伝説 おとまが渕

 村の南の方に細丸川という川が流れていて、ここに「おとまが渕」と呼ばれる場所がありました。昔は、この辺りの人たちがここで水にもぐって魚を捕っていました。
 ある年の六月十六日のことでした。この日は、魚がまったくいなく小さな鯰(なまず)一尾だけ捕らえると水から上がり、捕ってきた鯰を川端に放ったまま一服していたところ、渕の底から「オトマ・オトマ」と呼ぶ声が聞こえてきました。すると、先ほど捕らえてきた小さな鯰が「オウ」と返事をしてそのまま渕の中へドブンと飛び込んでしまいました。それ以後、この渕に入る人はいなくなり、「おとまが渕」と名付けられました。小雨の降るような時には、渕の中から何者かが渡り瀬に出てきて牛や馬を渕に引き込んでしまうことがあると言い伝えられています。
 明歴二年六月朔日、多くの人たちがこの渕から龍が昇って行くのを見ました。黒雲が立ち上り、その黒雲の中に際立って真っ黒で長いものが見えたのを私もみました。その形は丸く見えていましたが跡は次第に細くなり夕立の音をたてながら東の方へ行きましたが、その後北へ回り西の方へ行ったそうです。後になって雨の降った様子が伝えられて来ましたが、大草や篠木あたりでは大雨が降り雷が鳴り響き大きな氷が降ったとのこと。美濃の国でも同じような状態だったと伝えられて来ました。小牧では、黒雲の姿はなく雨は降らず空は晴れ渡っていました。龍が上がってから一二年経つ間にこの渕は浅くなってしまいました。


 上の話が「牛山正事記」に書かれていたと伝えられている伝説「おとまが渕」です。「牛山正事記」は現在存在していませんが、霊元十一年(1671)に書かれた「尾張徇行記」の中に下記のように紹介されています。

「牛山、正事記云、村ノ南二細丸川トテ流ル、是ニオトマカ渕ト云アリ、昔所ノ者水ククリシテ魚ヲ捕、 或時六月十六日ノコト成ニ、今日ハ魚一円ナクテ小キ鯰ヲ一ツ取テアカリ、川端ニ投置テ休居タル所ニ、 渕ノ底ニテオトマオトマト云声スル、其時右ノ鰻子オウト答テ其ママ川へ飛コム、夫ヨリ此渕へ入者ナシ、オトマカ渕ト名付、扨又小雨ナトノ降時分ニハ、何トヤラン渡リ瀬へ出テ牛馬ナトヲ引込ムコトアリシト 申伝フ、明暦二年丙申六月朔日ニ此渕ヨリ龍アカル所ニ見タル者多シ、予モ遠所ヨリ見テアリケルカ、 黒雲此渕ヨリ立ノホル、其中ニ殊ニ真黒ニ長キ物サカリテ見エシ、其形丸ク見ヘテ次第ニ跡細ク夕立ノ音シテ東ノ方へ鳴テ行ク、北へ回リテ西へ行ケル由、後雨ノ降ヤウニテ取沙汰アリ、東ハ大草篠木辺ハ雨車軸ノ如ク雷夥シク鳴響テ大ナル氷降タル由、美濃国ニテモ如此ト聞ユ、小牧ハ雨不降空晴テ黒雲ノ行ヤウ能ミヘシ、此龍アカリテ後一両年ノ中ニ此渕浅ク成ケル」

 この伝説にある細丸川は、何処にあったのだろうか。  これについて、河村広康氏が氏発行の「よもやま話」の中で下のように書いておられます。

 昔は、現在の牛山町柳坪と牛山小学校との間の東寄りに細丸川という川が流れていて、そのあたりに「おとまが渕」がありました。渕というより池といってよい程のもので、約二、〇〇〇坪(六、六〇〇平方メートル)の面積があったということてす。
細丸川の川幅は、西行堂川の半分位ではなかったかと思われ、西行堂川にかかる牛山橋(新外)の北側を東から西に流れて「おとまが渕」に入り、渕出てから柳坪の前を南に向かい牛山小学校の西側をとおり、若草と寺田台の間を流れて大山川に注いでいたと想像されます。現在は細い溝で用排水に利用されて、その痕跡が残っています。

2005/11/21
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