トップ

ダイアリー・エッセイ no.13

目次 平成13年6月1日〜7月25日
07/25 幼少期に外国語?
07/24 地方自治と地方分権のウソっぽさ
07/23 血圧 アユ(瀬) 不吉な空想
07/22 川まわり 猛暑 ひどい疲労
07/19 アユ放流 (金曜フォーラム 子どもが遊ぶ川) 回覧   『赤目四十八瀧心中未遂』  玄侑宗久
07/18 『爺報(やほう)』  技術士 
07/17 社協(デイ・サービス)と朝霧サニーランド訪問
07/15 西欧崇拝乞食(車谷長吉)
07/14 酷暑 大アユ? 車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』と『白痴群』 『地方議会人』
07/13 アユ放流  自民党益田支部へ選挙詰  アユ成果
07/12 大野候補  『三島由紀夫の最後』
07/11 南飛騨健康保養地構想 デイ・サービスセンター用地  アユ
07/10 全員協議会 グランドゴルフ アメリカの中学生たち
07/09

アユ  九州の湯布院など視察報告(2)

07/08 相補・代替医療(CAM)  白洲正子   アユ(9日)
07/07 風俗嬢(ヘルス嬢)Aさん   アユ
07/06 再び「シーガイア」  町商工会から町長へ(大分県湯布院町視察研修報告、提案提言)
07/05 和英辞典 人工透析
07/04 町村合併 シーガイア 今日の新聞いろいろ
07/03 『眠れぬ夜のために』  アユ(S.Todani)
07/02 お客と(地元と旅人)   アユ
07/01 『議会だより』 優秀賞(山口県田布施町) アユ
06/30 セルシオが町長の車に?  四美保養地とは?
06/29 第五回益田川住民会議へ
06/26 ノイローゼ 漁協 アユ セルシオ スカーレット
06/25 定例会
06/24 解禁 自民党萩原支部
06/23 釣り客 仕事としての議員
06/22 アユと水況 『神戸震災日記』、 『鹽壷の匙』、『漂流物』  商店街
06/21 役場へ 桶村久美子氏 漁協へアユ 軽
06/20 『急がぬ文化』 タバコの煙
06/19 議会事務局 試し釣り 広辞苑
06/18 益田川住民会議世話役会
06/16 スーパーコンピューター (私小説家車谷長吉)
06/15 『田中康夫主義』
06/14 伝説の山下超名人
06/12 ガックリだ
06/11 午前中うつらうつら 田中康夫 車谷長吉 玄侑宗久
06/09 目には目を  車谷長吉 「昭和生れの明治育ち」
06/08 ちょっといっぱい 田中 アユ解禁回覧版
06/06 カミさんの腰 田中康夫知事 マスコミ 議会だより
06/05 下呂へ 『特集 田中康夫 しなやかな革命』 公共工事 支部役員班長会
06/04 IТ講習会見学 (萩原小学校)
06/03 萩原町消防操法大会
06/01 県による保養地構想について

6月1日 金曜日 県による保養地構想について、なるべく受売りして喋る 常識のレベルで 

カミさんが腰痛で起きてこないので、代りに店へ出る。
さっそくYばあさんが来る。彼女は、コーヒーにブランデーをすこし入れてくれと言う客なので、入れる。こっちは寝起きで頭がシャキッとしない。
彼女に、県の保養地へ行って聞いてきた話をする。この話は、彼女のように足腰の持病をもった人にはよく通じる。すぐにわかる。「そんなところができたらありがたい、嬉しい」と。
「プロジェクトにとって肝心なこと、一番大事なことは、萩原町民が、まず、よくよく理解し、すすんでこれを支える姿勢を持つことですよ」と言うと素直に理解される。こっちも、無理のないいい話なので元気よく喋る。

昼近くなって、役場へ行く。管理課長と保養地整備課長に会うために。管理課長はいたので、保養地のことで、県の関係者に会って聞いたことについて、ざっと喋る。目的は、まずは、その時の僕が受けた印象についてきちんと伝えることだ。

保養地整備課長は会議でいなかったので、議長に会いに行く。上記印象について喋る。彼は、僕の言うことに率直に耳を貸してくれた。
話は、前日の日記に書いてあるように、ごくあたり前のことなのだが、あたりまえに伝わった感じなので嬉しい。リゾートとか観光ということは、現行の県の計画にはどこにもない。
彼は、僕が白紙の新人だということを考慮して相対してくれた。これは、なかなかのことである。

6月3日 月曜日 町消防操法大会

成績

ポンプ車操法の部

  1位 第二分団二班 A 上上呂
  2位 第五分団二班   萩原中
  3位 第二分団二班 B 上上呂

小型ポンプ操法の部

  1位 第一分団二班  山之口
  2位 第四分団二班  古関跡津
  3位 第一分団一班  山之口

益田郡大会へ、ポンプ車操法の部より。1位と2位のチーム、それに輪番による、第四分団一班 羽根チームが参加する。

6月4日 月曜日 役場へ パチンコ台廃棄 IТ講習会見学

カミさんの腰の調子が悪いので店が開けない。操法大会のアップの準備をする。成績について役場の広報係に電話して確認する。
ゲンユウソウキュウ(
玄侑宗久)さんにメールの返事を出す。駒田さんに、5月31日のページを見てくださるようメールする。

十時ごろ役場の議長から電話があり、いま時間があるのでと。あわてて準備して出かける。話の冒頭、雑談の中で、山之口からの今日の陳情のことを彼は言う。パチンコ台の廃棄についてだ。度が過ぎていると。事情を聞いて、なるほどとうなってしまう。山之口とパチンコ台の廃棄は、すぐには結びつかないが。

十一時に議長に面会者がきたので辞する。その足で、保養地整備課長と会う。十分ほど話す。彼は構えている感じで、話がチグハグする感じだ。面談を切上げる。総務から今年就任したばかりなので不慣れなせいであろうか。

知合いのKさんが、町のIТ講習会に出て勉強するので、初日の本日夜、小学校へ行く。立派なIТ教室だ。パソコンが、二十台ほども置いてある。もうひとり、組のK老人がいたので驚く。彼は、七十代の半ばだ。しかし、やる気まんまんなので大丈夫だろう。
二時間の間に、はじめての生徒がインターネットをなんとか見られるまでやる。先生は手慣れて上手だ。ボランティアらしい人が数名手伝っている。

募集要項は次のようになっている。

対象   20歳以上で初心者(パソコンに触ったことのない方)
募集   1講座(6回)20名。今回の募集締めきりは5月25日
      受講生はぜんぶで120名

場所   萩原小学校パソコン教室
受講料 無料
申込み 萩原町教育委員会

6月5日 火曜日 下呂へ 『特集 田中康夫 しなやかな革命』 公共工事など 支部役員班長会

午後下呂へ。G印刷へ行きポスター代を支払う。どうも、ここの女子社員は、僕のことをネットで見て知っているようだ。ビジネスライクではない感じだ。
下呂役場へ行き、インターネットに、当町議員のプロフィールを載せてくれるよう依頼する。応対した若い職員氏は、議会事務局の方へ伝えておきますという返事だった。応対が、なんとなくピリッとしない感じだな。

久しぶり、本屋へ寄る。ExcelとHP関係の雑誌を買ってしまう。さらに、『特集 田中康夫 しなやかな革命』が目にとまった。普通なら買わないだろうが、議員になったので、よしっと買う。
夕方、知合いのK氏が来る。いろいろ質問してみる。適切な返事がかえってくる。道路のこと、農水省、橋、用地買収、そのトラブル、ゴネ、保養地などなど。さてもさてもむずかしいものだ。だが現実であり、人生だ。意地や欲やノボセや策略。

夜、萩原支部役員班長会。解禁は24日。今年は、稚アユの採取地、仕入先がいろとりどりだ。
13日に班長だけの飲み会をすると言う。初めての試み。実費二千円で。萩下班でやってきたように。大坪屋で。

6月6日 水曜日 カミさんの腰 田中康夫知事 マスコミ 議会だより

カミさんの腰が思わしくない。夕方から元気になって、夜は遅くまで起きている。それはそうだ、午前中は寝ているので、夜はなかなか床にはいる気になれない。朝、定連さんが、戸をたたいている。そのうち電話がかかってくる。起き上がって話している。起きていかずに腰を休めろと言う。

例によって、昼飯のとき、夕飯のとき、誰それはちょっと顔色が悪い、とか元気がない、とか始める。こっちもふところぐあいが悪くて青息吐息だ。だから、どこそこでは、うちとおんなじだとか、どこそこのAさんは、夜も眠れないんだってと始める。こっちは、例によってなんにも言えない。黙って飯を食うばかりだ。みんなの顔色、動作からしても、事が深刻に向ってすすんでいることがわかる。ため息をつくばかりだ。どうにもならない。この状態でも、なんとか道はできてこないかと思うばかりだ。みんな苦しいなか、人の道にしたがって生きていこうとはしている。みんなけなげだ。
そして、どうも政治に敏感になっている。みんなは、東京では、全国の自民党員は、小泉純一郎を選んだ、長野では、田中康夫を選んだ。

ロングインタビュウ
田中康夫
長野ピープルは日常生活を続けながらナガノ革命に参加している

きのう買った雑誌(河出書房新社)、上記見出しの最初の七、八頁を読む。なかなか読み進めない。体力も頭もひどい衰えだ、これだけ読むのに休み休みで一時間はかかった。だが、まったくいやにならない。逆だ。この作家は、『なんとなく、クリスタル』でデビュウして、当時マスコミが騒いでいたのを覚えている。その騒ぎようで、ああ営業かと決めつけていた。それでチョンだ。当時は、こっちも営業でガンガンになっていたので、頭に余裕がない。自分のことばかりで。借金で。

この人が長野県知事に当選した。なんのことかさっぱりわからない。長野という所は、勉強好きだからな、程度に思っていた。「朝まで生テレビ」で彼を知ってはいた。論客だとは思っていた。だが知事ですよ。知事。
半年たって、人気が増しているんじゃないかな。どうもわからん。だが、いまここまで読んでわかった。不思議ではない。すごい事が始っている。始めたのだ、彼は。

常識のレベルが政治にはいってきている、彼は入れようとし闘っている。しかも実を結んでいる。僕らは、政治とは、常識のレベルとは違うものだとしてきた。そういうものだとして諦めていた。決めつけていた。長いものに巻かれろ、であり、利権であり、党であると。
いま小泉純一郎であり、田中康夫であり、その他その他であろう。日本人は、本気になって変革に向っている。表題はうまいことを言っている、いわく、「
長野ピープルは日常生活を続けながらナガノ革命に参加している」と。

もうひとつ、大事なこと、マスコミだ。どうもこれが日本をだめにしていると、こっちはひそかに思っていたが、彼の発言を読んでなるほどと納得した。やっぱりこいつはガンなのだ。要大手術だ。政治家と同じに、彼らも自分で自分を変えられない。どっぷり正義づらの、紋切型に浸かってしまってどうにもならない。

明日、委員会がある。で、四月十五日発行の「議会だより」を読みなおした。二日がかりだ。速く読んでいけない。情けない。だが、二回目の今度は理解が深くなってきている。ようしたものだな。

6月8日 金曜日 ちょっといっぱい 田中 アユ解禁回覧版

きのうは、夕食会のあと、A、Bさんとちょっといっぱいに寄る。Cさんは途中でいなくなった。
ボックスで三人ぼんやり、とりとめもなく喋って、今日一日の疲れを癒した。三人とも満足していた。不満やトゲは残らなかった。どうしてかな。始めから、夕食会まで、すっきりしていたからだ。ニゴニゴしていなかったからだ。つまり、裏表がなかったからだ。言いたいことが、言えたからだ。

今朝は、きのう一日の慣れないかんづめ勉強で、疲れがかなりたまっていた。例によってわずかのアルコールが、からだから代謝されないでいる。
カミさんは、昼から、食品衛生の講習会で、総合庁舎へ出かけた。ごろんと横になって、起きたり寝たりして、昨日の続きの田中康夫との、ロングインタビュウを読み終える。面白い。刺激してくる。このインタビュウは、政治のそれではなく、文学のそれになっているところが新鮮だな。田中康夫は知事であるけれども、ここでは、この時点では、記事では、作家なのである。

解禁に向けての、川掃除と親アユ配付の回覧を、例年のようにパソコンで作り印刷する。夕方、回覧版を四つ作ってそれぞれの始めのうちへ持っていく。
委員長が、今晩のIТ講習会に出ると言っていたのを思い出したので、会場の小学校へ行ったが、もうカギがかかっていた。あきらめて帰った。

6月9日 土曜日 目には目を 車谷長吉 「昭和生れの明治育ち」

まだからだがシャキッとしないので、昼過ぎまで横になっている。「ストーブを片付けるので動かせ」、と邪険な物言いでカミさんがいらついてくる。腰が痛いやらでいらついている。いらつくと、こうなる。慣れてはいるが、ガンガンとやられると心臓によくない。おだやかにやれないものか。もっとも、こっちだって、調子によっては、ガンガンとやるので同じだ。目には目をだ。

夕方本屋へ行き、田中康夫のものを探してみる。一冊もない。と、文庫本の新刊の中で車谷長吉(くるまたにちょうきつ)の名が目にとまった。このめずらしい名前の作家は、三島由紀夫について、随筆を書いているのを何かの雑誌で読んだとき、印象に残った。言葉に力とねばりがあった。波長が合う感じだった。書名は、『業柱抱き』。強情そうな名だ。

その中でまず、「昭和生れの明治育ち」を読んでみてびっくりだ。これは昭和四十八年、彼が二十八のときに書いたものだ。これは小説なのか随筆なのかわからない。まあ、随筆ふう小説というのか。だが、面白かった。彼は、昭和二十年生れで、自分と同世代である。そのことが、この文に鮮明に刻印されているので嬉しかった。ああ同じようなことを考えて生きていたんだなと。同世代、同時代。

じゃ、その同じものとは何かと言うと、まずは戦後の日本だ。戦後再出発の日本だ。その核は何かというと、猛烈な消費経済だ。経済の猛威。そのことが、車谷にも我々にもどう作用したかというと、それは、どうにも自分の中に安定した何事かが創り出せないということだ。作ったと思ったらすぐ壊されてしまう、自分でも壊してしまう。倫理や美に敏感な人にはとても辛かった。さっぱり何か安定したものができあがっていかないからだ。

だが、戦後を歓迎した。歓迎するものが圧倒的に多かった。生活の豊かさ、給料の増加は、自民党にも社会党にも共産党にも公明党にも、すべてにとって是であった。みんなは行為の、日常の夢中を楽しんだ。だが、車谷のような、倫理に敏感な人、戦前の日本のある精神を継ごうとしたような者には、苦しかった。正義は、経済における進展中にあって、倫理や美などという精神になかったからである。車谷は、そのあたりを、体当りで、また意思を持って、悶えて暮してきた。その軌跡が、すでにこの二十八歳のときの文に鮮明にでている。どうにも時代にそぐわなかったのであるが、いま、この十年、車谷の時代が来たのである。

車谷が当時、親しい者に自分を語ってみると、君は『昭和生れの明治育ち』だと言われたものだった。

6月11日 月曜日 田中康夫 車谷長吉 玄侑宗久

午前中うつらうつらしながら、考えるでもなく考えている。体力がなくなったためかどうか、字のとおりにうつらうつらしながら横になっている。これが十年前なら、まだ執念というものが激しく生きておった。借金のことやら、女のことやら、クソむかつくやつのことやら、執着も妄想も罵倒もやきもちも激しかった。葛藤でくたびれたものだったし、自分をくたびれさせたものだったな。今はさっぱりだな、ぼんやりしている時間が多くなった。こりゃ、死ぬまで初体験が続くのだな。

というわけで一時に出発の予定が、二時すぎになってしまった。一時間強が知らぬまにどこかへ行ってしまっていた。だんだん機能が縁遠くなって行くよ。
下呂へ買出しその他に行くために玄関を出たとたんに、郵便局を思い出した。玄侑宗久の『水の舳先』の代金を新潮社へ送ることを。縁あってこれは注文で買った。彼は、臨済宗の、四十代半ばの坊さん作家である。ただ今カミさんがすこしずつ読んでいる。「けっこう面白いよ」と言うが、はたしてどうか。自分にも、痛快であってくれたらバンバンザイだが。

いま手元に、車谷のもの、田中康夫、そして、役場からの議会資料がある。多量の資料のうち肝心なものには目は通したが、働きざかりの者ように書かれているので、なかなかついて行けない。困った。HPのものエクセルのものはそのままで終るのかな。

車谷長吉のは面白い。田中のといちばん違うところは、前者のは、心なごむのである。ホッとする。昔からの日本があり、日本人がいる。と、変なことを言うようだが、これがまずいちばんの拍手だ。僕と同世代にちゃんと日本が生きられて、まざまざと、新鮮に、現に生きてある。あきらめていたのに、あったという嬉しさだな。現代を、ちゃんと古い日本を抱きかかえて、意図して、生きておった者があった。しかも、立派な、新しい、魅力的な日本語で書かれてある。

田中のは、戦闘文である。新鮮である。これは、しかしやっぱりブンガクシャの戦闘文だな。集団を生きる文、指導する文、政治の文だ。だから、全身緊張だ。まどろむなんてとんでもない。向きが違う。だが、ここ手元に、車谷と田中の、田中についての文がある。両方がある。俺はいま幸せだよ。まともに。

6月12日 火曜日 ガックリだ

今日はまいった。ポーズではない、正直、まともにまいった。
今日、班長たちの飲み会をここでやる日だ、と決めてしまって疑わなかった。朝からそのように事は進んで行った。本当は明日だったのだ。しかも、そう自分が決めて発表していたのだ、みんなに。昨日の晩あたりから、事はそうと決ってしまっていた様だ。三区の、役場への陳情の日なので、明日水曜日十三日と自分で決めていたのに。とうとうこういう頭の中身になってしまった。体も頭も、もはや出来そこなってきている。ただ、長年の習慣と修練で、日々は大過なく過ぎて行っていた。周りからは、あいつ、どうも変だ、気をつけよう、と囁かれているに違いない。

泊り五人と宴会十二人を、ともかく作り上げた。ほっとして待っているところへ、会計さんから電話があって、ギョッだ。ズバリすべては自分一人の間違いだ。
さて、カミさんの怒ること。ここのところ腰痛でいらついているので、カンカンだ。顔がとがって青ぶくれしている。スッキリ全面降参だ。だが、自身喪失だ、まいった、お手上げだ。

もう一つ変な事があった。デジカメ写真。現地で、十枚以上写真を撮った。間違いない。だが、四枚しか写っていない。こりゃどういうことだろう。さっぱりわからない。

視察の前に、全協室で、現地の状況について、それぞれの区長が町長に説明する。全体に、どうも雰囲気に元気がないんじゃないかな。活気がない感じだ。町の執行部に。いや、こんなものなのかな。

6月14日 水曜日 伝説の山下超名人

昨日、漁協班長役員たちで集った。予定より少なかった。だが、その熱心なこと、七時半にはじめて、終ったら翌日になっていた。四時間半にわたって、魚関係の話を続けた。元気いっぱいに。「アユが川をピカピカにしている」、とみんなが言う。ひと安心だ。

朝食準備のあと寝る。三時に起きて出て仕入をし、一通り準備がすんだので、今こうして打っている。メニューは、とんテキ、カツオの甘辛煮、カレイすあげ、大根にんじん煮、地きゅうり酢もみ。ミソ汁。客は四人。山での仕事。さっきずぶぬれでご帰館。

昨日、漁協友人のひとりが、『跳ね上がれ川漁』という本を持ってきてみんなに紹介した。県内の、川漁について、ルポしたもので、ここ萩原に関係したものがあったのでと。みんなざっと見て、おお、あるある、と楽しんだ。
さっき、目を通したが、山下福太郎についての年譜が目にとまった。この人はこんな足取りをした人だったのかと。この人については、少年のころ、じかに見て知っていたからだし、井伏の本で読んだことがあったし、自分も釣り雑誌に、山下超名人として書いたことがあったので。

年譜によると、山下福太郎は明治三十二年(1899)静岡県に生まれ育った。昭和十五年(1940)に馬瀬村へ。昭和二十一年(1946)に、旅館すわや(諏訪屋)にはいる。ここの田口すぎと結ばれる。
すわやが諏訪屋だったこと、旅館だったこと、はじめて知った。彼がそこに住んでいたことは、高校のころ、仲間とパンを買って食いに行ったときに知った。僕の知る限りの「すわや」は、汽車通の高校生たちが寄るパン屋だった。

冬、彼は、店のストーブのそばにいた。黙った人物だった。大柄だったが、恐怖心も不快な感じも与えなかった。むしろ、シャイな感じを与えていた。目つきに鋭さがあったが、威喝する様子ではなかった。そりゃそうだ、そんなことをすれば、客が寄りつかなくなるので。
僕にとっての、彼のいちばんの印象は頭の白手拭だったな。後に縛っている。この姿は、今ほとんど見かけない。このあいだ、テレビで永平寺の雲水にその姿を見て懐かしかった。
彼を、諏訪城址横の城坂でたまに見かけた。やはり手拭をかぶって大柄だった。寡黙で孤独な感じだった。こういう印象の人は、近辺では見なかったな。なにか、しゃれた感じの人。

中学一年のころ(1954)に、隣りの魚屋(カネダイ)で、店主が、山下にすぐ下を流れる益田川で釣ってみよと言った。気がすすまなかったろうが、アユを商いしてくれる人が言うことなので従った。僕もついて行った。見物人は数人いた。
すると、やがて、根がかりした。その時だ、彼は、素っ裸になって、水中メガネをつけると、もぐった。出てきてからも服を着ないのである。素っ裸のままでサオを持って立った。これは強烈だ。こんな経験は、これっきりだ。これが、有名なフリマラ山下だったと後年知った。

昭和三十六年(1961)五月、アユの継ぎ竿を名古屋松坂屋へ納めに行く途中、岐阜で脳出血で倒れる。
昭和三十六年六月、福太郎、正式に田口家の養子となる。
昭和三十八年(1963)四月、竿づくりの竹材などわずかな身の回り品を、雇った車に積み三重県美杉村に入る。
昭和三十八年六月七日、三重県紀和町を流れる北山川の小川口で自らの命を断つ。

これも有名な話の一つだが、山下超名人は、ここ萩原で、大水で中州に取り残された人を、体にロープを縛り付けて濁水に飛び込んで行って救った。昭和三十三年の大洪水の時だろうか。そのとき彼は五十九歳だ。僕はその頃、益田高校二年生で、高山の病院にいた。

6月15日 金曜日 『田中康夫主義』

今日明日はヒマだ。五月からずっと、なにかに追われている感じの毎日が続く。ゆっくり自分に親しむ時間があったものだったが、それがなくなってきた。体も頭も突き動かされている感じ。だが田中康夫は、そういう生活を自ら選んでやっている。
田中の本が(車谷のも)店頭にないので、図書館へ行って探してみる。下呂図書館には一冊もない。萩原に一冊あった。この四月十九日発行の新刊で『田中康夫主義』だ。

その序文を読んでみる。いちいち納得がいく。小説家の文なので、言葉が豊富である、だが、核のところは、決意と行為のところは、簡明でスッキリ伝わってくる。核になる言葉は、住民ひとりひとりの「思考覚醒状態」だ。その反対が「思考停止状態」
党派は、操作によって、我々を思考停止状態に置こうとする。モノにしておこうとする。「思考覚醒状態」をめざす田中の主張と行動は、ごく常識的であるが、その果断なる決行においてめざましいのである。この日本の閉塞状態の突破はそこにあると。党派や、集団や、お祭騒ぎでは、どうにもならなくなっている、つまりあらゆる既成が行き詰っている。そして、その打破が、「思考覚醒状態」などという地味な、華々しい政治行動からは遠いような、ひとりひとりの決意と行動にかかっているのである。

だが、そんなありえないような心構えと政治行動を、田中は長野県民にまきおこした。県民は、そういう行動に向って実際に動いた。今、県民自身が信じがたい思いをしているであろうが、事実なのだ。長野県政は、静かな革命となってしまっているようだ。

6月16日 スーパーコンピューター 車谷長吉(私小説)

さっきテレビで、スーパーコンピューターなるもののことを知った。巨大。部屋におさめられてある。膨大な計算ができる。しかも速く。どのくらいの程度のものか記憶できなかったが、ともかくも人知の及ぶところのものではない。それを、ある天文学の研究者が、天体の動きのシュミレーションをつかむために、今度あらたに開発した。四倍のスピード能力がある。現在は二十倍のものを開発中であると。

このスーパーコンピューターは、銀河系の動きや衝突の様、ブラックホールや超新星について、その把握に格段に優れていると。
その計算プログラムが、分子の運動把握にそっくり応用できるのだそうだ。つまり、たんぱく質分子の運動、薬の開発などに、威力を発揮するのだと。
しかし、僕は、その説明をぼんやり見ていて、頭のなかが気持悪くなってくるのを感じた。なんとも言えず不快感につつまれて、それを追っ払うために、体を動かしてみたり、別のことを思い浮べるようにしてみた。

それが、車谷長吉の、私小説についての小文。これは、『業柱抱き』の最初にある。彼が、『鹽壷の匙』で、賞をとったので、とたんに大新聞からの原稿依頼で書いたものだ。素晴らしい文だ、目が覚める、パッチリと。文の力、文の魅力。
若いころ、「私小説」についてはやかましくて、中村光夫の『風俗小説論』をふむふむと読んでみたものだったが、腑に落ちなかった。わかったようなわからないような、結局はわからない本だったな。私小説はけなされていたな。西欧の大小説のようなものが賞賛されていた。私小説は後進国日本、敗戦国日本のものだと、非難がましく書かれてあったかな。それはそうだ、当然なんだと決めてかかって読んだ。当時の常識は、日本はダメな国だ、だった。

ところで、四十年ぶりで、車谷による私小説についての文を読んで、非常に腑に落ちた。どんなものか、について興味ある人は、手にとって自分で読んでみてくれ。僕の言うところを信用してみてくれ。
スーパーコンピューターとどういう関係があるかというと、僕たちの歩み、人生は、昔に変らず一歩一歩のものだということを、彼の文が教えてくれるからだ。車谷という人物は、特に、そのことを、修行僧のごとくに決意と意思をもって抱いて生きておったのである。それは、あの小文にも、ありありと見事に表現されてしまっている。

6月18日 月曜日 益田川住民会議世話役会 

定例議会における質問項目を書いて、議会事務局へ持っていく。だが事務局長は出張で不在。提出期限が明日までなので、テーブルに置いて帰る。

夕方七時過ぎに萩原小学校IТ教室まで出向く、Kさんが生徒として行っているので。七時半から世話役会が益田庁舎であるので、一時間後にここへ来たいと先生たちに頼む。了承してくれる。ところが、これは自分の勝手な思いこみだった、世話役会は九時半までかかった。で、結局行けなかった。

七時半、旧総合庁舎へ。
今日の出席者は少ない。コンサルタントから三人。県の担当者一人。世話役三人。その一人は欠席。
今日は、これまでの大まかな反省。あるいはちょっとした総括。全員で運営について、やりとりする。頭のレベルを合わせていくためだな。頭の中が啓発される。ためになる、勉強になる。判断対象がだんだん広がって行く。広域行政的にも。

僕は次のように発言した。
「このあたりでは、明治以来、事はお上による意向で進んでいった。近年では、川に対する工事の、その傾向はどんどん進むばかりで、我々はあきらめて眺めているばかりだった。我々にはどうにもならないことだと。行政と事業者が計画と工事を進めて行くのだと。
だから、現在の、住民会議の方向というものは、なかなか納得いかないと。なにか裏があるんじゃないかと。どっかで裏切られてひどい目にあうんじゃないかと。だが、どうもそうじゃないらしい。本当らしい。それなら、このことが住民に理解されるためには、かなりの時間がかかると。報告すれば理解されるというものではないと。
つまり、川について、住民の自発などということは、考えたこともやったこともないので、なかなか理解ができない。簡単にはそういう頭になれない。熟成が必要だと強調した。頭の、つまり人間としての熟成が。百年以上に渡ってお上によって作られてきた頭なので、切りかえにはそれ相当の時間がかかる」と。

6月19日 火曜日 議会事務局 試し釣り 広辞苑

朝、議会事務局へ電話。前日机の上に置いておいた定例会質問書きこみについて、いいかどうかきくために。事務局長は、頭から怒らずに、やんわりこれではだめだと言う。不備があったが、決定的ではないので、通った。こっちがモヤモヤ言うと、すぐパシパシと訂正してくる。これはちょうど、お城へ登った、成りたての見習武士が躾られている感じだ。見習武士の前身は、城下の民百姓だ。僕は士農工商のうちの商だな。彼は、成り上がりを、一人前にするべく指導する。

思うに、役場には、長い伝統が今も生きていて、我々のような議員をつかずはなれずに導き教える。これはなかなかのことだな。伝統の重みが感じられる。事務局長に限らず、職員氏たちは、我々との応対について、先輩からの手ほどきの伝えをちゃんと守って行動できているよ。役場はお城からの、職員は武士からの転進かな。

早朝、川原から電話が入る。試し釣をやり始めるので見にこいと。すこし増水して濁りがはいっている。こりゃ、釣れないだろうな。九時過ぎにポリス前へ行ってみる。Т班長が釣っている。見物人は三四人。数匹釣ったと。この濁りではかかりにくいだろう。それよりも、濁りがはいったので、病気が出たり、流れたりしないかが心配だな。
石油下にKさんがいる。どうかと合図してきくと、ペケの動作で返してきた。やっぱり、この濁りではな。

帰って、夕方まで眠ってしまう。カミさんも。起きて医院へ連れていく。医者から、一ヶ月の入院を言われたと。九月ごろにはいるつもりだと言う。一二分毒づいて、静かになる。はやい。毒づく体力気力が弱ってきたということかな。

「プロジェクトX」で、『広辞苑』作成についてやっている。新村出の子の猛は、我々の教授だった。彼の授業に活気がなかったわけがわかった。彼は、広辞苑作成に没頭していたわけだ。教授という仕事には、あとから飛びいりした。それで、お客様ふうに元気がなかったわけだな。学生には不充分な先生だった。

6月20日 水曜日 『急がぬ文化』 タバコの煙

朝九時より委員会。予算審議。課長たちに向って、しっかりしてくれよ、とつい大きな声を出してしまうことがあった。釈然としなくて気持がスッキリしない。部屋中の者がそうだったろう。だが、この話題は、今日はやめよう。

K議員が、「議会だより広報」のことで読めとパンフレットを僕に渡す。持ち帰ってじっくり読む。感心する。これは第一法規出版が出している議員情報誌(Signal)で、議員向けに出されている。そのためだろう、言葉が、すっと入ってくる。首長ではなく、議員の立場で、議員用に編集されているので。

このパンフレットの最後のページで、山本兼太郎という人が、「急がぬ文化」と題して短文を寄せていた。感心した。考えさせられた。その要旨は次のようである。
まずスペインでの話。作家の堀田善衛が友人にばったり会った。彼は非常に機嫌がよい。どうしたのだと聞くと、次のように答えた。「注文していたギターが、ようやくできてきた。十七年目だよ」と。「これでも、こっちが急がせたので、予定より八年早くできたのだ」と。

次はフランスでの話。
1994年に「英仏海峡海底鉄道トンネル」ができた。フランス側の穴掘りには日本の技術が活躍した。完成のとき、開通記念モニュメントの作成に、日本の彫刻家、井上武吉さんが依頼された。その条件は次のようであった。「完成までの期間は二十年、その間の生活費は保証する」と。

我々には、こうした、文化観というものは理解の範囲にない。文化とは、文化講演とか、文化事業とか、いかにもそれらしいもののことを指す。だから、上記二例のようなものは、地味でまだるっこくて、文化かどうかがわからなくなってしまう。文化にははいらなくなってしまう。これが、我々における文化常識である。ショウが文化となってしまった。ハデハデしいものが。

だが、本道は上記二例のほうである。我々にとって、いかにも文化らしい文化とは、マネー要請による文化だとさえ言えるだろう。文化くさいニセモノの文化だと、底の浅い。
こんなことでは、日本は荒れてしまう。結局はすさんでしまう。
この場合、地方がやられてしまう。地方が、いかにもな文化にだまされてしまう。つかまされてしまう。それを文化だと思い込んでしまう。何が残るか、何も残らない。ニセモノとはそういうものだ。

著者の山本兼太郎さんは、ことさらに教訓めいたことは言っていないが、地方に向けて「用心しろよ、心しろよ、」と言っているのだろうと思った。「地道に、こつこつと時間をかけて成熟させて行くのが文化だ」と。

追記 十時の休憩のとき、女性議員が、委員長に、タバコの煙で頭が痛くなったのですがなんとかと、日本女性らしく控えめにしっかりと哀訴していた。そうか、そう言えばこの部屋ではタバコ者が日本平均より多いかな。今日は、委員七名のうち議長が所用で欠席で六人。事務局長もいれると、議員側が、今日は五人ないし四人が吸っていた。審議が白熱してくると、喫煙も白熱してくるのかな。僕は、五六年前にやめて、今はタバコなしで平気だが。
彼女の抗議は効果てきめんで、次の審議の時は、タバコ者はゼロになったのかな、どうかな。突然の禁煙で、みなさん精神状態はどうだったかな。どうも、たいへんだな。

6月21日 役場へ 桶村久美子氏 漁協へ、アユ  

午後役場へ。経営管理課へ行く。いつもより閑散としている。課長はいなくて、その隣りに見なれぬ中年の女性が腰かけている。誰だろう。萩原あたりの様子ではない。ともかく用事を済まさなくてはならない。席にいた今井さんを呼んで用件を言う。彼とは前日の委員会で顔を合わせている。
セルシオについて。実際に買ったのか、新車か、いつ購入かと。すると四月の終りに買ったと。了解してメモする。

次に議会での質問の段取について、項目は三つあるのだが、一度にまとめて全部を言ってもいいのかと訊く。彼はいいと言う、あとから各項目について答弁があり、そして質疑があると。

負債の中味については、この際きくのをやめにした。しかし、訊いておくべきだったな。百四十億、あるいは七十億について。
どうも感覚がうまく調整できない。職員氏たちは、もう慣れてしまっているのだろうが。僕には、億がすでにピンとこないのに、加えて、紙上で、そういう金額が無表情に話され審議される。頭がくらくらする。僕自身には、百万円なら、大金なのだ。一千万で茫然だ。一億になると感覚から離れる感じ。一兆では、単なる話になってしまう。

複式簿記による書類作成について、その方が、決算書が一覧表示されるので、見やすいし理解しやすいと。彼も同意する。事実として、九月以後にはそうなるはずだと。ただし、みなさん従来の表示になれているので、解りにくいと言う人がいると。それはそうだが、慣れたら、あっちのほうがいいはずだと。両方を併用していけばいいわけだ。

次に「議会だより」について。新人でありながら、大役を引きうけた。御協力をと、彼に挨拶する。従来のものとは変えたいと考えている点として、答弁者の名前を表示したいと。現在のものは、誰が言ったのか不明だと。すると、彼は、いえ、そうなっているはずですがと言うので、いや違う、そうなっていないと言う。

彼とやりとりしているところへ管理課長がくる。例の女性をさして、桶村さんです、紹介します、と言う。僕は、一瞬うろたえる。そうか、あの人か。きのう委員会で話題になっていた人だ。自分と生命力と明るさを、グッと押出してくる感じの人だ。僕は、あなたと同じ新人です、町は大変な時です、どうか頑張ってマチのためになってくださいと言う。さて、名刺を渡す段になって、慣れないので、ポケットを探す。あちこちさがす。みっともない。だが、歳の功でずうずうしくなっている。ようやく探して渡す。旅館をやっていらっしゃるのですね、と言われて、いえ、宿屋ですと言う。
どうも相手が男の場合と違って、女の場合、挨拶がシャキッと決らない感じになるなあ。以上の挨拶だけで、帰る。

漁協へ寄る。試し釣のこと。結果表を見る。萩原は、雨で濁りがはいってあまり釣れなかったようだが、計測はできている。平均五十八グラム、十七センチだ。まあまあだ。下呂も小坂の大洞川も、竹原川もいい結果が出ている。
心配なのは、この出水だな。例年、ちょっとした濁りと出水があると、そのあとぐあいが悪くなっていたので。現在はささ濁りだが、これがさめた時、益田橋の下に、そのままアユがいてくれたら、と祈るばかりだ。
そして、このままの天気が続いて減水してくれることを。降らなければ、絶好の解禁になるのだが。

明日はオトリが来る。どうも今年はあわただしい。自分の体と頭が裂かれて、一つにならない感じ。今までなら、オトリと解禁で一つになっていたのだが。

きのう、車のセールスと喋っているうち、今日夕方会社へ見に行くよと言う。で、約束どおり行く。すると、試乗したあと、すぐ、ここで決めろという話になって、当惑する。彼は、そう言って、どの程度に買う気があるのかどうか、決めさせ、見当をつけたかったのだろう。だが、あのボロ車には愛着があるなあ。
帰り、リンテンさんに寄って話す。例によっていろいろ話す。車の話になる。彼は、軽のほうがいいとすすめる。今のは優秀だからと。そうか、じゃ、明日、時間があれば、ノウキョウへ行って見てみようと。

6月22日 金曜日 アユと水況 『神戸震災日記』、 『鹽壷の匙』、『漂流物』。 商店街  

気がかりはアユと水況だ。午前中、五六十センチ高くて、本日の天気予報も雨なので、解禁はだめだろう、と判断して、宿泊予定の釣り客にキャンセルするように伝える。フトコロがさみしい、困った。ところが天気予報は当らなかった。雨は降らなかった。で、夕方、二三十センチ高に落ちていた。これなら、馬瀬も益田も大丈夫だが。明日は雨マークなので、やはりダメになるかな。

今朝、まず漁協に電話し、解禁の様子を話す。馬瀬の様子も。今朝の状況では天気予報も加味すると、悲観に傾く。いったんはここであきらめる。そのため体から力が抜けていく感じだ。オヤの配給時、支部長にすこし少なくしもらいたいがと頼む。

昼、事務局長が、二十五日の議会用の補正予算書類をとどけに訪れる。家内が受ける。
午後、議長より電話があり、質問の文言のうちで、変更してもらいたいところがあるがと。提出された質問原稿は印刷されて傍聴席などに配られるのでと。了承し、原文を、「大いに問題だ」、に変更する。ただし、議場での発言について拘束するものではないと。

きのう新潮社より届いた、田中康夫の『神戸震災日記』、車谷長吉の『鹽壷の匙』、『漂流物』の代金を振り込みに郵便局へ行く。その足でノウキョウに寄り、少しおろす。残高が予定より少ない。四、五万しか振りこまれていない。おかしい。何かの間違いじゃないか。帰って事務局長に電話する。彼は、そうなんです、共済金などに取られるのでと。まいった、予定が狂った。この共済金とやらはどういうシロモノだ、まったく。まあ、保険、年金の類なのだろうが。
この場合予定狂いも小額なのだが、今の景気では日本中がもっと大金の予定狂いでキリキリ舞いしているのだろう。

夜、このあいだのセールス氏が来る。すぐに、彼が話はじめる前に、買うなら軽にするよとはっきり言う。彼も仕事なのだ、ねばる。こっちをどんどん攻めてくる。きくほうは苦しくなる。しかし、ボロ車への愛着は、懐のぐあいがあるので、さらに強くなる感じだ。この表現は虚勢だろうなあ。

神戸震災日記』は感覚が開かれている。この政治感覚は、机上ではすでに在ったものだが、単に観念としてではなく、生きたものとして田中康夫において現に生きられている。ここが新しいし、新しい時代が始っていることの証明だ。既成の政党人、政治家たち、文化人、マスコミ人の感覚が古くなってしまっていることの、これはナマの証明だ。

いっぽう車谷のは、田中の対極へ向って歩いているものだが、これも、彼と同時代で新しい。既成への風穴だ。車谷は、自分や情念やおどろおどろしい世界へ潜りに潜りトグロを巻く。だが二人に共通する批判の根は、戦後民主主義と資本主義と、つまり敗戦後からの日本への全面的宣戦布告だ。彼らは口舌の徒ではなく、肉体を生きる実行者である。

追記 いま明けて二十三日だ。夜中二時半。目が覚めたら、眠れなくなったので、また起きて出てこれに向っている。
夕方、リンテンさんと話したとき、彼が、「商店街はどうなるんだ、大規模店をたたむわけにもいかんし」とぽつんと言った。僕はすぐ「元へ戻すことはもうできない」と言った。これもぽつんだ。後が続かない。その情景が、いま思い出されて目が覚めてしまった。
こんな会話もあった、「あーあ、今日も一日ぼんやり過ぎてしまった」、すると彼も疲れた様子で「同じ、同じ」と言った。

なんにも明日がない。未来というものがない。明日を描かなくては生きられるものではない。二人とも初老なので、いままでのように自力で人生をつくっていくことはできない。体力がない。ホトケ頼み、カミ頼みか、だが、そういう習慣もない。戦後の、経済成長社会の申し子である我らには、そのほかの人生の用意がない。この成長社会が、刺激と反応で我を忘れさせてくれたこの社会が、こうもヨタヨタと崩れて行くとは予想できなかった。また回復して、続いて行くものとしていた。

どうもそうならない。自民党員たちすら、その覚悟を決め、次への選択を小泉内閣に任せたのだ。未知だが、任すほかに、道は開かれないと。人生観、価値観の大転換をするのだと。しかし、その傷がいま苦しい。
そして、我々商店街は、もうだれも助けてくれない。野たれ死にを待つほかない。悲しいかな、我々は、競争して勝ち残るほかの考えが浮ばない。勝つか負けるか、生残るか残れないかと。だから、それぞれが、それぞれに、むなしくみじめに孤独を見つめるのみ。

今は、次に向って、明日に向って、初老たちは心を開いて心構えのなにごとかを創り出さなくてはならないのだが。過ぎてしまった夢の中にまだ閉じ込められてしまっている。高度成長と自民党は、またその他の、全部の党も、むなしくもすさんでいるのみ。紳士の表情で。
初老たちよ、まだ遅くないぜ、知恵を磨こうぜ。頭を柔かくしようぜ。体はどんどんだめになっていくが、頭なら、まだ何かやれるぜ。初老たちよ、考え方同盟はどうだい。いや、つベこべ言わずに、もう御陀仏しろと言うのかい。そうかい。

6月23日 土曜日 釣り客 議員という仕事

一日中とうとう降りそうで降らなかった。予定どおり、六人の釣り客は馬瀬から帰ってくる。大急ぎで四時から買物だ。刺身、きんめだい煮、テキ、酢きゅうり、だいこん煮、ミソ汁。
カミさんは腰が痛くて、後片付もできない。僕のほうも、体がくたくたで、仕事を終えるのがやっとだ。終ったあと、食事する体力が残っていない。食事するにもエネルギーがいるんだ。

少し前まで、解禁前夜といえば、華やいだものだったが、いまは、夫婦の体力に合わせるように、くすんでいる。今十二PMになろうとしている。雨が降り始めた。ついに来た。ツユ空は毎年のことだけど。

議会事務局長にコロッとだまされていたことに、きのう気づいた(むろん彼にはそんなつもりはないが、結果としては今そう表現するしかない、事情は月曜日に判明するはず)。事は議員の姿勢と議会の根本に関ることなので、月曜日、全員協議会室に議員が揃った場で問いただすつもりだ。問題は議員のほうにあるからだ。

夕方リンテンさんと話していたことだが、こりゃ、大変な仕事だよ。俺一人のことじゃないからな。だんだん切実になってきたよ。予算の審議や実行に関るので、評論家で終れない。商店街のことだって、仕方がないさではすまされない。下呂のことだって、まともに考えんならんし。下呂の事までだよ。どうもこの仕事は、突っ込んで行けば大変だ。もっとも、手抜きできれば、楽な仕事だろうが。

6月24日 日曜日 解禁 自民党萩原支部

釣具の看板もないし、我家は閑散とした解禁だ。つい数年前までの熱気が、過ぎ去ってみると、まるでなかったかのようだ。これを、「夢・幻のごとくなりー」というんだろうな。朝から夕方までぐっすり寝てしまう。
夕方には晴れて、五時ごろ、まだざっと十人が釣っていた。二十センチ高。そのころ釣れていたのだろうか。ちょって見物している間は誰もあげなかったが。朝水温が下がっていたので、夕方にかけて、ぽつぽつかかったのだろう。

夜、自民党萩原支部の集りへ。初めてなのでおそるおそるだ。ところが、知っている人が半分以上もいた。以前のイメージでは、地区自民党の集りなどは、おそれおおくて縁のないものだった。それが、今、ざっと顔ぶれを見るに、またその雰囲気に、違和感を持たなかった。自分が年をとったということの証明だな。こっちは、若いチンピラ気分が抜けきらないのだが、客観としては、その年齢にいるわけだ。

この雰囲気に、ゴウマンな感じはなかったな。以前なら、自民党の集りといえば、力を誇示するイメージがあったのだが。大野つや子候補がこのあたりになじみがないとはいえ、部屋の雰囲気はなんとなくしれっとしていることが意外だった。
ここでも、小泉首相のあの主導ぶりに文句を言う様子はなかった。なんとか打開してくれるんでは、という希望だろう。田中、竹下、橋本と続いた自民党政治が、いまは日本の足かせになっていると、我々国民は納得させられている。この部屋の雰囲気に、自信たっぷりの自民党の姿はなかった。

場所も意外で、萩下消防詰所だ。全部で二十人ぐらいだ。そのうち議員が八人、その新人が三人。女性党員が一人。女性の責任者だな。どうも、議員たちは、運動員として動員されていく様子だ。

6月25日 月曜日 定例会

今、二十六日の、朝四時だ。神経が立って眠れない。きのうは、二時間ほどの睡眠で九時に役場へ。補正予算のための定例会。委員会もいくつかやる。全員の委員会では、やりとりが激しくなる。文教委員会では、おとなしいが。
激しくなるのは、必ず南飛騨保養地関係。どうなのだろうな。やっぱり行政側に無理があるのだろう。話しがチグハグして、頭がくらくらする。全員協議会で、休憩のとき、僕がぽろっと、頭がちぎれちぎれになってまいるよ。とこぼすと、みなさんどっと笑った。みんなも、頭がくらくらしてまいっているのだろうな。行政側の、課長たちもまいっている感じだな。困ったな。

僕は、五月三十一日の日記に書きとめておいたものが、ずっと生きておるので、がんばってしまう。みんなは、なぜあいつはあんなに頑張るのかわからないだろう。
夕方、喫茶店であった数人の若手議員に、県の考えの基本を伝えると、なるほどという表情になった。基本が伝わっていないのである。大切なことは、情報の開示、流通、研鑚だな。あたりまえがあたりまえとして伝わっていないこと。

面白いことに気づいた。議員はひとりひとりが、その個性をあらわしてくるのに、その人となりが表に出てくるのに、課長たちは、それが出てこない。みんな同じようでのっぺりしている。国会でも同じだな。無個性に喋る。そういう修練を積んできている。

いよいよ緊張が増して、いやなところのある仕事だな。のんびりしてきた自分には、大変だな。踏ん張れ、倒れてもいいじゃないか。
議員生活の目的二つ。一つは、保養地について、県の理想と思想を実現するべく奮闘すること。もう一つは、議員たちの間の、士気、会話、常識、などなどを高めあうこと。

6月26日 火曜日 ノイローゼ 漁協 アユ セルシオ スカーレット

神経がキリキリして、通常の自分に戻れない。朝から、頭がうまく働いてくれない。で、総文教委員会も、ぼーとしたままで終った。自信をなくす、体力、精神力に。真向いの席の議員も疲れた状態だ。僕と同じように神経がまいっているのだろうかと思ってしまう。課長の一人も、顔つきにいつものツヤがない。弱気になってしまっているので、以上のようなことに関心が向く。まいった。僕にはこの仕事は無理なのかな。明日は、質問者のトップを引当てたのだが、頭と体がうまく働いてくれるかなあ。ふあんだ。ちょいとノイローゼだな。

B議員に電話して、財務のこと、車(セルシオ)のことについてきく。彼らは車の予算を通してしまったのだから。
夕方、ふらっと知り合いを訪れて、ちょろっとこのことを言うと、叱りつけられ、呆れられた、議会も町長もどうかしていると。なんにも言えない。ただゴクリと生つばを呑みこむのみ。陰鬱な気分。なんとか気分を軽くしなければな。こんな時こそ、本来の保養地ができて活動していてくれたら、僕みたいな妙な半病人を手当してくれているのに。

胸のあたりが苦しくて落ちつけないので、漁協へ行く。すると上原の支部長がいる。解禁についてきくと、十年ぶりに、あっちではよくかかったと。アユが瀬に上っていると。たまたまはいった釣り人たちは、みんな二十匹ほど釣れたと。バンザアーイ。気分が明るくなってくる。思わぬところにいい話題があった。すぐ、稚アユはどこだとかきく。普通だ。こりゃ、どういうことなのかな。生きものの世界だな。

事務所では、僕はちょっと軽い人物とされているようだ。僕が喋り始めると、職員二人は楽しげに顔をゆるめる。役場じゃ、みんなは、僕をこわっぱしく見るのに。ところ変ればだな。そういうわけで、僕は、ここでは受け入れられる。それで、気分転換を期待して行ったのだ。期待どおりで気分がいい。

ちょっと話を聞いてくれよと、明日の質問をざっとしゃべってみる。どうだ、わかるかい、変じゃないだろう? わかるだろう? と甘えぎみに。すると彼は、わかるわかる、と言う。ああーあ、〇〇君だけだな、僕をわかってくれるのは、と大げさに言ったものだから、彼らは二人とも笑い出してしまう。こっちはつられて、笑ってしまう。だがなんとなく自信が戻ってくるから不思議だな。

あしたはあしたの風が吹く…こりゃ、裕次郎だ。
『風とともに去りぬ』でも似たようなセリフがあったな。なんだったかな。
明日のことを思い煩うな云々…こりゃ聖書だ。
気になるので、二階をガソコソ探してみる。あった。いちばん最後のページの言葉じゃないかな。スカーレットが次のように言う。
"After all,tmorrow is another day."
あしたは今日と同じではなくて、新しい日がはじまるのだ、という意かな。

映画の終りの画面を思い出す。広大なタラの地。夕景。真赤な太陽が地平線に沈もうとしている。土も木も、すべてが赤く染まっている。スカーレットが、土を、両手で、グサリつかんで、太陽に向ってつきあげて、あのセリフを言う。
アメリカ人とアメリカには、とてもつきあいきれない。夢中と情と一本気の日本とは、まるっきり違う。オトナとコドモの違いみたいだな。
すると僕たちは、大真面目にコドモをやっているわけだな。いやになっちゃうな、でも、かわいいな。

6月29日 金曜日  第五回益田川住民会議へ

二十七日は、夜に呼出されて、A、B、Cへ。Cは一人で。
次の日、一時より「議会だより対策特別委員会」の初会合。全員出席。あとで議長が来てなにかしゃべる。彼の発言の意味が自分にはわからない。含みがあるけれども。
今回は、前回のをそのまま踏襲することに決める。編集の大枠は事務局長がやってくれる。12字×17字の原稿用紙二枚分に、質問の要旨をそれぞれ当人が書いて事務局に提出する。

夜九時には休む。次の日はえんえんと寝てしまう。起きだしたのは午後四時。疲労感が抜けない。会議三日間の緊張がひどかったので。
六時半に、木村さんの車に乗せてもらって、成俊さん経雄さんと第五回益田川住民会議に出席のため下呂ふれあい会館へ


6月30日 土曜日 ◎四美保養地とは? ◎なんだって? セルシオを町長車に?

議会一般質問一 四美保養地とは何なのか

質問一要旨。直接に出向いて担当官の安田氏(庁舎)熊崎氏(現地)から、それぞれ県の構想を聞いたところ、まず、下呂病院との関係が密接であること、つまり当病院にある東洋医学科の延長にあるものであると。つまり東洋思想に基く人材と施設を将来に向けて展開して行くものであると。そして、このプロジェクトが成功するかどうかは、現地のみなさんからの熱意あふれる支え、積極参加にあると。風評や噂がとびかい、そもそものプロジェクトが見えなくなって、町民は混乱している。役場行政がやろうとしていることは保養地の基本構想からそれて行っているがどうか。

議会一般質問二 セルシオを町長車にすべきでなかった

質問二要旨。前期議会は自分たちと特別職の報酬を、減額した。なのに、町長は自分用に七百万円でセルシオを買った。この不景気と財政難で町民は辛い思いをしている。クラウンにすべきであった。低公害車で燃料を食わなくて、役所から推奨されているプリウスならもっと素晴らしかったのに。

以上は六月二十七日にやった質問の要旨だ。原稿の枠は、一枚が(十二字×十七行=二百四字)のものが二枚限りだ。僕は、ぶっつけで、二十分間、上記の質問を続けた。原稿用紙にするとかなりの量だ。それを上記のようにまとめなくてはならない。いかにも枚数が少なすぎる。みなさん困っているだろう。今回は仕方がないが。

茂則議員は、入札について、町長の兄弟がやっている会社を加える際には、倫理道徳に敏感になっていなくてはならない、と力説した。この種の質問はずっとなかったそうだ。
嘉春議員は、保養地プロジェクトの凍結中止を、この財政難の折なので、強く求めた。

情報の開放こそが求められている。モヤモヤさせられていては、生きる意欲もわいてこない。シラケさせられてしまう。町民の思考覚醒と、諸情報の開放、流通、研鑚こそ、この閉塞社会に求められているよ。


議場での質問一の話の流れは次のようだった。(関連は、五月三十一日の日記、六月十日の写真ファイルだ。)この二つの文のそれぞれをまとめて、次の結論を言いたかったのである。言ったのである。
それは、町民ひとりひとりが自分の足と手と頭で立ちあがらなくては、萩原も下呂も新しい道を開いて行けないと。知らんまに誰かが頭上でやってしまうではむろんダメだし、逆の、誰かが何かやってくれるだろうもダメなのである。
いままでの好景気上昇日本では、それでもよかった。だが、今そのツケが回ってきた。だから、観光会長の滝さんが、あのシンポジウムに出てきたのである。好景気のときには、あの光景はないはずだ。
資本や建物や設備では、今やどうにもならないと。人、人、人、なのだと。下から、ひとひとひとが街を創っていかなければと。


7月1日 日曜日 「議会だより」優秀賞(山口県田布施町) アユ 愛読者

昨日から今朝にかけて、わが「議会だより」の原稿づくりと、HPのダイアリーへ入力、その間に、例年いらっしゃる釣り客に夕食準備、でフラフラだ。なんとヘボになってしまったのだろう。これではいかんと夜中に起きて、横になったまま、車谷の『「鹽壷の匙』」を少し読み、山口県田布施町の『議会だより』を拾い読みする。

田布施町の『議会だより』は、ここのところ毎年、優秀賞、最優秀賞を受けているもの。だから、この町へは関係者がその見学に訪れている。同僚議員が教えてくれたので、開いてみた。田布施町のサイトが大きいのに加えて、議会だよりのページも大きい。手元にあるプリントアウトもので(管理課の職員氏が一部を作ってきてくれたよ。)、二十六ページある。
田布勢町は人口一万六千で、萩原の一万二千、下呂の一万五千より大きい。
表紙の題字『議会だより』は、岸信介先生書になっている。この表紙に、『編集後記』が載せてあるのもユニークだ。その文がいいと思った。感心した。ここに引用したいくらいだが。

僕にとって残念なのは、まだ就任二ヶ月なので、役場が手がけている事業の一切がほとんどわからないということ。予算計上の数字の向うにある萩原の姿が具体的になってこないことだ。これができるようになれば、この仕事はおもしろくなるだろうな。とにかく、いまは、数字とその項目が、予算書にべったりくっついている状態だ。立ちあがってこないな。
このことを先輩議員にちょろっと漏らしたら、「いやいや、なかなか、それはねー」と首を振ったよ。やっぱりなかなかのことなのだろうな、これは。でも、ともかく僕はなんとかやってみるよ。

二十六ページのうちの十ページを読んだ。読めるんだなァ、これが。予想では、ざっと読むしかないとしていたのだが、違う、読める、読まさせられる、そのように紙面が作られ、書かれている。やはりトップランクの『議会だより』なのだなあ。
これを読んでいると、なんとなく紙面が理解できる。一般の町民が理解できるようにと配慮されているからだな。いま、十ページまできたが、次に進むのが、なんだか楽しみになってきたよ。いい文を読んでいくときのように。編集者に会って話してみたいものだな。田布施町ファンになれるかもしれない。

次にアユ
水が高い。五十センチ。で、四時ごろに向いへわたって見てみるに、二人いた。対岸の古関の下に。
きのう泊った選手は、小坂の大洞川へ、会場が移ったので行った。ここよりは低いだろうが、やりにくかったろう。
夕方年券を買いにきた人があった。付知の人。年をくってしまって、様子が変ったので、思い出せない。彼が言うには、解禁の二日後に、ヘリポートの下へはいったところ、二十匹ほど釣れたと。そりゃ、いいじゃないか。魚が流れないでいてくれよと祈るばかり。

カミさんが跡津へ、カラオケを聞きに行った。そこで、こんな事があったと彼女が言うには、退職者で今は自適の人がそばの席にいて、僕のサイトを毎日のように見ているのだと。驚く。エッと体がしまる感じになるから不思議だな。緊張。張合い

7月2日 月曜日 お客 アユ

早朝四時ごろ眠れないので、また、エネルギーがたまってきたので、『鹽壷の匙(しおつぼのさじ)』を読んでしまう。読まさせてしまう筆力、文章、生活姿勢。今、その感想はここで一言では言えない。いづれの機会に。

Nさんに朝食を出す。彼は、落ちついたおじさん風に変ってきていた。心境が表情に現れ出ている。外の刺激のほうではなくて、内側を見ている表情だ。

十時に役場へ行き、事務局長に「議会だより」の原稿を渡す。彼は独特のかけひきをしてくる。まあ、彼は定年まで勤めるのに対して、我々は、四年だ。定宿と仮の宿だな。しかも、こっちは初年兵だ。
猛烈に暑い。体がふわふわする。しっかり歩けない。エネルギーが切れかかっている。
酒屋へ行って、樽生ビールの配達を頼む。そこの若い店員は、シャキッとして、気持がいい。これは、彼の人柄なのだろうが、そのように心がけてそうなっているのだろう。

帰って、横になる。寝てしまう。五時に目が覚めて、あわてて仕入に。暑い。ナマの鯛で、いいものがあった。値段も。
夜、お客二人と、地元二人。体を休めてから店へ行く。話しは活発。川の工事のこと。住民会議で、目が覚めてきているので、地元はしっかりとしゃべる。
東京人と地元人の喋り方の違い。東京人は、客観的に喋る。わかってくれという態度はない。地元は、わかってくれ、とか、わかるだろう、の態度で喋る。都会と田舎の生活ぶりが、そこに出ている。

アユは、今日は水が高くて不調。数匹とか。三日はいいはずだが。


7月3日 火曜日  『眠れぬ夜のために』

暑い。今朝は気がつかなくてそのまま熟睡。カミさんがNさんの食事を用意してくれる。腰の調子がよくなってきたらしい。雑巾がけをしたとも言っていたので。
昼、体がだるくて、居るところがない。部屋をあっちこっちする。また寝てしまう。
今は、四日の午前二時だ。夜の十二時ごろ寝ついて、目が覚めて、これを入力している。体が冷えて、気分がいい。だから、手が動くし、体がしゃんとする。

高校生のころ、『眠れぬ夜のために』という本を読んだ。題が気にいったからだろう。内容は、キリスト教を土台としたもの。著者のヒルティはスイスの聖者といわれていた。内容に記憶はない。わかるようなわからぬような文。でも、何かがわかって興味が続いたので拾い読むことができたのだろう。こういうものを読むとはいっぷう変った高校生だな。
僕が、そのころ、ヒルティのことを何かかにか言っていたので、友が、修学旅行のみやげとしてこの本を買ってきてくれたのである。そのなかで、唯一実行してきたのは、「眠れぬときは眠れぬままにしたがよい」であった。これまでそういう人生を送ってきた。だから生き延びることができた。

だが、最近、きちんと起きて力を出さねばならぬことができたので、しかるべきときに眠れないことが苦しくなった。睡眠薬というもののことを考えている。これこそ、下呂病院の東洋医学科に相談してみてはと思っている。
それにしてもヘボだ。ぐたぐたの情けない体だ。こんな者、どう始末すべきか。

今日は、Yに、計三杯のジョッキを売った。亭主と息子夫婦ぶん。で、彼女には、コップ一杯ぶんをやった。はたして飲みきることができたかどうか。

S.Todani さんからの今日のメールを紹介します。

今日警察下に1時から4時までの釣果
16p〜22pまで9本、ほとんどが20p以上高水だったので強烈な引きでした。鮎が
思ったより大きかったのでトラブルも多くハリス切れ1回ナイロンの高切れ1回、明日
も頑張るぞ〜。
S.Todani

このメールは、僕には迫力いっぱいだ。十年前を思い出す。僕にとってのアユ釣りは命の充実感。陶酔。存在感。彼のメールから、それらが伝わってくる。この日は、まだ水が四、五十センチ高い。そこに立ちこんで踏ん張って釣るので、全力自分放出だ。

7月4日 水曜日 町村合併 シーガイア 今日の新聞いろいろ

十時より十一時半まで、益田庁舎で、船坂勝美氏(飛騨振興局長)の講演を聴く。萩原町の関係者が百名ほども会議室に集る。テーマは合併。いろいろ勉強になった。ためになった。流れとしては、平成十七年三月の合併実現に向っていることがわかった。もとは国の意向からきていると(国家財政の危機等から)。
今日はいろいろ入力したい事があるので、もっと詳しくは次の機会に。

その他に、九州は宮崎県の、一大ハコモノリゾートの、第三セクター経営による「シーガイア」について入力したくて、用意しているのだが、なかなか体力気力時間がまとまらないでいる。
これは、出発して約十年目にして、去年倒産した。一度も黒字を計上することなく。百億以上の赤字を出しつづけて。建設費二千億円のしろもの、最後にアメリカの投資会社が買いとった。百八十億円で。当初に雇われていた人三千。
そもそもの発端は、国によるリゾート開発法の制定だ。これによって、十数年前より、地方に似たようなテーマパークが続々とできた。そして破綻、地方の破綻。その筆頭格が「シーガイア」であり、「スペースワールド(北九州市)」であり、「ハウステンボス(長崎市)」などなどだ。

今日は、新聞見出しで、興味深いものをいくつか載せる予定でいた。で、ざっとやってみると。
 一面トップは、道路一般財源化、参議院立候補予定者アンケートでその六十パーセントが支持。自民候補は、二十四パーセントと消極姿勢。

ユーゴ前大統領初公判。ミロシェビッチ前大統領は「戦犯法廷は国連総会の決議に基くものでなく、違法な組織。この裁判は北大西洋条約機構の犯罪を正当化しようとするもので、起訴はまやかしだ。」と。

小泉内閣、支持率八十パーセント。(日本世論調査会)。自民支持も五十一パーセントに回復。

イチロースターの証明。起死回生の同点ツーラン。流れグイッ勝利に貢献。マリナーズ六十勝一番乗り。

競泳の田島が引退。シドニー五輪金メダリスト。今後は芸能活動。壮絶な食との戦いに疲れた二十歳。苦しんだ体重管理。ストレスで過食症も。シドニー五輪競泳女子四百メートル個人メドレー銀メダリストの田島寧子が現役を引退することが三日わかった。

"脱田中"宣言。「知事の資質ない」怒りの長野市民。ネットを設立 署名呼びかけ。長野県の田中康夫知事には知事としての資質が全くないとして、長野市民有志らが三日、「信州に真の県民益を実現する脱・田中県政ネットワーク」を設立、署名活動をはじめた。田中知事は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を差別する発言や、石原慎太郎東京都知事らに対する中傷発言、女性への根本的蔑視発言を繰り返し、反省がないとして知事としての資質に疑問があるとした。


7月5日 木曜日 和英辞典 人工透析

夕方、思いきって高山へ出かけることにした。小型の、携帯できる「和英辞典」を買うために。和英辞典を買うのはほんとに初めてだ。英和辞典は何冊も買ってきたが。英英辞典もすこし。どうして、いまごろ買うことにしたのかというと、やっぱり議員のせいである。十日に、ペンサコーラ市民団さよならパーティが星雲会館であるから出席をと知らされていたので。船坂飛騨振興局長による合併あと押し講演は、どうしても出席すべきものだが、こちらのほうはそういうものではないと思う。だが、僕にははじめてのことなので、なるべく出かけることにしている。その時、関係者や生徒に英語で喋らなければならない場合に、なんにも言えないでは困るので、和英辞典があれば、なんとか少しは、というわけだ。

そもそも、「議員」を英語でどういうのかわからないじゃないか。こりゃいかんと高山まで出かける気になった。棚に小型和英はいくつかあった。どれにすべきか。で、町会議員、を引いてみてその表示ぐあいで決めた。この辞書では次のようになっている。
a member of a town assembly. 町議会は town council とある。だが、下手に慣れぬことを言うと、かえってこんがらがるので、川とか山とか魚とか鳥とか釣りとか趣味とかのことを言うのがいいだろう。なにしろ、ガイコクジンと対面したことすらないのだから。 

ついでに文庫と新書を買った。一冊ずつ。『白洲正子自伝』と『まだ間に合う! パソコン完全入門』。後者は題名と、ぺらぺらめくった感じで買ってしまう。もう一冊、買ってみたいなと強く誘われてしまったのがあった。『正法眼蔵』の現代語訳だ。いちばん最初の、有名な部分を読んでみて、これはいいと直感した。いわくいいがたい原文の表現を、いわく言いがたいその含みをちゃんと残して訳されていた。六巻全部が揃っていた。二千円。買ってもとても読んでしまえそうにないのと、今はそういう境涯でないのと、文庫、新書しか買わない習慣であるのと、なるべく本は買いためない決めと、それやこれやでやめにする。
本にかぎっては、都市に居ると都合がいいのだが。

出発する前、ガソリンを入れているとき、若い店員とちょっと話した。オッとその前に、例の妙齢の女性アルバイターが、「先生こんにちは」、と遠くから声をかけてきて、大口で笑う。僕もにゃっとしてしまう。すると、ブッツリくすんでいた気持が軽くなるから不思議だな。その続きで、彼が、僕は人工透析をしていますのでと、何の拍子かそう言いはじめたのでギョッとする。なんとなんと。僕は腎臓一つだが、疲れやすいが、透析者の難儀からは遠いが。


7月6日 金曜日 再び「シーガイア」 町商工会から町長へ(大分県湯布院町視察研修報告、提案提言)(平成十二年十二月十三日発行のもの)

シーガイア。1,993年(平成五年)総工費二千億円で、第三セクターとして九州宮崎県で設立。三千人雇用。前身は、1,988年(昭和六十三年)にできたフェニックス・リゾート(ホテル業)。佐藤社長、中村副社長。
客足が伸びず赤字つづきだ。オーシャンドームへは、夏も冬も客は来るものとしていたがはずった。外国はともかく、日本では、冬には泳ぎに来なかった。冬、泳がなかったわけだ、当てが外れた。

そこで海外へ営業に行った。これは成果があった。海外からの客は年々増え続けた。にもかかわらず赤字は続いた。だが、バブル(泡)がはじけたと国中が騒がしかったが、そのうち回復するだろうと甘く予想した。そして、それ行けどんどんの前進を続けて傷を大きくしていった。が、社員にも関係者にも強気でとりつくろいつづけた。

決定打が打たれる。1,999年、第一勧銀がおくればせながら融資を打ちきった。破綻は突然にやってきたわけだ。
おかしなことに、ここで宮崎県が乗りだした。二十五億の公的資金を導入したのである。まったくのムダガネだ。この資金は、ふわふわとすぐ消え去ってしまった。わかりきったことなのに。明くる2,000年2月にシーガイアは倒産した。やがて、百八十億円で買取られていった。

萩原町商工会から、次の配りものがあった。町長に提言するとして。九州視察団研修報告(大分県の温泉地の湯布院町、熊本県南小国町黒川温泉、及び小国町を視察)を受けて。
これは、「南飛騨国際健康保養地構想」に対して、商工会として行動を起したということだ。

この提言、提案にはホッとしたよ。その基調になっている考えに賛成だ。萩原町の常識感覚は、これで見るに大丈夫だ。この線でなんとか進んでいかなくてはいけない。せっかくの県の構想が動き出しているのだ、そこから変な方向へ走りだしてはならないよ。
じゃそれは何か、提言書は短い文なので手にとって読んでもらいたいし、わかりやすく上手に書いてあるし。
住民手作りによる癒しの里づくりだ。

下呂温泉の苦渋はこの線で、この対比で見るとわかりやすい。ハコモノおんぶの欲ボケだ。そしていま下呂にあるものは、心の荒廃だろうな。大手のつぶし合い競争の夢の後だ。つわものたちの。ここでいま、辛いのは、街の人たちの暮しを力でねじ伏せてきたことによる、シラケ、イジケだろう。皆さん立ち上がってくれ、町づくりに素手で取組んでくれとは、厚かましくていまさら言えないじゃないか。
でも、前へ歩き出さなくては。


7月7日 土曜日 風俗嬢(ヘルス嬢)Aさん 益田橋から上流を見る  アユ

硬い記事が続くので今日は軟らかく行こう。もっとも、内実は表題のイメージから遠い。シリアスだ。不快感をもよおす人もあろう、用心して見ていってくれ。
彼女のも僕のと同じくネット日記である。愛読者がべらぼうに多い。僕のとは問題にならない。単なるキワモノでは支持が続かない。文章がいい。ということは、生きる姿勢がいいということ、あるいは、文に愛情がこもっているということ。

彼女は普通にOLだったが、思うところあって、決心するところあって、この道を仕事にしている。この道の冒険者であり探検者である。探検家の明るさと一途さが文に出ている。文から見える彼女の人となりは、太く強く、かつ繊細であり、フトコロがひろい。いじけていない。求道者のイメージすらある。

ヘルス嬢は本番をやらない。口と手を使う。だから、口は、はじめに二人して磨き合う。彼女は、殺菌力の強いのを使う。標準は一時間コース。実入りは一万円。五人やれば五万円だ。彼女が満足できるのは、するのは、相手が喜び満ちたりてくれたとき。気持ちよく射精してくれたとき。相手の性格などをすばやく読んで、それに合わせてサービスを変え、それが図星だったとき。人と人とが裸で向合う場、単純ではない。

不愉快は、一方的に体をいじくられるとき。仕事なので我慢するが、痛くて限度をこえるとき。このあいだこんな事があった、油断したスキに押えつけられて、ペニスをノドの奥まで突っ込まれて射精された。のみこまされて、この時ばかりは殺意がわいたと。

守勢にまわされづめは、疲れる。逆に、自分がずっと計画どおりに攻勢にまわることができる時は満足する。これは、男でも女でも、誰でも同じだ。攻勢は自分の思いどおりになって気分がいい。

彼女は、本番嬢に仕事を変えることにしていま待機中だ。数ヶ月前にできた彼女の恋人はなにも知らない。知らぬがホトケ。からだのサービスは仕事で、恋人は恋人。女性はそういうつくりになっているようだ。心と体を分離しやすくできているらしい。
とはいっても、サービスは愛情である。彼女は愛情屋なのだ。愛情商売だ。しかし、恋人は恋人であり、特定の相手だ。僕は観音様をイメージするようにすらなっているよ。

こういう人物なので、彼女は商売繁盛だろう。心がタフなので、男たちはなごみやすいだろう。もしできれば、彼女の職場へ探検に行ってみたいな。

アユ 水は十センチぐらい高いが、明日あたり最高。ここの前もかかっていた。大きい。また来週も来ると言って帰った者があったので、好調とわかる。


7月8日 日曜日 相補・代替医療(CAM) 白洲正子

「南飛騨 相補・代替医療 国際会議」 がこの十日に岐阜の県民未来ホールで行われる。
当日、渥美和彦・日本統合医療学会代表が「21世紀の第三の医学」、梶原拓知事が「岐阜県における新しい健康づくりへの挑戦」と題して講演をする。その他にアメリカからのその関連学者三人。

相補・代替医療(CAM)は、新しい医学分野だ。それには、中国の伝統医学アロマセラピー食事療法温泉療法などが含まれる。これを南飛騨国際健康保養地構想に役立てようとする。


白洲正子(1910〜1998)という名前を知ったのはごく最近のことで、その第一印象は、かっこういい名前だ、であった。次は、本屋で文庫本の、あるいは単行本の一冊を手に取ってざっと見たとき、堅苦しくて、キザっぽくて、高踏的な感じだった。窮屈だな。で、それっきりだ。
突然、この人が気になりだしたのは、気になったのは、車谷長吉による。『業柱抱き』のなかに白洲についての一文があり、あのきむずかし屋の車谷が全面賛辞を呈しているので、こりゃ読んでみなきゃと思わさせられた。なにしろ、僕は、いま、車谷に全面降伏しているからだ。つまり全面信用だ。

車谷と白洲は似ている。なにがというと、存在ということだな。存在ということは車谷に教えられた。車谷にとってのキーワードだ。自分自身の根っこに対する関心だ。自分とは何かという、はなはだつかみにくい漠然とした、だが確実な問いなのだ。つまり、哲学好き、抽象好きなのだが、そこを突き抜けて、現実家になってしまっているところがまた共通している。その現実家というところを書いてみる。

このあいだ高山で買ってきた『白洲正子自伝』の巻末最後のエッセーは「西国三十三ヶ所観音巡礼」である。彼女は、東京オリンピックの年、千九百六十四年に、取材で西国三十三ヶ所を歩いて巡った。五十四歳の時。四国の八十八ヶ所めぐりではない。なぜ西国のほうなのか。ここだな。四国は、空海の哲学が充満している。だが西国のほうにはそれがない。仏教以前の信仰、山岳信仰、自然物信仰がある。つまりアニミズム。白洲正子は、仏教にも神道にも行かなくて、アニミズムに行った。論理を突破った。そして、土着信仰たるアニミズムと一緒になった。ゆえに、彼女はリアリストだと僕は言うのである。言葉も論理もロマンだからである。車谷も、存在から出発して、否定に否定を重ねて、言葉と論理と抽象の向うへ突き抜けて行った。車谷が白洲を過激に持上げる理由はそこにある。

アニミズム(animism)を辞書で見ると――宗教の原始的な超自然観の一。有霊観と訳す。自然界のあらゆる事物は、具体的な形象を持つと同時に、それぞれ固有の霊魂や精霊などの霊的存在を有するとみなし、諸現象はその意思や働きによるものとみなす信仰。―広辞苑。

白洲正子は、薩摩隼人の末裔である。両祖父ともそうだ。西南戦争における大久保組、新政府側で、~のごとき西郷と戦った。父方の祖父樺山資紀は日清戦争まで、幹部として(海軍軍令部長)戦った。そして貴族、超上流階級となった。大正の初めには、家紋いりの自家用車を買っている。七人乗りのキャディラック。
だが、文からは、ある存在を持った強烈な精神、日本人としての姿を現してくるから驚き打たれる。突き抜けている。西欧化に惑乱する日本のまっただなかを生きぬいてきた。そこを車谷は全面賛辞なのである。

車谷と白洲は、ある種の成り上がりを先祖に持つという点でも共通している。彼の曽祖父は、鬼の金貸しとして兵庫県の飾磨地方で立身した。車谷長吉(1945〜)は一族の運命と時代の運命とを一身に背負う者として生きた。その分裂苦渋を存在として生きた。慶応大学卒のエリートから一転、旅の渡り者として。根っこの存在として。

追記 車谷によると、語りは騙りに通じ、語ることは騙ることだと。これも彼のキーワードだな。ということは、彼は言葉にきわめてきわめて敏感だということである。言葉を切りまくらずにはおられない。ある種の狂気の兆候さえ示すことになろう。言葉を切るとは、社会も自分も、そして安定をめった切りにすることだからだ。その向うに、現実家、リアリスト車谷が立ち現れてくる、と僕はかたろうとしてみたのであるが、はたしてうまく行ったかどうか。いわく言いがたくて心残りなので追記してみた。

7月9日 月曜日 アユ  九州の湯布院など視察報告(2)

今朝、益田橋へはいった人が夕方、四十匹ほども掛けてくる。予想していたより大きい。例年のアユに育っている。平均二十センチぐらいある。ここ数日、好調が続くだろう。ほぼ平水。

七月六日に少し紹介した、九州の湯布院(人口一万二千人)、南小国町、小国町への視察団の幹部の一人に、電話して様子を聞く。
二泊三日。勉強づけで大変だったと。それぞれの町では、それぞれに熱心に説明してくれた。
湯布院温泉は、もともと湯治場としてあったが、それを、さらに、若い人たちが前に押し進めた。結果、いまでは、訪れる人は年間四百万人。下呂がざっと二百万人なので、その賑わいぶりが凄いとわかる。この温泉地には歓楽街はない。旅館は、ぽつんぽつんと点在する。観光客は小人数のグループが多い(女性70%)。リピーター60%。また住民に住みやすい環境となっており、そのことがまた、おのずから観光客にも心地よく感じられるのだろう。都会にはない人間味ある何かがあるのだろう。そうでなければ、こんな地味なところが賑うはずがない。
南小国町の黒川温泉では(人口四千五百人、観光客年間三十六万人。狭い谷間にあり、交通アクセスは良くない)、一軒あたり平均五十人収容だ。建物で勝負していない。

どんなようなところかときくと、かっての小坂の温泉、湯治場、に雰囲気が似ていると。だから、と彼は言う、わしらのような田舎住いの者には地味でどうも面白くない。やっぱり、歓楽街があったほうがええ。と彼は笑って言う。だが、都会にすむ者には、ああしたひなびた感じが好まれる。かえって、派手な温泉地は、全国にいっぱいあって、飽きられ敬遠されている。

視察団員は、車中でも、会議でも、なんども意見をかわした。それを取りまとめたものが、前記の提言書なのだ。
そういうことなら、県による四美の保養地構想が地味なものなので、町の構想もそれに見合うものがいい。ハコモノ感覚ではダメなのだ。
参加した萩原の経済四団体は、萩原町商工会、飛騨法人会萩原支部、萩原町経営者協会、萩原町観光協会。

7月10日 火曜日 全員協議会 グランドゴルフ アメリカの中学生たち

快晴。暑い。

三時から議員全員協議会。その前二時過ぎに星雲会館へ行く。めざす教育委員会は、休み。それで、図書館へ。探す。車谷のは一冊もない。新刊を探す。めぼしいものがなかなか見つからない。今年一月新刊で松本徹の『三島由紀夫の最後』を借りる。面白く読めることを期待するよ。
三時十五分前に役場につく。出席の印鑑を忘れたことに気づく。サインでいいかと思ったので、それですましていたが、事務局長から、印鑑でと注意されていたので、取りに家までもどる。

協議事項が、配られる。前々から続いていた、A議員、B議員、それに議長を交えた、発言や手続の紛糾について協議するためだ。非常に熱心な協議が続いた。新人議員も六人全員が発言した。四時半過ぎに終る。

「参考」 として載せられている、萩原町議会会議規則(抜粋)を写してみる。
第五十二条 (発言内容の制限)
 発言は、すべて簡明にするものとし、議題外にわたりまたはその範囲を超えてはならない。
2 議長は、発言が前項の規定に反すると認めるときは注意し、なお従わない場合は、発言を禁止することができる。
3 議員は、質疑にあたっては、自己の意見を述べることができない。
第五十三条 (質疑の回数)
 質疑は、同一議員につき、同一の議題ついて3回を越えることができない。ただし、特に議長の許可を得たときは、この限りでない。

五時ごろに、グランドゴルフ練習のために朝霧グランドへ。練習は、小坂で行われる郡の議員研修のあとの親睦会のためのもの。今日は時間がないので、三十分で切上げる。
これは、年配者の親睦にはよい。チームで練習をするので。
今これを入力しているとき、足が引きつった。こむら返りを起した。ちょっと歩きまわっただけなのに。

六時半から、ペンサコーラ市から来ていた中学生一行の送別会。会費三千円。議員全員出席。これは毎年の行事だ。来年の春には、こちらの中学生たちが向うへ出かける。
感心したのは、真中のテーブルにあった寿司や焼きそば、サラダなどの食べ物が、すぐ空になってしまったことだ。費用のことばかりでなく、食べることに熱中させないという魂胆だろうか。夕食時に行ったので、これではみなさん腹がふくれません。でもビールの方は、あとから配られた。

八時ごろ途中で抜出す。すでに議員たちの大半がいなくなっていた。戸口まで行ったら、新聞記者ですかと呼びとめられた。びっくりした。英語の話になって、多少読めるけれども、聞くことも喋ることもできないのでと言ったように思うが、少し酔っていたので定かではない。
彼女は十代に見えたが、通訳として世話役をやっていたようだ。
送別会のようすへ

7月11日 水曜日 南飛騨健康保養地構想 デイ・サービスセンター用地  アユ

今日の新聞から。
南飛騨健康保養地構想を進める県は十日、岐阜市の未来会館で、(代替医療)に関する日米国際会議を開いた。代替医療とは、西欧医学が発展するなか、隅に置かれていた、漢方、針灸、気功、インド伝統医学などを指す。アロマセラピー、温泉療法、食事療法もこれにはいる。
アメリカから来た三人の専門家のうち、アイゼンバーグ博士は、二十年前に中国に派遣されていた初の医学生だ。彼は、心身を一体として見る中国医学の思想と成果を評価している。

きのう、ペンサコーラ市からの中学生の送別会に出席した。そのとき、デイ・サービスセンターの用地のことで僕に強く言ってきた議員がいた。四美のA地と彼とが疑惑の結びつきがあるという話に対してだ。彼はとんでもないデマだと言う。名誉毀損で訴えたいくらいだと。なぜ、我慢していたかというと、ここで下手に騒ぐと、四美にデイサービスができないことになってしまうことを恐れたからだと。そういうことならわかる。話を広めた者は、どんなつもりがあったのかな。
C議員に電話して事情を聞いてみる。倫理道徳に関るのだと。事は、議員どうしのきしみがはいっていると。表向きの話と、その裏に流れているものがあるのだと。本筋は、事柄は事柄であり、条理は条理だよ。その線で行こう。ただ、こっちは、以前の微妙な流れというものがさっぱりわからない。それは、今のところ仕様がないが。

役員から、中呂の方面がさっぱり釣れない、アユがいないという苦情が来たと。上呂のほうはどうかな。ここの前は、去年の今ごろよりは掛る。稚アユは、あちらとこちらとでは違うものがはいったようだが、調べてみよう。
最後の放流が、この十三日と十六日にあると連絡あり。
米やさんに寄って、町のアユ釣り大会への協力について話す。

7月12日 木曜日 大野候補  『三島由紀夫の最後』

夕方から少し雨。蒸暑い。

事務局長と『議会だより』編集会議を十六日に決める。副議長の都合に合わせる。この日はアユ放流がはいっていたが、別の人に代ってもらう。忙しい。予想外だ。だが、旅館のほうはヒマ。我家の財政には、交付金などの補助はむろん皆無なので、落ちつけない。
今週は三日、来週も三日、再来週も三日間役場へ。片手間にやれということなのだが、重くて大変だな。どうなって行くのかな。なるようにしかならないが。

朝、消防詰め所へ寄って大野候補のポスター割当て分を受けとる。僕は街の分。どうも頭がしっかりしなくていやになる。たしか四番だったな。と考え出したら自信がなくなってくる。一番に共産党の候補がすでに張ってある。全部を張ってしまってから、念のため花池へ行って確める。OK。
星雲会館付近では、百メートルと離れていないところに二ヶ所あった。人が集るという判断だな。
しかし、大野という人とは、自分はなんの関係もない。こんな選挙体験は初だ。大野候補よ、選対よ、こんなことではだめだよ。小泉人気で合格は間違いないが、それがなかったら危ないよ。

その足で本屋を下呂までも出かけて探す。一軒に白洲正子の文庫が二冊あった。『西行』と『夕顔』を買う。車谷の『白痴群』はない。その中の「武蔵丸」に世評が高いようだ。萩原図書館で聞いてみるとするか。足が重いが。

このあいだ借りた松本徹の『三島由紀夫の最後』は一時間ちょっとで読んでしまった。そういう本だ。
思い出すと、徳岡の『五衰の人』は、去年の七月十七日にアップしている。最終は十二月十二日だ。もう続かなくなったということ。しかし、よく粘ったものだ。三島の激しい熱がこっちをつかんでしまったということ。閉口しながらもあれだけ付合えたのは、理屈ではなく、彼の熱だよ。

一つ、これだなと思ったことがあった。それは日本文脈と西欧文脈ということ。漱石鴎外以来ずっと続いているということ。事は文学上のことではなく、今や、社会現象としても、まともに取組まなくてはならなくなった。両文脈のねじれは、亀裂を深めている。表面は何事もなく好調が、平穏が、続いているように見えるが、裂目は確実に大衆のなかに食い込んでいっている。当惑や不安や。アメリカ流大量消費社会が残した深い傷。小泉を選んだということは、みんなが、末端の自民党員が、覚悟したということなんだろう。日本の、何か精神が危ないと。目に見えないところで危ないと。

車谷のは、彼の全身全霊による抗議なのである。亀裂への対応の甘さに対して。彼は、一介の世捨て人のような人生をやってきたけれども、その内実において、その過激において、三島の線上にある。三島の抗議は、三十年前に、重大警告として、ドハデに、一身を持ってあんなかたちになった。車谷のは、一人で、身を持って、渡り者として、日本の上層部に挑戦した。
僕は車谷の名を知ったのは、三島のを読んでいる時だった。つまり、三島、車谷、白洲、たちは一度も相談などしていないが確実に血の文脈なのである。

7月13日 金曜日 アユ放流 自民党益田(下呂)支部へ選挙詰 アユ成果

今、十五日の朝五時半。長袖を着て打っている。夕べは暑苦しかった。だが、玄関を開けると涼しい。そのままぽうっとしていた。それでも暑さと湿り気が体にまとわりついてはなれない。
昨日は、朝、八時に中呂鉄橋へ集合。宮田まで十キロにわたってアユの放流をする。途中雨が降りはじめる。どんどんやって上流へと急ぐ。最後は嫁谷橋。十時半。よく働かせていただきました。同年配の者たちとくらべて、自分はかなり弱い。めだって弱い。

中呂の班長が、彼の店のあたりが掛らない、アユがいないと騒いでいた。どうしてかな。上呂から上流はけっこうに掛る、大きさもまあまあだ、と上呂出身の班長は言っていたが。問題は稚アユなんだろうと思うが。
本部の事務長が、お客はどうですかと心配する気配を見せる。困った、困った、フトコロがあぶないと言うしかない。
今朝五時に、定連だった四人組にオトリと券を売る。こんな事は、以前はめずらしいことではなかったが、今は違う。ひどく懐かしい。よく掛るようになれば、こんな風景は戻るのだが。

一時に、指定されていた通り、下呂の自民党益田支部へ行く。道路沿いの民家を丸ごと使えるようにしてある。やがて、雇われてかりだされて来たどこかの女性職員二人がくる。電話をかけ始める。やがて、今度は五十年配の婦人が二人来て、やっぱり電話をやり始める。萩原から駆出されてきた僕と同僚のN議員は、暑さ我慢比べのようなものだ。寝そべったり起きたりして時を過す。僕は我慢ができなくなって、隣りのコーヒー店へ行く。やがて、しばらくすると、さっきの女性職員たちが休みにやって来た。彼女たちのコーヒーはサービスだが、僕は自前だ。
年配の土建関係の婦人たちは、来ない。熱心だ。N議員と笑いあったことだが、こりゃ、土建屋さんたちにやってもらうことだよと。つまり、我々商店主などには関係ないよという意味だ。笑いあって言うわけなので、毒を消しあっているわけだが。小泉人気で、関係者はのんびりしている。
帰りぎは、支部長の駒田県議がくる。慣れましたかと彼は言う。発言は、きっぱりできますかと。今のところはできると返事する。そのうち、いろいろの関係で、なかなか発言しにくくなりますよと彼は言う、楽しげに言う。
Nさんと僕は四時に帰る。

お客が釣りから帰って来る。気分のいい顔をしている。カンに二十匹はいた。道理でだ。ヘリポートのあたりらしい。こりゃ、やっぱり去年のいまごろより遥かにいい。(彼はごく平均的釣り人)。そこが嬉しい。

7月14日 土曜日 酷暑 アユ  『赤目四十八瀧心中未遂』と『白痴群』 『地方議会人』

暑い。昼、室内で三十度近い。外に出て少し歩くだけで、顔が暑さでねじれてくるのがわかる。みんなも、似たような表情をしている。予報では、平年より五度ほども高いと。

農協へ、久しぶり、昨日今日と買物に行く。合併(飛騨地区のすべてが一つになった)を思い出して、少し様子が違ってきたかなと判断してしまう。店員がなんとなく張りきっているかな、ユニホームが新しいかなと。商品が少し安くなっている気がするが。

夕方、カミさんと、釣りから帰ってきた人が喋っているのが聞える。四匹も切られたと。どうなっているんだ。大きいには違いないが、四匹とはどういうことなのだろう。ニゴイがはいっているんじゃないかな。持って帰れたのは十数匹だと。(あとでわかったが全部で四匹。だから二匹切られたということ。いつもながらカミさんの話はいいかげんである)。

昼、暑いさかりに図書館へ行く。受付の人に、「買うか借りるかしてもらいたいんですけど。」とおそるおそる言う。間髪を入れず、「むずかしいのはだめです」と来た。「いえいえ、むずかしくありません。数年前直木賞をとった本です。もう一冊は、出たばかりのもので、それは川端康成賞をとったんじゃないかと思いますが」
彼女はおもむろに筆記の用意をする。車谷長吉の「『赤目四十八瀧心中未遂』と『白痴群』です。」
自分の気持としては、この二冊は買ってほしいと思った。ここ何十年と出なかった、すばらしい小説のはずだからだ。
日本の文芸会が衰弱ぎみの中で、これは間違いなく歴史に残る作品であるよ。僕は、彼のものを、三冊ちょうど読んだばかりなので、そう断言できる。

『地方議会人』。この雑誌は全国町村の議長会が編集しているものとなっている。議会事務局で毎月買うことになっている。初め、かたぐるしくて面白くない雑誌だと読まなかった。ところが、少し議会の様子に慣れてきたので、この雑誌の良さがわかってきた。ぺらぺらと読んでいると、地方議会人に、つまり政治家というものの考え方に頭が切り換っていくところが新鮮な体験だよ。これは、七十ぺージほどの小冊子だが、良質だ。売らんかな、のために読者におもねっていないところがよい。地方議会人のため、という姿勢が徹底しているところがわかって頼もしい。


7月15日 日曜日 西欧崇拝乞食

猛烈な暑さが続く。この肉体は、必死で生きている、起きているのが精いっぱいという感じだ、大げさでなく。四十代の者にもこの実感はないだろう。つまり、この状態が"老い"の証明なのだ。つまり、ものの見方考え方が確実に変えさせられるということ。

昨日『地方議会人』について少し書いた。これは、これに関る生活は、政治に関る生活は、議員という政治のセミプロは、僕には初めての体験で、いろいろに深く広く浅く考えさせられて緊張が続いている。

それが一方にあって、もう一方に車谷長吉がいる。その作品が。この世界と上記政治の世界が、どこがいちばん根本として違うかということについて言ってみると。
言葉を、自分が使う全部の言葉を、自分の体を通させているということだ。だから、もぐもぐ言う感じになる、カッコウよく言えない、大向うに向って演説パフォーマンスなどうてない、大きな世界、大事な世界、つまり集団の具体的な世界、つまり政治の世界は、車谷にはうすい、むしろ、自分をそれに対立させている。でっかい言葉を、カッコウいい言葉を、思想とかなども、決意して語ろうとしない。

じゃ、彼はなにを語ろうとしているか、世捨て人のような渡り者の生活を選んでしてきたのはなぜか。それは地べたの、地面の、土の言葉を、体に身につけさせようとしてきたからなのである。なぜそんなややこしい人生を選んできたのか。キーワードは「思想」だ。人生への方向意思だ、方向感覚だ。
なぜそういう方向意思を持ったか。
幼少からある違和感だな。周りとの違和感。それが、長ずるにつれて、「周り」が、東京とか、大学とか、日本とか、西欧とか、日本歴史とか、そして政治とか、いわゆるもろもろの文化とか、広く深いものに変っていった。

『業柱抱き』の最初にある、「私小説について」の中で彼は次のように言っている。
"この二十年ほどは、やれ本格小説だの何だのと言われて、三島が書いたような、人の想像力が生み出す人工的な小説世界、言うなれば有りもしない現実を有るかのように書くことが持て囃され、基本的に、善悪の彼岸に立ち迷う人の存在の生霊の姿をありのままに書こうとする私小説は、人に忌まれ、さげすみの標的にされて来た。そのような言説をもっぱらに主導してきたのは、バルザックやゲーテを原書で読める語学力を、自慢顔に云々する西欧崇拝乞食たちであった。この人たちは私小説を恐れていたのであった。"

西欧崇拝乞食とは激しいじゃないか。この人たちは私小説を恐れていたのであったとは、よくも言いきったものだな。僕はしょっぱなから、このパンチを食らって降参した。まいりました。これほどの挑戦をほかに知らないよ。全面戦争である。殺し合いである。車谷は、西欧崇拝乞食たちと、一人で戦争をするのである。そんなもの戦争になるか。いや戦争だ。マジな話だ。彼の生きる意味、小説を書く意味がその一点にあるからだ。

政治家には、そんな世界はチンプンカンプンだ。精神病院を新設しなきゃならないかと考えるのが政治家の仕事だ。戦争妄想病院を。政治家は、そういう新奇の病気が蔓延することを恐れて、すぐその対策を講じはじめるとしたものだ。つまり、政治家とブンガク者とは、さっぱり話が噛み合わないのである。

7月17日 火曜日 社協(デイ・サービス)と朝霧サニーランド訪問  アユ

臨時議会に向けての総務文教委員会。
1 国保関係条例改正案及び補正予算案について
2 JA益田との土地交換について
3 萩原町史の発刊について
4 その他

国民健康保険については、とてもすぐ理解できるようなものではない。数字とデータのオンパレードだ。結論だけはしっかり書きとめてきた、一世帯あたり平均5.36パーセント増額になると。

萩原町史については、こんど、縄文、弥生時代から徳川幕府の衰退まで。上、下巻で。上巻三千百円、下巻三千八百五十円。それぞれ八百冊ずつを発刊。

その他で、ペンサコーラ市への中学生派遣についての反省など。
(行きたい生徒、行けない生徒、行った生徒、行かなかった生徒の間のきしみについて。事が、ごくわずかのトップたちの間で話合われすすめられていることが問題だと。)僕は当事者になったことがないので事がピンと来ないが。

午後から社協(デイ・サービス)と朝霧サニーランド訪問。はじめて目の当りにする光景だ。衝撃だったよ。病院に似ているけれども、違う点は、ここの施設で、老人たちは健常にもどってまた活躍する見込みがないことだな。だから、活気というものがない。やりきれない光景だった。病院は、再起への活気に溢れているが。すっかり考えさせられたよ。

追記 カミさんの母親は、老いて痴呆になった。病院にはいった。病院で、日によっては頭の調子が普通に戻るときがあって、へんな人がいっぱいいると彼女は娘に向って嘆いた。娘のほうは、いやというほど実地体験をした。そのころは若かったので、対岸の火事だった。自分がその年齢に来て、いちいち身につまされる。
僕は、初めての体験で、これはもうショックと呼ぶべきものだったよ。正直、見たくないものを見てしまった感じ。
サニーランドで、廊下などに、習字とか、絵とかがいっぱい展示してあった。それを見ると、人の心のありよう、願いが、ちゃんと伝わってきて切なかったな。ぼんやりと車椅子などに座っている人たちとの対比でつらかった。でも、絵や習字には人としての感覚がちゃんと自分を主張していたのでホッとしたよ。

稚アユ放流(十八日)。町からのアユ放流予算のもの。人工産ではなく、琵琶湖産で蓄養したもの。追いがいいので、という理由だと漁協では言っていた。

平水が続く。きのう釣り人は、前に六、七人いた。今日もそれくらいだ。上呂堰堤のあたり、やはり六、七人いた。
きのう客の一人は、前で十二、三匹掛けてきた。彼は、今日もやっているようだが。

7月18日 水曜日 『爺報(やほう)』  技術士 

嘉春議員が、『爺報(やほう)』を今朝の新聞におりこんだ。びっくりだ。ある種のPRチラシだろうな。夜、益田川住民会議で一緒になったので、議員たちからクレームがつきそうな点を指摘しておいた。それ以外では、元気があっていいと言った。

住民会議世話役会。ようやく自分もみんなも打ち解けてきた感じだ。すると、この会議をずっと前進させていく話になって、事が厄介ではあるなあと感じた。やっぱり、やっていかなくてはならないのかなあ。だんだん引込めなくなってきたよ、お客さんではおれなくなってくるよ。
パシフィックコンサルの四人のうち、二人が技術士であると、都市工学の。大が洞ダムの設計管理で来てうちに泊っていた一人が、地質の技術士だった。話し振りが違うと感心していたので、今日そのことを知らされてなるほどと思った。話の進め方が洗練されている。住民との会議の持ち方についてはプロなのだった。
僕のHPについて、東京で見ている、という話の中で、チーフが、セルシオの話が出ていましたねー、とまずしょっぱなに言ってきたのには驚いた。セルシオがトピックとしては際立っていることを即座に判断して喋ってくるところに感心したよ。

昼、議長がふらっとやってくる。この機会にと、いろいろと彼に聞く。特に、先輩議員たちの間の流れについて。どうも、理解しにくい事柄が議会や委員会で起きているので。

7月19日 木曜日 アユ放流 (金曜フォーラム 子どもが遊ぶ川) 回覧   赤目四十八瀧心中未遂』 玄侑宗久

アユ放流。十六、十七、十八、十九日のうち、後の三日間に出る。暑いのでぐったり疲れる。議員のグランドゴルフの練習と、放流とが重なって疲れる。忙しい。

体調を直そうと、スナックへ行ったがかえってよくなかった。役場の連中と一緒になる。以前なら知らん顔していたが、こんどはそうもいかない。なんとなく神経を使ってしまうので、体調がリラックスできない。バランスの取戻し方を考え直さなきゃ。体力に合わせて。どうも文がチグハグする。いつものように前へ進まない。

きのう十九日、建設事務所から電話があった。カミさんが受けた。担当者が十一時となんども言うので、カミさんは、てっきり住民会議が二十日の夜十一時にあると思いこんでしまった。ずいぶん遅い会議ですねェと驚き感心する。はやとちりだ。夜の十一時からはじまるテレビを見てくれということだった。
いま二十日の朝の十一時だが、新聞のテレビ欄で確めたところだ。NHK教育の、(金曜フォーラム 子どもが遊ぶ川)だ。

A議員から電話がある。萩下で、保養地のことで回覧がまわっていると。第一感、そりゃ変だ。そんな回覧はまわるはずがないが。嘉春議員の『爺報』に対抗してかもしれないと。そりゃおかしいなあ、回覧ではおかしいなあと言う。
今朝、判明。婦人会で保養地を見学に行くと。そういうことだった。どうも話というのは、一人歩きしてとんでもない方向へ行ってしまうものだな。用心用心用心。

腹の調子が悪い。重い。あれている感じだ。で、いま、朝ご飯を食べないままで打っている。アルコールのせいかも知れないな。頭が引きつった感じなのは。

さっき寝たままで、県の図書館から取寄せてもらった、車谷の『赤目四十八瀧心中未遂』をざっと見る。できの悪い作品だ。これが直木賞とは恐れ入る。営業だ、出版社や関係者の。金儲けだ。車谷が、ひどいぐあいに利用されているよ。まあ、ほかの作品が立派なのでいいが。彼は、金儲けとは、わざわざ距離をおいて生きてきた者なのに、それが利用されている。結局は、日本のゼニ儲けの病根は根深くもひどいという証明だな。

3月18日の日記に書いた玄侑宗久が芥川賞を受賞した。現役僧侶が小説家として認められた。新しいテーマが展開されていくことを期待するよ。手元に用意してある『水の舳先』にさっそく取組んでみる。何が出てくるかな。

『水の舳先』ざっと読み終わる。残念ながら、小説の言葉の波長が今の自分と合わない。言葉が、リアリティを持って自分の中へはいってこないということだ。小説の言葉は、どうしても必要なものではない。その小説と自分との間には経済上の必要とか、そうしたものはない。任意である。だから読み進めることは、大きな、あるいは無上の喜びである。言葉がすっとは入って来て自分の体と交わることは大きな楽しみなのだ。出会いだ。趣味の問題でもある。司馬遼太郎の評論随筆は面白くて非常にためになったけれども、小説のほうはどうにも読めなくなった。
車谷長吉の文には感心した、楽しかった、拍手喝采のものが多くあった、だが、『赤目四十八瀧心中未遂』はだめだった。作品と自分との関係は、任意の関係にすぎないので。仕事や収入に関るなら、事は別の様相を示すことになるはずだが。

7月22日 日曜日 川まわり 猛暑 ひどい疲労

暑い。暑い。暑くて居るところがない。
川周りに出かける。まず中呂へ。今年は、やり方を変えて、こきざみにバイクで乗り継ぐことにした。去年までは、中呂からここまでずっと歩いた。今年は体調に自信がなかったので、やり方を変えた。
途中「割烹松もと」に寄る。体調が悪くて、昔の彼女(ママさん)の面影はない。二十数年前、張り切っていたころの魅力が今はウソみたいだ。そのときの人生は二度とないということだな。自分も、いつでも、彼女と同じになるのだ。老いのむごさだ。

あのあたり、川の石の色の様子がよくない。あおぐろっぽい。こういう石の色のところでは掛りが悪い。黄色っぽくなくてはいけないのだ。釣り人が少ない。

次に、「アルペン」に寄ってコーヒーを飲む。この辺りも釣り人が少ない。マスターは、町主催の釣り大会に出て店にいなかった。飲みやRでの歌友達S君に会う。彼は、日曜日で、晴々していた。自分は、今日は仕事で、苦しい、暑い。

朝霧橋まで行く。川周り(入川券を調べる)分担域の終点だ。不所持者は一人も居なかった。

全体に釣れていない。で、みなさん不機嫌だ。で、こういうとき川周りは大変だ。愚痴られるので。文句タラタラなので。

7月23日 月曜日 血圧 アユ(瀬) 不吉な空想 

こんな暑さは知らない。老化でこたえるのだろうか。居るところがない。今朝行った下呂病院では、緊張で暑さを忘れていた。備付けの血圧計で測ったら、百四十弱。診察を受けずにクスリだけで帰った。

静岡から来た人は、益田橋で二十数匹。もう一人は、石油のあたりで十匹ほど。後者が平均だ。
今年のアユは、瀬を好む傾向があるようだ。

今、二十四日の午前十一時だ。きのうよりだいぶ涼しい。打つ気力が保てる。
瀬戸から釣り客が予約していったので、議員のグランドゴルフ練習は欠席だな。
問題は、調理の気力体力が保てるかだ。
頭がぼんやりしてしっかり考えられない。人生がどうでもよくなってくる。体調がおかしくて、体と頭に不快感が充満する感じでいやーな気分だな。地球大地の土になってしまいたいような。不吉な空想だな。


7月24日 火曜日 地方自治と地方分権のウソっぽさ

いま午前二時。暑くて、熱くて、目が覚めてしまった。心の臓がどきどきする。今日、小坂での議員研修はどうなるかな。まずは、行けるかどうか心もとない。
議員研修誌『地方議会人』七月号。編集は全国町村議会議長会となっている。いい本だ。ためになる。きのう臨時議会の通知と一緒に配られてきたので、その巻頭を読んでみた。加倉井弘なるNHKの解説委員が寄稿している。「中央と地方の上下関係」として。

例によって外国との比較。ドイツとアメリカ。彼は、ドイツのバーデン・ビュルテンベルク洲に招かれた、日本の大手マスコミ人の一人だ。国ではなく、州政府に招かれた。話はここから出発する。ドイツでは、「簡単に言ってしまえば、軍と通貨発行以外はすべて洲がやる」。これが地球上の一隅に、現に在る地方自治だ。理想の話ではない。

そこで、日本の地方自治とは、という話になる。我国では、明治維新にできた中央集権国家が、敗戦後も続いているということ。地方分権は、理想としての話なのだ。これが日本の地方自治の現状だ。

益田川住民会議の川の話でも、なんでも、地方が不安定なのはそのあたりから出発していたのである、そう思うよ。地方はオカミの都合によって実質動かされているので、不安定このうえない。きれいごとを言って糊塗しているのみ。足元はますます不安定。地方自治や地方分権に実質が伴っていないからである。イキがってオカミにたて突くと、すぐ復讐される、脅される。これが現状だ。日本が、いつもいつも、それっとばかりに同じ方向に一斉に動くのは、そのあたりに原因がある。足元が、存在そのものが、不安定だからだ。一人でどっかりと立っておれないのだ、不安で。(僕も同じ)。
自立がなくては大人に成りきれないじゃないか。分別臭くして見せているだけだな。いかにも悟ったような。ニセモノボウズの国日本だな。

加倉井氏の文を引用してみる。
《いま農林水産業の問題で、地方自治体が一番悩んでいるのは、減反の配分であろう。全国の水田約三百万ヘクタールのうち百万ヘクタールを超す水田で稲を作らないということは大変な事態である。しかも減反面積は年々増えてきている。米の産地のある市長は、「もうこれ以上の減反はできません」と割当ての返上を県に申し出たら、次の年度には減反割当てが二倍に増やされたという。そして次の年の農業構造改善事業の予算配分から、その市は削除すると脅されたという。それでとうとう県に謝りました、という。》

最近、一部の県の知事が、威勢よくやっている。オカミに盾突いているよ。イヨーッ千両役者。


7月25日 水曜日 幼少期に外国語?  

昨日の夜、暑くて苦しくて、気分を紛らすために、テレビのスイッチを入れると、四十代の、丸顔の、目をぱちぱちさせて神経質そうな、けれども心身に栄養がよくいきわたっているような女性が、ちょうど喋り始めるところだった。米原万理、ロシア語同時通訳者と字幕が出た。この名前には、小冊子で数日前出会っているのを思い出したよ。「わが友シモネッタの謎」。シモネッタ・ドッジなる妙齢の女性。しもねた。しもねた話を得意とするということ。シモネタは、当の米原女史も得意の分野のようである。米原は、よねはらで、まいばら、ではないだろう。万理は、ばんり、ではなく、まり、だろうな。

話は、それとは関係がない。彼女はNHKで時事解説者として登場していた、上記のようなテーマで。事は重大である。
だが、数日前の、シモネッタなる、ワル達者ふうの文の作者の印象が出てきてしまう。どんな御仁だろうとしげしげと見つめる。体躯は丸くて安定しているのに、どうも表情に落着きがない。子供はいないみたいで、全体に安定を欠いている。シモネッタは、注意喚起なのだろうが、でも、本当に、それにコッテしまっていた感じもある。あるいは凝れなかった感じも。

そのうち彼女の話に引き込まれた。八歳前後における、外国語教育は大悪だと、彼女は力説する。言語中枢が混乱してしまうのだと。彼女は自分の幼少期海外体験を踏まえて言う。同業者たちを、また海外駐在者たちの子供たちの成長の様を、実際に見ているので、その害を力説する。幼少期外国語教育の推薦学説はないと。業者が売らんかなで、まことしやかに宣伝しているのだと。皆さんこれはだめですよ、子どもが苦しみますよ、気をつけてくださいよと。

母国語、日本人なら日本語の理解度、習得度以上には、外国語の教養は至らないのだと。つまり、日本語の理解度、薀蓄(うんちく)度が深いほど、外国語、第二外国語の程度は上がるものだと。彼女の苛立ちは、自分の日本語理解がどうにも深くなっていかないことなのだ。彼女の習得度はむろん水準以上である事は間違いないのだが、いま一つニセモノなのだと米原女史は言いたい。事実そうであるに違いなかろう。同時通訳者たちで、幼少期に二つの言語で混乱させられた者は、能力ばかりでなく、人格にも何かしらの障害を負っていると。

実践としては、小学校までは、しっかり日本語の感覚を身につけさせることが大切だと。外国語は、中学生からにすべきだと、彼女は不安定にも悲痛な表情で訴えていた。僕も賛成だな、感覚として。外国語も、日本語も、結局は浅いものでしかなくなるという害。米原万理さん、僕は説得されましたよ。言葉の背後には、長い歴史文化が脈打っている。事は、奈良平安期以来の日本語の歴史とその蓄積なのだろう。

彼女は、便利、便宜、迅速、速成、といった風潮に対して強く抗議している。
アユにだってこの事は言える。稚アユを早く放流すれば、はやく大きくなるので、はやく釣りはじめることができるじゃないかと。その通りだ、理屈では。だが実際は実際である。理屈ではない。アユも川も自然のものである。こんな簡単自明なことを忘れてはいけません。だが忘れる、欲が忘れさせる。

外国語習得においても。日本人の外国語不得手とコンプレックスに、欲が、つけこむ。子供のころから、両方を教え込めばいいじゃないかと。自然に両方が身についてうまい話じゃないかと。
早期外国語教育も、早期稚アユ放流も、根は同じである。頭の好都合な理屈である。しかえしが来ること、眼に見えているじゃないか。