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ダイアリー・エッセーbP2

目次 平成13年3月23日〜5月31日
05/31 南飛騨国際健康保養地構想 (岐阜県)
05/30 左の革新系に見こまれる。
05/28 エクセル関数  役場 ダットラ 鈴木大拙
05/27 漁協友釣専用区 カルロス・ゴーンと日産の話
05/25 カミさんの話の傾向
05/24 心境変化 稚アユ車 小泉総理
05/22 赤池町財政破産 
05/20  眠りに眠る 鑑札 地方の自立
05/19 グロリア・スタイネムさんが語る。(フェミニズム運動家)。
05/18 『Voice』六月号 地方「百年の計」
05/17 漁協、役場、稚アユ、死者。
05/16 鑑札。中村久子。北朝鮮から三人の娘さん。
05/15 予算委員会中継 懇親会案内 鑑札配り
05/11 初議会 田中真紀子外相 らい病
05/10 三好十郎 吉本隆明 武文翁
05/06 二日酔
05/03 しらけ、ニヒリズム、ビッグバン。
04/02 役場へ
04/30 文化教養の程度。下ごなしの、マネーの荒廃。
04/29 現代日本の開化 漱石先生
04/28 告知式。区民集会。
04/26 身辺に変なことが続いて起る。小泉内閣。ほんものニセモノ。
04/25 旧社会党、社民党党首たち
04/24 選挙 益田川住民会議世話役会
04/21 河島英五 自民党総裁選
04/20 マヤプリセツスカヤ
04/19 電話営業マン ポスター 新聞記者
04/18 撮影
04/17 中だるみ
04/16 日本経済についての討論 NHK
04/15 議員に立つ理由、考え、思想。
04/14 朝食 ハンドマイク ポスター
04/13 選管 収入役 巨額負債
04/12 役所 Т市役所の中枢 ポスター
04/10 体じゅうの不快感
04/08 例祭のための組の会合、新年度の発足。
04/07 面白い小説
04/05 巨大負債。ジョン・グリシャム、「パートナー」
04/01 町内瓦版
03/29 電脳短歌2
03/27 電脳短歌
03/27     々      3
03/25     々      2
01/
03/23
16歳の神経症だあー

3月23日 十六歳の神経症だあー

振りかえってみるに、この時から今に続く何かが始った。
始りは、内蔵打撲。
一年生の八月、卓球の合宿で講堂の拭き掃除をしていた時、雑巾を床に置いて四つんばいで前に向ってスピードをあげた時、ちょうど、ネットのポールのカドに左の背中を打ちつけた。ウッと苦しくて動けなくなったが、やがて自力で起きて、練習をはじめた。やがてトイレへ行きたくなって、小便をすると、パッと鮮血がとびだしてきた。びっくりして、なんだろうと思ったが、誰にも言わなかった。そのうち忘れてしまった。

二学期が始ってしばらくすると、背中がむず痒くなり、なんとなく体が重くなった。けれども、若さの馬力だろう、たいして気にとめずにいた。すると、だんだんむずがゆさが頻繁になり、だるくだるくなった。トイレが近くなった。一時間で、また行きたくなることもあった。
今度は、気持が不安定になった。いろんな事を気にするようになった。とくに、勉強のこと。点数が真中ぐらいで、どうしても上に行かない。上に行きたいので、行かないと自分がその程度の人間になってしまうと思いこんでいるので、何とかしたいと焦るが、点数はそのまま真中あたりにいる。ますます気が焦り、不安定になっていった。上位のものが羨ましくとしょうがない、いらいらと羨んだ。

そのうち、奇妙な思いにとらわれて不安になり、そういう自分が変な奴に思えてますます不安になっていった。その一つに、天草四郎がある。四郎と史郎、これだけの事に恐れ出した。なんでもないこれだけのことが不安でならない。ただ名前だけだ。その時間がきたら、日本史の先生が、必ず天草四郎は、と説明をはじめるに違いない、そのことに一ヶ月も前から過敏になってしまったのだ。一日一日、その時が近づくのが苦しい。意識すると苦しさが加速し、心臓の動悸が速く重くなる。

もう一つある、顔が赤くなっているんじゃないかという不安と恐れだ。天草四郎といい、赤面といい、なんでもないことが、当人には重大なのだ、意識するとそれが全部となっておしよせ圧倒してくる。ともに、いったん意識すると、もうどうにもならなくなる、緊張が増すばかりだ、そういうときは、この嵐が静まってくれるのをじっと待つしかない。過ぎ去るのをじっと待った、その恐怖、息苦しさ、恥かしさ。

これはずうずうしさの対極だが、かなりの神経病みなので、今度はこの逆をやろうとする。とりつくろうために、横柄に見せようとし、実際見せてしまう。始末に困るしろものだ。
この時の過敏と不安は、後からも時々出てきて困らさせられた。
この時の内臓の傷に結核菌がつき、結局摘出することになった。

03/25 

問題は、この過敏な心の病気、神経病、ノイローゼだ。その後ずっとこのことを考え続けているが、はっきりと解決したわけではない。なぜこんな奇妙な意識にとらわれるようになったのか、いまだにわからない。だが、今その一つの解釈をやってみる。

父は六つの時亡くなり、以後母と祖母に育てられた。僕の母という人は、人生的に悩む人であり、そういう考え方をする人だった。生活中心の人ではなかった。まあ、複雑に、余分に、どうでもいいようなことについて考える人だった。彼女は、ある種の理想を語った、ある種の道徳を語った、ごくありふれたものであったが、戦後の時流とは合わなかった。

僕が、高校でまのあたりにする世界は、彼女の説く美徳とは違っていた。それは競争が第一の目的であった。勝って上にあがることが、第一の美徳であり目標であった。勝って威張れることがうれしい。だが、威張るなどということは彼女の説く徳目にはなかった。正々堂々と生きよ、みんな仲良く、きれいな心で生きよ、と言う。実際は、なんでもかんでも、あがることがすべてだった、点数が上がれば、すべての何かが始るはずであり、上がらず、下がるようなことになれば、ダメな人間ということであった。いや、一年の時、こんな断定は誰も下さなかったが、僕はそうに違いないと自分で解釈してしまっていたのだ。点数の上位、という事が全ててはないと自分ではちゃんとわかっていたが、これも、四郎や赤面と同じで、僕の思い込みの中に入り込んでしまっていたのだ。

母は、徳目を説くことにこだわり続けた、これもある種のこだわり病なのかなと思う、そして息子のこだわり、神経病には気づいていないようだった。息子に、得意の人生観を説き続けた、喜色をたたえて。息子が、自分の現実の矛盾に金縛りになっていることにも気づかずに。

僕は二年生になって、望んだわけではなくて、進学コースにはいっていた。成績で一方的に分けたのかもしれない。
さてこの世界は、まさに点数の世界だ。誰もが敵のような世界だ。点数が上がって、ランク上位の大学にはいること、それがこのクラスの目標だ。これ一色だ。

03/27

だが、この時に、奇妙なことが起きた。母の説く美徳が効いてきた。すぎた。点数に左右される自分は情けないじゃないかと。自分は自分じゃないかと。点数などは、外面的な一部の規定じゃないか。そんなものに振りまわされるのは情けないじゃないかと。だが、一方で、ひりひりとして点数が上がりたいのである。東大に行けるほどの頭があればなあと夢想するのである。矛盾だ。点数と東大を気にする自分がアホらしいのに、そうと知っているのに、そこにこだわってひりひりしている。母の説く美徳のゆえに、かえってひりひりと、びくびくとおびえるようになって行くのだ。もし知らなければ、もっと伸び伸びと生きたろうに。矛盾に過敏になることもならなかったろうに。

その後、この時の矛盾と悩みは自分をどういう方向へ連れて行くことになったか。ある決定的な方向を見つけ、結局ずっとそれにこだわり続けてきているのだが。いつまでも成就されないでいるのだが。

それは、自由ということだ。
ひりひりと右往左往してラチが開かない、何とかここから脱出したい、自由になりたい、おおらかになりたい、とそう願っても不思議ではないだろう。優越感にひたりたいけれども、そのすぐ足元で劣等感にさいなまれる。こうした感情も点数も、結局相対のものなのだ。いつまでもキリキリマイさせられる世界なのだ。ならば、何とか、自由になれないか、死なずに、この世にいて、欲望も楽しみもそのままに、世間からも自由に、経済からも政治からも、人のまなざしからも。

と誇大妄想するようになって行った。いや、こい願うようになっていった。実際には成らないけれども、この願いそのものは現実だ、現に自分に生きてある願いだ。

さて、こういう精神傾向は、ある副産物を生むようになっていった。自分に対する、人間に対する外面規定、外側からの締付け、に敏感になるということである。
そして外の世界に否定的に敏感になるということは、現行の社会、世間、日本、地球に対して懐疑的となることだ。学生の頃なら、流行の左翼に。学生運動に。その他その他に。

しかし、ここで一つ都合の悪い事が起きてしまう、そう願わないのに。
それは、懐疑的となる自分に対してまでも懐疑的となってしまうことだ。世の中うまく行かないものだ。そのように世間を見る自分は安全圏において置きたいのに、自由な頭はそれを許さない。懐疑的となる自分を、安全な見物人にさせない。
はい、結論。そういう自分を、不安定でも、いやな奴でも、抱きとめてつきあって行くのだと、引き受けるしかない。決定的な嬉しい光は、はるかに遠いけれども。

3月27日 火曜日 電脳短歌

ネットの日記ページは、文字表現の好きな者、それを厭わない者の集りだ。風俗嬢の日記というものがあって、そのごく一部の人が公開している。達者な文が書きつらねてある。その楽しげな表現を読むと、だんだん、こりゃ文が好きでそれを書くために冒険をしているんじゃないかと思えてくる。

電脳短歌の集りがあるということを、さっきテレビで知った。これは、ネット上での短歌の集いだ。散文と違って、表現されているのは、感覚そのものだ。
加藤という高校生の短歌が、ストレートでおもしろかった。俵万智の短歌を想い出した。それよりもっとストレートだ。言葉で濁らされていないということかな。言葉を浴びるようになると、言葉の組合せのほうに関心が行く。ストレートな表現ができなくなる。この高校生も、どっかで言葉の渦巻に巻き込まれるときがくるだろうが、複雑なものをストレートに表現するのがいちばんの快感だろう。

また逆に、四十代になっても、十代の単純明快さで表現していたらおかしい。だから、その時の課題は、複雑な陰影を単純明快に,すっきりバッサリと表現できることだろう。

今日は、昼頃、彼女だったら表現してみたいような、なんとも言えない苦しい感覚にぐるっと巻き込まれて息がつまっておったけれども、これを表現するという習慣が僕にはない。もし短歌で表現するとしたら、歳相応の奥行がなければつまらない。
老若を問わず、カチンと肉体と響き合う言葉を生み出せたら最高だ。

3月29日 木曜日 電脳短歌2

飲屋から電話がある、めずらしい。一ヶ月ぶりか、外に出る。小雨。はいるとやっぱり閑散。二人、年配者。ひとりはここで、よく会った人。
マダムと話す。七八年前が懐かしいと。活気があった。客も店も。マネーも。今は、なんだか、いわゆるゴーストタウンの感じだ。人間がぬけがらを着ている。いのちが張っていない。だから、全体がぼんやりしている。日本中もか。
良寛さんの言葉、死ぬ時は死ぬがよかろう、地震がくればくるにまかそう、と。でもこんなぐあいには行かない。しがらみがある、連帯がある、責任がある。

枡野浩一なる若い短歌人のテレビを、二十七日に見る。アドレスを検索してみると、出てきた。立派なページが。
いっちょう作ってみるか。二首を即製し、掲示板に送る。すぐ載る。
数えてみるに、四時間ほどの間に、十八人が出た。多いのか少ないのか。全国放映にしては少ないんじゃないかな。

歌づくりの、彼の原則がページにあった。五七五七七を守る。自然な言葉づかいにする。散文のように。文語体にはしない。彼は、文語体の混ざった表現、感覚はまったく理解できないと強く言っている。以下は、作ってみた歌。これなら、気楽にできそうだな。

僕たちのあの頃はぐいと構えていた
言葉に競いの鎧をまとい

無防備で立つ若者の三十一文字
すぎさった時の刻印を見る

のうちゅうにモルヒネが出てくるという
ちがうフェロモンだと否定される

以下に彼のもの数首。さすがである。

こんなにもふざけたきょうがある以上
どんなあすでもありうるだろう

毎日のように手紙は来るけれど
あなた以外の人からである

かなしみはだれのものでもありがちで
ありふれていておもしろくない

靴下のたるみをなおす要領で
俺を肯定したい日もある

3月30日 金曜日

きのう、会議が終ってから

円卓の会議の背後谷川の
朱のうおのことばかりをおもう

定年まぎわのOL二人に挟まれて昼飯を食う鮭

4月1日 日曜日 町内瓦版

寒い。また冬に逆戻りだ。からだがちぢんでしまう。不景気やらなんやら、町の中が元気ないので、この寒さはこたえる。不況は来年あたりピークになるか。それまでもつか。ドカンと大きいやつがくるんではないか、どうも無気味だ。重苦しい。

町会議員選挙には重大関心があるが、どうも定員までいっていないという話だ。元気がない証拠だ。引込み思案になってしまっている。過去三期続けて選挙がない。異常事態、非常事態だ。自分には町内政治は、この選挙でしか身近なものになってこないんだが、それが、選挙なしでは、つんぼ桟敷が十三年目にはいることになる。

はぎわら民報、の内容が突き刺さってくる。町民の不満や怨嗟の声がこれほどなのはじめてではないかな。みんな神経が鋭くなっている。まあまあにする余裕がなくなっている。
十億円の温泉交流施設案は、この時期なので困ったものだ。関係者にはマネーが回ってけっこうなのだが、あとまたじをどうするのかな。時期が時期なので決行するということなのだろうが、時期が時期なので、よくよく慎重にかからなくてはならないはずだが。

国政の破綻、断末魔が近づいてくる感じでぶきみだ。
企業はもちろん政治家も、マスコミも、うろうろになっている、誰かがやってくれるだろうともたれている。そして生殺しのような毎日が続く。

瓦版
粘土に文字・絵画などを彫刻して瓦のように焼いたものを原版として一枚ずりにした粗末な印刷物。江戸時代、事件の急報に用いた。実際は木版のものが多い。広辞苑。

4月5日 木曜日 巨大負債。 岩波『図書』。パートナー。

寒い日が続く。お客もないし、昼まで布団のなか。一時過ぎに昼食。自分で食パンを焼く。コーヒーもたてる。住民会議のことで、漁協へ行く。理事長もいたので、参事と三人でちょっと話す。小坂出の新理事長とは、考え方が似ているので、話の通りがいい。この二十年で、こんなことははじめてだ。県の建設事務所主催の住民会議といい、このところ何かが急展開している。

国中の閉塞感の中、これらの空気は気分を軽く明るくさせてくれる。
だが、今度の町会議員選挙と、はぎわら民報が伝える町財政のずさんには気分が重くなる。百四十億の負債とは、どういう事なのか。詳しい事がわからないので、よけいに気分にこたえる。百分の一の利子でも、一億四千万じゃないか。この不況で、ただ事ではない。

夜、ちょっと飲屋へ寄ったら、町の職員らしい若者たちが十人ほどもいた。巨大負債の事が頭にあったので、マダムに、町は大変だから予算が出ないだろう、と話を向けたら、自前らしいよと言う、ここ数年の傾向だと。

下呂の本屋へ、エクセル関係を探しに行く。
が、買ったのは、ジョン・グリシャムの『パートナー』の上。話に、そのベストセラーぶりを聞いていたので、ひょっとしたら読めるかもしれないと。期待は薄いが。

本が読めない。馬力がない。去年の三島由紀夫で終りかな、とちょっとさびしい。代りに、一冊百円の、大手出版社の書評雑誌を読んでいる。なによりも薄いので。気が楽なので。だが、いいものがある。百円なのでニンマリする。『図書』四月号には腹がふくれたよ。

「野上弥生子の恋」、岩橋邦枝。「命のまなざし、その無言」、森崎和江。「書き言葉について」、柳沼重剛。「イヌと人とのいい関係」、今泉吉晴。「ハモる」、岡村喬生。「(内面)というものはない」、関川夏央。「永遠の青年詩人」、三木卓。なんだほとんどぜんぶじゃないか。今月号は充実していた。百円ですよ。文は中味だよ、まったく。

4月7日 土曜日 ジョン・グリシャム 面白い小説

きのう、深夜にお客がある。朝食準備。
病院へ行く予定がだめになる。で、『パートナー』を読んでみる。すぐ疲れて寝る。夕方起きてまた読んでみる。
これを買った目的の一つは、訳文に関心があったので。ベストセラーになったからには、訳文がいいはずなので。訳文、日本文に関心があったので。自分のサイトの文に迷っていたので。

以前、フォーサイスの本を読んだことがあった。面白すぎて、というか、途中でいやになってやめた。『パートナー』もおもしろく書いてある。ぐいぐいと引張って行く。けれども、おもしろすぎるなあーと思い始めると、ぐあいが悪い。感心するのは、白石という訳者の感覚だ。訳文に無理がない。新鮮な日本文という感じがする。

鱗友会では、日曜日にアマゴ釣り大会がある。自分は体力の関係で、とても行けない。この日の夜、祭常会。
月曜日に、選挙の説明会がある。行ってみるつもりだ。カメラも持参しよう。
どうも盛上がらない。しらけている。熱がひきこもってしまっている。これでも、選挙戦になれば、熱くなるだろうが。シラケとトジコモリとフシンになれば、いやな日々だ。
原因の一つに部落対抗戦でなくなったこともある。立候補が任意になった。だから、当人が任意に辞退もする。また、選挙をしてまで出る義理もなくなっている。

利害が熾烈になったり、思想が突き動かすことにでもなれば、熱心な選挙となるだろうに。何かの団体が推すという話もない。全体の雰囲気として、選挙ぎらいになってしまっている。けれども、選挙はしなくてはいかんとほとんどみんなが言う。重苦しいムードだ。

『パートナー』は、やっぱり読めなくなった。肌合がよくない。面白く書いてあるんだが、のれない。残念。あしたの楽しみにと期待していたのに。
だいぶ前の話だが、正宗白鳥が面白い小説はないかないかと嘆いていた。つまり、これは、彼の日々が面白くなくなっていることの嘆きだ。明日を生きることへの。

4月8日 日曜日 例祭のための組の会合、新年度の発足

去年もこの日のことは日記に書いた。今年も同じ、消防詰め所で。去年と違うことは、予算の関係でここの消防自動車の購入と詰め所の立替が延期になったこと。町会議員選挙の話で、まだ定員に二人足りないこと。けれども町会は成立するとのこと。
九時を過ぎた時、まだ早かったが、祭に呼ばれていたのでここを出る。

その地区の祭には、十年ぶりだな。同年齢の者が三人いる。ぜんぶで五人で話す。話は、軽い話ではすまない。そういう年齢ということ。
帰りぎわに、自分が議員に立候補するとした場合、次のことを任務とすると言う。

その一。巨額の町負債について、解決の方向と処分について取組む。これは、新しい者でないとメスを入れられないだろうから。
その二。いまよりもっと町の動きについて情報を公開すること。現状の町の公開情報は、解りにくい。
その三。町と町民の、新しい生き方を模索する。このことには、東京が、政府中枢が、混迷に陥っている。政治家も学者評論家マスコミも迷いの中にはいっている。これを、自分たちはあなたまかせにしない。町と町民にこんな難題ができるわけがない、と言われても反論はできない。だが、いまは、頼らずに、自分の手足でなるべく模索すべき時なのだ。直接の成果はないかもしれないが、その姿勢が町と町民の着実でやる気にあふれた明日を創っていくことだろう。人材を輩出して行くことになるだろう。

一と二は、実際問題であり、三は思想である。一と二も、三に裏打されたものとしてやる。目に見えにくいけれども、思想が肝心なのだ。

4月10日 火曜日 体じゅうの不快感

昨日、説明会に行ったあと体調がアンバランスになっておった。興奮はなかなかやまないでいたが、それでも一時か二時には眠ったらしい。三時間ほどの睡眠。目が覚めて眠れない。心身の不快感におそわれる、圧倒される。ただ耐えて横たわるのみ。うつらうつら中で考え続ける。この正体はなんだろうと。不快の中で考えるのはイヤなものだ。厭世観がはなれていかないので不快だな。

きのう、自分が矛盾のまっただなかに置かれて逃げようがなくなった。これだな。ほんわりした保護膜がむしりとられて、ムキダシで立たされている。日本の矛盾と同一同時のものに向きあわされている。日本沈没と解体の危機に。だが、いま入力していると気持が楽になってきた。入力と表現がクスリなのかな。

我家と我なりわいとを見てみてみるに、権力と財からのおこぼれの末端にいても、分け前はあった。そのおかげで暮しが成立ってきた。それがいまや崩れてきている。だから、説明会に行ったのだ。パンを求めて。だがここで、矛盾のムキダシの前に立たされる。町内の権力が、もう余裕がなくなって、その分け前を少数で分配するようになった。自分はそれに正面から向きあわさせられることになる。そのムキダシの、ロコツな対立亀裂に。

日本そのものが、ついに、国民にうまく分配できなくなった。日本の宗教たる、信頼教の崩壊だ。これが不快で耐え難い。
権力の醜悪をあばかなくてはならない。それが仕事になる。それが給与の源だ。いやなことだ。日本の断末魔じゃないかと不安だ。いよいよ日本共同体の分裂崩壊かと。ぶん取り合戦の開始かと。うましくに大和の美風の踏みにじりかと。

義兄と話すに、彼はもう余裕がなくなっている。爆発寸前だ。パイの分け前にあずかれないことへの不満爆発だ。日本共同体内で、先鋭対立と爆発寸前だ。
これの回避。直視しての回避。明日を創って行くことへの模索。この姿勢をとりつづけようとして行くことが、唯一の救いか。

営々としてきた戦後民主主義の崩壊。その幻想の墜落。あとに残るのは、不快感のみ。失望絶望の不快感のみ。
だが待て、気をとり直して、明日に向って歩き出してみろよ。

4月12日 木曜日 役所 Т市の中枢 ポスター

急に暑くなる。だが、余裕がなくて季節の変りを賞味できない。頭の中ばかりせかせかとあわただしい。
住民会議の世話役のことで、建設事務所の河川砂防課に電話するが通じない。一時間ほども。じりじりして苦痛なので直接に面会すべく、十時ごろ出かける。
言うと、そうですかと新任のK担当者が驚く。電話がおかしいのではないかと。じゃ電話してみましょうと、ここの電話番号にかけると、呼出音が鳴る。おかしくないですね、と。まあいいや、とうながしてテーブルに合い向いでつく。事務所内は雑然としている。こういう雑然さには慣れていないので、なんとなくそのざわざわが響きあう感じだ。彼には独特のすっきりした雰囲気がある。相手の主張の必要な部分だけ上手にとって選分けて反応しようと構えている感じ。

で、ちょっと必要でない部分を発言してにおわせてみようかなという気になったが、この際やめた。だが、つい、もやかしの発言が混じりそうになる。僕は人間だからな。
世話役が集るようにと指定された日は、告示日ですが、出席します。が、そういう日だと念頭においておいてください、と。この用件だけで退席するのも、味わいにかけると思ったので、世話役のことや、住民会議のことを、なんやかやとりとめなく語る。彼は、じっと僕の目を見ている。大きくまっすぐに見て、上手に理解しようと努めている感じで好もしい。が、ちょっと窮屈な感じかな。

夜、二月十日のレトロ写真館で紹介していたひとから電話がある。ああ、元気な声で安心しましたよ、と。ページを見ていて、このあいだの説明会のところで、大変な様子なので。彼は、いま、東京Т市役所で、中枢にいると。千五百人からの職員の。ヘエーと驚く。こりゃ大変なことだな。千五百人とは大きい。負債のことですが,あれは,ちょっとひとことでは言えないんですが、交付金のこともあって、複雑なんですよ。ですから、慎重に、という意味のことを彼は言った。

なるほど、そうだろう。今日、役場へ行って、聞いてみよう。それから、場合によっては、はぎわら民報、のA氏にも聞いてみよう。

夜、電話しておいたので、Kさんが来る。彼も候補予定者。僕は率直型で、彼はもやもや型だ。彼の地は農村風景なので。反応が複雑微妙で、日本独特の感性なのかな。仕事は営業なのだが、農村ふうが混じって苦しげなのだが、彼は、そこで鍛えられている感じなのだが。

ポスターの話。自分の場合肩書はどうかなと並べて言ってみる。名古屋大学文学部卒。益田川漁業組合 班長。益田郡環境衛生同業組合役員。岐阜県旅館組合 理事。益田川住民会議世話役。並べてみるとものすごい感じだが、ぜんぶ素朴だ。この中では、名古屋大学が素朴ではない。自分としては、権力も財も地位もないが、この大学にはそれがあると見られ、恐れられ、羨ましがられる面がある。
彼は、大学は載せないほうがよい、漁業組合班長だけがよい、と言う。どうも、驚く。しかし載せないのも不自然だし。東海地方じゃ、この大学の威張りの感じが好かれないのだということだろうな。そんなものかな。

4月13日 金曜日 選管 収入役 巨額負債

昨日、役場へ行く。助役に会って負債のことを聞くことと、選管で車のこと、ポスターのことなどきくために。出がけに、近所の印刷会社社長にポスターの件で電話する。なにぶん不慣れなのでよろしくと言う。役場でも、事実としてそうなので、腰をかがめるしかない。こっちのヒガミか、なんだか珍しいものとして見られている感じがしないでもない。

選管が終ったあと、助役に会いに行く。受付さんが、助役はいないという。収入役ではと。よろしいですと言う。
収入役も助役も、益高の、後の同級だ。(病気で一年遅れたので)。彼とは、はじめて話すのだろうな。
用件を言うと、四十代の張りきっている担当者が来る。三人テーブルにつく。

A議員の言う百四十億の負債についてきくのが用件。
彼は、こっちのシロウトを承知の上で説明する。なるべくわかりやすくとやってくれる。
すると、たちどころにわかったことは、百四十億が、我々の常識の中のものではないということだ。それがそのままのものなら、やはり、その額は、ムチャクチャのものになってしまう。国も県もそんなことは許さないようになっていると。
そのうち九十八億が、国からのものだということ。国が補償する負債だということ。これでひとまず安心した。だが、国は、全国に大盤振舞いをしているわけなので、大丈夫かな。しかし、そこまでは、この際問わないこととする。

じゃ、町のいわゆる我々の常識上の負債はどうなのかと訊く。それは、ざっと六十億だと。なるほど、どう判断すべきか、大きい額なのか妥当なのか。今は自分にはわからない。ともかくこの額は、我々の借金と同じなので、その元利を返済していかなくてはならない。黒字になってこそ返済できるので、ここ数年のような不況では返済にまわすマネーに苦慮しているのではないか。と、僕の常識が判断する。

税収などの縮小で、返済が予定どおり行かないとしてどうするか。町の通常の出費は削るわけにいかないので、結局はまた借金するほかないのではないか。これを、自転車操業と呼んだんじゃないのかな、どうだったかな。あるいは、タコが自分で自分の足を食うとか。

借金して借金を払うということは、自分など腹の小さいものには、とても苦痛だ、心臓に悪い。まあ、町も、我々町民も、同じだということだな。右肩上がりのうちは、のんきに構えて威勢がよかったが、幸せだったが、ここへ来て、急激に不幸であるのだと思い知らされだして困っている、途方にくれている。敗戦後からずっと半世紀にわたって右肩上がりに慣れきっているので、どう対処すべきかおろおろだ。僕も町民も、役場も、国も、政治家も、学者も、マスコミも。一億人もが。どうも困った。なんとかしてくれ。

いや、この姿勢がいかん。誰かなんとかしてくれるだろうがいかん。僕も、町民も、町も、あなた任せではダメなのだ、今は、自分の手と足と頭で工夫していかなくては。
と、最後にきて、僕もなかなか立派なことを言うもんだと感心する。借金はリアル、言葉は自由勝手だが。

4月14日 土曜日 朝食 ハンドマイク ポスター

朝食。どうも、腹が変だ。腹が減らない。いつもは、朝めしはうまかったのだが、どうもおいしいという感じが出てこない。じゃりっとした感じ。
きのうは、久しぶりお客があった。朝、カミさんが起きるのが遅かった。時計があっていなかったと言う。ゴオゴオーと低い声で怒る。大急ぎで用意する。六時半に五分ほど遅れる。
朝食を用意したあとの食事は、いつもなら楽しみのはずなのに。

リンテンさんへ、川の工事の立会いの件で行く。どうも、なんだか彼の様子もいつものようでなくなっているかな。オカミさんは、つやつやと元気だが。彼は、カミさんに向って、軽くしゃべるな、という意味をこめて、ゴオゴオーとうなる。
選管に電話して、車のことできく。ついでにそのほかについても。彼は、歯切れよくラクにしゃべる。うらやましい感じ。
正味の書類はごく少ない。
高山まで用事で行く。ついでに、PC関係を見て歩く。新ビルダーとデジカメの達人のセットで、一万円ほどだった。安くなっている。

夜、漁協のBさんに電話する。氏が所有のハンドマイクのことで。ます釣り大会の時に僕たちが釣り人に向けて、呼びかけに使ったのは、ありますかと。もし適当なら、ちょっと見せてもらって使いたいのですがと。よろしいと承諾してくれる。明日、それを見に行く。

ポスターの件で、義兄のところへ行く。掲示責任者というものについて説明する。なってくれるよう頼む。見本のポスターは、写真いりでカッコよく作ってある。まずピンとくるのが、マネーのこと。こりゃ、高いだろうな。

4月15日 日曜日 議員に立つ理由、考え、思想。

Kさんがひとり連れてくる。彼とは、ずっとしゃべりあっているので、いつもの調子だが、連れの人はちょっと驚いたろう。はじめて聞くことだったろう。感覚、新しい感覚が大切、待たれているのだ、という点で意見が一致したので嬉しかったな。
今日話したことは、すべて、日本と地方の過去と現在と未来にかかわる要点だ。そして、自分が議員に立つ理由だ。これは、街頭でもしゃべる内容だ。追々とホームページのなかでも触れていくが、すべては、今までに、まとまったかたちではないけれども語り表現しているはずだ。

その一、日本のこりない悪癖。
その二、アメリカ流消費中心思想からの脱皮。
その三、萩原町からの人材輩出。(これは、通常の意味での能力人の育成とはまったく違う。まあ、簡単率直に言ってしまえば、新しい感覚人、ということである。物事の考え方、とらえ方において新しいということ。これは、東大入学とか、そういうことではない。ごく常識レベルの、誰にもわかるレベルでの感覚を取戻し、養うということだ。こんなことを、わざわざ言わなければならないほどに、今の日本は、感覚の常識がねじれてしまっているということだ。)

政治と政治界の姿をだに見れば、いやになるほどにまのあたりにさせられる。非常識が非常識としてとめられなくなっている。大学出のエリートたちばかりの集団がだよ。わけげわからん。日本がこんな姿になってしまっていることなど、考えられないし、考えたくない。だが、もはや事実なのだ。
ここからの出発だ。東京にまかせておれない。自分たちは自分たちの常識で、あなたまかせにしないで、明日を創っていかなければならない。
そのことができること、そのことができる考えられる者たちを創り出すこと、それが僕の言う人材の輩出ということである。

彼が、帰りがけに言った、大坪さんが議員にたつということ、今日はじめて知ったと。
Kと僕は、仕事として、名誉職としてではなく、議員に立つ。二人は、いま、萩原が必要としているはずです、と言う。

4月16日 日曜日 日本経済についての討論 NHK

夕方四美の山へ行ったので、夕食後、ぐっすり寝てしまう。起きると、テレビが経済のことをしゃべっている。どうやら、、いつもの、軽薄な、政党間の討論ではない。言っている内容に実質があるようだ。聞耳を立てる。起き上がる。
政府、学者、大企業のトップ、中小企業の経営者、ベンチャー企業の代表者。細かいことはわからないが、方向はつかめた。以前には、こうも真剣に、こういう話には聞耳を立てなかったのだが、議員立候補を決めているので、真剣みが違ってきた。

いちばんの方向は、いよいよ、決断によって荒療治をしなければならないということだ。ソフトランディングを、ここ十年やってきたが、もう限界だということなのだな。
金融界、建設土木界、サービス業界、卸小売業界。ここが苦しんでいる。これらにメスがはいるということだな。その際、失業だ。失業者に対する政府の手当が必要だということ。ほかってはおけないという話。

と、同時に、日本経済再建に向けての、新しい姿勢と方向。ともかく、いよいよ荒療治が始る。そして、従来の、施策がはっきり見なおされ、そして、模索。模索。模索。日本国末端のこの町も、おなじく模索。規模が小さいぶん、出発も身軽にできないか。あるいは先んじて。

4月17日 火曜日 なかだるみ

定休日。午後印刷やさんが来てポスターについて話す。下呂の二年前の話。デッドヒートだったと。町長選のしこりが残っていて激しくなった。三人ほども落選した。
だが、萩原の場合ネツがとぼしいことおびただしい。それはこうだ。
九日の説明会には十三人きた。新聞では十三陣営がきた。自分もその中にはいっている。定員にひとり足りない。次の日かその次の日に、二人書類を持ちにくる者があった。計十五人となり選挙だ。

ところが、事情通からの話では、ひとりは確実らしいが、もうひとりはへっぴり腰だと。九日に来なかったのであるから、覚悟に足りない者があるのだろう。まだ、この話の決着はついていない。なんとなく情けない話で、こっちの気力も失せてしまう。そんなピリッとしない者とは選挙を戦いたくないし、また無投票となる公算が高い。いづれの場合も機先をそがれることはなはだしい。
それなら、変った選挙戦をやってやろうという気になる。張合いのない選挙じゃ、気力も力もわいてこないので。何か面白いことをやってやろうと。

例えば、夫婦だけで、ポチポチ歩こうかと。のんびりムードで。つまり悲壮感のまったくない選挙。車も拡声器もシロウトくさい様子で。

下呂の選挙は、町長選がらみで、二期続けて激しいことになっている。悲壮感あふれる選挙だ。これをくぐってきているから、議員はたくましくなっているだろう。
そのポスターはべらぼーに高い。俳優のポスターのようだ。僕はとてもそんな余裕がないので、中間のにする。

久しぶりで、お客さんがある。六人。八時までに夕食を用意する。
終ってからトタニさんのところへ行き話す。彼はキリン缶ビール。僕はサントリー発泡酒。
話に、熱がこもってこない。

4月18日 水曜日 撮影

昼、三時ごろ、下呂まで出かける。出がけ、リンテンさんの前を通ったとき、中に米やさんの姿が見えたので、つかつか中へはいる。ワイシャツにネクタイ姿なので、みな注目する。
姿勢を正して、このたび萩原町全国区より立候補する〇〇〇〇ですよろしくと言う。すると中にいた者たちがニャッとしてまんざらでもない表情を見せる。

印刷やさんにつくと、社長が待っていた。階上に案内される。予想以上に大きい。三十数名いるという。撮影室にはいる。驚く。ライトが二機あって本格的だ。
さらに驚いたのはカメラだ。ニコンの、五六十万もするデジカメが設置してある。こういうカメラは、プロが使うものなんですねと感心して言う。すると、撮影者は、レンズが高くてと応じる。
三、四枚撮る。

五時まで横になって休む。それから仕入に。二人なのであわてない。五品つくる。

4月19日 木曜日 電話営業マン ポスター 新聞記者

昼、高山まで行くつもりで玄関を出たとき、若い営業マンとばったり会う。名刺を見せて、電話についておうかがいしたいと。やりとりしていると、どうもラチがあかない。話が急所に来ない。どうも話がわからん、いったいどういう用件なのだ、と言うと、また説明をはじめるのだが要領を得ない。
話がめんどうなので、こっちから、さしあたって自分のニーズは、ファックスと携帯だと言う。そうですかと、またぐにゃぐにゃ話はじめる。どうも彼は、話をぐにゃぐにゃさせて急所にこさせない天分を持っているのかもしれない。

だんだんとわかってきたことは、彼が新入社員だということ、だから、はじめてのセールスらしい。教えられたことを忘れないで復誦している感じだ。彼は、電話を売りたがっているらしい。出身は関西方面とめぼしをつけていたところ、三重だと。結局、一時間近くもやりとりしていたので、高山行きは中止にした。
さて肝心の電話だが、帰りがけになって値段の話になる。べらぼうに高い。保守点検もはいってだと彼は言うが、高すぎる。どうも彼は、場違いな所に来たようだな。

印刷社長がポスターのゲラを持ってくる。しろうさん、カラーにしないよ、仕上りが違うので。値段は、これこれにしますからとだいぶ値引する。そこでこの際、見る前に、その話にのることに決心する。写真については、ちょっと気になるところもあったが、三四枚しか撮らなかったことだし承諾することにした。細かいことをいいだしても、自分だけの主観かもしれないので。

夕方、夕食準備をしていると、記者から電話があって面会したいと。いま、手がはなせないので、六時半すぎにしてくれて言う。七時ごろ、その人は来る。
三十ちょっとすぎか。目に光がこもっていて、やる気十二分とみた。さっそく本題、選挙について彼は質問する。話が急所にくるので、なかなか詳しい、たいしたものですね、と言うと、彼は、十年この仕事をしていますから、とちょっと気色ばむ。

取材されるのははじめてだな。向うは手慣れているが、こっちは初体験だ。でも、けっこうすらすら答えられるから不思議だ。すると、ピーター・フォークのコロンボを思い出す。あのドラマでは、決って犯人がべらべら必要以上にしゃべりだすのだった。
総じて印象の第一は、僕は当事者で、彼は取材人ということだな。当事者である自分は、ここに暮し、死ぬまでここに生活する予定なので、つまり、微妙な人情というものに配慮して生きるのである。彼は、取材して、なにかめぼしいものを引出そうとする。僕は、微妙な中で現に生活している者。恋愛中の者が取材されている感じだ。こっちの体温は微妙に動くのに、彼のは直線的。
しかし、一本調子では、取材にならないのに、なっているのは、彼が、田舎の微妙さに通じているからである。あなたは地方の出身ですかと訊くと、いいえと、目をぎょろっとさせた。

4月20日 金曜日 マヤ・プリセツスカヤ

夜中に目が覚めてしまったので、テレビのスイッチをいれる。バレーの、マヤ・プリセツカヤを特集している。気分が集中してきて床に起き上がる。身のこなしが非常に魅力的だ。ほかに見たことがない。印象は、バレーがうまいではなくて、ただただひきつけられる。魅力がある。感心してぼーっと見とれる。スケート競技の動きとは違う。スケートでは選手は、うまいでしょうとして見せることが目的だ。人間の持つ、精神を含めた魅力を表現しようとしているわけではない。

だが、プリセツスカヤは人間を表現しようとして、その奥深いものを、美と鍛錬とを表現する。
そのあたりの事情は、彼女の愛弟子の指導のとき出ていた。弟子は、確かに上手に踊る。バレーらしく踊る。だが、こちらの心を打たない。彼女は器用に踊るのみ。プリセツスカヤは、器用とはまったく別の次元にいる。
彼女の日常を見ていて納得した。日常とバレーは同じところにある。日常の身のこなしが、すでにバレーなのだ。ちょっとしたしぐさが、体の動きの魅力を表現している。これを一口で言うと、彼女は、四六時中、体から魅力を、生命を発散させているということ。人間性そのものと言うしかない。これを、一般には天才と言うのだろうが、その呼び方は彼女の核を敬して遠ざけていることになる、と思うのだが。

4月21日 土曜日 河島英五 自民党総裁選

河島英五と堀内が出ているリプレイを見る。追悼番組だ。
で、注目して見た。わかった。彼は、抵抗の歌手だったのだが、何に抵抗していたか。時代に。戦後という時代に。いま、物心において破産にひんしている戦後民主主義という名の、マネー主義に。

彼は、新しい価値観を歌ったわけではない。否定によって主張した。どうも生きづらい、なにかがおかしいと歌ったのである。堀内には、これはない。彼は時流に乗ってモダニズムを歌った。カッコいいポップス演歌を歌った。
河島は正反対である。カッコ悪く歌った。彼は、シロウトが下手に歌っているように歌った。下手に歌うことに彼のメッセージがあること、堀内とは対照的だ。河島の下手なぶざまな歌いぶりこそ、カッコいい歌への批判であった、そのウソっぽさ、何かにつくられあやつられたカッコよさなのだと、暗に批判している。

批判の根はどこにあるか。彼は、新時代のポピュラー歌手なので、古い日本をほめたたえることはない、できない。けれども、周囲と時代への批判は彼をある種の懐古主義者にしていく。先鋭にして革新的な、ある種の保守主義者にしていく。彼が望んでそうなったのではない。そうなってしまっていたのである。

河島は時代と一緒に、ひそかに苦しみ続けた。こんな時代になるはずがないとして、しかし、結局ぶざまになっていくカッコいい時代に対峙していた。出口の見えない時代の中でもがき続けて病んだ。戦後といういい時代になるはずの世に、その典型として、そのいけにえとして若くして逝った。彼は、新しい、歌の世界を模索し続けていたはずだが、どうしても見つけられなかった。その絶望が病を重くしたのでは、と思ってみる。

自民党総裁選。地方における小泉氏の圧勝。敗北宣言のような発言をする野中氏の表情に嬉しさがこぼれて見えた。あるいは、彼は、本当は、この結果に、内心、快哉をしているのかもしれない。そういう長老がいれば、救いなのだが、はたしてどうかな。

4月23日 月曜日 選挙初日 益田川住民会議・世話役会

七時前に起きる。泊りのお客さんは、今日の事を知って、宿を開けてくれていた。ありがたい。
七時半に、祭りの旗をおろす声が聞える。今年は、出て行かないことに決めていた。八時ごろにトタニさんがくる。ポスター張りをかってでてくれていたので。

八時十五分に役場へ向う。入場記帳は三番めだ。八時半に、クジをひく順番を決める。八番目だ。八時半定刻に、十四人の候補予定者が来たと選管が告げる。つまり定員だ。夕方五時までに、ほかになければ無投票当選となる。八番目に呼ばれて、またクジをひくと十三番目だ。最初の人と最後の人では、一時間以上の差ができる。最後の人は、待たねばならない。
ここで皮肉な結果が出た。数日前に立候補を表明したばかりのA候補の陣営が、いちばんクジをひいたことだ。つまり、彼はいちばんに届出たことになった。

事務所の雰囲気はものものしい。そうでなければおかしい。

登録をすませ、七つ道具と呼ばれているものを持って帰る。事務所は、ここだ。トタニさん夫婦と僕たちだけだ。二人でポスター張りに出かける。ついでに、連呼するために、拡声器を持参する。ところが、慣れぬことゆえ、あわてて、許可証を忘れ、また、車のボデーにポスターをはることを忘れる。
わかりやすい花池から西上田方面へ向う。最初の地で、他候補のポスター張りと一緒になる。すぐあとを、I候補が元気よく呼ばわってくる。彼は、釣り仲間だ。

張りだしてみると、簡単に行かない。なかなかさがせない。二ヶ所見つけられずに、半分ほどで引き返す。昼ご飯を食べていると、いとことまたいとこが来てくれる。それから、隣りの大前翁。これが総勢だ。予定どおりだ。すべては地味に、と言ってあるので。その通りに地味すぎるほどだ。区内に候補三人目として割りこんだので。代議士県議からの必勝祈願ポスターがなければ、普通と変らない。で、これらのポスターは景気づけにありがたい。

午後からはポスターをはってくれると申出てくれたのでありがたかった。ここにいることができて。また、自分のポスターだけが歯抜けになってはいけないので。
二時ごろ、電話の通りに、K代議士の夫人と秘書と町長が来る。出ていってのっけに、背が高くて、愛想のよい、だが、少し顔色が悪くて、職務が大変なのかなと思いつつ、僕のほうから、開口いちばん、夫人に言う。小泉さんが健闘していて気持がいいですねと。すると、みなさん出鼻をくじかれたようになって、くちごもってしまった。町長さんは口をモグモグさせている感じだ。さらに続けて、僕は〇〇さんとは同じ年ですよ。ウマです。この時、つい、先生と呼ぶことを忘れてしまった。

皆さん玄関まで来ると、玄関には、家内とリンテンさんのカアチャンがいるだけ。どうも勝手が違ったことでしょう。夫人は、家内に、皆さん、運動に出かけられているんですね、と言ったのに対して、家内は、いいえとも言えず、口をモグモグさせていたと。

家の前を街宣車が呼んでまわる。選挙にはならない筈なのに、いつもより、今年は呼んでまわっている感じだ。僕は、選挙になったら、家内と二人で、ハンドマイクを持って歩いてまわる運動をするつもりだったが、どうも力が抜けてしまっている。だが、行こう、とトタニさんに運転を頼んで下流方面へ向う。どうも、力が入らない。一杯ひっかけなきゃだめかな。どうにも、呼ばわりが自分とぴったりしない、隙間がある。チラッと、昔のリンゴ売りを思い出す。

五時を過ぎると、町内放送で、十四人を超えて届出がなかったので、無投票当選となったと。ここにいる皆さん、といっても六人ほどの者は、嬉しい表情、上気した表情を、ちょっと見せた。だが、万歳などはない。ビールで乾杯した。代議士からのビラを、祝当選に張り変える。

さていったん、選挙からはなれる。六時に、益田川住民会議の世話役会が予定してあって、これにはどうしても出席したかったので、そっと抜出す。
県の総合庁舎内の、萩原建設事務所へ行く。さて、顔ぶれに驚く。

世話役は、下呂二人萩原二人の四人。
ほかに、まずパシフィックコンサルの四人。建設事務所から三人。下呂と萩原のそれぞれの役場から二人ずつ。計四人。総計十一人。けれども、不思議なことに、世話役は四人ともひるまない。というか、我々、四人は、プロジェクトのための大事なお客さんの感じだ。この会の主役は、コンサル四人と世話役四人なのだろうな。役場の関係者も招かれては来ているのだが、オブザーバーの感じで、元気がなさそうだ。それに、世話役の年配者が、どうも老人ぼけではないかと思えるほどに発言がくたくたして頭が痛くなる。困ったものだ。ところが、感心するのは、コンサルの面々で、辛抱強くつきあっている。仕事なのだなあ、と感心する。この態度は、僕など、学ばなくては。僕は、結論がはやすぎるので。

八時すぎに帰る。二人が残っている。僕をいれて三人だ。別にさみしくない。
たったいま、また代議士夫人と町長と助役収入役が訪れたと。前日を合わせると、K代議士の関係者は三度訪れたことになる。どういうなにごとかを語っているのだろう。

酔っぱらってもうろうとしてきたが、寝る前に、アップする。当選を知らせるために、代議士からの祝当選のビラを。
早朝から深夜まで、起きていたことはここしばらくないことだったな。

4月25日 水曜日 旧社会党、社民党の土井党首たち

小泉総裁の就任にあたっての、野党党首からの感想のうち、旧社会党の土井氏の画面ほど醜悪なものを知らない。小沢氏のものは、まああんなものだろうと見過すことができるが、前者のは見過せない。
小泉の快挙をなぜ素直にたたえようとしないのか。たたえられないのか。ここに、上品そうな振りをしつづけた下品な政治家がいる。醜悪である。

この下品さは、日本の下品さの象徴だ。口ばっかりで、人間に腹というものがない、いさぎよさというものがない、偽善のかたまりだ。面の皮厚く偽善に平気でいる。彼女たちの集団は、感覚、感性を腐りきらさせてしまっている。小沢のほうも底が浅いが、偽善の程度が違うので、醜悪ということはない。小泉とくらべて、人間としての感性、度量の程度は低いが。

小泉総裁の誕生には、日本の精神的な再生がかかっている。日本という国は、神とその倫理がない。じゃ、何がそれに代るか。心意気、いさぎよさ、感覚の伸びやかさだ。この点が、腐ってきている。マネーの論理が、浅はかな、消極的なエゴを育てに育ててきた。志の低さは、政治家たちに見事に現れている。
旧社会党の者たちの、口ばっかりの、へらずぐちの、言葉酔いの傾向こそ、現状日本の偽善の正体だ。

リー・クワンユー、シュワルナゼ、バーツラフ・ハベルを見る。ほんものがいる。
日本の政治家たちの志しの低さよ。日本中が駆引き人間に落ちている。などなど愚痴が出てくる。
橋龍のパフォーマンスとその一派こそ、日本の象徴だな。感覚が麻痺してしまって恥知らずの鉄面皮の。

4月27日 金曜日 身辺に変なことが続いて起る。小泉内閣。ほんものニセモノ。

選挙戦があれば最終日だ。大変なことだな。僕のような単独は軽いけれども、関係者を駆り立てた場合は、にっちもさっちもならなくなる。負けられません勝つまではとなる。
皮肉にも、三月いっぱいは宿がヒマで困っていたのに、四月の中ごろから滞在さんが来たので体も頭も逼迫してくる。しばらくぶりで、エクセルを習いに行ったら、眠くて眠くてさっぱりだった。

選挙以後目新しい事が起きる。やばいような話が電話である。議員当選をすぐ調べて、見知らぬ所からセールスの電話がかかってくる。うっかり乗るとトラブルとなること間違いなし。地元のある企業から、お祝いとして五升が届けられる。ギョッとする。常識を逸脱しているよ。どういうことかな。二升なら、驚く程度だが。

小泉首相は、出陣する大将のおもむきだ。似ているのは、田中角栄と吉田茂かな。小泉は、いちばん百姓っぽくないな。マスコミも野党からの発言も、彼について、ヒガミっぽくつつく感じのものがほとんどだ。目立つものをひきさげようとする。田中真紀子のは、パフォーマンスでいやらしいが、小泉は違う。おのずからの姿としてある。だから、説得力がある。
こちょこちょ突ついて平均化しようとする、我国の病弊のようなものがのさばり出してきたな。この悪い病気はたたきのめす要あり。そのためには、登用された者たちみんなが、精いっぱいがんがんやってひるまないことだな。危なっかしいのは、田中と塩川だな。

テレビで見る橋龍は、日本のいやらしさの代表だろうな。それにしても空虚な男だ。そのあげく、出てくるものは、冷笑で、これがまた日本のみじめさを象徴しているよ。あんな屁理屈のようなしゃべり方が、有能としてトップランナーとしてまかり通ってきたのだから、日本重態の証拠だ。

何度も言うが、社会党やら文化人やらの大言壮語の空虚さが、もうすでにこのことを語っていたのだった。日本は、ニセモノばかりがまかり通る国になってしまっている。いやになるなあ。
さしあたってニセモノの淵源は何か。戦争責任と憲法か。そのあとのマネーか。

4月28日 土曜日 告知式 区民集会

朝九時半に、選管から三人の使者が訪れる。当選について告知の書類を持って。
五月一日、火曜日、午前九時に当選証書附与式の予定。
この日は、農協へ車を持っていく日。クラッチすべりの修理のために。五万円ほどかかる。

いきつけのスタンドへ行くと、女子従業員が、「先生」おめでとうございます、と言う、そしてからから笑い合う。
やがて社長が出てきて、話しかけてくる。区民集会を開きたいと、開こうと計画中だと。
じゃ、助役、収入役が同席するといいね、と言う。すると、彼は、それはダメなんだと。一方的な説明に終ってしまうのでと。だから、区民が、不満や疑問をぶつける場にしたいと。

町民は、町のこと日本のことに、いらいらしている。事が、一方的に、進んで行くのが気にいらない。町民の声、生の声を町政にぶつけるなら、町のほうでも、自分の都合に走らないはずだと。そういうかたちの集会が持たれたことがないので、今度ぜひやりたいと。

この申出は意外だった。意欲満々なので。新しい町議がそれにきっかけを与えたなら嬉しい。

4月29日 日曜日 現代日本の開化 04/06/22  私の個人主義

このあいだ高山市へ行ったとき、書店でたまたまひょいと棚から引っ張り出したのが、漱石の『漱石文明論集』だ。懐かしくて、ざっと活字を見ているとき、その言葉が生きておってこっちに迫ってくるのを感じた。言葉が紙面からぼっこり立ち上がってくる。

で、今日二階へ上がってさがしだしてこれを読んでみた。言葉が緊密で、なかなか読み飛ばせない。読み進めない。なんどか休んで、ようやくこの講演速記を読み終えた。
まず第一印象は、明治四十四年のものだというのに、文が生きている、現役だ。結論は、簡単で、要約すると、明治の開化というもの、西洋文明の圧倒的な力、つまり、その高度の便利さということを語っている。みんながよく知っているその文明の利便性だ。だが、漱石は、その精神性についてはなにも言っていない。便利ということを、ひたすら言い続ける。その圧倒的な力を。そして、追いつき追い越せを。その成就を、日露戦争勝利を。

だが、続けて、その上滑性についてくり返し語る。内発性ではなく、外発性を。西欧は、その高度な文明を内発のものとして生み出した、だが、日本では、内発どころか、真似て、追いこせ追いつけで精いっぱいだ。その滑稽とその悲劇。うわっつらを走り続けなくてはならない。科学技術はともかくとして、内面性、精神性となると、真似てよしとするわけにはいかない。だから、滑稽であり、また悲劇的なのだ。

漱石は、このことを、現代にまで続いている文明の衝突と格闘とを、当時すでに見事に見ぬいてしまっていたのだ。日本の運命を。それを、生き生きと描写する。俗な言葉で、生活人の言葉で、素人の言葉で。つまり、大地に根づいた言葉で。

現行日本のバブルの傷も、その続きにあるのだ、とわかる。上滑と上っ調子の滑稽と悲劇は、まだまだ続いているのである。まだこの先も。生活やその精神や、人々の感覚は、科学技術の変化のようにはいかないのである。と、つくづく納得させられている。そして、その前途に対して途方にくれている。内発の文化の苦しさだ。いま日本は、文化の創造という現場に行きあわせているのである。足元を見る辛さに付合わされているのである。ホンモノの辛さに。

4月30日 月曜日 文化。下ごなしの、マネーの荒廃。

きのうAの店へ行く。Aは、近隣町村の板前のなかでは、トップランクのひとりだ。Aのほかに、彼の仲間のBも来る。数年ぶりに話す。今回は、選挙の後で、話がもっぱら政治へ行く。
どういう方針、考えかときかれたので、待ってましたとばかり、文化をテーマに持論をしゃべる。つまり土の文化。
これの対極にあるのが、旧社会党だ。上滑で、空虚な党。これが、したり顔で日本の中枢にデカイ顔をして居座っておった。そしていま、バブル以後、この党はなにをしたか。ついでまわりの遠吠えを繰返すばかりだ。このあいだ、小泉内閣誕生時の、その党首の発言なんか、見苦しくて見ておれなかった。相変らず小言こうべえーをやっている。そのほかには、賃上げ呼ばわりしかない虚しい党だ。

思いがけない話をきいた、それは、この町が、文化の程度が比較して高いと。Aは、京都など一流の場を歩いてきたので、その発言はまんざらでもない。G町とはだいぶ違うと。
これについては、最近Gの者たちと会合で同席することがあり、又ずっと以前からある広域の組合にいたので、自分もそんな感じを抱かさせられていたのだった。

これを思うに、あの町は、旅館を中心として企業活動が活発であった、ハデで、先進的に見える。だが、どうも、ある重要な常識を置き忘れてしまっているらしい。つまり、町は、集団は、トップ企業ばかりで成っているわけではなく、マネーばかりで成っているわけではないことを。トップ企業が下をこなしてきた、利用してきた、丸めこんできた。その強引さが、ある種の荒廃となって現れ出てきているようだ。

当町も、いま、全国同様、マネー主義の行き詰まりでもがいている。しかし、Gほどにゆがみが大きくないようだが、どうかな。いま、周辺の、地べたの常識部分が、普通の者たちが、町の常識、上品品性を取戻すべく立ちあがりかけているようだな。

4月2日 水曜日 役場へ

こ寒い。午後から雨になる。お客二人ぶんの朝食は、カミさんにまかせて、寝てしまう。起きたのは昼過ぎだ。だいぶ疲れている。たいして仕事をしているわけではないが。
認証式の写真の、職員氏たちの役職と名前をききに役場へ行く、普段着で。ここは、みなスーツなどを着ていかめしい。いかにも、お城かなんかへ出かける感じがないでもない。つまり、彼らは武士たちで、我々は民百姓という感じだ。自分が、ずっと、普段着のはんぱ者のように生きてきたので慣れていないということもあるが。

職員氏たちは、なかなかのもので、低いような高いような態度でいる。彼らも、そこで生きぬいて行かなくてはならないので、なかなか厳しいこと当然だな。まあ、組織という所は、対内も対外も、駆引きでいっぱいだ、その駆引きが鈍いようでは生きぬけないとしたもの、あるいは、まにあわないとしたものだろう。

二階受付の女性職員氏に来意を告げる。彼女が、ぱっぱっと処理してくれるものと思って、しばらく待ってからまたここへ来ますと言って、階下へ行き、カップコーヒー受けて、玄関の休憩イスにもたれる。となりに、おじいさんがいるだけ。彼の荷物袋から、中田医院の薬の名前が透けて見える。ここのコーヒーは百円で安い。営利じゃないという意味か。

女性職員氏は、三十代かな、なかなかカチッとしていて、一階の受付嬢とはちょっと違う感じだ。ミスがあってはいけないというような、だが権威あるものの様子で、独特の緊張感が見えるよ。
まだできていなくて、どうも中年男性が今作りちゅうらしい。恐縮する。彼女が、あちらで待つように窓際の椅子を指したので行って座る。職員氏と相対する位置だ。全体に独特の緊張感があって、でもいつものことなのかな。それぞれのデスクには、僕と同じF社のノートパソコンが開いたままである。彼は、画面の背後で、大きく手を動かしているので、こりゃ面倒な用事を頼んだのかなと、だが、彼が立ちあがって歩き始めたとき、片腕は根元からないことがわかってびっくりする。

出てから、修理したクラッチの調整をかねて、桜洞のほうへ行く。その入口に、A議員の学習塾用のこじんまりした建物がある。なかなかセンスがいいな。実質がつまっている感じかな。

5月3日 しらけ、ニヒリズム、ビッグバン。

岡野守弥氏による、若者たちの「しらけ」についての放送。面白かった、ためになった。そのだいたいを、記憶でたどってみると。
まず、近代以前の日本。そして西欧ではニーチェの前までの時代。この時代区分は、「しらけ」と「ニヒリズム」の出現にかかわる。明治維新前、徳川期前までの時代特色を、「土着の神々、仏教、儒教」が大地に生きておった、人々はそれを空気のようになんの抵抗もなく身につけておった、そういう時代と呼ぶことができる。西欧では、キリスト教の神が同様にして生きておった。

さて明治維新。日本は、一転して開放政策に大転換した。さらに、西欧列強に追いつき追いこせで、富国強兵策をとった。奇跡は成った。植民地にされるどころか、逆に押しかけて行って近隣を植民地にしたのである。行き過ぎだ。だが、事は、あとからは冷静に見えるとしたもので、恋愛にしても事業にしても同じだ。当事者には、もがくばかりでどうにもならない。

日露戦争以後、誇大妄想的となった軍部は日本をムチャな戦争に巻きこんでいって大敗北した。そのとき日本は打って一丸となった。しらけでもニヒリズムでもない。我々には「お国」がすみずみまで生きておった。
敗戦後、今度は、一転して富国強経済に走って今日に至った。世界第二位の経済大国。アメリカ流の消費経済が日本人の心のすみずみまでしみとおっていった。そして今、本当なら、大恐慌になるはずのところを、なんとかだましだましして十年が過ぎた。その間に精神の荒廃ばかりが勢いづいた。維新以来の「無我夢中」だった国と国民が、足もとの深い割れめを、まじまじと見させられている。「夢中」を奪われて、むなしくも中ぶらりんの自他に直面させられている。ぽつんとたたずむ日本国の日本人。

大人は酒でも飲んだり、バクチに夢中になってその無気味な裂けめを逃げることができるが、子供にはそれができない、ぼんやりとむなしく、無気力にたたずむ。「しらけ」である。ニヒリズムである。
日本は今や、これと直面して、へたな幻想に迷うことなく、これとまともに組みあって、国づくりをしていかなくてはならない。虚無立国だ。しらけ立国だ。世界最先端の試みだ。先生はいない。自分たち自身が先生で生徒だ。

これが現実の日本だが、この日本に幻想を振りまく、特にマスコミには、特に政治を面白く見させるマスコミには用心用心。正義の顔を見せているこれがいちばん危ない。正義を営業にしている。

自分がなんとなく、危く、薄汚く、ごまかしっぽいと自覚して肩身の狭い思いをしている人よ、あなたはまともなのだ。いちばんまともなのだとさえ言える。そこから虚無立国だ。青少年たちのしらけは、我々の先生なのだ。
ビッグバンはこの次にしよう。この解決策の一つなのだが、突拍子もなく見えなくもないので。

5月6日 日曜日 二日酔

きのう、鱗友会メンバー六人を呼び、飲みしゃべる。選挙についてなにもしゃべらなかったことを釈明する。みんなは、事情をよく知っているようで、この事についてはしいてきいてこなかった。ごく自然に飲んでしゃべった。挨拶として、誰にも伝えなかったけれども、一票ずつはあるものとしていましたと言った。

飲みすぎて、夕方まで起き出せない。一合までだな。
ドラジオへ行きコーヒーを飲み、新聞を見る。行くとき、おお坂のところで乗用車どうしがぶつかっているのにでくわす。大破ではないので、重傷ではないだろう。行楽の帰りで、居眠だろう。

認証式の写真を、アナログのものにいれかえる。
ついでに、月光堂で奥方をアナログで写す。五十に近いけれども、恥かしがりやの人だな。

下区へ、酒三升を持っていく。隣りの副区長さんへ。上区へも行く予定。

このごろなんとなくあわただしくて、頭がさっぱりまとまらない。本がさっぱり読めない。
明日、水明舘で、県の旅館組合の総会だ。出席。懇親会には出ない予定。体力がさみしい。残りの人生を見ながらの人生だ。

夜、九時過ぎだ。静だ。室温十七℃。ひとりパソコンに向っている。パソコンに向っているとき、ともかくも集中できるので、気分気持がよくなる。パソコンのいいところは、集中させてくれることだな。
いつまでも静かなので、カミさんに声をかけると、部屋で寝ていた。
明日からは、一日がざわつくことになる。店と宿泊客。鑑札配り。十日には初議会。

5月10日 木曜日 三好十郎 吉本隆明

指の切傷がおさまってくる。体じゅうの熱っぽさが抜けてきている。鑑札配りに出る。どこでも、なんやかや挨拶がある。なにも言わないうちは一つ。なにも言わないうちのほうが、なんだか変に見えるから妙だ。十軒ほど配って、時間がなくなって、夕食の買出しに行く。帰って、準備をしていると、議長運動者がここへ来て話したいと電話がある。話す。夕食準備が切迫していたが、断りもならず話を聞く。議長運動も切迫してくる。三人。頭が混乱してきたので、新人のひとりに電話してしゃべりあう。

するとすぐ、また別の人から電話があり、さらに、副議長候補という人からも電話がある。こりゃ、熱心なことでけっこうだな。面と向って話すと、それでも、その人の人となりというか、なんとなくわかるものだな。議会の流れがまったくわからないので、話の裏にあるものがつかめない、当然だが。

体が軽いので、テレビをいれてみると、野茂とイチロウが試合をしている。二人ともカッコウいい。べたっとしていない。終ったので、チャンネルを切りかえると、吉本隆明がしゃべっている。この人の声と姿ははじめてだ。何か惹きつけるものがある。マスコミ人のしゃべり方ではない。
三好十郎なる戦中戦後の劇作家の紹介番組だ。この番組の製作者は、吉本の主張の線で作っている。僕らの次の世代の者たちの彼らに対する評価が落着いてきているということだろう。

テーマは、戦中戦後という時代のインテリの姿勢である。
吉本のいくぶんどもりぎみのしゃべり方を聞いていると、この人の人生上の姿勢と主張が三好と重なってぐっと心をうってくる。
変り身ができない、しないという一定の者たちの姿が鮮明に画面上から浮き出てきてこちらを動かす。番組予告では、明日は、太宰を、その線でやるらしい。もし起きられたら、ぜひ見たいものだ。
十日は初議会だ。

追記 武文翁のうちへ鑑札を持っていくと、話題は、今回はアユのほうへ行かない。もっぱら議員関係。彼は、まず、時代を嘆く。不安で困ったものだと。同意する。精神的にまいると。同感だな。世界第二の経済大国だそうだが、日常の心の不安定はなんとかならないかと。僕も小泉にあやかって、何かその方面でできたらと、笑って言うとみんな笑う。彼が、もっぱら精神状態といった面をしゃべってきたのには感心した。彼は、田舎の隠れインテリじゃないのかな、と思ってみる。

さて、今回、そこの謹直な女性事務員さんが、笑ってくれました、二回。嬉しかったな。笑うタイミングも。僕も一つ、議員として、その精神の方面も何とか、と笑って言ったとき、彼女が笑ってくれたので嬉しかったな。

5月11日 金曜日 初議会 田中真紀子外務大臣 らい病

きのうは初議会だ。朝九時から夕方五時までほとんどかんづめだ。ちかごろ、これほど精勤したことはない。ずっと昔、学校の頃を思い出す。大学ではなく高校のほうを。新入生が、はじめて勉強するようなものだ。すべてが新しい経験だ。それにネクタイも。
庁舎と議会は、町政が行われるところだ。と、あたり前のことを書くのは、自分のこれまでの人生が、そういう世界とはほとんど縁がなかったので。結局のところこれまでの人生は、地べたをはいつくばって生きる自分という人間を見つづけるものであったのだな、と思わさせられた。遅々たる人生。

ところが、いきなり、何十億何百臆という予算や、負債借金にぶつけられさせられた。他人事でなく。差迫った処理として。僕の常識感覚では、とにかくも借金は恐い、さらに、何十臆という借金などさっぱり僕の常識の中へ入ってきてくれないので困る、まいる。以前、テレビで野坂昭如が、何百兆などという金額の議論に対して、こりゃ一体どういうことなのだ、自分にはさっぱりわからないと、嘆きあきれていたな、と思い出す。同じように、自分には、億のつく借金などさっぱり現実感が来ないのでうろうろしてしまう。

さて議場。厳粛なものだな。ある種の聖域の雰囲気がつくってある。宗教的ですらある。正面に正対して、町長や課長などがずらっと並ぶ。議事が進行するにつれ、どこかで見た光景だなと感じはじめる。そうだ、テレビで見る国会だ。あれのミニチュア版のようなことが進行していく。議事が議長の主導で厳かに進んで行く。議決のための投票もする。厳かに正義にのっとって。だがここで、妙な事に気づいた。自分のような新人にとっては、議会事務局長が裏の主役なんじゃないかなと。彼なくては、事がさっぱり進んで行かないはずなので。議長も初なので、生徒が先生に教わるようにして議事を進める。彼に導かれる自分もなんだか、小学校の生徒のような気分にさえなるから面白い。

五時までに、議長がなんども暫時(ざんじ)休憩を連発した。慣れない言葉だ。国会でも議長がこれを言っていたのだな。これを和語で、しばらく休みます、と言うと、カッコウがつかないのかな。厳粛な向きに漢語を使うのは、漢字輸入以来の慣例なのだろう。

ザンジ休憩のあとどうするかというと、全員協議会室で、議員全員が内々で話合いをしとり決める。小学校の先生のようで頼もしい事務局長が退席すると、我々だけが残されることになる。これがまた独特の経験だな。昔、『十二人の怒れる男たち』という映画を見たことがあった。アメリカの、陪審制度による陪審員たちの密室の会のことを描写したものだ。

さてここでの人事の取決めのとき、僕は頑張った。通例では、新人がこういうことはできなかったろうな。だが、十四人のうち六人が新人なので、従来のようには行かなくなったのだろう。新人が二人、三人としゃべった。一期前の者もしゃべった。すると古参が、何とか従来の慣例というような力で事を運ぼうとする。するとこれに数人が抵抗する。かなり紛糾した。しかし、ここは、慣例という力で沈黙させられては、後々のためにならないと思ったので、頑張ってみた。自分なりに筋を通して。紛糾させるために頑張ったのではない。会のため、新人のためと頑張ってみた。すると、中堅議員が調停に乗りだして、事は「ほぼ」全員の意図したように進んだ。

本日のハイライトはその時だろうな。新しいなり行きだったろうと思うが。
疲れていたが、五時近くなって、かねて要望していた、予算の勉強会が開かれた。六人全員が出席した。エリートのような、重責の課長が、難しい項目を目くらましのように走り読みしていったので、ひと段落してから、すみません、ちょっと素朴な質問をさせてほしいと前置して、自分の常識のなかでは巨額の借金について説明を求めた。彼は、なにか、懸命に答える。だが、こっちはシロウトなのでよくわからない。するとみんながしゃべり始めた。協議会では黙っていたひとも。

帰ってからも、ひどく神経がキリキリしていて困った。まるく普通になってくれない。衝撃の強い経験だったのだろうな。
新人なのだが、みなさん人数の関係で、役を引きうけていた。僕も、文教副委員長と、議会だよりの委員長がまわってきた。もたつかずに、ともかくさっとひき受けてみた。あとの事はあとの事だ。

今日十一日、朝食の準備をしてから、体が重いので、夕方までゴロリ休んでしまう。

入力していると、明けて十二日になっている。後ろのテレビから、田中真紀子云々と聞こえてきたので振りかえって見る。どうも彼女はおそろしい事、すごい事をやっている。外務省の官僚たちとケンカしている。いや、ケンカを通り越している。左遷のかたちになっていた人を元に戻す人事をやった。ケンカの起りは、四島返還派と二島返還派の対立らしい。首相も外相も四島派だ。外相秘書官を彼女が手で突いて拒絶する姿が画面に出た。とても普通にはできないな。官僚たちの既得の力が、政治を硬直化させているという事のようだ。制度疲労に対する彼女なりの闘いなのだな。アメリカでは、大統領がかわるごとにトップの人事があるらしい。日本では、これがないので、省内の官僚派閥が硬直化してくるのだろう。振りかえって、日本最小政治のわが役場ではどうなのだろう。彼らのやわらかい頭であることを、切に期待するよ。

数年後には、合併が迫っているようだが、そうなると、役場の時代は終りとなる。その最後の姿を、いいものとして、次の市役所に移せれたらいいな。どうも、大変な時に議員の仕事を志願したものだ。身辺が動く。カミさんも、なかなかのものだな。と、このごろ感心する。宿屋の夫婦と議員の夫婦では、小なりとはいえ、大きな変化なのだろうな。なにかが重圧だ。
この選挙の時、K国会議員の内方がいらっしゃったが、こりゃ、とても大変だな。慣れは慣れだけど。腹をグッとすえなければだな。自分などひ弱いのだろうな。カミさんの方が腹がすわっているみたいだな。

次に、らい病のことを報じていた。日本では、治療法ができてからも、三十年ほども、患者は収容状態で病棟に入れられてきた。やっと平成八年に、法が改められた。遅すぎる。らい病を取巻く関係者のなかで、改正を遅らせようとする勢力があったということだろうか。
清張の『砂の器』を想い出す。

次に、藤田先生による、回虫とアレルギー、花粉症や皮膚病の話。

5月15日 火曜日 新内閣予算委員会中継。懇親会案内。漁協鑑札配り。

今日は、店も休みで、休息ができ落ちつく。いま夜中に起きているサイクルになっている。
朝食準備をしたあと、九時にテレビを見る。見ていて面白い。アホらしくならない。不快にならない。それだけでも、この内閣は画期的だ。小泉首相には、歴代にあったもったいぶりがない。ストレートで知的だ。閣僚全体にそうだ。これは、日本のために新しい風だ。どんづまりの日本にこういう人が現れてくれたこと、奇跡のような気がする。

彼がハツラツとできるのは、国民の、数字に表れた期待度のおかげだ。議員たちもマスコミも、足を引張らないのがいい。日本再生への自覚と覚悟は、国民全体に行き渡っている。彼は、それをになえる人物だ。橋龍氏は、小泉内閣のためのいけにえであったな。

数日前、議長より、K代議士との懇親会案内があった。自費の宴席。
宴席による議員懇親会はおかしい。議員だけの出席でないのかもしれない。もし議員が代議士と懇親会を持つなら、はじめから宴席はおかしい。会議室などで、コーヒーかお茶でやるのがよい。それから任意に外へ出かけるのはかまわないが。

漁協の鑑札配りは、今日で三日目だ。まだ数日かかる。この仕事は、なかなか厄介なのだ。今年は、選挙が重なったので遅れてしまった。

5月16日 水曜日 鑑札 中村久子 北朝鮮から三人の娘さん

鑑札配りはほぼ終る。家内に行ってもらったうちの奥さんが、折り返しすぐ訪れてきて、取戻してこいと主人が言いはるのでと、またお金を取戻しにきた。こっちはまとめて本会へ支払わなければならないので、そんなふうにされては困ると、怒る。その組合員は何を考えているのだろう。

朝方、ラジオから、高山市の、五体不満足の中村久子さん、の娘さん(と言っても老女)が喋っているのが聞えてきた。終りの数分を聞く。便所の掃除のこと。中村久子さんは、その掃除を特に熱心にやった。いちばんきれいな雑巾で。彼女は、手がないので、口で支えてしぼった。そのしぼりが、とてもかたかったとのこと。
この人について書かれてある本を、ずっと前なにかの縁で読んだことがあった。そういう人の生きざまが書かれてあったので、脳の中へ鮮明にはいって、忘れられない。

北朝鮮から三人の娘さんが帰ってきた。三人とも、日本人の日本語を話す。流ちょうなんてものではない、完璧な日本語であり、日本人としての感性である。懐かしい日本人がいる感じだ。彼らは、ある種エリートとして暮していたのではないか。グループをつくることができて。
懐かしいのは、田宮高麿という名だ。三十年前、この名がいちばん印象に深い。リーダーであることと、万葉集にあるような名なので。その彼は、亡くなっていると知って驚く。

彼らは、マスコミなどによって、我々には悪漢のイメージだが、彼らとしてみたら、救国の、告発の英雄であり、またエリートなのだ。この娘さんたちを見ていると、それが証明されていることがわかる。彼女たちには、日本人としての常識が生きている。あの地で大切に育てられてきている。

5月17日 木曜日 鑑札、稚アユ、死者。

朝食準備後、やすむ前に漁協へ電話、Kさんの鑑札のことで。
この鑑札は、もとはKRさんのもので、亡くなったので、娘ムコが継いだ。KRさんの奥さんは、もう九十になる人だったが、僕のうちの百メートルのところにいた。その人が、ついに、体がままならなくなって、Kさんのところへ行った。つまり、Kさんの鑑札を受けて支払をする人がいなくなった。で、その処置のために、九時に漁協へ出向く。その奥さんの次男という人は、朝日の幹部エリートだ。彼の書く記事は、毎日載っている。

そのあと役場へ行く。議長に会う。用件を言う。ついでに、事務局長に、書類をインターネットにのせておいてくれたらありがたいがと頼んでみる。すると、とんでもない、とさっと拒絶される。議員が操作できないのでと、ファックスでさえ、うまく受取れない人もいるのでと。で、ひきさがる。現行の郵送と、インターネットと両方やったらと言おうとしたが、やめにした。

それから、稚アユ放流のことで中呂のA喫茶へ行く。マスターの顔が日に焼けている。きのう、ここの区での放流に彼は出た。そのためだ。

疲れがとれない。夕食準備が必死の感じだ。
火龍のマスターが死んだと知る。驚く。ずっと内臓が悪かった、どうも、死にたがって死んだようだ。数百万の借金があったようだ。死んで支払うということか。彼なら、そうするだろう。彼は、ここまで必死で生きぬいてきたようす。

5月18日 金曜日 『Voice』六月号

九時、松ヶ瀬へ。放流が始っている。車の到着が、予定より十五分ほど早いので、人がまだ三四人足りない。
佐藤道路で終る。体が動かない。必死だ。心臓がくるしい。
午後リンテンで一時間ほども喋る。議会のことなど言う。興味を持って応じる。彼は、この方面の事を話題にするのが好みのようだ。
夕食準備まで時間があったので、本屋へ行き、『Voice』六月号を買う。二冊目だ。特集の「地方百年の計」がためになる。で、萩原図書館へ寄贈しようと思って。
東京発の中央の記事では、地方のことがわからない。いい時にいい本にめぐりあった。
梶原知事は、地方自治の方面では、評価が高いことを知った。

5月19日 グロリア・スタイネムさん(フェミニズム運動家)が語る。

六十代のアメリカ人女性。
彼女が、この問題と運動に関るようになったのは、幼少期から十代にかけて、母の看病をしたことによる。
母は若いころ職業を持っていた。やがて結婚したが、夫は、古風な部分のアメリカ人であったため、彼女は、家庭内にとどまることを要求され、それを我慢して守った。彼女は、仕事をしたかったのだが、夫に合せた。合せるべく自分自身を説得した。だが、やがて、数年後に彼女は精神に変調をきたすようになり、離婚となった。スタイネムさんは、十代に彼女の看護をはじめた。母の症状は、制御不能の妄想。母は自身もそれがわかっていたが、妄想は取りついてはなれることはなかった。

スタイネムさんは、この事から、女性、家庭、職場について、つまりフェミニズムに関るようになっていった。男というもの、女というもの、そして男中心できた家父長制史、社会史、歴史について、独自で研究するようになっていった。

男の暴力について彼女は以下のように言う。
男であるとは、力の誇示であること。男は、いつも、自分の存在証明を示すことをしなければならない。つまり、力を、暴力を、財力を、権力を、そしてペニスを。その点において、女性は、家庭主義、つまり愛情主義であり、平和主義である。男の世界と好対照だ。

追記
一日中寝てしまう。滞在客が引払ったので、体にまかせる。きのうの放流がこたえた。
夕方、議員が二人、K国会議員の懇親会のあとに訪れる。欠席議員は自分も含めて五人。役場からは関係課長たち五六人。総勢二十人ほどという。少ない。
プリントされている陳情項目は、ぜんぶ公共工事で、七つ。

5月20日 日曜日 鑑札 地方の自立

一日中寝てしまう。滞在客で疲れがたまっていたのだろう。それに、十八日、放流でにわかに激しく動いたので。

早朝目が覚めたので、ちょっと腹ごしらえして、日記を入力する。
九時ごろ、最後の一人に電話して、鑑札を取りに行く。この組員は、いつも払いが遅くて最後になる。どの場合でも、遅いのだろう。上村区にある彼の新居は堂々としていたので、これは金欠のせいではないとわかる。明日は、漁協の農協口座に振りこむ。三十五万三千円。

昼まで寝て、テレビで、囲碁を見る。集中力が出てこなくて、すぐ眠ってしまう。
夕方、目が覚めたとき、『Voice』の「地方百年の計」をひろい読みする。時宜を得てためになる。

明治以後、日本は、国力が最優先した。西欧におさえられないための力だ。すべては、国家に奉仕する。国家こそ神聖だ。天皇家もにわかにこれに利用される。だが、第一段階は、第二次世界大戦に突入で破綻してしまった。
第二段階は、富国強兵のうち、強兵には神経的にも拒絶して、富国のほうばかりに熱中する。富国つまり経済力だ。
いま、世界第二の経済大国なのだそうな。実感できない。日本はいま、脱皮のために苦しんでいること、見ての通りだ。中央離れと不信がまきおこっている。

地方は、ここにきて、中央が参っているのを目の当りにして、立ちあがろうとしている。地方から充実して行こうと。着実な日本設計と国民設計を意図するようになっている。地方分権だ。地方自治権を広く大きくする。中央も、地方にこれを願うようになっている。官僚と住民の頭の切替が急務だ

自治体の長たちの工夫は、そこに集中している。中央主導から、本当の自治へ。
そのためには、税についても、地方にまかせようとしている。実質の自立だ。あなたまかせにさようならだ。

5月22日 火曜日 リンク先絶対指定 ハンセン病訴訟 町財政破産 フウゾク嬢 

体力がもどってくる。
昼過ぎ漁協に行く。写真ファイルが出ないと言うのを確めるために。なるほど出ない。原因は、たぶんあれだろうと見当がついた。帰って注意して見ると当っていた。リンク先を絶対指定にすべきなのに、相対指定にしていた。
新しくライコスのページを表面に出すことにし、ついでにカウンターもつけた。現在六だ。このうち五は自分が開いて調べたもの。

ハンセン病訴訟に対する政府の対応はおかしい。政府と国会の責任はハッキリしているのに。日本政治だ。

福岡県赤池町の町財政回復の試みは面白い。やればできるものだ。逆に、既得権益が日本をゆがめている。
十年前に町財政が破産した。そのため、役場は超緊縮財政のもと、何とかやりくりしなければならない。それを見て住民が立ちあがった。ボランティアボランティアボランティア。あなた任せおんぶには無縁の町に変身した。什器も備品もおんぼろだが、それで不幸というわけではない。かえって、皆さん、すがすがしい感じだ。町から一切もらわず、ただで動く、ことのほうがすっきりして気分がよいのである。

風俗嬢の日記を読んでいる。二人。エロチックにもワイセツにもならないから妙だ。表では、彼女たちはエロチックにするべく務める。男たちがなえては、仕事として情けない。だから、演出する。
だが、日記には、別の顔が出ている。志して、仕事として向っている顔が。R嬢のほうは、いつも売り上げを気にしている、A嬢のほうは、お客が気分よく帰ったかどうかを。二人に共通するのは、書くことが非常に好きだ。それを支えにしている向きもある。日記はほとんど毎日だ。生理休暇が休日だな。このあいだ、思うところあってA嬢のほうにメールしてみた。それをコピーしてみる。

@ 男が(十代のころの恋人たちが)、セックスすると離れていってしまったことについて。
若かったからではないですか。
同性どうしでも、異性間でも、つながりを維持しようとしたら、何らかの努力
が要ります。その努力を簡単に放棄できるのは若いからではないですか。

A Aさんの日記を読んでいると、人は、体の生きものである以上に心の
生きものだなあと思わされます。
満ち足りるということは心の問題であるということ。
「むなしさ」という事があります。日本人の得意の分野でしょう。
ホントとウソを見ぬいてくれるのは、この感覚です。理性ではなく感覚です。
理性にはウソをつけても、感覚にはウソはつけません。
この感覚を土台にして、周りの事や心をふくらませ深くしていってください。
raddより

二人の日記を、つまり裏話の日記を読んでいると、自然主義文学ふうのものを読んでいるようなようすになる。裏の顔、リアルな顔、人生の顔。いい客わるい客という反応が出てきてしまう。あるいは、日記はそればっかりだとさえ言えないこともない。わるい客とは、いやなことをする客だ。はっきりしている。彼女たちは、いい客、つまりいやなことをしない客が来てくれることを願い願いして仕事を続けている。

5月24日 木曜日 心境変化 稚アユ車 小泉総理

議員になってから、どうも心境の変化がある。
その一つは、神経の配り方が、広く深くなっている。以前には、自分に直接関係のある世界に関心を向けていたこと、当然である。仕事に関ること、収入に関ることは、興味のあるなしでなく関心を持ってしまう。それ以外の事にはちらっとは関心を向けるが、興味がないのでそのままで終ってしまう。自分に心地よいものに関心が向く。そうして一日が終っていく。

ところが最近は、それぞれのことに対して、直接関係ないことにも、関心が行く。議員という仕事がそうさせる。この仕事は、一般の仕事とはだいぶ趣が違っていて、町全体の動きに注意をとめる。自分の利害や興味の領域ではない。むしろ、義務として、仕事として、関心を広くさせようとし、アンテナを広くし、しかもそれぞれの事について、前以上に関心を持ち理解しようとする。ようしたものだ、姿勢については、今のところ案じたものではない。
周りの動きについて、敏感さが違ってきている。自分のなかで、都合よく眠るなんてことはなくなってきている。
その二は、残り少ない人生が目の前に、現実のこととして迫ってきていること。

きのうガマタを通りすぎて行くとき、十時を過ぎていたが、まだアユ稚魚車到着を関係者が待っていた。心配なので十一時ごろ行ってみたら、まだ待っている。定刻より一時間半遅れだ。ここまでの例はめずらしい。

小泉総理の姿勢はいい。こんなあたり前のことが、いままでできなかった。情けない。政治家たちの重たいもったいぶりは、そういうものかと諦めていたのだが、彼によってようやく破られた。あたりまえの姿勢がとれないようでは、いい政治ができるわけがない。政治家ばかりがどん臭かった。しかし、これは、国民にも責がある。こちらがわの、利害などによるねじれが、政治家たちの無気味な濁った感じをつくってきた面もあろう。

5月25日 金曜日 カミさんの話の傾向

このごろ毎日のようにカミさんが話すことは(話すのは食事の時)、老後のこと、その生活ぶり、親子のこと、養老院のこと。これはずっとそうなのだが、彼女の話の方面は、誰それがどうのというような卑近なものばかりだ。僕のほうは、抽象化する傾向がある。彼女は抽象化は苦手だ。誰それがどうのという話に、ほとんど終始する。この傾向には面喰った。なぜか。女性も自分と同じに抽象化を、ほどほどにはするものと思いこんでいたので。で、彼女もそのうち、そうなるだろうと予想していた。だが、そうならない。卑近なことばかりに関心が向っていて、この傾向はずっと変らない。僕は、このごろは、めずらしい生きものだな、と感心している。卑近と抽象が同居して暮している。

カミさんを見ていて、これほどに卑近方面に頭を向けた生活をできるのは、女だからだろうかと考えているこのごろだ。むろん、抽象化能力の優れた女性はいる。彼女は、その方面の能力が弱い向きがある。といっても普通だ。店で、お客とは、その向きの話をしている。普通である。標準である。

僕の抽象好きは、観念における整理好き傾向と重なる。このテーブルの上など、生活のこまごました事には、さっぱり整理できないのに、苦にならないのに、観念では整理したがる。美的にしたがる。で、このごろは、このミスマッチがおかしくてならない感じだ。
仮に彼女が、自分と同じに抽象化傾向の者であるなら、息抜ができないのではないかとおもうのである。彼女の卑近と頭の調子が合わないので、かえっていいのだろうと正当化している。

僕には、ごく若いころから、卑近を、現実を、とびこえたがる傾向がある。この弱点は、現実の現実が見えなくなる、見えてこなくなることだ。現実は、都合よく切取られた現実になってしまう。と、もう、抽象話をはじめている。直るようなものではない。背負って行くしかない。
だから、彼女が、執拗とも思えるほどに卑近な、誰それの話に終始するのを、天の助けかとしているこのごろなのだ。

今日は、フウゾク嬢Aさんの日記について入力する予定だった。次に老後のこと、このあたりの、カミさんが持込んでくる、ちかごろの親子のこと、親と子供夫婦のこと、同居のこと、養老院のこと、について予定していたが、上記のようになってしまった。

5月27日 日曜日 漁協友釣専用区 カルロス・ゴーンと日産の話

午前中、漁協萩下班の友釣専用区について、代議員会を開くための原稿を作る。いつもは電話連絡でやっていたが、今回は印刷物を配ることにする。ワードではなくエクセルで作ってみる。できあがってさっそく配る。帰ってテレビ碁を見る。女流棋士が出場している。大局観において一歩遅れている。解説の石田九段が、懸命に場を持たせようと頑張っていることのほうに感心した。
午後からはカミさんを乗せて、馬瀬へ行き、M旅館にお礼の挨拶をする。
帰り、安売りの酒屋へ行って、料理用の酒を一ケース買う

代議員の代議員を頼むためにYさんのところへ行く。集金用のかばんに印刷物を入れて持って行ったので、それを見て彼の細君が、集金ですかときいてきたので、違うと言って笑い合う。彼は、釣りに行っていていなかった。

日産のカルロス・ゴーンの話を聞く。彼は、数年でこの会社を再生させた。
その彼が、日産と日本への賞賛として、サムライ精神と締切りを守ることと、そして目標に向っての一致団結行動を挙げていた。西欧では、このような一致団結行動はありえないと。ここに彼らにおける、文化としての個人主義があるのだろう。一致団結行動は百姓国日本の証だ。

一致団結行動は、ゴーンには美点として映ったのであるが、我々にはむしろ危険物である。無我夢中で突っ込んでいってしまう。大東亜戦争へののめり込み、そして、敗戦後の経済競争へののめり込み。逆に言えば、個人主義、冷静主義のなりがたさだ。ムラへの抵抗の難しさ。

このごろ体調が少し変に感じられる。体内時計が狂ってきているようだ。頭のほうも、どうも妙にきりきりと緊張している。議員のせいだろう。長年ののんびりマイペースが邪魔される感じだ。カミさんも妙に緊張している。
さあて六月にかけて、スケジュールがいっぱいはいっている。初経験のスケジュールが。

『Voice』六月号。まだ懸命に読んでいる。地方自治は、他者と客観と現実のことなので、読み進むのに骨がおれる。文学のように好きに読むなどということができないので。

5月28日 月曜日 エクセル関数 役場 ダットラ 鈴木大拙

お客が途切れたので、体が軽い。フトコロが軽くて頼りないが。そのうちその軽さが心身にこたえて心身が変調するだろうな。
エクセルの、関数のところを勉強に行く。最後にVLOOKUPだ。SUM,AVERAGE,MAX,COUNT,IF,DATEDIFのようには行かなくて、つまり理屈が納得できなくていらいらする。帰ろうかとさえ思ったが我慢してあれこれやっているとわかってきた。我慢しがいがあった。その部分をじっと見つめて苦慮しているとだんだんわかってくるとしたものだな。

帰って、ひるめしにカミさんによって用意されたうどんを食べる。ありがたい。
認証式の写真を渡すべく、2Lの注文に行く。帰って漁協へ寄ってパソコンに関る状況をきく。このあいだのNHKの放送について談笑。四十人からのスタッフが来て、萩原と下呂の旅館に泊ったと。人数に驚く。これは生中継であり、エビテの中の魚についてもやらせはゼロ。漁協は窓口として活躍した。と、K君は控えめに、ごく上品に自慢する。はいはいとうけあう。

写真を持って役場へ行く。広報係の若い、息子と同級のK君が受付近くにいたので呼んで話す。ホームページの議員紹介の写真に気の毒のようなのがあったのでと。あんまり表情が冴えないのは、載せてはまずいと。すると、彼は、今度のは、バッチリOKですと自信を見せて言う。
「役場のページな、特色を出せば町の名を売れるぜ。ハコモノじゃ、みんな飽きているからな」、と、元気よくページを作ってみろよとけしかける。
写真は課長たちには記念としてプレゼントだ。議員にはなにも声をかけない。微妙なので。

帰って、前の国道を渡って、益田橋方面を写す。二十年前、三十年前のものと比較してアップするためだ。
三十年前の、自分が撮っていた写真をプリンタでコピーしてリンテンさんに持っていく。写っている自動車の型をきくために。それと年代を。彼は写真を見てすぐ、これはダットサンのトラックだと断定した。さすがだ。彼と話していた客も、ダットラだと断定した。断定ぶりに感心する。その写真の頃は、自分は学生で、頭がくらくらにボケさせられていた、教授とか文化人とかマスコミとか左翼とかによって。だから、空中を漂っていたような頭には、足もとの印象はなにも残っていない。

夜、旅館に客がないので、店のライトをつける。
おそく、年配の婦人方が数人きた。とても元気いっぱいに歌を歌っていたな。
すると、友人議員のBさんが電話してきたので、すこし話すことにした。

彼はのっけに、鈴木大拙をきいてくる。僕は苦手だと返答する。外国ではともかく、日本じゃちょっとね。彼の文脈は、自分には受けつけられないよと言う。西田との関係を言ったあと、「彼は、大谷大学の先生をしていた、その関係もあってか、妙好人研究者として評価が高いんじゃないかな」と言う。Bさんは、妙好人に興味を示す。すこし説明する。さらに興味を持ったようだ。
帰りぎわに、自分としての「この一冊」ならとして、岩波文庫版『漱石文明論集』をすすめる。

5月30日 木曜日 革新系に見こまれる

いま午前一時。飲んで帰ったところ。飲屋には飲屋のエネルギーがはりつめている。カウンターの向こうとこちらで、マネーを介してかけひきが進行する。夜の世界も、昼と同じに主人側はエネルギーをはりつめて客を待ち応対する。客はそのサービスに対してマネーを支払う。
こっちの営業は、客が途絶えて手持ち無沙汰だ。一日をぼんやり過す。きのう、漁協萩下班の飲み会があったので、二日酔で調子が悪い。
夜、議員が訪ねてきて話す。懸案事項についての町民シンポジウムの話だ。僕は、革新系に見こまれたわけだ。

見こまれてもなんにしても、いまさらウソいつわりはできない。自分は、自分であり続けるよりない。その延長をたどって行くと、革新系と結び合うことになるということだ。
こっちは、町民の自覚、自治という単純な立場なのだが。情報の開示と、町民の自覚、判断、自治。自分にとってはこれだけのことだが、実際となると、町全体となると、なかなかの事なのだ。

しかし、こうした町民シンポジウムは、萩原町でははじめてのことだろう。遠い将来の町民自治の第一歩となるのではと思う。ある種の直接民主制だ。
これはまた、団塊世代の前後の者には、懐かしい事だろう。当時の大学には、この雰囲気が充満していたので。この雰囲気とは、つまり、ひとつの原理の世界、西欧産の民主主義の啓蒙原理の世界だ。いま、当時の者たちはなにくわぬ顔で日々を生きているが、その心の奥には、上記の世界がちゃんと生きているはずなのだ。

5月31日 金曜日 南飛騨国際健康保養地構想 (愛称は、ヘルス・リゾートみなみひだ)

午後から、益田総合庁舎と、南飛騨国際健康保養地総合健康増進センター管理事務所へ出かける。はじめてなので、緊張した。何が出るかちょっと不安だった。だが、案ずるより産むがやすしだ。行ってよかった。向うの方が待ってましたとばかり歓迎してくれた。これは、まったく意外だったが、考えてみれば、それが当然なのだ。彼らとしても、長年構想し、ようやく実現段階にはいり、事が出発し始めた今、皆に広めたがっていたのである。

会った人は、飛騨地域振興局益田事務所 地域振興担当の安田明弘氏。三十代の彼は、非常に熱っぽく語った。だんだん、彼と自分の波長が合ってくる感じになった。意外といえば意外だ。とにかく、僕は、自分の生業に精いっぱいで、なかなか広く世間を見渡すことができなかった。余裕もなかった。世間並に自分本位であった。だから、彼の仕事というか、彼の考え方というか、役所というところの発想や仕事ぶりが非常に新鮮だった。

結論を急ぐ。僕は彼の語る保養地構想が、ある思想を背景に持っているらしいこと、持っているとわかってきたとき、驚きだったし嬉しかった。なぜなら、その思想というのが、現代の持っているある種の病に対する抵抗と癒しからきていたからである。その基本思想の点において、自分の日ごろの思いと重なっていたからだ。
辞するとき、彼は、これからぜひ四美の地へ行って責任者と会うようにと言った。言われるまでもなく、そのつもりであったが、彼が強くすすめるのがちょっと気になった。

県の保養地は、まだ民家がそのままにしてあって、知らないと、まさかとそのまま通り過ぎてしまう。スピードを落して探していると、民家のところで働いている人が三人いた。その一人、若い女性に、保養地の事務所をきいた。すると彼女は、きりっとした表情で、なんでしょうかときいてきた。つまり、彼女は職員の一人だったわけである。そのとき一緒にいた中年の人が、主査の熊崎浩之氏だ。同姓なので、問いただすと、彼は、「私は小坂です」と言った。小坂町の出身ということだった。親近感がわいた。

熊崎氏は、安田氏よりもさらに突っ込んで、保養地の構想を語った。またまた驚いた。こりゃ、東洋思想じゃないか、と。事実そうだったのだ。
下呂病院に東洋医学科が近年できているが、あれとここは密接なのだった。どうやら、東洋医学科を創設した医師たちの考えがここに流れているらしい。彼の言うことはいちいちよくわかった。彼のほうでも、僕がいちいちよく理解するふうなので驚いていたかもしれない。

僕の方から彼に力説することが一つあった。それは、自治、地方自治、地方の自立のことだ。これについては、いま『Voice』で読んでいる特集の「地方(百年の計)」が非常に役にたった。
地方の自立には、財政の自立は言うまでもないが、それ以前に、精神の自立、情報の開示と吸収、つまり住民の常識のレベルの更なる高さが大切だと。県と各町村が連携した、この構想とその実現には、住民の積極的な参加と理解が不可欠である。事はあなた任せでは成らない。保養地構想の取組みと実現は、ちょうど、地方自治への取組み第一歩と重なる、と力説した。

保養地の基本思想の一つに、「近き者よろこべは、遠き者来たらん」が書かれている。近き者、つまりそこの住民が、これを支持し育て喜べば、自ずと遠くからでも人々がやってくるという意味だ。近き者、つまり住民に何かよそとは違うところがあるには、まずは、自治、自立、常識のレベルの高さが不可欠だろう。保養地構想と、地方自治の構想とは、重なるのだ。精神と制度の高さが実現されていけば、ここ南飛騨は独創の地となっているはずだ。

パンフレットなどにある具体的で基本的な事柄については、今ここでは書かないが、追々入力できたらと思っている。bP3へ。