郷中嶋行事覚帳

 郷中町内会には、昭和11年から始まり連綿として綴られてきた町内会行事記録が残されています。この昭和11年と
言う年は、牛山町にとって大正末期から長年月に亘って続いてきた小作争議に終止符の打たれた年でした。この「郷中嶋行事覚帳」の冒頭に記されている緒言にはこの小作争議を収束させようと言う嶋の人々の誓が込められており、牛山町の歴史の中では意味ある一時期でした。従って、この「郷中嶋行事覚帳」は、新生郷中嶋誕生の書でもあります。この小作争議の詳細については、「小作争議起こる」の章を読んでください。
また、この時代は、明治37年日露戦争、昭和6年満州事変、昭和8年国際連盟を脱退、昭和12年日華事変、昭和16年太平洋戦争突入と、昭和20年の終戦に至るまでただひたすら多大な犠牲を国民に強いる結果となった戦に明け暮れた時代でもありました。こうした時代の流れの一端をこの「郷中嶋行事覚帳」の中に見る事が出来ます。


「郷中嶋行事覚帳」冒頭記載事項

緒 言

年改って人心新なるの時昭和維新の現下に直面したる本部落民一同は多年の柄弊を去り一致協力して大同団結し以て共存共営の実を挙げ国民精神を作興し経済の更生を謀り報国の誠を画さん事を期す茲に明朗なる郷中嶋の総寄合にて規定を制定し依て之を録して緒言とす
    昭和丙子十一歳 陽歴二月三日 旧歴正月十一日

規 約

一、郷中嶋ハ従来之慣例ニ依リ統制上之ヲ三区分シ各組ニ年行司一名宛ヲ置ク
一、郷中嶋ニ顧問一名ヲ推戴ス
一、毎年通常総会ヲ旧正月四日ト定ム
一、組員ハ各自公益ヲ重ンシ徳性ノ涵養ニ務ムル事
一、年行司ハ組員全部ヨリ選挙シ各組ノ最高得票数ヲ得タル者ヲ当選者トスル
  採点数同一ナル場合ハ年長者ヲ以テ当選者トス
一、区会議員ハ年行司ノ得票数多キ者二名之ヲ兼務シ一名ハ宮総代ヲ兼務スルモノトス
一、年行司ノ次点者ハ衛生幹事ト見做シ各組順廻リトス


昭和拾壱年度役員
  顧   問     長谷川滝治郎
  年行司兼宮総代   稲垣芳太郎
  年行司兼区会議員  長谷川惣一
    仝       長谷川春芳
  衛生幹事      長谷川久尾

緒言ニアル如ク総寄合ヲ開催シテ本嶋ノ更生ニ当リ必要ナル事項ヲ協議シ並ニ規定ヲ制定シ尚役員選挙ヲナス


 昭和11年当時の正確な郷中嶋の戸数の記録はありませんが、冒頭に天神社祭礼時の馬宿順が決められています。この馬宿順番表の23戸が当時の郷中嶋の全戸数と思われます。


 本字氏神神社祭礼ニ付馬之塔挙行セラルニ当リ当嶋ヨリ献馬之意大部分アリ是ガ為拾月拾弐日午後七時ヨリ瑞林寺弘法堂ニ集会シ馬宿ヲ決定ス

 馬宿順廻番
   1. 長谷川鉄之助
   2. 長谷川惣一
   3. 長谷川倉蔵
   4. 長谷川覚治
   5. 長谷川作次郎
   6. 牛山繁松
   7. 稲垣和三郎
   8. 稲垣重三郎
   9. 長谷川金松
   10. 伊藤鉄次郎
   11. 長谷川清光
   12. 長谷川 憲
   13. 長谷川万次郎
   14. 長谷川金三郎
   15. 長谷川藤九郎
   16. 長谷川滝治郎
   17. 長谷川悦治
   18. 長谷川金吾
   19. 長谷川芳太郎
   20. 伊藤順太郎
   21. 長谷川治助
   22. 稲垣熊次郎
   23. 稲垣磯吉

 大正末に32戸あった郷中嶋の戸数が昭和に入って大幅に減っています。恐らく長年に亘って続いた小作争議が原因で嶋を離れることになった方も多かったのではと推測しています。古老の話によれば、新天地を求めて東京へ出られた方も多かったとのことです。

2003/12/24
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