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ダイアリー、エッセー 4

◎ 4月20日 木曜日 萩原祭り
◎ 4月19日 水曜日 検索エンジン
◎ 4月18日 火曜日 マディソン郡の橋
◎ 4月17日 月曜日 鈴木その子 福田和也 岐阜新聞
◎ 4月15日 土曜日 石橋幸緒女流王将
◎ 4月13日 木曜日 だんだん目が覚めてしまいました
◎ 4月10日 月曜日 組の寄合い
◎ 4月6日  木曜日 HTMLに乾杯を!

4月6日 木曜日 HTMLに乾杯を!

いよいよ、腹をくくって営業に出発。トップページを数枚プリントして、まずは名刺がわりにする。

あとで名刺は、ワードの図形描画中の、テキストボックスを使って作ってみた。A4、1枚に8枚作れる。ところが、8枚をいちいち作るのが面倒でイヤになる。コピーが、いろいろやってみるけれどもできない。この、行き詰るというのが苦しい。みなさん、同じように苦闘している。が、苦闘にも限度があって、ムダのような苦闘もある。ばかばかしい苦闘もある。知っている人に聞けばいいわけだが、周りにそういう人が居ないので。

PC関係の勉強は、聞けばわかるとしたものです。奥が深いなどという勉強ではないでしょう。最初に創り出す人には、独創がいるけれども、最終の我々が簡単に使えるようにと、作られてある。簡単に使えなければ、便利な機械ではありえません。我々も、アフリカの人も、中央アジアの人も、グリーンランドの人も、使用習熟すれば超便利な機械となっている。

そこで、例によって、太一郎に助けを求める。途中までこっちで作ったものを、メイルで送る。すると、2、30分で送り返してくる。同じものが8枚できている。どうやって作ったんだと聞くと、説明が面倒なのか、黙っている。
彼は、こう付加える。URLとしないで、ホームページ、とする方がすぐわかってよい。ホームページ、の部分は色をかえるとよい、グリーンなどに。右上端に操作ボタンがあるよ、と。

できあがったところで、8枚を切離さなくてはならない。ハサミでは、まっすぐに切れない。まあ、これでもいいか、ご愛嬌にしておこう。
このとき、写真印画紙カッターを思い出しました。二階の押入れを探して持ってくる。カビが生えている。ねばねばする。雑巾でふいても、なかなか拭き取れない。
20年前をちょっと思い出す、切るときの感触とコツを。いちばん安かったカッター。それでもちゃんと目盛がある。台面は見やすくグリーンになっている。まだ鮮やかなグリーン。

役場が、サイトを持っていないことは、このあいだ産業課の者とちょっと話してわかっていた。まあそんなものかと思う。次に商工会へ行くと、初老がHPを作ったので見てくれと言ってきたので、キョをつかれたようす。秋に作る予定ですと言う。ど意地悪かと思ったが、
「自分でやりャ、安いからね。タダだからね、外注するといくらかかるんかね―」
「……」

こっちは、HPについて教示を願いに行ったわけだが、とんでもない思い違いだったのでした。
若い人が、なかなかページを出せないので、「だめだな―」とか言ってえらぶっていたのですが、とんでもない間違いをしていたのでした。
HTTP://wwwとすべきを HTTP//:wwwとプリントしていたのでした。これでは、彼はなかなか画面を呼出せない。隣りにきて座った女の子(女性事務員)がノート型を、出ましたよ、と黙って見せる。黙って見せるというところが、彼の顔を立てて奥ゆかしい。

そのほか、どこへ行っても、机にパソコンは数台あるのですが、HPを作るという点では非常に遅れているのでした。それを知らなかった私も世間知らずの引きこもりなのでした。

会社で、天が助けてくれましたね。
ここのプレジデントが、メイルのやりとりの話をしていたはずだったな。細君が、あそこの奥さんは花村満月を読んでいるんだって、と言っていたな。細君の話は、常に不正確で、話半分に聞かなくてはならないが、まあそれでも文に興味を持っている人なので、読んで関心をもってくれるかもしれないと、出かけて行ってトップページを置いてきたのでした。

すると夜、電話があって、宿の問合せが来ているので、紹介してみましょう、という話。こちらは、まるっきり念頭にないことで、頭がボーッとしてきましたね。さらに、

「大坪さん充実していますね」と喜ばしいことを言ってくれる。仕事の方面が充実していないことはハッキリしているので、これは文のこと。嬉しくて、またボーッとしてくる。

ついに、去年の7月以来の引きこもりの変人が太陽を見られそうだ。見を結びそうだ。
いまこの話は本当になって、細君のトゲがやわらかくなった。ニコニコの元気。当分馬鹿にされなくてすみそうだ。アホッ、バカ、とやられるときは近づく足音で、すでに心臓が察知してドキドキが激しくなって苦しい。
二人でアホッ、バカ、とやりあっているので、地獄は一定(いちじょう)住みかぞかしなのでした。それをいまHPが助けてくれたのでした。面目が立ちました。と、体から力がへなへな抜けていく感じです。が、すぐ立ちあがらんならん。引きこもりたくても、マネーが追いかけてくるので、すぐ飛出さなくてはならない。引きこもりと飛出しの綱引。

注 HTMLとは、言葉や画像をネットにのせるためのルールであり、その記号のことです。ワードで打った普通の言葉は、そのままではネットにのりません。そこでHPを作るためには、このルールを知らなければならない。これをHTML言語と呼ぶ。
HPを作るためには、ワードワープロで入力の仕方を勉強し、さらにHTML言語を勉強する。だから、なかなか手間ヒマがかかるわけです。〉

4月10日 月曜日 組の寄合い

組は、町の第25 組。政府が日本のトップなら、これはいちばんの足元。規模の大小はあっても全国でこうした寄合いがあるはずだ。近所同士が知らん顔では、暮しにくい。

町の組割りは、戦争の時、助け合いを主眼にした分け方の名残がまだ続いていて、きちんと分けられていない。飛び飛びになっている。それで、向いのうちと右隣のうちとこのうちはそれぞれ別の組に属している。この三軒のうちは、組の会合では一緒にならないので、遠い感じがする。それほど、同じ組の者たちは、独特の親しみをもつ。

本日の出席者は14軒14人。ほぼ全員である。場所は消防詰所で。
持ちまわりの新組長の挨拶(任期1年)。神社の春の例祭について、祭りの役の割り振りなどの取決めをする。その他連絡事項、要望事項。
組長と会計は、夫人も来ている。会計報告や新しい組役員の割り振りの後、小さい宴会をする。実費。夫人たちの手作り。

毎年のことながら、食べてしまえない、飲んでしまえないと思案しつつ箸を取るのに、やがて興に乗ってきて賑やかになる。不景気で苦しいが、みんなで楽しくしようとする心意気が伝わり合う。
HPの話を持出すと感心している。数人に、アドレスのはいった名刺を渡す。半分以上の人が、まるっきり関係がないとして生きている。しかし、必要にせまられている人も。私も、ちょっと元気。ともかく新しいことをやったので、みなの元気話の種にはなる。ころあいを見てすばやく話を切上げる。

みんな、なんだかんだ喋り合う。喋ることが楽しい、アルコールをかこんで。
この組はいい組だあー、と言う者があったので、話を引きとって、
「そりゃ、上の者が威張らんからですよ」と言う。すると、一昔前の話が出て、組が荒れていたようすの話になる。組にまとまりがなかったようす。いま年配者たちの気配りと忍耐は、みなに伝わっているので、話をねじってくる者がない。ヤケだった者が欠けてきているので。しかし、馬力は薄くなってきているかも。しかし、おとなしい感じは、馬力の薄さとは同じでない。カラ元気と言って、軽く見られているじゃないか。騒々しければ、馬力があるとしたものではない。かえって逆でしょう。

萩原へ帰って組の付合いをはじめて、三十年近くなる。ただ、ニコついて、はいはいと言っていたものだった。それが、60に手が届くまでになった。このごろは、もう短い人生だし、はっきり喋るようになりました。それだけまともに生きられるようになったということ。
帰ってからも長い間、価値や標準の宙ぶらりんにもがいてきましたな。本当は、もがかない方がおかしいでしょう。しかし、もがいていては評価されないので、その部分を切捨ててきたのでしょう。切捨てなきゃ生きぬけないので。

30 年前よりも、今の方が、全体に精神的豊かさは感じられます。あのころは、競争やらで、ぎすぎすしていたようだったな。戦後の混乱と荒れが、尾を引いていたのでしょう。

4月13日  木曜日 だんだん目が覚めてしまいました

滞在さんを数名引受けることになって、やっと一安心でありがたいことですが、さて、今度は忙しくなって今までどおりに行くかどうか。オカズ作りを担当しているので、HP発信も続けたいので。朝は6時起き。3時ごろから材料仕入。帰って夕食の準備。

去年から今年にかけて極端にヒマで、しかしそのおかげでHP勉強と原稿書きができたのでした。行動に追われたり熱中したりしているときは、原稿は書けないものです。歯を食いしばって堪えるといった状態のとき、文字に迫力が乗移るようです。1日の行動が順調なとき、文を創り出すなどの行為に自分の体重はなかなか乗せにくいものです。

いま気分が乗らないのを、無理に入力している。どうも調子がよくない。ちぐはぐする。
深夜1時ごろ目が覚めてうつらうつらしながら考えている、お客のこと、HPのこと、その他その他引っかかっていることを。

「マディソン郡の橋」のことを思い浮べている。タイトルを、『遅ればせながら「マディソン郡の橋」』にしようかと。
また目が覚めてテレビを入れてみる、イヤホンをつけて。
ペルーの青年が、なんとかいう名の笛を吹いている。筒が6本からなる笛。インカ帝国以来のものであるという。うつらうつらして聞く。番組の終りごろになって目が覚めてくる。ペルーの田舎風景の中で、みんなが、帝国最後の王を葬送する時の音楽というのを演奏している。単調で素朴な音。つつましい音。物悲しいような音。

ふと、田舎衣装を着たみんなの顔が、似ているなと気づいた。我々と同じ系統の顔だけど、ちょっと違う。ちょっととがっている。目鼻だちがまんなかに集中している感じ。そして、横着な表情をしていない。ふざけを楽しむ表情をしていない。
つまり、悲しげな顔なのだ。突然王が処刑されて、以後スペインの言いなりになってきた。この音楽すら禁止されてきた。抑圧をじっとおだやかに耐えている感じだ。アメリカインディアンと同じ表情だ。

またしばらく眠る。すると今度は、将棋の風景になっている。ほっそりしたやさしい女の子が出ている。歯切れよく喋っている。このごろ、女の子は、みんな歯切れよく喋っているね。自分と相手の間合をよくつかんでいる。自分を知り相手を知るに、客観性があるのだろう、こういう喋り方をするとは。
一般には、30を過ぎるころから、濁ってくるのかな。疲れてくるのかな。人生シャキッといかなくなるんだろうね。まっすぐ前を見て迷いを振りきっているときは、自ずからシャキッとしている。頭がすっきりしているので言葉に迷いがない。自分には、そんな時があったろうかな。たぶんなかったね。

彼女は、石橋女流王将。19歳。

さっき姉が、血圧を測ってくれと言ってくる。測ると、200ある。
「こりゃだめだ、すぐ医者へ行って薬を飲まなくちゃ」
自分のも測ってみる。高いことはわかっていたが、200近くある。高山まで行くのが億劫なので、2ヶ月ほど薬を飲んでいない。胸のあたりが苦しかった。イライラしていた。これはいかんと、県立G病院へ行く。内科にかかる。すぐ呼ばれる。すると若い先生が、きちんと薬を飲んでいなくちゃだめだとかなり怒る。これはいい医者だぞと判断する。甘い言葉の者はよくないと思うが。

院外処方を始めて受ける。ついでなので病院の前の薬局を指定して行く。年配の薬剤師が、いろいろ説明してくれる。なかなかの営業で親切だ。病院では、こういうことはなかった。ただ人間薬剤調合機械のように、無表情に働いているのみだったが。

4月15日 土曜日 石橋女流王将

2日前、うつらうつら夜中テレビを見てしまった。インカ帝国の末裔による土着の笛の演奏、次が石橋女流王将、ゲイジュツカ篠原勝之、歌手の佐藤しのぶと続いて、だんだん目が覚めてしまいました。そのせいもあって血圧が上がってぐあいが悪くなったので病院へ行ったのでした。医者のハシゴで、気が進まなかったが、この際そんなことも言っておれないので、いやみを覚悟したのでした。しかしその先生は、飲んだり飲まなんだりが悪いと、童顔をしかめ面にして怒るのでした。

なかなか信頼できそうです。看護婦さんたちが、元気にはしゃいでいるようで気になりましたが。ひがみでしょうかね。萩原の医者、高山の病院二つ、そしてここが三つめ。かかり始めは四五年前です、と正直に言った。
ひと昔前までは、お医者さんは大先生で、坊さんや学校の先生と同じく、ひたすら奉っていたものでしたが。このごろは、営業という言葉が、これらの世界まで通り相場になってきているようです。坊さんも営業。
血気盛んなごく一部の者は、営業じゃないかと坊さんとやりあう。坊さんの方は、ここは断固引けないから、営業じゃないと頑張りぬく。結論はでないけれども、それを酒の肴にやりあう。

と、エゲツナイ話だけど、真実の話で苦い。だが、石橋女流王将については、その映像を思い浮べるだけで、なにか自分も別の世界を生きているかに錯覚させられます。

◎ ここで、12時になったので、吉本のお笑いを見るためにいったんストップします。大声を出して笑うのは、この時しかないんじゃないかと思いますがね。はたして今日は、どのくらい面白く笑えるでしょうか。

今日は同窓会をテーマにして笑わせてくれました。徳川のころはもちろん、戦前までは、ここのあたりに住む者は、生涯ああいうお笑いを知らずに終ったのでしょう。いま自分らは、ひとりで見て楽しむことができる。入場料なしで。

それにしても、大阪には、いいものがある。育て育てられている。それに比べて東京のこうした出し物は、トウが立ってきているように思われる。高いように見せるけれども、底は俗っぽい。ひとりひとりがしのぎを削って出世競争に懸命のよう。さわやかに笑うべきものが笑えない、何かがハナについて。僕は、東京は行き詰っていると思うのだ、笑いばかりでなく全体が。商業、つまり儲け、つまり経営、に毒されてしまっているんじゃないかな。基本がないがしろにされてきてしまっているんじゃないかな。

落語など、さっぱり面白くないね、十代のころラジオで聞いた落語は新鮮で面白かったのに。そこの人々全体に、やさしさとか温かみ、義理人情のようなものがヘンになっているんじゃないかな。即席の、出来合いに走らされているんじゃないかな。文化の質についての過去現在未来について語ってもらいたいものです。

◎ 石橋女流王将は新鮮でした。
以前なんとかいう女流棋士が中原氏とのことをぐちゃぐちゃにさせて公開した事件には、いやな思いにさせられたものでした。これなども、東京資本と文化のワルの面が出てしまったもの。その他その他かなりひどいことになっている。
司馬さんは、戦後日本を元気づけ活気づけさせてきたけれど、ごく晩年には、事があらぬ方に行きだしてしまっていると深く憂慮していたんじゃないかな。

石橋新王将は、養護学校の出身である。養護学校は、心身が健常でない者のための学校。そこから、並でないものが出た。これはどういうことなのだろう。彼女は、普通に見える。しかし、体が、子供の時から、極端に弱かった。それで養護学校へ行った。
小学校三年生の時から、近くの将棋道場へ通った。たちまち強くなった。本人の努力ばかりでなく、人にも恵まれたようだ。

僕は、彼女に打たれ感動したのは、そのある種無心ということ。普通は、強くなるため、なりたいため、あせりのようなものに支配されるとしたもの。ところが彼女にとって、いま生きて将棋が打てることが、ただ嬉しい。将棋は自分には宇宙だと言っていた。これなど、そこに没頭できる喜びを語って全部だ。生きてあることの喜びを語って全部だ。宇宙という表現は、その喜びを語っていて混じりけがない。

石橋女流新王将19歳は、以下に揮毫した。
万物生きて輝く

4月17日 月曜日 鈴木その子 福田和也 岐阜新聞

テレビ画面で、忘れがたい顔なら、鈴木その子ばあさんです。3年ほど前、はじめて見た時は、画面に何か間違いでも起きたのでは、と思いこみまして、しばらく注視しておった。すると動きだしたので、生きていることがわかって、ホッとしたが、一体これはなんだろう、テレビもここまでやるかなあ。キワモノ婆さんか中年の登場か、とそれだけだったが。

その後、たまにこの人が出ているので、どういう人物だろうと注目していると、どうも只者ではない気配。横着一筋にみえるNとかDばあさんとは違うようだ。折目正しい所がある。古風な所がある。ハッタリをやらない。あれで、あのままで自然体のようだ。

僕がこの人に、ウーンとうなってしまったのは、病みあがりで出て来たときだ。婆さんなので、もうなかなか治るというところまで行かないのかもしれない。それでも、彼女はテレビに出てきた。やつれた姿は見せたくなかろうに、自然体で出てきた。シワと婆さんであることをちゃんと見せて。で、ウーンと感心して注視した。こりゃ只者ではないぞ、ほんまに。

この人の写真が、岐阜新聞の読書欄、「21世紀ライブラリー」に出ていたので、オリョと注目しますね。化粧品研究家鈴木その子として。さらにですよ、ビビアンリーのスカーレットの、あの長髪パーマの勝気そうな写真がデカデカと。なんと、彼女は、書評をやる。取上げる本の意外さに、しかし、僕はさすがその子さんだと不自然ではなかった。見出しには、(「風とともに去りぬ」、人の心の綾を学ぶ)とある。上手そうなことを書くもんだ。

さて、読んでみて、頭が下がりました。立派な文ですね、何気なさそうに書かれていますけれども。長い年月の終りぎわに来て、この文章は彼女のひとつの達成なのですね。

この映画は、たしかに面白い。しかしその小説は、人間関係と時代と社会の、そのアヤを深いところで描写してあって、私など、あんまり小説は読まないんですが、ほとほと感心してしまったものでした。人と人とのぶつかり合いの綾を、猛烈馬力で、ヘンに跳ね上らずに着実にリアルに描写しきっていく。奇跡のような小説だなあと思うこともありました。

彼女は、センスということを大切だと主張しています。このセンスは、いい環境から作られるもので、即席ではできない、字を知ってできるものではない。いい小説はそのいい環境の一つ。いい環境としての「いい小説とセンス」が鈴木その子さんのテーマでした。

◎ 同じページの福田和也先生は文芸評論家で慶応大学助教授。硬派のほう。これらを載せた岐阜新聞と共同通信に拍手します。見出しは次のよう。
『ときを語る 「文学の気概」 国民の精神 形作る作品を』
彼が言いたいのは、『風と共に去りぬ』のような小説を書いてくれよ、ということ。出版業界に毒されるなよ、ということ。初めから小説が嫌いなわけでなく、面白くないから読まないだけ。面白ければ読みますよ。
かってベストセラーだった『マディソン郡の橋』を、このあいだ萩原図書館でたまたまなぜか手にして、面白くて読んでしまいましたからね。

4月18日 火曜日 遅れ馳せの『マディソン郡の橋』

あわてて馳せかけつけることはない。この本はゆったり構えて、後からかけてくる者を待っている。追いついてページを開いた者に、当初と変らず、アメリカでも日本でも、ある深い感銘を与える。その深い感銘とは。説明してはそれだけのもの、文字にすぎないもの、色あせた滓になってしまう。
このことは作者ウォラ―自身が繰返し念をおしているーー分析しては、ただの干からびた滓に過ぎなくなるもの、それが愛だと。言葉にしたらウソになってしまうようなある深い感銘を、愛からの広がりを、テツガクを思想を信念を信仰を、それは伝える。

現になまなまとして生きてあるものとして、彼は小説によってそれを伝えようとして、成功した。僕らはそれを手にとって読んでみて腹に納得する、彼の意図がしっかり伝わっていると。

彼の意図、伝えたかったものは、ハッキリと、小説という文字文章の中にこめられてある、見事に。これは、単に流行したベストセラーではない。彼の意図はそこにはない。ねらいは愛や不倫ではない。恋愛と不倫の物語であるけれども、彼のねらいはそこにない。じゃどこに。
いったん恋愛も不倫も、それら世間常識を、取っ払ってしまおう。

我々みんなしてつくっている集団、社会、には二つの精神傾向がある、ずっと昔から。洋の東西を問わずある。日常を懸命に悲喜こもごも生きる傾向と、日常を離れる、離れようとする傾向と。普通は前者である。これは、土台である。生産活動を群で協力してやる。これが麻痺したら、その群は衰退し、離散する。
たしかにその通りなのだが、その中からはじき出される者がでてくる。また、故意に自らをはじいて出ようとする者がでてくる。一般には、事があると弱小の者がまずはじき出される。しかし、そうでない者、むしろ強い者で、群からいったん出ようとする者が現れる。
この物語のねらいは、そこにある。出る者出ようとする者の内に何が起きているのかをはっきりさせてみたいと。

フランチェスカ・ジョンソンは、農夫の妻。夫リチャードは、勤勉な農業者。二人の子供と妻のために懸命に働き、働くことに充実している。彼女は、リチャードに特に不満があるわけではない。家族のためによくやってくれると彼に感心し感謝すらしている。この描写に、ウォラ―の意図が出ている。心が群を出ることに、特別の優越意識があるわけではないと。むしろ、心が離反することに本人は、とまどい悩んでいるのだと。

四十年も前のこと、『ボバりー夫人』という19世紀フランスの、有名な小説を読んだことがある。二十歳のころで、当然結婚生活も、家族も、老いも、地域の生活も知らない。頭と体がちぐはぐしている時期だ。頭でっかちの時期。言葉を知って事がわかったと思えてしまうような時期。
これも、不倫の小説、医者の妻、ボバりー夫人の。

まずはっきり違うところは、フランチェスカは、大人として生ききった。対するに、ボバりー夫人は思慮に欠け、そのぶんだんだん悲惨な境遇に落されていく。一言でいうと、彼女はハスッパなのである。作者フローベールは、最後まで突放して描ききる。厳しいというか、酷というか、残酷というか。作者は、高さを描こうとするのではなく、愚かさを描ききろうとする。フローベールは、自分もエンマ・ボバりーだよと小説の裏で胸をはって見せる。にがい小説だ。けれども、そのにがさに真正面から取組んで退かない作者フローベールに、なにかしら襟を正さざるを得なくさせられたものだった。

『マディソン郡の橋』、このアメリカの恋愛不倫小説を感心して読みつつ、アメリカ社会がここまで成熟したのだろうかな、と思ってみた。日本じゃ、不倫は好色系統のものとされているようだ、上品じゃないようなものとして。

さてもうじき終ります。ウォーラーは、センセーショナルな不倫恋愛小説を書こうとしたのではなかった。ひとつの、精神の生活はどこまで可能か、を書いてみようとしたのですね。可能であるとして書きすすめて、描ききりました。それぞれが、相手にどっかりと自分を占領させて、つまり孤独ではなく二人で、生きぬいていった。四日間の思い出を、燃やしつづけてくず折れそうな自分を支えて生きぬいていった。燃焼の充実を知れば、その裏にある虚しさもぐさりと知らされて。

ロバート・キンケイドはフランチェスカ・ジョンソンを、フランチェスカはロバートを、それぞれ無上のものとして自分の中にひそかに住まわせて生きていった。これは信ずる世界であり、信仰の世界でもある。これはキリストとともにある世界、神とともにある、仏とともにある、そして宇宙とともにある世界。
虚しげな、事柄の世界に見きりをつけて。

4月19日 水曜日 検索エンジン

去年の今ごろは、二人とも花粉症やらで寝込んでしまっていました。今年は、そうなりません、花粉は、今年は多いという話ですが。また、去年、この症状は毎年でますよとなんどか聞かされましたけれども、いまのところ当りませんですね。少し症状はあるにはありますけれど。やはり、よく言われているように、気の持ちようですかな。

営業のかいあっていま、少しお客さんがありますし。
それにしても、遅れてやってきた近辺の不況は、とうとうデフレとなって発現してきたようです。ものが安いです。また、家内が言うには、パーマやさんがとてもやすくしていると。そしてまた、喫茶店のうちある所では、モーニングやら昼ご飯やらが、考え付かないほどに、途方もなく盛りたくさんにしてあると。

そしてわが大坪屋も、歴史始って以来の、値段サービスをしております。旅館ではなく賄いつき下宿ではないかと思えるほどに。しかし宿屋です。おかげで、猛烈なフウフ喧嘩が少なくなりました。おかげで血圧が下がってきました。ともかくも生延びなきゃならない。恋愛、不倫どころではありません。動物自然愛護どころではありません。

きのう「マジソン郡の橋」では、肝心のことをつい書きませんでした。恋愛そのものの事を。精神一到なにごとか成らざらんみたいな、精神論に走ってしまいまして。
そこで、恋愛、不倫という、お昼休の主婦に好まれそうなものを入力してみます、が、今日はエンジンの話で、この次にやってみますのでよろしく。

エンジンは、この場合自動車やなんかのものではなく、PC関連の用語なのです。驚きますね。爆発エンジンとパソコンとどういう関係がありますかね。
エンジンは、モノを動かす原動力になっています。そこから出ているのでしょう。原動力、推進力、何を、検索を。
世界中にホームページサイトは、べらぼうにあります。これを探し出す仕事をするのが、エンジンで、会社です。広告収入です。

この会社がものすごい収益をあげている。嘘か誠か、社員は一人一億円のボーナスを支給されたと。とんでもない話です。私など生きるのがばかばかしいような感じになりますね。

さて、わがサイトも見てもらわなくてはなりません。そのために作ったものです。そのためには、検索エンジン会社に登録しなければなりません。これが、いまだにチグハグしてややこしい。ことは簡単なのだろうけど、知らないと、非常にむずかしい。知ってしまうまで、それまでが大変です。

いま現在エンジン3社に登録しています。OCNnaviNTT DIRECTORY、Infoseek、LYCOS(ライコス)。英語なので覚えにくい。ライコスでなく、リコスかも知れない。
最初に載ったのは登録型のNTT。これは、簡単に載った。2月中ごろ、嬉しかったね。ついにやったという感じ。だが、まだまだ先があって、止って一服というわけにいかない。
萩原町で検索してみると、どうも少ない。淋しい。大坪史朗のホームページがぽつんとあって。なんとなく地味だ。このエンジンでは、萩原町関連の登録がまったく少ない。
Infoseek(インフォシーク)には手こずる。大坪史朗のホームページとメールの宛先だけが出て、後は何もない。どうしてこうなるのか判らない。2ヶ月も過ぎたころ、ある些細な試みをすると、とたんに出始めた。これも、知れば簡単、知らなければやたらにむずかしい、の例。

有名なYAHOO(ヤフー)はむずかしい。まだでない。半ば以上あきらめている。
LYCOSはロボット型エンジンなるもので、これはすごい。ロボットがファイルの奥ふかくまではいって検索登録してくる。
以下の例には、感嘆しましたよ。ビートルズを入力してみる。多すぎて話にならない。そこでボブ・グリーンをいれてみる。まだ多すぎる。で、たしか一度だけ書いていた岡林信康を入れてみた。さあどうなると開けてみてびっくり、でましたね。しかも、たったひとつだけ、わがページが。つまりこれはこういうこと。ビートルズ、ボブ・グリーン、岡林信康をいれて検索した場合、LYCOSでは結果はひとつしかないということ。
しかしまた、これらの語をぴったり入れて検索する人はないことはないだろうけど、ゼロに近いでしょう。

LYCOSとInfoseekには参りました。持病のような病気が出てきました。気になってしょうがないのです。これを、ハマルと名づけるのでしょうか。
遠くロバートがフランチェスカを、フランチェスカがマディソン郡でロバートを深く生命力の自覚とともに思い合うのとは違って、現代病ふうに一人チクチク気にして思う思いかた。しかも機械を、神のような。

4月20日 木曜日 萩原祭り

あさって、土日は萩原祭です(それぞれのあざで、上村祭、花池祭、中呂祭、上呂祭、古関祭、羽根祭などなど、あります)。天気は大丈夫かな。が、祭り役でお旅に当っている人のなかには、雨が降ってくれと願わんでもない。なぜなら、雨中のお旅はないので。その程度に、このごろの祭りは活気がありません。これでも、萩原の街中がどんなありさまか知られるでしょう。

獅子舞

祭りは、神社ごとに行われる。それぞれの字(あざ)には、それぞれに神社がある。町のここ3区の氏神は、人口からしても一番大きい。しかし近年ずっと元気がありません。お旅は、だらだらと街中を歩く。旗持ち槍持ちはてんでの服装で歩く。ばつが悪いような感じもないことはない。白丁や神楽には、ユニホームがあります。
よそでは祭りに元気がありますね。急ごしらえではありませんね。土地と長年の結びつきがあるので、力がみなぎっています。ここのは、明治以後に、真似て急ごしらえしたものでしょう。

けれどもいいことは、それぞれの字に神社(15ぐらいあるかな)があってそれぞれに行事があることです。人が少ないので、維持が大変でしょうけど、ぜひ続けていってもらいたいものです。
戦前の大日本帝国は、神社を、国のまとめと頭の中の改造に利用したようですから、ごくごく小さなずっと前からあるのは、存続が危なかったかもしれない。それら字のやしろこそ、急ごしらえの明治体制のずっと前から暮しの中にあって生きてきたもののはずです。

こんなようなことをなぜ言うかというと、10数年も前、突然ある年から、昭和天皇と皇后の肖像写真が社殿に飾られた。みんなは、それについてなにも気にかけないようす。それについて誰もなにも言い出さない。しかし僕は気になりましたね。なぜ我々の神社が皇室と関係があるのだろうと。ないから腹がたってきた。神社は、氏子が支えてきたもの、いまふうに言えばボランティアです。お寺も、前はそうだったのでしょうが、いまは、そのお寺の所有管理するものというイメージになっています。神社には、それはありません。氏子たちが支え管理するものです。平べったいものです。

ですから、毎年、4月には、町内各組の持ちまわりの組長たちが集って、例祭の取決めをする。このとき、誰か権威あるものとかが中心になっている、という雰囲気はない。皆が自分たちで差配するという空気で、これはなかなかいいものですね。日本の誇るべき伝統、文化ですね。

ですから、あの肖像写真については、こっちが無遠慮に見下されたような、利用されているんじゃないかと思えるような、なにかよくない思いにさせられます。僕は気持がよくないです。いまの天皇と皇后に直接聞いてみたいものです。お二人は、僕らと同じ戦後教育を、その理想を、教えられてきているはずですから、考えは通じるでしょう。

自分たちの神社は自分たちでしか支えられない。誰も助けない。助けられたくもない。まして天皇が、田舎の小さな神社とどういう関係があるんです。

実は本日は、行乞の人・種田山頭火、としてやる予定で、その前に時候の挨拶がわりに祭のことを言ったら止らなくなってしまいましたので、そのまま行ってしまいました。