牛山遺跡・牛山第1号窯

春日井市教育委員会遺跡発掘資料より


牛山遺跡・牛山第1号窯

(1)地理的・歴史的環境
牛山遺跡は大山川の右岸、標高19m前後の微高地に位置しており、古代〜中世の散布地として認知されてきた。牛山遺跡の所在する牛山町大日は・春日井市の西端、小牧市との境に近く、名鉄小牧線間内駅の南東約250mに位置する。「大日」という地名は、大日如来像が、この地から掘り出されたという伝承に由来している。
周辺には縄文時代〜中世の複合遺跡である南外山東浦遺跡、南外山北浦遺跡、中世の城跡である南外山城跡(小牧市南外山)がある。南外山東浦遺跡では、古代の掘立柱建物群が検出されており、「新」と書かれた墨書土器も出土している。また、約500m北西の外山神社遺跡(小牧市北外山)からは銅鐸が出土している。
(2)調査の経緯と経過
牛山遺跡・牛山第1号窯の存在は、昭和57年の現地踏査により明らかとなった。周辺の人家から約lmほどの高台上が
【遺構検出状況】
畑耕作土直下で平安時代を中心に竪穴住居1棟、土坑、柱穴群を検出。
畑となっており、須恵器や山茶碗が表採できることから、古代〜中世の散布地として認知されていた。現地踏査により高台南側の落ち際斜面で「1200℃程で焼かれたと見られる窯壁、布目瓦、瓷器碗が出土」したとの記録があり、平安時代後期の瓦窯の存在が指摘された。
個人住宅の建設に伴い実施した試掘調査の結果、畑耕作土直下で遺構が確認され、切り土造成を行なう38.5uを対象に調査を行なった。牛山遺跡で初めての発掘調査となった。
基本層序は畑耕作土(20cm)、地山(黄褐色粘質土)となる。
平成16年2月12日、重機による畑耕作土除去後、人力により遺構検出、遺構掘削を行なった。随時写真撮影、図面作成を行ない、2月18日(実働5日)で調査を終了した。
調査地点高台の東側は、壁土採取のため幅約3mほどが削平されており、本来の高台末端の状況は不明である。

(3)調査成果の概要
調査区完掘状況図
高台末端部分のごく一部分の調査ではあるが、竪穴住居1棟、ピット136基、土坑9基、溝2条を検出した。以下主な遺構
【竪穴住居完掘状況】
1辺約3mの隅丸方形を呈する。須恵器、灰釉陶器、土師甕が出土している。住居下で検出した土坑からは須恵器甕と縄文時代の石鏃が出土しており、周囲に縄文時代の遺構の存在が示唆される。また、周辺の畑からは古墳時代の坏身、奈良時代の須恵器、土師器甕、中世の山茶碗等が表採できる。
について述べる。
・SBO1
調査区の北側半分で1辺2.9m×2.6mの長方形を呈する竪穴住居を検出した。埋土は暗褐色土、黄褐色土(暗褐色土粘土混じり)。P62、P76、P85は住居主柱穴と考えられ、径20〜30cm、深さ9〜19cm、柱間は1.8m×1.6mである。南壁面及び東壁面中央付近で地山が突出している。
北東コーナー付近で炭化物、焼土ブロックを多く検出したが、カマドに伴う遺構は確認できなかった。 出土遺物は細片が多く、図化できるものがほとんどないが、須恵器坏・蓋、灰釉陶器碗、土師器甕がある。9世紀後半頃であると考えられる。
・SK10
SBOl完掘後、住居の床面で検出した。長径150cm×短径80cm、深さ54.7cmを測る。埋土は暗褐色粘質土。須恵器甕の底部、土師器甕片等が出土している。
また、石鏃が1点土坑内から出土した。チャート系の石材で、縄文時代のものと考えられる。池田川を挟んだ西側の北外山東浦遺跡(小牧市)でも縄文時代(島崎皿式)の遺構が検出されており、縄文時代の遺構の存在が示唆される。
【撹乱、溝セクション】
確認調査により検出した炭化物、焼土、平瓦等から瓦窯の存在が示唆されたが、後世(時期は不明)の撹乱により窯体、灰原の痕跡は確認できなかった。溝は地山を東西に大きく削っており、それを切る形で炭化物、焼土を多く含む撹乱が掘り込まれている。
・ピット群
136基のピットを検出した。ピットは深いもので75cm、多くのものが深さIOcm〜30cmほどで、いくつか切り合っている。ほとんどのピットで時期を確定できるような出土遺物がなく、土師器や灰釉陶器、山茶碗の細片に留まる。概ね平安時代〜中世であると考えられる。
調査区北端で検出したP58、P59、P65は柵列を構成する。径20cm、深さ15〜20cmで、柱間は120cm、100cmである。出土遺物がなく、時期は不明であるが、竪穴住居軸方向とほぼ平行している。
P36からはこぶし大の赤く焼けた円礫と焼土塊が出土している。
・カクラン01・SDO2(牛山第1号窯について)
高台南斜面で1.4m×lm以上の方形の土坑から大量の炭化物と焼土塊、布目瓦が出土した。瓦は1枚作りの平瓦で縄目叩きが施されている。瓦窯の推定地であったことから、窯に関連する施設との期待もあったが、トレンチによる断ち割りの状況から後世の撹乱であることが判明した(カクランOl)。
窯の痕跡を確認するため、南斜面にトレンチを設定し、東西に走る溝を1条確認した(SD02〜)。SD02〜は、高台に平行して東西に地山を大きく削っている。形態上SDとしたが、埋土中から現代の瓦が出土しており、流水や耐水した痕跡が見られないことから、溝状に掘られた撹乱であると判断される。炭化物や窯壁の残痕が埋土中に堆積しており、上位に窯体があった可能性が考えられるが、窯の規模、方向性などは不明である。
・昭和57年現地踏査出土遺物について
灰釉陶器の碗1点と玉縁式の丸瓦、平瓦を検出している。灰釉陶器は、径17.lcm、器高6.2cmで薄緑色の灰釉がかかる。約3分の2が残存。口縁部に輪花が施されている。
牛山遺跡発掘現場
(春日井市教育委員資料より)
(4)まとめ
牛山遺跡ではじめての発掘調査であり、高台の末端部分の狭小な範囲にもかかわらず、濃密な遺構が検出された。牛山第1号窯については、後世のカクランによりその痕跡は確認できなかったものの、瓦の出土や窯壁と思われる焼土塊の検出は、当地の特異性を示唆している。約300m北にある麟慶寺には県の文化財に指定されている大日如来坐像が安置されており、鎌倉時代末期の作と考えられる。その台座裏書に「味岡庄片山三大寺」との銘があり、今回検出の遺構とは時期差があるが、地名の由来や瓦窯の存在など周辺に寺院(廃寺)の存在を思わせる。

2005/02/04
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