ダイアリー・エッセー6

6月19日 本のことあれこれ
6月11日 忌野清志郎 井上陽水 美空ひばり、続き
6月9日 忌野清志郎 井上陽水 美空ひばり
6月8日 アユ あゆ 鮎 香魚 年魚
6月2日 式の当日
5月31日 お葬式
5月28日 承前
5月27日 『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』福田和也
5月26日 急に暑くて、夏のようです
5月23日 平野さん
5月21日 頭と胸が暗い
5月20日 神の国2
5月18日 神の国
5月14日 老年、経済、家族、

5月14日 日曜日 老年、経済、家族、

ようやく、書き継いでいる日記、エッセーの問題と課題がハッキリしてきた。大まかに三つ。
まずは、老年ということ。これからは、頭と体とパソコンに向える環境がちゃんとあるうちは、この課題は変らない。これに関らないテーマはない。年齢そのものが、自ずからこれを連れて歩く。

次は、経済。今の仕事を続けるうちはもちろん、違った環境になってしまっていても、マネーの課題はくっついてくる。売上、借金、不景気だけが経済ではない。この場合、医療費も、買物も、葬式代も経済だ。

最後に家族。親類は含めない。私たち夫婦、長男夫婦。
しかし実際は、私らのことは書けるけれども、長男夫婦については書けない。ただテーマとしては、家庭から家族に変化してきている。
これらに関らないテーマはない。なんにも関係がないかに見えるエッセーであっても、これら三つの大テーマに関らないものはない。年齢からして、ようやく自分たちも1人前になったのである、それらを背負うことになって。

そこでまず家族について。若夫婦と親夫婦。
私の親戚筋に、結婚1年前後で別れた組が三つある。一つの系統に、二組。もう一つの系統に一組。さらに近在の知人の家に二組ある。これらすべてに詳しいことは知らない。聞いて、エエッとびっくりする。それ以上にはならない。事が微妙なので、掘って聞くわけにいかないから、こういう場合、言ってくれば聞きましょうとなるだけ。

〈ここまで入力してから、月に一度の、裏にある用水の合同掃除にでかけた。今日は引続き、諏訪神社で秋葉様(火に関る神)の神事がある。続いて25組26組合同による、年に一度の花見宴会を神社境内で。
風さわやかで気持のいい日。今年は18人の出席。多いほう。少し先輩のHさんと隣合せで、パソコンの話をする。彼は、たまに私のページを見ていてくれる。テンカラの大石さんのことを照れ笑いして言ったので、つられてこっちも照れ笑いする。この時のことは、いずれ記事にしよう。
楽しく飲んで飲みすぎて、帰って寝てしまった。えんえんと寝て、いま朝4時に起きて続きを書き始めている〉

再開。
のり子ママに、これはどうなのだろうと聞いてみる。彼女は、やはりごく若いころ数年して離婚している。私のほうは死別。我々は再婚どうしだ。彼女は、痛い目に合っているので、なかなかよく考えている。また店の客の老婦人たちから耳学問で聞いている。その点、私のほうが、のんびりしていて急所がわからないようだ。私にはわからない事が、彼女はにがい経験があるので、振りかえってわかるらしい。
若い者は親と同居でなくても、合わせて生活することが、どうにも苦痛なのだろうと。

ちゃんとした仕事を持っている場合は、こんなことは起きにくい、仕事を生活の中心にできるので。親のほうでも、彼女の仕事に敬意を持って、遠慮するだろう。なんにも仕事を持っていない場合難しくなるようだ。なるほど、それはあるな。

嫁にとって、夫との関係で、親との付合いがある。直接親を自分で選んだわけではない。だから、合わなくて当然と言える。親との関係が絡んだ、いざこざは、以上のような事情が共通するのじゃないか。
男が養子としてはいった場合、仕事を持っているので、そこに土台を置けるので、ふわふわしたヘンなことはまず起きないだろう。

だいじなことは、それぞれ志を持って二人して生活を創っていこうとする決意だろう。ここに甘い所があると、しっぺ返しを食らうね。
5年10年もすれば、なにがおかしかったか、客観視できるようになるだろうが、今は今なので、二人でしっかりしていくほかない。なんとかなるだろうのままでは、行き詰る。結婚は、辛抱して生きるという姿勢によって成立つ。むろん遊びでも、恋愛でもない。

家族ということを考えている。私にとって初めての家族経験。これは、自分と妻や子との関係とは違う。違った考え、感覚の者と、にわかに生活共同体を組むということ。簡単のはずがない。
家族共同体の中で生きる決意や知恵は、IT革命の時代でも変らない。辛抱と一生懸命と愛情があれば、道は開けていくと思うのだが。逆にこれらがおかしくては、やがて破綻するだろう。

5月18日 木曜日 神の国

ダイアリー、エッセー、のテーマは、老年、経済、家族に関るものになろうなどと言ったばかりなのに、神の国、などというどこにはいるのか訳が分らんようなテーマを避けては通れなくなった。地球が宇宙と共に変化に向って歩いているように、その中の砂粒の日本も、その中の、政治も、その中のバクテリアの一つのような大坪も、変化の只中にあるので、予想外の変化に見舞われたところで、驚くにあたらないはずであるのに、驚く。

いや、神の国、と誰かが言ったところで、町会議員が言ったところで、県会議員が言ったところで驚かない。そんなことを言う者もいるだろう。世の中いろいろだからね。詮索はしない。してもたいして実りがあるわけでなかろう、一杯飲んで言ったのかもしれない。だから、ああ、そうかねですます。

総理大臣が言った。だから、私めは、腰がグニャッと抜けてきた。実際にもテレビで聞いた、冗談で言っていたわけではなかった。訂正もしなかった。天皇を中心に置く国、と直して言ったわけではなかった。バッサリ、神の国、と言った。日本は天皇を中心とした、神の国、であると。

これが、老年期にかかった大坪を絶望させる。若い時なら、こんなふうに、へなへなと絶望しないだろう。バカなことを言う、で終るだろう。そんな程度だろうで終るだろう。もっと抽象的なひりひりするような絶望を抱きかかえているだろう。日本と、首相と、政治と、自分を同一にして扱い考える、なんてことはしない。国は国、首相は首相、自分は自分と考え行動するだろう。政治なんてその程度だろうと、堂々としている。たいしたものだ。若さだね。むちだね。むちだから平気だね。

まさか、総理大臣は、むちだから平気なのか、エエッ、まさか、あるいは……。
私がぞっとなったのは、叩きのめされたのは、この時なのだ。彼は本気で、まともに言っている。
なぜこうも体に、脳にこたえて、生きる気がしなくなってくるのか。逃げ場がどこにもない、まともな絶望だ。若いころの、どこか楽しみのあるような絶望とは違う。正真証明の物理的な絶望だ。

いちばんこたえたのは、彼が、私らと同年代だということだ。ここだ。こんな辛いことはない。私らと同年代。これはこたえる。田中首相は、私らには関係がなかった、ですますことができた。私らは彼とは違うと思っていた、自然体で。森首相の発言については、私らはもう逃げる所がない。まともだ。老年になって、私らの世代になって、一挙に日本が訳がわからん国になってきたようだ。ぶさいくな国に。テイノウみたいな国に。粗雑な国に。

日本は天皇を中心とした神の国。こんな国でどうやって生きていくのか、さっぱり分らん。まったく訳が分らん。頭がふらついて、考えることもできない。
しかし、彼は首相である。当の聴衆は、国会議員だ。神道政治連盟国会議員懇談会。二百名ほど。

日本の危機が叫ばれてきているけれども、諸マスコミ同様、深刻にならぬ様にしておったが、ついに、本物になってきた。総理大臣があれではね。大手術が必要だ。政治家は、うまいことは言っても、中身は、テイノウだと、辛いけれど、そう考えることにするよ。

5月20日 土曜日 神の国2

私など、その日の暮しに追いまくられているものに、国政のことなど縁のない話だが、この場合は、どうにも聞捨てにならない。やぶれかぶれの心境です、総理大臣の「神の国」発言には。それで、一つやぶれかぶれのひどいことを言ってみます。

彼は私とだいたい同世代です。ということは、この事件は他人事ではない。私のことになってしまう。私がこれほどにアホなことを言ってしまった、ということになってしまう。シャクに触るけれど。アホなのだ。ノック知事については、驚かない。さもありなんと思った。
今度は違う。吐気がしてきた。我々はこれほどにひどかったのかと。

このごろは、ムチャクチャな事件が頻発している、今となっては当然だったのだ。これから、どんどん出てくるだろう。私ら、貧乏で名もなく権力も財もなく懸命に生きてきた。律儀に生きてきた。周りのものたちもそうだ。律儀に生きてきた。ちょっとどうかとおもわれる者たちは、高度成長で驕り調子付いたものたちだね。自分がエライ者だとたかぶっている。その実空虚だ。

結論としては、この現象は、彼らが幼稚だということ。子供っぽい。責任は、後始末は、誰かがやってくれるだろうということ。骨というものがない。いさぎよさがない。つまり、エライ者だと思い込んでいる愚か者だ。いい顔をしてこずるいことはやる。

日本の危機は、指導層にある。指導層のばか者は、庶民の律儀によって支えられ、まだ、崩壊をまぬかれている。
森首相のような愚か者を出しているのは、中間層だろう。出世と競争と無責任を輩出している。鉄面皮を輩出している。指導層の器でない者がなっている。げすっぽい指導層。これでは間違いなく亡国である。下の者がげすっぼいことには、別に驚かないし、亡国でもない。しかし、指導層が、その名に値せず腐っていれば、亡国である。

私など、地方にいて新聞やテレビで国を、中央を知る。そこには、これほどのひどさは予想して書いてなかった。ひどいことは続くけれども、まさか首相がああもあからさまに恥もなしにへっちゃらに神の国などと発言するとは、まったくの予想外であり、また、今度は夢も希望も、全部を幻想だよと教えてしまった。未曾有の反面教師だ。ひどい独り善がりの自信。しかも内閣総理大臣。これは末世だな。幻想の、思いの末世ではなく、まったくの物理的末世。どうにも、空想や、思いで逃げられない末世。現物の絶望だ。頼むから、マスコミよ、文化人よ、空想の、ほんわかした絶望に飾ってくれよ。頼むよ。頭にカスミをかけてくれよ。

5月21日 日曜日 頭と胸が暗い

きのうは、家内を連れて一ヶ月ぶりかな、高山へ行って、本屋をのぞいた。ものすごい本の数。ここの大型店の三倍ある。高山市は、この辺りで唯一景気がよい、新しい道路が通った関係で。そのぶん我々の方がますます元気がない。

隣りの下呂温泉では、客数がピーク時の2、3割減になっている。だからどこも苦しい。すると値段を下げる。利益が出ないので、さらに苦しい。簡単には首切などできるものではない。ますます資金圧迫。きのうの新聞では、いちばん老舗のM館が破産を申出た。暗い気分ですね。まだ続きそうです。と、心臓が苦しくなる。血圧が不安定になってくる。逆境にひ弱なのです。調子がいい時向きにできてしまっているので。すみません。

文庫本を3冊買って、ラーメンを食って帰る。景気をつけるために、酒を二本燗にして飲む。むろん景気よくならない、元気などでない。かえって、飲みすぎの感じで、体が重くなる。ラジオをつけると中日が元気いいので、やや持ちなおす。もしもやられまくっていると、頭が傾いてきて起きられなくなる。うなって横になって時間が過ぎるのを待つ。心臓が重い。ラクになりたいです。

朝、案の定、のり子ママに罵られる。ちょっと改善されたのは、戸の向うでやっつけてくれること。前は、がらっと開けて、アホ、バカ、ノウナシ、とやりまくられて心臓がつまりそう。その通りなので時が過行くのを待つのみ、心臓を支えて。こっちが罵るのも朝だ。ということは、二人とも、朝、血のめぐりか、ホルモンか、何かがぐあい悪いのでしょう。悪魔のようなものがとりつくのでしょう。フロイト先生ならなんと言うでしょう。森田しょうま先生なら、どうでしょう。

森首相のノウナシの「神の国」発言で、僕は完全に安心する所がなくなった。絶望を逃走してちょっと楽しんでみることなどできなくなった、年のせいもあるけど。ずっと昔、漢文のダジャレの岡田先生に習った「四面楚歌」をふと思い出す。けれども、政治家を、全く見捨てたわけではなかった。そんなことをしては、完全に夢も希望もなくなるので。信頼も。

この国じゃ、キリスト教の神のない日本では、人どうしの信頼が、ニヒリズムへの転落を防いでくれて、あちらの神に代るもの。信頼が黒々としてきたら、この日本はただの混乱した国になってしまう。日本の「信頼」とあちらの「神」とは、集団を取りまとめるキーという点で同じです。ただし首相の、神の国発言には、そんな深い思いなどない。その事が露呈したのでがっかりしているのです。この程度の日本のエリート、内閣総理大臣。がっくりです。我々の世代における程度の低さ。日本国を利用してのし上がった者たち。日本国を利用しのし上り、ゲームをするように軽く命を消費しまくったあの大戦のエリート軍人たちと同じじゃないか。戦後日本とはなんだったのだ。

学者、文化人、朝日を始めとする新聞、文春などの出版社、民放局。事態の深刻さをどの程度に受けとめているのですかね。
僕は、NHKを信用しているんだけど、この最後の砦が方向を失ったら、変なことをするようになったら、日本の内部崩壊は間違いない。
人と人との信頼という、地球上にまれな原理を柱として成った、洗練された国が、ついに崩壊するところまで来ているようだ。奇跡の地球の、奇跡の日本が、奇跡の明治維新を成遂げた国が。

5月23日 平野さん

今朝、町民放送で、平野元吉さんが15日から行方がわからないので、お知らせしますと伝えた。その日岐阜へ用事で行って、以来音沙汰がない。車はベンツ。
昼ごろ、また放送があって、金山町で発見されましたと。なーんだ、人騒がせな。金山町はここから30分の郡内の町。しかし、「無事」発見されましたとは言わなかったな。と、隣りのリンテンが言う。そういやー、放送で犬の行方不明を報じる時も、見つかった時には、無事発見されましたと言っていたな。ウーンやっぱり、ひょっとしたら。

それより先、一昨日、日曜日、同級生の者が手分して探していると、チラッとは聞いていた。彼は、57歳で、事業家。町内の、まあ有名人である。ここ数年芳しい噂を聞いていなかった。人間がどうのこうのでなくて、資金繰りがどうもと。苦しんでいるらしいと。

彼は、20年ほど前、こっちが苦しかった時、それじゃぁと使ってみてくれたことがあった。が、間に合わなかったので、とろくさかったので、20日ほどで首になった。賃金1か月分はもらった。ありがたかった。以後、たまに飲屋で会った時も、声をかけてくれたことがあった。
数年前、困った、雨ばっかりで、お客がキャンセル続きで困った、予定が狂ってしまった、困った、と嘆きぐざっていると、同じだよ、といきなり言う、カウンターの隣りの席で。大は大で苦しい、同じだよ、と慰めてくれた。あるいは、そのころから苦しんでいたようだったか。

10年ほど前には、彼の同級生で、建築関係の社長をやっていたMが、死んだ。彼は、第1回目は、道路を突破って崖から車ごと落ちたが、果せなくて、その数ヶ月後、今度は病院で果すことができた。葬式に行ったが、どうにも陰鬱でいやなものだった。会社のほうは立派に生きて、いまに続いている。

また続いていやな話。前回、下呂の老舗旅館のMが倒産したと書いたが、そのごく近い親族で、当地の土産物製造の社長が行方不明になっていると言う。理由は、書かなくても分るだろう。うん千万ではないのだろう。
どうもこたえる。若いころのように、向うは向う、こちらはこちらと割りきれない。辛いものだ。いま、生命力が薄くなっているときには、苦しいものだ、反発できる力が薄いので。若いころには予想だにできぬことだった。

明日はわが身か、と思い決めている者が、この辺り1人や2人ではないだろう。全国規模では、大変な数だろう。

5月26日 金曜日 急に暑くて、夏のようです

平野さんのお通夜が今日あります。みんな、あんまりこのことは喋りたがらないです。

長野県の松本市と岐阜県の高山市を結ぶ安房トンネルができ、高速道路が荘川まで来て、こちら南飛騨の方面は過疎ぎみです。それで、強かった下呂温泉が元気ありません。下呂はこの辺りの産業の中心なので、ここが弱っては、全部に影響が出てくるわけです。

下呂の老舗旅館のM館に、まだまだ幾つかが続くだろうと噂されています。
しかし、ここ数年進出してきた大型店を見る限り、いつも客が多いです。お客の表情は、しょんぼりなどしていません。女性たちは、胸を張って店内を闊歩しているように見えますし、わか者たちは、栄養のよく行渡った顔で、マイペースでやっているようで、カゲのある感じはありませんね。カゲのある顔というのが、とても少ないです。

男なら、そうはいかないでしょう。いまどき、カゲのない表情の男は、かえってなにかおかしいんじゃないかな。暗くてあたりまえなんじゃないかな。
ここの街の者たちから、はしゃぎや傲慢なところや、高笑いが消えていますね。なんとなくぐにゃっとしています。元気なのはテレビばっかり。国中、あんな風に元気なんですかね。

カラオケ機械の設置も商売にしていたHさんが、
「平野がな、4、5年前相談にきたことがあったよ、俺はだめだよ、と言った。もう遅い、と。それを、やつは聞かなくてな。あんなもの一部屋作るだけで、500はかかる。とても合わない。あせっちゃいけない、と言っていたのに。急いで、次から次とやっちゃダメだと言ったのに」

暑いです。元気が出ます。夏は、気分が開放されます。
きのう、生ビールを始めたので、飲みながら義兄を呼んでいろいろ話した。彼も仕事がなくて苦しい。なるべく愚痴を言わないようにして、明るく振舞ってくれる。ありがたい。
彼の息子の結婚話をしたが、
「こりゃ、俺が頑張った。あいつに任せていちゃいつまでたってもダメなので、俺がホウボウへ出て行った。そのおかげで、今度いい話がまとまりそうなところへきた」
つまり、これは、親の頑張りが実を結んだ。子供もそれに応えた。子供に任せていちゃ、いつまでたってもらちがあきそうもない」ということ。

アユの水槽の代金を少しいれてくれと彼が言う。原価の2を入れてくれ、と。まだ少し漏って完成していないが、35払うよと言う。こっちもエライので、頼むよと言う。つまり、まけてくれと。はじめ、55の約束だったが。

すぐ前の益田川へ、降りていって、アユの生育状況を見に川原を歩く。岸のきれいな砂地に、大きな川鯉が群れている。産卵だ。ホケているためか、そばまで近づいても気づかない。
ハミあとがあり、川の真中辺り、白くきれいになっているので、間違いなくアユはいる。ひと安心。

5月27日 『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』 福田和也 『タレント文化人100人斬り』 佐高 信

このあいだの日曜日、「ホームページ・ビルダー」関係の参考書を探しに、高山の本屋へ行った。ここは大きな本屋で、その多量に慣れていないので、目がくらくらします。PC関係の本だけでも、僕にはまったくワカらない無関係なものがずらっと並んでいる。町からも、家からも出ないで、景況にびくびくして毎日を暮しているので、ここに立つだけで、世の中広いなあと実感します。

文庫本も大盛況で、なんとまあものすごい数。
と、その中であれが目にとまった。その「幼稚」という文字が、自分のことやなんかをズバリ言当てている感じで、ギョッとして目を近づける。すると、福田和也とある。これは……あれだな。岐阜新聞で、インタビュー記事に出ていた人だ。
その中で彼は、小説について触れて、儲け主義一点ばりの本ばっかりで困ったものだと言い、さらに、純文学と言われているものも、独り善がりのつまらんものばかりで、困りました、と嘆いていた。これを、率直ストレートに言っていて、その表現がこっちの頭に印象として残りました。彼の写真と一緒に。

その福田和也の名前が、「幼稚」、という文字と共にあったので買ってみました。500円。ハルキ文庫。僕は、本はフトコロと置く場所の関係で、たまにしか買わない。買うなら文庫。
ハルキとは、角川春樹のことだった。数年前、薬スキャンダルで世間を騒がせた人。映画でも。人騒がせが好きな坊ちゃんふう二世、という印象。しかし彼は、俳人なのだということもその時知った。どんな俳句があるかは知らない。
彼は、いつのまにか出版業界に返咲いていたのだった。

この日、もう1冊買った。『タレント文化人100人斬り』 佐高 信。現代教養文庫。640円。佐高信という名は、たまにテレビで見たことがあったけれど、強い印象としてない。どんな人か知らない。目次を見ると、ズラリ100人の文化人、マスコミ人が並んである。キワモノ覚悟で、ハズレ覚悟で、買ってみました。
ところが、これは面白かった。640円は安かった。しかも、キワモノに見えるけれども、どうも違う。いやらしくない。何か彼の大きな志といったものが伝わってくるようだ。

ただ、こっちは、そのリスト中の人の本では、司馬遼太郎を読んだぐらいで、ほかの人は名前とテレビ顔しか知らない。で、わかったようなわからないような感じ。
朝までナマテレビに出ていた、猪瀬直樹は、5回も登場している。ビートたけしも、4回で多い。かのニーチェに、鉄槌をくだす、という表現があったように思うが、そんな感じがしないでもない。彼の立場は、左ぎみだが、憂国の士のよう。たのもしい。ホッとする。
文化人、マスコミ人、学者のなれあい所帯ふうの、俗な感じが面白くなかったので、彼の辛口にはホッとする。

司馬に対する評に、なるほどと肯けたので、佐高を信用することにしたのです。その評は、司馬自身が自分で気づいて憂慮していたような内容。司馬は平成における、戦後日本にがっくりきていたようだった。
財テクやバブルや高度成長をつくってきた経営陣などに、彼の小説が好んで読まれてきた。それを佐高はつく。司馬自身、晩年十年は、自分の小説の影響力における負の面を斬っていたようだ。苦渋。

佐高の本の苦しくもつらい点は、斬りきざんでいく果ての淵に、虚無があること、感じ取られることです。虚無を、使命として耐えて背負うという感じ。しかし、日本の甘さとねじれを打つためには、このくらいの覚悟とにがさを耐えねばならないでしょう。彼は、それを1人覚悟してやっているよう。
虚無立国とはつらい。これしかしょうがないのかな。非虚無立国では、日本は甘くなってしまうのかな。世間知らずの坊ちゃんになってしまうのかな。(続く)

5月28日 承前

福田和也の、『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』。この本には感銘を受けましたね。彼は右側の論客らしいが、これは上等の文章。教えられました。この本は、どのくらい売れたのだろう。ベストセラーになってもおかしくない。内容は硬いけれども、文章は柔軟で上質。右というと、荒削りで、街宣車や、観念の飛躍がイメージとしてあるので、悪いイメージがあるので、期待しなかったけれども、これは、日本の文学や風土の伝統をよく吟味し学んであって歴史に残る仕事になるんじゃないかな。

戦後の日本が大きく左に振れて、振れすぎて浮足立ってしまっていた時、経済と企業活動に振れてしまっていた時、そして最近のそれらが破綻してしまっている時、次になすべき方針に茫然としていた時だったので、これはよくぞ出てくれたという本になった。
僕がいちばん気に入った点は、これが論文として提出されていないことだ。ではなくて、小説風エッセイ、論文ふう自分史小説のようなものとして書かれてある点だ。そこがいい。だから信用が置けるのです。体重の乗らない文では、つるつると知識や教養を見せても、ちらちらするばかりでいやなものです。信用できませんですね。

ここでは、福田という男が、現代をしっかり生きていくために考え方や方針といった面で悪戦苦闘してきた、その跡を感じ取ることができます。
この中によく出てくる保田興重郎という名前は、日本浪漫派とかと国語で覚えたような気がするが、あとは知らない。保田は彼に重大な影響を与えたようだ。また彼はこれを、新鮮なものにして復活させた。

この本では、佐高のものとは違って、虚無ではなく、その反対の、理想やロマン、人とのつながり、倫理、などのすべてのかなめとしての国家が出てくる。
国家には、軍部日本と戦争突入に使われていたという忌わしい思いがある。そのことについては、福田はもちろん、僕も直接には知らない。経験がない。ただし、僕たちに伝えられ教えられてきたものは、国家は悪だ、の繰返しであり、自明の常識の様子さえありました。

福田の本の要には、国家がある、ここが新鮮です。
僕の頭に自然に入って来るのは、その言葉づかいに無理がないから。もしこれが、粗雑な、スローガン的宣伝的、あるいは売名的なものであるなら、読み続けられない。すぐ投げ出すでしょう。逆にこの本は、僕を引付け続けました。
ということは、つまり力と説得性があるということは、彼が、僕らと似たところで戦後の日本を生きてきたということ。なにかがおかしいとして、その課題を抱き、追求し続けてきたということだ。

僕と僕の友人たちからは、脱出口は見えなかったのに、彼は、深くよく考えて、その脱出への展望を切開いて見せてくれることができた。国家はタブーだったのに、彼はこれを正面にすえて、日本人にはなぜこれが大切か、これがモミクチャになっているところに現在の荒廃があるのだ、ということを文章に工夫をこらし、頭にすっとはいりやすいようにして教えてくれた。
僕は目を見張った。僕の頭が、しなびているこの頭が、改変に向けて動き出しているじゃないですか。こんな経験ができるとは、いやなことが続いてクサクサする毎日だが、生きていてよかったです、ほんと。

右寄りの考え方として、常識ある文にして発表してくれたことが大きい。右側はヘンだ、粗雑だとの従来の思いを、はっきり間違いだと、現物で証明してくれたことが、僕らにも日本にも大変よかった。日本は捨てたものではなかった。このような人物と作品を、この困難な時に生み出してくれて。

あらためて戦後の出発は、ようやくここに始る。戦前の未熟と混乱が戦後も続いていたわけで。それはそうでしょう、いっぺんに優等生になれるわけがない。なれ、なれる、との主張がいっぱいだったそのこと自身に、すでに未熟が露呈していたのでした。
この本は、日本のいろんな事にうんざりしていやになっている人には、刺激的です。きっと、善悪はともかく目をパッチリさせてくれますよ。

国家、武士、日本の土、日本にある倫理、プライドではなく誇り、などなどを、まともに日本の土俵にあげて考察し直し、練っていかなくてはならない。
今は、まず全てが検討しなおしを迫られている。偏見やらなにやらは論外である。日本を上手く国際社会にのせていくのだ、という目標がしっかりあれば、方向も取るべき手段も、地道なものになって続いて行くでしょう。

日本の明日という所に立てば、佐高の仕事も福田の仕事も、浅はかに反発しあうべきことではなくなりますね。無用の対立を続けるとするなら、日本はまだまだ未熟だということになるわけです。

5月31日 水曜日 お葬式

この組の、94歳の達者なおばあさんが、今朝亡くなったと組長から連絡があった。明日お通夜、あさって式。

町の、末端行政単位は、組、です。各組は、20所帯ぐらいからなる。人口1万人の町なので、全部で幾組みあることになるのかな。
商店や役場などのある、町の中心部、(諏訪神社の氏子仲間たち)は、約30数組からなる。私たちは、その上(かみ)、中(なか)、下(しも)のうちの、下区に属し、組は25組。

組の主な協力行事は、神社の当番とお葬式です。この二つが、私たちにとっての、最初の手作りの公(おおやけ)。ここから出発して、3区、萩原町、益田郡、岐阜県、東海地方、そして、日本。東南アジア。ユーラシア大陸。世界。地球。太陽系。銀河系。宇宙。
家族の向うにある、最初の公たるそれぞれの組は、葬式を取仕切る。
祖父がまだ健在だった敗戦直後の50年前までは、葬式は、道具一切をみんなで手作りした。男は道具作りと会場の設営運営、女は調理を受持った。亡骸は、近くの山まで担いで運んでいって、焼場で焼いた。この役の者は、オンボウと呼ばれ、力のある若い者が担当した。

これらの役はとっくにない。火葬場も、郡の広域行政が一手に引きうける。
葬式は、業者任せのようになってきているが、都会のように、完全分業にはなっていない。で、組の者が死ぬと、男も女も2日休んで、通夜と式を執り行う。だが、業者が手回よくやってくれるので、参加はするけれども、する仕事が非常に少なくなっている。退屈することもある。料理方の、女のほうがむしろ忙しい。

この3月29日に、愛知県の瀬戸市まで、年来の大切な友の葬式に行ってきたことは、すでに日記に書きとめております。この時の式が、現在の最先端のものなのでしょう。のこのこ田舎から出かけて行って、ただただ驚きました。ある種のショウですね。

ここには、家族親族による、また彼に近しい者による、ねっちりして濃密なものがなくなっています。ひなびた古い地域の日本はない、そこは、瀬戸物の生産地として、旧い日本の手工業の街でしたが。
壇上に設置された祭壇と僧侶たちを、映画か演劇を見るようにして、けっこうな椅子に深深と座って見る。見守る。すでにこの時から、彼は、遠く清潔な別世界に行ってしまっているよう。
その地域の中で、青春以来の不器用な暮しぶりを続けてきた不恰好な彼が、突然、映画で見るようなきらびやかな夢の、おとぎばなしにあるような、またエジプトのファラオにも似せたような、この世ならぬ世界へ儀式と共に送られて行ってしまった。

突然彼だけが、この世の跡をとどめぬ別世界へ逝ってしまった。
残された僕は、でも、相変らず、不器用に、汚く、愚かしく、なまなましく生きている。死ぬまで生きて行かねばならない。その落差をひどく感じさせられました。でも彼は、生々しいような、毒々しいような、駆引きいっぱいの人生を嫌っていたので、あのきらびやかでしめやかな式を喜んでいるでしょう。彼は、大人だったので、残された不器用な者たちを、いまも、間違いなく見守っている。きれいで明るく清潔な天上から。

これに似たのには、ずっとずっと前、学生のころ、教養部のフランス語の教授が自分で死んでしまった時の、キリスト教によるめずらしい、賛美歌が歌われるすがすがしくもすっきりした、異国風の式以来、出会っていない。
僕の場合葬式は、いつも、なにか薄暗いものでした。祭壇も、僧侶も。式の全部が。
しかし、友の、あの明るく豪奢な、不景気も貧も感知させない、のびやかな葬式が、できれば、やりたいものです。これには、当人の生前の人徳も影響しているでしょう。
まあ、僕などは、これまで家族の葬式に五つ立会ったけれども、どれも、すっきりしていなかった。葬式とは、薄暗くて、いやなものという記憶が体にきざみつけられてしまっています。彼のあの儀式は予想外。これはつまり、経済、マネー、つまり、葬儀屋の演出の巧拙でしょうかね。

ちゃんと禅宗様式なのに、異国風の、恨みつらみ嫉み悲しみから吹っ切れてしまったような、彼の葬儀は、一体なんなのでしょう。僕の常識にはないものでした。ここにある日本、ショウのような日本、ドロドロしたものの痕跡を残さない儀式とその日本、僕は取残されてただ混乱しています。

けれども、明日からの富永のおばあちゃんの葬儀は予想通りなものになるでしょう。ショウではあっても、慣れ親しんできた田舎風のショウ。ショウではなくて葬式。
打合せをすませてから、みんなで差入れのビールをいっぱいやって、ワイワイ喋りあって、いま帰ってきたところです。

6月2日 金曜日 式の当日

きのうお通夜
式の役割。
大前繁…彼は、有徳の80歳代で、名誉委員長。山崎…当組の組長で葬儀の総括責任者。この役は、要の役でいちばん大変。今井と高村…坊様の接待役。熊崎…弔電披露と焼香者読みあげ。大坪…司会進行。坂脇、大前、船坂、向井、塚本…受付。江原、戸谷…香典の整理。佐藤…香典の筆記と会計。

会場は大覚寺。この寺の名前は京都の大寺としてあると記憶しているが、ここのは関係がない。臨済宗妙心寺派に属する、一つの末寺。ついこのあいだまでは、この辺りの寺と等し並に地味な田舎のお寺であったのに、ここ十年ほどの間に、改装新築して見違えるほどに立派なものに変った。主な資金は、町内檀家の寄付によるので、これは、町が潤っていたことの証明になる。

町内には、臨済宗系統の寺と、本願寺系統の寺が、あわせて十ほどもある。神社も同じほどある。
神社の改装新築はほとんどない。資金を寺のように使わない。使えない。
資金潤沢なお寺と、そうではないお寺との差が、寺を一見して分るので、それぞれのお寺と檀家は改装新築に向けて励む。檀家は多額の寄付を引きうけなければならない。懐のきびしい家では、負担が大変。だが、寺とは大したもので、みな多額の寄付に応じる。もっとも、平生往生という言葉がこの近辺でよく使われているが、これはまさにそれで、寺側が普段の努力、まあ営業努力を怠っていると、肝心なとき檀家がついてきてくれないでしょう。

夜7時のお通夜に先だって、お寺への出発は、10人ほどの女性軍が朝の8時。男性軍は、昼の1時。女性軍は、近親会葬者の昼食の用意をしなければならないので、朝が早い。次に夕食の用意と、翌日の朝食の用意。男たちは、会場の準備など。仕事としては、女たちのほうが大変です。

通夜には、住職によるお経と御詠歌がある。御詠歌は、老婦人たちの無相会がやってくれる。今、御詠歌は短くはしょって30分ほどで終了します。ついこのあいだまで、1時間半ほどもやった。御詠歌のもやもやした世界が受け入れられなくなってこうなったのでしょう。

ところが、ここで失敗があった。メクリあるいは経本の準備をしなかったのです。お寺か無相会で準備してくれるものと勝手に考えたのが間違いのもと。甘かったです。不手際の責任者は組長にある。山崎組長は率直にこれを認めました。この場合ほんの些細なことですが、責任の明確さの認識は、気持がいい。
政治家も官僚も、これを(責任の明確さの認識)率直にやれば、国全体、国民も気分がすっきりします。住専問題の時の大蔵省幹部、その他関係者の志し、常識の程度は、とても低くて呆れます。東大も早稲田も、頭はいいけれども、この場合人間の程度は低いですね。イヤになっちゃいます。もっとも受験勉強は、人としての常識は教えませんからね。

はじめて司会進行の役を割当てられて、緊張。
普段使わない言葉を口にしなければならないし、流れのどこでしゃべるかを記憶していなくてはならないので、緊張して心臓がどきどきしましたね。
普段使わない言葉としては、大覚寺ご導師様とか、ご会葬の皆様とか、天寿を全うされました、とか。

翌朝、葬儀の当日、男たちも女たちも、8時前に出勤。葬儀は10時開始。
本日は、これをもちまして富永はるえ様の葬儀を終らせていただきます、ありがとうございました。と、司会者が言って儀式は終了。霊柩車を待つ段取。
事務所で休んでいると、本堂から甲高い声が聞える。出て行って見る。声は棺桶の人のひ孫でしょう、棺を取囲む大人たちの間で姿は見えないけど。
その子は、死者からずいぶん大切にされていたのでしょう。
94歳の人の死なので、愁嘆はないはずだった。で、ひ孫の嘆きは意外で心打たれましたね。

「通い帳」記載商店への支払を済ませ、帳簿をしめる。帳簿現金と、手持現金がぴしゃり一致。みなで、歓声、拍手。あとは遅い昼食後に解散。この時、男たち女たち一緒に食事する(ご苦労振舞い)。故人の親戚縁者は出なくともいいようにした。つまり、自分たちが自分たちでするご苦労振舞い。その代り、あとで、金銭によるお礼あり。
みな、無事行事を終えてほっとしてくつろぐ。男たちにはうまいビール。女たちは、昔どおりにすこし控えめ。
夕方5時に帰る。そのまま、倒れるようにして寝入る。私も家内も。

6月8日 木曜日 アユ あゆ 鮎 香魚 年魚

11日、日曜日は アユ あゆ 鮎 香魚 年魚 の友釣解禁日です。友釣はアユの釣り方で、エサではなく、友つまり敵で釣る。友だった仲間が、青年期から敵に変る。縄張を争う。人間の場合も、営業や利権をめぐってやりあう、生残りをかけて。それと同じ。アユも生残りをかけて争う。負けると、死なないまでも体力がつかなくて1人前になれない。

人間の場合、個々の争いよりも、集団どうしの争いがひどい、残忍。国どうし、民族どうし。国の中では、やくざ集団の縄張争いが有名、体を、死をかけて。これほど露骨ではないけれども同じく大蔵省の役人も上級警察官も、ネクタイをしめ紳士の顔をして。これらのトップになるとマヒして、賭けるモノが、国になる、戦前の軍人のように、バブル期の役人のように。国をぶち込んでも、自分たちの利権とメンツを守ろうとする。国中のそれぞれの集団がどうなろうと、自分たちさえよければね。

アユは、河口付近で産卵されてから、いったん海に下がり、少し大きくなると、小学校の上級になると、いっせいに川をさかのぼる、集団で、友として。全体の生残りをかけて。
9月には、河口へ落ちていく。集団で、いたわりあって。
その間、青年期壮年期、個々のアユは縄張を争う。川の石についている食料たる藻をめぐって。彼らが敵どうしになったときが、人間にはチャンスで、友釣という漁法を工夫しました。アユに小さいハリを仕掛けておいて、ぶつかってくる相手が引っかかるようにしてあります。

私は、マネーが乏しいので、バブル期のマネーゲームの面白さはわかりませんが、友釣には我を忘れて没頭しました。国ではなく、家が傾きかけましたが、今のところなんとか持ちこたえております。明日はわかりません。背水の陣形を敷いております。しかし大蔵省程度にいいかげんのものなので、いつバンザイになるか、寸前です。面白がったツケが、結局回ってきたのです。

私ひとりなど、国から見たら、虫みたいなもので、どうなろうとそれだけのことですが、大蔵省には、国がかかっていますからね。森氏にも。

話は飛びますが、このごろは、年のせいか脳のせいか、生きていても面白くないですね。ほんのちょっと前までは、アユと遊ぶのが恍惚でしたのに。アユの香りに、魅せられて我を忘れていたのに。
今は、我を忘れると、国のトップの者に騙されそうで安心できませんし、虫の私のフトコロにも。

そのアユまで、人間が彼らを利用して儲けに走りすぎて、あげく、その無理が、アユの冷水病などという病気でしっぺ返しされました。アユがおかしくなり、弱くなって、結局のところ、釣れなくなってきたのです。で、お客が来なくなって、心も、懐中も淋しくなってしまいました。

あーあ、あさっては解禁だというのに、さっぱり予約が入りません。アユの復讐としてあきらめて横になりましょう。
あーあ、森さん、国は借金させてくれますかね。正直、返済の見こみは3割ですけど。

6月9日 金曜日 忌野清志郎 井上陽水 美空ひばり

たまたま彼のステージをテレビ画面に見た。この番組はもう終るところでしたが、注目してしまいましたね、彼、忌野清志郎の舞台に。
井上陽水という男の姿もはじめて舞台に見ました。井上には、クセがある。それを彼は知っていてテレビに出てこないのでしょうかね。クセをやめたくないのでしょう。

さらにそれからしばらくして、今度はラジオで、山折という宗教風俗の研究者らしい人が、美空ひばりのことをしゃべっているのを聞きまして、これにもつい聞耳を立てましたね。このごろは、歌、カラオケ、とはご無沙汰していたので。アユ あゆ 鮎 香魚 年魚 と PC HP money PC HP money ばっかりにホケていたので。

忌野は、知ったのは近頃で、始めはまずテープで。歌の野戦奇襲兵士のような様子の、ギクシャクしたポピュラーもあるもんだと感心した。突っかかるような、昔の全共闘のような。実際彼は、その年代なんじゃないかな。下手なように歌うというところに、つまり上手に歌わないというところに、信念と、しかも魅力が感じられて、こりゃなんだろうなんだろうと興味を持った。僕の周りに、こんなことを喋りあう者はいないので、こっちの思いはこれ以上に発展しなくて、そのままで終り。

次に彼は意外な場面に出てきた、一昨年、中日ドラゴンズの壮行会の時に。アナウンサーが、彼を紹介して、みなさん驚かないでくださいね、はい、忌野清志郎さんです、と言って、舞台のそでを見ると、出て来たのですね。こりゃなんだと、たしかにびっくりしましたです。どうも、壮行会にはちょっと合わない感じもしたが、なにかヘンなところが。だが人懐こそうで、憎めなかったです。

しかし驚きました。その風体に。衣装に。メイキャップに。どうも変った者がいるものだ、これがあの忌野という歌手なのか。人気は、ありそうだが、一般的ではないな。彼は、1曲か2曲歌いパフォーマンスして引下った。悪い予感がしないでもなかった。もし、ドラが惨めに負け越したりしたら、このせいにされるかもしれないぞ。しょっぱな、とんでもない者をゲストにしたのでと。

今度も、同じだった。やっぱり風体が普通ではない。女のようにしている。それがなかなか板についていて。ただし、美川やピーターのアクは薄くて、むしろ、可愛い感じを出している。女っぽくすることが、たんに舞台芸のためというのではなくて、シンから好きなようなのですね、これが。だから、こっちも、安心できなくなってきますね。こっちの常識にないので。しかも、彼はそれを知っていてひそかに平穏を破ってやろうとしているんじゃないかと思えてきて。
忌野は、私はいい女でしょうと訴えてくる、いい男よってらっしゃいと。男からそう言われて、しかもしなっぽくして言われてくると、どうも落ちつけませんですね。

これは、ただ者ではないな。
頭のあたり、セットの仕方が、女性として作ってある。けれども、下唇の下に、よく見てみると縦にヒゲのようなものがある。つくってある。だから訳がわからんようになってしまう。しかも、またまた、忌野は、それを計算してそうやっているよう。異様なように。印象を混乱させるように。
ほら貝を首にぶら下げている。これは、陽水の口ぶりからするとトレードマークらしい。ほら貝は、山岳修験者の使うものじゃないかな。古い日本の。

舞台は熱気と活気が充満している。しかも、無理にではなくて、ワザとらしくなくて。忌野は、歌い動き回ることが楽しくてしかたがない様子。周りのゲストは、あれよあれよと釣られている。とまどいながら、楽しんでいるよう、彼の伸びやかさを羨ましがっているよう。彼ひとりが、真底元気だ、こりゃなんだろうね。あれっ、矢野顕子が、ホケた表情を見せてピアノを叩いているよ。(つづく)

6月11日 日曜日 忌野清志郎 井上陽水 美空ひばり、続き

井上陽水とは、若いころ一緒に仕事をしていたんだって、意外だった。で、2人で、そのころの歌をデュエットした。これがいい。忌野の声の響きがいい。

僕は、彼の衣装にもパフォーマンスにも騙されませんよ。
歌がいい。声の響きがいい。古い日本の声なのですね、これが。やっていることは、けばけばしいけれども、彼の正真正銘は、美空ひばりみたいな日本人の歌であり声なのです。と、僕は、今そう思う、決めてしまっていいかもしれない。彼の歌と声、響き抑揚に、なにか深い魅力がある。普通にポピュラーソングではない。それが何だか判らなかったけど、今それを、母性の国日本、無常の国日本のものと言ってみよう。陰鬱な御詠歌に通ずるような。

宗教風俗の研究者、山折先生は、美空ひばりに、ほぼ20年前、参ってしまった。追っかけも辞さぬほどのファンになった。今でも、彼の研究室には、彼女の写真が懸けてあり、その引出しには、CDが入れてある。取出してひそかに聞いている。彼が大好きなのは、「悲しい酒」。美空ひばりは、この歌を歌うとき、必ずある部分で目を潤ませるのだそうだ。たしかにそうだったな。必ずかどうか知らないけれども。
ただし僕は、かえって、ワザとらしいとしていやでしたが。山折さんは、そうではないと言う、そこがすばらしいと言う。

彼は、日本の土としての宗教というテーマを続けているので、そこが美空との接点となった。彼女の歌は、我国の宗教風土に通ずると。彼女の演歌が。演歌は御詠歌に通ずると。巡礼の姿、後姿に。諸行無常に。日本の心に。母性に。

今の若者の歌は、10年前と違って、無味乾燥しているように感じられるね。女の子達は金属的に乾いて、相手かまわず歌う、がなるようにも。この渇きが気になります。ヘミングウェイの乾きなんてものじゃなく、ただ乾いていて魅力に欠ける。女の子の歌が無味に乾いては、日本の土台の変質につながるでしょう。山折さんはなんと言うでしょう。

もっとも彼は、その点自信をもっていて、演歌の低落にも気にしない様子。日本人は必ずそこへ帰るから心配ないと。そうでしょうか。女性系統の変質が気になりませんかね。後姿の体ばっかりがグラマラスで、ただの動物のようで。いや、僕のほうが消えた方がいいのでしょう。

6月19日 月曜日 本のことあれこれ 福田和也などなど

本は、まず絵本。次に小学校から教科書。雑誌。ハードカバーの絵入で立派な単行本、全集本。中学校から文庫本。

本は長い長い付合いで、まだ終らない。なぜなら本は、友達であり先輩であり先生、師匠さんなので。
友達先輩先生。
もし実際に付合うだけの交わりだけなら、友達先輩先生がとても狭いものになってしまっていたろう。
しかし、あるいはその方がよかったのかもしれないが、いったん本との付合いが始った以上、もう後戻りはできない。進むほかない。頭がボケるまで、命尽きるまで。

いちばん最初の本の思い出は、なんだろう。小学校2年の時のたぶん『ニルスのふしぎな旅』かな、かしこ先生が読んでくれた。かしこ先生は、でも、途中でいなくなってしまった。でもかしこ先生は、それから何年か後、学校への道筋の本屋さんにたまに出てきていた。かしこ先生のお父さんらしい目のぎょろっとした、着物姿のおじいさんもたまにそこにいたな。

後年知ったことだが、彼女は病気で退職したのだった。そう言えば、いつもヤセて青白い顔をしていた、結核かな。
でも、1年2年の時の先生はそんなふうではなかった。細かい思い出は何も浮ばないけど、とにかくかしこ先生は優しくていいひと、いい先生だった。

数年後店で見た時とても懐かしくて、しげしげと見たけど、かしこ先生は別の人のように知らん顔していた。いつもそうだった。もうただの店員だった。優しくていい人でもなんでもなかった。少ししわがれた声。ヤセて小さいひと。白いめがね。少しあごを上げてこちらを見る。でも、僕が担任の生徒だったことは、まるっきり知らんみたいだった。がっかり。

ニルスは雁に乗って旅をしたんだったかな。だから、雁という名前が出るたび、僕は親しげになる。首が長い雁。ニルスはそこにまたがって、旅をする。雁たちは人間と同じに喋り、喧嘩し助け合う。だから、今でも、雁と聞くと単なる鳥とは、はじめ、思えませんね。

次の思い出は、ハードカバーの立派な本。4年生の頃。
図書館に、毎月はいって、それを並んで待った。でも上級生が優先なので、新品は読めない。思い浮ぶものは、
『巌窟王』、『ジャングルブック』、『ロビンフッド』、『覆面の騎士』、『獅子王リチャード』、『鉄仮面』、『三銃士』……。

それから、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの名前を、ある本で知った。これは、ずっとずっと後、ギリシャの哲学者だったと知って、不思議だったね。どうしてこんな名前を覚えていたのか。その本は、哲学者の名前を紹介していたものだったろうか。

それから中学になると、本は堅苦しくなって面白くなくなる。ロマンではなくなる。人生っぽくなって詰らなくなるけど。『おらあ三太だ』、とか『路傍の石』とか。『友情』とか。

そして高校、ここで、急に、大病後、変ったものを読み始める。急になにごとかが始った。あるいは頭の病気が。
自分とはとかの謎の中へ迷いこまされて、結局今日にまで至っている。あーあ。
ニーチェ、キルケゴール、ショーペンハウエル、ヒルティ、沢木興道。実際にも読んだ。新潮文庫で。中野書店で買って。こんなわけのわからん日本語をとにかく相手にしたのであった。これはどういうことなのでしょう。むろん今でも、30年前でも二度と読めません。お金を出してくれるなら考えんでもないけど。

『偶像の黄昏』『人間的なあまりに人間的な』『アンチクリスト』、
『愛について』『人生について』、
ショーペンハウエルはこっちの元気をそぐところがあり、皮肉っぽくニヒルに語りかけてくるのに対して、ニーチェとキルケゴールは、元気いっぱいで進軍ラッパを鳴らしてこっちを揺動かそうとする。
しかし、これらの名前が気にはなった。忘れなかった。それが結局、ずっと続いた、あれらはなんだったのだろうと。

それから30数年後の今、はるかに年の若い友達先輩先生に出会いました。
福田和也。彼と文庫本で出会ってからは、他のことはともかく、こと日本については、尊敬することにしよう。自分自身も。と、そう気持をすっと向けられるほどに出色の本を生出してくれました。日本はこの人物とその本を産んだ。まったく予想外の救世主のごとき本を。『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』、1、2、3、4、を。
彼は昭和35年、安保の年に誕生している。

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