初盆の行事

初盆は、亡くなった人がむかえる最初のお盆の事で、「はつぼん」、「しんぼん」、「にいぼん」などいろいろな呼ばれ方がされていますが、牛山では一般的に「はつぼん」と呼ばれています。
初盆迎える人々にとっては、親近者を亡くしたばかりで、亡くなった人への追慕の情が未だ覚めず、特別の意味をもった行事でしょう。
瑞林寺の施餓鬼会

お盆はとは、盂蘭盆会(うらぼんえ)のことで、祖先崇拝の代表的な行事の一つですが、こうした伝統行事は、昭和中頃から急速に進んだ核家族化現象の結果、親から子へ、そして孫へと世代間継承されることが少なくなり次第に消えていったり形を変えたりしつつあります。また、社会構造、経済構造の変化に伴い、人の移動範囲が広くなり、各地方特有の伝統行事が人の移動に伴って持ち込まれお互いに影響しあうことにより形をかえつつあるようにもみえます。
私の住む郷中南組は、全戸が臨済宗妙心寺派祥巌山瑞林寺の檀家であり、南嶋と呼ばれていた当時から続いている古い家ばかりということもあって、古くからの諸行事がほぼ忠実に継承されてきました。
お盆行事そのものは、
8月4日 施餓鬼会
8月7日 七日盆、お墓参り
8月12日 精霊棚の飾付
8月13日 迎え火
8月14日 墓参り
8月15日 送り火、精霊棚の片付
8月17日 百万遍(ひゃくまんべ)
と毎年同じ日程で行われます。
このお盆行事の中で特に初盆で行われる郷中南組の行事について現状を紹介したいと思います。

墓で最初の迎え火を焚く

お施餓鬼
盆の行事は、「お施餓鬼」と呼ばれる瑞林寺の施餓鬼会から始まります。
施餓鬼の由来は、「求苦焔口餓鬼陀羅尼」というお経の中に書かれており、お盆とは関係の無いものですが、お盆の行事と一緒に行われるためお盆の行事の一部と理解されているようです。
特に、身内を亡くしたばかりの人々にとっては、亡くなった人への追慕の情も強く、亡くなった人の平安を願って特別の供養をします。
瑞林寺の場合、毎年8月4日に施餓鬼会が行われ、初盆を迎える家庭では、「初施餓鬼」と呼び、特別の供養料とお供えをします。供養料には特上、上、並とあり、初施餓鬼の家では殆どが特上をお願いするようです。供養料によって塔婆の大きさも変わってきます。また、初施餓鬼のお供えは、普通のお供えの他に晒(さらし)で三角の袋を作り其の中に米を約一升詰め、袋には供えた人の名前を書いて供えます。この米袋のお供えは、初盆の年には、新家や分家もそれぞれのものを作りお供えします。
また、初施餓鬼には喪服を着て出席される方が多いようです。

家の入り口で最後の迎え火を焚く

迎え火
お盆の初日(8月13日)の夕方、精霊棚を飾った部屋の前庭で迎え火を焚きますが、初盆の家では、講組である南組全戸の人が集まり精霊迎えの行事を行います。
初盆の家が準備するものは、
・松明108本
・白い提灯
の二つです。
夕方5時前後になると講組の人たちが新盆の家に集まり、松明と提灯を持ってお墓に出掛けます。
そして、明かりを入れた提灯に先導され、墓から家まで道の所々に松明を焚きます。曲がり角には必ず焚きます。新仏が初めて家に帰る日なので、道に迷わないようにということでしょう。
家に着くと、精霊迎えをしていただいた人たちに菓子と飲物を出して接待します。
この接待は、部屋には上がって行ってはいけないと言う事で、昔は庭に筵を敷いて行われたそうですが、現在では、縁側に腰を掛けて行われています。行事が終わるとお供えした果物や菓子を皆に分け、志として砂糖(仏事用)を出 すのが普通です。
講組全員での行事は、迎え火の時だけで、精霊送りの時には行われません。
百万遍(瑞林寺)

百万遍(ひゃくまんべ)
お盆が終わり、中一日をおいて郷中町内の講組全部で、五穀豊穣、家門繁栄、家内安全を祈念しての百万遍が行われます。
「南無阿弥陀仏」を百万回唱えることから百万遍と呼ばれています。昔は、数珠を繰りながら百万回の「南無阿弥陀仏」が唱えられたとのことですが、現在では、全員の唱える回数を足して百万回とか、5分間唱えればとか、だんだん簡略化されています。
行事は午前8時半頃、郷中町内の講組が瑞林寺に集まり、住職の読経の後、百万遍が始まります。
全講組による寺での百万遍が終わると、各講組に分かれそれぞれの講組での百万遍が始まります。昔は講中全戸を一戸一戸を一日がかりで回ったものですが、平成の初期頃から、毎年新仏のある家だけにし、新仏の無い年には、年に一戸順番に回る事になりました。
しかし、その取り決めも次第に緩み、講組によっては、各組での行事は止めにし、瑞林寺での行事が終わると全員で会食して終わりというものも出てきました。

現在細々と続けられているこうした伝統行事も時代と共に次第に其の姿を変えてゆくことになるでしょう。

2002/08/08
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