昭和初期の牛山

 牛山町の資料探しの過程で偶然昭和12年刊行の『愛知縣東春日井郡鷹來村土地寶典』を目にする事ができました。
この本は、地目、地番、年貢等級に至るまで一筆単位で書かれた詳細な地図で、当時の鷹来村村長長谷川重民(田楽)、同助役長谷川憲(牛山)が中心となって編纂したものであり、現在では、当時の牛山を知るための貴重な資料となっています。
長谷川憲は、明治初期の地租改正運動の折、林金兵衛らと共に東京に出向き活躍した長谷川平左衛門の次男として生まれ、牛山郷中に居を構えていました。当時としては先進的な考えの持ち主で、牛山信用購買組合の設立等牛山の改革に大きな役割を果たしたと伝えられています。
当時の牛山を知る人にとっては、往時の牛山の情景が沸々と浮かび上がってくる懐かしい地図ではないかと思います。先ず『愛知縣東春日井郡鷹來村土地寶典』よりの抜粋を少し紹介しましょう。

[『愛知縣東春日井郡鷹來村土地寶典』より抜粋]
地 勢
新木津川本村ノ中部ヲ流レ百九拾余町歩ヲ灌漑シ西南ハ平坦ナル耕地ヲ生成シ大山川ハ其西部ヲ流レ東北部ハ山林原野多ク年ト共ニ稍開墾セラレシモ未ダ其ノ幾部分ニ過ギズ田楽原果樹園ハ近年都人春郊ニ花ヲ賞スルモノ多シ

土地沿革
本村ハ明治初年地價制定ニ當リ最モ荷重セラレタル地ニシテ遇志士林金兵衛翁等ニ依リ地價修正ノ運動唱ヘラルルヤ鳥居松村ヲ初メ他四拾貮ケ村ト共ニ率先シテ當局ニ嘆願シ数年ノ歳月ヲ費シタルモ果サズシテ現今ニ至ル

公共建物各種所(牛山分のみ)
鷹来尋常小学校 (中嶋)
牛山信用購買組合 (郷中)
伊藤蚕業合名会社 (新外)
長谷川蚕種製造所 (蒲)
名岐鉄道間内停留所 (間内)
名岐鉄道牛山停留所 (下荒井)

神社寺院(牛山分のみ)
村社 天神社 (皿屋敷)
瑞林寺 (郷中)
麟慶寺 (常光寺)
地蔵寺 (蒲)

日露戦争の翌年、明治39年7月16日(1906)に第二次町村合併が全国的に行われ、田楽村(田楽、大手池新田)と片山村(牛山村、大手村、大手酉新田、田楽新田)は合併し東春日井郡鷹來村となり、入鹿海道が新木津用水を横切る橋の袂に鷹来村役場が置かれました。牛山は東春日井郡鷹來村大字牛山となり、昭和18年(1943)春日井市の誕生により春日井市牛山町となるまで続きました。
昭和10年の頃の牛山は、集落に囲まれた豊な水田地帯と、集落の外郭を取り巻き処々に山林のある自然豊な農村そのものでした。特に西行堂川流域には松林が多く、鷹来尋常小学校(現在の牛山徒渉プール)横には、松山と呼ばれる松の生茂った小山があり、現在の牛山小学校のある場所には、川原山と呼ばれる大きな松林がありました。西行堂川流域は氾濫などにより耕作が困難であったこともあってか、川沿いには松林、竹薮、沼地など自然のままに放置された土地が沢山ありました。
また、本田地区北側の高台は、養蚕が盛んになり桑畑として開墾されたとはいえ、まだ竹薮などの林が沢山残っていました。
上記地図は、大まかなものですが、昭和初期までにこの地で過ごした方々には、往時を思い出すのに十分役立つのではと思います。
また、本書の土地沿革見られるとおり、明治初期の地価改正運動は、昭和に入っても解決されること無く、牛山の農民の心に深く課題を残していたことが分かります。この問題は、太平洋戦争の敗戦による農地改革に至り、結局解決される事無く終わってしまいました。

2001/02/05
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