三島由紀夫と今と2  1へ

目次
12月12日 『鍵のかかる部屋』
12月1日 承前
11月30日 『絹と明察』日本の父。『宴のあと』日本の母。
11月18日 ぶんがく毒
11月16日 『人間失格』2
11月13日 『人間失格』
11月11日 団蔵の投身自殺と芸道
11月10日 『三島由紀夫伝説』、陸軍、二・二六事件
11月9日 『三島由紀夫伝説』
11月4日 『魔―現代的状況の象徴的構図天職としての文学創作
11月3日 車谷。河野。野坂、石原
11月1日 『宴のあと』 『潮騒』
10月31日 『宴のあと』2
10月26日 『宴のあと』
10月23日 22日の続き……天皇について
10月22日 『鏡子の家』・『文化防衛論』・『葉隠入門』
10月19日 『わが友ヒットラー』 バタくさ道の向こうにあるもの


10月19日 木曜日 『わが友ヒットラー』 バタくさ道の向こうにあるもの

昭和四十三年の作品。
ざっと舞台紹介。時 一九三四年六月。所 ベルリン首相官邸。
登場人物は男ばかり四人。
アドルフ・ヒットラー。
エルンスト・レーム(三百万人の突撃隊幕僚長。ヒットラーの陰謀で隊員四百人と共に処刑される。)
グレゴール・シュトラッサー(国民社会主義党の実力者。同様に処刑される。)
グスタフ・クルップ(エッセン重工業地帯の大立者)

『わが友ヒットラー』と『サド侯爵夫人』とは見事に対をなしている。前者は権力、後者は淫に関る貞淑と罪と官能をテーマにしている。出来は三島が意図した通りに共にバタ臭く出来あがって成功している。舞台は異国の見世物を見るようだろう。
出来はすっきりとして成熟している。こっちは、初期のもののように閉口しない。シエクスピアがえがくところと同じように、聖性の中の悪という感じでえがかれている。また、両者の世界は日本人には苦手である。日本は古来、獣肉の国ではなく、漬物と味噌汁の淡白国なので。権力も淫も同様に立派にあるけれども。

 気になる事があります。長舌、長広舌です。ながながのお喋り。『わが友ヒットラー』のほうで特にそれが気になります。まるっきり頭にはいって来てくれない部分があります。だが三島は楽しんで書いているので、解る人にはわかるのだろうか。『金閣寺』でももうかんべんしてくれよとつぶやきつづけたものです。長舌は彼の癖というか、一種の病気というか、言葉がどんどん出てきてしまう。あるいは、長く引張ることができてこそプロだという自覚があったからだろうか。

◆ ごく若い頃、ネジリハチマキをして漱石の『明暗』を読んでしまったことがある。指で数えられるほどの読了の一つ。上記の脚本を読んでいて、その肌ざわりを思い出した。丁丁発止とやりあう会話の妙が似ている。『明暗』が褒められているのを知らない。僕も、なんという猛烈な小説だろうとただ感嘆し閉口した。漱石は、最後にそこへ来た。すごい実験であったのだと今にして思う。漱石の西欧へのぶつかり根性は、その後我国の文学史で途絶えていたのではと、浅い知識ながら思っていた。荷風の文学世界などは、中途半端で無残である。けれども、日本文学はだいたいそういうものなのだろうと思い決めてしまって安心していた。それが三島で破られた。どうせならもっと若い頃に知っていたらと悔まれるが、読みぬける力も備わっていなかったろう。まあ縁のものだ。

極論してすみませんが以下は大坪の一人空想セリフです。
三島は、その点漱石先生の正嫡じゃないかと思ってしまう。三島は、その正嫡ぶりがどうも敬遠されたんじゃないかな。つまり、ほかの左翼とか、そのシンパの小説家や評論家が、三島が正嫡過ぎるので自分たちがニセモノになってしまうのを恐れたんじゃないのかな。
この今まで思いつきもしなかった考えに、どうも自信が持てそうなのだ。その一番の根拠は『文化防衛論』だな。断然出色のものだ。じゃなぜそれほどのものがついに生出されたかというと、彼の猛烈なバタ臭さのゆえだ。私はこの点については、彼はごく若い頃から、近代の日本文学史のどことないニセモノ性に敏感に反応していたのだろうと。僕は、学生の頃、小林秀雄のものをのみ、懸命に読んだ。半ノイローゼだったのでその他のものは余力がなくて読めなかった。あの左翼ばやりの頃それだけを頼りに数年を生きておった。それがずっとこっちの体にはいっておって抜けなくて往生した。その小林も、今では、不徹底の日本の代表みたいなものだったとわかる。ハッタリ商売みたいな。流行していた吉本などもその傾向じゃないかな。大江だってそんな気がする。その中で意外や、ハッタリ右翼のような、マスコミ泳ぎの名人のような三島が、どうもいちばんまともに橋渡しの土台になっていたのだろうな。三島は、こんなこと公然とは言っていないが、その点についてはかなりの自負を持っていたろう。

つまり、漱石先生の『明暗』における最後の到達点は、則天去私とかの個人的なところではなくて、西欧化と資本主義を歩む以上は、『明暗』の世界とはまともにぶつかって行かなくてはならないのだ、との主張にあった。結果として遺言となった。そしてこの道はなんと三島によって継がれていたのである。彼はその辺の所は、当時なかなか発言できなかったが、後で解るときがくると確信していたのだろうと思う。くりかえすが、これらぜんぶを作ったのがバタくさ道である。つまり、ほとんどぜんぶの日本人が収斂して行く、味噌汁と漬物とまた純粋に、彼は入っていかなかった。彼のずぶとい文体がどうしてだろうとずっと新鮮だったが、それはすでにある意図のもとに成っていた。だから、上っ調子の西欧かぶれとは無縁だったのである。

三島がホンモノとなれば、日本中ニセモノだらけになるんじゃないかな。稀な文化の国日本は、踏出すには、三島が土台になる。我々の感覚に逆らうけれども。彼だって意図して逆らい続けてきたんじゃないか。いわゆる日本的などというものは、手垢にまみれ疲れてしまっている。そのままでは創り出す力はない。感覚に抵抗があってもあのルートを引け受けなければならないだろう。『文化防衛論』が上記すべてを証明している。理屈の場ではない。

10月22日Sun 鏡子の家 文化防衛論 葉隠入門

『鏡子の家』が手元に来た。分厚い。いやな予感がする。けれども、読み進んでいけることを期待しながら、一頁目を開く。出だしが、「みんな欠伸をしていた」。この出だしについて、全編欠伸の出る日常がえがかれているのだ、と指摘されていたのを思い出す。評者から悪評ばかりを受けていたと聞いている。しかし、作者はなんと言っているか。退屈な日常を描くために平板な文体にしたのだ、と彼は言っているんじゃないかな。彼は力を入れて書いたらしいけれども、予想していた通り、自分には読み進んでいけない。ひらっぺたくて眠たい文章。平板な。文章が紙面からたちあがってこない。紙面にべったりくっついてしまっている。何か、読み方の極意のようなものがあるんだろうか。困ったな。こっちもだいぶ疲れたので、三島もHPもやめようかな、年末をちょうど区切りにして。ここ一週間は体力が落ちて悲観的。手元に『裸体と衣装』がある。この小説と平行して書かれた日記である。これが、三島に似合わず、でれっとしている。全体に間延びした印象を与える。『鏡子の家』の文章スタイルと似ている。新婚旅行中の箱根のホテルで、六月三日の日記に次のように記している。〈夕食は別館の和室で和食をとり、食後、ヒッチコックのテレビ劇を見る。「俺が妻とヒッチコックのテレビ劇を見ている。食後の家庭的団欒というやつだ」と思うと、われながら、頬を抓ってみないわけにはいかない。〉

晴晴しなくて重ったるいので、『葉隠入門』と『文化防衛論』を枕元から取出してきて開いてみる。「文化概念としての天皇」を読んでみる。よく解る、なるほどと勉強になる。これは難しい理論を言っているのではない。ただ常識を言っているのだけれども、はじめての情報なので、まるで深遠な知識を三島から授けられたかのように思ってしまう。しかし、これはごく普通の知識、あたりまえの知識である。帝国だとか全体主義だとか右翼だとか、関係がない。日本史の知識として基本である。にもかかわらず、高等学校ではもちろん、その後の大学での理屈の言い合いの時にもまったく出てこなかった。いや、天皇が話題になることはなかった。どうも我らが育てられた戦後民主主義は、偏向民主主義だったな。利巧顔したバカどもがよってたかって偏向を正義にして利益を謀ってきた。とんでもないことだった。これで日本がねじれなかったとしたら奇跡だな。あたりまえの歴史や伝統をないがしろにしてうまくいくはずがない。現在のような混乱の時、歴史や伝統は支えとなってくれるはずだが、粗雑にも利益本位にも天皇関係の昔の姿をゆがめてしまったので、そこからの光が射してきてくれない。そのくせ、昭和天皇の危篤の時には、必要以上に、いやらしくも、自粛だとかの、国民を民をピープルをバカにしたような半ば強制を煽っている。大新聞も便乗している。汚いやり方をしている。こんな小手先の自粛は、天皇関係の歴史や知識について浅はかだから起きるべくして起きてしまったのだ。天皇について何か決定せよと言っているのではない。これは、国民全部がゆったりと、日本文化の根幹として、考え続けて行くべき課題なのだ。
『文化防衛論』のなかに、昭和二七年の中央公論に載せられた津田左右吉の文が引用してある。それをまた引用してみる。
〈歴代の天皇が殆ど例外なく学問と文芸とを好まれたこと、またそれに長じていられたことの多いことは、いうまでもないので、それが皇室の伝統となっていた。これもまた世界のどの君主の家にも類の無いことである。政治的手腕をふるい軍事的功業を立てられた天皇は無いが、学者・文人・芸術家、としてそれぞれの時代の第一位を占められた天皇は少なくない。国民の皇室尊崇にはこのことが大きなはたらきをしているが、文事にみこころを注がれたのもまた、政治の局に当らず煩雑な政務に累せられなかったところに、一つの理由があったろう。日本の皇室を政治的観点からのみ見るのは誤りである。〉つづく

10月23日Mon 22日の続き……天皇について

徳岡さんの『五衰の人』を読み進んでいて、どうしてもひっかかってしまったのは、自決当日の以下の演説である。「日本を守るとはなんだ 日本を守るとは 天皇を中心とする武士道文化の伝統を守ることだ」
武士道文化、が愛読の『葉隠』から来ていたのだと今はわかる。これは、決起の時だからこその言葉である。この場で文化を語るべきではないので。つまり、三島は行動を起せとアジっているわけである。起す者はいないと覚悟しながら。
『文化防衛論』にもどる。この中では過激なことを言っているわけではない。文の調子は、酔っぱらった勢いで書いているようなところが全編にうかがえるが。終始熱っぽく挑戦している文だ。けれども内容は過激ではない。もっともなことを言っている。あんまり地味でもっとも過ぎるので、ああして文に勢いをつけて華やかにして見せようとしたのかもしれない。彼は戦後日本全体の流れ、左方向への流れと、相変らずの論壇などの言葉の浮薄さについに怒った、流れを危険だと思った。新しい日本の出発にあたって、中心となるべき左が浮薄なら、それに応じて右も浮薄になり、中道だって浮薄になってしまう。日本中が。相変らず、粋がって西欧仕込みの言葉のぶっつけ合いをやっている。それらの言葉たちは根もとの考察を欠いている。大政翼賛が荒っぽかったように。荒っぽい大政翼賛戦後民主主義。大政翼賛経済成長。左も右もマルクスもなにも、実質は、膨張経済の日本だったのだ。その中で、右がかったような、西欧かぶれのような、マスコミ寵児のような三島由紀夫が、その戦後日本の全部に対する批判者として、体ごと立ち現れたのであった。あまりの事に、どんな利巧者もその真の姿を見ぬくことができなかった。むしろ臭いものにはフタをしろと、寄ってたかって隅に押し込んできたのであった。しかし。

彼の作品を、縁あってここまでよたよたと読まさせてもらって、何が良かったか為になったかというと、四十二年の『葉隠入門』と四十三年の『文化防衛論』だな。前者は、面白かった。文章もどっしりと落ちついている。二十年以上に渡って愛読していたことをうかがわさせる。即席ではありえないことが文の雰囲気で解る。私は武士の書いたものをはじめて読んだ。はじめから、そんなもの彼らは書かないはずだと、なんの根拠もなしに決めつけてしまっていた。しかし、哲学書のようなそれがあった。しかも九州佐賀で。武士の倫理がこっちを惹きつける。戦闘人であるとともに城の役人。その倫理は明確である。理屈をこね合うようなものではない。私には、倫理と言えば、戦後民主主義とか大正教養とか仏教とか、それくらいだ。だから武士の倫理は非常に新鮮であった。三島自身、戦後民主主義にも大正教養にも左翼にも仏教にも行かなかった。藩主と藩にたいする絶対の忠義と、戦闘における死の覚悟、をいったんないものとして頭から抜いて、そしてその文に耳を傾けてみる。すると、かえって現代の経済主義の事どもが見えてくるのである。宗教はどれでも、暮しの豊かさを賛美してもけなさない。けなす振りはする、やわらかく批判はする、けれども過激な平等主義原点主義は拒否する。平等主義などの理想は呼びかけるけれども、結局は平凡な物質主義利巧主義器用主義に陥っている。つまり、現行の経済上昇主義に首まで浸かっている。言葉が空転する。原理原則、倫理が、経済競争の程度になってしまった。しかも天皇や自衛隊や憲法など、肝心な所がウソっぽい。そりゃ、日本は厳格な倫理の集団ではない。厳格にやるとかえってまずい。その場で、臨機応変に対処して行くのが日本のやり方だが、それでうまく行くはずだったが、どうもガタがきている。一番の土台だけは、ウソを抜いておかなくては始らないのである。経済低迷のこの時、日本中が傲慢ではなくなっているこの時、自身喪失に陥らせない程度に、国の姿の今昔をすっきりと認識し合わなくてはならない。とにかく今、日本は傲慢とメンツと自身喪失が入混じってわけが解らん事態になっている。あのバタ臭い、不良のような問題児のようなキチガイのような三島が、日本の危機を遠く見ぬいていたのである。『文化防衛論』の中の天皇についてのくだりなどちっとも過激ではないし狂ってもいない。ごくまともである。また『葉隠入門』も死に誘うとか、そんなことはまったくない。ではなくて、あるすがすがしい日本の姿を紹介していてくれるのである。これは実に立派な書である。外国で、西欧で、資本主義の綻びを繕うものとして、利益が心をほしいままにするのに立ちはだかる砦として、この日本の精神の、体の、書はすでに大切にされだしているはずである。自らが自らを律していく、これは世界規模で能動精神の最先端であろう。これは、その一つのバイブルである。まあ人生も世界史も少しずつだが。

 三島は天皇について読者の理解はともかく、ごく常識的な理想を言っている。
歴史を戻ることはできないし、進むことも、その像がぼんやりしているので非常に難しい。しかしとにかく進まなければならない。その場合一つだけ確実な事がある。私はここが意外だったけれども、さすがに三島だったのだと信頼する事ができたその最大の理由でもあった。このあたりがおかしかったら、もうまともに読んでいく気がしなかったろう。その事とは、政治に組込まれている天皇は不可だということ。天皇の扱いは微妙で、なかなかはっきりとは表現しにくいが、彼は、明治からの、政治に組込まれた、利用された天皇は不可であるし、それこそまさに不敬だと言っている。このあたり、彼はこのように露骨な表現はしていないが、私は彼の真意をそう読む。しかし念のため原文に当ってもらいたい。文は熱っぽくて『葉隠入門』の落ちつきはないが、巻末の解説者の「何度読んでも頭に入らない学生の観念的論文と大差はない」などということは天皇の部分についてはない。これは解説者がはっきりおかしい。けれども、シンパの学者ですらこうなのだから、その他はまったくひどいだろう。それほどに、天皇理解はゆがめられてしまってきたのである。事は戦後に始るのではない。明治からである。だから深刻なのだ。もはや回復できないほどの事なのだ。不敬だ不敬だと大声で騒ぎまくった幹部たちこそ不敬だったのである。天皇を回復不可能なほどに貶めてしまったのである。古来からの文化の徹底破壊に結果として手を貸してしまったのである。
虚心に読めば、みやびという事、みやび周辺の理想へのバックと、未来への展望悲願がこちらに切なく伝わってくる。そしてここを、国の成立ちの究極の土台とせよと言っている。さらにもう一歩こっちが言い足せば、その土台をいいかげんにしたら、日本はただひたすら混迷を続けるに違いないと。しかしこの点については、慌てよとは言っていない。ここまで破壊されてきた国の土台なので、ゆっくり着実につくりあげていけと。
かくいう私自身はというと、前にも言ったとおり、戦後民主主義の子であるゆえに、週刊誌天皇制の子であるゆえに、近代天皇制の少し遠い影響下にあったゆえに、天皇に対して、尊崇の気持などない。みやびも、自分がどの程度のものかまったく自信がない。けれども、三島によって、以上を理解することはできた。天皇との関係について三島も私などと、ひょっとしたらそれほど差がないのではと。いやむしろ、戦前の天皇制下に育って、かえってゆがんでいるかもしれないと。

10月26日 木曜日 『宴のあと』

これは、七月二十四日に買っている。すぐ読んでみたのだが、三十ページほどで進めなくなった。残念無念。読めなくては、頭に入ってこなくては始らない。以後ずっと苦手意識がまず来る。コンプレックスも。ところが数日前読めたのである。面白かった。惹き込まれました。彼の文に慣れたということだろうか。老いらくの恋のあたりから面白くなった。以後しまいまで、三島のペンは生き生きとしている。そして彼の技量に感心してしまった。この小説は、小説の名に値する小説だな。三十五歳の三島が、五十代中ごろの雪後庵の女将かづと、七十ほどの元外交官で、外相を務めたことのある野口を描写する。見事というほかない。三島は三十五歳である。なんという早熟。自分なんか、あのころふやけた頭をしておって、やっといま、壮年の終りにそれらが理解できるとは。この小説は筋といってない。出会って結婚して、そして都知事選、落選、離婚、かづの再出発。それだけである。中心はかづという人間。そして野口という人間。その生き生きとした描写にある。どんなふうかって、それはじかに読んでもらいたい。腹がふくれますよ。土着日本がわかります。土着日本政治が。そして、大学などに横行する言葉の空しさが。大学だとかそういうところ全体がある種の精神病院のような。みんながそうなので自分たちが根を持たない事がわからない。土地の日本人と大学などの日本人の乖離。政治の、文化の、言葉の乖離。これが、現在までも続く。政治も経済も大学も文化も、いまだに亀裂のままに日本全体が幼稚じみている。
かづという女性は、ここらにも普通にいる。ごく普通の日本人である。なぜこの女将かづが新鮮かというと野口との対比においてである。野口雄賢というエリート官僚上がりの人物像はここらにはない。私など、この人物の肌触りは三島によって教えてもらった。漱石先生を俗にしたような人物だ。エリートであるがゆえの、一人よがりが通るふうに育てられた野口。浮きあがっているプライド。革新候補であるがゆえの姿勢と、実際の選挙の土着性。その矛盾。野口は、かづの融通無碍に腹が立つけれども、結局は、滑稽なのは野口だ。そしてこれは笑えない。なにか苦い。まさにそれが事実としての日本だからである。愚弄されている日本。洋行に代表されるエリートたちの日本人と、ふつうの日本人。これら二つの別種がいて、ふつうの日本人は前者に一応かしづいている。けれども、柔軟な知恵となると、かづに軍配が上がってしまう。地を這って生きる姿に幼稚ということはない。必死があるのみ。問題はエリートたちの幼稚なのである。
それにしても、三島は、野口という独特のひんやりした人物を見事に描写する。彼の親とか、周りにそういう人物がめずらしくなかったのであろう。三島は、彼らの滑稽さ古臭さ物悲しさを冷静に見抜く。自分はこちらを歩くまいとして。『宴のあと』は日本の小説の成熟を示しているのだろうな。『金閣寺』は薦められないけれど、これなら是非にと言いきります。

10月31日 火曜日 『宴のあと』2

結局は同じことを書くことになりそうですが、この作品が気にかかるので。
読みつつ、読んでしまったあと、三島由紀夫という作家は凄かったのだなあと感心しきりです。こんな厚みのある、社会性豊な作品を三島が書くわけが、書けるわけがないと決めてしまっていたので。彼には、いい方で、裏切られ続けています。
これは昭和三十五年、安保の年、四十年前の作品です。まったく古臭くなっていない。いや、逆に、いま輝いています。三島嫌いの人でも、この作品なら納得できます。彼の技量と洞察力に脱帽しますよ。
一体、この作品は、プライバシー裁判で有名だったけれども、その内容は殆ど無視され、あるいは理解の外にあったのだろう。つまり、当時の日本人、識者たちは、虚しい夢を見ていたのだろうな。つまり、『宴のあと』なんかは、日本をいやらしくも偏見で見ていたのだ、日本は、あんな、福沢かづや野口雄賢などはもうすぐ特殊な人間にしてしまうだろう、日本はもうすぐ、社会党に近い合理的とされる社会に変っていくだろう、かづのようなタイプは地方社会でこそバッコしているがやがて徐々に姿を消していくだろう、などなどと。そして、四十年後のいま現在何がどう証明されているか。
一番の目立ちは、野口雄賢のタイプがいなくなってしまったことだ。このタイプの者は、ともかく江戸期の武士の流れを受け継いでおった、彼らにはその誇りがあった。野口はその最後の光芒だったのかもしれない、だからこそ、三島は、そこに、悲劇性と喜劇性とを見ていたのである。エリートの墜落。しかし、これは日本に何をもたらしたか。彼らがともかくも持っていた原理原則を墜落させた。となると、我国に残された原理原則というほどのものは何が残るか。あるいは何がその欠落を補ってきたか。それは、アメリカ流民主主義と資本主義だ。これが全能となってきた社会だ。古来からの倫理ではない。そんなものは古いとされた。資本が正義で全能の社会では、そんなものは古臭い、邪魔だ。その結果は、役人と政治家の幼稚っぽさとなって出てきた。
福沢かづのタイプは、現実的ではあるが、世知にたけているが、その無原則性を日本社会のエリートたちは嫌ってきた。けれども、その土着性に感心する、その無原則性にすらも。ということは、エリートたちも、もう自分の論理が信じられなくなってきたのである。彼らには、外国産の借物の論理と信念はあったけれども、しょせんうわべの化粧に過ぎなかった。じゃ最後に何が残ったか。みんなが暮しが向上すればいいじゃないか。みんなが賃上げが実現されていけばいいじゃないか。そんな程度だ。そしてエリートたちは、そんな程度の者と成果てていった。これじゃ、マネー跋扈の子供の国になって不思議ではない。おとぎばなしにあるようなり理想国にするのかい、それならそれでいいけれども。我国古来の倫理と美と緊張とを、もう考古学にするのかい。
福沢かづのタイプは無邪気で無責任で、したがって原理原則人間ではない。このタイプでは、かんじんの踏ん張りがない。あるいは、土着の、土のたくましさゆえに、ここに新しい日本の出発があるかもしれない。そこに賭けるよりほかにしようがないかもしれない。
左翼の自信喪失は、来るべきものが来たわけでいいのだが、この勢力の大声が日本をにぎわかしてきたので、ここの火が消えては全体の力がなよってしまう。左翼諸氏よ反省猿となって再出発だ。野口雄賢タイプと福沢かづタイプを、断固取り込んで、土からの日本再出発だ。三島の複雑さは日本の複雑さだが、ここには出発がある。土台が、根が、土があるよ。

11月1日 水曜日 『宴のあと』 『潮騒』

昼に高山へ。雑誌を二冊買う。『三島由紀夫没後三十年』と『新文芸読本 三島由紀夫』。きのうはこちらで『三島由紀夫伝説』、『写真集 三島由紀夫』、『川端三島往復書簡』を。数日前に『国文学 解釈と鑑賞』。いっぺんに物持になった。全部に目を通すだけにどれだけかかるか。三島のものを読むことでだいぶ鍛えられてきてはいるので心配ないはずだが。心配は、はじめて本人自身ではない言葉に大量に接することになるわけで、混乱するんじゃないかと。
高山で、本屋の駐車場で雑誌を開く。巻末のアンケートのところをざっと見る。その中でも三島作品の一冊はの質問に答えているところを。三十二人が答えている。『鏡子の家』がいくつかある。これには失望したと言う人もある。『鏡子の家』はさっぱり読めなかったので、ため息だ。困った、読めない。だがそのうち読めるようになるかもしれない。『金閣寺』がいちばん多かったかな。『豊穣の海』も。『サド侯爵夫人』も。
非常に気持のよかった『海と夕焼』を挙げている人が一人だけいた。意外にもそれは梅原猛。なんだか妙な気分だ。ああいう人と自分になにか共通するものがあるのかなと。それからもう一つ非常に嬉しかったのは、『宴のあと』をあげている人があったこと。この小説はさっぱり話題になっていないようだ。まあ日陰者らしい。出口裕弘という人が、これを上出来中の上出来と言っている。ホッとする。私にも『宴のあと』は上出来中の上出来です。
三島は芸術派であるばかりでなく、立派に社会派であったことを証明してくれました。全般に、みんなの視点が芸術傾向に偏りすぎているように思う。自分が三島作品を読めるのは、その社会派的な厚みが優れているからだ。芸術派傾向のものだけなら、これほどに関心を持つことはなかった。彼は、四十年前に、すでにあの目を持ち、しかも作品として成功させている。この作品の上出来は見過されているんじゃないかな。
これが『潮騒』と共通する面があると言うつもりで出発したのでした。何をバカなと言われても仕方がないです。知らぬが仏で言ってみるわけです。その共通点は、全体が明るいこと。全体に善意が貫かれていること。登場人物が善人ばかりであること。作者の悪意感覚が出ていないこと。これは、いわゆる庶民が登場する。庶民が主人公だ。作者は福沢かづのような人物に悪意を持って描写していない。その逆である。三島はこれを肯定し受け入れている。福沢につられて、野口雄賢も善人の方へ引張られてしまっている。福沢かづも野口雄賢も、それぞれの階層の典型として描写されている。三島は、この時、未来を見ている。悪意もない。悲観もしていない。そして四十年後のいま、日本は、間違いなくこの続きにいる。『宴のあと』はただ今の日本認識の教科書である。

11月3日 金曜日 三島が文章のいちばんの特徴は 
(車谷、河野、野坂、石原)

きのう、仕入れてきたもののうち二三に目を通すうち、その全部を押並べて何か言うとしたら、彼の文章の特徴のことだ。前々から、三島の文章の太さが気になった。いつも骨太なのだ。近代文学の伝統からしてもこの逆をイメージして普通なのだが、彼のは決してそうならない。川端康成への二十歳ごろの手紙を見て、すでにその特徴が現れていることがわかった。重戦車のように低いところの位置を維持したままぐぐぐぐっと進んでいく。つまり、思い付きを軽く書くということがない。上っ調子にならない。声が上ずらない。しぶとく考え抜かれ練られている。感覚に、常に観念のタガをがちっとはめこんでいる。ナマでは出てこない。子供のころから、自ずからそういう修練がされていたのだろうと思う。子供ながらに、克己の力技といったものだろうか。

雑誌では、車谷長吉の『三島由紀夫の自刃』に感銘を受けた。彼も、若いころ三島の自決を、「世迷言に近い夢物語」と判断しておった。ふつうである。ただ、彼はこれを、野坂昭如や石原慎太郎のようにはしゃいでは受取らなかった。二人は、三島を半分バカにしたところがある。三島のような天才鬼才は煙たいからである。それと、戦後を楽しんでいたからである。彼らのこの傾向は今に続いている。
しかし、車谷は、どうやらそのころから懐疑的であった。戦後を楽しむどころか、苦々しく思うところがあった。徐々に、彼は三島理解を深めていったようだ。それに拍車をかけたのが自決後に続く日本社会の混迷だ。この一点で三島と車谷は結ばれて行ったのだろう。重い課題として。ただ車谷の文には、三島ほどの重量がない。それは仕方がないことだろう。三島は、若いころからの筋金入りだから。で、車谷のほうは、詠嘆調になってしまっている。悲憤慷慨調。彼は、「小説という文学形式は、早晩、滅びるだろう」と言う。「歴史の終焉」と言う。また、「日本人の魂は腐った。毛唐に骨抜きにされたのである。いまや〈死をいとふ〉人々の空疎な絶望が、天と地に満ちるばかりである。」と言う。
彼が引用している、三島の当日の檄を、また引用します。
『日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。いまこそ我々は生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。我々の愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬやつはゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。』
そのころこれを読んだはずだが、リアリティーがなかった。なあにを言ってるんだと思った。異常だと思った。しかし、今はそう思わない。言葉どおりにまともである。だが、まともに捉えられなかったのが、あの時代だ。あの時代の日本だ。三島は、革命ごっこでないことを身をもって示した。

次に読んだのは、小説家河野多恵子の『痛ましい「事故」』。この人のことは知らない。彼女は「事故」という取り方をしている。無関心に近い関心だ。彼女によれば、第三の新人と呼ばれていた人たちは、だいたい反応がそっけなかった。彼らは三島と同世代だが、日常深入りと日常脱却で、生き方が正反対であったようだ。三島は、戦前を引きずる忌わしい者であった。
次が野坂と三島の、事件三年後の対談〈三島由紀夫へのさようなら〉。俗悪。読んでいて腹が立ってきた。彼らは、戦後を楽しんできた者たちであり、戦後をもっともらしくかき回してきた者たちである。くそまじめ派の三島は彼らとは合わない。

11月4日 土曜日 天職としての文学創作

 文庫に『小説家の休暇』があり、その中に「魔――現代的状況の象徴的構図」という十頁ほどの短文があった。このタイトルを見ただけでは、何のことかわからないし、さらに、ここに何か気持の悪い仕掛を三島が隠しているんじゃないだろうか、といい気持がしない。『金閣寺』にほとほと参ったので、身構えてしまうのだ。根性を込めて向わないと弾き飛ばされてしまうこと、彼の終りまでの超猛烈人生に照らしても納得できようというもの。間をおかず続けさまに二回読んだ。結論を先に言うとわかったようなわからないような文だ。三島にとって、いわく言いがたい文なのだ。微妙だ。だが、文の勢い、力からして、精魂込めて何かを表現しようとしている事に間違いない。
 出だし、若い女性を刃物で襲って、そのままただ逃げてしまう通り魔の事が書かれてある。ここで、観念や想像がテーマとされる。そして、この通り魔の行為は、最後まで観念と想像の中の行為として終る。行為者の絶対孤独。自転車で追って行って刺すことは具体的行為であるが、彼には、行為の前と結果の、観念における反芻のみが生き続ける。これが現代的状況だと三島は言い、そして、作家あるいは詩人は同様の立場にいると。三島得意の行為と観念が出てきており、彼は観念が行為を食い破ってしまうと言う。観念がまるっきり行為に勝ってしまう。まあだいたいこういう議論が続く。特徴は、つぎの用語に現れている――絶対孤独、絶対他者、観念、行為。これらの言葉から、われわれ現代人は、なにごとかピンと来るのである。何事か現代人の病として。三島は、ここで、仁王立ちする。踏ん張る。妥協しない。人間が丸くなるなどという考えは彼にはない。角張ったままずんずんと歩いて行く。
 自分が学生のころ、むろん三島は知らなかったが、別の方面で、こういった議論、つまり作家詩人の議論、に囲まれていたことがあった。自分としては、作家詩人として立つとか決心したわけではなく、その才能もないし、自分が進む道としては考えたことはなかったけれども、そういった主張を理解しようとする位置にはいた。けれども、卒業とともにその方面はさっぱりさよならしていた。それが、三島を読むようになって、なんとその四十年前のわが青春にかかわってきているらしいと。どうも、このごろ変なぐあいなのだ。
 三島は、その才能だけでなく、もう十代にして、文学者として立つと決めて精進していた。そして、『仮面の告白』が成功すると見るや、その路線を着実に豊に歩んでいった。その時の文学者としての方法が、この文のテーマだ。まあ簡単に言えば、三島が時代の鏡になるということだ。時代の錯綜が縦横に三島の中を走りまわるのに任せる。彼は、時代に選ばれた人であることを引き受ける。彼のいちばんの特徴は、観念が空転しないことだ。がっちりと現実と向合う。その力ワザ、その使命感はもはや常人のものではない。才能もさることながら、その不退転の決意と実行がすごい。だからこそ時代を包括し、明るくはないけれども未来を用意してくれたのである。
 しかし、やがて、文学者としての決意のもと実行してきた絶対孤独による言葉の作業がどうにも行き詰ってきた。またなかなか理解されないし、時代が上滑に走って行くばかりだし……ついに、鏡としての絶対孤独を投捨てて絶対他者の獲得に向うとともに、身をもっての証明に突進して行った。文学者としての壮烈殉死である。

11月9日 木曜日 『三島由紀夫伝説』

これを二割ほども読んだ。文章が豊潤で腹がいっぱいになった。無理に気をいれて文字に向うなどということは起きない。するすると気持ちよく入ってくる。読み進んでいくのが惜しいような気さえしてくる。このような上等な文学があり得るとは予想できなかった。奥野健男という人については名前は聞いたことがあるけれども、文章を目にするのは初めてだ。

徳岡孝夫の『五衰の人』も良かった。しかしこれは、内容はそうでも、特に文章そのものが新鮮だったわけではない。この文章は、雑誌や週刊誌で慣れていたもので、頭に抵抗が少なく入ってくる。週刊誌は、とにかく気楽に読めなくてはならない。すっと頭がラクになるように。興味が続くように。しかしどきつくならないように。上品でもあるように。だから、こういう文章もなかなか書けるものではない。喫茶店で、車中で読めて、しかもしっかりと複雑な内容をも伝えなくてはならない。この文章は、ジャーナリストの文章というものだろう。戦後の文章だ。もうひとつ下がっても維新以後の文章である。
けれども、奥野健男のものは、こりゃまさに文学だな。一千年からのものだな。源氏以来の。そういうかぐわしい匂いが文字からただよってくる。実に意外な体験をさせてもらったものである。これは、三島のおかげだな。三島の粘っこくて読みにくい文章でも我慢して付合ったおかげだ。こんなところに余得があるとは。

『五衰の人』が、ジャーナリストの文、外側を出来事を快適に描写していく文とすれば、『三島由紀夫伝説』は三島の内側を描写する文だ。こういう文こそ、下手をすると、長い熟慮がこめられていないと、とても読めたものではなくなってしまうだろう。人の内側などは、掴みどころがないようなものであるからだ。しかし、内側は、掴みにくいだけで確実にあるものだ、人間が確実に生きて動いているように。
奥野さんは、同年代、育った環境の類似、長年の三島作品への関心、私生活での付合い、などなどから、見事に三島伝説を文字にしていく。三島作品とはジャンルが違うけれども、文章の魅力は、今のところ三島作品より上を行っているんじゃないかとさえ思ってしまう。とにかくこのように、新しい洗練された文学、和文に出会えるとは思わなかった。日本文学が衰退しているとか盛んに言われているけれども、これがあれば、そんなことはないでしょうと言うほかないが、あるいは、この他にこれほどの作品は出ていないのかもしれないが。

じゃ具体的にどうなんだ、と言われるであろうが、それは、これを実際に読んでみてもらわなくてはならない。文庫本を手にとってもらわなくてはならない。七百円、コーヒー二杯分。日本文化はひどいことになっているとか言われているが、これだけを取出すなら、こんな上等な文化の中にわれわれは生きているんだ。しかも、誰だってその気がありさえすれば手にすることができる。絵を見るようにはいかないけれども、読む辛抱さえあれば、これほどに気安く手にはいる最上等の文化はそうはないだろう。まあ今、この本の余韻が続いているとき、日本をけなすのはやめよう。ほめすぎかもしれないが、ほめたいのである。せっかくいま日本に生かさせてもらっているので、けなすより褒めたいじゃないですか。

11月10日 土曜日 『三島由紀夫伝説』、陸軍、二・二六事件

だんだんと大変な事になったきました。去年夏からの機械との付合いが、思わぬ方向に自己増殖してきた。今日は、『人間失格』という青春文学の新潮文庫版を買ってきました。解説が、奥野健男になっていたので。彼が、『仮面の告白』と『人間失格』とについて、次のように言っていたので。
《世界の現代文学を眺めても、ここまで自己を徹底的に瞠視(どうし)し、分析し、告白した作品は見当らない。文学史に永く残る自己史的小説の双璧と言ってよい。》
この小説は、有名で、むかし読んだような気がしないでもない。なんだか気持の悪い小説だったかな。いま自分が感服させられている奥野さんがこれほどのことを言っているので、頭に引っかかっていた。高校生か大学生のころの自分が今もあるかどうか。だが、三島の文でムリヤリ活字と付合うのに慣らされているので、読めるであろうと期待して。

今日も『三島由紀夫伝説』をほとほと感心して読み、教えられました。さっきその「敗戦まで」の部分で軍隊について書かれているところに、初めてのことでびっくりした。直接三島に関係ないが、引用します。長くなってすみませんが。

《ところが維新以後の日本政府は、家の存続や収入や名誉を保証せず、ただの不特定多数の個人として日本人を徴兵した。兵役期間の稼業への保証は全くせず、戦死しても勲章と涙金、そして靖国神社に神として祀(まつ)るという以外は、家に対して実質的な保証をしなかった。つまり国民を人的資源として雑兵扱いにした。それ故、昔からの武士階級は一兵卒としての徴兵を恥辱と受けとり、商家は軍隊を敵とし、農家は働き手の収奪と受けとった。与謝野晶子が、日露戦争の時、『君死にたまうことなかれ』の中で、戦争にとられた弟に向って〈堺の街のあきびとの/旧家をほこるあるじにて/親の名を継ぐ君なれば/君死にたまふことなかれ/旅順の城はほろぶとも/ほろびずとても何事か/君知るべきやあきびとの/家のおきてに無かりけり〉と歌いきった国家権力や政治家や軍人をおそれぬ、代々の商家の“家”中心、商売中心の意識が維新以後もずっと底流に生きていたのだ。それ故、上流階級はもとより、家意識の強い代々の旧家にとって徴兵制度の上に成立している帝国陸軍はきわめて不人気であった。少数の兵員しかいらぬ海軍は徴兵の中からの志願兵制度をとったため、陸軍との比較級の上で国民からまだしも人気があった。陸軍は必然的に農民や都市労働者などの貧しい下層階級をその基盤とした。兵役がむしろ束の間の奴隷的労働からの社会差別からの解放であり、生涯の贅沢であるような、貧しい小作農民の口べらしの対象になるような子弟によって支持され、それらが下士官や古年兵や在郷軍人として、暗く野暮ったい、しかし土着的な帝国陸軍を形成して来た。いわば貧しい、しいたげられた農民の怨念や鬱憤を吸収し、それを外地への侵略戦争に発散させることによって強大化し、アミーバ―のように日本を動かしていたのだ。それ故兵士らの出身である農村が資本主義や地主たちによって極度に搾取され、その上に天災や不況により窮乏が深刻化しそして社会矛盾が限度に達すれば、それは陸軍全体の基盤をゆるがさざるを得ない。二・二六事件などの青年将校によるクーデターは、貧農を中心とする兵隊からの突きあげ、農本主義に上に立つ右翼革新思想の青年将校たちの陸軍存続の危機意識からなる必然的な行動であった。》
《三島由紀夫が二・二六事件の青年将校のクーデターに、自分がそこから永遠に拒まれている悲劇的なものを既に幼年期に感じたということは象徴的である。そしてこれらのクーデターに三島は何かわからない暗いものを感じ、自分の運命を一挙に変えてしまう凶事をおののきながらも待望した予兆は鋭い。しかも三島がこの青年将校たちの決起と挫折の姿に、この世にない美を感じ憧れを抱いたということに、『仮面の告白』の五歳の主人公が坂を下りてくる若者――汚穢屋(おわいや)に或る力の最初の啓示、或る暗い不思議な呼声を感じたのと同じものを感じたのは重要である。僕は二・二六事件に幼い三島がひかれたことにも、汚穢屋の時と同じ「根の母の悪意ある愛」を見出すのだ。なぜなら、三島が悲劇的な美を感じ、魂の奥底から憧れた青年将校たちは、武士の名残りの姿ではなく、しいたげられた農民の怨念と復讐の顕現化された姿であったのだから。三島は土着の農民から最も遠い存在であり、兵庫県印南郡の祖父の故郷を含めて農村をもっとも嫌悪していた。その三島が農村に深く根をはやした陸軍の持つ農本主義の爆発である青年将校の姿に憧れるとは、まさに凶事である。そこに三島由紀夫の宿命的な悲劇があったのではないか。地下足袋を穿(は)き紺の股引(ももひき)を穿きよごれた手拭(てぬぐい)で鉢巻し、肥桶(こえおけ)を天秤棒(てんびんぼう)にかついで歩くという昔からの百姓の典型的な姿である汚穢屋にあれほどひりつくような憧れを感じながら、汚穢屋の祖型、原型である農民の生活には一顧たりとも与えなかった。糞尿は大地の象徴であり、根の母の悪意などと頭では理解しながらそれこそ集団深層意識の精神分析によって通過してしまう。三島の心の底には幾度となく、大地の、農民の土着の深層意識的な呼びかけがあったはずだ。》

11月11日 土曜日 団蔵の投身自殺と芸道

あれは昭和四十一年(1966)六月のことだったのか。確かに覚えがある。だが、そんな昔のことだったとは。新聞に大きく出ていた。瀬戸内海で、フェリーから八代目市川団蔵が身を投げた。デッキに履物がきちんと揃えてあった。覚悟の死であった。新聞の扱いが大きいこともあって、印象が深い。歌舞伎界というものを、その裏というかカゲの部分と老人ということを考えさせられた。しかしそれ以上には行かなかったが、ここに三島由紀夫が小文ではあるが内容いっぱいの含蓄のあるエッセーを出していたのである。芸道、芸、芸術、歌舞伎界、現実、そして自死と芸術。さらに、これは彼が自分を現実の舞台から終りにさせた昭和四十五年の四年前のことで、この小文にはすでに三島のあの方向がしっかり語られている。
これで見ると、三島は自分の芸、文芸の道を、実際の死を演じることで終らせたのであるかなあと思わさせられる。

《ちかごろ八代目市川団蔵の死ほど、感動的な死に方はなかった。「海に消えた?巡礼の老優」などと、――以下略
団蔵の死は、強烈、壮烈、そしてその死自体が、雷のごとき批評であった。批評という行為は、安全で高飛車なもののように世間から思われているが、ほんとうに人の心をうつのは、ごく稀ながら、このような命を賭けた批評である。
引退興行をすませて、ただ一人、四国巡礼に旅立って、投身自殺をした団蔵は、引退のとき、六代目菊五郎の、「永生きは得じゃ、月雪花に酒、げに世の中のよしあしを見て」という狂歌をもじって、
「永生きは損じゃ、月々いやなこと、見聞く憂き世は、あきてしまった」
という一首を作ったが、このパロディーの狂歌が、そのまま辞世になった。》

《団蔵はもちろん広い世間は知らなかったろうが、歌舞伎界の、人情紙のごとき状態と、そこに生きる人間の悲惨を見尽くして、この小天地に、世間一般の腐敗の縮図を発見していたに相違ない。歌舞伎の衰退の真因が、歌舞伎俳優の下らない己惚れと、その芸術精神の衰退と、マンネリズムとにあることを、団蔵は誰よりもよく透視していたのであろう。》
彼の口癖は《「役者は目が第一、次が声。私はこんなに目も小さい。声もよくない。体も小さい。セリフが流れるように言えない。役者としては不適格です。」》

《この偸安(安楽)第一の時代にあって、彼はほんとうの「人間のおわり」とはいかにあるべきかを、堂々と身を以って示し、懦夫をして立たしむるような死に方をした。それは悲しい最期ではない。立派な最期である。彼の生き方死に方には、ピンとした倫理感が張りつめていた。》
大変な持上げである。三島は、その頃こういう心境にあったことがわかる。彼は、時代に対して、けわしい批判と挑戦の気概を抱いていた。

次に三島は芸道について語っているが、これがなかなか危険なのだ。三島はそういうところへ踏み込んでしまっている。意が通らないかもしれないが簡単にして言ってみると、芸はあくまで、何事かを真似ている世界である。死を真似、悪を真似、美を真似、倫理を真似て。つまり、実際の死は、それらの極致だと言いたいのである。三島はそのあたりの危険な位置にいる。しかしこうも言っている。《もし彼が名優であって、その芸術的な高さによって人々に有無を言わせぬほどの芸術を保っていたら、人生におけるいやな我慢は、それだけ少なくてすんだであろう、と考えると、芸術と才能の残酷な関係に思い至る。芸は現実を克服するが、それだけの芸を持たなかった団蔵は、「芸」がなしうるようなことを、「死」を以ってなしとげた。すなわち現実を克服し、人生を崇高なドラマに変え、要するに現実を転覆させた。その位置をわがものにするとき、彼は現実に対する完全な侮蔑を克ち取る。しかし、名優は、舞台上の一瞬に、(死ななくても)同じものを克ち取る筈だ。もちろん現代にそんな名優がいるとは私は言わないが。》

芸道、芸術、スポーツ、武道でさえ、「死なない」ことが前提になっている。と彼は強調する。あたりまえじゃないかと私らは思う。死んだらおしまいだと。しかし、彼は逆なのだ。生ぬるいウソが蔓延すると嫌悪するのである。生意気言うな、お前らウソを演技しているだけじゃないかと。となると、この次には、よしっ、それなら俺が見せてやる、よおく見ておけ、と。
三島は、とにかくこのあたり、迫真の位置にいる。もしちょっとしたきっかけさえあれば突っ走るであろうところに。歌舞伎役者団蔵への共感は、ふつうの随筆文をぶち破ってしまっているものだ。

11月13日 月曜日 『人間失格』 太宰治

奥野健男さんの『三島由紀夫伝説』が面白くて惹きつけられて読んでいると『仮面の告白』と『人間失格』とは世界文学に残る傑作だという言葉が出てきた。それほどのものだったのかと驚くじゃありませんか。『仮面の告白』は読みにくくて、読み進めなくて、ぱっと開いたページをぱっと読むというようなやり方で読むには読んだけれども、この本が大げさなところのある作り物だと判断していた。けれども、奥野さんによるとこれは、殆ど事実であり真実なのだと。そうなのか。それは知らなかった。それなら話は違う。気を入れて読んでみようという気になりました。

奥野さんは《友人に誘われ、重大な決意のもとに訪れた遊郭での娼婦との描写の部分である。》として以下を引用していた。
《〈十分後に不可能が確立した。恥が私の膝をわななかせた〉。〈「もし僕の友達にインポテンツの男がゐたら、僕は羨ましいね。羨ましいどころか尊敬するね」……「プルーストはソドムの男なんだよ。下男と関係があったんだ。……ソドムの男って……、男色家のことだよ」〉と友人が語る言葉に、いちいち自分の本質が知られたかと被害妄想に陥る。そして声のふるえも感じながら平静を保つ。
〈私はこんな恥づべき見かけの平静に耐えられる自分が空怖ろしかつた。例の友人がかぎつけてゐたことは明白である。(中略)
夜十一時にこの呪はしい訪客がかへると、私は部屋に引きこもつて一夜を明かした。私はすすり泣いた。最後に、いつもながらの血なまぐさい幻想が訪れて私を慰めた。この何よりも身近で親しい残忍非道な幻影に私は身を打ちまかせた〉》

上記のうち、〈血なまぐさい幻想が訪れて私を慰めた〉、とか、〈この何よりも身近で親しい残忍非道な幻影に私は身を打ちまかせた〉という描写には、私はこういう経験がないので、こりゃ作り話だと判断してしまうじゃありませんか。しかし、『三島由紀夫伝説』を読んでいるうちこれは作り話ではない、三島は自分の特異性異常性に苦しんでいたことが解ってしんみりさせられてきたので、読み方を変えてみる気になっている。

『人間失格』はそれと双璧の傑作なのであり、しかも、三島と太宰にはかなりの共通点があると。それは、幼少期における、両者のして見せること演技することにおいてであることが、今これを読んでみて解ったところです。
三島の作品と比べて『人間失格』はなんとすっきりと読みやすくて面白いのだろう。私のごく若いころの感じでは、なんだかよく解らないような気持の悪いような本だった、また大庭葉蔵という男が。それは、つまり、そのころ読み込めなかったわけである。それはそうだろうと今わかる。やさしそうに解りやすそうにとっつきやすそうに書かれているけれども。これは倫理の本なのだ。しかも、実人生におけるようにナマの形で表現されてあるのでむずかしい。試験勉強で覚えるような形なら、文字上は、表面上やさしいが。太宰ばかりでなく、誰にも、実人生上のナマの対処としては、非常にむずかしい。生涯においてむずかしい。太宰は遺書としてこれを書いたものだろう。

太宰は、ごく小さいころから、世間というもの、権威というものが苦手だった。解りにくかった。そしてそれを、彼の作品のテーマにしていった。もし彼が、ふつうの市民として生きていくことになっていたとすれば、この彼の幼少期の感覚はなにくわぬ顔でよろしく手なずけて生きていったことだろうに。
この本で見るに、彼の生家の持っていた、莫大な財を土台とする権威や権力は、その関係する人間たちに抑圧やウソやひずみ裏表を与えていた。まあしかしそれは、一般には、生きていくためにはかえって利用したりしてたくましく生き抜いていくとしたものである。だが、太宰はそれに敏感に反応して、大人になってもこれを丸くしなかった。できなかった。幼少年期の感覚を持ちつづけた。こりゃ、過激派である。原理派である。いろいろの場合において、過去にこだわって妥協しない姿勢は、過激派を生出す。一般には非常に迷惑である。まあまあに妥協して生きるとしたものだからである。しかし、太宰や三島という文学者は、妥協しない、どうしてもうまく妥協ができない。厄介といえば厄介であるが、我々がマンネリと薄汚さに入っていくのに警鐘する事になる。私らは、事が小説なので、現実に直接影響してくるわけではないので、読んでひそかに自分に刺激を与え目を覚ます。まあしかし、ごく若い者などが読んだ場合、甘えと反抗ばかり都合よく読み込んで、害になることもあろうが。

日本は、社会の国ではなく、世間の国だといわれているが、作者は、そのへんをちゃんとおさえて、日本が世間倫理の国であることをなにげなく描写している。葉蔵は子供の時から、その倫理に、演技、道化で対処するんだが、そのアヤや不透明性になずまない。ますます、演技して切りぬけようとする。それが大人になってからも治らない直せない。これでは世間不適格者になってしまう。世間は、ウソ偽り、また真実の混交で成っているが、作者は、その妥協を許さず、逆に開き直って社会を告発する。作家生活の最後の傑作として。太宰は生家の毒を、あるいは日本の毒をかぶって代りに死んでいった感がしてくる。自己弁解になるかならないところすれすれの作品である。

三島が何度も言っているように、いい文学とは、解決もなにもない、与えない。ただ手元に魅力的な不気味なものとしてあるのみ。毒と薬。まあ文学とは毒なのだろうな、とこれを読み終わって思う。けれども、文学が大切にされているのは、我々は毒を通りすぎていく過程としての文学によってそれぞれが人生の前方を手探りして行くしかないという事なのだろう。しかし正直に言って、重苦しいのはいやだね。

11月16日 木曜日 三島と太宰 『人間失格』2

『三島由紀夫伝説』は半分まで来た。最初のころのように文の流れは快調ではなくなっている。成人になれば事が複雑になるということだろうか。幼少期なら、評者がいろいろ空想できるし介入できるし。成人になると、すべてが複雑になるし、本人自身がたくさん発言するのでその脈絡づけが難しい。奥野さんの文がギクシャクしてきて正解である。つるつる行くほうがウソっぽい。

《『人間失格』と『仮面の告白』は発想が酷似しているのだ。そして共に、世界文学史に残る傑作である。》と彼は何度も力説する。そんなもんですかね、と答えるしかない。世界文学は当然、日本文学だって殆ど知らないので比較も結論もしようがない。『仮面の告白』は読みにくかったし読みぬけないけれども、『人間失格』は読みやすかった。太宰の意図したテーマがすっと入って来た。
これらの作品と作者の共通点を考えてみる。いちばんは、自分の手による若死だ。次は、周囲、家族、世間との折合いが悪かった。どうしてもしっくりできなかった。で、構えた。言葉で。道化、演技で。つまり、行動行為に躓いていた。

この点では、太宰は、生涯の最後にこれをテーマにした小説を描いてくれたので軌跡がわかりやすい。社会、世間、に違和を感じ続ける者の軌跡。本人の演技。集団生活を円滑にするための演技。
これは、必須のもので、誰もがやっている。家庭でも職場でも。これに失敗すると落伍しなければならないので、修練していく。それが人生さと言ってもいいようなもの。ところがここで不思議な事が起きる。太宰は、少年になっても青年になっても壮年になっても、世間と折合いをつけないし、つけられない。どうにもギクシャクしてしまう。だんだんこれを、彼は営業品目にしていくようになる。不適応と適応を。

『人間失格』は、人間として失格した者の記録体裁の小説である。それだけなら、並である。世界中にいっぱいある。恐いのは、何気ない、心優しい主人公の人生描写の中に、さりげなく世間を告発してくるところなのだ。ここで、ギョッとして座り直す。なにおッということになる。読者である私などが、虚をつかれる。あたりまえを、さりげなく許さんと言ってくるのだ。うまく生きていくための演技や言葉を、汚いじゃないかと言ってくる。いくら汚くったって、それが世間というものさ、が常識なんだが、この小説は、そこをさらっとは済まさせない。太宰は、そこに生涯の最後の全体重を乗せてくる。その地味な迫力のゆえに、世界屈指の傑作だと言われているのだろう。恐くて不気味なような小説である。とくに、面の皮の優しい若い人たちがこの小説の適応不適応のテーマに敏感に反応する。

作者は、都会育ちの堀木と渋谷に世間を代表させて辛らつである。彼らの裏表人生に非常に辛らつで、その描写に、こっちはドキッとなる。人間を失格しているという主人公は果して失格してしまっているのかどうかと。
作者は男たちには辛らつだが、女たちには優しい。やっつけていない。主人公の大庭葉蔵は、いつも女たちに助けられる。ここに作者の世間に対する考え方が出ている。女は、世間における弱者なのだと。葉蔵と同じに。しかし、こりゃあ、今はどうかな。今なら、作者はどう描写するかな。

三島は、山の手の都会っこらしく、太宰のように素手では渡合わない。言葉という仮面をかぶる。コテコテの厚化粧の言葉。この言葉に、私などは躓いた。どうしても入っていけない。田舎育ちのせいかな。太宰の言葉は率直である。これでは現実とじかにぶつかってしまう。危険である。その点、三島の文のほうが武装はしている。けれども、同じ境遇の奥野さんが言うのだが、『仮面の告白』はあれで率直なのだと。三島は、自分が将来の人生の危険を賭けて、あれを作った。率直な告白小説だから、世界文学史に残るようなものになったと。

いやはや、文学というものは、大変だ。救いというものがない。ただただ君は君自身でいろ、と言いつづけるのみ。しかし、文学の、幻想空想の言葉のなかにじゃれあって居続けるのかな。宗教とは違うな。文学はやっぱり毒だな。

11月30日 木曜日 『絹と明察』 『宴のあと』

一ヵ月以上も三島本を読んでいない。『絹と明察』なら読めるに違いないと予想した。読み終わるに二週間ほどもかかったけれども。この小説は『宴のあと』に似たテーマのものであろうと予想して当たっていた。二作品を念頭に置きながら入力してみます。

筋というほどのものはないけれども、筋と登場人物の紹介。
彦根の近江絹糸争議に取材したもので、時は昭和二十九年から翌年にかけて。
人権ストと呼ばれたそうである。
少し記憶がある。夏川とかいう社長の名がしょっちゅう新聞紙面をにぎわせていた。それから十年飛んで、『群像』という雑誌の何月号かでこの小説を知った。昭和三十九年のことである。前後のいきさつは知らない。読んだ覚えはある。白い紙面と比較的大きな活字だった。面白いとは思わなかった。それっきりだった。文章の粘りは感じられたが。
いま地図で彦根のあたりを見ると、オーミケンシ、とあるので、その系統の会社が続いているのだろう。

主人公は駒沢紡績社長、駒沢善次郎、五十五歳。相手役は岡野というインテリ策士。二人の物語である。これはちょうど、『宴のあと』における、雪後庵の野生いっぱいの女将福沢かづと革新政党に擁立された都知事候補で、外務官僚上がりで古風な野口雄賢の関係にあたる。
岡野はハイデッガーに傾倒してドイツへ行っていたが、やがて帰って「聖戦哲学研究所」なるものを開く。ここには、少壮軍人たちが集まってきていた。戦後になると岡野は、財界と結びついて、裏で動く。その関係で、駒沢に近づく。謀略の元は、駒沢紡績が競争相手の桜紡績の社長、村川。村川が資金を出して、岡野を通じて、駒沢紡績の争議を画策し、見事に成功する。と共に、駒沢善次郎は脳溢血で死ぬ。

狂言回しとして、東京の芸者、菊乃が登場する。菊乃は、岡野のスパイとして駒沢紡績の寮母になる。
二十歳の工員大槻と弘子。大槻は、ストの指導者となる。その恋人弘子は、結核にかかり、療養所に送られる。そこに、不治で療養している、駒沢の妻房江がいる。以上である。筋といったほどのものはないが、内容は錯綜する。単純ではありえない。例によって厚化粧文で閉口するが、書けと言われて書けるようなものではない。不服発言は気軽だが。

これは、三島特有の悪辣悪どい小説である。毒が立ちこめている。毒に強いことが三島の最大特徴だとさえ言い得る。その対極にあるのは『潮騒』や『海と夕焼』だろう。こちらはめずらしい。『金閣寺』などは本領発揮である。また、『憂国』などはその神経を疑ってしまう、どうかしているんじゃないかと。しかし三島に言わせれば、小説は道徳の書ではない、芸術だということになるが。

寅さんシリーズに、タコと呼ばれる社長が登場する。あの映画の中で、この人物のみリアリティがあるような騒々しい男。彼は、日本の、日本的な社長を代表している。こういう人物は、私の町にもいる、日本中にいる。元気がいい。実践的である。
三島は、そこを描写する。三島は土着日本を考え続ける。昭和三十五年、安保の年の『宴のあと』は、その最初である。このテーマはこのあたりから続いて、おそらく最後まで抱かれつづけたものだろうと推測する。『豊穣の海』はまだ読んでいないけれども、気がすすまないけれども、このテーマは柱になっている筈だ。西欧と日本。西欧化日本。

三島がなぜ今読まれるか、なぜ自分にとって読むに値するかと言うと、西欧と日本テーマが、ぎりぎりまで体当たりで追求されているからである。彼の場合おざななりではない。『金閣寺』や『憂国』における狂熱的エネルギーで体ごと、そのテーマが生きられているからである。戦後日本の文学では、太宰治とか、その他に誰があるのだろう。太宰の場合、田舎というワンクッションがあるが、三島は東京なのでモロにぶつかっている。感傷はない。彼は、自分は太宰ではないとはっきり自覚している。彼は、毒悪、悪辣を磨きつづける。幼少時の宿命を使命に変えて。

明察とは、辞書によると真相をはっきり見抜くこと、なのだそうだ。絹は駒沢善次郎を、そして土着日本を、明察は岡野を、そして西欧をアメリカを、合理的とされる新経営を象徴している。
駒沢の日本的経営とされる会社は岡野たちによってつぶされる。つぶされるけれども、じゃ岡野たちの上層部日本は成功なのか。三島は、それらについて何も言っていない。ただ、絹と、明察と、争議の世界を、ゴロリと読者に提出するのみである。けれどもそこに日本がまざまざとある。
寅さん映画では、郷愁として、善意あふるるものとして、みんなのふるさととして、絹の日本が映し出されている。我らは笑いニヤリとする。寅さんの世界はあって欲しいけれどもあっては困る世界である。寅さんの周囲との距離の取り方に、我々ははらはらする、ひそかに恥ずかしいようにして笑い懐かしむ。

駒沢の世界はそのあたりにある。笑いはない。深刻である。手紙は開封されて女子工員に渡される。しかしこれは、駒沢という彼女らの親がする当然の管理なのである。駒沢には悪びれるところはない。一人がってに押しつけがましい。だが、生きていくために、みんなは駒沢の世界を受け入れて一生懸命に働く。そして遂に左翼という正義が動いてみるみる駒沢紡績は破綻する。赤子の首がひねられるようにして。つづく

12月1日 金曜日 承前

『絹と明察』は昭和六十二年から平成十一年の間に、三刷されているだけである。異例に少ない。三島本なら、年に一刷でふつうだろう。また昭和三十九年に単行本として出されてから、文庫本にされるのが昭和六十二年とは間が空きすぎている。理由として常識を働かしてみるに、ひとつしか思い浮かばない。売れないからだ。単行本も売れなかったろう。予想どおり文庫本も売れなかった。しかし、今後は『絹と明察』はよく読まれるようになる。私など一介の素人読者だが、『宴のあと』と『絹と明察』は時宜に適っているからだ。

大槻たちの起こした労働争議に駆けつける外部の争議専門家にして繊維同盟の役員として、秋山という男が出てくる。秋山はかって「聖戦研究所」に岡野と共に居て、戦争と死を煽った人物なのだ。これはちょうど、『宴のあと』における辣腕の選挙参謀の山崎という人物と似たような位置にある。山崎はかって共産主義の信望者であり、いまは幻滅者となっている。三島は好んでこういう人物配置をする。世間は悪と裏から成っているのだと彼はどうしても言いたい。彼は、おめでたくも酔い痴れている左翼論客にどうにも我慢がならない。この大人の姿勢が、当時の進歩的とされる文化人、お人好しの文化人から彼を敬遠させていたにに違いなかろう。むろん若者たち、学生たちからは総すかんだった。

彼の強烈なサドマゾ傾向や男色傾向が、そして芸術至上傾向が、後に、戦後日本のお祭り騒ぎに、ただ一人敢然と立ち向かわせたのであろうかとつくづく思ってみるのである。三島由紀夫という人物は、天才ではあるけれども、そう呼んで片付けてしまいたくはない人物だ。天才ではあるけれども、刻苦の人という感じである。以前に、三島は、漱石を継ぐ東京人の感があると言ったことがあるけれども、やっぱりこの印象に変わりはない。

三ヵ月前に『金閣寺』を読んでみたとき、何度投げ出そうとしたか知れない。終わりに近づくにつれ、三島よどうしたのだ、どうしてこんな描写に執拗になるのだ、もうよしてくれ、この本は三分の一に縮めるべきだよ、と泣けてきたけれども、その文の何事かに打たれてはいた。その非常な生真面目さに。
三十一歳の『金閣寺』の作家三島は、いま、三十代の終わりに、『絹と明察』にいる。悪どさと執拗さで、日本という社会と対峙している。鋭く深く広い目で日本を見、かつ、日本を描写している。昔ながらの土着日本と新しい西欧下の日本とを。その混在と混沌とを。

自分など、不透明な中をやみくもに生きてきただけだったが、生まれながらの作家三島は、三十代の終わりにもう、日本という国の有りようを、そして将来を目に収めてしまっていた。その事をつくづく思う、この時ばかりは、生きていてよかったのかなあと。いまは亡きKと、それらについておしゃべりしたかった。

付け加えます、女性の事。男色家とされている三島は、女性描写が非常にうまい。『宴のあと』の福沢かづの描写などは、一体どこでこんな風な描写を手に入れたのだろうかと感心してしまったものだった。山の手の中上流のうち、祖父も親も息子も上級官僚のうちで。しかし三島は、どういう影響からか、いわゆる庶民といわれる者たちに、「ひりつくような」愛着をもっていた。と私は奥野さんから力説されている。この幅が、将来、小説家としての厚みを作ることとなったに違いない。

『絹と明察』に房江という駒沢善次郎の妻が出てくる。隠忍して夫を大成させた。今はめずらしい日本女性である。夫が日本の典型オヤジとしてハデに振る舞うのに対して、ますますイジをはるかのようにして隠忍していく。その彼女が、無理がたたって、今は不治の病人として結核療養所にいる。そこにいて房江は、生命力のあらん限りを出して、駒沢と駒沢紡績に対してねっちり、いんいんと愛憎を示す。ねっちり、いんいんという形容は、まさにねっちりいんいんとして生きた作者の祖母、あるいは母から受け継いだものなのだろうかと思うのである。

12月12日 火曜日 『鍵のかかる部屋』

奥野健男の『三島由紀夫伝説』は、ようやく後半にはいった。ここまでずっと快調である。上等な日本文である。鍛えた文であるけれども、無理というものがそぎ取られている。乾いてはいない。ざらざらしていない。自然である。しかし、日本文に特有な感傷に毒されていない。情緒が鍛えぬかれていて、千年前の和文に通じているのが不思議だ。奥野健男という評論家は、文壇ではどう評価されているのだろう。
三島の文はそれと比べて、ざらついていて未熟の感じがする。日本の生活現実を忠実に反映して混乱し、よどみ、強がり、そしてまがいものめいている。『鍵のかかる部屋』を閉口しつつ無理に読みながら、三島は、自分の文のまがいもの性に苦しんでいたに違いないと思った。この小説などは、その苦しみそのものを書いた小説だとさえ思える。無気味なものを書こうとしてはいる、いるけれども、ただ不気味なものばかりが立ち上ってくるばかりで、それでどうなのだ、とこっちは呆れてしまう。

奥野がこの作品を持上げているので読んでみたけれども、作品そのものは空疎である。彼は、希望として持上げたのである。同時期に書かれた『潮騒』を、彼は、その明るい方向にダメをかけているのだ。ここには、奥野の性向が反映している。とにかく彼は、円満なような内容のものは、受け入れられない。反抗、否定、ねじれ、などなどの要素こそ彼が支持する世界なのだ。
なのに、彼の文は、それとは裏腹に、それこそギリシャ的に明澄である。三島は、ギリシャに憧れて、『潮騒』でそういう文体を努力して作り上げているのに、その臭さが気になってしまう、対して奥野の文は、自ずからギリシャ的な均整と優雅を保っている。まったく変な話だ。控えめな奥野のほうが役者が上なんじゃないかと思えてしまう。

『鍵のかかる部屋』は、毒払いに書いた小説ではないか。変なことを言うようだが三島は、『潮騒』という作りこまれた人工世界とつきあっていて毒がまわってしまった。つまり三島には、前者が生得の世界で無理がなくて、後者の方に無理と毒があった。一般常識の逆だ。
しかし、彼は、その生得の毒っぽい世界を書いていて、その空虚さにむかむかしてしょうがなかった。三島には、、自動書記じみて毒っぽい空想世界が、もう我慢がならなくなっている。なんとか始末をつけて作家として大きくなりたい。三島にはあの世界は、肉づきの仮面なのだ、幼少年期からの。まあ、そういった自問自答の苦渋が、『鍵のかかる部屋』には満ち満ちている。

その次の『金閣寺』は、自己殺戮の小説である。生得の世界、彼を育ててきた世界を殺すのであるから、なまやさしいことではすまない。執拗に徹底してやらなければならない。おそらく三島は、自分の中の毒をなぶれることに喜んだであろう、しかもそれを殺すことにも被虐的に喜んだであろう。その情熱が空疎さから救っている。しかし『鍵のかかる部屋』は空疎そのものだ。ここには、作品への情熱はない。読者である私としても、途方にくれてしまう。これからどうつきあっていけるのか。

『金閣寺』の次の『宴のあと』、『絹と明察』は社会派への転換を図ったものとして、これらは読める。だが残念なことに、『絹と明察』の線は断たれてしまっている。私は、この方向に、三島の大成があったはずと見る。彼のリアリズムと毒はここで生きたはずだ。変なことを言うようだが、彼のその線の小説があれば、その後の日本の子供っぽさへの墜落はかなりはばまれていたろうと。

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