ダイアリー・エッセーbP1   

目次 平成13年1月13日〜3月23日
03/23 分裂から光へ
03/22 詩の心
03/21 愛情 情愛
03/20 エクセル。僧界の死語と蘇生。
03/18 僧侶として小説を書く
03/17 国家プロジェクトとしてのIT事業とその学習
03/15 本音を言う(知識より感覚)
03/14 昔の寮友に電話
03/12 清書 損失申告書
03/10 合計残高試算表
03/09 複式簿記
03/06 法事、国内空洞化、不景気、甘い眠り
03/01 青色申告
02/24 のぼせ、四十年ぶり、青色申告、
02/22 エネルギー革命。風力、太陽光、燃料電池、
02/19 『看護用心抄』
02/15 バルカン俳句紀行
02/14 図書館で高校生たちと
02/12 漁協支部総会
02/08 ジャズ、マイルス、禅、鳥羽
02/05 ガールフレンド 御岳? (レトロ)
02/03 中学一年生 (レトロ)
02/01 雪降りしきる
01/29 レトロ写真館
01/27 益田川住民会議・ました
01/26 スピード、アイス、ヤセ薬、
01/25 ヤクブツ、シンナー。心をとかし、骨をとかす。
01/23 油屋酒屋。漁協萩下班寄合い。
01/21 写真屋のお嬢さん? 店員さん?
01/20 二十五、二十六組新年宴会
01/19 天才外科医の秘めた決意 須磨久善
01/17 安藤忠男さん 鈍行派、肉体派、地面派、
01/15 ナマアシ 北海道では?
01/14 黙れ!!黙れ!! 愛とはかようなものだ
01/01/13 鍋。女性カラオケクラブ。源氏。

1月13日 土曜日 鍋。女性カラオケクラブ。源氏。

きのうは、数ヶ月ぶりにあわただしい一日。
泊りの五人と、女性カラオケクラブの十八人。
家内は、前日からぴりぴりしている。もともと、彼女は進んで事をすることができないというか、そういう習慣のなかった者だった。それが、食堂をティールームとして開放するようになってから、自分でやることのおもしろさに目覚めた。もともと目端が利く者ではない。平均人である。にわかにハリキリ出したので、三角四角を出す。角張るようになった。それと、初老に近づいて、やわらかく対応できなくなっている。亭主に逆らいバカにする。逆らうことをもって人生の生きがいとするかのようである。亭主は、実際、かっての威光を抜かれてよたよたして、格好のバカ対象になっている。

手間の関係で、それぞれ二つの鍋とする。味噌で仕立てる。要はこちらの都合である。そうでもないな。この方式が受ける、と経験上そこへきた。二人組、三人組とも、大きなぶつ切り肉が二個残っただけだ。足りなかったかとさえ思える。

八時から、例によって寝てしまう。十時に起きて、後片付をする。カラオケ組のほうは、大半が十時に帰る。けれども、近所の者が数人残って、待ってましたとばかり歌っている。

テレビをつけると、田辺聖子が出ている。特徴のある顔立ちだ。後は瀬戸内と梅原。梅原は、観音さまのような表情に変ってきている。神経がぴりぴりしていない。この人は、女性に持てるタイプのようだな。
話は、源氏について。とりとめがなくて、印象に残らない。女性のお喋りだな、こりゃ。社会に責任を持たないできた女性特有の姿だろうな。この点、男たちのお喋りとはずいぶん違う。

続きは、第二部ということで、自分の知らない女性作家たちによる、源氏についての話。川上、江国、村田、そして俵。一、二部通じて七人のうち、この村田喜代子なる作家がいちばん印象に深い。美人でないところがよい。顔はまずいけれども、愛嬌で補おうとしていて、首尾よくやっている。。江国と川上は、自分の顔立ちに自信があるぶん、はなにつく。村田は、一歩下がっているところがよい。二部の者たちも、ただなんとなくおしゃべりしている。印象に残らない。大事なことは男に任せて、楽しみましょうという感じだ。可愛い女であることに、威張っている感じ。

まあしかし、男は度胸、女は愛嬌の、伝統日本がまだ生きていて安心する。いや、男がよたっているね。自信をなくしているね。太平洋とバブルの、二度にわたる敗戦で、男のほうは薄汚くなっているなあ。

1月14日 黙れ、愛とはかようなものだ!!

朝の五時ごろに、目が覚めてしまう。床を抜出して、ウーロン茶を飲み、昨日の残りの切干を食う。やわらかいので、胃にはいっていく。中国製。やわらかく作る技術を見つけたようだ。家内が、年末に農協で百円だったという切干を買ってきていたのを、どんなものか試してみたら、やわらかくておいしい。食べられる。百円。感心してしまう。味をしめて、あれはないかと言うと、すぐ売切れてないと言う。別のは、どうも不満だ。歯の寿命をすでに終えた者には、やわらかいのがなによりだ。

切干をむしゃつきながら、テレビをいれると、カトリックの頭巾をかぶった年配の女性が大写しになっている。目の光ぐあいやらにこやかな皮膚やらに、ビックリしてしまって凝視してしまう。このような表情の人は、ちょっと見たことがない。美智子皇后にすこし似ているかな。けれども、話を聞いているとだんだん重苦しくなってきた。こりゃ、道の人の話しだな。とてもつきあえない。内心の、シャニムニな努力を感じて、凄いなと思うとともに、気の毒なような気がしないでもない。

これは、断固自分に命じて、妥協なく生き抜いている人の姿だ。日本のカミも仏も、こんな断固たる命令はしない。だがこの人には、神の命令と、それを妥協なく受けて実行して行く姿のみある。

思うに、日本の神も仏も、生きるか死ぬかの闘いには不向きだな。平和向きの神であり仏だな。日本人は、古来、タタキアイ、シゴキアイには慣れていなかった、彼らほどには。なんてたって、穏かな島国だった。今、家内がトイレに起きて、廊下を勢いよく歩いて、わしの名を呼ぶので、うん、と言うと、カネにならんことをやって、とやや控えめに小言を言って部屋へ戻っていった。

この女性は、渡辺和子。偉い肩書の人。日本カトリック学校連合会理事長。美智子皇后と同じ、聖心女子大学卒業。ノートルダム修道会入会。彼女は、二二六事件で殺された、渡辺錠太郎帝国陸軍教育総監の二女。その現場にいた。九歳のとき。

他者を愛する、では足らない。愛し抜くのである。義務として、仕事として。神に断固命令された人間として。好き、とか、惚れる、とかとはまったく違うところにあるもの。まっしぐらに愛し抜くのである。まあすごいことだ。僕など、そういう姿にはまったく慣れていないので、どう受けとめていいやら。恐くて逃出すんじゃないかな。

それにしても、日本は、坊ちゃん坊ちゃんした、神と仏の国なので、とても彼らの神とは戦えない。鍛え方の程度が、段違いだ。日本は、どうやって鍛え抜いていくんだろうな。

1月15日 月曜日 寒い。ナマアシ。

寒い。北海道では、マイナス二十度だとか。それでも生きておれるとは、ここにいて想像できない。シベリアのほうでは、マイナス三十度はふつうらしい。五十度にもなるという。北極の民は、それでも生きぬいてきている。どんなふうに暮しているのだろう。想像できない。そのころは、銃も石油もなかった。

昼の二時に、布団から出る。皮膚が痛い。空気がしんとしている。部屋の温度は、五度。障子と木のおかげか。台所では二度。じっとしておれない。すぐ出かけることにする。道に雪が残っているので、ノーマルでは行けない。農協まで歩くことにする。ついでに、神社へまわって、雪の祠(ほこら)を写そう。

この諏訪神社には、本殿のほかに祠が八つある。そのうち、入口にある庚申堂と地蔵堂は神か仏かわからない。庚申は、かのえさると言う。発祥は道教。江戸期に盛んになる。「庚申待ち」では、寝ないで夜を明かした。と、辞書にあった。自分とは、自分たちとは、生きた意味がなくなっている。けれども、私の祖母、母たちには生きていた。お盆には、庚申様として、祖母が丁寧にまつっていたのをおぼえている。
正月、お宮参りの時、庚申堂と地蔵堂とは、入口にあるのに、最後にお参りする。ここでは手をたたくなと言われた。地蔵さんには手はたたかない。仏様にはいる。庚申堂はどうなのかな。こちらは、拍手したように思うが、今はみなしない。

下校した高校生たちがちらほら歩きまわっている。屈託がない。かえってこの寒さと雪に元気になっているよう。本殿を写す振りをしながら、彼らを二枚写す。
一組のカップルが通りすぎる。写せなかった。すたこら行ってしまった。二人の世界に没頭して。びっくりは、女のこのナマアシだ。気取られないようにしげしげと見る。こりゃ、すごい。防寒としては、あたたかそうな襟巻と靴下のみ。こりゃ、彼女たちは、フアッションとして競っているんだな。やせ我慢の生きがいかな。

1月17日 水曜日 肉体派、鈍行派、生活派、安藤忠男さん 

どっかで聞いたことのある声がラジオからくる。かすれ声で、論旨が明快で、非常に説得力がある。言葉の響きに無理がない。上っ調子ではない。じっくり時間をかけて熟成された言葉。体の中でよくねられた言葉。マスコミの声声声の中では、ごく少ないうちのひとつ。
安藤忠男さん。彼の言葉とは波長が合う。

彼は、大学へは行っていないらしい。数年前、迎えられて、東大の建築科の教授に選ばれた。
彼が言っているのは、いわゆる頭がいいということではない。逆である。東大には、頭のいいものがいっぱいいる。珍しくない。彼が主張しているのは、そっち方面ではない。頭のいい方面に向く一方の日本に、警告し続けている。しかし、それは試験の成績のようにぴったり表現できない。いわく言いがたい。
彼は、肉体派、鈍行派、生活派である。
こういう人が東大の建築科にいるということは、いるということだけで、すでに批判そのもである。

頭のいいエリートできた学生たちにとって、それをそれたコースは不安で殆ど歩けなくなっている。このことが、日本文化の危機そのものであるのだと、彼はほのめかしている。文化は、痩せては衰退に向う。

1月19日 金曜日 天才外科医の秘めた決意

プロジェクトX。

映し出された表情にうたれること、ここ数日で二回も。ひとりは、「愛」で紹介した渡辺和子さん。そしてこの人、須磨久善。これはどんな役者でもかなわない。長年のなにものかがにじみ出てきている表情だから。自分とたたかいぬいてきた人で、そして、その成果が実のってきている人。そして、周りにいる人たちに、輝きを与えつづけている人。この表情は一人ではつくられない。周りと自分との相互の交流から、その相乗で自ずとつくられてきているものである。

お二人ともに、苦渋の二十代を想像できる。むろん表情は、そのころ、ゆがんでいる。くすんでいる。強さと弱さが、チグハグに、日替わりで出ている。けれども、変えなかったものがひとつある。ある志だ。志は、自分のものであるに決っているけれども、天与のものでもあろうか。若いころは、そんなふうには考えないけれども、人生を振りかえってみる年になると、ふとそのように考える自分がある。

須磨さんは、四十代半ばをすぎたあたりで、いま充実しきっている。けれども、一人で粋がってはいない。自分があるのは、周りがあってのものだという謙虚さがある。これがあってこそ、彼を大成させた。
彼は、関西の一私大を出た。心臓外科医としてのし上がるべく、海外をわたりあるいた。その後、大病院をとびだして、湘南鎌倉総合病院なるふつうの病院へ移った。ここに、彼の意地とガンコさがある。権威は彼には似合わない。その病院で、四年前、バチスタ手術なるものをやった。日本でははじめて。どうやら、この手術は、外科医の手腕によるところが大きくて、一般には行かない。ゆえに須磨久善さんは、神の手を持つと言われている。

猛烈社員だった、[拡張型心筋症」の最初の患者日高さんは、手術後一ヶ月ともたないで亡くなった。肺炎を併発して。
さて、予想通り非難がきた。須磨さんも、病院も一人たえつづけるのみ。そのころ、日高さんの奥さんから彼に、お礼と励ましの手紙がきた。この手紙は大きかった、よしっと自分に声をかける。そして、二番目の患者、すし屋の奥さんには、成功した。彼女は生きているし、その後四年間で、四十九人の命が救われた。「神の手を持つ」の由来はそこにあるのだろうか。

1月23日 火曜日 油屋、酒屋。そして漁協萩下班寄合。

1時に起きて、すぐ仕入れに。現像をかねてAへ。休み。Bへ。そこで済ましたあと、歩いて、写真を配る。鱗友会のものを。
もどって石油へ行き、注入。ここ三菱で、写す。みなさんはしゃぎ、元気。次に、酒を仕入れに。ロフト。ここでは三枚。経営者は六十ぐらいで、店員は二十歳ぐらい。どうも調子がいまひとつ。写りもそんな感じに。
もどって夕食準備。

八時に、漁協寄合。三年に一度の役員改選。班長に。勤続十六年目。表彰もの。財も権力も関係なし。
終って例によって、飲む。予算が削られて質素に。一人千円徴収。宿に客があるので、十時半解散。fineで撮る。やはりノイズが少ない。煙草の煙の空気が正直に出ている。

1月25日 木曜日 ヤクブツ

冷戦時代に、「アメリカがつぶれるのは、ソ連の核ミサイルによる」、と言っても誰も驚かない。だが、次の答にはおどろく。「アメリカはヤクブツによって滅ぶ」。
六年ほど前から、日本でも、若者に広がっている。ある調査では、高校生に、「覚醒剤、シンナーをやっている人を知っているか」、の問いに、約一割が、そうだと答えている。少子の若者にこれが追いうちをかけては、日本は危ない。

東京の定時制高校の先生、水谷修さんの放送はこっちを震撼させる。彼は、この仕事に九年間たずさわっている。
はじめのころ、九年前、高一の正文君を死なせた、あるいは殺した、その痛恨の思いが、彼をこの仕事にかりたてる。

正文君をシンナーにつからさせてしまったのは、家庭の不幸な事情である。よくある物語やルポにある通りだ。衝撃は、彼の最後だ。
彼は、その日、水谷先生から、冷たくされる。水谷さんに、彼が相談をもちかけてきた、「先生、僕は、立直るために、これこれの病院へ行くよ」と。
これに先生はカチンときた。自分が立ちなおらそうと努力したのに、それを病院が取ってしまう、としてカチンときた。自分の愛情こそが彼を直すのだと決めていたので。
愛情で体の病は治せない。治療と愛情が直す。水谷先生は、正文君の死によって、自分のその無知を知った。

彼の送りは、彼の母と二人だけでやった。二人で、彼の骨をひろった。だが、恐ろしいことだ、大腿骨でさえ、ハシではさむとこわれてしまう。まして脳の骨などは、くずれてしまっている。それで、灰ばかりを持って帰った。正文君の母の、悲痛、半狂乱が、まざまざ目に見えてくる。

シンナーが心をとかし、骨をとかす事、以上の通りだ。
正文君は、シンナーをやめられない。頭ではわかっているのに、体がひとり走ってしまう。
頭と体の分裂は、誰もが経験するところだ。それを見すえることで、ひとりひとりは知恵をつけていく。妄執、煩悩。正文君の、辛さ、悲しさ、恐さは、これをヤクブツが引起していることなのだ。

1月26日 金曜日 スピード、アイス、ヤセ薬、

水谷先生のお話しの続き。彼は社会科の先生で、いま四十七ぐらい。
彼の話しぶりに、カドがある。カドばることで、慈善ふう甘さに落ちないよう心しているようだ。
はまってしまった生徒たち、青少年たちに、回復がむずかしいことが彼をやりきれなくさせる。彼らの細胞がやられる。十代で四十代の脳の規模になっていると。

「覚せい」剤と呼ばれているように、これは、ぱっちり目をさまさせて元気にさせる。この気持よさにつかまったら、なかなか抜出られない。これはいかんと気づいた時は、もう遅いのだろう。
この薬は、どんなものにもまして最高のものになる。カミよりもホトケよりも。友人よりも、家族よりも、信頼する人よりも。そしてクスリといっしょに死んでしまいたくなるのだろうか。そうだろうな。大地とのつなぎが軽くなれば、実行するだろう。

ヤセ薬のゆえんは、胃が小さくなって物が食べられなくなるから。だが、そのために常習となり、抜出られなくなる。またとことんその悪夢を知らなければ、脱出へのねばりも生れない。

以前、これもラジオで聞いたのだが、法華経という有名なお経について、その奇想天外壮大な内容からして、どうもあれは、ヤク入りだなと言う学者がいた。
創造に苦しむ職業の者に、これに取りつかれる者が跡を絶たない。音楽関係に多いのかな。

きのう、ニ億円ほどのコカイン所持者が空港でつかまっていた。かばんの底に詰められるほどの量。濡れ手で粟だ。弱い奴を食う、だ。
もともと、覚醒剤は、最初に日本で創り出されたころ、万能の特効薬として珍重された。いまも、末期癌とか病気で苦しい者には、喜ばしいクスリなのだが。

1月29日 月曜日 想い出写真館 

手元にあった昔の写真を、スキャナの練習に使っているうち、思い立って二階の物置をがさこそやってみた。なんと、出てくるわ出てくるわ。コロッと忘れてしまっていた。ファイルしていない雑多な写真が。
学生のころ、アルバイトして、念願のカメラを買った。オリンパスペンDというハーフカメラ。一万三千円ぐらい。初任給が二万円のころだったかな。これで撮った。デジカメなんていうものはまったく思いつかない。露出計内臓が新鮮だった頃である。

これで、田舎の家族やら、名古屋のボーイフレンド、ガールフレンドをとった。その撮りちらした写真が、いま、新しい。新しい目で見ることができる。当時、感興がわくなどということはなかった。今のほうが、ひとつひとつのなんでもない事どもが、新鮮に見えてくる。どういうことなのかな。もう残り少ない人生なのでかな。

とくに、女性が新鮮である。あのころは、がさつで自分勝手で濁っていて、女性というものの姿が見えなかった。女は、男というものを、一歩離れて冷静に見ているものなのじゃないかな。男のほうは競争やら野心やらで、やる事なす事考える事が、利巧のつもりでその実愚かだった、一方的だった、などなどと回りくどく考えている。

話は飛ぶが、これはいづれどっかでまとめたいが、いま二十代前半の女性の風俗業日記なる公開のものを、二三継続して見ている。若いころには見えなかった事が、いまは見える。女性というものが見える。
一口で言うなら、やさしい、ということ。受身だということ。待っているということ。心をこめて体を営業しているということ。やっぱり簡単には、こういうことは書けないな。やめときましょう。

古い写真を再製して、しばらくの間サーバーにのせるつもりでいます。人の家族写真、交友写真のようなものは、他人にはつまらないもの。それで、なるべく客観して興味深いものをと心がけてやってみます。

2月8日 木曜日 ジャズ

もう春のほうへおりかえしたのかな。いま室温十二℃で、暖房は、電気座布団のみ。空気がぬるみ、いっしょに体がぬるむ感じだ。いま、ラジオのテープが、矢沢の、東京なんとかをやっている。その前は、ジョニーへの伝言を歌っているかすれ声の女歌手。その前は、チャーリーパーカーだ。ちぎれちぎれにはいっている。当時の記憶はまったくない。

このラジカセは、このあいだ高山へ行ったとき、買った。ラジオ番組を予約録音したかったので。出きるだけかさばらないのがいいのだが、ない。やむなく、いちばん小さくて安いのにした。それでも、ダブルデッキで、CDがある。ケンウッドというメーカーのものだ。耳慣れない。だが、言葉の響きはいかにもいい感じだ。そうねらったてつけのだろう。だが、このラジオ、安いのに、やわらかくていい音を出す。落ちつく。こりゃ、いいものを手に入れたと、いまのところはは満足。まだ、矢沢が気持よさそうに歌っている。矢沢の風ひき声とケンウッドはマッチしているようだな。

きのう、空気がぬるんだのと、アイモードのアップがすっと行ったので気持よくて、がさごそ物置をあさって、マイルス・デービスをかけてみる。ケンウッドは柔かい音を出してくれるので疲れない。手枕をして、うつらうつら聞いていて、こりゃ、東洋だと思いついたね。マイルスの前は、鳥羽一郎を聴いていた、これは、日本だ。集団日本だ。マイルスの音は、こりゃ、フランスだ、象徴派だ、ボードレール、マラルメ、ヴァレリーだ。前進一方で激しいアメリカで、その成員が、ひとりひとり、自分に向きあって心を広げてたゆたっている。こりゃ、禅だ。ジャズ、アメリカ、禅、マイルス。本元の日本では、やれいけそれいけの鳥羽一郎だ。
アメリカは、これでみると、すごい国だな。全体が、ぎりぎりまで突っ込んでいっているんだな。

2月12日 月曜日 支部総会

今朝は冷えこむ。室温五度だった。きのう畳に座っていたので、腰が痛い。
きのう、漁協支部総会。写真にあるように、高齢化していて驚く。自分が属している、人の集るところはぜんぶ高齢化だ。さびしいね。活力という点で、若さに勝るものなし。

役員改選の年。理事に立候補者が複数あったので、選挙管理委員長としては張りきったのだが、拍子抜けだ。なんやかや言ったあげく、立候補しませんときた。これでは、彼の言動は、目立ちたがりとイチャモンつけだ。まあしかし、気をとりなおして、選挙は、組合の活気のしるしなので、とまっすぐ挨拶しておいた。
いつものなれあい気分が切られて、役員たちは発言に力が入っていたよう。写真

2月14日 水曜日 図書館と高校生たち

昨晩は漁協選管の反省会、興奮して日本酒をつい飲みすぎて、半日頭が痛い。治りかけたので、日下部に行って、宿泊客の報告。帰ってデンコウさんの受付に電話して、アップについて報告。もう一枚の事務所風景の写真について、前景の事務員さんがちゅうとはんぱに写っていてすみません、気に入らなければ削除しますと言う。

その足で図書館へ行くことにする。返却本を探すが見つからない。すでに返したかもしれない。カメラバッグをさげていく。
顔なじみの司書さんに、写真のことを言う。彼女は事情をさぐっていて、結局は、私を写してはダメと言う。残念。本ばかり写しても殺風景だ。と、高校生が三人勉強している。ひとりは女子。近づいて、思い切って頼んでみる。簡単にOK。司書さんにやんわりモヤモヤ手強くことわられていたので、彼らの快諾にかえって驚く、だがうれしい。彼らは、受験かな。

ひとりは、鳥打帽のしゃれたのをかぶっていたので、それをテーブルに置いて構図にいれる。
帰り、廊下の窓際にいた女子生徒二人に声をかける。これも快諾。すこしの僕の発言によく笑う。恥かしがる、などということはない。明るく堂々としている。こちらを疑う様子もない。びっくりする。こりゃどういうことなのだろう。日本は、こんなふうに変ってしまっているのだろうか。今日は、例外なのだろうか。写真1 写真2

2月15日 木曜日 バルカン俳句紀行(NHKТV)

きのう見た。第二部は来週。
まず最初に驚くのは、俳句が世界規模になっていること。道理で、たまにネットでのぞく新聞に、外国人向けの俳句のページがあった。一ヶ月に二度ほど、俳句のページが出ていた。しかし、これは、日本にいる外国人が楽しんでいるのだろうと思っていた。そんな程度ではない。俳句という日本産の文学、戦後すぐに第二芸術だと、桑原氏によってこきおろされた五七五が、世界で親しまれ創られている。だから、この番組が企画されできあがったのである。NHKさんありがとうさん。

画面に、クロアチアのデビデさんという老人が出ていた。俳句発表会場。参加者が前に出て自分の句を読上げる。一首が、日本語、ユウゴ語(?)、英語、フランス語に訳されて、読みあげられていた。それを聞いていて、瞬間にわかることは、花鳥風月を読んでいるようで読んでいないこと。だから世界のものになっている。それぞれの人々の生活がおりこまれている。歴史が、時代が。

デビデさんは七十六歳。もと数学の先生。彼は四十年前に、東大に留学していた。二年間いた。もともと詩は好きで、いろいろの国のものを読んでいた、日本でも探して読んだが、その時知った俳句が終生のものとなった。単なる趣味をこえたものになっていった。日本の俳句紹介は、また当然日本文化研究となっていった。それを、何冊も出版した。そのことが、異国に、クロアチアに、俳句人を生むことになっていったのである。

クロアチアは、ユーゴ内戦の舞台となったところだ。その引裂かれた民族の心に俳句が生きている。俳句が彼らを励ます。彼らに表現を与えている。
そこで、ひとりのクロアチア住民でセルビア人であるドラゴビッチさんが登場する。彼は、難民としてクロアチア沿岸の故郷を追われた。今は、ユーゴの知人宅を居候して生きている。そして、彼は、俳句を創り続けている。引裂かれた人生の伴侶として。その一首。

ふるさとや 野原にかわく 涙のしずく

彼は望郷の思いに悶える。だが、語れない、喋れない。親しかった隣人どうしが、あの時をさかいに、暴力で対峙しあう事になった。民主主義の対峙ではない。単民族の日本にいて、我々には解りにくいことだが。問答無用の血の対立だ。豊で贅沢な、現況日本人のセイシンテキな悩みとは違う。その彼を、日本産の、芭蕉以来の五七五が支えている。花鳥風月の、境地の、わびさびの、日常生活の、あの俳句が国際版になって新鮮な空気を送っているのだ。クロアチアから、世界中から。巴里の秋 女子高校生と俳句 

2月18日 日曜日 『看護用心抄』

仏教大学の藤本先生の話(テレビで)。
良忠上人なる人物は鎌倉期の僧で、法然の孫弟子にあたる。その良忠上人が『看護用心抄』を書き残した。臨終に至る人たちへの、念仏を柱とする看護のための本だ。念仏教義の本ではない。そこが新鮮だ。
だいいち、そんな状態にある人たちに説教しても始らない。実際にどうするかについて書いている。

書かれている看護についての内容に、奇異はない。安らかにおだやかに死なせてやりたい。ただし、この本には柱がある。そこが、病人看護のためのふつうの記述とは違う。念仏してホトケの来迎を待つ。そのための看護人心得だ。事細かに指示してある。看護人の息づかいについてまでも。

口で、思いで念仏しながら、またホトケを思い描きながら今わを迎える。藤本先生の話の限りでは、ここには念仏宗派の、自派の宣伝はない。死に行く人と看護する人、見とる人、との同行があるのみである。ギリギリ二人がいるのみである。そしてホトケのお迎えを待つ。

これまでの藤本さんの話、それを受けて言う私の話に無理はない。いやらしくない。だが、一般に宗教は嫌われている。なぜか。
利益がからむからである。宗教によって生活することになってしまえば、またその組織が大きくなり、何代も続くことになれば、その維持のために無理が生ずる。方便という名のウソが生ずる。これがはびこって、支配被支配の関係が出てくる。だが正義を装って。

良忠上人の『看護用心抄』には、鎌倉期の、勃興期の念仏宗の新鮮さがある。政治の利用以前の素朴さが。
宗教が、妙にすっきりしないのは、裏表の世界にがんじがらめになっているからだ。その目的が、既成教団の維持になってしまっている。僧侶も俗人も、その裏表を糊塗してしまう事になにげなく協力し合う。芝居とわかっていて芝居する。そのへんの呼吸に横柄になれば、協力の背後に醜悪が立ち昇る。

2月22日 木曜日 エネルギー革命 風力、太陽光、燃料電池、

NHK地球白書。
風力利用。風車発電。
デンマークでは、現在、国の電力の十二パーセントを風力発電によっている。
ある農家が七千万円で風力発電装置を設置した。月々十五万円分の電力売上がある。十年で返済完了後は、売上分は利益となる。
日本は、この風車発電装置の輸出標的になっている。

太陽光発電。
ソーラーパネル生産では、日本がトップを走っている。
インドでの話。
その地方には電気はない。夜間は石油ランプだ。その地で、織物生産を家族でやっている人が、ソーラーパネルを買うことにした。一式三万円。三万円は年収の半年分である。だが、その装置で、九ワットの蛍光灯が八時間点灯できる。

燃料電池。自動車用燃料電池。水素を使う。
見通しでは、自動車用燃料電池は、十年後に十パーセントのシェアを占めるだろう。
その次だ。五十年後には、それらのエネルギーは、化石燃料によるものとほぼ同じになる。原子力エネルギーは姿を消している。そして二千百年には、化石燃料によるものは、完全に上記の風力、太陽光、燃料電池によるものにとって代られている。

化石燃料の枯渇については、心配していない。地球環境の点で、むしろ歓迎している。ということは、化石燃料に代るエネルギー確保のめどがついているからである。

地球規模の情勢全般が、良くも悪くも、急激に変ってきている。過去に眠っている場合じゃないんだな。我々の年代にはめまぐるしすぎて、なかなかついていけないが、そんなことは言っていられないな。
我々は、戦後民主主義と学生運動と左翼と経済成長の時代を生きてきたわけだが、それらがなんとまあ、すでに中古になっている。時代遅れの酒場なら趣があるけれども、時代遅れの社会や社会政策では、話にならない。資本主義共産主義、高度経済成長、大量消費主義、原水爆、大国強国、などなどは時代遅れになっている。

2月24日 土曜日 逆上せ、青色申告、四十年ぶり

きのうの事のうち上記三つについて記したいが、まずは、「のぼせ」の事。
家内が、ご飯茶碗をお客のテーブルに出していなかった。台所にいると、お客が暖簾を開けてこちらを呼んでいる、小さい声で。威張る語調でも、怒る語調でもなしに。すみません、ご飯茶碗をと。ええ?ご飯茶碗?はいはいすみません。持って行きます、と返事する。
どの茶碗を使うのかわからないので、家内を内線で呼ぶ。すぐ来たので、「だめじゃないか」、と怒る。興奮をしずめろ、と低く強く言う。ご飯茶碗を出していないなんて、とんでもない事だ。

どうも、興奮しているな、上気しているな、とは気づいていた。のぼせている時は、そそうが出やすい。まさかこんなバカなそそうが出るとは。
気持を下にもっていけ、と言う。わかった、わかった、とこたえる。自分でも気づいている。頭がくらくらしている。空中を漂うようにして空想し考えている。地についていない。つまり、のぼせ、上気。

数日前、益軒の『養生訓』についてのお話をテレビで聞いた。呼吸について。吐く息と吸う息について。腹式呼吸について。
経験上、気持を落ちつけるためには、下腹で呼吸するのがよいとは知っていた。たまに実行する。心臓が落ちつかない時にやる。腹で呼吸をして動悸を落ちつけようとする。けっこう効目がある。この「気」は、貝原益軒のキーワードだ。気を整える、気を静める。気の統一。

座禅の呼吸はこの呼吸法だ。
座禅は、一般人にこむずかしいことは言わないで、呼吸の工夫による気の修練だ、ぐらいに言うのがよろしかろう。長々と言うとウソっぽくなる。
一般人と座禅の関係も、まずは、呼吸を整えるために座るのだ、座禅するのだ、がよろしかろう。

家内ののぼせの直接の原因は、対人関係、店での接客からきている。と自分はみる。他人の頭と自分の頭の波長が合わない。だが、なんとか合わせようとする。うまく行くときといかないときがある。うまく行かないとき、頭が疲れ、そしてぼーとして働かなくなる。頭が対応できなくなっている。つまり、頭と体が頑丈ではない。一時的にノイローゼになっている。「青色申告」、「四十年ぶり」、については次の機会に。

3月1日 木曜日 青色申告

申告書作成前の決算書で苦しい。胸が苦しい。疲れる。
去年の三月に、例のKが死んでしまった。彼は、別の事務所に引継ぐ作業はちゃんとしていった。で、去年はそこでやった。今年は、だいぶ迷っていたが、ヒマなので、自分でやることにした。赤字続きなので経費節約のためにも。ところが、皮肉にも、今年は一月からそこそこに忙しい。この程度は、数年前までなら、まだ力が余ってその始末に困るくらいだった。ところがドッコイ、ぐあいが悪い。疲れる。家内も疲れる。

おまけに、ずっと会計担当で事務が好きだという人が、いざ決算になってみると、処理がわからない。日常の出納帳は非常に細かくつけているが、決算の筋道がわからない。困った。あんなこまごましたものをいちいち検証するなど、自分にはとてもできるものではない。まあしかし、やってみなくては始らないので、まず仕訳をやる。一年分を経費項目に分けて集計してあったので、その一年分を、会計担当副社長の処理を信用して一発で仕訳した。

すぐに、売掛金と買掛金の処理でつまずいた。現金主義のような、そうでもないような、どうもわからない。こりゃ、悩んでいたってしょうがないので、ひとまずやめて、Kの奥さんにきくことにした。彼女は、専門ではないが、ここ数年は、夫の手伝いをしていたので。
翌日すぐ、十一年度の決算仕訳と、家事関連項目の算入割合をコピーして送ってくれた。で、売掛金と買掛金の処理はわかった。決算仕訳を家内に指示してその転記までいった。来年はおぼえろよ、と権威ある者のように言った。減価償却費の処理のところで疲れてしまって、中断している。小ぜわしくて、なかなか時間がとれない。二人揃わないとやれないので。くり返し言うが、たいして忙しいわけではないが、すぐ疲れてしまう。行事も入っているし。
体力だ。年齢だ。はじめての年齢実感で納得。
来週、月曜と火曜の二日間休日とすることにした。だが、宿は休日ではない。予約がはいっている。

家内と会計事務所まかせできたので、はじめての実務だ。三十年ほど前、今と同じに、カネがなくてヒマがあるとき、独習HPならぬ独習会計をやった。五六年も苦しかった。ようやく、簿記論と財務諸表論をパスしたところで、人生がひっくり返って、そのまま中断。断絶。まあ、自分には向かないことだったが。仕訳とか転記とか、なんだか懐かしい。忘れていないところがおもしろい。原理は頭に、体にはいっている。

店主勘定とか、元入勘定というのが、勉強の時にはほとんど出てこなかったので、とまどう。まあなんとかなるさ。でも、日にちは追いかけてくる。切迫前になんとかだぞ。

3月6日 火曜日 法事で

日曜日に上呂で法事があった。おばあさんの姉妹のうちだ。八人兄弟姉妹で末裔はみんな、今は地味なうちになっているが、当時は勢いがあったんじゃないかな。田、畑、山があった。今日の法事のうちは、かなりあるんじゃないかな。大学へ、三人の子供たちを、みんなあげた。僕などにはとても、はじめから不可能だが。家風はじみだが、先代は金一という名。金一筋だ。当人は、この間なくなったばかりで、人となりを知っている。一筋の金とも、シャイロックとも縁がないような人、いや、むしろそれを意識して生きていた人かもしれない。寡黙な、詩人のような聖人のような人だった。
これは自然になったのではなく、意識して、決意してそのようなものとして生きた。本人にそんなことは聞けないので、これは推測だが、まずまちがいない。人との競合いで自分をつくっていく人ではない。自分で自分をつくっていく、自立の人。これがむずかしい。誰だって、競争相手や意地の相手がいると、元気いっぱいになれるものだ。そういうものがなくて、自分の中に輝きを持ち続けていくことは容易なことではない。その人は、一筋にそれをやってきた、不思議な人だった。独特の清廉潔白。

席では、両隣に経営者が座った。お二人から話しを聞いて、やっぱりかと思わされた。聞いてはいたが、実際を聞くと、日本の曲り角をあらためて実感させられた。

ミシン販売の人と、製材所の人。
国内の空洞化というやつだ。木材は、外国で製材までしてこちらへ持ってくる。これではたまらない。国内ではほんのわずかの製材のみだ。縫製も、あちらの技術が上がり、材料もいいものを持っていくので、とても国内のは成立たなくなった。こんな状態だから、景気がよくなるはずがない。
政府も関係者も、もう甘いことを吹聴していてはいけないよ。前方は厳しいのだと、国中で覚悟することだな。第二の敗戦なのだが、はっきり自覚できないので、いつまでも幻想につかっている。政治家たちは、国民の皆さんなどと猫なで声を出している。バカにするな。人を利用するな、コケにするな、もの扱いするな。

3月9日 金曜日 複式簿記。

じゃばアプレットで、ここ数日フラフラだ。しかも、青色申告とカミさんの帳簿と複式簿記の思い出しとその教授とで,心臓のぐあいが悪い。心が黒々として不安になる。

横になって、今後の簿記の段取について、うつらうつら思い出していて、めどがついてきた感じ。気分があらたまってきたので、今これを打っている。
二十数年前を思い出している。カミさんを叱りつけ、怒鳴り返されて、おろおろやっているうち思い出してきた。ともかく彼女は、帳簿は丁寧だが、簿記というものがなんにもわかっていない。こんな簡単なことがわからんのかと怒ってみても、わからんものはわからん。
こっちはKまかせで、一切簿記には触れなかった。現金預金の動きだけは注意していた。
簿記論と財務諸表論という難しい試験には通ったけれども、一度も実務をやったことがない。ジャバアプレットには国家もマネーもかかわらないが、青色申告と複式簿記は、だから待ったなしでおそろしい。心臓の具合が悪くなるので、発散のために、カミさんに怒鳴る。カミさんも負けじと怒鳴り返す。困った。ここ三日店を休んだのに。だが、かえって、皮肉にも電話がなんども鳴る。今日も店は休むつもり。怒鳴りと、怒鳴られと、おろおろと、ヒステリーで、困った、困った。

3月10日 土曜日 合計残高試算表

ついに、完成。月曜日から今日まで店を休んだ。さいわい泊り客が切れたのでよかった。もし客が引続いていたら、どうなっていたやら。
途中二人とも不安になっておろおろだ。原理はわかるけれども実務を経験していない者と、帳簿はずっとつけてきたけれども原理を知らない者とが、四苦八苦してねばった。経理も規模も、日本最小のものだが、複式簿記で経理するとなると、簡単にはいかない。ほんの少しの失敗でもつまずいてしまう。

まず決算仕訳前の、科目の合計でつまずいた。仕訳はこちらの担当、転記などはカミさんの担当だ。仕訳はまちがいない、ちゃんとバランスで来ているので、転記がおかしい。四十数万おかしい。なんだかんだやっているうちに発見。転記間違いより素朴な失敗、消耗品費全体の計上もれだ。
これで山は越えた。ホッとするね。もう先が見えている。
決算仕訳のための、家事関連費などは、Kの奥さんから資料を送ってもらっていたので、それに従う。さて、合計残高試算表。またまた合計が合わない。青くなる。いやになる。だが、仕方がない、調べ開始。なんだ、また計上もれだ。預金科目がそっくりぬけている。さあ、それじゃ残高を合計してみろ、合うはずだ。だが、また合わない。二人ともがっくりくる。カミさんは気分直しにトイレへ行った。帰ってきて計算しなおし。なんだ、単純な計算ミスだ。疲れのせいだ。

損益計算書を作るぞ、と言うと不安な顔をするので、もう心配ない、自動でできるんだ。
さて収益項目から、費用項目を引く。赤字は赤字だが、そこそこの赤字だ。ホッとする。カミさんも。控除項目の計算がないのでラクだ。ほんとは赤字を悩まなければならないのに、二人とも、この程度ならと悩まない。計算が終ったことのほうを寿いでいる。
以上は夢の情景で、実は今年も引続き大幅マイナス。どうせならと半分はヤケで部屋に閉じこもっておったが、このまでは数年後にはバンクラプシーだ。なるようになれだ。

黒字にするには、売上を数年前の規模に戻すか、利益率を上げるかだ。だが、体力が、当時の三割ぐらいしかやれなくさせている。また利益率を上げたら誰も来なくなる。
来年は会計ソフトだ。店に、五千円ほどで二、三並べてあった。
計算で疲れてしまうので。計算そのものは機械にまかせられるので。
これも希望的なうららかな情景で、PCも会計ソフトも問題外になるかも。

3月12日 月曜日 清書 損失申告書

きのう清書の段階へ。
またまた細かい点で筆記者がつまずく。しびれた頭で検討する。
月次売上額のうち、12月が自分の原帳簿と違うのはなぜか、ときた。
それまでに、計算が合わなくて、その都度電卓をたたく。訂正をはじめると帳簿のあっちこっちがきしんで疲れてしまう。
これは、期末に発生主義にするからだ、と言っても通じないので、売上や仕入れが二重計上にならないようにするために、期末に調整するのだと言う。だが、こう言うと筆記者は飲みこめないので混乱してますます疲れてしまう。

Kの奥さんに電話で聞く。やっぱりそうなのだ。調整だ。
彼女は、意外に元気だ。一周忌になるが、以前よりも言葉に活力がある感じだ。
はきはきと楽しそうに答えてくれる。二人で、電話でたからかに笑い合う。Kの生前中こんなとはまずなかった。重い石が頭のほうにある感じだったかな。それが軽くなった。
「数字を、合わせちゃうんです」と言って笑う。僕も笑う。笑うタイミングが合う。

Kと僕には、会計は因縁だ。某国立大学で一緒のときは、二人に会計などはまったく関係なかった。それが、彼が会計事務所に勤務して因縁が発生した。これから十年後に、僕のほうに会計の因縁が生じた。
当時は、たまたま僕がKニュウタウンに住んだので、彼とは車で三十分ほどのところだ。行き来した。やがて彼も結婚した。電話の人がそれ。しかし、まさか彼のほうがあっけなく逝ってしまうとは。僕のほうがヨタヨタとしていたのに。結局、こっちは、無理ができないので、病を重くしなくて生延びた。彼は、頑健だったので、病を重くしてしまった。頑張りすぎた。世界囲碁大会を開催するとか、いろいろ頑張っていた。結果として張り切り過ぎ。

カミさんは、清書が得意だ。若いころトレースをやったので、わかりやすい字を書く。感心する。僕にはできない、乱雑には書けても。
深夜になったが、申告書までやってしまうことにする。清書は彼女の得意なので、気分が改まるのだろう。
ところが、書けない書くところがない、などと奇妙なことを言う。どれどれ、なんだ、損失申告書じゃないか。
だが、これは手元にない。書くところがないと言って、彼女が喜ぶ。今は、赤字よりも、書類完成のほうばかりに頭が行っている。

ようやく今日開放予定だ。十万の節約だなどとがんばってみたが、大変だ、やっぱり餅屋は餅屋だ。来年があれば、来年は会計ソフトだ。どんなぐあいのものか知らないが、計算はしてくれる。それだけでもありがたい。いちいちの計算しなおしで参ってしまう。

3月14日 水曜日 寮友だった者に電話

きのう、レトロ写真館で学生寮のページを作ったので、念のため電話してみた。岐阜県の者ばかり四人が特に親しくつきあっておった。心がけたわけではないが、そうなってしまっていた。四人は田舎者ばかりだ。田舎者というときついが、地方出身者ということだ。この者たちには、寄って集らせるような、県内の同じ水があったのだろう。自分たちには判らないが、特有のなにか人のいいような抜けたようなところがあって、他の水とは交わりにくかったのであろうか。

何年ぶりかで電話した。一人は不在だったが、三人とは話した。岐阜県ナマリで。一人の奥方などは、一度しか会っていないだろうに,こっちが名前を出すと、えらく懐かしんでくれたのには、嬉しいけれども驚いた。
九時ちょっと過ぎだったが、眠たい声だった。いきなり用件だ。明日職場のパソコンで見てくれというと、ここにある、と言う。これは意外だ。彼はむっときたかもしれないな。検索のことと、写真のことを言った。機嫌がよくないようすだったので、話を手早く切上げた。

次の二人は、よく喋った。いつまでもしゃべる感じによくしゃべった。元気がいい。こっちも声ばかりは元気がいい。から元気かな。一人は三月に退職。もう一人はすでに退職して、関連会社にいる。ヒガミかも知れないが、けっこうな身分だな。俺なんか、日本と、地方と一緒に、フラフラだ。だが、ここはヤケノヤンパチで、サドでいかなくっちゃどうにもならない。

3月15日 木曜日 本音を言う

ТさんNさんRさんが来る。よくしゃべった。今までにしゃべらなかったこと、何十年としゃべらなかった本音を語った。近所つきあいや商売で、本音は語れなかった。だが、今日は、はじめてRさんが本音を語った。唾を飛ばして体ごとしゃべるうちに、だんだん青い顔になっていった。
集団を生きる姿勢において、どれでも根本は共通だろう。いかにまっすぐに生きられるかだ。権力ずくにならないかだ。濁りと誤魔化しに敏感であり続けるかだ。とくに上からねじられてきた者は、知らぬまに感覚がマヒしてネジリに鈍感になる。いったん鈍感のなかへ浸かると、もうほとんど外へ出られない。だから、ねじれがねじれとわからなくなる。

この場合大切なものは、感覚だ。知識ではない。知識は、むしろ、ゴマカシを助長させる。感覚こそ倫理感の土台なのだ。これこれはおかしいと、知識ではなくて感覚で自覚してこそ、その人を倫理と美の練磨に向わせる。

3月17日 土曜日 国家プロジェクトとしてのIT事業とその学習

昨日は申告書提出期限開けで、さてと商工会へ行くことにしていた。その出がけに旅館組合からの書類が来ていた。今回は、すぐ開けてみたら、驚くべきことが伝達されている。森首相がなんだかんだ言っていたIТ事業国家プログラムがほんとだったのだ。彼のやることなす事が、すべておかしいような雰囲気で,頭からまともには考えていなかったので,この伝達には驚いた。一日六時間の三日間コースで、千円だ。全額で千円だ。どうも話が信じがたいので、岐阜の組合本部へ電話して確めた。

すると、これは真実で、さらに、コースにいろいろあり、いくつでも受けられる、各コース千円で。
こりゃ重要だと、商工会へはコピーの件で行った。すると,個人の用件ではないので無料だと,気迫万点の課長さんが直接に作業してくれた。テキパキして気持がよかったな。

数軒を訪れて説明した。内容はこみいっていたが、みんな熱心だった、関心の高さが伝わってきた。同時に、景気の苦しさも話して、暗になぐさめあい励ましあった。

3月18日 日曜日 僧侶として小説を書く

福島県福聚寺副住職 玄侑宗久(ゲンユウソウキュウ)さんのお話。
二月十七日の日記に、良忠上人の『看護用心抄』のことについて、逝く人への看護人心得だと書いた。法然の孫弟子である上人による、教説の書きものではないと。
四十四歳の臨済宗の僧侶で、芥川賞の候補作『水のへさき』を書いた玄侑さんのお話に、似たようなものがあった。彼も、臨終の人への恍惚でありたいと。

現行医学の成果では、臨終のとき、脳からベータ・エンドルフィンなるものが生み出されると。この物質は、生体をなんとか回復させようとして出されると。それが、逝く人にある種の恍惚を与える。経験上もそうのようだ。昔から、その恍惚の手助けを僧たちがやってきた。

玄侑さんが、逝く人にとっての信頼される僧でありたい、と言っていたのが、また、僧の世界や仏教の世界について、なんだかんだ言わないでいるところがよい。

僧の日常生活として、その特色として、臨終の人にとっての信頼される人であること、というのは非常に良い。そのためには、日々信頼されている者でなくてはならない。この役割は、僧世界のウソっぽさをすくいあげる大切な要素だろう。僧の薄汚さというのは、当人にとっても、檀家など周囲にとってもやりきれないものだからだ。

戦後の好景気上昇社会が、上層日本人の魂を抜いてしまった感があるが、僧侶だって同じだ。いや、その点について無力だったというにおいて、我々を落胆させイジケさせる。なんといっても僧たちは、よかれあしかれ、日本人の核の部分をつくってきていたからだ。それが率先するかのように転落していっている様は、辛い。

3月20日 月曜日 エクセル。僧界の死語と蘇生。

暖かくなって、一日ぼんやりしていた。昼、体が休みたがならないので、その余勢で、エクセルを進行させる。ワードやサイト作成と関連するので、やれた。このソフトは、世界中のビジネス書類において使われ育てられているものだそうだが、なるほど、よくできている。自分には使いこなせないけれども、重宝なものだとわかる。デスクワークには、必須であり、常識になっているのだろう。大企業ではむろんだが、町の小企業でも使われだしてきているのだろうな。

肩がこってきたので、三十分の散歩に出る。暑くて汗が出る。
エクセルは、三十分ほどしか続けられない。ごろんと休む。その時のイージーリスニングに、きのうの
玄侑宗久さんのテープをなんども聞く。不思議に、この人とアナウンサー氏の口調が心地よい。機能的なおしゃべりでないところが新鮮だ。アナ氏は、機能が商売だが、玄侑さんに引張られて、というかその特徴を引出そうとしている。

会話とその言葉、また仕事の言葉は、機能である。役にたつ伝達だ。一般に内面的な一人しゃべりのような言葉づかいは、日常生活では出てこない。だから、この僧侶作家の言葉使いが僕には新鮮なのだ。つぶやきのようなおしゃべり、言葉づかいだ。小説家の言葉づかいであって、僧侶のものではない。僧侶の言葉づかいは機能だから。

彼が言うに、今、地獄極楽はほとんど死語になっている。かっては、この言葉は人々に生きていた。生きた言葉であったのに、今は、ポピュラーになって、なると共に力を失った。死語となってきている。つまり、彼が言わんとしていることは、僧侶世界の言葉がそうなのだと。つまり、さらに言うと、これは自分が自分で言葉さがしをやっているのだと。習慣の中で死んでいる僧侶世界の言葉ではもうどうにもならないのだと。

3月21日 水曜日 愛情

K(慣れたのでKとします)の命日がこの二十五日で、奥さんからその連絡をもらっていたので、もし都合がつけば行こうと思って電話した。申告書もなんとかつくることができたことも。
彼女は、内剛外柔といったタイプで、この際もしっかりしているが、心が不安定になるときがあるようだ。Kが、心の厚い人物で、彼女はそこに保護されていた感があるからだ。亡くなってみて、周りの風が厳しくあたってくるように思えたろう。

僕も、ずっと彼と会話していることに気がついた。なぜそうなのかと言えば、ある種の心地よさがあるからだ。心地よいから彼をなんども思いだし会話する。彼は、一切毒のようなものはこちらにもってこなかった。さわやかでありつづけようとして、生涯そのようにした。

逆の場合がある。
びっくりして、心を打たれて、メイルしたサイトがある。二つある。二つとも返事があった。心の深い傷をかかえたサイトだ。それは、逃げたくても逃げられない、過去の傷だ。幼少の頃に、大人から一方的に踏みこまれ踏みにじられた傷だ。残酷な事です。白紙の子供なので、まともに受けてしまう。その傷が、ちくっとその人を襲い、おびえさせ、暴れさせる。ひとりはおびえて耐え、もうひとりは猛烈に暴れる。

今回は愛情のほうの話。
愛情には、その裏がある。裏が出てくる事がある。裏が出てきて、それを受けて練っていってこそ、愛情、だろう。裏とは、嫉妬や、意地悪など。人と人との間に、ひび割れを入れてくるマイナスの感情。長いつきあいを経た間柄には、自ずから愛情が伴ってくる。風雪に耐えた間柄というのかな。嫉妬や意地悪や我欲が練られて、しみじみとした愛情に変る。

Kのことを思いながら、愛情ということを、いま入力している。愛情といっても、男と女の間に限らないとわかる。普通には、男と女、あるいは夫婦の間に愛情という名のものは生ずるものだが。むろん親子も。

Kと自分の場合は、友人であり、友情である、だが、はっきり愛情である。つまり、彼の継続する配慮であり思いやりであり、こちらの運命に対しての心配りである。これが愛情だ。情愛だ。心を込めて、志して、練って鍛えたものだ。その人の意思そのものであり、全体そのものである。そういうプラスの要素のものなので、彼の事を思い出すだけで、その在りし日の感覚がすっとよみがえってくる。そしてこちらを包み込み、肯定する。

しかし、なぜ彼のことをこんなに思うのか。僕たちは、憎しみではなく愛情の中で暮しているのに。妻はもちろん、母も、隣り近所の人たちとの愛情も。
それは、ある独特の個別の愛情を、理解を、感覚を、彼が僕に対して持っていたからだ。自分でも気づかないでいるような、僕独自の感覚の領域を彼がみつけ大切にしてくれたからだ。琴線に触れるというのかな。やっぱり、みんながみんな、そこに触れ合うということはない。そこに触れて大切にしてくれたのが彼であり、また、僕のほうも、彼独自の琴線に触れて大切にしてきたのだろうな。

追記。彼との共通点は、生きづらさの中味が似通っていたからではなかろうかと思ってみる。これが、若い頃から今日まで変らなかったのではと。また、脱出への、また世間とのスタンスにおいても。彼が凝ったものは、若い頃から順に、学生運動、パチンコ、読書、囲碁。詩は書かなかったけれども、その心。

3月22日 木曜日 詩の心

Kについて写真までもアップしてから、ずっとフタをしていたごく若い頃の自分がもどってきてしまった。あの頃の、無防備な心持というものは、この歳ではほとんど支えられない。防備に防備を重ねて生きてきたのに、ここへきてそれを取っ払う感じで不安定になる。前向きの体力そのものがすでにないので。がむしゃらの馬力がないので。

詩の心とは、今の自分には何だろうか。あの頃は、詩の心とは戦闘だった、戦いの心構えだった。戦って生きないぞ、という戦いの心だった。ここが若さの馬力であり、無鉄砲だ。戦闘をしないという戦闘。そして、この構えというのは、世間に対する拒否でもあった。

Kの場合、これが学生運動への没頭となって現れた。さて次の段階。
Kと僕が以来ずっと一緒に来たということは、二人がそれぞれに持ったそれぞれの青春を手放さないぞという構えであり覚悟であったのだ。むろん、そんな顔は見せない。二人とも家族を生きなければならないので、不恰好を見せ合わなければならないし、見せ合おうとしていた。けれども、内心、ひそかに、それぞれの青春への頑なさを確かめ合い、またそそのかした。生きづらさを生きることになった。その姿勢を、ひそかに応援し合ったのだ。なにげなく、それと悟られないようにしつつ、そそのかしていた。

そんな秘密の、味な人生が、彼のさよならで壊れしまった。と、思い知らされている。そうだったのかと。と、わかってくるにつれ、明日が茫然としてくる。今、とつぜん無防備で立っている自分がある。あの頃の意気込んだ無防備ではなく、受身にさらされている自分。

3月23日 分裂から光へ

自分の場合、今でもその疼きがよみがえってくる。レトロ写真館をアップしてから、若いころの思いが直接に自分の体によみがえってくるようになっている。

最近若い主婦の神経病のサイトを読む機会があって、自分のその頃をなんどか思い出す。そのサイトに表現されている事柄は、とてもひどいもので、それと比べたら、自分のは他人から直接に虐待されたものではない。けれども苦しかった。その人のは、父親と母親による、いびり、精神虐待、である。神経が過敏になっているので、大人からのワイセツ行為にもひどく敏感に反応してしまい、その傷を一児の母になっても抱えたままで苦しんでいる。

こういうのを読むと、頭と体の分離の苦しさを思わされる。彼女は、自己分析力とその表現力が高くて、治癒のためにも、事を客観視し、ていねいに表現する。ドクターの指示もあるのだろうが、その表現力は、自分には耐えがたいほどの自己虐待である。自分の姿を、逃げないでリアルにリアルに見つめようとする努力の現れだ。けれども、これは胃痛とは違って、すぐなおるというものではない。

頭でわかることと、体もそのように望ましい方向に行ってくれることとは、同じではないのだ。これが辛い。けれども、治癒方法として、彼女は逃げずに事を見つめるという方法を実行している。これを乗越えて行かなければ、タフにならなければ、解決していかないとして。

僕はどんよりと重く暗くなる、彼女の亀裂と重さに。
これは、異物のような世界だ。活発な経済活動のそれではない。表の世界ではない。裏の、ひそかに、息をひそめて生きている世界だ。弱いものの世界だ。おおっぴらにできない世界。でも、彼女は生きていかなくてはならない。なんとか表の世界にはいっていかなければならない。彼女の周りは、彼女の内心の苦しさを知らない。自身も、それは知られたくない。いびつな人として烙印されたくない。なんとかして、なにげなく、世間の中に滑り込んで行きたい。

生きづらさ、息苦しさの感覚というもの、これを僕自身は、僕自身の力でなんとか始末してやると我を張ってきたけれども、くるっとよくなっているわけではない。いつまでもこの感覚は始末されない。こんな初老になっても、その感覚は鈍ることはない、体力と一緒におとなしくなってくれればいいのに。弱った経済と弱った体力をいいことに暴れ出す感じで困ったものだ。この不安定は、重苦しい。

解体、分裂から光へ、と表題にしたけれども、光へ、は願いだな。光は、我をはって気張れば得られるというものではないな。困った。