味岡庄牛山村社宮司

『東春日井郡誌』の牛山天神社の説明の中に次のような記述があります。

『由緒不詳候得共、当村旧家控帳中ニ、春日井郡味岡庄牛山村勅願所、式内従三位片山神社、伊豆国阿米津加多比女神社云々ト有之ハ由緒哉。  (中略)  (附)当同字郷中ト号スル所ニ、社宮司ト唱伝スル古塚アリ、往古勅使奉幣ノ砌、御供等ヲ出仕ス所ノ旧跡云々申伝ヘリ。 』


社宮司所在地
以前から郷中地内に勅使を迎えた場所があったとの言い伝えは聞いていましたが、『東春日井郡誌』の牛山天神社の説明の中に上記内容の記述を見つけ、その場所の特定を試みてみました。
昭和の初期頃まで郷中の中心をやや北に入った雑木林(牛山町1380番地)の中に、祠が祀られた小さな塚があり、その塚の脇には直径1メートルもある巨木が一本そびえ立っていました。

社宮司所在地の現状
天神社の秋祭りには、郷中嶋のおまんと(馬之塔)はここから出したと言う事です。何時の頃か定かではありませんが、塚に立っていた大木は伐って皆で分け臼を作ったと言う事です。現在、塚は壊され、この場所は写真のように畑になっています。
さほど広くは無い郷中地域内のこと、幾つも該当する場所が有る訳ではなく、社宮司があったと思われる場所はこの一箇所以外には見当たりませんでした。
地形や現在の環境から推測するに、勅使が到来した当時には、片山神社と社宮司は一つの森に囲まれた同一境内にあったのではないかと思います。片山神社は延喜式神名帳に列記されている由緒ある神社であり、かっては、それなりの風格を持った由緒ある神社だったのでしょう。

勅使到来のイメージ(平安神宮勅使の図)
延喜式50巻は905年に編纂が開始された律令や格の細則です。神名帳は巻9、10にあり、天皇の名で行う祈年祭である豊作祈願の行事の際、供物を下賜する3132座の神々の一覧です。伊勢神宮を頂点として官幣社(名神大社、大社、小社)、国幣社(大社、小社)と神々を序列体系化しています。選定に当たっては、おそらく地方氏族の猛烈な運動があったのでしょうが、選定には大和朝廷の発展の歴史段階にも関わっている地域の神社が優先されていると見ることができます。
左の写真は、平安神宮における勅使の図ですが、この写真のように、 千年以上昔、この牛山町郷中の地を朝廷の勅使が供物を持って静々と社宮司から片山神社へと向かって進んでいったことでしょう。


※用語説明
【勅願所】天皇の命令によって国家鎮護・玉体安穏などを祈願する社寺。天皇の祈願所。
【勅使】勅旨を伝えるために派遣される使者。
【勅旨】天皇の勅命を下す文書。
【奉幣】神に幣帛(布帛・金銭・酒食など神前にささげる供物。また、紙や布を切って木にはさんでたらした御幣。)をささげること。

2003/08/27
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