっている証拠、当人は、気がつかないが。歯が悪くなると、惨めな気分になる。一人前でないとするようになる。要するに、俺はもうだめなのだ、と自分を説得するようになる。老いていくということに伴うもろもろは、若いときには、判らないもの。実際に老いて体が衰えてみなければわからないもの。

しかし、ここで一つ、一か八かの勝負が残されているぞ。立ち向っていくこと。尻尾を巻かないで、討死覚悟で老いという難敵に立ち向っていくこと。と、威勢よくハッパをかけてみる。むかし若さの挑戦などとよく言われたが、老いへの大兆戦だ。言葉は威勢がいいけれども、やることは、体力気力知力が衰えているので、ごく可愛らしいことの実行。

それは、おしゃべり。
 待合室で以下の光景にぶつかったので、今日は歯医者さんをテーマにすることにした。歯医者さんその人がテーマではない。八十を越した人が、ただひたすら黙って目をつぶって座っている、患者が、四五人も待っている中で。ほかの人には、あんなに目障りな人はいない。この人だけ、目障り。自分はこれでいいと思っている。その人は、学校長をやっていた人で、話したことはないけれど、高い人だ。人と交わらない。なにか地域の役なりなんなりもやらない。多少は変な人だったのかもしれないが、それにしても、唯我独尊ふうが気の毒にさえ思えてくる。

このとき思いだしたのが、早川一光先生のお話だ、なぜ男の方が女より短命か、についての。一つは、男の狷介孤高さをあげておられた。対して、女性、おばあちゃんの方は、べちゃべちゃくちゃくちゃいかにもエゲツナイ話題を、照れもせずまくし立てあう。あれが、男はできない。しかし、早川さんは軍配をおばあちゃんがたの姿勢の方に上げている。独り姿勢になったら、その時はおしまいよと言っている。若いときは独りがけっこうに推奨されていたのに。

老年には、独り姿勢は避けなくてはいけない。おっくうがってはいけないわけだが。

3月3日 Fri 6年前のメモ

注 平成5年の、5月11日と13日に、早川一光先生についてメモしている。今回聞いたお話は、そのときの再放送でした。このときは、どうも眠らずにしっかり聞いている。で、それをそのまま写してみます。内容について、今よりもきちんとメモしているので。〉

――今日の心の時代は、京都西陣の堀川病院の院長、早川氏による『私の老年人生論』。この人の話は、具体的なものから離れないので、聞きやすい(抽象論的なものが比較的多いので)。

眠りの話、食の話、息をすることの話。
 老年は、眠りが浅いから、眠れないことにあせらないように。食べ物は、うまいと思って食べることがすべて。死ぬことは、息が吐き出せなくなること。だから、息を吸い吐出すことが、あたりまえのことではないのだということ。

人生は「苦」だということ。死ぬことはその苦から解放されるのだということ。だから、人生に楽を求めつづけることは、間違っているということ。
 早川先生の語りには、老人に対する優しさが、満ち満ちている。

京都の早川氏の「私の老年人生論」、今日は介護を中心とした話。早川氏は、医者として、人に語りかけてきているので、その言葉づかいに愛情がこめられていて、非常に説得力がある。字では、こうは行くまい。

女性の方が男性よりも5歳以上も長生きする。女性は仲間作りが上手く孤立しにくいが、男性は孤立しやすい。だから男性は気軽におしゃべりする習慣をつくるようにしておくとよい。

おばあさんはおじいさんを徹底的に介護するが、おじいさんはそれにあまり慣れ過ぎないようにすること。

人は自分ひとりでは、自分の死体の処置ができないのであるから、常日ごろ、そのことを配慮して生きるようにしておくこと――。

3月6日Mon 傍嶋さんのHP

傍嶋さんは、当サイトに「傍嶋さんのホームページ」として載せています。久しぶりでのぞいてみたら、文の調子が前と同じようにあって、つまり文の調子とは、その人の調子、その人そのもの。そこにその人がいるということ。

ホームページの参考書として、去年の末にはじめて買った本の著者。専門家のものだから、どんなぐあいのものかと大いに興味を持って、そのページを開いてみて、とたんにこちらに、ある衝撃が伝わってきた。それで、ちょっと気張ってあれを書いてみた。そのときの一連の日記は、年末の十日間ぐらいの記録で、そこに、T教会に勧誘されたときのいきさつその他がつづられてあった。

その内容と、それを描く文の調子になぜか打たれた。それで、どうしてだろうと考えているうち、『源氏物語』までが現れてきて、大上段の文になってしまったのであります。

たんに記録ふうのものなら、こんなには動かされない。この記録には、行きつ戻りつしている考えの過程、試行錯誤、とまどい、感情感覚のひだが、表現されているので、こちらとなにかが響き合うのである。
 僕がいちばん驚いたのは、これが、本の中の出来事ではなく、パソコンの画面の中とのことだということ。さらに、本よりも、ナマに、進行形として、双方の進行形として伝わってくることなのです。これは、まったくの、予想外の事件だった。予想外の時代にはいっているのだった。

本の中の文字が、一応静止してるのに対して、ここの文字は、動いている、現に呼吸している。しかも、ここの言葉には、大資本も、出版社も、編集者も介在していない。送り手その人がいるだけ。その人だけが、じかに伝わってくる。こういうことだったのだ。これは、まったくの新しい時代だ。新しい感覚感動考えの伝達だ。

『源氏物語』はもともと、読むものとしてではなく、語るものとしてできあがった、と言われている。じかに、宮廷の后や女官たちに語って聞かせたものであるという。パソコンの言葉は、むしろそちらに近いようだ。じかに聞く言葉に近い。じかに、三十代前半の、東京でがんばり抜き自活する女性の姿が、その心のひだが、こちらに、実況中継のように伝わってくるので、驚き感動する。HPの状況には、まだひよこなので、これはどういうことなのか、判断しにくいが、これは、彼女の言葉の表現力によるものなのだろう、非凡なのではないだろうか。みんながみんなというわけには行くまい。

若い女性の優れた感性に触れる、という経験はまずない。この年では、ますますない。だから、感動も大きなものとしてくる。

また年よりの思い出話をちょっと。
高校のころ、手紙好きの同級生と仲良くなって、しょっちゅう手紙をもらったことがあって。それで、僕は、嫌いだった「書くこと」と勉強をすこしやれるようになった。けれども、その年では、理解力もなにも幼いので、誤解は誤解のままで生きていったようだ。

が、また受験が出てくるが、古文の勉強で、『枕草子』を4分の1ぐらい読んだ。今はまったく読めないが。
 若さとはすごいもんだ。ねばった。しかも、そのうち、清少納言という作者のなにかがこちらに伝わってきたのである。そのなにかとは、つまり、日本女性というなにかだ。さらに言えば、日本人の中にある、ある共通の、今もあって息づいている感性だ。むろん当時はわからない。ただ、へエーと感心したものだった。いま思えば、上等の、特等の感性だったな。

ずっと、女性の感性には、ご無沙汰している。
5、6年前に、どうしてだか判らないが、山田詠美の、『ベッドタイムアイズ』を読んだことがあった。好戦的、攻撃的若い女性の姿があって、こういう時代にはいっているのだな、と勉強したものだった。男たちの社会で、張合って生きる女性は、ああいうふうに恋愛の感性も一見男的なものとして現れている。のに、奥のほうに、むかし読んだ、千年前の日本の女性、アメリカやイギリスの女性ではない、ヤマトの女性がちゃんとあるのには、伝統とか大地というものの凄みに恐れ入ったものだった。

そうして今、パソコンという新時代の、経済、社会、文化の最先端を扱う女性から、むかしの女性のなにものかがじわっと染み出ていることに、感動してしまう。3月1日の日記の、なにげない文の中にも出ている。
 こりゃ、機械は機械だけど、凄みのある機械だけど、繊細な心を伝えるという点でも、負けず劣らず凄いようだ。

3月8日Wed名古屋へ

九時半出発、のり子ママと。途中、道路工事が多い。「楠」で都市高速にのる。車がおんぼろで、不安定。体が緊張で硬くなるので、よけい不安定。もの忘れ症状が出て、「堀田」で出なければならないのに、通りすぎてしまう。いやになってしまう。「笠寺」で下の道へ。
 ところが、出てから、引き返すため下の道へ出ようとしているうち、方向がわからなくなってしまう。判らなくなったらもう判らない。道路が迷路になる。磁石は必需品です。

お嫁さんが、鍋焼きうどんを用意して待っていてくれる。それから、バスで栄へ行ってみる。知らないので、グリーンのお年よりの席に座る。のり子が、それは、あれだと知らせる。周りには、それらしい人がいないので座ったままで様子を見る。並びで、もう一つあるのに、誰も座らない。最後まで、私ひとり。落着けない。まだその範囲には入らないけれども、いかにもしおらしくそれらしくしようとしてみる。かえって疲れる。「そうか、みなさん、座らないものとしているんだな」、とわかりました。

風が強くて、萩原なみに寒い。厳寒ようのジャンパーを持ってきて幸しました。
 終点の100メートル道路で降りると、それらしい人がいない。それらしいひと――この前、夏に近いころだったので、若い格好の浮浪人にギョッとした。十年前、働き人の浮浪者はいなかったのに、そんな人がちらほらするのが、気になったものだったが。――寒いためか、目に入ってこない。かれらは、どうしているか。仕事は見つかったかな。不景気の重さがあんな姿で。

四国のお遍路の数が急に増えた、と宿の者が言っていた、三倍に。宿帳の厚さの1年分が、過去3年分の厚さと同じ、と見せてくれた。しかも、働き盛りが、訪れてくると。

栄で元気なのは、恐れを知らぬ女の子たち。茶色っぽい顔にして、目をまん丸に作って。猛烈に分厚いブーツ。
 五十前後の男で、映画に出てくるような格好の者が増えている。昼間歩くのは、営業マンか、休日の者か、遊び人ふうの者か。限られているにはいるだろうが。
 あのビルビルビルの中は働く者たちばっかり。都会はすごい。

丸善へ行ったら、ページメーカーなる本を買ってこいと息子が言う。そこはすごい人人人。コンピュータ関係だけで、ものすごい本本本。いくら探してもそんな本はない。年配の自信なさそうな店員さんに聞くと、さあ、ありませんな、と言う。30分ほども探す。ない。だんだん怒れてくる。電話する。ないぞ、と。そんなはずはない。ある。と断固言ってくる。ローマ字、そんなら、ローマ字だ。Page Maker。ない。女性店員で、ちょっときつそうな恐そうなひとに言うと、書棚へつかつか行って、すぐ見つけた。これ一冊しかありませんね、と。やっぱり、顔つきからして違うね。自信のある顔。横綱も見るからに強そうな顔。

帰って、夕食。一生懸命作ってくれている、本など見ながら。年より向きの、歯にあたらないものを。味が薄いのには、閉口。しかし、健康のためにはいいということだった。しかし、なにか物足りない。はらが落着かない感じ。

ページメーカーの説明をするが、こっちは、わかったようなわからないような、けっきょく判らない。判らなくても、成績表も試験もないのでありがたい。

夜、八時半出発。必死だ。死にもの狂いの運転だ。本当だ。こんな体力になってしまった。途中三度車を止めて仮眠。すると、のり子ママが、どうせ止めるなら、コンビニで止めたら、と。コンビニまで、もう必死だ。集中力だ。PCを思い出せ。
 家に、ついにたどり着く。ありがたい。休める。ありがたい。茶碗に少し酒をついで飲む。神経をゆるめるために。
 朝、八時半目が覚める。熟睡。だが、疲れと血圧などなどのせいで、不快で、暗い気分になる。人生全部が暗くなる。が、起きてストーブなど準備をするうち、元気が戻ってくる。人生、暗くなくなってくる。

3月12日 Sat ビートルズ

大坪発信局の参考資料は、20年前の『広辞苑』、英語辞典3冊、国語辞典1冊しかない。それで、ビートルズの盛衰についてまず調べてみようにも、上記分のことしかわからない。これだけでもありがたい。発表する以上はいいかげんでいけないので。

一昨日(11日)、マッチビュウティーの旦那と店にきて、ヤギの話をしていったNさんから電話があって、「史朗さん、あれね、面白かったよ、上手いこと書くもんだね(いえいえ、とんでもない、とこっちは言う)、感心したよ、終りのほうに自分のことがあったけど、誰のことだろう、ああ、俺のことかと……不思議な気分だな……ところで、(ここでやや声をひそめて)、八勺(しゃく)、な、八勺、あれは、8合じゃないと……」

これには覚えがある。八勺には、振り仮名をつけたので覚えている。
 「そうだ、そうだ、うかつだ。いやになるね、一升の8割だから、8合でなくっちゃ、肝心の話がむちゃくちゃになるね。ありがとう、ありがとう」
 と、こんな変な間違いがある。今までにも幾つかあるでしょう。自信が持てない。また、くり返し話も多くなるでしょう、あしからず。なにしろ、当局は、独りで全役をこなさなくてはならないので。
 これから「ビートルズ」、などの世界常識を発信するので、ビビリます。願わくば、まあまあのものができますように。

まず『広辞苑』を調べてみます。〈イギリスのリバプールから1962年に現れた4人のロック・グループ。若者らしい心情を託した歌、電機楽器を用いた軽快な音楽で世界的なアイドルとなった。70年解散。〉
 いま電機楽器と言わずに、エレクトロ何とかと言うんじゃないかな。
 次は、オックスフォードペーパーバックディクショナリー。これは英語。

an English rock group consisting of George Harrison (born 1943),John Lennon (1940-80),Paul McCartney (born 1942),and Ringo Starr(Richard Starkey,born 1940),whose music and ideas became popular with their generation throught the world in the 1960s.
 メンバーの生年が重要。ジョンレノンのみ、(1940‐80)となっている。40年の生涯。

先輩格にビート族というのがあった。〈beat generation うちひしがれた世代の意。第二次大戦後のアメリカの反逆的な若者〉
 もう一つ、私らの若いころ、「ヒッピー族」というのがあった。〈既存の制度、慣習、価値観を拒否して脱社会的行動をとる人々。また、その運動。長髪や奇抜な服装が特徴。1960年代後半、アメリカの若者の間に生まれ、世界に広がる。〉

はじめてビートルズについて生々しい体験をしたのは、付属高校へ教育実習生として行ったとき。ちょうどそのころ、彼らが日本へきて、武道館で演奏した。大変な騒ぎだったが、正確に何年かわからない。昭和41年か42年(1966 or 1967)。中学生の教室で、ビートルズについて尋ねられて、慌てた。とりつくろうのに慌てた。なんの関心もなかったので。けれども、ここで、なんにも反応しないでは、馬鹿にされるので,いかにも親しげなことを言ったのを思い出す。役者じゃないので、心にもないことを言うのは苦しかった。特に、教生の場なので、神聖なる。

と、これでお判りでしょう。周りの学生の中では、ビートルズのビも声にして言う者も、聞くこともなかった。
 マッカートニーは私と同じ生年。また、数年上の加山雄三が、彼らとインタビューしたという記事を、内容は忘れたが、読んだ記憶はある。ヘエー、どんなことなんだろう、と興味と調査の気持で読んだように思う。

ここでいま言いたいのは、私のこと私らのこと。
 政治的なもの、大状況的なものにコンタクトしてこそ学生なのだという空気、それがすべてだったな。政治に利用されていたのかな。経済に利用されるように。なぜそんなことを言うかというと、大学をほっぽり出されるあたり、ただの空っぽだったから。ただの空虚。空回り言葉。そして、この空回りと空回り言葉の周辺で、その急所をつかむべく周辺に粘りついて生きてきたのが、自分だったのだろうな。

まあ、よくある話で、夢中でいるうちは充実しているが、状況が変って、なにといって充実させるものがないとき、見つからないとき、にわかに虚しくなる、というそれだ。よくよくある話。当人には、他人事ではない。一から自分の手で握りなおしに握っていかなくてはならない。簡単な解決方法はない。

ということで、今日まで来た。
 私らの学生のころにもある種の大状況があった、戦争のころと維新のころほどではないが。こういう状況では、「正義」が支配的となります。
 といっても、維新のころは、もっと実践的だった。具体的だった。正義をつくっていく過程だった。明治新体制ができてしまってから、国家が発する正義が日本中に行き渡るようになっていった。その頂点が大東亜戦争。大状況が支配的なときは、大理論もはやる。なぜなら、言葉が人々をつかんで動かしていくからである。言葉の力こそ、肝心要だ。これは、旧約聖書がいちばん率直に示してくれていて、集団の結束と倫理。

問題は、正義を発する元の所だ。ここが狭隘であったり愚かだったりすると、その支配下の者たちはとんでもない目にあわなければならないことになる。支配下の、とくに熱狂好きな若者たちは、前後左右がよくわからずに、わからないからこそ、集団のかかげる目標に熱中する。その行動力と集中力こそすばらしい。すべての芽がそこにある。が、かかげる目標がおかしくて、そのままついていった場合にはひどいことになる。

知恵は、行動からしか生まれないが、行動の最中からも生まれがたい。立ち止って前後左右を振りかえるとき、じんわりと生まれてくる。それが壮年老年にあたるだろうが、なかなか知恵は身につくようなものではない。あきらめたほうがいいです。

テーマはビートルズだが、青春をふりかえるうち、小難しいほうへ行ってしまった。
 ビートルズの歌は青春のもの。ひたすら楽しいもの。こむずかしいなんて馬鹿みたいなもの。だが、誰もが、日常という苦しみの多い面倒な所へ入っていかなくてはならない。

愛読するボブグリーンという、アメリカのコラムニストエッセイストが1980年の12月(ジョン射殺される)を回想して書いている。彼は、1947年生まれ。彼と彼の同世代は、全身全霊でビートルズだったのである。政治ではない。大状況政治とビートルズ熱中では、まるで噛合わないようだが、その場ではだめだが、お互い年ふりてみれば、同じ青春というものがあったのだと了承できる。――熱中。死をも恐れない大胆さ。果敢。無鉄砲――。熱中という青春の質においては同じ。

政治熱中、大状況熱中には、組織が介在し、言葉理論が介在する。ビートルズ熱中には、そういうものはない。感覚の心地よさがあるのみ。そして自発性。

さて、グリーンが、妙に力説することが一つある。私は、そんなこと半信半疑だが、グリーンを信用することにしよう。彼らの世代は、前の連中とも、後の連中ともはっきり違うんだそうだ。そこにビートルズがある。熱中の度合が違うと言いたいのだろう。

大人になることを頑強に拒否するんだそうだ。不思議なほど頑固なんだそうだ。グリーンは、ビートルズ音楽の力がそこにあると言いたい。ビートルズ音楽には、日常を拒否させる強烈神秘な力があると。

彼は、このことを、自分の空想ではないと言う。
 あの日、ジョンが殺された日、マスコミは、一日中騒いだ。しかし、彼らは騒がなかった。忘れかけていたビートルズのことを、音楽を、心の奥深く思い出していた。やがて電話が鳴りっぱなしに鳴り出した、長く会っていなかった連中から。グリーンも、電話しまくった。そして、みんなに、ある共通の同じものが生きているのを確認したのだった。みんなも同じように確認したのだった。ある決定的な世界を。

私がビートルズを聞いたのは、萩原へ帰ってから、三十近くなってから。音楽のことでは、別に言いたいことがあるが、ここはビートルズ。安物のコロンビアのプレイヤーで、彼らのレコード3、4枚を聞いた。それと岡林信康1枚。くり返しくり返し聞いた。いい音楽だった。いちばん聞いたのは、ラバーソウル。碁を打ちながら聞いたことを思い出す。相手も、口ずさむようになっていた。もっとも彼は、少し耳の遠い男だったので、付合ってくれたのだろう。

このときの経験があるので、グリーンの主張には、素直になれます。エネルギー爆発ふうの音ではない。心と感覚の奥へ、すっと入ってきておさまる音。しゃれた感覚の音。無垢な音。

いまは30を越している長男が、そのころ小学校1年生前で、知らず知らずビートルズの音楽を聞いていたことになる。こっちは、そんなこと一切わからない。岡林のジャケットに裸の女の小さな絵があったのをさして、「風呂に入っている」、と言ったのには、その意外な着想が面白くて。

あのころ聞いたビートルズの音楽が、あとで英語の勉強に役だった、と言う。これは意外だった。朝から晩まで聞いていたことがあったので、さもありなんか。だから、彼の英語は、幸せ。ものごころもつかぬうち、ナマの英語にいい音楽といっしょに触れることができて。

だから、幼児英語をやってみたい人は、ビートルズの音楽をそれとなく聞かせつづけてみては。ただし、即効はない。本物は、なんでも、こんなぐあいのものでしょう。

3月16日 傷 

春夫は今日、小学三年の卒業式が不安でいやだ。褒美がもらえる可能性が、薄いから。5人もらえる。各組5人ずつが呼上げられ起立することになっている。自分がその中にはいっているようにと祈り、待っている。さっきから不安なのは、どうも事前に告げられているらしいのに、春夫にはなんの連絡もない。ほとんどだめだけど、最後のひとりにはいっていてくれ、と諦めつつ救いを祈っている。

最後の一人二人を、あれとあれだろうな、と思い描き、ひょっとしたら代りになれるかもしれないと祈っている。はじめの三人は、ほぼわかっている。先生の受けがよい。悪たれをしない。候補の女の子は、みんないいとこの子ばかり。上品そうにしている。ここにははいれない。

春夫は、最後のひとりにはいれなかった。名前を呼ばれなかった。着席したままだ。5人がうらやましい。屈辱と誇りがまじりあって混乱している。
「僕だって」と思い、「僕はダメなのだ、頭が悪いのだ」、と行きつ戻りつする。だんだん、頭が悪いのだとする自己規定は、3割で、僕だって、の意地のほうが7割になってくる。切ない気持よりも、狂暴な気持が圧倒してくる。母にも、誰にも言わないようにしていよう。卒業式にこんなことがあったこと、秘密にしておこう。

春夫には、このときの屈辱が突き刺さったまま抜けない。来年を想像していやなのだ。このクラスは、来年も同じなので、また同じことが起きる。
「僕は着席組だ」
春夫は、やがて忘れて学校へ行く。けれども、やんちゃぶりがちょっとエスカレートしている。威張ったり、いじめたりする。前はそんなことしなかったのに。

1年前、2年生から3年生になるとき、母親が学校から帰ると、通知表を見せて言う。成績のことは言わない。春夫も、成績など興味がない。
行動の面について、盛んにお説教する。人の言うことを聞かない、というところが2になっているので、
「それみなさい、(言うことを聞かない)が、こんなに悪い」
春夫には意味がわからない、母がなぜ小言を言うのか。春夫は、良いも、悪いも判らない。物を盗んだわけではないので、自分のなにが悪いのか判らない。ただ母が盛んに小言を言うのは判る。おとなしく、みんなに好かれるように、先生からも好かれるようにすることなんだな、と。

春夫は、とくになにも悪いことをした覚えはない。母の言うことは、人のことを気にして、おべっかを言って気に入られるように、と聞える。春夫はやりたいようにやるだけ。母は、人をもっと気にせよ気にせよ、と繰返す。

春夫は、元気で明るく乱暴者であったが、4年の卒業式が近づくにつれ、いやな不安な気持になる。また、去年と同じことが起きる。面白くないな。けれどもこのことは、母にも誰にも言わない。
嬉しい知らせ。今年は、褒美が止めになったこと。その代り、全員が褒美をもらえること。特定の者の褒美は、皆勤賞だけになったこと。皆勤賞は、勉強の良し悪し、には関係ない。気持のいい褒美だと、春夫は、先生も学校も立派だなと思う。あのいやな褒美をなくして、立派だな。

春夫は、自分を決められることが、以来大嫌いになった。だから、人のことも、決めるのがきらいだ。100メートルを何秒で走ったかは、ハッキリしている。けれども、いい子か悪い子かはなんで決めるのだ。基準はなんなのだ。
小3の時の、褒美落ち経験は、春夫に教訓というよりも、傷としてその後何十年も続くことになった。

 野球と現実

「野球と現実」の題は、ボブグリーンのエッセイからそのまま取らしてもらった。これは、彼が少年野球のときの経験を書いたもの。ブレットという少年に起きたこととして話を進めているが、自分のことであろう。

9歳のとき、ブレット少年は念願かなって少年野球、リトルリーグに入れることとなった。3年来夢見てきたこと。球場入りして、出場できるのは、15人。
夜、練習に行く前、2時間前にユニホームに着替えて待つ。球場へは、定刻四十五分前に着く。ブレットの頭の中は、楽しい思い、夢でいっぱいだ。

監督は、誰よりも立派な人。すばらしい人。なぜなら、野球チームの全能者なので。ブレットは、目を輝かせ、信じきって彼を見ている。彼の指示を聞く。けれども、監督は、ブレットには関心がないようだ。体の大きなレギュラーたちのほうばかりに関心があるよう。
ブレットの母親は、この落差が気がかりだ、期待と現実が。ブレットはそのときをどう乗りきっていくのだろうかと。

チームのうち、5人は、1イニングだけ出場する。ポジションは、球が比較的来ないライト。もちろんブレットは、常時1イニングのライト。
両親は、子供の世界のことなので、口出しを避けているが、ブレットの気持を推し測ってはらはらして見ている。
あるとき、子供たちがいないとき、その点を問いただしてみる。監督は言った。
「チームは、勝たなきゃいけないんです。それが目標です。ですから、最強のメンバーを選ぶことになります。そりゃ本人は、もっと出たいでしょう。そのようにしていたら、勝てませんから、交代させます」

あるとき、監督の指示――ボックスでボールから逃げないように――に忠実に逃げないでいたら、玉があたってしまった。息がつまり、気分が悪く吐きそうになったけれども、我慢していた。ここまでやったのだから、次のイニングには出場させてくれると信じたが、だめだった。ブレットはベンチへ戻って行った。

またある時、球場には、事情で定刻に9人しかいなかったことがあって、ブレットは初回からダイアモンドにはいることができた。しかし、レギュラーが来ると、すぐ代えられてしまった。
ブレットは、ようやく、3年も見ていた夢と現実が違うものであることを悟るようになっていった。以前のように目が輝かなくなった、両親の目も。45分前に球場入りしなくなり、野球の話をしなくなっていった。

これがこのエッセーのあらまし。
両親の気持やブレットの期待と失望の描写が細かに表現されてある。テーマは、もうお気づきだろう、9歳にして学んだ挫折ということ。
誰でも、いつか、どの段階かで、挫折を学ぶ。敗者であることを学ぶ。グリーンは、これがよほどこたえた。敗者の躓きをバネにしていった。それが、普通の強者のエッセイストにしなかった。僻んではいない。アメリカでは、日本のような僻みや嫉みや甘えはない。前に向ってどんどん出ていく。けれども、彼には敗者や弱者に対する目が行届いている。その出発がここにあるようだ。

少年ブレットの無垢な思いが裏切られていく。期待いっぱいの息子の日常を目にしているので、両親は、思いはかって悲しかったろう。けれども、甘やかさなかった。それを教訓とするように導いていった。
グリーンはアメリカ文化に一般的な日向人間であるが、日陰を自分のこととして取り込むことのできる含みの多いエッセイストに育てていった。

最後にもう一つ。グリーンのこだわりは、高校のころに接したビートルズ音楽への態度と共通する。彼の世代は、前後の者たちと違って、大人になっていこうとしない、と。
この断定はグリーンには珍しい。そんなこと言えるのだろうか、とちょっと信じられない。グリーンは、ブレットの夢見と、ビートルズ音楽への夢見を同質のものと主張して頑固である。彼の人となりの核には、このことがあるようだ。是非善悪の彼方。自分で好きなように処置できない内部の執拗な生きもの。

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