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ダイアリー・エッセイ No.14

2001年.平成13年7月27日〜9月30日
09/30 ショーパブ、性感エステ、どちらもがんばっちゃうわ!!
09/28 地区説明会(はぎわら、上、中、下、桜洞)
09/27 拝啓 区長殿
09/26 定例議会  景観から見たふるさとづくり
09/25 委員長倫理問題(4)  南飛騨保養地構想について県からの返書
09/23 宮田小学校 バージニア先生 山下超名人
09/22 萩小 尾崎小 宮田小 運動会
09/21 共同体の崩壊 倫理問題(三) 辞任か否か
09/20 木曜日 総務文教常任委員会 倫理の続き
09/18 地方議会活動の倫理問題に関する協議会 四美区からの請願書  十六銀行あとの集い
09/16 あきわ様 脳中がクライ
09/15 ノウキョウ おばあさん二題
09/14 カミカゼ パールハーバー ヒロシマナガサキ ホウフク
09/13 署名中間報告とアンケートのお願い  〇はどれに? アンケート
09/12 台風 カミカゼ 鬱 アユ
09/11 加藤正夫医師と会う。
09/10 合併 町有地売却 ジャパンセンター建設補助 財政勉強による脳汁枯渇 委員会
09/08 システム疲労(仮面、欺瞞、戦後民主主義、平和、正義、人権、愛国、憲法、安保、薬害エイズ、オウム真理教、
官僚腐敗、援助交際、少年犯罪、児童虐待などなど)
 県会議員 戸をガラリ
09/07 水槽のアユがバタバタ死んでいた
09/06 アユ 議会広報紙 柳美里(攻撃すべきは、あの者たちの神だ)
09/05 県の建設事務所へ(飛騨川土砂搬出検討会)
09/03 『仮面の国』柳美里 署名
09/02 防災訓練  柳美里の『私語辞典』 小学生の英語
09/01 セックス人生冒険家A嬢の転職

08/31 明日は網  橋護会(あさんず橋)
08/29 臨時議会 アユ
08/28 四美保養地について政策提言(県と町へ)
08/27 金山下呂へ 
08/26 (講演) 女の言葉、男の言葉 宇佐美まゆみさん(星雲会館で)
08/24 萩原、小坂、馬瀬、下呂へ。(役場へ飛びこむ)
08/23 ソープ嬢Aさんがくじけた
08/22 地域振興課へ 県民協同型県政推進事業の募集と南飛騨国際健康保養地
08/21 アユ グリーンツーリズム 地域振興局 保養地 町の職員と県の職員
08/20 益田川住民会議世話役会  県民協同型県政推進事業(カンジバカリデスミマセン) 奇怪な電話
08/19 萩下婦人会十八名 保養地見学へ 漁協アユ釣り大会
08/18 キムチもウメボシも  南北朝鮮動乱の孤児たち アユ
08/17 『ペルソナ』三島由紀夫伝後半 非日常(土の日本と西欧化の日本)
08/16 風邪ぎみ 『中陰の花』 アユ
08/15  仮装盆踊り N子さん
08/14  『ペルソナ』三島由紀夫伝 官僚たちの日本 アユ
08/13 アユ。 車谷の文から(アーティストの構え)
08/12 はぎわら民報
08/11 アユ釣り客  冷え込み酒  温泉問題を考える会(垂井町)
08/10 署名
08/09 三島由紀夫伝(政と官の時代史)
08/08 夏祭 みこし行列
08/07 グリーンツーリズム(農山村と都市の交流)
08/05 南飛騨保養地構想について僕の頭の進展 ?
08/04 涼しい川風 町政の基い 漁協アユ 『マディソン郡の橋』
08/03 葬儀 猛暑が続く 電話 南飛騨保養地
08/02 猛暑日本一 報知アユ釣り選手権大会  突然死
07/31 十三年前  田嶋さん、舛添さん、(新鮮!ワンダフル!)
07/29 参議院選挙
07/28 高級ソープのA 深代惇郎
7/27 臨時議会 全員協議会 訪問 電話 深代惇郎 アツリョクなべ

9月30日 日曜日 
ショーパブ、性感エステ、どちらもがんばっちゃうわ。

ここ二週間あわただしかった。予定の本を読む体力が残っていない。旅館の調理のほうだったら、かなり忙しくても多少の余力はあったものだが、このごろはおかしい、ちょっと外へ出て人と会うくらいでくたびれてしまう。ごろんごろん横になって体力の回復を待つ。パソコンに向かうのが必死だ。必死の思いだ。神経の使い方の違いのせいだろうな。

というわけで、気になっていたヘルス嬢Aさんとのネット面会を今ざっとやった。フウゾク嬢転職後はどうなったか。カランカランと元気だな。ショーパブ嬢と性感エステ嬢をかけもちでやっている。ものすごい馬力だ。馬力を楽しんでいる。若さだな。僕にもそんな時があったんだけれども、夢の如しだな。

ショーパブでは、驚くなかれ指名チケットがひと晩で五十枚にもなったと。三十あれば多いほうだったのに。五十人の客の膝の上に乗って腰を振りまくるわけだ。そりゃ、いくら若くても筋肉が疲労するでしょう。ためらってくださいね。
毛が出ていると指摘されて恥ずかしかったと。客でなしに同僚からだ。それで、ちょっと気がラクだったと。彼女は、フウゾク嬢をやっていたので、毛などもろに見せていたわけなのに、面白いものだ、ちょろ毛が恥ずかしいとはな。

五十枚もやると、稼ぎは四万円を超すんだそうだ。七時間ほど、店内をうろうろしてこの稼ぎなんだからと彼女は嬉しいんだよな、率直に。稼ぎとともにあるセックス人生だ。
性感エステのほうは、手コキによる抜き仕事だ。本業はマッサージだが。服を着ての勤務なので、マンコをこじられたり、チンコをくわえたりがないのでとてもラクだ。

このあいだ妙な事があった。手コキのとき顔を見詰め合ってくれという客だ。普通は、チンコのほうを向いてやる。顔を合わせてもふふんと照れ笑いして見せるぐらいだ。だから、まともに見つめあって手コキすることなどはないことなので当惑した。ところが、終わったあと、その客は、キョロキョロしてまともに目を合わせてこない。なんとも理解に苦しんだとさ。

7月27日 金曜日 臨時議会 

九時より、臨時会前の全員協議会。

議案は、保険税の値上、土地の交換、町史の契約。
本日のメインは、僕には「議会だより」。中でも町長車セルシオの記事と写真。昨日の決定の様子を、広報(議会だより)対策特別委員会の委員長である僕が全員協議会で報告した。
先輩議員が難色を示したこと。だが、新人の三議員は、ニュアンスの違いはあったが、写真掲載に賛成したこと。最終の決定は、当の質問者の自分がしたこと。事務局長の立場に配慮したこと。写真については、写真担当職員に頼んでおいたこと。彼は撮っておいてくれたこと。「議会だより」の委員会の決定にしたがって、彼は写真を提出したこと。区と組を通じての配付は、八月一日であること。以上を報告したのに対して、質問はなにもなかった。

ところが、事はこのままではすまなかった。場外戦が僕にはきつかったよ、まったく。
帰ると、A経営者が来ていた。彼はなんやかんや言う。きちんと喋れないのか喋らないのか、話が極論ふうに客観性を欠くので応対に苦慮する。要するに彼は、なにかを駆引きしてくるのだが、何を目的としているのか解りにくい。煙幕やら、飛躍やら、脅しやら、ひけらかしやら、いろいろやってくる。で、話の肝心なところを喋るように促す。全体としては、彼は、今の町政に対して批判的なスタンスである事はわかった。また裏事情に通じていた。ヘエーとびっくりしてしまったよ。
(町の明日の設計のために、経営者たちの考えは知りたいと思っているので、そういう集りのテーブルになら、いつでも喜んで出るよと言う)

するとB議員から電話があった。彼は、セルシオの写真掲載が非常に面白くない。で、僕にねちねちと駆引きしてくる。やがて、選挙の時のやり方がどうのとまで言ってきた。彼は、だいぶまいっている。二十分ほどするとまた電話してきた。裏の事情がわかってきたので、あなたの事の方を僕は心配しているよ、と言った。そこで電話は切れた。彼も苦々しいが、僕も苦々しい。いやな仕事だよ、まったく、まったく。

それから議長が来て最終チエックようの「議会だより」を置いていく。彼は、もっと話をつめたかったのだが、A氏がいたのでそのまま帰ったようだ。A氏が帰ったあと図書館に行き、ゲラをチエックする。終ってから、深代惇郎の『エッセイ集』を借りて役場へ向う。事務局長は監査をやっていたので、原稿を管理課の女子事務員に渡して帰る。

帰ると飛びこみ客がきたので、急ぎ仕入に行く。七時三十分、調理が終ったころ、事務局から電話がある、議長が出る。待っているのできてくれと。急ぎ飯を食う。気になるので、事務局に電話する。ほかに誰かいるのかと。議長だけと言ったのですぐ出かける。
議長も、ねっちりとねばってくる。要するに、彼としては、前議員の代表者たる位置にいる議長としては、僕の質問文も見出しも都合が悪いので変えろと言うのである。保養地を基本から問いなおして行こうとする僕の姿勢が面白くないのである。彼は、既定の路線を進めたい。セルシオについても、前期議員が承認したことになっているので、それを、いまさら蒸し返してどうのとやられては、彼らとしては怠慢を言われることになるので面白くないのだ。波風はいやなのだ。議長としては面目が立たないし。

だが、新人としては、ここは踏ん張らなくてはならないのだと強く言う。どうせ、もうすぐ僕はおとなしくなって盾突かない者になるでしょう。盾突くのは今しかないのだと。しかも、これは事を好んでするのではない、純粋に町の将来設計のためなのだと。
最後に、変更要求を全部蹴るのもぐあいが悪いかなと思えてきたので、一つ妥協した。
見出しの セルシオが町長車にだって? を、セルシオが公用車にだって? に。
だが、以前事務局長から、「公用車」は町の車全体を指すのでこの表現はまずいと指摘されていたのだ。この際、公用車の方がアタリがやわらかいので、と妥協したのだが。 

さて、朝、昨日の出来事を、場外戦を思い出していたら腹がたってきた。二つの出来事には共通項がある。全員協議会で、僕が「議会だより」について報告した時、なにも発言しなかったことだ。結果として彼らは表向き発言できなかったことになっていた。その腹いせをあとからやる。一人は二度も電話してきた。一人は、後からああしろこうしろと言ってくる。はっきり言えば、だからダメなのだ、議会そのものが。公私混同というやつだ。言うべきことを、しかるべき場で言わないのでは、話にならんじゃないか。しかるべき場で言うのが仕事じゃないか。

7月28日 土曜日 高級ソープA嬢。 深代惇郎

暑い。体調が重い。今朝はいったんは起きて日記を直して、でも起きだせなかった。
夕食準備に一時間ほどあるので入力している。
ヘルス嬢Aさんのネット日記を久しぶりに開く。高級ソープ嬢に転職が決り、今日のは二日めだ。元気いっぱいで進むことに意欲満々の若者だ。変らず達者な文章が続いている。本日は客が五人あって、一人三万円ずつなので、十五万円の実入りだ。ちまちま鈍行しみったれ列車人生の自分には、遠い国の話だな。だが、これは関西の二十三歳の女性の、実況によるもの。
ペニスにコンジロームなる小指の先ほどのデキモノを持った肥満の若者が来たこと。彼は、その指摘をびっくり感謝してなにもせずに帰ったと。五人目の客は巨根で苦痛だったが奇声演技サービスで無事仕事を終了したと。帰ったらくたくたに疲れていたと。それはそうでしょう。大事な営業器官もひりついて痛かったと。
マラソンの高橋選手が青春を走りにぶつけるのと同じに、青春の冒険があるんだよな、ここには。だが、これはここでは言えるけれども、昼にこんなことをいえば、村八分になるだろうな。

そこで、深代惇郎。これならどこに出してもバンバンだ。
彼の名は聞いてはいたが、本を手にするのは初めてだ。
昭和四年に生れ、五十年十二月十七日に急性骨髄性白血病のため死去。盛りの時に、(四十八年二月から五十年十一月一日まで朝日新聞「天声人語」を執筆)死んでしまった。

図書館で借りてきて、手元に二冊ある。『深代惇郎の青春日記』と『エッセイ集』。
ジャーナリストの文なので、表面は読みやすいのだが、言葉が鋭利で、それが突き刺さってきて苦しい、背負うのが。チクチクと刺さってくる。車谷長吉の文にある優しみとやわらかみが薄い。だが、言葉を自分の体に通すという点ではよく似ている。で、読むのが苦しい。一般のジャーナリストの文なら、頭に訴えて来るだけなので、一般論として来るだけなので、さらっとですませる。彼のは、ジャーナリストの文らしくないのだ。

どうもこれは、親しく読めるものではないな。慰めに読むものじゃないな。逆だ。鋭利な抗議の文だな。西欧に体重をのせた文。情に訴えるブンガクではないな。少数派の、抵抗政治文だ。理想派の文だ。だが、彼はその言葉を自分の肉体に通したうえで表現しようとしているので、重くて鋭い。読み進むのが、神経にぴりぴりくるので、しんどいよ。こんな店じまいの初老には。

車谷の文と深代の文の違いを考えている。車谷の文は、深沢の文を横目に見つつも、の文を目指した。深沢の文における土は何かと言うと、ジャーナリズム界であり、大都会であり、西欧である。

さっき六時半、夕食準備がひと息ついたので、テレビを見ていると梶原知事が出てきた。前にも見たことがあったが、こんど注意を集中して見た、面白くないけど、仕事として見てみた。飛騨と美濃の紹介をやっていた。萩原は出なかった。なんだそんなものか。南飛騨国際健康保養地については一度も触れないのである。
だいたい、彼自身、こんな番組に出てシャキッとしない姿を見せてはいけないのだ。さっぱり元気が伝わってこない。しなびていやみなおじいさんに見えてきたよ。若いアナウンサーがなんとか盛り立てようとするのだが、合わない、チグハグする。猛暑バテかも知れない。わが身を差置いて、あんまりひとのことばかりを言えないけど。

台所にいるカミさんに「梶原知事ってあんなに元気がないのか、しょぼくれた感じなのかい」と呼びかけると、岐阜では評判が悪い、と言ってくる。いろんな建物を作りすぎて評判が悪いのだと。「あの人は子供がないので、子ども代りに建物づくりに熱中したのだ」とまことらしく言ってくるのがおかしかった。まったくの空想ではないかもしれないな。建物づくりに熱中、は当っているかも。

番組の中で、彼は、「ハコモノと呼ばれて評判が悪いようですが、ハコモノがなくては始らないのです、大事なのはその中の人間です」、と力説していた。まったくその通りだ。常に人間が問題であり、課題である。梶原さんは、ハコヘ行ったけれども、人間の方へはあんまり行かなかったんじゃないかな。つぎの課題は、人間だな。

夜、きのうのB議員が話をしたいと電話してくる。この際気がすすまないが会う。客としてきた。何を言いたかったかを自分から言ってきたのだが、それはこうだった。きのうA経営者が来たのだが、それを誰だろう、誰かが彼に連絡したようだ。それで、彼はぴりぴりになったのだろう。つまり、僕と彼が仲間をつくっていると思って、ねじった。なんだ、そうかい、だんだん判ってきた、ちょっと地図ができてきた、つまり彼ら二人は対立状態にあるということだ。なぜか。お互いの経営に関るからだろう。あるいは政治勢力にも。特にB議員のほうに都合が悪い、ということだろうな。こっちはそんないざこざは御免だよ、まったく。

7月29日 日曜日 参議院選挙 

四時ごろ、買いだし前に役場へ行き、投票する。出てくるとき、係の人が出口に座っていたので、軽く頭をさげて通りすぎる。いつものことながらなんとなく緊張する。暑い。

テレビで参院選を見る。自民党については予想どおりだ。自由党がまずまずだった。小沢党首の選挙応援演説には説得するものがあったので、この結果に納得した。
国民は、小泉総理に賭けたのである。枡添、大橋、田嶋氏、らには、小泉と共通して、言葉の歯切れよさがある。言葉と表情がスッキリとしいるところが共通している。反対であっても、言葉がうわっすべりでないところが新しい。旧い党の要人たちの喋り方は、要するに紋切型になってしまったということだな。この選挙では、感覚感性の新しさを国民が求めていたのだ。

政治が、内輪の世界で行われていることに対する拒否だ。政治が、政治家たちのためにある、という現象への拒否だ。政治家のお経言葉への拒否だ。

7月31日 火曜日 田嶋さん、舛添さん、(新鮮!ワンダフル!)

東京から老夫婦が二泊していった。十三年ぶり。そのころの僕たちの写真を持ってきていただいた。「若い!!」。あんなに若くて、感じがよくて、張りきっていたんだあ。一瞬息を飲んだが、すぐ今に帰って、あたふた気配りする。相変らず目の前の一日で精いっぱいだ。
当時の僕は、早朝にオトリを売り、食事をしてから、すぐバイクで川へ。途中コンビニで弁当を買う。友釣をする、仕事でだ。ノルマ、二十五匹以上。夕方五時過ぎに帰る。カミさんは、パートさんと、掃除、選択、釣り店の番、それからお客の夕食づくり。この繰り返しで夏が終る。考えていることは営業のことのみ。借金返済のことのみ。これらに「夢中」のうちに時が過ぎて今がある。
(毎日六千円を神棚に置く。ない時は、なんとしても工面する。こういう日々が何年も続いた。ただただ体と頭が神経的に忙しい毎日だった。忙しいと気はまぎれるが、あんまり利巧にはなれないな。)

朝の番組に、田嶋、大仁田、山東、の各新議員が出て喋りあっていた。迫力は、田嶋女史。社民党なのに社民党らしからぬのがよい。つまり、彼女は自分の言葉で自分流に率直に語っているところがよい。こんなことは、旧社会党には考えられないことだった。議員は、政治家風に喋るとしたものだった。それが違ってきている。ここが新しい。小泉旋風だ。山東女史は、言葉が空々しい。と、はっきり判る。彼女は旧いタイプの政治家になってしまっている。紋切型に喋っている。

いま見終ったたばかりの夜の番組にも田嶋陽子氏は出ていた、こんどは舛添要一氏と二人で。やっぱり驚くねえ、発言のニュアンスから田嶋氏が社民党であることには驚く。僕など考えられない。二人は相向いで話すのだが、あの例の紋切型の対立がまったくない。正直、夢の中の場面としか思えない。小泉という新しい政治の風が、二人を登場させたに違いない。
僕は田嶋女史に期待する。今はなぜか好感が持てる。日本伝統の感性をしっかり持った上で新しい論理を展開しているよ。彼女は、しっとりとしていい女だよ、つくづく思うよ、今。

8月2日 木曜日 猛暑日本一 報知アユ釣り選手権大会 突然死 

明日、友釣大会がこの付近の益田川で行われるので、出場者が泊る。十人ほど。出身県は、秋田、山形、大阪。それに東京からの一般の釣り客一人。第三十三回大会へ

きのう岐阜県は、猛暑日本一だった。多治見で、約四十度。今日も暑い。昨日が続いている。

今朝、ひと仕事が終って、例によって横になって休んでいると、カミさんが、例によってけたたましく戸を開け、イッキに喋ってくる。Rさんが死んだと。ギョッとする。急死だ。彼は、一昨日オトリを買いに来たばかりだとカミさんはキンキン声で言う。急死だ。心臓か。脳卒中か。途端にこっちの心臓が変調になった。どきどきする。息苦しい。彼は五十代半ばだ。

夕方一人増えて、総勢十一人。東京からのNさんと、夕方に名古屋からのТさんは去年も一緒になった。去年Тさんはさっぱり釣れなかったのだが、Nさんが釣れるところへ案内して、面倒を見た。Тさんは大物を釣ることができた。お二人には、なかなかの因縁があるわけだ。
あとの九人は選手だ。選手たちの技量は凄くて、三十ほどは掛けてくる。一般の人はどうだろう、十匹前後じゃないかな。

十一人分の夕食準備をする。くたくたになる。疲れて食べられない。息の調整をしながら横になって休む。ちょうどいま、明けて三日の0時だ。体調のバランスが戻ってきている。うどんでも食べたい気分だ。
急死したRさんの家族はお通夜で、一挙に非日常につつまれている。僕は、昨日に変らず日常が続いている。

8月3日 金曜日 葬儀 猛暑が続く 電話

午後一時Rさんの葬儀に公民館へ行く。室内に入れそうもないので、僕は外で会葬をする。そういう人たちが、四、五人いた。南無妙法蓮華経と読経の声が聞えてきたので、学会の葬儀だとわかった。彼の一家は学会員だったわけだ。はじめて知った。初めての学会葬儀だ。五十五歳。会葬者が話しているのを聞くと、彼は我慢強くて、事を重大にしてしまったと。そうだろう。激性の肝炎という話だが。
町長もいたし、議員たちもいた。議員一同として焼香に呼ばれていた。僕は外にいたし、その仲間として焼香するのはいやだったので、一般会葬者としてやった。彼の飲食店と僕の旅館は近所なので持ちつ持たれつだった。客をお互い紹介しあったりしていた。
挨拶に行ったとき、彼の細君と顔を合わせた。何とも言いようのない気持になった。で、黙ったまま頭を下げた。

猛暑が続く。耐え難い暑さだ。車に乗って仕入に出かけるとき、窓からの西日が重くて痛い。体が硬くなってくる感じだ。みんなの表情に、いつもの晴やかさが消えている。引きつった感じだ。暑い暑い。

今日は七人分の準備。それでも、体力が衰えてきているので、精いっぱいだ。カミさんもそうだ。生きることそのものが、体力の関係で、精いっぱいだ。単純に体力だ。老いだ。衰えだ。そういう人生への頭の切替だ。

夜電話がある。この種の電話は初めてだ。「議会だより」を見たのでと、あるおばあさんからだ。保養地について納得がいかないとして。住民運動のようなものをする予定だがと。元気ばあさんだ。
我ら町民は元気がないわけではなく、情報が与えられていないからだ。情報がなくては力が出せないじゃないか。地方自治、住民自治は、まず情報のオープンからだよ。

8月4日 土曜日 涼しい川風 町政の基い 漁協アユ 『マディソン郡の橋』

夕方から急に涼しくなる。秋めいた風が吹くから不思議だ。涼しさがなによりだ。感謝。自分がここに居て生きているというふくよかな感じがもどってくる。少し涼しげな風でこんな気持になる。昔からある日本人になっている。この歳になって。刺激と反応のあたふた人生からふと我に帰って。
夕方川原へ出ると、トタニさんがゴトすきをやっている。そばでリンテンさんが見ている。川風が気持いい。石に寝そべって話す。川風が、肌にも心にも気持がいい。

C町議が訪れる。きのうの、町民からの電話のことを話す。町政全体についての、自分の見取図が未熟なのが歯がゆい。まあしかし、一歩一歩だ。手作り町政だ。
僕の町議としての目的と理想は手作り町政だと繰り返し言う。そのためには、まず情報だ。情報があってこそ、手作りで考えることができる。情報があやふやであったり少なかったりでは、頭が混乱するばかりだ。あらぬ方向へさえ向いかねない。

漁協からメールあり。アユが僕の姿なのだから、もっとネットに流せと。だが時は変る。今は、違うところに立って考え惑っている。漁協こそネットをがんばれと言う。

涼しくて気分が改まったので『マディソン郡の橋』の序の部分を読みなおしてみる。一年ぶりだ。作者の意図がすっと伝わってきた。彼は、great passion 偉大な情熱 について描写したかった。五十前後の、独身の写真家とふつうの農家の主婦との出会いと別れの話によって。四日間の。

彼らは、それぞれ、写真家であり、田舎の農家の主婦だ。みんなは、常識にそって生きている普通の者たちだと思っている。それはそうなのだが、作者ウオーラーは、その平凡な外面の下にある、ある情熱、ある高貴さ、その一瞬のきらめきを描写したかった。さらに、その情熱の時が過ぎた後を、二人はそれぞれ、心に想い出をしっかり抱いて、なにげなく、誰にも気づかれることなく生涯を終えた。この、内面と外面、四日間の情熱の時と想い出の長い時との対比とその描写が、情熱の気高さと燃焼とを読者に伝える効果があった。

8月5日 日曜日 南飛騨国際健康保養地構想は悲劇か喜劇か、はたまた町づくりへの教訓か

やや過しやすくなった。まだ、昼間は暑い。午後までごろんごろんと寝る。夕方、本屋へ行く。ネットで注文していた『ペルソナ』を取りに行く。棚においてあったので、店員に言っておろしてもらう。注文してから三日ほどで来た。

夜、先輩の元議員が訪ねて来る。話す。南飛騨国際健康保養地について聞く。話が込み入ってなかなか理解できない。僕がとんちんかんな質問をするので彼は驚く。話が進展しないので、彼は、書類を置いて帰る。
帰ってから書類を読んでみる。これまでの経緯が上手にまとめてある。彼とのやりとりを思い出しながら読んでいくと、なーんだとわかってくる。
結論を言おう、町と、町長と、町議たちは、哀れむべき者たちなのではと見えてきたのだ。翻弄されてきたのである。翻弄したことになる知事も、結果として操られてきたのである。操ったものは「時代」だ。経済沸騰、バブルの時代。みんな踊ったつもりはなかったのだが、いつのまにか踊ってしまっていた。いちばん哀れなのは、萩原町だな。構想を推進してきた議員も町長も振上げたコブシをおろしようがなくなってしまった。まずはメンツだ。
去年の十一月に、梶原知事が来て、保養地構想の縮小撤退を言った。年間八十万人からのビジターや五百億円規模の施設建設や、特急の止る駅の新設などなどは、夢、幻になってしまった。

だが、萩原町は、十六億円規模の温泉交流施設建設をとりさげようとしない。町長も議員も、職員も、、今となっては無謀な建設プロジェクトに気づいているのに、はっきりと自分たちを否定できないでいる。メンツなのだろう。意地なのだろう。とそう思えてしまうよ。

基本にもどって、街づくりの練りなおしだ。こんどこそ、地道に、じっくりと、ホンモノをめざして。手作りだ。町全体で、心の痛手の手当だ。心の治癒だ。心の治療だ。

だが、町はなにがなんでも温泉交流施設をやろうとするのだろうか。町議たちは、それに黙ったまま、なんだかんだ言っても、結局は、承認してしまうのだろうか。どうも困ったな。現行のあの計画では、あとから、関係者が苦しむことが見えているのに。

8月7日 火曜日 グリーンツーリズム 

この言葉を知ったのはほんの数日前。『地方議会人』で。ちなみにこの雑誌は七十ページほどで約六百円。高い。だが、内容は充実している。いま、この雑誌は僕の先生だ。

グリーンはすぐ解る。緑。ツーリズムは、ツアーと関係がある。旅行者はツーリストだ。ツアーは tour で旅行のこと。緑の旅行。つまり、農家、地方、緑と自然、への旅である。主役は農であり、その交流相手は都会だ。都市と農山村との交流。グリーンツーリズム。

この言葉が、日本で生きたものとして使われはじめて十年になる。発祥は言葉からして、東洋ではなく西欧だ。ドイツがその先端国である。
我国では、平成七年、いまから五年前に、法制化された。すなわち、農山漁村滞在型余暇活動のための基盤整備の促進に関する法律(農村休暇法)。長くて感じの悪い、なじみにくい日本語だが、法律家はこういう用語をあたりまえとしている。
平成十一年には、食料・農業・農村基本法が施行され、農村の振興、都市農村交流の推進がうたわれている。

そのころ、日本が変り始めていたようだ。いまボランティア四十人ほどで、県とコンサルタントといっしょにやっている、益田川住民会議も、河川法の改正(平成九年)を契機としている。川は治水と利水のみの対象であったのだが、環境や景観や自然も対象とされるようになっている。

現在の日本の方向であることに間違いはない。あまりにも経済が行きすぎた。サミット国はみな反省期にはいっているようだ。ハコモノ、大勢の団体旅行、歓楽宴会旅行などなどが時代遅れとなってきている。いまナウイのが、グリーンツーリズムだ。
九州の、湯布院や南小国町、小国町へのツアー客が増えていることには、これが関係している。小人数のツアー客。これらの町にある温泉は、湯治場のようなものである。歓楽街はない。けれどもそういうところへの旅人が増えている。
小国町では、全国に先駆けて、「九州ツーリズム大学」を開校している。むろん正規の大学ではない。だが、独創がある。地方の町の手作り学校だ。

8月8日 水曜日 夏祭 みこし行列 

夏祭。みこし行列。今年は泊りのお客がないので、カメラを下げて街へ出る。みこしがくりだす夜に外へ出かけるのは初めて。こんなヒマな夏ははじめてだ。いよいよ正念場か。
役場前までぶらぶら歩く。途中行列に会う。デジカメで撮る。フラッシュなしで。シャッターは八分の一秒ぐらいだ。ものすごい人出だ。行列が通る道はひとひとひと。全体として、やたらに騒々しい印象。騒々しくするだけの祭のようす。十数年前に、太鼓行列をはじめたばかりなので。伝統の祭ではない。ただ祭のようにしている祭のようだな。

役場前では、三十年配の女性たちが、はやりのバサラ踊を見せてくれる。ガンガンと騒々しく、無鉄砲にやる。無鉄砲なエネルギーを見せる踊だ。洋舞だ。エネルギーの裏側に、困惑が見えている感じ。しっとりしたものが流れていない感じ。興奮昂揚ばかりが表に出ている感じ。

カミさんの東京の友人からメールがあった。IТ講習を受けたのでと。プリントしてカミさんに見せる。
カミさんは、さっき就寝したが、三十分ほども、家族の問題をいろいろ話す。僕は、半分眠りながら聞く。うちのことではなく、近所や知合いの様子を盛んに喋る。テーマは、ばらばらの家族ということ。ほとんどのうちが、チグハグ家族になっていると。なんとなく不安な家族。

8月9日 木曜日 三島由紀夫伝(政と官の時代史)

早朝、オトリ買いの客に起される。半分頭がしびれている。いつものこと。もどって布団に倒れてすぐ眠る。するとまた起される。シャキッとして出て行かなければならないのに、できない。朝起きられないのであるから、老人症状がまだ出ていないとも取れる。いや、一、二時間前に眠ったばかりだからだろう。

午後役場、産業課へ行く。担当者が二人ともいなかったのですぐ戻り、漁協でFさんの脱退の手続をする。オヤアユを注文する。
帰って『ペルソナ』を読み始める。面白い。これは三島由紀夫伝であるけれども、テーマは、の時代史である。また平岡家三代の。
その始めが、三島の祖父の話だ。祖父定太郎がつかえた原敬の話が中心だ。原敬は、薩長藩閥政治からの改革を成し遂げた。東大卒の官僚を使った。その合理性と平等性によって、藩閥政治を打破していった。その子分として、農民出の平岡定太郎が登場する。

定太郎は、原敬によって福島県知事に任命される(戦前の知事は内務省による任命)。四十三歳。その二年後、明治四十一年に期待されて樺太庁長官に。ここで彼は、親分たる原敬のために、政友会の資金づくりをする。マネーにまつわる闇へはいることになる。
ポイントは、原敬であり、政友会であり、その資金づくりである。薩長閥に代る、東大卒官僚である。

8月10日 金曜日 署名

ここ数日心臓の動悸が大きいので、機械で測ってみると非常に高かった。さっそくクスリを飲む。二週間前に病院へ行って指示をもらいクスリやで受取っていたものがそのままになっていた。なんとなくほんわかして力が分散する感じだ。

夕方、漁協のアユ釣り大会の参加者の手配をする。みんな渋っている。歳だ。それに、集合時間の早朝六時半が辛い。なかなかいい返事がもらえない。無理に参加すべきものでもないし。なんとか三チームできれば。

そうこうしているうちに、高齢のТさんから電話がある。用件は署名のこと。この人は、話にねばりがあって、こうした会話のやりとりになれているようだ。こんどの『議会だより』の僕の一般質問を読んで電話してきた。僕が、保養地についての現行の計画に賛成していないので。要は、この人が言うには、僕に、名前を連ねてほしいと。だが、これは、今のところはだめですと断る。も少し様子を見ますと。あなたがた独自で進めていってくださいと言う。この人はなかなかくいさがってくる。ねばる。こういう人は、珍しいんじゃないかな。反対の議員がもっと多くならなければ議案が通ってしまうと。そのために署名運動をして増やすのだと。それはいいことだが、そこに議員の名前を載せてしまうことは、いまはできないと言う。それでも、ねばってくる。

まず独自でやってくださいと言い続けて電話を切る。
今度の委員会や定例議会で、僕は意見を言い続ける。その人の主張はわかるが、それに乗るとかえってまずいことになる恐れがあるとおもうからだ。町民は、みな利害が絡むので、なかなかこういうことは表だってできないものだ。また今までにそういう経験をしたことはないはずだ。議員は今はも少し時間をかけて議会、委員会を中心にしてやっていくのがいい。
町民が独自でやっていくのならいちばん素晴らしいのだが(特定の団体が背後にいて動かすということだと、事がねじれてくるかもしれない。僕は町民独自の自発を期待している)。まあ、しかし、こういう動きがあるということは、町民自治という点で新しい波なのだろうかな。まだ、この話と動きは、どういうものなのかよくわからないが。

8月11日 土曜日 アユ釣り客 冷え込み呑屋

東京からアユ釣り泊り客五人。釣れなかった。アユは、石垢の光ぐあいからたくさんいるけれども掛らない。みなさんまいった。その一人なじみのOさんとなじみの呑屋へ行く。彼とは、ある市の税務課職員のころからの釣り客付合いだ。その彼が、今では、その市役所のトップ職員になっている。議会で、議員とのシナリオ役をやっている。僕がこの町の議員となったので、思いがけない巡り合せとなった。思いがけない人生となった。

車谷長吉の話をする。彼は、この話がよくわかる。この私小説家の姿勢がわかる。つまり、彼と僕はそういう関係であったわけである。テーマは、地方と中央に関る日本だ。西欧化と土着の日本。車谷の持っている課題だ。

彼は、僕がつんのめりに急ぎすぎるので、もっとゆったりしてはと言う。つんのめりは覚悟で、ゆったりはしないと言う。生きる値打も薄くなってきている年齢なので。

彼と一緒に帰ったあと、僕だけまた出かける。歌の好きな同年輩がいたので。十年前の雰囲気で飲み歌った。だが、景気が悪い。しょぼくれている。金を気前よくつかえない。渋る。僕は、これでもがんばってつかう。冷え込み。だが、冷え込みを知りながら呑屋にいる。冷え込みをお互い気づかいながら飲む。ある種味わいがある。
店のあるじが、カウンターの向うからもっと飲めとそぶりする。もっとボトルをカラにせよと。カウンターのこっちにいる者たちは、みんなゼニに乏しい。ふところぐあいが悪くて、と正直に言う。不景気不景気。それなら一発、保養地で、公に大出費させてゼニを懐にするかい。

岐阜新聞の記事。
89%が建設反対。町民アンケートを最終集計。


不破郡垂井町が建設を予定する温泉施設「あさくら温泉(仮称)」をめぐり、建設に反対する町議らで構成する「温泉問題を考える会」(広瀬良男代表)は十日までに、建設の賛否を問う町民アンケートの最終集計をまとめた。それによると、回答の約九割が反対という結果になった。

アンケートは六月中旬、新聞折込で町内に約一万枚を配付。集計は七月末まで行われた。四千三百五十三枚を回収し、うち反対が三千八百八十七枚(89.3%)、賛成が四百六十六枚(10.7%)だった。

反対派の声では、「巨額の投資と経営面の困難が予想される」(三千九十一枚)、賛成派では「温泉が出たのだから施設をつくるのは当然」(三百一枚)がもっとも多かった。
同会は来週中にも、田中幸雄町長にアンケート結果を報告し、計画の見なおしを要求することにしている。

8月12日 日曜日 はぎわら民報

内臓が弱いなあ。ほんのちょっとのアルコールで疲れる。で、一日中休む。気を紛わすために本などを読む。いま一日の終りごろになって少し力ができてくる。PCに向える。言葉がでてくる。昼、休んでいるとき言葉が出てこなかったよ。

「はぎわら民報」。議会軽視だと怒っている。新人が六人で、三月期の議会について知らないので、それをいいことに、事を進めようとしているんだろうな。昔の東映の映画、日活の映画を思い出すよ。議会は、町長派と非町長派に別れていて、少数の非町長派はコケにされている。町長派はだんまりを決めている。抗議するようにして喋るのは非町長派だな。こういう波の中に自分がいるわけだ。だんだん判ってきたよ。傍観者ではなく、いよいよ出演者になってきたよ。やにっこい世界だよ。
議員はもっと利巧にならなくては。勉強しなくては。だが、議員など、刺身のツマみたいなものになっているのが現状じゃないかな。もっと若い者が議員にならなくてはいけない。勉強に集中できなくてはいけない。

町は、国へ、温泉施設建設のための起債(借金のこと)の許可申請をしていた(十三億円)。議会には相談なしだ。三月期の議会では、これらはについては十分協議しなくてはいけないとしている。しかしそんなものは無視して事を進めている。進めようとしている。
町長、執行部に反対する姿勢をあきらかにしているのは、四人だ。もちろんニュアンスの違いはあるが。なぜそう言えるかというと、デイサービスセンター用地のことで反対を、議会で表明した者たちが、多分その姿勢を、保養地に対しても持っているようだからだ。新人が三人で古参が一人だ。

こんどの民報で感心したのは、参議院選挙比例代表の開票結果(萩原町)として数字を一覧していることだ。自民党の圧勝だ(3,995票、57.4%)。共産党は三年前より後退(366票、5.3%)。都合の悪いことでも公表する姿勢は好感が持てる。

「町長の公用車セルシオの写真が載ると困るのは誰?」
と大きな見出しで民報に出されるとギョッとする。これは、僕の質問だからだ。大見出しはセンセーショナルになるもんだなあ。もっとも、これについてはいわくがあって、議長が、平凡になるように直してしまったのである(今月発行の「議会だより」)。議長からすまなかったと電話があった。無断で直しすぎたからだ。事務局長にも、怒っていると伝えてくださいよと言う。なぜか。局長自身が、一般に見出しは平凡にならないようにと強調していたからだ。そういう事もあって、自分としては、見出しに工夫していたのだ。だから、怒らないですまされるか。
それにしても共産党は対立が好きだ。僕は対立は、ショウに合わないんだが。

追記 「議会だより」での僕のつけた見出しは(セルシオが町長車だって?)だった。最終チェックで議長がねばるので、妥協して、町長車を公用車に直すことを承諾した。ところが、完成して配られてきたものでは、次のようになっていた、(公用車の購入について)。とんでもないことだ。僕が了承した変更は、(セルシオが公用車だって?)だ。まあ、こういうやり方で、一事が万事だったのだろうと思えてしまうね。不信。


8月13日 月曜日  アユ  車谷の文から(アーティストの構え)

蒸暑い。暑さがぶり返してきた。
岐阜からきた釣り客は、今日は十匹。少ない。だが、例年、この時期は釣れないので、この結果ならまあまあだ。型は大きい。三匹も切られた。仕掛けの糸が細い。細すぎる。そう言うと、いや、細くなければ釣れないという。0.2より細い。考えられない細さだ。

以下に車谷長吉の文から引用する。テーマはアーティストの構え。
旧臘、虎ノ門の画廊で開かれた「漆 1993 現在派」展を見せていただいた時、あなたがこんなことをおっしゃっていました。「私はいま二十八歳です。展覧会への出品はこれで三度目です。併しいずれ私の中のものを創る力は涸れてしまうのではないか、と感じているんです。」
咄嗟に私は、涸れるなら涸れればいいじゃないか、と思いました。芸術の道において、己の創造力の井戸が涸れるということがある。涸れることを恐れる気持がある。だから小出しにする。こんなことは愚かである。姑息である。涸れるなら涸れればいいのである。涸れたほうがいいのである。そこまで一度は己を追い詰めたか。涸れてしまえばその時、人はもがくだろう。死物狂いであがくだろう。それが生きるということではないか。その生きることから、またものを創る生命力は湧いて来る。それが死物狂いということである。湧いて来なければ、沈黙すればいいのである。口をつぐめばいいのである。だまることの惨めさに堪えればいいのである。それが、生きるということではないか。心にものを思うことはあっても、それを表現しない人はたくさんいるのである。寧ろそういう敬虔な人の方が多いのである。表現することは罪深いことである。いつもこの世の表舞台へ出ていたいと望むのは、虫のいい話である。ぎりぎりまで己を崖へ追い詰めること、己を崖から突き落とすこと。いずれ私たちは立ち去って行くのである。


8月14日 火曜日 『ペルソナ』三島由紀夫伝 官僚たちの日本。 アユ

読み始めて半分まで来た。プロ(猪瀬直樹)の筆力に感心してしまう。なんとなく文字が続く。だが、飽きさせない。何かを言っているようで言わない、言わないでいるようで言っている。そういう文だ。長々と続く。作者が飽いていないからこっちにもそれが伝わって飽きない。その言わんとする中心は、三島の精神とかそういう内面のことどもではない。官僚たちの時代史である。それがこの本の特色だ。それは、要約してしまうとほんの短いものになること、九日の日記に書いているとおりだ。

前回は、祖父定太郎の描写だったが、今回は、三島の父(平岡梓)の代だ。
梓も、定太郎と同じに東大卒の官僚。ただし、梓は人物としては平凡である。で、描写対象は、彼の同級生、岸信介に終始する。岸は、原敬が押し進めた東大卒官僚による日本政治の革新のバトンを受け継ぐ。革新官僚グループとして。官僚機構そのものの権力化をめざす。重要産業統制法の強化と、戦時翼賛。

官僚たちによる、この戦時総力戦体制こそ、戦後日本の経済復活の土台となって働くのである。なるほどそうだったのか。そうだったのだろうな。戦後民主主義の裏の顔は、官僚による強力統制と企画であり、その権力である。
それがついにほころび破れてきたのだ。国中にその動揺が走りまわっている。ここ数年の改革の掛け声と波は、その現れだ。
この動揺の中で、既成政治家たちによる改革について、国民は見放していた。何とかしなくてはならない。だが、どうしていいかうろうろするのみ。官僚統制の優等生だった日本が、急に変われるはずがない。日本中がそれに慣れきってしまっているので。

けれども、このままではいけない、それを、小泉に託したのである。とにかく国民が、自分の手足で立ちあがらなくてはとは判っているのだ。公共事業制度に対する批判とその甘受の覚悟。地方自治、地方分権への歩みより。
これは、戦前から続く官僚統制社会のくつがえしなので、事は非常にむずかしい。だが、踏み出して行かなくてはならない。原敬から始まり、岸で権力化まで成し遂げた官僚たちによる日本政治の改革革新が、今、新たな改革革新を成し遂げなくてはならいところにきている。
と、そんなことまでは作者は言っていないが、自ずからそういう方向へ自分の判断が向いて行ってしまう。向かせるものがこの本の筆力にはある。

暑い。疲れる。体が重い。客は、市、鈴、石、飛びこみの四人。なんという不景気。だが、今年のこの体調では、かえってありがたかったのかも。市氏は、今日はいいものをけっこう掛けてきた。例年よりは、かなりいい。

8月15日 水曜日 仮装盆踊り N子さん

仮装の審査を頼まれていたので、マルヤ前の会場へ出かける。例年、お盆はお客で忙しい。だが、今年、何年ぶりかで盆踊りの会場へ。会場ははでに飾ってある。けれども、踊り手が少ない。熱が伝わってこない。クールである。
二三十年前は、踊りの輪が道路いっぱいに広がった。踊る人も見る人も街の道路にあふれていた。
商店街と区の役員が一生懸命だ。だが、輪はふくれてこない。こういうものとなってしまっている。けれども、なしにするわけにいはいかない。それでは寒々しいので。
二十代の男女が少ない。彼らが活発なら、おのずと盛り上がるのだが。

めずらしい二人に会った。これは今日の盆踊りのおかげだ。
その一人、N子さん。松葉杖二本で支えて立っている。彼女は、小学校以来の同級生。どうしたのだと訊くと、病気、重い病気だと、彼女はあっさり言う。いくぶんほっそりしており、元気な表情。こっちは、足の怪我かと思ったが、そうではなくて、病気だと。僕がギョッとして黙ったので、話題を彼女から変えてくれた。

僕のサイトを見ていると言う。ギョッギョッとしたけれども、これなら嬉しい。何人かの同級生が見ていると。小学校二年生の時のネット写真が懐かしかったと。そうかいそうかい。僕も彼女も一挙に小学校のころに戻る。N子さんは、二年生のとき名古屋から来て、ごく近所に住んだ。僕にはそのころの記憶はないが、四年生頃から、思い出がいくつか鮮明によみがえる。彼女は、ずいぶんはなやかに見えたものだった。田舎にはない雰囲気だったな。いま思うに、それは、名古屋、都会、のものだったのだろう。
そのはなやかさは、ずっとあったのだが、中学校で制服を着るようになって、目立たなくなっていったように思う。
小学校の、やっぱり四年生のころだったか、彼女がオモチャをくれたことがあった。機械仕掛けのもので、そのもの珍しさにどきどきしてしまったよ。


8月16日 木曜日 風邪ぎみ 『中陰の花』 アユ 

ついにまいった。買い出しに行くとき、どうも頭の半分がヤケに暑くて苦しかった。ふらふらして歩きにくい。よろよろと倒れそうになる。なんとなく寒気があるようだ。今日もソフトクリームを食べて椅子にぼんやり休む。非常にうまい。周りにお客が多い。どういうわけかな。従業員も三人いる。予定された忙しさということだ。

ふらふらしながら四人分を作り上げる。作ったあとは物も言えない。食べる力もない。体を支えているのがやっとという感じ。横になるとぐったりしてしまって何にもできない。

三人釣りに出かけたうち、一人は二十二匹も掛けてきた。えらい元気だ。きのうはしょげていたのに。あとの二人は、十匹にいかなくて元気がない。相手は生きもので、成果はみずものだ。

本屋に寄ってみると、『文芸春秋』が並べてあり、中に今期の芥川賞作品が掲載されている。玄侑宗久氏の、『中陰の花』が。このあいだのメールでは、ものすごい騒ぎとなって、大変だったと。
車谷の小説は、小説のような随筆のようなもので、読める。玄侑氏のものは、いわゆる作り物の小説で、にが手だ。だが繰り返し挑戦してみよう。

8月17日 金曜日 『ペルソナ』三島由紀夫伝後半、非日常。

喉がやられている。夜中窓を開け放して寝たためだ。夜気が冷たくなっているので。夕方買い出し。客は一人。
昼に、『ペルソナ』の残り半分を飛ばし読みにする。この本は五百ページほどもある。その半分を一、二時間で。これは不思議な本で、飛ばし読んでも解かる。重要な内容は前半に終わってしまっていたので。後半は、戦後の話だが、これは、徳岡孝夫のものと奥野健男のものとで知っていたので。

目新しかったのは、結婚前、『金閣寺』を書いているころ、粋筋の家の娘さんX嬢十九歳と、三年間に渡って、付き合っていたことだな。男であることの確認作業。

思うに三島は、非日常を生きたのだな。日常には戻れない、最後の数年間。剣や軍にかかわる非日常であったため命を断つことになってしまった。非日常の選択はほかにもあったのに。
もともとの出発が、作品からして非日常であった。
けれども彼は、日常を探っていたのである。それが、『宴のあと』と『絹と明察』だ。これらのテーマは、土の日本と西欧化の日本だ。で、これらを、面白いと思って読むことができたよ。ホッとしたよ。
だが、彼には、それらが精一杯であったかもしれない。このテーマを抱くにはあまりにも西欧化日本のほうに浸かりすぎていた。祖父定太郎について、一度だけ、ちょっと触れているだけであることからもそのあたりの事情がうかがわれる。土の日本は苦手であった。彼には、観念としての土の日本であった。

観念としてではない土の日本とはどういうものであるかを、車谷長吉が実際に見せてくれている。
まあ、三島には、土の日本は東京であり、上級官僚の家筋である。それが、彼にとって、結果として、土の日本であることになった。僕などからするととんでもないことだが、彼にはほかの選択はすでになかったということだろうな。

西欧化日本の中心東京に生まれ育ち、しかも、西欧化日本を裏で動かした権力、上級官僚の筋で。祖母は武士の上級身分の筋。その中にいて、彼は、力を振り絞って、ぎりぎりまで、土と欧化の日本のテーマに取り組んでおったのである。鴎外漱石からのテーマだ。そのテーマがあのような形のものとして現われた。つまり、東京の、ひどい、断末魔のようなねじれだ。

三島が、ずっと問題にされるのは、彼のテーマのゆえだ。しかも、評論ではない。頭で考えられたものではない。小説の中で、つまり不器用に、体ごとに扱われたそれらテーマのゆえである。


8月18日 キムチも梅干しも  アユ

以下はラジオで聴いたユンキさんの話である。彼の母は田内千鶴子。父は朝鮮人。千鶴子さんは、韓国南西部のモッポで、南北動乱の時の孤児をあずかる施設、[共生園]を経営していた。孤児は五百人ほどもいた。
千鶴子さんは五十七歳でなくなった、1968年。葬儀はモッポ市民葬で行なわれ、三万人ほどの人が参列した。ユンキさんはそのとき二十六歳。[共生園]の経営を引き継いだ。彼の両親はキリスト者であった。

やがてユンキさんは、日本に渡り、特別養護老人ホームを堺市につくった。そして、数年前、二つめを神戸の長田区につくった。ここでは、在日と日本人が混じってはいった。だから、キムチも梅干しも、なのである。
ユンキさんの語り口は、実践者のそれである。見事に父母の精神が通っている。

逸話。
彼の父は根っからのキリスト者であった。彼は、施設の食料を捜し求めて歩いて行くうち、持ち帰らなかったことがなんどもあった。道すがら、ねだられると、与えてしまったからである。共生園では困ったが。
またあるとき、寝ていると首筋に刃物を突きつけられた。卒園児の一人が、次のように言って泣いた、戦場で自分を拾っておいて、十八になったからと、ぽんと社会へ放り捨てないでくれと。園の出身者は、世間で、さまざまのいじめにあっていたからである。その恨みを言うためにあの行為に及んだのであった。
それで、ユンキさんは、彼らの職業訓練もするようになった。そういう訓練校もつくった。

今朝、静岡県の新城から三人で来た釣り人は益田橋へはいった。彼らが帰る夕方五時ごろに顔を合わせたので、どうだったと訊くと、満足そうにして、一人は三十匹、あとの二人はそれぞれ十匹ほどだった。三十匹の者はかなりの腕だ。型が二十センチ以上なので贅沢な釣りだった。

東京から来た三人ぐみは、朝霧橋へはいったが、散々だった。話を聞いてみると、全体に雑であった。オトリを買っていかなかった。前日釣った友人のものをつかった。その友人というのは、一日六匹の成果だったが、それをオトリにしたわけで、すでに出発からしておかしかったわけだ。

8月19日 日曜日 萩下婦人会十八名 保養地見学へ

漁協アユ掛け大会が終わって帰ってすぐ、その足で益田橋へ行きアユの様子を観察する。釣り人は十人以上だ。家に帰ると、お花の先生のAさんが玄関に立っている。この日、萩下の婦人会で保養地へ見学(総勢十八名)に行ったことをきいていたので、すぐピンと来た。Aさんは今年、萩下の婦人会長である。

Aさんのうちと僕のとでは、百メートルほどしか離れていない。けれども、喋りあった記憶はほとんどない。それが、突然、複雑な言葉を交わし合うことになった。彼女が婦人会長になり、僕が議員となったこと、それにパソコンだ。彼女は今年になってパソコンを開始した。さらにもう一つ、彼女は暮れに、重い病気になった。日常に復帰するのにかなりな日月がいった。その経験が、保養地の基本構想に関心を向けさせている。

しゃきしゃきと話を押してくる。そのうちどうも話の通りがいいのでどうしてかなと思った。事情の飲み込みが早い。気がついたが、これは、僕のサイトをしっかり読んでいるからだろうなと。そうでないと、微妙な会話が成り立たないはずだからだ。
相補・代替医療についての彼女の理解がなかなか行き届いている。西欧医学を相補い代わりとなる医療ということ。これが、県の、南飛騨国際健康保養地についての基本思想である。これについては、七月八日十一日のダイアリーで触れている。今のところ、県はここに立っている、ということで了解しあった。

Aさんは、町の現行の計画図面ではダメだという考えでいる。県の基本構想と合わないと。
保養地構想は萩原だけではなく、合併市の重要な根幹になるので、今、それにあわないような変なものを造ってはいけないという点でも、ふむふむとすぐ納得する。下呂病院の移転との関係も。

次に、今朝配られてきた、請願書の署名集め用紙のこと。これは、文面からしてB議員の関係でしょうというので、そうでしょうと言う。呼びかけ人のうち粥川妙子さんという人と話して見たらどうですかと言う。話は通じるんじゃないですかと。すると彼女は、私はこの人は知っていますが、合わないところがあるので、電話しませんとはっきりいう。
次に僕が言う、事は、議会における採決にかかっています。議員のうち四人は、たぶん現行の計画に待ったを言い、不賛成を表明するでしょうと。けれども議会は多数決なので、現行計画がどんどん進んでいきますよ。Aさんは、町の現在の計画方向ではだめだとしているのですから、このまま腕組みしているわけにいかないでしょう。代案を立てるなりなんなりして、ともかく動かなくてはならないですね。すると彼女は、眼をパッチリ光らせた。さてさて、自分の動きを決めていかなければならないと。

追記 この日は日曜日なのに、保養地整備課の職員三名が現地に待っていてあれこれ説明などしてくれたそうだ。張りきったであろうな、町民が来てくれたので。住民の理解が得られなくては、職員も力が入らないじゃないか。
県の職員も、地域の人たちの理解を大切なものとしている。説明に力がはいったろうな。
そばを食べ、風呂(渦中の温泉)にはいってきた。いい湯だったと婦人会長Aさんは言った。 


8月20日 月曜日 益田川住民会議世話役会  県民協同型県政推進事業  奇怪な電話

益田川住民会議世話役会。久しぶりに顔を合わせる感じ。全体に、夏疲れしてるようすだ。肝心のHさんが来ない。たぶんど忘れしているので、念のため連絡してみたらと県の担当者に言う。するとその通りだった。連絡してよかった。

パシフィックコンサルには拍手してばかりだが、今回も大いに感心した。うち合わせ資料の中で、ごく短い文ながら、住民行政企業三すくみの、時代の最先端の、斬新な展開について、上手にまとめていた。僕は、時代がそんなところに来ているのかとただ驚いてしまう。僕自身が時代遅れになってしまっている。まあ、しかし、ここで述べられているような話は、雑誌など普通の情報源からは得られない。この会のために、コンサルの担当者が仕上げたもので、ねらいがキリキリと引き絞られて、スッキリとマトを得ている。

一般に僕たちは、行政サイドの言葉づかいを真似て、「河川整備」と言っている。例によって漢語表現だ。これを生活言葉の和語、ヤマト言葉で言うと、「川づくり」となる。さらに「かわづくり」へ。また、用語「都市計画」は、「町づくり」となり、さらに、「まちづくり」、となる。
さて、問題は、この次にある。用語「まちづくり」でさえもが、今や忌避されている。なぜか。「まちづくり」が、安易につかわれて実質を持たなくなった。つまり、古びてしまった。腐ってきている。そこで、どうなってきているか。「まち育て」をつかい始めている。

それを、(打ち合わせ資料)から抜き書きしてみる。
「まち育て」による計画は、「専門家による計画」の地域資源軽視・破壊をこえて、市民・ユーザーの積み重ねられた諸経験やコミュニティの叡智を大いに活用することによって、地域の価値ある資源を再編・強化していく有機的でサスティナブルな(持続可能な)コミュニティづくりであるとされている。

県民協同型県政推進事業の募集について。
期限は八月三十一日。とても間に合わない。これは、知事がなにかで語っているのを聞いたことがある、それだな。つまり、意欲的な地域には予算を下ろしましょうと。ただおねだりするだけでは、おろしませんよと、ぴしゃり言っているわけである。じゃ、萩原町や下呂町はどうなんだ。おろおろしているんじゃないかな。
予算の配分に差を設けようとしいる。住民、行政、企業、それぞれの自発が知事のねらいなのだろう。地方分権や、地方自治への布石なのだろうな。

朝、奇妙な電話があった。推進に反対の挙手をしている四人の議員の一人からだ。反対傾向の議員のいま一人が、きのう、保養地現地に来て、推進の解説を婦人会の人たちにしたと言うのだ。とんでもない話だ。なんということを言ってくるのだ。現地へ行くはずがないし、推進の解説などするはずがないじゃないか。だが、きのう現地へ行った婦人会の者からの情報の情報としてであると。しっかりしてくれよと言う。情報の情報提供者という者の頭がおかしいんじゃないか。用心してくださいよと強く言う。

8月21日 火曜日 アユ グリーンツーリズム 地域振興局 保養地  町の職員と県の職員

体調がおかしい。のどが痛い。顔がはれている。口が開きにくいので、ご飯が上手に食べられない。おちょぼ口にご飯をそろそろ突き入れる感じだ。夕方から起きられないが、日記更新のために無理に起きあがる。
今日は三人に会う。難しい電話が二つ。さらに夕方、思い出してがばり起きて出て、漁協アユ釣り大会の資料をもらいにEさんのところへ行く。

午前に、役場へ行きアユ担当のAさんに会う。好評であることを伝える。町の放流の効果が出ている。また次のことを提案してみる。交流産業の一つとして。
それはアマゴ。アユが終わったあとせっかくの川が遊んでしまうので、そこにアマゴの成魚を区間を区切って放流する。フライ・テンカラ専用区とする。さらに、キャッチあんどリリース区間とする。これは、県でもまだ一つ二つしかないから、大いに歓迎されるだろうと。予算には限りがあってむずかしいかもしれないが、案を練ってみる価値は十二分にある。漁協の豊氏と話してみるとよいと言う。

次にB氏と会う。グリーツーリズムのことで。これは、ついこのあいだ雑誌『地方議会人』で知ったばかりだと僕は正直に言う。萩原ではすでに少しずつはじめている、実行している、と担当の彼は言う。で、彼はガンガンと言ってくる。好もしい。こっちもガンガンと言う。
グリーツーリズムは、物まね大好きな日本だからすぐ、どんどん広がるだろう。だが、ここにはユニークなものがある。保養地だ。保養地とグリーツーリズムならよく似合う。ここに特色を出すべきなのだと力説する。いま作ろうとしている温泉施設は、保養地全体の構想をぶち壊してしまう恐れがある。いやぶち壊す。目障りなものになる。そこで、県の基本構想、合併市などなどを加味して、町として独自のユニークな構想を練り出さなくてはならないよ。ハコモノソウロウではもうダメだ。いまは、人だ、人間だ。まずソフトだ。

知事も、ユニークな発想には金を出しましょうという姿勢になっているようだ。安易に予算をばらまきませんよと。県民協同型県政推進事業の募集について、の要項紙を彼に見せる。彼はまだ知らなかった。
隣りの席に、きのうの住民会議で一緒だったC氏がいる。

その足で、県の地域振興局へ行き、この前会った安田氏と面会する。相補・代替医療構想について確認する。そして、四美の保養地には、その施設と人とをもっと展開するべきだと、そのユニークさを彼に説く。下呂病院と相補関係にあるものをと。それこそ国際的なものになると。この地における、現在の構想は貧弱なものなので、僕の言ったことなどを企画してみたらと、彼に強くすすめる。

気がついたのだが、町の職員と、県の職員とでは、肌合いがかなり違う。町のほうでは、自分が出せるし出さなくてはならいし、情熱が表に出てきている。それに対して、県の職員は、クールな感じだな。住民とじかに触れ合う関係にないからだろうか。


8月22日 水曜日 益田事務所地域振興課へ 県民協同型県政推進事業の募集と南飛騨国際健康保養地

台風は、こちらへは来なかった。一晩中、襲来を待つようにして眠れなかった人がいる。また、よく眠れた人もいる。報道は、騒ぎすぎじゃないかと思えるほどだ。あれほど騒ぐと、台風は、来なくてはならぬのだなどと変な考えを起こしてしまうよ。

午後、益田事務所の地域振興課へ出かける。きのう担当者と約束がしてあったので。「県民協同型県政推進事業の募集について」、きくためだ。担当の樋口氏が待っていてくれた。この月曜日に開かれた、益田川住民会議世話役会で、一度どんな様子か聞いてみるようにということだったので。
この募集は、今月一日に立ち上げられたものであり、しかも締め切りが三十一日までだ。担当者の方もまだ対応がしっかりしていないのはやむをえないだろう。住民会議としては、応募が来年の四月頃かと思うが。

樋口氏に、南飛騨保養地はこちらの担当かと聞くとそうだと言うので、じゃ、僕が日ごろ抱いている、僕自身の基本構想の、政策提案はどうだろうと聞くと、それはいいと彼は言った。県の政策が実際に進行しており、それと直接に関連するので、非常にいいのだと。つまり、要項にある、「県政プレイヤー」なので。

次に、話は、保養地の基本構想に移った。この話の中で、四美保養地については、「学習センター」が来年に着工にかかると。設計コンペをいまやっているところだと。
この建物の中のソフトは、相補・代替医療に関る、インストラクターの養成だ。なるほどそうだな。町民などに、この保養地の意義や行なわれることなどについて、まずしっかり納得してもらわなくてはならないので。住民などに働きかけるためのインストラクターの養成だ。なるほど。いまようやくその段階なのだな。なるほど。

いま議会に出されている、町の温泉施設の図面は、ありャダメですよと僕が強く言う。また、値段が張りすぎると。あれは、保養地全体のバランスを壊すものだと。たしかに、当町に建設のマネーは入るでしょう。だが、当然のことだが、ただ入りさえすればいいというものではない。また、町のほうからは、ソフトの説明がさっぱりありません。風呂ができれば、医療費が少なくなるだろうと言っているぐらいのものだ。困ったものです。その点を、県のほうから、しっかり言うべきでしょうと彼に言う。彼は、否とも諾とも表明しない。つまり、じっと黙っている。

終わりに、彼が、口下手ですみませんと言ったので、いやいや、口下手なところがよいのですと、僕はお世辞でなく言ったのだが。
たしかに彼は、話の出がゆっくりなのだが、言わんとするところは、しっかりと出てくるし、ゆっくりなので、独特の説得力がある。ぺらぺらと内容のないことを能弁されるのがいちばん困る。

8月23日 木曜日 ソープ嬢Aさんがくじけた

ソープ嬢となり、高級店へ勤めるようになって十日ほどで彼女は、心と体が金縛りにされたようになり、起き出して仕事に出られなくなった。そのまま店をやめて、いまじっと恋人のところにいる。だがここに一週間もじっとしていると、また動き出したくなった。恋人と一緒にいるだけの生活なら堪えられないことがわかった。で、また仕事をはじめるつもりでいる。だが、OLには戻れない。やっぱり、「女」に関る、女を売るような仕事をやりたい。いままた待機している。

彼女には予期できなかったのだが、接合よりも、ディープキスやフエラチオができなくなった。僕なんかの感覚では、接合はできても、後者の方が苦痛だと思っていたのだが。彼女には、いままではできたのだ。だから、ヘルス嬢からソープ嬢に志願できた。そして、一週間ほどで、体が拒絶するようになった。それでやめた。

昔の、その世界は、志願してなるものではなかった。カネでなった。だから、やめたくても、いやになっても、体も心も拒否しても、抜け出すわけにいかなかった。そこは苦界であった。
昔のその世界では、ともかくも生き続けなくてはならないので、ディープキスやフエラチオなどはやらなかったはずだ。ところが、Aさんには、ヘルスの世界は苦界ではなかった。楽しい世界であった。サービスする喜びがあり、多額のマネーがついてきた。

そして、ソープ嬢になって十日ほどで挫折した。全心身が拒絶するようになった。志願してなった仕事なので、そうなれば、すぐ挫折してしまう。

彼女のネットは、立派な文章が続くが、気がついたのだが、彼女には、他者、世間、社会というものが非常に希薄だ。ほとんどいつも自分のことばかり、狭い範囲のことばかり考えている。若者とは、そういうものなのだろうか。
彼女にとって、他者、世間、社会がどう関わってくるか、それと関わりながらどう育っていくか、その点に関心を持って見守りたい。さいわい、彼女は日記を続けると宣言しているので。

彼女がやめる直前の日記は、ある種凄惨なものであった。あるお客と、一時間半も続けた。イッタ様子がないのでなんとかイカセようとサービスを必死にやる。ところが、その客は、すでに二回いっていて、三回目をがんばっていた。それを知らされた時、彼女に殺意がわいた。ぜんぜんイケなくては、自分の落ち度になるので、がんばりぬいた。まあ彼女には、もともとそういうキマジメさがある。

8月24日 金曜日 萩原、小坂、馬瀬、下呂へ。(役場へ飛びこむ)

この日は、朝から大車輪だ。予定は、萩原、小坂、馬瀬、下呂、金山へ。
九時に役場へ行き、管理課のA氏と話す。彼は課長ではないので、態度がのびのびしている。大体に於いて、課長たちには独特の構えがあるので、会話が伸びやかにならず、つまらない。ナンバーツウーたちは、精いっぱい喋ろうとするし、またこちらの話を聞こうとする。最善はなんだろうという探求心が働ける余地がある。ところが課長たちには、余裕というものがない。長からの指示をじかに受ける身なので、ほとんど頭の自由というものがない。気の毒な話だ。それにこの不景気風。

次に行ったのは小坂だ。はじめての訪問なので緊張する。だが、ここは、エイッ、度胸だ。
総務課長がいなかったので、助役と話す。かれこれ、一時間半ほども話したろうか。彼は、基本的に手堅い会話を心がけているようだった。なるべくくだけよう、サービスしようとしていた。ということはつまり、小坂町にとって、南飛騨国際健康保養地と合併市のことは、重要だということなのだろう。懸案のプロジェクトのいくつは調子が悪いし、負債は膨らむしということで、頭が痛いわけだ。この不景気どんづまりでは、どこも同じだろうな。

次は馬瀬。なんとB君がいる。彼が近づいてきて初めに言ったのは、「なんですか恐い顔をして」だった。そんな顔になってしまっているのか。政治家ふうの顔に。あのころは、宿屋と釣具屋のオヤジなので、これでも、顔を柔らかくして、精いっぱい愛嬌を出しておったのである。
彼とは、あのころ、十年前、飲み屋でよく出くわしていた。話は、アユやアマゴのことだったな。別にこれといった話はしなかった。ところが運命のめぐり合わせで、僕は議員として、彼は総務課長として、いま相対しているのである。

彼とは、主に保養地の話をした。僕の持論を言うと、なるほどと言ってくれた。それは、以前話されていたことだったのだが、いまは立ち消えになってしまっていると。彼は、僕に対して、初対面の警戒というものがないので、けっこう、いままでの保養地の経緯をフランクに解かりやすく話してくれた。来た甲斐があった。成果だった。

次は下呂だ。担当の企画課長が不在で、総務課長が代わりをしてくれた。担当ではないので、持論だと前置きして、けっこうフランクに話してくれた。まず第一の印象は、下呂は強い町なのだということだな。
ここで意外なことを聞いた、そして、ちょっと背中が寒くなった。それは、下呂病院の移転と、リハトピアの新設のことだ。
これを、いま、南飛騨総合健康医療センターと呼んでいると。
保養地については、用地問題で、下呂と萩原が綱引きしたこと、その後遺症があるらしいこと。

さらに、十町歩ほどの、移転のための用地については、着工を待つばかりになっているのだが、これがさっぱりで、まだ絵はなにもできていないと。さらに、いつできるともわからないと。長野県のような事が起きないとも限らないと。彼は、かなり悲観している様子だ。
四美のことに話を向けると、ほとんど関心がないという口ぶりで、なにも言わなかった。これには驚いた。どうやらこれは、綱引きの傷らしい。不幸なことだ。たぶん、萩原が、ハコモノの方に目が行ってしまっていたからだろう。再出発はそこからだ。


8月26日 日曜日 講演とシンポジウム 女の言葉、男の言葉

チラシの一部を写し書きしてみる。


南飛騨国際健康保養地から世界へ情報発信

この国のよさ・日本語のよさ再発見
                           
公開講演。シンポジウム南飛騨2001

日本プラグマティックス学会(PAJ) 主催
岐阜県超古代文化研究会      共催
南飛騨古代文化を語る会      共催
                萩原町 協力

言語学を専門的に研究する人たちが、萩原町で分かり易い公開講演・シンポジウムを開催されます。子供さんの教育や日常の対人関係をさらによくするためにみなさんお誘い合わせの上ぜひご聴講ください。日本語のよさを改めて理解できると思います。


さて、午前の部は宇佐美まゆみさん(東京外国語大学助教授)による講演。題目は、「丁寧さとポライトネス」。実質は「女の言葉、男の言葉」だ。講演の進め方として、聴衆に、質問して答えてもらうというやり方をとっていた。退屈させないために、参加させようとするわけである。
しょっぱな、最前列にいたので、司会の小林課長からマイクを向けられた。質問は、ガイコクジンが日本語を習得するに際して困難を覚えるのはどういう場合か。それに対して、僕は敬語や腹芸や以心伝心の習得であると答えた。以後、会場をマイクがまわった。最後に、まだほしい答えがあるようだったので、もう一度マイクをとって、女の言葉と男の言葉です、また、竹下元総理の、言語明瞭意味不明瞭ですと言った。すると彼女は、前者を待っていたのですと満足して言った。

ここからの宇佐美さんの話が面白かった。つまり、日本文化の根幹にかかわっていたからだ。彼女は、一度もそういういい方はしないが、僕はすぐピンと来た、女性こそ日本文化の実力者であると、男はかなわないと。
なぜなら、男は、女言葉は控えめにして、すべての言葉をつかえる。だが、女はすべての言葉をつかえない。日ごろ男の言葉をつかってはいけないことになっている。そういう慣習になっている。ということは、女は、言葉の機能について非常に敏感になっているということだ。つかえる言葉とつかえない言葉について。
また女の言葉は、男のメンツをたてる性質のものとなっている。女は、男をいい気にさせる言葉を、それとなく上手につかう。ホモたちのつかう女言葉もそれだ。

日本語文化の複雑さ微妙さは捨てがたい。日常言葉は機能化、合理化して行くだろうが、女言葉と男言葉の文化はぜひ保持しつづけたいものだ。(田嶋陽子氏に、ど叱りつけられるかな)。
宇佐美さんの講演は、よかった、ためになった、楽しかった。「文化」講演に値したよ。
途中なんどか、田中真紀子氏、田嶋陽子氏を思い出した。田嶋氏は、言葉は威勢がいいが、中身は、女と男の言葉文化、すなわち日本文化の機微の熟達者のようだ。

二部の、古代文化関係のシンポジウムは内容が中途はんぱでつまらなかった。ブッキッシュな言葉がつかわれていたからだろうな。机上の研究というのかな。企画した人たちも、その点よくわきまえていたようである。
最後に質問に立った人が、モーゼの墓が日本にあるとかと、妄想めいたことを得々と喋るのには閉口したよ。
司会の、小林茂交流産業課長には感心したよ。彼は、もう一つの肩書きが、南飛騨古代文化を語る会の副会長である。もともとスキなのか、仕事上勉強したものか。ともかく、一夜づけではないな。


8月27日 月曜日 金山下呂へ  鯉

朝、金山へ。途中、川が気になって、首を伸ばして下を覗きながら車を走らせる。川の石は、まあまあになめてある。明るくなっている。金山のダム下は、車を止めて見下ろす。ここはアユが多い。釣り人も多い。ざっと十人いる。
金山へ行くのは久しぶりだ。役場ははじめてだ。用件を言って面会を求めると、助役室へ案内された。彼は、率直に解かりやすく話してくれた。合併については、金山の特殊な立地について説明を受け、なるほどと納得した。行政は益田広域にはいっているものの、住民は、関方面とのつながりが強いと。で、町は合併について、住民に理解を求めるため、移動住民集会を開いていると。

帰りは下呂へ寄り、企画課長に面会を求める。下呂では、総務課長と企画課長に会ったわけだ。どうも下呂と萩原の関係はギクシャクしている。これが、問題の発端だな。なぜそうなったかが判ってきたけれども、じゃどうすればいいか。このねじれはかなりのもののようだ。ねじれは、両町にとってマイナスに作用している。

課長が下呂病院の事務局長に会ってみよと言ったので行く。この人は、下呂の出身で、益高の三年後輩にあたることがわかった。県職。
下呂病院の新築移転についてハッキリした。来年、まず岐阜のが着工する。下呂のは、それが完成してからだから、平成十九年くらいに着工ということだった。ひとまず安心だ。
だが、どうも、四美保養地が心配だな。中ぶらりんの感じだ。

追記 病院が移転した場合の、周辺営業者には手当てというものはないということだった。小泉首相は、リストラを断行するので、三十万人とかの失業者が出ると言った。彼らは、手当てされる。しかし、自営業者などはほかりっぱなしだ。まあそういうものなんだろう。

金山のドライブインで食事したとき、池のエサを買って与えた。すると、見物人が集まってきて、食いぶりに歓声をあげた。でかいのが食ってしまう。小さいのはおびえている感じだ。強者と弱者。政治は、それがロコツに出てくる。

帰るとくたくだで、寝てしまう。まともに弱者だなあ。


8月29日 水曜日 臨時議会

 
九時より全協(全員協議会)。久しぶりに顔を合わせる感じだ。みなさん元気だ。事務局長がちょっとよわっている感じだったな。そう言えば、本会議場で、正対するいつもの課長たちが、どうも元気ない様子だったな。うかぬ表情だったような気がした。夏バテかな。六月定例会のときは、張り切っていたのに。

全協では、先輩議員が二人でかなりやりあった。どうも、なにかいらついていた感じだ。前議会までのことなので、話の流れがさっぱりわからない。

本議会。水道施設改良工事の入札に係る契約。一億三千万円。日産・共和・鐘芳特定建設工事共同企業体。
次は、下水道管路施設工事(古関上段地区)。八千万円。萩原土建。
もう一つ。下水道管路施設工事(古関下段地区)。一億一千万円。クローバーフューチャー建設協業組合(代表理事熊崎宏)。
初めて質疑ということをやってみる。

終って十一時ごろより、南飛騨特別委員会。全員参加。全員が喋る。また白熱。激しくやりあう光景。どうも今日は、激しいな。
保養地整備課からの計画書が、前回とほとんど変わっていないのにはがっかりだ。本体部分は十億円で同じだ。こんな大きなものは、ダメだとは分かっている筈なのに、性懲りもなく出してくる。理解に苦しむ。本体工事は来年の予定だ。町はぶっちぎりの予定のようだな。

県民協同型県政推進事業の募集」の原稿をきのう書き上げ、これを役場へプリントして持っていく。特別委員会で、議員みなに配る。

終わって、議員数人と近くの喫茶へ行き、話す。出てから県事務所へ急ぐ。Y氏に原稿を見せて、応募したい旨を言う。平成四年発行の、緑色の表紙の、「南飛騨国際健康保養地マスタープラン策定調査」なる大部の立派な報告書を借りて帰る。僕の政策提言文に厚みを添えようと思ってだ。これが、ごく当初の県のプランだ。

夕方、益田橋へアユを見に行く。激しく追っている。群れの中あたりへオトリが行けば掛ることは間違いない。そういう泳ぎ方をしている。

追記 僕がやった質疑(質問)の内容は、不景気でみんな苦しんでいるので、町発注のマネーができるだけ多くの関係業者に行き渡ることを願っている。けれども、工事には合理性、機能性が要求されるので、甘いことばかりは言っておれない。そのあたりの兼ね合いについてどうかと。
いま一つの質問。十日ほど前、岐阜新聞で、日産工業の社長が大きな額縁にはいった絵を真ん中に町長と写っている写真を見た。そのときヘエーと驚いた。感心したわけではない。百万円の寄付だ。それで町在住の人の手になる絵を買った。ところが数日して、事務局から臨時議会の議案が届いた。それに、水道工事の入札契約の事があった。で、ピンときた。彼は、町に対して、契約成立の感謝を込めて贈ったものであるかと。

8月31日 金曜日 明日は網 

役場へ行き、提言の追加分を管理課長に渡す。保養地のサービス性を盛り込んだ内容にして。
郵便局へ行き、「ちくま」二年分を送金する。その足で益田事務所へ行く。県民協働型県政推進事業の募集についてきくために。すると、先に出していた提言は完成しているものなのでダメだと。それから担当者ともちゃくちゃ喋る。彼はさっぱり要点にこない喋りをする。シャキッとしないのには往生する。脳中の整理が弱いのかな。しかし、協働事業としては、南飛騨のシンポとか、アンケート郵送などもはいることがわかった。上手に活用すればいいわけなのだが。
とりあえずは、もうひとりの担当者が、提言を上に上げますと約束してくれたので了解する。

その足で下呂病院へ行く。事務局長は留守。加藤医師は、火曜日に出勤するということだったので、提言文を渡してくれるように職員に頼む。下呂役場でも、企画課長がいなかったので置いて帰る。帰りぎわ、玄関口にあるパソコンをやってみる。アップルだ。ネッドスケープだ。町民サービスとして、インターネットにつなげることができるようになっている。なかなか入口が見つからなかったが、脇にある使用説明書で、前に進むことができた。検索サービスは、ヤフーとエクサイトしかない。エクサイトで、自分のサイトを出してみる。
ネッドスケープははじめて見る。字が小さいので、百五十パーセントにする。画面がうまく出ていないこともわかった。(ナンバー)が出ていない。エクスプローラーとネスケでは画面がだいぶ違う。とまどう。
帰って寝てしまう。三時に起きてプリントなどする。四時に仕入れに出かける。

九時ごろ、店に三人が集まってくる。網の話。Nさんも加わる。みんな十二時ごろ帰る。アユの話を肴にみなさん元気だ。

尾崎の橋護会(小池哲夫代表)なるサークルから案内が来る。旧橋を守り育てる会だ。十二年前から、四百個の電球でライトアップしている。九月九日、日曜日の十八時三十分に、「橋ご酒」が催される。

9月1日 土曜日 セックス人生冒険家A嬢の転職

仕事に出かけようにも体が動かなくなって(無理に出かけようとすると吐き気におそわれるなど)、フウゾク嬢をついに断念したようすは、八月二十三日に紹介した。以後、僕のほうは収入日割り五千円のなんだかんだの忙しさで、彼女のネット日記を見ることができなかった。いま見た。風俗での彼女の収入は、二時間ほどで三万五千円だった。指名された場合は四万円。トホホホだ。自分が石ころだと思わされるよ。石ころ脱出のために、相補代替とか東洋医療だとか絵をえがいているんだろうかなあ。
けれども、収入はいいんだが、心身が拒否してしまったのである。

十日間ほど、充電しながら次の仕事を練った。候補は、ストリップ、ショーパブ、性感エステ。ぜんぶせっくす関係だ。
どうしてもできなくなったことは、彼女自身の表現では ◎ディープキス(軽いのもイヤ) ◎マンコを触られる事(胸はいいらしい) ◎フェラチオ(致命的)
できることは、◎手コキ(どういう基準だ) ◎軽いスキンシップ ◎露出(見せるだけならいくらでも) 

まずショーパブへ。これは、まずは飲み物の運び仕事。テーブルへ。次は、一回五百円で、客の膝にまたがり、腰をクニャクニャしまくる。勃起するのが面白い。だが、二十人に振りまくると腰をやられるので要注意。客の払いは千円だ。客は次から次へ指名して楽しむ。奇抜なショーも。かなりの散財になってしまうらしい。店の中は、若い女性でむんむんしている。ソープやヘルスと比べると収入が少ない。生理休みもないので、Тバック、タンポン、ナプキンで完全武装してがんばる。だが、実働五時間なので、実入りが少ない。

性感エステへも行くことにした。この仕事は、マッサージだ。手コキやアナルマッサージで抜いてさしあげる。ハンドサービスだ。服を着たままでよろしい。客は一時間一万円を払う。彼女にはその半分がはいる。一日のうちに、かけもちで両方をこなす事にした。稼ぐことそれ自身が楽しいので。楽しんで仕事をしたい。その楽しみの一つがマネーだ。


9月2日 日曜日 防災訓練 柳美里の『私語辞典』 小学生の外国語教育

朝八時に防災訓練のサイレンが鳴る予定なので三十分ほど前から待つ状態。はっぴと鉄兜(ヘルメット)を用意して待つ。鳴ったので、畳屋の前へ行く。みんな集まってくる。いつものように三十人ほどだ。並んで歩く。後からもっとゆっくり歩けと声がかかる。老人子どもがいるためか。南中の校庭に、各組ごとに整列する。区長の挨拶が、エラク格式ばった感じだと思っていたら、彼は、手に持ったメモをちらちら見ながら演説していた。

終って出発位置に戻り、ホースなどの点検をする。そして帰る。だるくてぐったり寝てしまう。起きて出る力が出てこない。三時に起きる。PCを見て頭と体を覚ます。また眠くなってうつらうつらしてしまう。がばと起きて仕入れに出かける。客は二人。カミさんは外出中だ。なかなか来ないので、戸締まりをしてでかける。スパーへ。
帰ると五時だ。急ぐ。ジャガイモを煮る。ピーマンを炒めて蒸す。刺し身。とんのテキ。アサリ蒸し煮。ナスの汁煮。途中腹が減ってふらつくので、パンを食べる。

客に出し終ってまた寝てしまう。九時に起きる。力が出てきたので本屋へ行ってみる。立ち読み一時間。デジカメの雑誌を見る。柳美里の『私語辞典』を買う。読めそうに感じたので。この本のテーマは、私語と集団語、だろうな(彼女は在日なので、はじめから集団にはつまずいている。プラスブンガク感覚だ)。彼女のは、私語が強すぎてついて行けないと判断していたのだが、今度は読めそうに思ったので。後書きに、集団語と私語について、彼女はずっと意識的であったと書いていたので読んでみる気になった。私語に入りすぎると狂うと書いていたところが気にいったので。若いのに感性が大人びてしまっている。見とおす目を持ってしまっている。

ここまで入力したところで、またぐったりする。どうも病気かもしれない。毎年九月はまいるのだが。
本屋に、英語原本の童話が並べてあった。めずらしい。手に取って見る。『ハリーポッターとアズガバンの囚人』。千二百円なので買ってしまう。しょっぱな、タイマツを手にして、腹ばいで本を読んでいる場面が出てきた。torchは、この場合タイマツではなかった。懐中デントウだ。propと、popとをまぜこぜにしていたので、意味が通らなくなった。quillはだいたい連想できたが、ポッターはこれでものを書くのかなあとわからなくなる。自分の連想に自信が持てない。読むのに辛抱がいる。面倒。とてもかなわない。
英語は喋ることも聞くこともできない。けれども、受験英語のおかげで、なんとか読むことはできる。英語とのつきあいは、受験英語が、合格のための実践だったが、以後、一度も実践の場がなかった。これでは身につかない。辞書をひきながら、読めないことはない。これでも良しとしなくては。

英語で思い出したが、このあいだ、郵便局で、生涯学習科の職員と出会った。彼は、小学校の英語教員が来たので、手続きをしているのだと言う。これで二人になるのだと。名はバージニアだと。僕は、彼女がまさかここニいるとは思わなかったので、バージンだなと冗談を言った。ところがいたのである。彼女は、ほとんど東洋系のようすだったので、気がつかなかったわけだ。
七月二十五日の日記に、米原万理の発言として書きとめておいたのを思い出した。
いわく、早期英語教育はよくない。混乱してどっちつかずになる。母語への感覚の練磨が最肝要である。母語への感覚が浅ければ、習得外国語もその域を越えられないと。同感だが。

ずっと保養地が頭に上ってきていやな気分がつづく。にがい。こんなごたごた世界は逃げ出したいが、仕事なので、そんなわけにいかない。一昨日、東京の友人から電話があって、保養地保養地と、大坪さん、このごろどうかしているんじゃないですかと。いやそんなことはないと返事したけれども。
やっぱり腰をグッとおろして、あそこと町の将来を見すえてねばらなくてはな。


9月3日 月曜日 『仮面の国』  

今日も寝て休む。三十分と起きておれない。起きている間、活字をぺらぺら見るだけ。
夕方、ファックスのリボンを買いに行く。帰ってから取りかえる。試運転中、用紙が詰まってしまう。機械の中をはぐって、詰まった紙を慎重に取り出す。成功。だが、まだ、このファックス兼用機のいちばんいい使い方がわからない。

夕食の後、また寝てしまう。九月には、だいたいこうなる。九時ごろ起きて出て本屋へ行く。柳美里の本を探しに。昨日の『私語辞典』が面白かったので。文はざらざらしているが、社会と自分をまともに、決意としてぶつからさせている。平凡凡庸ではない。こっちに挑戦してくる文なので、受けとめるのに馬力がいる。
何冊かあったが、『仮面の国』を買う。ざっと見てみる。驚く。平成九年、彼女が二十八歳のときの作品だ。これはブンガクではなくて、論争の文だ。ざっと見るに、文が下品ではない。自分の言葉で文学者として書いている。評論家の文ではない。態度でもない。作家が社会評論家ふうの文を書いているのだが、やっぱり作家の文である。自分にいちいち問うて書き進めている。拠って立つところは、「常識」である。これが、高校を中退した人の文なのだ。育ちからして、社会派になるべくしてなっている。『仮面の国』につきあいながら、自分の先入見について反省。だが二十八歳の才気とエネルギーに、ついていくのに精いっぱいだ。

自分を現実のまっただなかへ、ほとんど無防備に飛びこまさせ、切れ切れにさせているという点で、車谷と同じ姿勢だ。車谷は収束と救いと癒しを求めてきたのに、彼女には、いまはそれがないように見える。ただ自分を、勇気を持ってゲンジツへぶち込んでいる。この本は、全体に男まさりだ。知が前面に出ていて、女性としての生地など、ないかのようである。彼女の知力体力気力に圧倒されてしまうよ。女性によるこの種の文で、これほどの迫力と透明度は初めてじゃないかな。

日韓のよじれについて、引用しておく。素直に読んで、素直に感動したよ。
私は、韓国人が植民地支配における被害者意識だけで反日感情を煽りたてているのではなく、むしろ戦後の日韓関係によるものだと考えている。
解放後の韓国民が、敗戦して焦土と化した日本が三等国となり、自分たちが日本を見下ろすときがきたというくらいの意識を持ったとしても不思議ではない。だがそのような意識を持つ間もなく、同民族同士で血で血を洗う朝鮮戦争が勃発し、それによって日本では特需景気が起こった。国家が分断されてしまった自国に較べて、驚異的な経済成長を遂げた日本はオリンピック、万博を開催し、戦勝国アメリカに追いつかんばかりの先進国となった。三十八度線に神経を尖らせながら経済復興に一丸となっても、日本との差はいかんともし難い。戦後、またしても日本人にしてやられた、騙されたと思ったとしても、それほどおかしなことではないと思う。韓国人が抱いている民族として日本人よりも劣等ではないかという疑いと不安、それが日本への憎悪を掻き立てているのだ。
過去を水に流すチャンスはいくらもあったが、日本政府の対応の拙さと韓国の国内事情がそれを阻み続けたのだ。

9月5日 水曜日 県の建設事務所へ

朝九時、県事務所。飛騨川土砂搬出検討会へ。出席者は、上、中、下、中呂、古関の区長、下呂森区の区長、漁業組合の理事長、監事、下呂萩原の支部長、副支部長、班長。自分は現場の班長として出席。検討項目は、

1、近年の豪雨により堆積した土砂の撤去
  場所は ◎下呂町小川、小川谷合流点上流 
       ◎萩原町中呂、円通橋上下流
      ◎萩原町萩原、益田橋上流 以上の三ヵ所。

着工は今冬。できれば、三ヵ所とも同時にやりたい。しかし予算の関係で、断定できない。

2、淵等の形成及び環境への配慮について(過去にあった淵などの復元)

3、搬出土砂の有効利用

結局今日のこの会は、益田川住民会議でやってきた、「環境への配慮と沿川住民の意見を工事に反映させる」、を実行するものであった。住民会議のメンバーの者は、その辺のところが了解できていたのだが、初めての人たちは途惑ったことだろう。僕たちが、益田川住民会議で途惑ってきたように。
出された意見は、だいたい住民会議で検討されてきているものであった。目新しかったのは、古関の区長の意見で、河床が上がってきているために、谷川の流れがはけていかない、あるいは逆流してくると。これは、川のこちら側ではわからない事だった。

地区住民の意見を工事に反映したいので、このことをみんなに知らせてやってほしいと自分は言ったのだが(住民会議の世話役として)、意図が伝わったかどうか。建設事務所としては、引き続き、この検討会を開きたいとの意向を言っていたのだが、どうも、これもうまく伝わらなかったみたいだ。
しかし、実際に、新しい潮流がともかくも出発したのであった。記念すべき会であったな。

8月29日の臨時議会での僕の質問の記事について、きのう議長から電話があって、ちょっと表現に気をつけてもらえないかと。絵の寄贈のことでだ。へんなこと言ってきちゃダメですよとこっちが怒る。議会での僕の質問について思い出して書いただけだ。念のため今そこを読みなおしてみたが、なにもおかしくない。まったくわけがわからん。


9月6日 木曜日 アユ 議会広報紙 柳美里

静岡のSさんからアユについて電話。友釣専用区のことを言う。きのう、益田橋上流には六人ほど釣り人がいた。平日でもこれほどなので、土日はかなりの人になるだろうと。彼は、結局は、今年は一度も来なかった。

一日中うちにいる。泊まり客はない。体力が回復してきた感じだ。雑誌が読めた。用意していた『地方議会人』を。特集は、「読まれる議会広報紙」だ。編集委員長になっているので、気をいれて読む。取り扱っている対象が、紙面のことなので、やたらに込み入っているわけではない。広報の専門家が書いているので、分かり易い文になっている。なにしろ、議会広報紙(議会だより)の目標の第一が、広く住民に読まれること、なので。
調査では、二十代では、十人に一人二人が読むに過ぎないと。年齢が上がれば、これほどではないにしろ、たいしたことはないだろう。もっとも、中には、非常に熱心な人、お年寄りもいて、発行を待ちに待っていると。

紙上座談会には、五町村の編集関係者が参加。これらの「議会だより」は、上位入賞の常連である。編集は、かなりの程度、議員自身の手でやっている。そこに工夫が現われているのだろう。
また、どこでも、編集委員にはなりたがらなくて、だから、新人がまわされるようだ。
萩原では、新人三人と副議長だ。一般質問者の記事は、本人に書いてもらう。質問は三つでも、割り当ては一人ざっと四百字以内だ。答弁の方は、テープから、事務局長が起こす。答弁者が町長か担当課長か明記していないので読者は判断できない。割りつけと、レイアウト原案は事務局長がやる。今は、メールで印刷所に送るので早くなったが、それでも、八月発行のものは、一か月遅れだった。まず、十日ぐらいでできるようになればいいのだが。

今日はいつになく快調で、二三時間でだいたいぜんぶを読むことができた。日本の中央政治や、アメリカの政治について、読みやすく書いてくれているのでありがたい。新聞のわかりにくさ、モヤモヤはない。また雑誌のこ難しさもない。すっきりと書いてくれる。さすがに、地方議会人向けの雑誌だな。

しかし、複雑で魅力的なのは柳美里の文だな。『仮面の国』第二章をもう一度読み返してみる。理解しやすくなっている。ここのテーマは、「攻撃すべきはあの者たちの神だ」である。人を攻撃したってつまらない。その背後の神をかぎつけてやっつけるのでなければと。
すなわちアメリカが神なのだと。こいつは面白かったよ。田中角栄は神を怒らせたから、足元をすくわれたのだと。小沢一郎は、親分とは逆に、神にべったりなのだと。小沢の独立日本とは、神とともにあるものだと。戦後日本の神は天皇ではなく、アメリカだと。

いまから四年前に、彼女の本の「サイン会中止事件」があって、ジャーナリズムが騒いだ。そのことが、この本の執筆につながった。
さて、はじめ、左翼は彼女をシンパしていたのだが、だんだん去っていってしまった。かといって、右翼ではない。これが彼女の位置だ。党派として発言したのではなく、作家として発言していたら自ずからそうなっていったのである。ここだな。作家とは自分の肉体から発言する者なので、もともとが過激なのである。党派を組まないので、過激派とは呼ばれないが、その実は、どうにもならないほどの厄介な過激派で原理派なのである。作家には、駆け引きや妥協は無用だからだ。



9月7日 金曜日 水槽のアユが死んだ

朝、カミさんが、アユが死んでいると電話で喋っているのが聞こえる。相手は漁協らしい。十匹ほどが浮いていると。数日前に買い入れたもので、こっちの池に飼ってあったものが、質が悪かったのだろう。
午後、図書館へ本を返しに行ったときA議員にばったり会う。ちょっと話そうということで、彼の話を聞く。議運で、吊るし上げのようなことになったと。一対五である。これではかなわない。全協では、これほどのことにはならない。ここでは彼に理解を示す者がいる。彼が属する議運では、孤立無援ということなのだな。

A氏の話によると、ずっと彼は孤立無援のような状態の中がんばってきた。
ところが、今期になってどうやら、孤立無援ではなくなったらしい。僕の見るところ、今のところ野党は四人いるのかなと思う。これなら孤立無援ではないだろう。事実として、臨時議会では、僕は、偶然に彼と同じ趣旨の質疑をしていた。面白いものだ。絵の寄贈について、僕は感想を率直に質したわけである。彼も同じ趣旨のことを質していたのだ。

柳美里には、感心する。そのエネルギーと論旨の鋭さに圧倒される感じだ。三十に近い独身女性。学歴は高校中退。だが、まったく関係がない。むしろ、学校へ行かなかったぶん、独自の鋭さ深さに満ち満ちている。安易に言葉から考えるのではなく、自分の肉体で考え、言葉を紡ぎ出している。日本の「欺瞞」について、足元から追及している。日本のウソ。なぜウソの国になってしまったのかを。
それを、神としての「アメリカ」、そして「憲法」と「安保」をキーワードに論を展開している。政治論なのだが、ブンガクの上に立った、立派な政治論となっている。文が煮詰まっているので、速く読んでいけない。作者の挑戦を受けとめるだけで、精いっぱいだな。



9月8日 土曜日 システム疲労(仮面、欺瞞、戦後民主主義、平和、正義、人権、愛国、憲法、安保、薬害エイズ、オウム真理教、官僚腐敗、援助交際、少年犯罪、児童虐待などなど)  県会議員 戸をガラリ


『仮面の国』は(初版は平成十年の春)、初老にはインパクトが強くてなかなか読み進めない。ちょっと読んではごろんとしてしまう。いつものように、まんなかを飛ばして初めからの三章と、最後の章をなんとか読みきることができた。すこし長くなるが、終章の最後の部分を引用する。

私はこの国のシステム疲労が、政治・経済・学校・家庭を腐敗させ、汚職、少年犯罪、児童虐待などを生み出しているのではないかと考えている。この国のシステムは憲法と日米安全保障条約という二つの神の呪縛によって、様々な矛盾と欺瞞を抱えこまざるを得なくなり、欺瞞を隠すために戦後民主主義、平和、正義、人権、愛国などの仮面を被ってしまったのである。閉ざされ、密室化した仮面の内側で論理は歪み、システムは疲弊し切るまで放置されてきた。仮面を支えてきたのは金である。そしてバブルが崩壊してタガが緩んだ途端に仮面ははずれ、出てきたのは薬害エイズ、オウム真理教、官僚腐敗、援助交際、少年犯罪などの醜悪な顔の数々、今、私たちは深刻なシステム疲労に直面しているのだ。

割れてしまった仮面を拾い集めて以前のように被ることは不可能だ。絶望的に困難だが、システムを再構築し、共同体を再生させる、それより他に道はない。そのためにはまず、ジャーナリズムと教育と家庭が論理と言葉を再生させることに全力を注ぎ、一歩を踏み出さなければならない。

私はこの連載がはじまったばかりのころ、「国家は幻想に過ぎない」と書いたが、もしかしたら結論を急ぎ過ぎたのかもしれない。国家は幻想であったとしても、持たざるを得ない幻想もあるのだろう。そして私は、国家とは自分が使っている言葉を母国語としている国のことである、という考えを無視出来ないでいる。最後に言える確かなことは、私はデラシネ、故国喪失者だということだけだ。それでもなお、ひとりの作家としてこの国の問題に深く係わっていくつもりでいる。
一年間――、読者に感謝したい。

県会議員にメールを出しておいたら返事がきた。予想していた通りだが、やっぱりびっくりする。テーマが懸案のものだからである。八月二十八日にアップしている私案についてだ。あちら立てればこちら立たずでむずかしいことはわかるが、はじめからおわりまでそれ一本ではおかしい。これでは、政治とは、なにも言わないことなのだな、ということになってしまう。取りようによっては、なにも言うことがないのだなということになってしまう。
僕のところへ同じようなメールが来たとして、やっぱり同じような、REを送ることになるのだろうかな。

さっき、ガラリと僕のいる部屋の戸を開けると、「大失業時代だと」、と言って『サンデー毎日』をポンと放り投げてきた。ランボウな。このヤロウと思ったが、ぐっと黙った。我が家は大不況で、二人しかいない。そのもうひとりがやった。えらそうなこと言ったって、これではニンゲン失格だよ。ばかものめが。得意の底意かよな。
こっちは不況におびえてびくびくしている。そこへぽんとやられては、びくびくと腹立ちが入り混じって心の臓がますますどきどきする。明日のマネーの心配には勝てないよ。結局はひたすらクライよ。

その者が、またがらりと戸を開けてきて、〇〇さんとこは、シントウでキョウサントウは嫌いなんだけれども、今回ばかりはそんなこと言っておれない、とショメイしたのだと、勢い込んで喋ってつかつかと去った。

9月10日 月曜日 合併 町有地売却 ジャパンセンター建設補助 財政勉強による脳汁枯渇

今日は僕などにはものすごい一日であったなあ。九時から五時までぎっしり頭を絞った。絞られた。特に最後の、船坂主任主査に絞られた。財政勉強。脳汁があるかないかまで絞られてフラフラだったよ。こっちも必死でなんとか理解しようと彼についていったけれどもダメだった。とうてい理解できるようなシロモノではなかった。けれども彼らのキマジメさといったものが伝わってきて、こっちもなんとか解かろうと絞ったがダメだった。彼には申し訳なかった。でも、町財政全体がなんとなく解かってきたよ。政府も国民も苦渋のなかにいるのだから、よほど緊張して事にあたっていかなければということは伝わってきた。

台風接近で朝から小雨。九時全協室に集合。合併問題調査研究特別委員会。すごく高尚な命名だ。まず町長挨拶。はじめてだ。彼が、ひとりプレイはいけませんよという意味の事を言った。郡内の各役場に飛びこんだ僕に向かって言っているんじゃないかと思って、ギョッとしたよ。シンゾウがセンサイですぐビクつくタチなので。

合併について、管理課長がパソコンのスライド画面で説明。パソコンはたいしたものだ。やっぱり神のごときものだな。彼は、めずらしくうっかり間違いを二つやったが、あがっていたのだろうかな、まさか。これを持って町長とともに、これから十日間ほど町内を巡回して説明していくわけだが、すでに緊張してしまったのだろうかな。町は、とにもかくにも、まずはゴーで出発。事々はそれからだ。いちばんの説得事項は、政府財政の逼迫だ。政府発のある種のオドシだ。

終って引き続き、総務文教常任委員会
1、萩原町情報公開条例他 経営管理化関連条例制定案について
1、経営管理化関連補正予算案について
1、大ケ洞町有地の売却について
1、西フロリダ大学ジャパンセンター建設補助について
1、萩原町税条例の一部改正案について
1、町民課関連補正予算案について
1、その他

萩原町情報公開条例。萩原町個人情報保護条例。それぞれの制定。これらは、いままでまったくなかったものだそうだ。きっちり条文化されてしまうと大変だろうな。アバウトでは行かなくなるので。
桂川課長補佐が説明。よく吟味してあった。法律であるけれども、聞く者の耳に感じいいようにとする彼の感覚が伝わってきた。一時間ほどの説明のあと昼食休憩。質問は午後から。

昼食後月光堂へ行き文書を渡す。今日の益田川住民会議は延期だと、建設事務所から連絡があったと彼が言う。
一時再開。質疑が終わると、大ケ洞公民館前の町有地の売却の件。四区画で、個人住宅用土地。公募参加者による競争入札。説明会は十一月にある。

次に、西フロリダ大学ジャパンセンター建設補助について。五百万円。茶室を建てる。その大学のある、萩原町の友好市、ペンサコーラが半分の五百万円を負担する。建設費合計一千万円。過去の経緯はよくわからないがとりあえず了解。なんでも、あちらのジャパンセンター全体で、一億円を予定しているそうだ。
合併市になった場合、小坂、金山、下呂、それぞれが姉妹都市を持っているので、調整が必要になろう。

萩原町税条例の一部改正案について。これは、町民所得が予算より少なくなったので、所得割額が少なくなった。それにともない、歳入額を少なくする。そういう補正。ただし、今、どうも、そのあたりの事情の数字の意味を忘れてしまったので、課長にききにいこうかと思っている。

そして最後が、財政勉強。椅子に体を維持するのに必死だ。ところが、もう十分で終わるというころ、急に体が軽くなり脳のあたりが妙に気持ちよくなったよ。

9月11日 火曜日 加藤正夫医師と会う。

一時半に約束してあったので下呂病院へ行く。加藤正夫元院長と面会する。おかしかったのは、ここの事務局長と面会したときと同じに、なかなか名刺が見つからない。お二人とも、あちこち引き出しを探して見つけることになった。
退職されて現在、下呂病院へは、週一度火曜日に来られる。すぐ用件にはいって、彼はどんどん喋る。聞く。出発とその後のいきさつ。

そのだいたいを書く。微妙なこと、表現もあったが、ざっと振りかえって入力してみる。
平成が始まったころ、下呂の矢沢町長、萩原の今井町長。金山、河尻町長、馬瀬、大屋村長。そのころからだ。下呂病院に東西ヘルスドック(東洋医学と西洋医学の融合)を置き、周辺町村が、その静養地、保養地をになう(ここにその治療法のひとつとして温泉が登場する)。次に、梶原知事が、これを大規模なものに構想した。そこから四美の地が現われてきた。しかも、病院もそこへ移る、あるいはそこに新設するという構想になっていった。このあたりで、加藤医師と知事との間が、考えの違いからきしむようになり、また、下呂と萩原との間もまずくなっていった。さらに不況が重なって、計画が進まなくなった。加藤医師からすれば、もっと早くに出来ているはずのものであった。高山に新設の大規模文化センターは、ここの予算がいったものであろう、と彼は言った。

しかし、今も、相補・代替医療として、県と知事においては、構想は続いてる。ただし知事の四美構想は後退してしまっているが、来年、学習センターはできる。それ以上の構想は、県のほうからはこちらに、今のところは聞こえてこないが。
下呂病院の方は、平成十九年ごろに着工の運びになっている。温泉利用の東西ヘルスドック、相補代替医療は重要なその目玉である。

合併を控えて大切なことは、いま再び、五町村がテーブルを囲むことだろう。保養地の推進会議はずっと持たれてきているが、別に独自のテーブルを作り上げていかなければな。下呂と萩原の間が、以上のいきさつによってコミュニケーション不足になっているようなので。

帰ってから、地域振興課安田氏に電話しておおよその内容を伝え、念を押す。現在は、相補代替医療をベースに構想が進んでいる。これまでの、自分が得た情報について、九月定例会で開示する予定であると伝える。

9月12日 水曜日 台風 カミカゼ 鬱 アユ

おどろいたのなんの(非常に驚いた、という意味の萩原弁)。きのう夜十時、台風の模様を知るためにNHKにチャンネルを合わせた。番組が始まった途端に、いつものアナウンサー氏が、火曜日、水曜日 ? とトチッたのである。これは、おかしな場面だ。ニュースのアナ氏が曜日を一瞬忘れるとはな。そして、高層ビルに飛行機が突っ込んで壁が裂けている場面が出た。CNNからのものだ。こっちもなんだろうと思うし、彼もなんだろうとちょっと興奮している。やがて、横から飛行機が飛んできてビルにぶつかったようなのだ。真っ赤な炎が上がった。

これが始まりで、今日に至っている。台風と大水については、以後写さない。僕は台風が気になる。だが写さない。大丈夫なのだなと判断するほかない。スタッフたちはこれを写すべく予定していたのでがっかりだったかもしれないな。

事は、意外な展開となっていった。だが、同じ場面を繰り返し見ていると、だんだんいやになってきた。不快になってきた。気分がウツになってきた。あんまり生きていたくなくなってきた。そういうときは、起きあがって、水を飲んだりしてみる。ウツを直すために。

場面のうちでいやなのは、すぐチャンネルを切りかえるのは、ブッシュが出てきた時だ。どうも、この男はそらぞらしくていけない。もともとその程度の男なのじゃないのかな。

飛行機の突入場面では神風特攻隊を思い出す。これとあれとは、同じような状況なのだろう。もう他に選択の道がないと。

鮎かけのお客が泊まりに来た。これで今年の最後。めずらしくも、明日もうひとりがくると電話があった。意外だな。本人たちも意外を楽しんでいるのだろう。だが、あとはヒマ。客の予定なしだ。心細い。傷みをこらえようなどとカッコウいいことは言っておれない。マネーがなくてはすべてがはじまらないじゃないか。カミさんが、あんた、あんたは人当たりを丸くしないから日干しになるんや、と攻める。攻められても、ナニオッと返す言葉がない。心細い。するとへんな空想をする。突入場面がダブル。

飛行機が突っ込む場面は映画を見ているよう。ぶつかりそのものに気持ちを奪われてしまう。その他の事々には現実感をなくしてしまっている。だが、乗客の関係者には、ゲンジツそのものだ。僕の家族があれに乗っていたら、あの場面は苦しくて見ておれないだろう。むろん、画面の見物者でおれるはずがない。

9月13日 木曜日 町民アンケート

数日前、署名中間報告とアンケートのお願い なる新聞折り込みがあり、これには、料金受取人払のアンケートハガキがついていた。
署名者数について(8月19日に、呼びかけ人によって、「温泉施設建設の凍結を求める請願書」へのご協力お願い、として新聞に折り込まれていた)、中間報告では、9月10日現在で、1133名であると。

このアンケートの冒頭にある、粥川妙子氏(四美の温泉施設計画を見直す会 代表)よる文を写してみる。

県と萩原町が中心となって進めてきた南飛騨健康保養地も、いよいよ町立の施設の実施段階に来ているようです。内容は他3地区(金山、馬瀬、小坂)のような「温泉施設」のようです。町はすでに「保養地関連事業費」として、約数億円を投入し、これから土地と温泉施設に十五億円位かける計画が進んでいるようです。
私たちは区長さんや議員さんから「保養地の将来像」や「町民利用」の具体的な話は何も聞いたことがありません。他3地区では「温泉施設赤字」・・毎年、数百万〜数千万の町税持ち出しで「お荷物」がささやかれています。萩原町の財政がきびしいと言われている時、「温泉施設計画」をこのまま続行してよいものか疑問です。

(1) 町民と次世代の子供達に本当に役立つ公共施設なのか

(2) 事業として成り立ち、税金の無駄遣いにならないのか

(3) 町民の多数が賛同しているのか

以上町民にも詳細計画を知らせていただき、議会でも「しっかり議論」していただきたく「ひとまず凍結」の署名行動を進めています。

カミさんは凍結し民意を確かめてから進める方の部の3ヶ所に〇をうっている。(現在の露天風呂程度の施設でよい。)と(作っても赤字の出そうな施設は止めて欲しい。)と(福祉施設にして欲しい)、以上の三つ。 
僕がうつなら、(現在の露天風呂程度の施設でよい。)と、(ひとまず凍結を)だな。


9月14日 金曜日 カミカゼ パールハーバー ヒロシマナガサキ ホウフク

夜中、屋根にドオーッと水が落ちてきて目を覚ます。夕方にも同じ事があった。落ちてきたのは雨だ。テロを思い出させる。
飛行機突っ込み以来、不安定だ。不安だ。雨ではなく、水が我らをたたきつぶしてくる感じだ。連想によっては、不景気恐慌経済世界終末。ひとりの男の空想妄想で終わらなくて、実際とダブルので気持ちが悪い。

繰り返し思い出すのは、カミカゼ特攻だ。アメリカじゃ、パールハーバーを、ラジオでもテレビでも叫んでいるようす。ラジオでは、アナウンサーが、イチロウのホームランのとき以上に、パールハーバーを絶叫していたようだ。
今日になって脳中に出てくるのは、原子爆弾。原爆。ヒロシマとナガサキ。
四十六年前、あれと比べて、けたはずれの数の人間が、家々が殺戮破壊された。
あの時、攻撃者はみな安全に帰還したけれども、
こんどは、必殺と必死だ。しかも、死出の旅に、何も知らない人々を道づれに。

アメリカじゃ、本土で敵から、あのように殺戮破壊された経験は初めてだろう。
ヒロシマ、ナガサキ、を思い出すがいい
日本の街々の空爆を、ベトナムの町々の破壊を。
いつの日かの人間原爆突入を。

パレスチナでは、四十数年前のある日、どけと言われて、
一方的にどかされた。怒る。恨む。しかし、力がない。
いま力をためて、あれをやった。
力まかせはもう古いが、アメリカは止められない止まらない。
アメリカの民よ、静かに思え、パレスチナを、ベトナムを、ヒロシマ、ナガサキを。
ホウフクの空虚を。

9月15日 土曜日 ノウキョウ おばあさん二題

めずらしくも三日続けて夜中に風呂にはいった。暑いので、薄着を楽しんでうとうとしていたら、風邪をひいてしまった。一日中だるい。体と自分がしっくりしない。ばらばらの感じだ。
きのう今日と激しい夕立。ヤナでは、アユが落ちたという話だ。五百ぐらいか。

夕方買い物をしにノウキョウへ。帰り、カウンターで品物を袋に入れていたら、近所のおばあさんが、僕に愛想を振って、買い物袋を車に乗せていってくれと頼む。外は雨になっている。承知して、おばあさんのうちの玄関に置いた。ちょっとびっくりしたのは、僕にニコニコして用を頼んできたことだ。こんなことはまずないことだったな。僕はいつも不機嫌な顔をしているので、みんな近寄らない。なのに、彼女は、かまわず話しかけてきた。それが、珍しくて驚きなのだ。
さらに、僕は買い物のときは、なるべく顔をあげないで下ばかりを向くようにしている。不機嫌に突っ張った顔をしている。近づきたくない顔つき。
さて、後で、彼女は、お礼だと言ってちょっとした菓子袋を二つ置いていった。これが年配者の慣習だ。

カミさんが言うには、どうも誰それとかの年配者が町政のことをよく喋るようになっていると。町政お喋りに熱中し楽しんでいる人が目立ってきたと。ケッコウなことじゃないか。
近所のおばあさんで、例の署名集めにこのあたりを訪れて歩きまわって、百人ほども集めたという話だ。彼女はごく普通のおばあさんである。その人が、熱心に歩きまわっている。まったく予想外。

9月16日 日曜日 あきわ様 脳中がクライ

朝、八時半、秋葉様。秋葉神社。火のカミサマ。二十五・二十六組が当番なのでホウキを持って出かける。体がふらつく。熱っぽい。自分が体の主なのかどうかハッキリしない感じだ。神主の祝詞が、今日は、さわやかな風のなか、抵抗なしに耳を通りすぎて行く。
真冬の神事の場合は、吹雪くときなど耐え難い。
帰ってからゴロリ横になる。そのまま、起き上がれなくなる。置き上がってパソコンに向かおうとしてみるがダメだ。座っておれない。気持ちが焦る。すると、例の、飛行機突入の場面が脳裏から離れなくなる。乗客を乗せた飛行機だ。

アメリカの政府すじが、戦争をしかけると宣言している場面に、脳中切りかわる。非常に不快な気分になる。戦争を当然としている。アメリカ、イスラエル、パレスチナ、イスラム、のねじれが、殺し合いの原因になっているとする考慮がどこにも見られない。狂気だ。狂気に気づかないのも狂気だ。クライ。世界、日本クライ。我が家の明日も。自分も。脳中が暗くて満杯だ。
なんとか明るい空想に切り替えようとしてみるがダメだ。だがカミさんは、町政をしゃべりまくる。同じ人間でもこうも違うものか。

自分を明るい空想に引っ張っていけるものは、手元にある本のなかの友人しかないのかな。だが、それでも、カミさんの一方的な政治発言は元気がよくて、湿っぽくないのでラクはラクだが。なあに、体調さえ戻れば、こっちにだって、強気は残っているんだが。

さっき予定では、白洲正子、柳美里、車谷長吉について、とうとうと喋るつもりだったが、どこへやらへ行ってしまった。結論を言うと、車谷が、いちばんに、つまり源氏以来の女系日本文化を体現しているのに対して、白洲と柳は、国籍不明の、まあ鬼子だな。明治維新以来の日本がどうなっているかを見るには、白洲と柳は、その典型だ。その特色は、感覚のざらつきだ。砂混じりの葛藤だ。男のざらつきには驚かないが、女のそれは、日本文化の根幹に関わっている。しかも、彼女たちの男っぽい感覚のほうが迫力がある。真実味がある。二十年後、僕はもういないが、戦闘家で戦闘機の柳がどんな文化を表現しているのか、見たいよ。


9月18日 火曜日 地方議会活動の倫理問題に関する協議会 四美区からの請願書  ◎十六銀行あとの集い

きのう定例議会が始まった。四時まで。疲労困憊。途中胸が苦しくなってきたので、カミさんに電話してクスリを役場まで届けてもらう。この日は朝から体調が悪かった。
決算と補正予算の説明があった。

二時から、「地方議会活動の倫理問題に関する協議会」。これは全員協議会。
そのあと、「南飛騨国際健康保養地特別委員会」。ここでは、四見地区からの請願書の議会提出にあたって、推薦議員としての今井辰夫議員が出した当特別委員長の辞表、についての協議。受理。

倫理問題の方は、桂川嘉春議員熊崎史郎議員についてのものだ。
まず前者。彼が粥川さんたち町温泉施設建設に反対する請願書について、下書きをしたことが問題になった。彼は、その後、この署名運動がある方向に進むようすになったので、手を引いたと。僕には、なぜ下書きが問題になるのかわからない。嘉春議員は、町温泉施設については、議会で凍結を主張していたので、依頼者を拒否すれば、逆に町民を不信にさせる。依頼を承諾したのこそ成り行きとしてあたりまえなのであると。
彼は総文教委員長の辞職を求められた。いろいろやりとりしていたが、僕には議論の成り行きがよくわからなかった。てっきり辞職するのではと思ってしまっていたが、そうではないらしい。辞職するのではなく、させるとなると大きな問題になると。それはそうだろうな。とにかく、彼の過去の議会活動の経緯がわからないので、理解しにくい話の流れだった。

次は熊崎史郎議員について。この会に先立って、議長と副議長が彼を別室に呼んで、次のことについてきいた。小坂での議員研修について、なぜ欠席し、夕方の下水道の説明会に出たのかと。次は、富山県での研修旅行についてなぜ欠席し、その日、小坂馬瀬下呂の役場へ行ったのかと。この時、副議長が、冷房だと思って暖房にスイッチを入れたので、強烈な熱風が彼に吹きつけてまいった。副議長は、なんとか切ろうとするが切れない。熱風がモロに体側にあたる。こんなことは、三人で話してもしようがない。全員でやってくれと言う。

全員協議会。史郎議員は次のように言った。体の調子が悪く弱くて、彼自身が歯がゆい思いをしている。無理すると後々が悪いことがわかっているので、自重してしまうのだと。小坂での議員研修は非常に暑い日が続いている中のことなので、そこでのグランドゴルフ出場には堪えられない。事務局長に連絡して欠席した。夕方、三区の下水道説明会は近くの諏訪集会所であったので出席した。
次は、富山県城端町温泉への研修旅行。これも同じく、体のせいだ。バス旅行は酔いがひどくて持たないのだ。以上のことは、普通の体力のある人には理解できがたいことだろうが、当人自身事実として情けないのであると。代わりに、よし頑張ってやろうと決して、小坂馬瀬下呂役場への飛びこみ決行となった。新人の町議ですがと頭を低くして行き、保養地と合併について感触を得ようとしてみた。次の日は、金山下呂へ行った。この結果によって、八月二十八日の政策提言書となって結実した。

次に、八月二九日の臨時議会での自分の質問内容(絵の寄贈のこと)について、ホームページ記載のこと。議長の他二人の議員が喋った。一人の議員の発言には、こっちも腹がたった。怒れた。議会での自分の質問内容について率直に書いたものであり、裏も表もないのだ。こんなことに文句をつけるとは何事だと怒らないですまされるか。これが情報の開示なのだ。


9月20日 木曜日 総務文教常任委員会 倫理の続き

今は9月定例会会期中である。総文教所管課の平成十二年度決算認定案について審議する。

経営管理課       9:00〜10:30
町民課         10:30〜12:00
健康福祉課      13:00〜14:30
保育課・生涯学習課 14:30〜16:00
その他         16:00〜

経営管理課と町民課は、抜き差しならぬ生活の本場だ。対して、健康福祉課と保育課・生涯学習課は病者弱者児童生徒などを扱う。後者の方が自分には合うよ。審議もおだやかになる。

さて、今日のハイライトは番外編だ。それまで頭をしぼられてまいっているところへ、ややこしい人事の審議。これは、上記とは別世界だった。何かというと、十七日の倫理問題の続きだ。
四時、さて帰ろうと準備をしかかると、議長が、嘉春委員長のことを総文教で審議してくれと。ええ? きのう僕がこのことを総文教で検討したいと言うと、そんなことはやらんでもええと、大きな声を出す議員がいて、そのままになってしまったんですよ。それで終わりじゃないんですか。と僕は主張した。
釈然としないが、承諾して総文教を開くことにした。僕は副委員長なので、嘉春委員長に代わって席についた。さてそれからだ、延々二時間ほどにわたって侃侃諤諤だ。まあまあものすごいエネルギーだ。男は、こういうことが好きなんだろうな。倦まずにやり続けた。僕は、司会進行なので、まず成り行きを見るほかない。十七日同様話の内容がよくわからない。みなさん複雑な頭を持っている。ついて行けない。どうやら、前期以前のことが彼らの話の裏側にあるらしい。それで、新人である僕にはわからないのではと思ったよ。
どうしても辞任を主張するなら、本会議でやってくれと彼は強く言う。がんばりにがんばる。凄いエネルギーだ。

時間がたつので、とにかく結論をつけなくてはならない。はてどうしたもんだろう。みんなは、結論を出せとは言ってこない。ともかく本人の意思を聞いてからだ。やるのかやめるのかと。するとやめないとはっきり言った。この委員会の場で、やめないとはっきり言った。どうやらこの一言が重要であったらしい。僕はそのあたりがわからないので、じゃ、やめよと言うわけですね。いやいやそんな事は言えないと議長が言う。このあたりで小便がしたくなって中座する。もどって再開。やめよとは言えない。自分でやめると言うしかない。念を押すと、やめないと彼は言う。それなら、委員会は了解したという。つまり、辞職についてはもう審議しないと。どうもあっけない。不思議な世界だ。まことにまことに。僕は、ぼんやりとわからないまま、散会を言った。

9月21日 金曜日 共同体の崩壊 倫理問題(三) 辞任か否か

朝、いつもより十分早く、八時四十分に家を出て役場へ向かう。二十六日の一般質問の、順番クジをするためだ。七番だ。この日、北から来る議員三人が遅れてきた。ポリス前で大型どうしの衝突があったため。

全員協議会。今日は議会室で行なわれた。机の配置をかえて。はじめが総務文教委員会関係、あとのが、産業建設委員会関係。
総務文教委員会関係で二つ質問した。ひとつは、公共工事の減少に伴なう、失業について。もうひとつは、共同体の崩壊傾向について。共同体の質問は、あまりないことだったろう、また漠然とした課題に見えるが、非常に重要なのだ。町長を指名したのだが、彼は、よく答えてくれた。この質問には明確な解答などありえない。大切は、問題意識をしっかり持っているかどうかだ。その点で、町長の答えにはまず満足した。彼も問題意識、危機意識を日ごろ抱いているのだとわかって。
あとで管理課長が僕の机の前に来て、この事については、町の五次総合計画において、区長さんなどによって研究されているのだと。いづれその文書を見てみることにした。

共同体の崩壊傾向は、ながく立ち直れない景気において、露呈している。日本中の課題だ。
産建関係では、アジメについて聞くつもりだったが、長い質問が続いて、時間が回って来なかった。あとで、もっと質問時間を短くすませてくれと不平を言う議員があったが、当然だな。

午後から、全協。倫理問題の続きだ。総文教副委員長として最初に次のように報告した。辞任しないと彼が言ったので委員会としては了承したと。ところが、これは違うと。どうもいやはや僕には解らないことが続く。彼は、当委員会がどう決めようとも、自分は辞任しない、と言ったのだと。どうもそうだったのだ。そこで、やめるやめないの続き。僕は、次のように言った。僕の意見は単純で、彼が持論の、保養地見なおし凍結に従って、署名請願要求者に下書きをしてやった。なにも辞任にはあたらないと。彼を明確に応援した者は、僕ともうひとりだけだったようだな。

やがて事務局長が次のように言った。問い合わせたりして調べてみると、委員長などの職務を辞めさせることはできないのだと。つまり、自発によって辞職する場合に成り立つのだと。
さらにまた彼は攻められて、月曜日に解答するから待ってくれと言った。これを了承して散会した。

これを終わって総務文教委員会の者が集まった。その席で嘉春委員長は、数日後に決める、とあらためて言った。次のように僕は言った、自分は副委員長として、委員長を信認しているのでやめないでほしいと。もしやめることになれば、僕もそのとき、副委員長としての進退を決めると。

夕方、委員長が訪ねてきた。どうにも気持ちが収まらないのでと。僕は感想として、委員長は理詰め過ぎると思うと。また副議長の辞任を主張するのは、よくないと思うと。僕は、この人のストレート傾向がなかなかいいと思っているんだが。はてさてむずかしいものだ。

9月22日 土曜日 萩小 尾崎小  運動会

朝は寒くて、上っ張りを着て小学校へ出かける。駐車場から道路からぎっしり満杯で、結局はうちへ戻る。歩いて出かける。暑くて上着はぬいで。見物が昔のようにたくさんいたので安心する。だが、子供たちが上品なようすで、馬力は大丈夫かな。先生がコドモっぽい感じ。また全体にお遊戯をやっている感じだ。親たちが、僕らとは二十も違っており、別の世界の者たちのようだ。二十年ぶりの小学校だ。

僕らが小学生のころは、先生たちは帝国日本の出身だ。コドモっぽくはないはずだ。いかつかったろう。こわもてだったろう。
来賓席へ行くと、女性校長先生がいて挨拶した。議員は四人いた。僕の関心は、子供たちよりも、見物の大人や先生たちだな。僕の前で、女性の先生が、女生徒に、これこれしなきゃいけない、とはっきり強く注意していたので安心したよ。

いったんうちへ戻り、ご飯を食べて、横になって休む。部屋の中は寒い。寝過ごしたので、あわてて尾崎小学校へ出かける。ここもものすごい車だ。全体に活気があるようすだ。生徒の体格もいい。親たちがリレー競争をやって走っていた。運動会らしい。必死に走るようすだ。来賓席には地元議員がひとりいた。ここの校長さんは、山の口のお寺の住職も兼ねておると紹介された。

四十前後の役場職員の何人かが目について、なんだかひどく懐かしかった。不思議だな。ひどく懐かしい気持ちになるのはなぜだろうな。

9月23日 日曜日 宮田小学校 運動会 バージニア先生 桂川嘉春氏 長尾伴文氏

きのうと同じで朝は寒い。午後から暖かくなる。
宮田小学校では、尾崎小とは運動場などの大きさは同じだが、生徒数は半分の七十人くらいか。活気があった。生徒が少ないぶんひとりひとりの役がハッキリしているためだろうかな。
午後の部の開始は、応援合戦からだ。びっくりしたのは、ハチマンサマニガンカケテーと歌ったことだ。この応援歌は、益校萩原分団のものだったのだ。いつのころか、誰かがここの小学生に応援歌として教えたものだろう。

席にバージニア先生(九月二日の日記に書いている)がいたので、写す。彼女は、九月から小学校の英語教師として来た。
漁協の青木理事夫婦と会う。退院してなによりだ。
途中思い出して、三時近くだったが、嘉春議員のうちへ寄ってみる。JRガード下をくぐってはいっていく。せまくて危ない。線路の向こうへ出たわけだが、うろうろと探す。ちょうど作業に出かける彼と出会う。うちへはいってしばらく話す。国道をはなれているので、静かだ。まわりは田舎の景色だ。
理詰めの原理原則派だという話になって、こんどは、彼は笑った。余裕ができてきたのだろう。地かもしれないが、カラッと明るくなっていたよ。

約束どおり四時に、『跳ね上がれ川漁』の長尾伴文氏が店に来る。山下超名人(福太郎)の取材で。ちょうど、大石翁(石丸庄太郎氏)が来たので三人で話す。

夕食後ゴロリ寝てしまう。
長尾氏は、僕をひとめ見て、若いですねと感心した。ホームページも。ところがドッコイだ、体の中味はぐたぐたで情けない。運動会を午後見学してから、人との面会を二つしただけじゃないか。次の日まで持ち越して、間違いなく朝からぼんやりしている。集中力が抜けて本も読めない。これを書くのが必死だよ、まったく、なさけない。

9月25日 火曜日 委員長倫理問題(4)  南飛騨保養地構想について県からの返事

朝事務局長から電話があり、午後一時に総文教集合。委員長の辞表提出について。
午前、建設事務所へ行き、益田川住民会議の資料を作ってもらう。区長さんなど傍聴者に読んでもらうためだ。終わってから役場、議会事務局へ寄る。無理だとは思ったが、資料提出について打診してみる。議会外なら、議長監督外だということなので、何らかの方法で傍聴者に渡したい。場合によっては郵送でもよい。

保養地について、僕の政策提言に対する県からの解答は、かなり方向などが明らかになっているので、皆さんに読んでいただきたいものだ。それで、これを今パソコンに写し終わったところだ。二三時間もかかった。情けない。しかも、すぐ疲れてゴロリだ。ゴロリゴロリを合わせると、四時間ほどもかかった。さらに、カミさんから、あんたはこのごろ返事がトロクサイと罵倒されて、自信がなくなる。かく老いていくんだな。

副委員長の僕が委員長席に座って、司会進行する。委員長が退席してから、辞表の封筒の封を切る。音読する。審議に移る。やっぱり、辞表を求める者たちの意見は、僕には理解不能だ。何を言っているのかわからない。とにかくやめさせたいということなんだな。そう理解すれば、意味不明瞭な言葉も納得がいく。
一人の議員が、請願書の下書きをしたことが辞任の理由なら今後同様なことにおいて都合が悪いと言った。僕は、いつも言う通り、委員長は町が担当する温泉施設は推進しない、が持論だったので、それに忠実な政治行動なので、何ら問題ない、と言った。

委員長は、民主主義の原理にそって自分は意見を言い、行動するのだ、と言っていたのを、ぼくはなんと大げさな、キザな、と思っていたのだが、ここへ来て、これはまともの話だと判ってきた。大げさではない。

委員長辞任を委員会として認めたあと、新委員長を選んだ。その時点で、僕は副委員長を辞めますと言ったら、そんなことをしたら、またごちゃごちゃしてよくないので、それは思いとどまってくれという意味のことを言われた。この意見は、少数ではないようだったし、前委員長もやめないほうがいいと身振りしたので、副委員長は続けることにした。
ここで、いちおう一件落着なのだが、どういうことになるかな。

9月26日 水 
定例議会  景観から見たふるさとづくり

定例会最終日。区長会として区長さんたちが弁当持ちで傍聴席に。前会に多かった女性傍聴者は、こんどはひとりか二人だ。一般質問者は、十一名。多い。僕はいいかげんな頭でやってみたが、やっぱりだめだった。話の流れだけは、きちんと作っておかなくてはいけないな。

義治議員が、四美区から出された請願書の中の、「心ない一部のグループの策略により、決してこの計画推進が停滞してはいけないと思います」の表現に対して、不穏当であるとしてたしなめたのはよかった。彼の議員としての行動が、常識を土台にしていることからしてなるほどと理解できるようになった。つまりは、常識からしてどうかと思える事がままあったということなのだろう。
茂則議員が、町村合併と保養地の地区説明会における、町長の態度を次のように批判していたのは印象に深い。「健康保養地の説明には正しく伝えようとする誠意が感じられない。前回の定例議会で(町民の理解を得る努力をすべき)との質問にも、明確な答弁が得られなかった。執行部は、真摯な態度で町民の声を聞く努力をすべきではないか」と。

吾郷議員が次のように演説した。保養地整備課長が粥川さんのところへ来て、これは町長からの指示だがとして、アンケートをやめるようにと彼女に言ったと。これにはギョッとしたよ。むろん課長は言下に否定した。だが内実はそうだったのだろう。

総じて、執行部批判の論陣は論旨が明快で興味を引く。昔の社会党と違って、批判は地についているので迫力がある。
夜、久司君と下呂町民会館へ行き、講演を聴く。彼は、山に関心が深いので。僕は、講演者が益田川住民会議に出席していたので。

9月27日 木 拝啓 区長殿

拝啓 区長殿

秋涼の候、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。
さて、九月二十六日の定例議会にご列席たまわり、ありがとうございました。
当日、お配りする予定の資料がそのまま手元にありますので、お届けします。ご一読くださればと切に願っております。
ひとつは、南飛騨保養地について、県に対して政策の提言をしたものです。二通目は、それに対する県からの返事です。そして三通目は、益田川住民会議についての、その内容資料です。重要なのは、県からの返事です。ここにおおよその方針が示されております。不満なことは、基本思想としての相補・代替医療のことが述べられていないことです。
もうひとつはイベントのことで、これは、当保養地構想の本来の目的ではありません。このことは県の責任ある者もはっきり言いました。何もしないでは、忘れられていく感じになるので、本格化するまでのつなぎの性質を持っているものです。
設計コンペに全国から約二百の応募があった学習センターは、来年末には完成します。かなり斬新なもののようです。ここでのインストラクターなどの養成教育が四美保養地の成否を左右することになるでしょう。
平成十五年から始まるであろう養成講座には、私自身その第一回に応募するつもりでいます。この地域の雇用創出にも期待が持てます。

なお、町の温泉施設に対しては、現行の計画は見直してとりあえずは地元向きのごく簡素なものがいいと考えております。

敬具