相傳ふ、古は此地方宇多須村と称し、字片山の地あり、延喜神名式の片山神社を鎮座せし所なりとされど諸説紛々として一致せず、依て諸書に見る所を掲ぐ。
かくて天正年間小牧の役、豊臣秀吉の兵火に罹り以来漸く衰へたりと言ふ。
明治四十四年二月十六日許可を得て、同年三月一日に至り、同所字気正田千七百六十七番、元無格社八幡社の祭神品陀別命、同所字同千七百六十番、元無格社神明社の祭神天照大神、同所字常光寺二百九十六番、元無格社白山社境内神明社の祭神天照大神、同所字名士二千百二十六番、元無格社愛宕社の祭神建速須佐之男命、同所字常光寺二百九十六番、元無格社白山社境内津島社の祭神速須佐之男命、同所字気正田、元無格社八幡社境内津島社の祭神速須佐之男命、及び同所字常光寺二百九十六番、元無格社白山社の祭神菊理姫命を合祀せり。
延喜神名式に曰く、春日部郡片山神社。
尾張本国帳に曰く、従三位片山天神。
尾張国内神名蝶 春日井郡二十座の部に曰く、従一位上片山天神。
張州府志に曰く、片山天神、在村中村今称八幡延喜神名帳春日部郡片山神社、本国帳従三位片山天神、集説曰、按伊豆国阿米都加多比当ス神社、日本紀曰、大山祇女神吾田津姫生火明命、是尾張連等始祖也、片與吾田言通神名帳集説以牛山村熊野祠為片山天神、未知孰是。
神名帳考證に曰く、片山神社、集説味岡庄牛山村、国帳従三位片山天神。
尾張志に曰く、延喜神名式に春日部郡片山ノ神社、本国帳に従三位片山天神とあり。
府志に、村中村に在て、今八幡の社と称すよし記し、又本国帳集説には、片山は牛山の誤字にて、牛山村熊野の社それなる由いへり、今いづれの説をよしとも定めがたし、
尾張地名考に曰く、「瀧川弘美曰」或人の説には、往昔此村は内山と呼たる所なり、いま牛山と呼は則内山の転語にて、戦国以後の誤りなり、和名類聚に春日部ノ郡山村とあるも此内山、外山をすべて呼しなるべしといへるは、甚よろしき也と正生考是は妙解なり、今の牛山、外山、青山、板場、一之久田、小針村など皆都て山村ノ郷の曲輪なるべし。
「正誤」外山村の外山天神は、山村ノ郷の総社なり。扨本国帳集説に、牛山の熊野ノ宮を春日部郡片山の神社歟とあるによりて、近来讒人ありて、熊野宮を式内の宮なりなどといふものは取にたらず。
明細帳に曰く、由緒不詳候得共、当村旧家控帳中ニ、春日井郡味岡庄牛山村勅願所、式内従三位片山神社、伊豆国阿米津加多比女神社云々ト有之ハ由緒哉。古老口碑ニ曰ク、往古当村ハ宇多津村ト称シ、字片山ニ鎮座大社ナリシガ、元亀年頃右神社附玄殿ト号スル守護人アリシガ、其後秀吉公尾州行ノ砌、放火ニ因テ社格宝物ハ勿論、守護人玄殿ノ家屋等悉皆焼失ニ付、由緒縁起書及右玄殿其末不詳云々申候。
(附)当同字郷中ト号スル所ニ、社宮司ト唱伝スル古塚アリ、往古勅使奉幣ノ砌、御供等ヲ出仕ス所ノ旧跡云々申伝ヘリ。
宝物 : 棟札 宝暦六丙子八月六日 一枚
棟札 (元八幡社)元文ニ丁巳年六月吉日 一枚
棟札 (元神明社)宝暦六丙子年 一枚
棟札 (元愛宕社)宝暦六丙子年 一枚
棟札 (元白山社)宝暦六丙子年 一枚
境内 : 二百八十六坪
境内神社 御鍬社
祭神 皇太神
御獄社
祭神 大巳貴命
少彦名命
秋葉社
祭神 加具土神
津島社
祭神 建速須佐之男命