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ダイアリー・エッセー5

5月12日 気にかかっていること
5月10日 蜂谷弥三郎 囚われ人として〜シベリアで半世紀を生きて
5月3日 分子生物学―21世紀の原水爆?
5月2日 村野タマエさん
4月30日 晩年十年の司馬さん
4月29日 みたび マディソン郡の橋 東洋、禅、自然、
4月21日 マディソン郡の橋――恋愛、不倫

4月21日 金曜日 マディソン郡の橋 続き――恋愛 不倫

この小説は、恋愛を、哲学信仰思想にまで高めて成功した稀有の作品ですね。
大事な点は、恋愛は、ごくあたりまえのことだけどフィフティーフィフティーなフリーの二人でするものということ。二人で一人ということです。で、著者ウォーラーの場合、この二人で一人の試みを決意をもって、まあものもしくですね、やってみる。これは挑戦です。なんとなくではできるものでない。男と女、雄と雌は、理屈抜きで生理として引力し合うものですね、地球上のどこへ行ってもこれは同じ、もしそうでなかったらその集団は絶えてしまっていますね。

ですから、特別に教えられなくても、現代なら小説や映画で知って真似をすることからまず始めるでしょう、若者は。二人でいることが、どうしてなのか判らないけれど、楽しくてしかたがない。楽しいから、いつでも一緒にいたいですね。逆に楽しくなくなったり、イヤになったりしますね、相手を避けるようになります。会えば必ず、いつかさまざまの生き別れ死に別れの形で別れがきますが、夢中になっているときはそんなこと無視です。しかし、出会いよりも別れの方が、はるかに複雑ですね。客観してちょっと無責任な言い方をすれば、はるかに興味を引きます。

著者は、二人の出会いと別れ両方に美しさと思想と充実とを込めます。またそれら要素があったればこそ、この恋愛は成立しました。これは恋愛小説というより、思想的恋愛小説でしょうか。あって、もえて、わかれて、しかし、一貫してこの出会いを成立させつづけたい、そう願えば、どんな要素が二人の間に必要か、ウォーラーはそう考えてこの小説を出発させました。

楽しい、とか、充実充満、とは何かと考えてみるに、いろいろありますけど、特におすめすの間に起る充実には、麻薬のようなものが介在する点、ほかのものと比べて強烈で、直接に細胞など生理が関ってくるとさえ思えます。細胞が関る、だから一般の常識では扱えないものがここにはあります。大げさでなく、人類種を背負っているのですかね。

私は、麻薬は試みたことがないので知りませんが、たぶん、性の昂奮とほぼ似ているでしょう。麻薬は手っ取り早く、努力なしで愉楽に浸らせてくれますが、そうそうは上手く行かない。その裏返しに何があるかというと、ひどい不快感と虚無感でしょう。それを何とかするためにまたヤクをやる。

さて、恋愛の昂奮とヤクによる昂奮は、似ているでしょう、しかし、はっきり違う事は、前者は一人昂奮でしかも注射による、もう一方は、二人昂奮だということ、しかも二人だから呼吸を合わせるべくいつも努力を怠れない。二人ということと、二人でする懸命の努力、という原始の姿がこの特色。人間は頭が発達しているので、日々変化していくもの、だから、二人は変化ということに、周りの家族や社会や国までも含めて、つねに敏感でいなくちゃならない。こりゃ大変なことですね。おすめすの間を簡単に考えちゃいけませんね。まあ、若いうちはいいでしょう、人生軽くて結構ですね、跳ね回ってたのしんでください。

そして最後まで重大なのは、恋愛は二人の間で創るものだということですね。そんなこと面倒だから、セックスだけにしておきましょう、とはならないんです、これが。セックス産業ではことがすまない。やっぱり、とても面倒な、恋愛という手続を手放しません。

こうなると、恋愛とセックスは、同じものであるようで、断固違うとして間違いないでしょう。性に、精神や感性のなにか深いものがぴったりくっついたものが二人でする恋愛。この喜びには、なにか無上のものがあるんですね、いわく言いがたいけども。それがこの小説にはある。
恋愛や不倫といえば、演歌にあるようにじめっとして僻んだようなものとしたものですが、恋愛の創造に、まっすぐ天上に向ってねじれがないところが、ウォーラーであり、なによりもアメリカ文化の達成度でしょう。腹がふくれましたね、萩原図書館でただで。

『マディソン郡の橋』の恋愛には、宗教性すらあります。
だいぶ前、下呂の喫茶店で、当時実際には七十近くて、そうは見えないようなママさんと話していて、(彼女には遠くを見る感じがあったように思う)、宗教の話になった。こりゃヤバイ。なるべく軽くすませたい。そこで、まともに言わずにこんなふうに言ってみた。
「宗教って、考え出すと難しくて、でもね、そう難しくないよ、むかし好きな人があったでしょう、ええ?、ない?、ある?、まあいい、あるとして、いや、あるんでしょう、その人との楽しかった時のことを思い出すようにして見たらどう、実際よりも楽しいように頭で創るんですよ、そしてね、気がふさがったときなど、その時のことなどを思い出して心をふくらますようにしたら、それが宗教ですよ、だからそう難しいものじゃないと思うよ。こりゃ理屈じゃないですよ、思い描くことが大事なんですよ、あんまり理屈を言うような宗教はヤバイと思って間違いないね」

フランチェスカとロバートは、それぞれの思いを胸にそれぞれの人生を全うする。作者は、フランチェスカのほうを描写する。ロバートと違うところは、彼女には家族があるということ、過不足のない、幸せな家族。
ここでウォーラーは、飛出さない荒びない彼女の幸せを描く。ここですね。これは日本ふう、おしんふうですね。思いを支えとすることで、虚無に落下する自分を支える。彼女は家族を非難しない。自分を非難する。生活に虚しさを覚える自分を。そして密かに、ロバートへの思いを胸に、六十七歳を生ききる。これを荒涼と見るか豊穣と見るか。

作者ウオ―ラーは、豊穣と見、豊穣にしたいんですね。ここに、彼自身のこれからの人生と家族の人生がダブって出てきますね。自分たちの未来を見つめて覚悟を決めているんですかね。

この小説の描写で、思慮深いということの凄さ深さ魅力を、そして作者の力量をありがたく受取らせてもらいました。小説は、やっぱりたいしたものでした。印刷文字に過ぎないけれども、とても深いものを伝えます。映画では、こうはいくまいと思いますが、どうでしょう。
こういう二人のことは、恋愛に限らず、ずっとあったしこれからもあるでしょう。町の、市の、県のあちこちに、こんな思いを胸にした人たちが、密かに生きているでしょう。フランチェスカのようにひっそりと。

忘れました、不倫のことを。しかし、この際これについて云々することはどうも場違いになってしまいました。

4月29日 土曜日 みたびマディソン郡の橋

寒いです。毎年いまごろは、バイクで走っていたものですが、走ると寒くて体が冷えて持ちません。冷や冷やします。まだ汗ばむ日が来ていません。
また、毎年連休前はヒマで悠々、漁協の鑑札配りができたものですが、今年は余裕がありません。

滞在さんがあります。朝6時に起きて一仕事して、9時ごろ休んで横になると、もう起きれません。午後まで眠ってしまいます。起きるとバタバタ買出しに行って、8時ごろ終って休むと、ぐったりして、もう馬力が出ません。いやになるくらいキャシャですね。年です。定年は本当です。ほとんど使物にならなくなっています。

これでは更新ができないので、無理にもキイを打っています。今はまだ頭と指が連動して字が出てきていますが、そのうち出てこなくなるでしょう。終りに向う人生と生きものであることを、体がぐさりと教えます。たいへんです。けれども、頭がとぼけてくれば、感覚もとぼけるので、ありがたいと思いますが。

『マディソン郡の橋』が気になって、なかなかおしまいになりません。で、萩原図書館へ返却に行ったついでに、小説文学の参考書をさがしたのですが、らしいものが一冊みつかりました。30年前のもの。集英社の『世界文学入門』。編者は中野好夫。おもに高校生向けに書かれてあるようですが、むずかしいです。だいたい国別に解説してあります。面白くないので飛ばしていって、アメリカに来たら面白いです。不思議ですね。どういうわけですかね。フランスやロシアのものは、もうそのころ時代遅れなのですかね。

30年前は、作者ウォーラーは30歳で、むろん『マディソン郡の橋』は彼の中にちょっと芽生えていた程度でしょう。しかし、アメリカ文学の流れは活発に続いています。僕がほっとして嬉しかったのは、ウオ―ラーのこの作品が、奇跡のものではないことがわかったからです。出るべくして出たのだと。
これをきちんとわかってもらえるように文字にするとなるとむずかしい。恋愛小説の読後感想文でなくなるので困ります。場違いのことを書かなければならないようで気が引けます。

この解説者は、金関寿夫という人で、彼によると、ヨーロッパから見るアメリカの文学には「きついきつい」ところがある。ヨーロッパの人にはちょっと堪えられそうにないものなのだそうだ。何か途方もないものなのだそうだ。それをさぐってここで言ってみたい。恋愛には直接関係がなくてすみません。

アメリカの小説で実際に手にして読んでみたものは、『風と共に去りぬ』、『北回帰線』、ヘミングエイのもの『老人と海』など、そして『マディソン郡の橋』。これだけですが、指摘されてそのきついきついもの途方もないものに、ピンときましたね。その猛烈さに。『風と共に去りぬ』などはヤワなものではありません。これら全部に共通する凄みがあります。『北回帰線』などは一体これはなんだと思いつつも、その時は痛快でしたが、狂い咲き小説としていましたが、これが違うんでした。

この共通項を、あえて言ってみると、「ある何物かに向って限度もなにも超えて行ってしまう精神、傾向」。
『マディソン郡の橋』は、抑制された文の調子で、常識ある社会人を全うして物語は終りますが、その穏かさのずっと奥に、上記作品に共通するアメリカの猛烈さがちゃんとありますね。それが、僕に引っかかっていました。単に恋愛小説だったら、おそらく投げていたでしょう。

インターネットで見た、この作品に対する出版当時の評に、「東洋的、禅的なものがある」、と言われているとあって、またピンときましたね。
この作品の中に、カウボーイ、最後のカウボーイ、という言葉が急に出てきてなんのことかよくわからなかったが、これも大切な伏線だったわけです。ウォーラーのひいおばあさんはスー族の者だったということ。自然、野生、生きもの、との深いつながり。いわゆる自然保護主義者。

ウオ―ラーは、社会の常識や枠を、限度を超えて跳び破っていく傾向の者だったわけです。しかし、実際の彼は常識人です、フランチェスカやキンケイドのようなかたちで。ミラーにあるのと同じ危険な精神が彼にあるんですけど、フランチェスカのように常識人として生きて行く。この緊張した思いの深さが僕たち読者を深く引きつける。なにげなさそうに常識を守って生きていく女性読者たちを泣かせる。その映画を見る人を泣かさせる。

ミラーは東洋的なものに強く引かれ、したがって自分を育てた西欧を激しく拒否します。この傾向が、ウォーラーにもあるわけです。ビート族、ヒッピー族。

西欧の、キリスト教を土台とした強烈無比の枠組を破って出ていくものが、アメリカの小説の猛烈エネルギーであり、面白さですね。そこに、東洋、禅、との結びつきが出てきます。

『マディソン郡の橋』も『風と共に去りぬ』も、通俗小説に入るんだそうです。誰が決めるんでしょうかね。プルーストやジョイスのものが、最高傑作なんだそうだ。識者の間では。なあに、小説学者たちの箔付に使われているとしとけばいいさ。
上記小説は、はるかに面白い。小説世界が、生きている。頭で実験的に創ったようなものではありません。鈴木その子さんが言っていたように、役にたってくれます。つまり、知恵を授けてくれることになります。プルーストからは実験精神は溢れ出しても、生活上の知恵は出てきません、僕の場合。

4月30日 日曜日 晩年十年の司馬さん

この4月28日、NHKテレビで、司馬遼太郎を記念して壇上公開番組があってたまたま見た。いいものを見た。出演者は4人。井上ひさし、関川夏央、川勝平太、青木脩。

司馬さんを知ったのは、56年前、ですから、小説のファンではない。
だいぶ前、彼の短編を読んだことがある。長編は、文字どおり長くて苦しいので、読書は、随筆がほとんど。小説は、文字どおり短くて早く終る短編ならいい。その短編のなかでは、会津の、松平容保のことをテーマにしたもの、朝鮮からつれてこられた九州の陶工たちのことをテーマにしたもの、乃木大将のことをテーマにしたものなど、僕の脳にすっとはいって消えない。心を揺動かされたからである。

彼は、一途とか純情、といった心向きのものを偏愛していたようだ。彼の頭脳はものすごいけれども、心とか心がけといったものとなると、大変シンプルである。つまりこのシンプルさと強い頭脳が結びついて、戦後日本を代表する思想評論方面の代表者となった、なっていた。大切なのは、シンプルの方で、これがないと、彼は異様なほどの物知りとはなっても、感動を与える作家とはならなかったでしょう。一流の学者となってはいても。

これに似たことは、壇上4人の話を聞いていても、なるほどと思った。作家二人による話と心がまえといったものは、司馬さんと格闘しつつあることが伝わってきて、言わんとしていることがわかる、すっと伝わる、体重がのっている。
しかし、あと二人の大学の先生による話は、わかりにくい、すっと伝わらない。これは、職業がらであろうかと思った。つまり、物をよく知っていることが彼らの仕事なのだ。ひとよりもよく知っていることの闘いに勝って、一流大学の先生となった。だから、なにか大切なものを欠いてきているようだ。電子工学や機械工学ならそれでいいけれども、思想とか文学方面になるとこれでは都合が悪い。一口で言うと、愚直、といったことを欠いているのであろう。

頭脳明晰優秀と愚直が兼ね備わるとなると、きわめて珍しいのであろう。さいわい、井上さんと関川さんにはそれがあって、だから司馬さんも満足しておられるでしょう。

二人は、晩年十年の彼の憂鬱動揺を語っていた。それが、この番組のテーマにもなっていた。で、なかなか重大な番組だったわけである。日本の根底に迫ってみる内容。司馬さんの終生のテーマ。

井上の発言のだいたい。〈戦後日本の現在に至って露呈してきたもの、倫理の欠落。司馬自身による初期の作品の否定。彼が避けて書かなかったテーマを探ること。むしろこの暗部の方に日本近代の秘密がある。〉

関川 〈日本の未来に希望をもった初期青春の物語が書けなくなっていた。そのころ、土地投機の問題。バブル。財テクなど、当時これをやった人たちは、司馬の小説のファンたちでもあった。司馬の憂鬱。日露戦争後の、分捕りをめぐる、日比谷公園焼討ち事件の想起。共に、普通の良識あるとされていたものたちが引起したこと。
愚かさの露呈に対する失望。戦後にたくしていた日本の未来への期待の崩壊感覚。
自分自身に対するリアリズムへの「勇気」〉

司馬さんが失望していた暗部にこそ、今の日本が直面すべき急所がある。問題は今に始っていることではなかったわけである。バブルや財テクや高度成長の結果の現在、事は回復に三十年五十年かかるでしょう。それでも失敗するなら、土台から立直れないなら、日本文化のアイデンティティは、やがて失われていくでしょう。

5月2日 火曜日 村野タマエさん

水俣病 
「有機水銀中毒による神経疾患。四肢の感覚傷害・運動失調・言語障害・視野狭窄・ふるえなどをおこし、重傷では死亡する。1953〜1959に水俣地方で、工場廃液による有機水銀に汚染した魚介類を食したことにより集団的に発生。64年ごろ新潟県阿賀野川流域でも同じ病気が発生(第2水俣病)」。広辞苑。

村野タマエさんは対岸の天草から来て水俣で結婚生活にはいり、その1年半後の32年ごろに発病した。この病気は不治。

彼女が発病したころ、九州水俣市の水俣病のはじまりのころ、僕は高校生で、このことはまったく知らない。知ったのは、昭和43年。公害病判決があったとき。それより前昭和35年に会社は、見舞金などを出すことに決め、これですべて終りとした。
しかし43年の判決では、その取決めを公序良俗に反するとして認めず、あらためて損害の賠償をするよう判決した。

水俣市のような街を、企業城下町と呼ぶ。これは、すごい呼称で、この呼名が、常識はずれの事のなりゆきのすべてを語っているし、日本そのものも語っている。経済がすべてに優先する。食えなくて何が始るんだ。食うことだ、経済だ、儲けだ。

経済が前面なら、それによって背後に追いやられたものが、常識であり倫理である。
村野タマエさんについては、きのう、
NHKの再放送で知った。そしてあらためて水俣病のころの日本を知った。企業、利益、庶民、をめぐって政治の姿がよくわかる。
あのころ、僕は目の前のことしかわからなかった。全体像などはまったくわからない。わかろうとしない。不透明。頭も不透明。

この女性、60に近い村野さんがカメラに向って闊達に語る。病気で表情が引きつってしまうが、頭はやられなかった。むしろ、苦しみを乗越えてきたすがすがしさが溢れている。たぶん、カメラマンなど関係者は、僕がいま画面を見て感動しているように感動していただろう。画面全体、番組全体に、優しさ、が流れている。本来は怨念にとがった映像になるはずなのに、そうなっていない。村野さんにも、制作するほうにも許しの目がある。基調になっている。
当時、まだこの目があったのだった。今はどうもなくなっている。荒っぽくなっている。経済は豊になって、しっとりした優しさの調子が失われていっている。

村野タマエさんという人は、生来闊達で利発な人だったろう。恨みを突き抜けて、彼女が画面にいるので、感動が深い。忘れられない。また、水俣病という自分にとって対岸の不幸をじっと考えさせる。

発病して痙攣してしまって、コップの水が飲めない様をおかしくやって見せる。コップを口元までやっと持ってきて、さて飲もうとすると、手が勝手にピョーンとはねてしまう。水を飲まなきゃ死んでしまうので、なんとしても飲まなくてはならない。だが、口元で手がはねてこぼれてしまう。
一度、死のうとして、崖から飛降りたんです。でも、失敗しました。木の枝に引っかかってしまったんです。どーんと落ちれなかったんです。村野さんは、照れくさそうにして笑ってしゃべる。皆さん笑ってくださいと、明るくしゃべる。

今度生まれ変るとしたら、と聞かれて、持前の明るいサービスの表情で、けだものでしょう、と言う。人間には生まれ変れないでしょう、と。

政府調査団が病院へ来て病室を回ってきたとき、彼女は君が代を歌った。ここではそのことに、なにも触れていない。君が代を歌うことが、彼女の必死のメッセイジであったことには間違いない。番組の終りで、村野タマエさんは、明瞭に、とおる声で、君が代を歌ってみせた。

5月3日 水曜日 分子生物学――21世紀の原水爆?

テレビを見ていて吐気をもよおすという経験は初めてかもしれない。見なきゃいいわけだが、そんなわけにいかない。娯楽画面ではない。アウシュビッツや広島原爆投下。

私は今60に近いけれども、懸命にしんがりのあたりを生きてきた。まだ、10年ほどはそのつもりでいる。問題はそこにある。10代からこんにちまで、生きる意味は、ちゃんと手の届く所にあった。だから懸命になれる。手の届かない生きる意味などは、まさしく意味をなさない。

30代なら、せめて40代なら、新しい局面に挑戦できるでしよう。
細かいことはわからないので、遺伝子関係の新しい分野を分子生物学とまとめて呼ぶことにする。

アメリカでは、その方面の研究は、企業活動として自由にしてよいことになっている。そこで、以下のような事例が出てきた。
ある20代の娘さんは、不治の病にかかって絶望状態にある。しかし、2万人に一人の血液があれば、助かる。そのような血液の提供者は現れない。そこで彼女の母親は、子供を産むことにした。子供だったら、つまり彼女の妹だったら血液が合う確立が高いので。骨髄移植ができるので。これは成功して、不治の病は治った。

出産が、骨髄移植のためにされたことが大問題となった。この場合、子供は、授かったものではなくなっている。利用のためにつくられた子供。


ある娘さんは、腎臓を病んで、両親から臓器の提供を受けたけれども、拒絶反応などを抑えるために、毎日大量のクスリを飲まなくてはならない。そのため、その副作用で異常に太ってしまった。なんとかして元のように、5年前のすらりとした体に戻りたい。
そこで、受精卵による臓器製造によって、それを自分に移植して、もとの体に戻りたい。彼女は、受精卵による臓器製造と移植に期待をかけている。
人間の受精卵は手に入りにくい。(これを売ろうとする人が現れるだろう)。それで、豚をつかう。豚の内臓で人間の内臓を作る。

50代のAさんは、10年前子宮の手術をして子供ができなくなってしまった。なんとか子孫を残したい。で、自分のクローン人間をつくりたいと思っている。

いくらでも、どんなことでもやろうとすれば出来る段階に来ているようだ。
こんな想像をしてみる。織田信長が、これらの技術を知ったなら。あるいは、昔の中国の専制国の王がこれを知ったなら。体力も知力も抜群の人間を、秘密兵器として、大量に作ろうとしただろう。最強の軍団が出来るだろう。戦いに勝ちまくることができるだろう。

秦の始皇帝は、不老不死のクスリを躍起となって探した。しかし、結局ない。彼は、死ぬべき歳に、みんなと平等に死んでいった。我々は、これに安心する。これは安心の話として2千年語継がれてきた。みんな死ぬべき時に死ぬ。癌そのほかで若死する不幸者はずっとあった。
ヘンな想像だが、この時代に絶対権力者の始皇帝がいたら、と思ってみると、この続きは気持が悪い。

こんな想像が、どうやら空想でないところまで来てしまっていると知って、吐気をもよおしたのである。物語ではなく現実。この現実は、当然私の常識にはない。そんな時代を、自分の常識としてみようとする気はないし、この歳ではできない。
人類文化の積み重ねの歴史が、ここで一挙にひっくり返りそうだ。原水爆投下と同じに。

人間製造。人間の教育育成ではない。人間製造。
どうにでもやってくれ。もう消え去りたいよ。

5月10日 水曜日 蜂谷弥三郎 囲われ人として〜シベリアで半世紀を生きて 

蜂谷さんについては、平成9年、ソ連から帰るときのテレビ映像を見た時、印象が深い。
彼は今81歳。鳥取県気高町に住む。出身は滋賀県。彼の話をNHKラジオで聞いた。

その時と同じに、言葉がこっちにすっと入ってくる。なぜだろうと思ってみる。で、思いつくまま綴ってみます。
囲われ人として、の意味は、スパイとしてシベリアに囲われていたという意味だったことが彼の話の中でわかった。またこれは、すべてがここに始ることでもあった。
スターリンの秘密警察の凄さは、聞いてはいたが、日本人の蜂谷さんにも及んでいたのだった。

囚人生活は戦後の十年間、だが以後ずっと監視は続いていた。
その例。
平成4年に墓参団がシベリアに来ることになっていた。彼は、呼出されて通訳をするように言われた。人々に害が及んではいけないと考えて、書面の通訳ならできると言った。実際は、彼らが来たとき、接触しないよう待機を命じられたのだった。戻ってみると、墓参団はすでに帰ってしまっていた。待機中は、監視されていた。ついつい最近まで、スパイ容疑と監視が働いていたのである。僕らには、想像外だ。そういう国なのだ。また、その監視の仕事を、関係当局者がなかなか手放さない、ということでもあろうか。

こう紹介してみて、この人の半生の苦難とそれを生きぬいてきた粘りとを、奇跡と呼べるだろう。だが、これは奇跡ではあるけれども、なるべくしてなったのだと、彼の話を聞いていてわかる。この人には何かが備わっている。それが、周りから愛情と援助とを呼びこんでいたのだった。普通なら、とっくに死んでいる。衰弱囚人中に。やせ衰えて歩くこともままならない状態。

ここを生き抜くには、理髪をひそかに覚えるしかない、と彼は考える。手始めは雑用から。バリカンの修理、磨き。やがて彼は、顔を剃るとき、なめらかに気持よくやる技術に精進する。それが少しずつ実って、ロシア人の中で生きていけるようになっていった。しかし、監視は続く。日本にいる妻子とは連絡がつかないまま。

彼は、生来やり手だったのだろう。目立たないやり手。それがスパイ容疑をもたらしたのであろうか。僕がいうやり手の意味は、普通にやり手というだけでなく、日本人として、倫理節度の人として優れていたということ。僕はこの人に、上等の日本人、懐かしいような日本人を見て、印象が深いのです。

昭和31年、彼は、生きぬくためにソ連国籍を取得する。またそのころ、クワバという女性と結婚する。この女性が出来た人だった。彼女も、スパイとされて囚人生活を送ってきている。それで、お互い支えあった。励ましあった。周りの勧めもあって、蜂谷さんは結婚に踏切った。彼女は、すべてにおいて、彼の恩人である、と彼は言う。妻であることよりもなによりも。

彼女との心の結びは、深い。そう彼は言わないけれども、深いことがわかる。そうした心の動きが、日本人、というものを僕に印象付け感動させる。
こういってはなんだが、現在の日本の奥さんとは、この結びがない。ないことはない、あるけれども、あれほどには深くないでしょう。子供を育ててくれた苦労に報いる気持で彼女との生活を充実して送っているが、クワバさんとの絆とは比べられようもない。そのことを、彼はさりげなく次のように言う。

「家内には、私の母を思い出すんです。毎日マッサージを欠かせません」

娘を育ててくれたわけで、苦労があった。大変だった。よくやってくれた。しかし、妻ということになると、艱難辛苦を共にしたクワバさんが彼の中にいるのでしょう。遠くから気遣っていてくれる、シベリアに残してきた彼女が。
彼は週に一度、クワバさんに電話する。そのほか知人には、月に一度ぐらい。

彼は、小学校6年に上がる前に、魚屋に奉公に出される。彼は、そこから、魚屋の服のまま家まで歩いて帰って、そして、お母さんに頼んだ、ご飯を半分にしますから、どうか自分を家において6年生まで学校にやってくださいと。また学校へ行って、先生にもそのことを頼んだ。先生が、快く承諾してくれた時、あの時の嬉しさは忘れられませんと。

蜂谷弥三郎さんは、日本を忘れないために、琵琶湖を思い出すようにし、歌を歌った。また、百人一首は、九十九まで暗記してひとり繰返していた。彼の百人一首は、体に食いこんで血となり肉となっていたであろう。
「私がここまで生きてこられたのは、日本人としての誇りでした。支えてくれました。」

最後に、彼の際立った特徴、それは言葉づかい。
言葉づかいが凜としている。きりっとしていていさぎよい。もやもやしていない。こういう言葉づかいは、日本では珍しい。ここ日本の日本人のつかう日本語は、もやっとして、甘えたような、ごまかし合うようなところがある。普通である。
彼は違う。彼は、日本にはないような雰囲気の日本語を使い発声する。きりりとして、潔くて気持がいい。これは、単に言葉の問題でなく、姿勢。その姿勢でシベリアを生きてきた。僕は、彼の姿から、ロシア及びシベリアという所に尊敬の念を抱くようになってしまう、クワバさんに対しても。彼の姿を、ねじ曲げさせるどころか、磨きをかけてくれたのだから。

5月12日  金曜日 気にかかっていること

アユの水槽、放流アユ、カラオケ著作権、なんとなく皆さん沈んでいること、ビルダー2001による転送、嫁の妊娠、なんとなく疲労、文が進まないこと、不景気、街が元気ないこと、みんなが年をとっていくこと、みんなが奥歯になんか気になるものをはさんでいること。

と、ここまできたとき長男から昼休で電話がある。画面がおかしいと言う。ジャバなんとかと出て画面が終了になってしまうと言う。インデックス(トップページ)を元に戻した方がいいと言う。メモ帳で作った原始的で素朴な手作りのものに。

ビルダーで転送しようと、かまったからかな、と思う。どうもビルダーによる転送がよくわからん。で、元のようにFFFTPによって転送したのだが。僕の頭ではわかりません。ジャバスクリプトというしゃれたようなものが解りません。

トップページをビルダーで作ってみた。動きのあるページというのが面白そうなのでやってみた。それがいけなかったようだ。あるいは音楽を入れてみたからか。
彼はネッドスケープで見ているので、調子がおかしいんじゃないかな。いま接続して見てみるに、画面がヘンにはならない。順調である。この機械はウインドーズの系統なので、順調なのだろう。しかしネッドでおかしくては困りますね。どうしたもんでしょう。
文を作るときは、原稿用紙かなにかに字を書くとしたものだったのに、これに機械が1枚も2枚も3枚も噛んでくるので、ややこしい。
しかし長男は僕には先生で、彼なくては進めないので、尊重はしなくてはいけないが。

いま頭が病めて不安なのは、ビルダーの出現、体調下降、文章をどうするかという方策の迷い、マネー、老年、などなどによるもの。
 ビルダーとは、IBM社製のHPを作るためのソフト。当サイトはこれまでメモ帳を使って作ってきた。それにしても日々PCとともにある人生など、100パーセント予想外のことでした。〉