牛 山 弁

[T] 牛山弁の現状
 ラジオやテレビによる標準語の普及や、全国から町内への人の流入、また、牛山の人たちの生活圏の拡大などにより、牛山弁は大きく姿を変えてきました。それでも、明治大正生まれの農家の人々の間では、つい最近まで純粋に近い牛山弁が使われていました。純粋とは言え、この牛山弁も、古い時代から、この村に移住してきた人たちの言葉や、近隣の村々との交流の影響を受けながら形作られてきたものでしょう。
 現在、牛山の人たちの言葉は、名古屋弁で代表される尾張弁にほぼ同化されているようです。この尾張弁は、特有のイントネーションと訛りがあり、関西弁や東北弁などと同じように、一生懸命標準語を話しているつもりでも、聞けばすぐ分かるほど個性的なものを持っています。
 昭和30年代以降、他府県から牛山町への人口の流入は急激で、人口は約8倍に膨れ上がりました。町内を歩くと、各地方のお国訛りが聞かれますが、いまだ、牛山の言葉に影響を与えるまでにはいたっていません。しかし、大人たちとの対話を通じてよりも、テレビを通じて言葉を覚えた幼稚園や小学校世代の子供たちの言葉使いは、確実に変わってきており、この子供達が成人する暁には、牛山の言葉も大きく変わってくることでしょう。

[U] 牛山弁の生い立ち
 牛山弁は、春日井市の牛山町を中心として使われていた尾張弁の一亜流で、微妙な個性は持っていたもののほぼ尾張弁に包含分類しても異論のないものでした。しかし、尾張弁の代表である名古屋弁の形成自体が江戸時代初期と言われていますので、それ以前の時代には、尾張各地に固有の方言があったのかも知れません。
 つい最近まで使われえていた牛山弁の最も特徴的なものは、「ちょる」言葉でした。この牛山弁は、境を接している直ぐ隣の小牧町では全く使われていませんでした。私が未だ子供だった頃、牛山町内には物を売る店は一軒も無く、買い物は全て小牧へ出かけていました。私達子供も、年に数度はお小遣いをいもらい、友だちと小牧まで出掛たものでした。町の中を大声で話しながら歩く私たちの牛山弁を聞いた小牧の子供達に「ちょる、ちょる」とからかわれたことがしばしばありました。
 終戦後間もないある日、別府に住んでいた従兄弟が家族で遊びに来たことがありました。彼らの言葉を聞き、びっくりしました。彼らは、「ちょる」言葉を使っているではありませんか。海軍の軍人だった叔父は、呉、佐世保と転勤が続いていましたので、従兄弟たちがどこで「ちょる」言葉を覚えたのかは分かりません。後に、中国地方以西の所々で「ちょる」言葉が使われていることを知りました。何時の時代か「ちょる」言葉を使っていた地方の人々が牛山に移住し、在来の言葉と交じり合い牛山弁が出来上がったのでしょう。とは言え、「ちょる」言葉は、牛山弁固有のものではなく、春日井市中西部全域に渡って使われていますが、牛山では、この「ちょる」言葉が特に頻繁に使われていました。
 それでは、いつの時代に、この「ちょる」言葉が牛山に入ってきたのでしょうか。いろいろな仮説を立てることができると思いますが、私は、関が原の合戦(1600)前後の時期ではないかと思います。
 江戸幕府成立前後の半世紀間の牛山は、当時の規模から言えば、住宅開発が急激に進められた現在の牛山に匹敵するほどの変化と住民の流出入があった時代ではなかったかと思います。
 ・1584(天正12年) 小牧・長久手の戦い、牛山村戦場となる。牛山村の地士丹羽作左衛門参戦
 ・1596(慶長元年) 少林山新徳寺開山正雲紹侃和尚牛山村に慶林庵中興、瑞林庵建立
 ・1600(慶長5年) 関が原の合戦、浪人の増加
 ・1603(慶長8年) 江戸幕府成立
 ・1633(寛永10年) 入鹿用水完成による春日井原の新田開発
 ・1664(寛文4年) 新木津用水竣工により牛山村灌漑田面積増加
とこの時期牛山を大きく変える出来事が続きました。戦に疲れ帰農する武士達、新田開発に伴う移住者など人の移動が盛んにおこなわれました。
この時期に牛山へ移住してきたと伝えられ、現在もその家系が続いている本田地区の家に
 ・浅井氏(間内): 浅井長政の側室の子七郎、1592年牛山に移住
 ・長谷川氏(郷中): 平右衛門(源正胤出丁長谷川氏)1650年頃牛山に移住
 ・長谷川氏(東脇): 小牧長久手の戦で家康の配下として参戦後牛山に定住帰農(1590年頃)
があります。もちろん、この他にもこの時期に牛山へ移住してきた家は数あるでしょう。
寛文12年(1672)の尾州春日井郡覚書帳(寛文覚書)記録には、牛山村家数73、人数426とあり、わずか73戸の小さな農村にとって、村の文化に大きな影響を与えるのに十分であった思います。
小牧長久手の合戦で活躍したと伝えられている牛山の豪族丹羽作左衛門については、「覚明霊神一代記」に、それらしき人物として、覚明霊神の祖丹羽某として記述されていますが、牛山村皿屋敷の天神社脇のに住み、ひっそりと世をおくったとあります。おそらく、この時代に、牛山村の勢力地図が大きく塗り替えられたのではないかと思います。
 この時代に牛山村や近隣の村へ「ちょる」言葉を話す人々の流入があったのではないでしょうか。古老の話しによると、郷中長谷川の祖源正胤は西国の人ではなかったかとのこと。家紋は、丸に違い鷹の羽で、能登から西石見に下向し、一時期大内氏や毛利元就の配下として活躍した源範頼を遠祖とする吉見氏の家紋と同じです。吉見氏に関わりのある一族が「ちょる」言葉と共にこの地に流れ着き定着したとも考えられます。
 尾張弁は、現在でも各地方毎に微妙な違いがあり、かっては、それぞれ固有の方言を持っていたものが、名古屋弁が成立したと言われる江戸時代初期以降、その影響を受けながら、次第に尾張弁としの共通化が進んでいったのだと思われます。牛山弁においても、江戸幕府成立前後の激動の時代を境に、それまでの固有な方言が次第に薄められ現在に至ったのでしょう。

[V] 牛山弁の実際
 ここでは、つい最近まで使われていた牛山弁についてお話をしましょう。
 「ちょる」言葉と一言で言っても、丁寧な使い方、粗雑な使い方、目上の人に使うとき、身分の違い、年齢や性別などにより微妙な違いがあります。またイントネーションや言い回しによって意味が変わってくることは、標準語においても同じで、牛山弁がこうであると一概には言い切れませんが、いくつかの例を上げてみたいと思います。

牛山弁

標準語

※和男君が何かをしているところへ良雄君がやってきた。
なにやちょる。なにしてるんだ。
なつやすみのしくでぁーやちょるがや。夏休みの宿題やってるんだよ。
なんじゃー、まんだそんなことやちょるのか。
おら、まーひゃなつやすみがはじまってすぐやってまったがや。
なんだ、まだそんなことをやってるのか。
俺なんか、もう夏休みが始まってすぐにやってしまったよ。
ほんなこといったって、あしたあしたとおもちょるうちにまあーひゃーすぐなつやすみおわってまうがや。そんなこと言っても、明日は明日はと思っているうちにもう夏休み終わってしまうよ。
ほんなもの、おみゃーのせきにんじゃがや。いままでやらなんだほうがわりぃーわ。そんなことは、おまえの責任だろ。今までやらなかった方が悪いよ。
※そこへ、お祖母さんが入ってきた。
えりゃーにきわきゃーて、なにやちょらんす。騒々しく、何をしているんだね。
しくでぁーやっちょるとけぇーよしおくんがきたもんで・・・。宿題をやっているところへ良雄君がきたので・・・。
なんじゃー、よしおくんきゃー、おとぐちがあけっぱなしんなちょったもんで、だれじゃしらんとおもってのぜーてみたがや。
なつやすみもまーひゃーおわるでおみゃーさんもあすんでばっかおらんとしくでぁーははよすませちょかんとあかんぜ。
なんだ、良雄君だったのかね。玄関が開けっ放しになっていたので誰かと思ってのぞいてみたんだよ。
夏休みももう直ぐおわるからお前も遊んでばかっりいないで宿題は早く済ませておかないといけないよ。
※そこへ、お祖母さん出て行く。
あーあ、あたまがいたゃーわ。あーあ、頭が痛いよ。
おれのやつみせたるで、ほれうつしゃええがや。
ほれより、はよしみゃーにしてかわゃーみずあびにいこみゃー。
俺のを見せてやるから、それを写せばいいじゃない。
それより、早く終わって川へ泳ぎに行こうよ。
ほーしよか。そうしようか。


※武さんが、畑へ行く途中近所の次郎さんに会い立ち話。
あさはよからえりゃーせいがでるなも。朝早くから精がでますね。
でぁーこのうねつくらすとおもってでかけたとこだぎゃー。まーひぁーじきすぎてまったが、ほかっちょくわけにいけせんで。大根の畝を作ろうと思って出かけたところなんですよ。もう時期が過ぎてしまったけど、ほって置くわけにはゆかないので。
ほーか。でぁーこまくには、まーちょっとおせーかもしれんなー。 そうか。大根を播くのには少し晩いかもしれないな。
ことしのなつのあつぃーてったてったら、どうしょーもあれせなんだ。なにやちょても、あせでべたべたなってまってはたゃーいけどこじゃなかったぎゃー。 今年の暑いといったら、どうしようもなかった。何をやっていても、汗でびたびたになってしまい畠へ行くどころではなかったよ。
ほーじゃ。こんなあつぃーとしもめずらしーなも。あめもぜんぜんふれせんし。こーもかわゃーてまうと、たねみゃーてもめがでーせんじゃらー。 そうですね。こんなに暑い年もめずらしいですね。雨も全く降らないし。こんなに乾いてしまうと、種を播いても芽がでないでしょう。
ほんでも、あめんすくなかったせーか、ことしゃ、とまとやすぃーかがよぉできたわ。
ところで、こーもはよから、おみゃーさんはどけーでかけるじゃー。
それでも、雨が少なかったせいか、今年は、トマトやスイカが良くできたよ。
ところで、こんなに早くから、お前さんは何処へでかけるんですか。
わしかー。みやわかるじゃらー。すずしいうちにあとかってこすとおもってでかけたがや。こーもあっつぃーと、あさはよやっちょかんと、おてんとさまがたかなってからではもたんでよー。 私かね。見ればわかるでしょう。涼しい内に畦草を刈ってこよと思って出掛けたんだよ。こんなに暑いと、朝はやくやっておかないと、太陽が高くなってからではもたないからね。
ほーじゃ。ほんでも、あさやゆーがたはでゃーぶすずしなってきたでたすかるわ。まあちょこっとのしんぼうじゃけどな。さむけりゃさみーでいやじゃし。 そうだねぇ。それでも、朝夕は大分涼しくなってきたので助かるよ。もう少しの辛抱だけでね。寒ければ寒いで嫌だし。
くたぶれこまんようにやってちょーよ。わしらーも、そーわかにゃーで。 疲れ込まないようにやってくださいや。私達もそんなに若くないんだから。
ほーじゃ。おたぎゃーさまにな。 そうだねぇ。お互いにね。


2000/08/22
Revised 2000/09/03
Back to Top