ダイアリー・エッセイ bX             

目次
11月12日 大物マス釣り大会
11月11日 団蔵の投身自殺と芸道
11月9日 続き
11月8日 社会党とはなんであったのか
11月7日 荷物を積んで
11月4日 文化祭
11月2日 大物マス釣り大会は大水のため延期
10月30日 まともな昼
10月25日 闇と光、反社会性と社会性と
10月24日 挙式準備
10月22日 遺体
10月21日 ADHD  漱石先生の手紙
10月19日 典座(てんぞ)のこと
10月17日 ひそかな非日常
10月15日 区民運動会に行けず
10月12日 お葬式
10月11日 通夜
10月8日 学ぶこと勉強のこと
10月6日 夜中に起きて
10月4日 リンテンさんと政談など
9月29日 断食療法 マンジュウ好き 甲田光雄
9月28日 男のおしゃれ
9月27日 しゃれたおばあさんたち
9月26日 オリンピック マラソン 高橋 、柔道 篠原
9月23日 交情の相手は一生に一度
9月22日   パソコンと取っ組みあって無我夢中一年
9月21日   オリンピックと女子選手

◎ 9月21日 オリンピックと女子選手

前評判どおり、日本選手は元気だ。勝てばすべてがよくなる。勝っていると、コーチも選手もその関係者がみんなよく見えてくる。負けると逆だ。ケチを付けたくなる。
その色眼鏡はあるだろうけど、ソフトボールは感じがよい。野球も。プロの選手がなかなかいい。気持が新鮮で、素直に一生懸命になれるんだろうな。

ソフトでは、高山という投手が印象深い。彼女は、アトランタの時もそうだった。四年ぶりに見る高山選手は、えらく体格がいいのでびっくりだ。もっとも、この種目の選手は、がっちりしている人が多いが。アトランタの時は、不安げに見えたものだった。彼女は、かなり技量をあげている。コントロールが素晴らしい。いま、彼女は体中に気力が充実している。選手全体も。それがこっちに伝わってきて気持がいい。

しかしサッカーはどうも好きになれないな。ワザとらしいところがあって。
とにかく女子ソフトボールは最高だ。

柔道では、日下部という女子選手だな。彼女は、誰よりも武道家に見えて、驚いた。ヘエーわからないもんだ、こんな選手がいたんだな。果し合いをするために登場してくるときの颯爽ぶりが素晴らしい。私、惚れ惚れさせられました。この選手は、心構えといった面で、よき教えを受けているんじゃないかな。この姿は、自然には成らないと思う。田村と日下部は同じ道場で修行したらしいが。

今度は悪口。
まじまじと画面を見たのは、日本女子水泳選手。いつからこうも、栄養まるまるで、色気がありそうでないような姿になったのだろう。いちばん問題は、勝負師としての気持の鍛錬不足だ。それがふやふやになっているので、きびしい美しさがにじみ出ていない。いやみでさえある。というより、美しいだろうという妙な驕りにはまっている。まったく重大な考え違いをしている。

女子水泳界では、選手育成において、大きな反省がいるんじゃないか。
千葉すずの問題について、マスコミのひいき意見はなんどか聞かされたが、コーチも含めて、関係者側の意見が聞かれない。ここには、現代日本の悪い面がモロに出ているように思う。彼女らの競技を楽しむとかの発言には解せないものが残る。競技の性質上、遊びの要素や健康や美容の要素はあるだろうけど。
選手は選手なのだから、心構えの鍛錬を抜きにしてはならない。選手の育成は、日本中の教育モデルでもある。女子の放恣について、徹底抵抗してきびしくあたってもらいたいものだ。

9月22日 金曜日 パソコンと取っ組みあって無我夢中一年 

機械がきたのは、去年六月二十一日。この日から、まあ新しい人生が始った、と言っても言い過ぎではない。それほどの衝撃的な力を持っていた。まず、その特色を紹介することからはじめよう。

◎ 情報、知識を得るという点で、画期的だ。僕の常識では、字による知識は本屋、図書館、自分の持ち合せ本、などから得るとしたものでした。足を運ばねばならない面倒があって、わざわざ出かけることはまずなかった。まあいいさとか、適当にしてくれ、とかですんでしまったということ。追及しないということ。
ここでPCの特色にまずしびれた。

それは検索。
まず、新聞、と入力してみる。すると出てくる、いっぱい。目がくらくらする。どれを押(クリック)していいものかわからない。読売と打ちこんでみる。なんと、読売新聞が出てくるのである。ヘエーだね、感心するね。新聞社はサービスをしているわけだ。ただで。使用料も取らずに。
次に報知新聞と英文読売をクリックしてみる。出てくる。巨人の戦況を逐一載せている。紙上実況のようなものです。
この秘密を知ったので、毎日、新聞を読むことにした。こんなこと、各紙を置いてある喫茶店へ行くか、図書館にでも行かない限りできないことだった。

次にしびれたのは、クリック一発で目指す画面に飛ぶリンクだ。パソコンの画面では、手で紙面をめくる代りに、目指す場所にカーソルを置いてクリックすると、カチンと小気味よい音をさせて一瞬に画面が移る。ニューヨークの新聞だって、そこをクリックすると、カチンとすぐ画面が変る。ニューヨークも東京も同じ。料金も同じ。三分十円ぐらいだ。

その程度に検索しておった。それが今年も六月になって、アユの冷水病について知りたいと思ったとき、PCが頭に閃いた。いまごろ遅い。
冷水病、アユと二項目入力して検索してみると、出てくる、出てくる、神奈川県とか、岐阜県とか、水産庁とか、歴々の名前で。こんなしかるべきところから出ている資料など、われわれ庶民に縁がないものとしていたのに。それを私ごとき者が部屋に座ったままで見ることができる。こりゃ革命ですよ、血を見ない革命。
つづく

9月23日 交情の相手は一生に一度

1700年ごろの、武士の倫理を説いた『葉隠』に不思議な文がありました。男色、ホモのこと。青年のころ、これは特殊ではなかったらしい。人生の途上によくあることだという。また、ぢかに性的なものでもなかったようだ。範囲が広かった。いまと同じに、男の体をしていても、心は女になってしまっている人、また逆の場合も、あったはずだ。これは、当時も現在も特殊だが、当時の衆道(しゅどう、ホモ)は、武士が男の世界であったゆえに、誓い合った友情の非常に濃い関係はほめたたえられてさえいたろう。気持の持ち方の純粋さという点で、藩主や藩にたいする忠誠につながるとして。

私は、その道のものではないが、感覚として理解できるように思う。
このあいだ亡くなったKは、若いころからの付合いだが、その友情の持ち方にとてもあついものがあった。私はかなりやんちゃだったが彼は辛抱していたようすだ。それは、ある決意のもとになされている感じなのだ。つまり、彼は精神的な何ものかを非常に大切にする者であった。事業欲とかの上昇嗜好の薄い者。そういう野心が備わらない者であった。その代り、ある精神傾向、ある精神の理想、といったものに大変敏感であった。

Kと私の関係は、そういう点で仲がよかった。これは、夫婦にはないような、強い結びつきのものであった。
まあ夫婦には、一般にはあまりに強い結びつきを求めるのは、かえって破綻をもたらすだけだろう。生活をともにするもの、という感覚でいるのがいいだろう。
ただ、はじめに強い精神性で結びついた場合は、生活の場、という考えは通らない、二人で決意して維持して行かなくてはならないが。Kの場合、夫婦には、はじめから過大な精神性や趣味性を求めなかったようだ。私に対しては、二人の傾向に似たところがあったので、これを大切にした。これも、常朝の言うひとつの衆道なのであろうかと思ってみる。

以下にその原文を引用してみる。タイトルの、交情の相手は一生に一度、は三島がつけたものか、そのまま拝借した。

式部に意見あり(式部という者が言うには)、若年の時、衆道にて多分一生の恥になる事あり。心得なくしては(事情を承知していなくては)危ふきなり。云ひ聞かする人が無きものなり。大意を(だいたいを)申すべし(言いましょう)。
貞女両夫にまみえずと心得べし。情は一生一人のものなり。さなければ野郎かげま(男娼)に同じく、へらはり女(浮気女)にひとし。これは武士の恥なり。「念友のなき前髪(言いかわした相手のいない若衆は)縁夫(いいなずけ)もたぬ女にひとし」と西鶴が書きしは名文なり。人がなぶりたがる(軽くみてからかう)ものなり。
念友は五年ほど試みて志を見届けたらば、このほうよりも頼むべし。浮気者は根に入らず(気持が深く入らず)、後は(やがて)見離す者なり。互に命を捨つる後身(間柄)なれば、よくよく性根を見届くべきなり。くねる者(関係をせがむ)あらば障り(さしさわり)ありと云ふて、手強く振り切るべし。障りは(なぜか)とあらば、それは命の内(生きているうち)に申すべきやと云ひて、むたいに(無理に)申さば腹立て、なほ無理ならば切捨て申すべし。
また男のほうは、若衆の心底を見届くること前に同じ。命をなげうちて五六年はまれば、叶はぬと云ふことなし。もっとも、二道(ふたまた)すべからず。武道を励むべし。ここにて(衆道も)武士道となるなり。

ここにある世界は、いまが市民社会なので、びっくりする。しつこかったら切捨てる、とか、衆道が武士道になるとか、どうも激しいもんだ。しかし、これを今が普通で昔はおかしいとするのはよくない。あのころはああであったとそのままを受け入れ、これをなるべく理解するようにしてみるのがよいだろう。
『葉隠』を読んでみていて面白いのは、今が照らされるから。なるべく現在を一番いいと思いたいが、どうもこれは違う。今の自分は何かおかしい。という疑問があれを読んでいるとあぶり出されてくるのである。

この本の自分にとっていいところは、藩主と藩にたいする徹底忠誠の倫理が貫かれていることである。すなわち倫理だ。倫理は日本の急所じゃないかな。倫理は、政治に利用されてきたんじゃないかな。インターナショナリズムとヒュウーマニズムに。国家主義の反動で。敗戦後の日本はずっと倫理模索中。

元へもどって。
三島には、『仮面の告白』によると、衆道傾向があったようだ。実際に官能がしびれてうっとりしたろう。彼の作品の強烈な芸術傾向とも結びついた。
異性との世界は、結局はこまごました日常性に行くが、あの世界は、非日常だ、人工的で常に努力によって維持されるもの。結局は、ある精神の世界に行く。この激しい精神性という点で、山本常朝の世界と三島由紀夫の世界は結ばれる。過度の精神性ということか。鬼才や天才の。いや、そうでもないかな。

『五衰の人』の中で、徳岡さんは、三島は森田必勝に導かれていった、というニュアンスをしばしば言っていた。そうかもしれない。三島は、ぴったりと相手を得てほかの道がなくなってしまったのかな。情死、それなら大満足だったわけだが。どうも常識で判断できないのですっきりしない。

9月26日 火曜日 オリンピック2 マラソン 高橋、柔道 篠原 

勝てば、結果がよければ、すべて良し。それにしても高橋選手には驚いた。マスコミが騒ぐだけでほとんど当らない予想が、当った、しかも、彼女の強さには目を見張るばかりだった。こんな素晴らしい選手が日本にいたんだと。二位のシモン選手も強かった。トラックで前を抜けるかも、と力をためて走っている感じだった。

やっぱり気になるのは、女子水泳選手。コーチは選手と対立しても、心構えの鍛錬にゆるんではいけないな。女子教育育成は、国をあげてやらなくてはいけないと思う。その手本にならなくちゃ。選手がアテネ大会に見違えるようにして出てきたら、ひと安心だ。
シンクロは、凄い。あのメリハリの効いた演技には、ギョッとした。この練習はただ事ではないな。背中がぶるぶるしたよ。ここまで鍛えるものかなあと。小谷のころより数段技量が上がっているんじゃないか。

篠原には気の毒だった。気を取りなおして、四年後を目指してくれ。どうも、柔道界は、世界規模でいろいろ問題があるのかな。
今日は、強い女子ソフトと高山選手が見られる。優勝かもしれない。
それから、野球では黒木だな。すべては彼の肩だ。

9月27日 水曜日 寒い感じだが室温20℃ しゃれたおばあさんたち

朝、岐阜からきたお客さんが、寒い寒い、もう一枚いるなあ、と話しているのが枕元に聞える。
三位決定戦、野球は負けているので、テレビをきって、体をエビにしてじっとしている。昼店へ行くと、Kさんがゴヘイ餅をもって現れる。いただく。みんなでひとつずついただく。ひとつあまったので、いいですかと言ってむしゃむしゃ新聞を見ながら食べる。すると、姉が入ってくる。それを見て、「あれあれ、またゴヘイ餅や」とKさんが言う。こっちはなんのことかわからない。

聞くと、「同じ袋を持ってはいってきたので、ははあん、と」。つまり、同じ所で買ってきたもの。小坂のなんとかいう店で売っている、八キロ先で。皆さんそこへ高山の帰りなどに寄る。それだけのためにわざわざ行く人もあるらしい。いま一五時だが、まだ腹にゴヘイ餅があって、すっきりしない。ふだんと違うものを食べると腹が対応できないようだ。

朝、長男から電話があって、バッテリーの調子はどうかときいてくる。
このあいだ高山の、富士通の営業所へ寄ってきた。消耗が早すぎると思ったので、本社のサービスセンターにかけあってから出かける。そもそもフタが開けられない。おかしい。手ですっと開くはずなのに、かたくてダメ。営業所員がやってみるがダメ。そこがおかしい。関係があるんじゃないかな。数日置いていってくれと彼は言ったが、使っているのでぐあいが悪い。そのうちこっちへ来るついでに寄ると言った。


店の写真をネットにのせることにして、写す。ついでに、店の常連さんに撮らしてくれと頼む。店の前で。なかなか格好いいです。若いころは、かなりかなりだったでしょう。いまでもシャレていますからね。その写真

9月29日 金曜日 断食療法 まんじゅう好き

このあいだ、うつらうつらしていて、ラジオに目が覚めて、しばらく興味をもって聞いていたが、そのつもりはなかったのにまた眠ってしまいました。勘所は、まだ記憶にあるので入力してみます。断食の話です。

話し手は、甲田光雄という年配のお医者さんで、大阪の八尾市に住む。
一日に食べるものが、夕食だけ。ご飯は、なまの玄米半合。なまですよ。ぎょっとしましたね。それで、急にラジオに向って目が覚めたわけです。
その他に生の野菜と、人参をすりおろしたもの、豆腐半丁。だいたいこんなようすでした。これが一日の全部。甲田さんは、普通に生活している。これを四十年続けている。目が覚めないではすまされません。常識の外の外です。

彼は、若いころから、食べ物に、まあ病気を持っていた。異常な嗜好を。
まんじゅうなど甘いものがムチャクチャ好き。普通には、まんじゅうなど、食べすぎると後で腹が気持悪くなるので、一つでやめとくとしたもの。だが、彼は四つでも五つでも食べてしまわないとすまされない。医者になって結婚してからもやめられない。
ある時、夫人が、蜂蜜の壷に向って座りこんでいる夫に、「あんた、医者やめて、蜂蜜ヤになったらどうやね」とずばり言った。情けなかった。だが甘いものがやめられない。

それで、やめる誓いをした日を、柱に切り込んでおくことにした。これが、またまたダメ。誓うごとに柱に日付を切りこんでいたので、家中の柱が、むろん傷だらけでひどい眺めだ。
ある日、甲田さんの兄が来て、その猛烈な柱柱柱に、ただ驚き呆れた。けれども、医者に向って何か言うわけにもいかない。本人自身、真底情けない。これは、饅頭の問題ではなくて、心の問題だと方向転換していったわけです。
そして、西田式断食法にめぐりあって、本格的に取組み始めた。

試行錯誤の苦闘の上、ついに自分に断食療法を達成することができた。それから四十年がたつ。患者にもすすめて成果をあげている。
ある時、末期ガンの尼さんが噂を聞いてやってきた。彼女は、断食療法の指導を受けて、病気がなおってきた。黒いねばねばした宿便が出てきた。後は自分でやりますと、彼女は退院して、それっきり音沙汰がない。二ヶ月後に現れた時は、すっかりぴんぴんしていた。しかし、あくる年二月彼女は亡くなった。

こういうことがあったりして、これはひとつの療法としてお医者さんに理解をしてもらわなくてはいけない、と痛感した。そんな療法など問題にしない医者が普通なので、その患者に一般の治療をしてしまう。これではいけない、というわけで、断食療法を研究する大学の先生を探したところ、現在四人いるそうだ。この療法の現況はこの程度であります。

彼は、阪大医学部の出なので、同窓会の時など、断食療法の成果について話しても、みんな問題にしない。これも現況です。つまり、医学としての、市民権、市民力がないわけです。
しかし、現実には、甲田さん自身が手本なのだ。しっかりした話しだ。ただし、これは、物理療法ではなく、むしろ精神の、心の療法なんですね。だから、客観性がないとして、医学として取上げられないわけです。しかし、ゆくゆくは取上げられていくことに間違いない。東洋系の医術のひとつとして。

10月4日 火曜日 リンテンさんと政談など

部屋に閉じこもっていたので、一ヶ月ぶり三軒隣の彼の店(バイク、自転車の販売修理)へ行く。店に、なんと刺網(アユを獲るための)がぶら下げてある。修理中なのだ。これは何を物語るか、――ヒマ。
気分ががっくり。やっぱりな。わかってはいるがいやになる。どこへ行っても晴々しない。このごろはしかし、挨拶に不景気を口にしなくなった。だが、話の基本線はそこへ行く。愚痴ってもしょうがないけど、グチる。

網の目を調べていると(私も前はつくって販売していたので。彼のは自分のためようで、趣味)奥から、おうとほんの小さい声が呼びかけてくる。
「いいよ、休んどれよ」と言う。
「いやいや、寝ていたわけではないよ」と、のそのそ出てくる。奥の部屋で網の修理をしていたわけである。以前、こんなことはありえなかった。バイクなり自転車なりに向っていたものだ。彼としても、昼間から網の修理に向っていることなど、いやなこったろう。

いつものように合い向いに座ると、すぐ、日本はだめになるなあーの話になる。
「森だったな、森総理が、マラソンの高橋選手からビールをついでもらっていたが、とんでもない話だ。総理がねぎらって注ぐのならあたりまえなのに、注いでもらうとはな」
と、おかしいと彼は力説する。けじめがないと。
「若者がおかしい。まともになれない。定職につかない。一人よがりの、夢みたいなことを考えている。これはな、問題は親だよ」
「これはな、どうも俺たちのころからはじまっている。その子がああなっても当然だな。いまの親は、子どもに何ってよう言わん。自分たちが浮いたような考えで暮していたからな。権威などはいまさら持てない。あれよあれよと見ているばかりだ。」
「成長経済で日本中が骨抜きだ」
「社会党も自民党も骨抜きだ。経済におんぶだ。頭が水ぶくれしてしまっている。」
「日本がよかったのは、アメリカを食ってきたからだろう。ベトナムや東西冷戦で、アメリカが経済のほうに向けなかった時に、うまいこと儲けたんだ。冷戦が終ってアメリカが経済戦争をしかけてきた。勝てないよ。」
「今後も、景気はよくならん。よくなるようなことを言っているが、ならん」
「アメリカべったりと経済で、日本は、ふにゃふにゃだ。社会党も自民党も、自分らの金と身分のことばかり考えておる。日本を利用して儲けている。日本中が金儲けの集りだ。企業はそれでいいよ。だけどな、政治家が同じではいかん。」
「政治家の中で、骨のあるものが出なきゃいかんのだが。しかし、どの分野でもカネカネカネで荒れてしまっている。緊張がない。」
「韓国では、なんといっても東西の緊張がある。日本みたいにいい気に逆上せておれない。この引き締りというものが、日本から消えてしまった」
「何より、急がば回れで、哲学だ。油断していると、変な、例えばオオムみたいな哲学が広まらないとは言えないな」

10月6日 金曜日 夜中に起きて

昨日、一日中体調と頭が重くて、夜九時ごろから家人と喋る。喋るとき何か飲む癖がついて、今日はビール(中びん)。発泡酒は度数が低くてラクだが、手元にない。
家人とはいつ喋っても同じような話。それはそうだが。マンネリだからいいとするしかない。落ちつける意味もある。二本のむと次の日一日中ぐったりしてしまうので、気をつけているのだが、なりゆきでもう一本空ける。酔いがまわってきたので、こりゃいかんと外へ出て川べりをウォーク。風が強いので、手ぬぐいで顔半分をおおう。朝霧まで行く。今日は月がなくて真暗なので、時々ライトをつける。
帰りは、風を背にすることになって、体も温まってくる。アルコールのせいだろう、歩くのに必死だ、考えも浮ばない、突っ込んでいくようにして歩く歩く歩く。

帰って、よっこらしょと部屋の布団に横になる。ぼんやりがいやになってテレビをつける。トロクサイような番組ばかりなのでスイッチを切る。しかしまたぼんやり。『マディソン郡の橋』を書棚から引っ張り出して始めから読んでみる。これは四月ごろ読んで、非常に面白かったので。また同じように面白い。目が覚めてくる。こりゃ、キンケイドに作者は哲学を与えているんだな。全体性と野性的生命を。となれば、それだけで、現代の生活に対する反抗反発だ。その姿勢がフランチェスカとの恋愛にまで続いて行く。野性性と全体性とは、そのまま孤立へ向わせてしまう。作者ウオーラーは二人に栄光の孤立を選ばせる。この物語が、現代人の心を深く打った。アメリカばかりでなく、日本でも、世界中で。

そのまま眠って、朝四時ごろ苦しくなって目が覚める。やっぱりアルコールが残っている。不快。うつらうつらしながら、早く死んでいったごく親しかった者四人のことを考える。次にリンテンのこと、十日に手術を受けるТТのこと。長男のこと。三島のこと、三島とウオーラーを比べる。収入のこと、胸が重くなって起き上がる。電気をつける。ラジオをつける。深呼吸をする。

松山恵子のこと。腰がほんとに小さくて、胸がぴょこんと大きくて、どっかのオジさんのひざにぴょこんと座った、と家人が語っていたな。伴奏はなくて、カラオケだったと。五人で見に行ったおばあちゃんたちは昂奮して、帰りに寄って歌っていたな。すごい元気。日本は女が元気だな。相対的に男が苦しい。とてもキンケイドの野性からは遠い。小説は小説、ここはここだがウオーラーさんに感謝するとしょう。楽しませてもらって。

昨日の新聞を思い出す。青色発光のダイオードを発明した四十六歳のナカムラシュウイチのこと。徳島県にある彼の会社では変人で通っていたこと。日曜祭日も研究に没頭したこと。彼はアメリカのカリフォルニア大学、サンタバーバラに教授として迎えられた。市民権も得て。日本の企業や大学からはなんのお呼びもかからなかったこと。
次に引きこもりのこと。これを深刻化する社会問題として取組もうと、埼玉県で親たちが立ちあがったこと。それぞれの家庭では、もう取組めなくなっていること。
などなどを思い出すうち胸が軽くラクになってくる。

10月8日 学ぶこと勉強のこと

昨日の岐阜新聞に面白い記事がありました。森毅という数学の先生の対談。相手は遥洋子という四十ぐらいの女性。この人は、自分の勉強体験を本にして名が売れたらしい。当方の知らないはじめての人。けれども、森毅さんは聞いたり見たりしたことがある。今度の記事でこの人の考え方が面白いと感動したので入力してみます。

まず遥洋子さん。
この女性は今までに深く勉強したことなどない。普通の人。しかし、独身だったので、もう若くないので、周りから「早く結婚せい」とか「辛抱するのが女の道や」などなど言われて、聞流しておれなくなった。ちゃんと返事ができるように一度きちんと勉強しておきたかった。
これだけでなく、いろいろの面で頭に雲がかかった状態にだんだん我慢がならなくなって発奮したのでしょう。上野千鶴子という先生のゼミの戸をたたいて、三年間通った。その間本も何百冊と手にして勉強した。その経験は彼女の本に書かれているはずですが、この対談では、そのエッセンスの勉強すること、学ぶこと、について話されています。

上野千鶴子教授のゼミが、間口が広々として、そうざらにあるものではないのでしょう。彼女は一介の素人としていいところへ入ったわけです。勉強心も相当だったわけですが。


この対談は、裏のテーマが大学とは、になっていました。

答える森さんは相当の反骨の人で、変り者で通っていたようですが、彼はそれを押しとおした。実は、彼は変り者ではなかったわけですが、周りが自分たちが正常だと思い、自分たちの利益を害されたくないので、予防線を張る。つまり、森さんを変り者だと敬して遠ざけるわけ。
ここで集団のために重要な事態が起きます。変りものを遠ざけるという保守性がその集団から馬力を奪っていってしまう。集団は、むろん良かれと思うことをやっているわけですが、その進取の気に乏しい保守性のゆえに、自分で自分を打開していけなくて崩れていくわけです。しかも、自分たちは正しいのだとする顔を見せつづけて。

森さんは、東大、京大にいた人で、そういう所でも集団の居眠と保守化は免れない。いやな恐ろしいことです。日本の政治がおかしいですね。しかし、目の前の利益に縛られて、どうにも打開できない。集団に勢いがなくなる時は、墜落も早いでしょう。あれよあれよ、と言ううちに。

日本は、人の目を気にする文化ですね。人からどう見られるか。これが倫理の基本です。西欧や中近東では違いますね。神。日本の神とはまったく違う神。神の前で自分はどうかを気にします。人ではありません。
だから、調子のいいうちは元気ハツラツなのですが、いったん狂い始めると、人の目を気にする文化なので、お互いが相手を気にするばかりで、ちっとも打開への道へ踏出せなくなる。
日本は、外圧が不可欠の国だと言われますがわかります。なかなか自分で自分を変えられない集団。この百数十年、外圧はアメリカ。アメリカに弱い日本。アメリカなしには成立たない日本。アメリカの子供日本。集団内右往左往の日本。自分で自分がわからなくなる国日本。よそ者がわからない国日本。

そこで、勉強すること、学ぶことが登場する。
しっかりした見識をつくるために勉強する。特定の技術ではありません。見識をつくるなどという目的からは、特定の技術技能はできません。まあいわば、なんにもならない勉強です。役にたつ勉強からは、常識が育たないものなのです。役に立たないものは無用視されてしまいます。けれども、いま遥洋子さんがつまずいているのは、役にたつ勉強でした。彼女は、役にたつ技術知識はある、けれども、それらは彼女の現在の悩みに答えてくれない。考え方の勉強。はじめ、疑問ばかりが増えてしまう勉強。ものの見方の広さ深さの勉強。ああいう考え方、こういう考え方。物事を決め付けない考え方。

やがて、この混乱の中、だんだん物事が見えてくるようになった。つまり、自分が解るようになり、人が解るようになり、歴史が解るようになり、わからなかったことがすっと解るようになってきた。そして、自分が新しい人間に生まれ変ってきた。少しずつ自分に自信が持てるようになってきた。人の目を気にしていてはできない自信。学ぶことでだんだんできあがってきた自信です。日本のように、他人の目の文化では、自分で学んで考え方を深めるしかない。他人の目ばかり気にしては、おどおどしてノイローゼのようになるだけです。

受験勉強なども、即役にたつ勉強です。この勉強は利口にさせてくれません。人に勝つための勉強では反射神経反射頭脳が練磨されるでしょうが。雪が降り積るようにできてくる自信は、まったく違う心構えが生出してくれるものです。それが、学ぶということ、勉強するということ。
この対談は、その意味で、知恵がいっぱいです。ムダなような役にたたない勉強のすすめ。

◆ 今日隣の小坂町でマラソン大会がありました。毎年この日にあります。選手が泊りました。この人たちは毎年来ます。体力が落ちて苦しいと言っていましたので、来年は来られるかどうか。御岳を目指すマラソンで、日本有数のきついマラソンだそうです。標高差千二百メートル。五時間以内に完走しなければならない。
シドニーでのマラソンを見ていたら、谷口解説者が、選手は後半になると、亡くなる人の表情に似てくる、頬のあたりが、と言っていたのを思い出す。全部のエネルギーを出しきって亡くなる人の頬。帰ってきた選手の表情を見て。 

10月11日 水曜日 通夜

昨日の夜、八時近く、KAさんのうちから電話がある。「KAが亡くなった」と。不意の事でうろたえる。しかし、KAさんはかなりいい年のはずだから、とすぐ平静にもどる。「また詳しいことは連絡しますが、とりあえずお知らせしました」と。
九時に、上呂まで出かける。着くと、電気がこうこうと点いており、また車がいっぱいではいれない。とりあえず近くの空地にとめて、玄関まで行ってから、取り込んでおられるようなので明日にしようと、そのまま帰る。

今日、昼の二時ごろ出かける。駐車場に余裕があってすぐはいれた。息子さんに案内されて上がると、縁者が集っている。KAさんは、隣の部屋にふすまが空けられたままで布団のなかにいた。顔は蔽ってなかった。なんと、ヤセて小さくなっている。ずっと病んで寝ていたんだな、と解る。オリンピックマラソンのときの谷口解説者の話を思い出す。その通り、頬はこけて、すべてのエネルギーを使い果して、いまKAさんは横たわっている。胸がくっとなる。すぐに席を離れ、皆さんに挨拶して家を出る。
そのまま、農協に寄って今日五人のお客のための仕入をし、さらに足りないものを補うため下呂のピアまで行く。行く道KAさんのことを思う。

夜、お客にまわししたあと、通夜に出かける。ちょうど終って一般の参会者が帰ったあとだ。
縁者たちと一緒に二時間ほどもいて帰る。いろいろ考えさせられる。
明けて今日十時の告別式に行く予定。

10月12日 木曜日 お葬式

6時半に起きて五人分の朝食の準備をする。もう足元がふらつく。なんとヘボになってしまったことか。毎日がそんなグチグチ。いちばん情けないのはこの事。だが、ずっと昔からこの道をみんな歩いてきた。自分の場合、やはりみんなより早く来たようだ。日記からこのグチが消える時は…。
出かける前、らっどへ行ってコーヒーを飲む。新聞に、ノーベル賞の白川英樹氏と金メダルの高橋尚子さんは、高山市で遠い親戚関係にあると大きく出ている。
きのう非常に暑かったので、今日もと半そでのワイシャツを着る。が、どうも寒い。長袖に着がえる。

光雲寺へ十分前につく。つくと、組の誘導係が駐車場を指示する。車がおんぼろなので気が引ける。降りると、その人は、釣道具屋のころよく来ていた。やあやあと挨拶する。懐かしい。向うも。時計を見ると、まだ五分ある。なんと、葬式の話ではなく、アユの話になってしまう。だんだん話に熱を帯びてくる。元気が出てくる。KAさんも釣り大好きだったので、やってるやってると笑っているでしょう。
外でお参りしている人は少ない。ほんとは中へ入らなくてはいけないが、そのまま外に立つ。快晴で、ラクだ。真冬の外の時は、大変だが。

祖母がKAさんのうちから来た人なので焼香順は早い。
祖母の兄弟姉妹は、男四人女四人で多い。しかも、そのころこの家は勢いがあったので、みんな土地持ちの長男のところへかたづいている。長男をのぞく男三人は、一人が新規持ちになり、一人がやはり土地持ちへ養子に行き、一人は坊さんになった。全体に男はおとなしく普通に百姓ふうである。とっぴなことはやらない。姉妹たちがしっかりしていた。まあ男はボンボンみたいなところがあったが、逆に女はきちんときりもりしていかなくてはならない。自ずと人間も出来てくる。

KAさんたちの代、私の母たちいとこの代になると、兄弟は少なくなってしまう。また、勢いもなくなってしまった。堅実一筋だ。
KAさんはその典型で、かっての家の勢いとつながりをきちんと守ることをもって、自分の生きがいとし、務めとして来た人である。その務めが、痛々しくさえ感じられたものだった。彼は、土地持ち長男の典型だろうか。
KAさんを棺の中に見ると、そのミイラのように痩せ細った表情に、彼の地味で粘りの人生が、ぴったり表れている。私は、彼としたしく話すことはなかったけれども、長男ということで、親近感があった。田舎の長男。

祖母の縁者の中では、わたしん所がいちばん紆余曲折した。母は、百姓ふう保守と地味が嫌いで、私には、そうなるなとけしかけるところがあって、自分はそれを引継いでしまったらしい。この家は祖父の代から、どうも落ちつかない傾向が続いている。その危さをしっかり支えてきたのは女たちだったのだが。
この私めも、いま、体力という限界に直面させられて、ついにバンザイまで来ているのかな。先祖たちは、まあ、それなりによくやった、と言ってくれているだろう。百姓には、土地を失うことは絶対にならぬことであったが、新しい時代にはいって、それもやむをえないだろう、と。

私の人生はというと、戦後民主主義、都会、田舎、大学、四十年代、長男、経済成長膨張日本、そして、ついに大反省の時の始り。国を土台から、自由に深く広くぜんぶを考え直し方向を見つけて行く時。
個人としては、戦後日本の田舎の長男、ということかな。それらぜんぶの中で、ひとつをあげるとすれば、戦後日本の活気をつくってきた活発流動経済かな。
その中で、我らKAさんたちの系統は、いい意味でも悪い意味でも、むしろ背を向けるようにしてきたかなとさえ思われるのだが。そうでもないかな。

10月15日 日曜日 区民運動会

朝8時半に女の声で呼ぶ者があるので出ていくと、Yさん。家人は玉屋へ行っているので、用意しようとすると、いいですいいです、帰ってからで、とちょっと遠慮がちに彼女は言う。それじゃあと部屋にもどってごろり横になる。

きょう12時半南中グランド集合の区民運動会の予定。玉入れと座布団リレーがあたっている。だが、数日前北風に向って普段の服装でウォークしたので、どうもやられたらしい。きのうから、体が重く腹がニゴニゴする。顔がカサカサしてつった感じ。カゼだ。朝起きられない。寝ていると、店から誰それが来たからと呼びにきたけれども力が出てこないのでそのまま。昼12時に目が覚める。運動会には行けそうにないので、江原に電話する。また寝てしまう。夕方Kさんが玄関を呼ぶ、電話を使いたいと。そのまま上がって電気をつけて電話してください、と寝たままで言う。家人はどこへか行って居ない。

もだに林檎園と高山へ行ったと5時ごろ家人が帰る。
ビールと酒が切れそうだというので、起きて出て上呂ロフトまで買いにいく。体がふらふらして、歩いても喋ってもぴったりしない。6時半に夕食。栗ご飯と、おでんのいずれも残り。またごろり休む。何か入力しなければならないと、『卒塔婆小町』をもう一度読み始める。『サド侯爵夫人』は長いので、続きを読む気力が出てこない。しかし、数日のうちには読みきる予定。いま22時半、室温20℃。なのに寒気がする。

10月17日 火曜日 ひそかな非日常

奮闘記のなかに記しておいた、若い女性のサイトが、意外な展開を見せました。
昨夜は、『サド侯爵夫人』をやっと終えてアップし、気になる彼女のサイトがその後どうなっているか見るつもりでサーバーにつないだあと、、メールのチェックをすると、2通めのが届いていた。それをざっと読んだとき、緊張で心臓がドキツキ苦しくなりましたね。え ! 『サド侯爵夫人』を知ったばかりだというのに ! なんたる小物か !

つまり、現在のページは、2ヶ月前に装いを新たにしたもので、それ以前の半年間、別の名前で載せていたことが判りました。彼女は、それを今度のページからはずしていた、という事は、それをもう公開したくなかったわけです。その公開したくなかったものを、私が結果として出させてしまったことになった。その端緒がなにげなく送ったメールにあったわけでした。いくつかの偶然が重なってこうなってしまった。その一つでも欠いたら、この出会いはなかったでしょう。
以下に、私の最初のメールと、彼女からの返信を引用してみます。ごく普通の内容のものです。ただ、こっちのサイトなどは知らせないことにしました。見たら、あまりの活字ばかりにうんざりするであろうと判断したので。また、知らないほうが、こちらの趣旨が伝わるはずなので。

〇〇様

不思議なダイアリーを読まさせてもらいました。心が揺さぶられました。
とりとめのないことが書かれているようでも、きちんと表現されていて魅力ある文章でした。気になりましたのでメールします。
今日お昼に、高機能自閉症というのをやっていて、その病気を持っている森口奈緒美さんが出て喋っていました。見ていて、〇〇さんの日記を思い出しました。不思議な日。〇〇さんはそういう病気ではないでしょうが、心がとてもやわらかくて……。日常の文に慣れていますので、〇〇さんのは新鮮でどう理解していいかわかりませんが。気が向いたらこちらにメールしてみて下さい。RADD

2日後に以下の返信。


RADDさん、はじめまして。
〇〇〇という日記を書いている〇〇と申します。

メールありがとうございました。
とても素敵な文章、本当に嬉しかったです。
時々日記をやめてしまおうかな、と思う事もあるのですが
このようなメールを頂くと、嬉しくて嬉しくて、
これからも続けよう、と思います。

自分では普通の日常日記だと思っているのですが、
あの文章から何かを感じとって下さる方に読んで頂けて
本当に幸せです。


と、ここまで書いて読み返したらなんだか恥ずかしくなってしまいました。
嬉しい、という気持ちを表現したかったのに、
出てくるのは「嬉しい」という言葉そのものだけですね。
私もRADDさんのようなメールが書きたいです。深く届くような。

RADDさんは日記を書いていらっしゃるのでしょうか。
もしそうでしたら教えて下さると嬉しいです。

〇〇


さて、2通目のメールには、公開からはずした内容の紹介がしてあって冒頭へ行くわけです。もう一つ別の意外がありました。私のサイトが探し出されたわけです。メールとサイトは、ツウカーなのでしょう。やったことがないので分らないけど。
〇〇さんは、当方のサイトの字の多さにびっくりしたでしょう。だが、半分ほども読んだとあったので、そりゃ大変でした。もしいきなりサイトを見ていたらげんなりして、印象が違ったものになっていたはず。
メールと言葉の力と、人というもの、心というものを今日はずっと思わさせられています。

10月19 木曜日 典座(てんぞ)のこと

HТさんという若い女性のネット日記をまとめて半年ぶんほども見た。縁がなければこんなことはありえない。気を入れて見ない。ということはイパクトも残らないということだが、注意をこめて見ていった。それは結果として、ある種の作品を読む趣があった。
一般には、それらの日記は、ある常識の中に居て書かれている。読むほうもそれが常識の中にあるものとして安心して読み進む。際どいようなものでも、そのようにつくられている、という安心がある。あてこんで作られている。しかし、彼女のは、彼女の意図をこえてしまって、ムキダシの、無防備の文としてあった。必死で、淡々と、しかし意図をもって記されていってあるのに。結果としてそうなってしまっている。
以前、林芙美子の『放浪記』を見たときの印象とやや似ている。こちらは、形をもって発表されている。けれども、HТさんのは、ナマでどーんと出されている感じだ。だから、彼女の意図に関らず、ストレートのインパクトがある。

そのインパクトはどこへきたかというと、私の二十歳のころ、そのころを思い起させてしまったのである。それはずっと仕舞いこんであって、まあその頃の事どもは闇ではないけれども暗がりの中にひっそりとしていた。その日記で、わが青春というもの、無鉄砲でおぞましく悲しげで明るく恐いもの知らずの、青春をずっと思い出させられている。この年では、その想起はなかなか辛い。馬力がなくなっているからである。ただひたすら、自分を日々生かしていくことに必死のありさまなので、とてもそれをがっちり受けとめられない。それが、ここ数日私の中を走りまわっていて興奮ぎみなのだが。
三島は、ずっと事件であるけれども、なにせ大人の常識や手加減というものがあるけれども、こちらの方にはそれがない。ナマでストレートである。若さは、死ぬことにさえ率直であるけれども、年をとるほど臆病になる。臆病が二十歳の自分をさえもう支えられない。結果は自身喪失のみ。

典座のことと題してはじめるつもりが、その前置で長くなってしまった。中途半端だが、その意図だけを記し置いてみる。
ニヒリズムのことを言うつもりだったのである。ここ数日の事件のような中にあって、いろいろ考えるうちそこへ来てしまった。ニヒリズムは、なによりも苦しい。これとは一緒に居たくないけれども、どうもこいつが居座って暗い。そこで、典座の話を思い出したのだ。

道元の座談などを集めて弟子がまとめた著作に『正法眼蔵随聞記』がある。その中にこの典座の話があった。だいたいの記憶を頼りに言うと。
道元が中国のなんとかいう所で有名な禅寺の典座と会った。典座は寺の台所係、調理人。道元が彼を気の毒がった、寺で勉強修行すべきなのにと。ところが意外な返事が返ってきた。典座が道元を気の毒そうにして見返したのである。道元ははてと混乱した。これを理解する地図が彼にはない。このように椎茸など台所の食材を仕入れて調理して雲水たちに出す、これが禅そのもので、ほかのどこにあるんだ、という事だったのである。それはその通りだったのであるが、ここのあたりを会得するのがつまり修行で、難しく考え出すと止め処もなく難しくなってしまうしろもの。しかし、やっぱり禅の要諦はそこにある。そこにあってホンモノなのだ。じゃどうやってそこに至れるのかで、また修行に戻る。座禅中心の、勉強すれば誰にもわかるという学校教育のものではないので、宗教なのだ。

この話を思い出したのは、平凡で退屈でもある日々の中にしかニヒリズムの彼方はないのだと自分に言聞かすためであった。どこにも逃げられませんよ、ということ。それはそうだが、悟っているわけでないので、闇が晴れるわけではない。どこへもどうにもならない。みんなその道を通って生きて死んでいくわけかな。

10月21日 土曜日 ADHD。漱石先生の手紙

ADHDと漱石の手紙は別々の項目。共通はテレビの番組で知った事。まずADHDについて。

これは一種の脳機能障害である事。以前だったら、こういう取扱いはないので、その障害のある人は苦しい中生きて行くしかなかったろう。
彼らは、ある一部の事がうまくやれない、あとは普通なのだが。今では脳のゼントウヨウの一部に欠陥があってのことだと判ってきているので、障害を持った人として扱われるようになっている。

この障害者の集りに、エディソンクラブというのがあって、その代表の高山恵子さんが出演してこれを紹介していた。
項目としてその症状を言うと、
〇 注意を集中できない
〇 多動である
〇 衝動で動く

イデゴモリさんという主婦がその実際を見せてくれた。台所が片付けられない。自分でもおかしいとわかっているのに、努力してもダメなのだ。片付けの順序を忘れてしまう。夫も困ってしまっていた。だが、最近この事がわかってから、時計を十分とか一時間とか進めておいて備えるとかして、助けるようにしている。子供のころからずっとこの症状はあるので彼女は、変った人、とされていた。

買物に行っても、やたらに買ってくるので、いつも夫から怒られていた。それにしても、彼女は優しい旦那に恵まれた。今は、そうとわかって、みんな気分が軽くなって幸せである。エディソンクラブにはホームページもある。

◆ 漱石先生の手紙について。出久根という人が紹介していた。手紙は、判っているものだけで全部で二千通ほどもある。筆まめな人であり、やわらかい字で達筆である。漱石は、義務として、また楽しみとしていろんな方面の人に宛てて書いている。手紙が読まれるのを聞いているうち、だんだん引入れられて画面をにらむように見てしまった。

印象を言うと、日本人の倫理と情の模範となっていること。これがあるので漱石は読みつづけられているのだろうなとつくづく思わせられた。
自分に対して、正直であり、自分に厳しく人に優しい。家の中では、よく癇癪を起して妻からも子どもたちからも恐れられていた面があるようだが、そうだろうと思う。しかし、彼はそれを正直によくよく見て、まっすぐな姿勢を崩さない。そしてまた、外へ向って、つまり社会へ日本へ向って、背筋を伸ばして立ち向って行く。

漱石は、若い人を大切にした。けれども、周りのその多くのエリートを甘やかして見ていたわけではない。ちゃんと、公平なきびしい目で見ている。
亡くなる少し前に、二十歳ほどの禅の修行僧が二人彼のうちに一週間ほども泊った。東京見物なども小遣を持たせてさせてやった。彼らへの手紙が残っていて読上げられた。

その修行の世界は地味だがもくもくと続けていってほしい。私はちゃんと見守っていますと。周りの学生など若い者たちは、あなたたちほどの出来ではないが、少しでもあなた方に近づけたらと思っている、と言っている。漱石先生は、彼らの起居動作、作法に感心していたに違いない。ここでもまた、日本の将来に向けて、二人に期待して励ましている。彼らが持つ一服の清涼というものを大切にしていってほしいと。ちょうどこのころ、『明暗』執筆中であり、そこに書かれてあるバタ臭い、エゴの猛烈せめぎ合いの泥沼は、日本のすぐ将来のものであると確信しているので、その解毒剤となるべく、役割を担っていってほしいと。

漱石の手紙には、どれにも、一貫してその姿勢がある。つまり倫理と情が。学校ふうではなく日本ふうお喋りによる倫理が。我々が今でも愛読するのは、そこである。漱石先生が人気があるのはそこである。今では、それは、我々共通の故郷のごときものになっている。漱石先生は日本に、日本人に、日本の若者に、ああしろこうしろと命令したわけではない。そんな権力はない。けれども、文筆で意見を言う者として、ひそかに地味に、やっておくべきことはやっておこうと。それが、どの手紙にも行渡っている。自分に厳しく人に優しく、正直に公平に、日本と日本人を見つづけると。その発言に、大上段はない。ただ地道に、日本人の起居動作、倫理に働きかけていこうと。

ヒマが続くので三島由紀夫をほとんど必死に読んでいるけれども、彼はだんだん悲鳴に近いほどの世界へ追いつめられていっている。これは、漱石がひそかに働きかけて期待していた世界が、もう来ない事を表しているように思う。トラさん映画は、庶民における漱石先生の親戚だろうな。映画は楽しめるように作られてあるけれど、漱石先生のは、楽しいというのとも違う。彼は、ひそかに、私が自覚し覚悟しているのをあなたがたもと言ってくる。映画のようには笑えない、けれどもすがすがしい。漱石先生の苦い顔が裏にあるすがすがしさである。このあたりに日本人の、いや東京人のかな、フトコロがある。あったのである。

それにしても、漱石先生は五十歳で逝った。三島は四十五歳で逝った。たったの五歳違いであるのに、様相から何から、その差の激しさにはただただ唖然とするのみ。三島の誕生は漱石死後九年。

10月22日 日曜日 遺体

朝、年配の男女が野原のような所で喋っているのが映っている。どうも遺体のことを喋っている。男が一方的に喋っている。女は、いかにも義務としてのように人工的に聞き役をやっている感じだ。やがてテロップに、葬儀会社役員青木新門と出る。相手の女性は山根というアナウンサー。美男美女だ。しかし女は人工的だが、男は渋く優しい表情をして満足げに喋っている。
遺体について喋っている。なぜこの仕事をすることになったかについて。そしてだんだん遺体と優しく向合えるようになったと。それは、事故によるものなどを除けば、みんな優しく穏かな表情をしていると。話しかけるようにして処置していく。すると見ていた親族がなんと優しいんでしょうと感心する。そう見えてしまうんですね。私が優しい気持になってしまっているので。やがて、彼は時代風潮批判のようなことを言いだした。現場の話なので説得力があった。聞耳を立てる。時代は、健康とか、長生きとか、欲の満足とかの方へばかり目が行っていて、死体、死、についてはお粗末だと。例えば、神戸のA少年。彼は、一番親しくしていたおばあさんが死んだ時、とても不思議だった。死んでしまうという事がわからなかった。それで、蛙などを殺してみた。でもわからない。もっと知るために猫を殺し、さらに人間をまで殺してしまった。これは、死についての軽い処置からきているのではないだろうか。以前は、家で死んだ、どの家でも。このごろは、病院で死に、しかも早々に祭壇にあげてしまう。これでは、単なる物になってしまう。
このあいだKAさんがなくなった時自宅へ行ったら、次の日だったけれども、孫が二人親しく遺体をのぞきこんで話しているようすだった。KAさんは手あつく看病されていたんだな。また、組の葬儀の時など、出棺のとき、孫たちがかんだかく泣いている事がある。それが私らがいる事務所までも聞えてくる。この人もながく看病されていた。事務的ではありえない。
一昨年、我家の犬が老衰で死んだが、これもやっぱり親しいものの死だった。別れだった。だが私は、五年生の時祖父が死んだが、畑のなかの焼場へ着いてから、「お前火をつけよ」とマッチを差出されたとき、いやだと激しく拒絶したことを覚えている。おじいちゃんに火をつける事なんてできるものか。とてもこわかった。これは心理的傷として、まだ生きて残っている。父の死もそうだったけど、以来遺体と親しんだ記憶はまったくない。子供のころの傷とか衝撃は一生のものなのだろうかと思う。

忘れていました、以下のことも青木さんは言った。臓器移植のこと。臓器の受け手の側ばかりがいっぱい報道されること。現代を表していると。健康と長寿。利益常套、賃上げ常套。対して死体遺体功名金銭などなど。その負の面にフタをされていること。闇の面のフタ。それじゃ闇はどこへぼこっと出てくるか。神戸のA少年などによる殺人。多数の登校拒否。多数の引きこもり。上昇ばっかり。闇のフタ。闇の噴出。社会のいびつ、人間のいびつ、全体性のいびつ。そしていびつの復讐。

10月24日 火曜日 挙式準備

風邪が直りきらず、ここ一週間殆ど寝こむ。体力が最低。気力は、少し回復するも長続きしない。が『宴のあと』を読んでしまえる。意外。面白かった。三島のところでやってみる予定でいるが。このごろ、三島、日記、HТMLが追いかけてくる。その他にも、家人のもっともなヒス、心臓のアンバランス、頭と体のアンバランス。先に逝った者四人をしきりに思い出す。このあいだのKを。八ヶ月前の。うつらうつらしていると、隣の部屋から、元気な声。化粧の仕方を、その道の先生が来て三人に教えている。化粧でふと、『葉隠入門』を思い出して、男ばかりの殺風景であるはずなのに、どうも文が艶っぽくて生々しいのを、こりゃ三島がこの本に惚れているからだな、その官能だなと。そうだな、俺も一つ、官能を言葉にしてみたいな。恋愛、性を。雌雄を。いたせくすありすを。サイトが殺風景だからな。しかし、どうやってやるんだろう。小説風じゃないとダメだろうな。しかし書いてみたことはないし。しかし、わがサイトで、恋愛記述は『マディソン郡の橋』のみでさびしい。あれは、あれでも、サービスのつもりだったんだがどうも理屈ばってしまって。昼ごろ、修一が叔父さんと言って、ガラリ戸を開けて入ってくる。すると死んだ部屋がぱっと張る感じになる。対座する修一の生命がこっちにグッと入ってくる。そうやって部屋に入ってくる者は、修一のオヤジと、隣りの酔っぱらった時のТТのみ。こんな乱雑部屋へにゅっと入ってくるのは、半分は様子見だ。挙式のテーブル配置の表を持ってきて広げる。あの子供が大男に。オジさんこれでいいかな、ほんとはオジさんはこのあたりじゃないと。了解を取っておかないともめる事があるので、と。俺はそうかもます男なのかな。事のついでに、おい、このごろな、どうもオヤジが無責任みたいな約束を取りつけておいて、ひょっと変えてしまうようだぞ、ほかからも声があったぞ、緊張で参っているのかな、いいか、ここは内輪でないので、信用問題にもなるから、お前、よく考えて上手に対処しろよ。こっちの顔がとがってきたらしいので、修一はさっと退座する。なかなか、状況を見極めていてよろしい。長居はしないほうがいい。言葉は無用のごたを生ませるからな。

10月25日 水曜日 闇と光、反社会性と社会性と

夜中、胸が気持悪くなり目が覚める。布団がヤケに重い。体を横に向けて手枕をして、落ちつくのを待つ。やがてラクになる。そのままの姿勢でうつらうつらする。と、このごろアップした、遺体とか漱石先生とか、HTさんの日記とか、そして三島とかぼんやり思い出す。HТさんの日記の、反社会性と社会性のストレートな揺れをなんだろうなと考えるともなく暗闇の中で頭にのぼせてみている。性の禁忌と反抗と、一転して日記による社会性の復権とを。と、何かピンとくるものがあって、明りをつけて上記タイトルを日記メモに走書きする。

沢木興道。三月二十日にダイアリーに、曹洞禅の快僧沢木興道として載せている人。なぜかこの人を思い出す。そうか沢木さんは、最後まで反社会性の聖人であり且つ曹洞禅の傑僧だったのだなと。この人は、三十五の時から大和のあしがきの宮なる常福寺というボロ寺で、大正三年春から三年間座りつづけた。朝二時から夜十時まで。飯と梅干と大根おろしで。その間のお客は一人、法隆寺の佐伯僧正のみだったと。当時まともに座禅をする者とてなかった状況で、沢木さんは、よしワシ一人でもやりぬこうと、その間に死ねばそれまでと。これほどの反社会性の闇夜があろうか。こんなことを思っていて愕然として、部屋の暗がりをにらめつけておって。なんということだったのだ。曹洞禅の光とされて慕われ、小学校四年卒業で底辺をなめさせられつつも、後年駒澤大学教授にまで無理やりさせられ、けれども宿無し興道としてつらぬいて八十五歳で遷化された。この人が、反社会性そのものだったとは。これほどの過激は、社会に迷惑至極なのである。これでは、全国の寺社組織はつぶれてしまう。檀家組織が崩れ、自民党が崩れ、そして政府がつぶれ日本がつぶれてしまう。けれども、この人の純一がなくては、僧籍世界の醜悪に歯止がかからなかったろうに。どうも不思議なものだな。
闇と光か。自分の場合、ついこのあいだまで、十数年は、借金、田舎の長男、周りの親類兄弟のおさめなどなどにきりきり舞いで、これは昼の生活そのものだ。中心はマネーと稼ぎ。暗がりなどは見ておれない。そこを見なくてはならんとは敗亡脱落のことだ。マネーを追いかけ追いかけまわされる日々。動く体を絞る。で、それが一段落して、不景気とパソコン。パソコンに憂さとエネルギーをぶつける日々。日ごとのヒマヒマ。夜昼逆転の不規則。衰弱。そして縁あって三島。この三島が、あの健康そうな坊ちゃんのごとき彼が、闇夜暗反社会の代表選手だったと、たったいま気がついて。彼は、なんと、二十歳ごろの作家出発から、さいごは正真正銘の反社会の犯罪者として終えた。その作品のすべてが、表面の華やかさの裏に闇を抜身にして迫ってくる。昼間の私が、いつのまにか、闇夜に親しい者となってしまっていたのだな。これでは嫌われる。闇なんかに近づきたい人はいないので。だから嫌われているんだろうな。闇などにはなりたくなんかあろうはずがないじゃないか。闇を相手にできるのは、鬼才天才でなければとてもつとまらない。
さっきラジオで、カウンセリングと聞法をテーマとして話す人があった。聞法というからには真宗系統のカウンセリングの話し。現代心理学と古くからの聞法。ここの急所は、人の心の闇の部分、闇にかかわる心のカウンセリング。それをぶちまける人、ぶちまけなければならない人と、そして聞役の人。人は光のみでは生きられない。社会には必然に闇があること。闇のない社会は病気であること。闇のない人間も。闇に引っかけられ続ける者も。闇と光、反社会性と社会性の関係は、それぞれの時代とそれぞれのその住人が新しく工夫して開いていかざるを得ぬこと。

昼、体が軽くなったのでムゲンへ行く。HPの棚を見る。新しく面白そうなHТMLが並べられてある。しかし、字が細かいのでしばらく見て棚に返す。帰り、文庫本の棚に、『文人悪食』という、百閧轤オい男が鍋をつついているマンガ絵が扉にあるのを手にとる。分厚い。ちょっと読んでみる。七百五十円が五千円にはなりそうだ。嵐山という人は、この間テレビで見て、感じが悪くなかったので。最初の漱石のところがしっかりしていそうなので。帰って、すぐ漱石と三島と小林を読んでみる。まあなんと読みやすく書いてあるのだろう。さすが編集者出身であるなあ。するすると目が左へ動いていく。こりゃ、三島で泣かされて鍛えられたからかな。しかし、初めの漱石を読んでみて、これは濃いぞ。漱石と食べ物、食べ物で死んだようなこの人が、すっきりと紙面からたち現れてくる。甘いものが好き。医者から止められているので、その欲しがりのようすは気の毒なような。闇のような。結局、最後の死因は、南京豆。無理やり結婚式に出席させられて、隣に鏡子夫人がいなかったばっかりに、止められないやめられないで、テーブルの南京豆を食いまくった。しかも、子息伸六への最後の言葉は、「何か食いたい」であった。書きにくいであろう三島についても良かった。小林だが、これが、やんわりとけなしてある所が、自分の感覚とぴったりあった。前に入力したように、漱石と三島は、まったく外観からは意外だが、太くつながる。しかし小林秀雄は、いんちきくさい。ハッタリくさい。神様みたいに持上げられて、戦後日本を大いにゆがめたろう。その点、嵐山さんはこっちとだいたい同じ判断に立っているようだな。
家人は今日朝から夜まで忙しかった。顔つきに自信を持ってきている。カクテルを作れと夜の九時に言ってきたが、体調も悪かったので断れと言った。すると家人は、出来合のビンをそのまま出した。大した度胸だ。甘い、まずいと不評だったようだが、彼女は気に病まない。大したものだ。

10月30日 月曜日 まともな昼

土曜日に十八人の、愛知県からの囲碁会がはいっていたので、木曜日から用心のために生活を切りかえる。料理は一人でやらなければならないので、体調が悪かったではすまされないので、切り変えは必死であります。パソコンには向わない事にした。入力は意外とエネルギーを使う。また、閃きもいるし、気が向かない時は言葉が出てきにくいので、夜中でも、目が覚めた時、起きてしまうことがあった。まずこれをやめなくてはならない。で、木曜日の夜は、朝まで、うつらうつら、半睡半醒状態を六時間ほども我慢する。その間いろいろ頭を流れていく。その時いちばん気にかかっていることが。今度は、三島の事が多かった。

朝食後、9時ごろから、部屋の整理にかかる。ここは、食堂になるので。掃除は六ヶ月ぶりかな。ホコリが、綿ボコリになっている。さて終ると、部屋は見違えるほどだ。すがすがしくなっている。気持がいい。パソコンも本も衣類もない。棚もない。眠くなるが、我慢だ。でも、少し眠ったかな。夕食後、八時には、もうどうにもならなくて眠る。次の日深夜一時に目が覚めてしまう。起きてはいけない。頭を冴えさせてはいけない。半睡半醒をまた朝までやる。朝から、パートさんも来る。活気が出てくる。これが普通の日常である。闇ではなく光の。十数年続けてきた生活。体を使って疲れて寝る生活。追われる夢中におけるような生活。
調理は一時から始める。大根はいいものが手に入ったので、丁寧に煮ることにした。ごいごい煮るのはまずいので。ゆっくり味を含ませながら。このお客たちは年配者が多いので喜ぶだろう。体力が続くか心配したが、そんなことはない。体が軽い。こりゃ快調じゃないか。
皆さん、日曜日のお昼に帰る。来年も頼むよと、幹事さんが言う。今年は、二人逝った。毎年だろうな。元気な姿が目に浮ぶ。逝ってしまったとは思えない。

11月2日 木曜日 大物マス釣り大会延期

支部長より連絡あり。1メートル近い増水のため、3日に予定の大会を12日に行う。
昨日の夜からなまあたたかい陽気でちょっと気持悪いです。

きのう午前に高山へ行きましたが、午後から本格的に降りはじめました。

11月4日 土曜日 文化祭

昨日から、町の文化祭。昨夜家人は姉と星雲会館(福祉会館)へ催物を見に行き、九時過ぎ帰ってきた。それから例によって、誰がどうした、どういうふうだった、よかった、よくなかった、おかしかった、おかしくなかった、などなど喋る。こっちは、ただうんうんと言う。ちょうど、独り三島のことやらで頭がうまく動いてくれなくてしんどかったので、彼女の元気いっぱいのお喋りは頭のあたりの風通しに良い。
独りというのは、気分をまぎらしたい時とか、ちょっと気分を転換したい時とかには都合が悪い。家に独りで居るひと、独り住んで稼いで生活しているひと、ともかく独りというのは、習慣は習慣だが、なかなか大変だろう。喋っても独り喋り。実際の相手がいない会話。その中につかっている時はいいが、ふと気分を入替えたい時は、障らない相手が居るといいものだ。だが、これが障ってしょうがない相手だと、その気配だけでも気分がまいるだろう。反応が病的になり、どうにも耐えられないこともあるだろう。恋人の場合なら、動きに自由がとれるけれども、夫婦になると、障りが限度を超えてしまうこともあるだろう。我家の場合、それがだいたいひと時ですんでいるので、標準だろうか。

今日は、家人は朝から会館へお花の展示準備に行っている。それで、当方が店番。お客が来ないので、日記を打っていると、常連二人。N郎さんとY子さん。Y子さんはしゃれた帽子をかぶり、きちんとお化粧していて気持がいい。老人くさくない。次にNSさん。相変らずの渋みを効かせた表情。次に隣の大前さん。このひとは八十を優に越しているのに、若若しい。毎日顔のマッサージを欠かさない。今日は当方も気分が軽い。いつもそうはいかないが。重くておっくうな時はいやなものだが。今にはじまったことではなくて、三十数年も。いま打っていると、店からわあわあと甲高い声が聞える。例の喋れない人が来たんだ。

文化祭には、毎年同じ催しがあり、同じ人が舞台に出る。家人はマンネリだから面白くない、などとむずかしいことは言わない。出かけるのがいかにも楽しげである。出品を楽しんでいる。今年は、すすきを摘んできて使ったので二百円ですんだと機嫌がいい。総体に、女性たちはこんな小さなことを上手に楽しんでいる。たいしたものである。自分は若いころは、ちょっと馬鹿にするところもあったが、いまは感心してしまう。

11月7日 火曜日 荷物を積んで

昨日は、修一の嫁さんの荷物がきた。親父は、堅物で律儀をやろうとする。しかし事は若い者がやっていってしまう。昔なら、こんな事はなかったが、いまは当人中心になってしまっている事が実地にわかった。荷物も必要なものだけにして少なくしてある。私自身が、修一に余分なものがあると部屋が混雑するだけだから、彼女と話して段取をするといいよと言っていた。いまは景気が前のようではないので、心も物も質素である。みんながそうである。

話してみると、みんな同年代だった。自分はいつのまにか、親の世代になってしまっていた。うかつだ。まだ若いころの気分が抜けないでいたのだ。いま同級生が、集りの会をやっているような感じがしないでもない。みんな静だ。ひっそりしている。見栄を張らない。自分なりのところで生きようとしている。虚勢を張らないところは、家風が同じかな。実質しっかり地道に生きていく予感がする。われわれの若いころは、全体に横着い感じだった。日本中が元気というか横着というか。

これは、親の世代の務めだったが、その気持が、若いころはまるでわからなかった。自分たちの親のことを思ってみて、やっといま、その人たちの気持がわかる。体力と老いということ。自分には、老いの知恵などは遠い。

夜、Gさんが来る。一時間ほども喋る。いつものように元気だ。彼の持味だ。俺は、フケんという。老けておれないと。引退どころではないと。で、彼には活力がみなぎっている。攻勢ということだ。そういう位置にいるということだろう。このごろは、めっきり同年代の攻勢者は珍しくなっているが。

11月8日 水曜日 社会党とはなんであったか

昨夜寝つくとき、上記タイトルのことをぼんやり考えていた。政治はむつしくて、考えないし考える力もないので、新聞の見出しを世間話にするぐらいです。けれども、ここ二日続けて、いつも来る同年配の者たちと、酒飲話に、私が社会党のことを出してみた。天皇のことも。理由は、いつものむつかしい話題が経済だからである。一般には、そういったむつかしい話題は避けるとしたもの。なるべく解りやすい話を酒の肴にする。けれども、そのうち飽きる。やっぱり少し毛色の変った、だがまあまあに面白い話はしてみたいもの。要は話の仕方だが、この点が肝心だ。つまらない語調では聞かされるほうが参ってしまう。

とにかく、ものは試しにやってみることにした。いや、むつかしい話ではない。ごく新聞見出し的な話だが、それでも、何か精神性にかかわる内容なので頭に慣れてはいないだろう。やっぱり抵抗はあるだろう。底に、経済ばかりじゃおかしいよ、というこっちの主張があるからです。経済の話題は、日本中で、確かに差迫ったものではあるけれども、それにおんぶしてしまっている嫌いがある。この話題さえ出せば、みんなが関心を持つし、さらに目くらましにさえなっている。特に政治が。経済に始り、経済に終っている日本。経済、とくに景気、とくに景気上昇という期待さえ小出しにしておけば日本の全てがうまく回転して行くような、また隠れ蓑にしているような。

そこで、心、を話題にしてみたかった。はて困った。一体何をどう喋っていくのだ。心、精神、にかかわる話題は日本のタブーだな、どうも。まさかと思うし、思ってきた、新聞その他マスコミでも心は取上げられているが、なんだか飾りで取上げられているような按配だな。根本には、これを避けたい趣がある。ばかばかしいような、呆れた話だが、どうもそうだ。みんなまともに突っ込んでこれを話題にしたくない。経済関連での心なら話題にする。心は、経済の対象になってしまってさえいる。心だってなんだって、儲けに経済活気に関係する。そうでないもののことなど、考えようがなくて途惑ってしまう。つづく

11月9日 木曜日 社会党とはなんであったのか2

その元凶は社会党だな。というのが、私の主張だったが、はてこれをざっと文字にするとなると、お喋りと違うので、つるつると出て来ないが。
社会党の弱みは、経済だ。いや経済こそあれのオハコじゃないか。そうだ、だからこそあそこの弱みであり、墜落原因になってしまったのである。つまり、社会党とは、経済の、賃上げ政党だったのだ。それ一辺倒だったのだ。あとは、なんだかんだカッコイイことは言っても、飾りだった、アクセサリーだった、アクセサリーになってしまっていた。信じがたい話だが、結果としてそうなってしまっている。労組の組合員以外でも、社会党には期待票を入れてきたのである。その期待に、心や精神が含まれていたのである。だから、まさか賃上げのための政党に過ぎなかったなどと誰も予想できなかった。だが、事実としてはそうだった。この裏切りは虚無感を残した。自信をぐらつかせた。これこそが深刻なのである。経済とは比較にならないほどに。

社会党とは、「賃上げ」と「平和」を売りにする政党であった。賃上げが経済方面で平和が精神方面だ。東欧圏の大変革で殆ど一夜にして冷戦という戦時が平和に転じてしまったとき、この党はもろかった。この党に残された「賃上げ」スローガンでは成立たなくなってしまったのである。そして今こそ、日本の方向に途方に暮れている今こそ、社会党の出番であったはずだったのに、見事に、あっさりとこの期待と夢を夢にしてしまってくれたものだ。社会党はもぬけの殻になってしまった。ウソみたいなほんとの話だ。寒々しい荒野党だ。現状日本を見られる通りの寒々しい国にしてしまった。

左翼とは、そういうものだったのだ。どうもまやかしくさかったが、事実としてそうだった。たとえは悪いが、どうも、ミーチャンハーチャンを笑えない。外国仕入れのカッコイイ理屈に明け暮れておって、それを商売だねにしていた。ちょっとした詐欺師みたいなものである。なぜこんなことを言えるかといえば、もっと地道にまともに、日本のこと、心のことを考え続けていたなら、こうももろく崩れることがないからである。むしろ、こうなったときにこそ、出番として勇んで日本に登場してくるはずだからである。左翼とは、賃上げには黙ってしまう、というものであった。ウソみたいで、子供のようなだが、ほんとの話だ。左翼系の論客や文化人たちはどこへどう消えてしまったのだ。

競って働きまくってきた戦後日本。働くことに夢中になることで、その他はとりあえず無用としてわきへ置いてきた日本。働くことと経済に夢中になり、これを宗教のようにしてきた日本。そしてこれが崩れてきたとき、当然虚無感が広がる。政治家も文化人もマスコミ人も何も、大嫌いな虚無を常食にしていなくてはならない。虚無国日本。
社会党とは、左翼とはなんだったのだ。戦後日本とはなんだったのだ。

11月12日 日曜日 大物マス釣り大会 その模様 

例年三日に開催されていたのに、増水でやむなく延期となり、今日になった。寒かった。やや水は高い。
朝は4時半に起き、味噌汁の残りを温める。音を出さないように気をつけるが、よく響いてしまう。お客が四人ぐっすり眠っているので神経を使う。一人食べていると妻が起きてくる。寝ぼけ顔。すぐまた、誰それの話をはじめる。一日中、一年中、十年間やっている。以前は、黙れ、と言っていたのに、このごろは言わない。聞く。伴奏音楽みたいなもの。朝の、こんな時もそれをやりだす。人それぞれだ。怒ってもマイナスなので、聞く。慣れた伴奏。気楽でいい。

バイクのエンジンがかからないので、車で、県の淡水魚試験場の池へ行く。もう四人来ている。専門の網で囲って車にすくいあげる。今年はデカイ。六十センチあるだろうな。みんなは、全身防水服で完全武装だ。こっちの服装に、ピクニックに行くみたいだ、と皮肉られる。みんなは私より十年若いので、体の動きが違う。脱落感だ。
本部のテントへ行くと、受付のために釣り人がずらっと並んでいる。今年から事前の場所取を防ぐために、この方法を取った。券を買ってから入川するというように。寒い。女性軍によるバザーがある。あついものが売れている。役員は、ツケでやってくれと言われたので、熱燗一合を飲む。ぬるいので温めてもらう。回転が速いので、温まらない。

テントの前で口争いが始る。なんでも役員の一人が、川原で話のやりとりしているうちなにかの拍子でバカヤロー、と言ったので釣り人が怒った。バカヤローはよくない。しかし、簡単には謝れないので、なんだかんだやっている。あまり長くなって見苦しいので、謝ってお引取り願う。お客とサービスという考えがこちらがわにできていないのが原因。
延期のため、例年より釣り人がやや少ない。寒い。十時ごろ寒気がひどくなってきたので帰る。昼食会も休む。寝こんでしまう。


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