牛山町の東南部を縦断する西行堂川は、改修工事が行われるまで自然のままに放置された古い河川で、常に氾濫が起こり村民を悩ませていました。そのせいか、河川の両脇は、所々の高台に松が生い茂っていた以外には殆どが葦や萱の生い茂る自然の湿地帯でした。
昭和の初期頃まで、この西行堂川の堤防で狐火を見ることができたと言うことで、村人はこれを
狐の嫁入と呼んでいました。私も小さい子供だった頃、西行堂川の堤防を進んで行く狐の嫁入行列の話を祖母からよく聞いたものでした。真っ暗闇の中、遠くに見える西行堂川の堤防の上を整然と並んで進んで行く狐火は、さながら提灯を灯し花嫁を送って行く花嫁行列を連想させたのでしょう。この狐の嫁入が大山川で見られたと言う話はありません。
黒沢明監督の「夢」と言う映画の中に、子供の頃の思い出として幻想的な
狐の嫁入の物語が出てきますが、当地においても牛山町に隣接する田楽町の雨宝山長福寺住職青山轍山師が著書の中で牛山町の狐火を見た思い出を具体的に書いておられますので以下に引用させていただきました。
以下「山河有情 〜ふる里の昔ばなし〜」青山轍山著より
田舎の夜が一段と深まって草木のすべてが眠りに入り、真夜の頃になると、新木津用水から西へ八百メートル程離れた西行堂川の堤防を舞台に、夜にも不思議な奇妙なドラマが始まる。
村の人たちが萱場の一本樫と言っている西行堂川の堤防の上にある樫の根元に狐火が一つ
灯った。(この萱場の一本樫も、戦後誰が切ったのか姿を消してしまった)。次の瞬間その一つの狐火は、左右一列に二メートル位の間隔を置いて、四つ六つ八つと次々に数を増やし、十五程の狐火が横一列に整然と並んだ。
やがてその狐火は隊列を縦隊に変えて、堤防の上を北に向かって移動を始めた。狐火の一つ一つが、まるで跳躍するように、ピョンピョンと跳び跳ねながら、堤防を北上して進んで行く。西行堂川が新木津用水と交叉する地点に達すると、今度は反転して南下を始める。秩序整然として一糸乱れることなく、まるで軍隊の行進のように、一本樫を通過して牛山新外の集落の辺りに達すると、隊列の狐火は、すべて瞬間に消えた。
それから、三分程して再び萱場の一本樫の根元に狐火が一つ灯った。その狐火は数を増やして、十五程になると方角を変え、跳躍しながら北上し、用水の交叉地点で反転し南下して牛山新外に達すると狐火は一斉に消える。この繰返しが夜中続けられる。
この奇妙なドラマを当事の人は、狐の嫁入行列と言った。夏の夜の寝苦しい深夜、床から起き出て、このドラマに気付く地元の人は、「また萱場の狐の奴らが始めているな」と気にも留めない。
何故このような現象が起きるのか、昭和以降に生まれ、この奇妙な狐の仕業に遭遇したことの無い人たちには、納得の出来ない話だが、子供の頃から度々このドラマを見ている私には、懐かしいとさえ思っている。