もう一力月経ちましたが、舞台でうたわれた歌を改めて紹介します。史料として残されていない「黒田城での少年一豊」を偲ぶよすがとしてください。
『行け!一豊くん』
♪黒田で生まれた一豊くん
でっかい体のまるぽちゃくん
すてきなお城ですくすく育ち
兄弟なかよくチヤンバラごっこ
りっぱな殿さまになるよと言って
ピカピカハートの一豊くん!
元気だね、一豊くん
(うん、父上はお城の家老なんだ)
♪黒田のお城で見た夢は
三つ葉柏の旗じるし
けれどもちょっぴり甘えん坊で
母さんみたいなすてきなお嫁さん
きつとどこかにいるよと言って
まあるいハートの一豊くん
やさしいんだね、一豊くん!
(うん、お母さん似なんだ)
♪黒田のお城に賊が来て
母さんたちと脱出さ
父上、兄上、やられちやって
突然さみしくなっちゃったのに
ちょっと旅にとかっこうつけて
ホロリハートの一豊くん
どこへ行っちゃうの、一豊くん?
(うん、お殿さまになりに行くの)
『いつまでも』
♪覚えていますか?
お前たちが生まれた朝
いのちの産声 いのちの喜び
いのちの輝き
いつまでも いつまでも
輝き続けてほしい
♪覚えていますか
あの炎のうずまいた日
いくさの雄叫び
いくさの苦しみ
いくさの悲しみ
いつの日か いつの日か
終りを告げてほしい
♪時をこえて変らぬもの
時をこえて伝わるもの
探すのです お前たちのその手で
見つめるのです
お前たちのそのひとみで
『ステキだわ!十郎さま』
♪朝は朝星 夜は夜星
昼は梅ぼしいただいて
想い続ける あの方は
尾張の国の風雲児
瞳の中に燃える火は
明日の黒田を照らす火か?
いいえ 私のこの胸を
こんがり照らす恋の火よ
んーもー ステキだわ!十郎さま
♪立てば凛々しい伊吹山
座れば木曽の流れのよう
光あふれる あの方は
黒田の城の輝く星
乙女心のときめきは
あの星までは届かない
いいえ私のこの祈り
きっと感じてくださるわ
んーもー たまらない!十郎さま
『どうかわかってほしい』
♪どうか わかってほしい
別れゆく寂しさはあなたと同じ
離れゆくつらさはあなたと同じ
いつもいつも いっしょだつた
泣く時も笑う時もいっしょだつた
一豊、一豊
♪行かないで 姉上
行かないで 姉上
ぼくはいやだ ぼくはいやだ
姉上!姉上!姉上!
『行け、一豊』
♪さあ、立ち上がれ 一豊
お前は生きてゆくのだ
命奪われしものたちの思いを胸に
さあ 立ち上がれ 一豊
さあ 行け 一豊
♪お前を待っている人がいる
お前が語り継がねばならない
ことがある
さあ 行くのだ 一豊
『黒田の里』
♪菜の花 黒田の里の春の色
水ぬるむ野府川
うららかな陽差しを浴びる
鎌倉街道
黒田の城に おぼろ月
♪蛍火 黒田の里の夏の色
雨上がりの明神さま
妻や子の幸せ祈る茅の輪くぐり
川面を渡る 子らの声
♪黄金色 黒田の里の秋の色
一面の稲穂の色
飾り馬引き立てはずむ豊年祭り
よろこびの声 村をねる
♪家の灯 黒田の里の冬の色
伊吹おろし吹き荒れ
我先に家路を急ぐ子らの足音
父母の待つ いろりぼた
♪うるわしき黒田の里よ
いつの日か帰らん
うるわしき黒田の里よ
われらのふるさと
なつかしき黒田の里よ
いつの日か帰らん
なつかしき黒田の里よ
ひびけ この歌
わが想いわが想い はるかに
[平成9年12月号掲載]
丁丁発止《町長発志》
No.44
一豊夫妻が語りかけるもの-湖北サミットから
第4回一豊公&千代様サミットが琵琶湖畔(長浜市、近江町、虎姫町)で開催され、私も100人以上の木曽川町の方々とともに参加しました。
今回のテーマは
(1)一豊夫妻が戦国の世に示したパートナーシップ、リーダーシップから市町として何を学ぶか。
(2)一豊夫妻が残した教訓を“市訓”“町訓”とするとしたら?
パネルディスカッションで私は、(1)を基本にこんなお話しをしました。
「“一豊まつり”の千代様役を、昨年は郡上八幡町、そして今年はご当地近江町からお迎えしました。ここに表れているように、本町では一豊・千代のパートナーシップと、それに大きく支えられてきた一豊のあの特長あるリーダーシップに光をあて、これを時代の転換期にある自治体としての、町づくりの理念として育てていこうとしています。
一つは、商店街で成果が注目されているお買物スタンプカードの名称が「一豊くん出世カード」であるといった具合に、一豊夫妻が力を合わせて運を拓いていったあのパワーにあやかろうとする方向。もう一つは戦国の世に希に見る一豊夫妻の美しくも見事なパートナーシップに、来るべき「心の時代」に求められる「人と人との共生」の原型を見出し、これを「心の町づくり」のソフトの基礎としていこうとする方向、この二つの方向でご夫妻にあやかろうとしている訳です。
来月上演予定の町民ミュージカル『風雲黒田城・行け!一豊くん』のテーマは、一豊が戦乱の世を生き抜き、干代とともに生涯の幸せをつかんでいったのは、黒田城において、両親、兄姉、友、そして黒田の里人たちの愛によって育まれた一豊の広く大きな心が、千代の並はずれた才知と愛情を受け入れ、生きることへの希望と愛着を育てていったからなのだというものです。
このような一豊夫妻のパートナーシップとリーダーシップが、町の人々の心のどこかに定着し、心の時代、福祉の時代の町づくりを支えてくれますように……」
一つの町のいわゆる“サミット”での発言としてちよっと甘いかなとも思ったのですが、実はこの日のテーマ講演の講師、作家の加来耕三(かくこうぞう)氏のお話しは、手前味噌かもしれませんが、私をホッとさせるようなものでした。私なりに要点を抽出してみると……
「一豊夫妻の間には頻繁な会話があったのではないか。13才で母とともに(黒田城を脱出して)放浪の旅に出た一豊は、今でいうマザコンだったのだろう。千代はそれをよく見抜いていた。武将の妻は夫の長所を増幅し短所を消してやらなければならない。戦場では武将はひとりぼっちだ。プラス思考で物を考えていかなければ生き抜いていけないからだ。親の教育もそのような方向だつたにちがいない。千代は時代の流れと転換点を見事につかんでいた。広く世間を見る眼が、北政所などともつき合っていける能力によって養われていたからだ。ここ一番を生かす知恵、これを一豊がまたよく受け入れ実践した。二人の間に夫妻としてのパートナーシップが確立していた証拠だ。
バブル崩壊後の今の世は、朝鮮出兵直後の状況とよく似ている。“伊達者”といわれた当時の若者の風俗は、駅の構内などに座り込んでいる現代の若者たちと同質のものだ。そしてこのような現象から現代が不安の時代、危機の時代と言われている訳だが、今一番危機にさらされているのは“家族”である。我々が一豊夫妻から学ぶべきは、我々の時代における家族ひいては社会的な危機を乗り越えるための、人間関係の再構築についてであり、それを土台とした新しいリーダーシップの創出についてである。」
ともかくも、私にとって学ぶことの多い“湖北サミット”ではありました。議会、商工会、文協、文化財保護委員会、一豊顕彰会などおおぜいのみなさんが、それぞれに成果を持ち帰られたことと思います。
そして、わがミュージカル合唱団が唱うテーマ曲『くろだの里』をバックに、サミットのシンボル旗が次期開催地―木曽川町、岩倉市、犬山市に引き継がれました。
11月8日、9日上演のミュージカルの大成功(!)を踏み台に、サミット受け入れの素地が自然にできていくことを、今から期待しています。
[平成9年11月号掲載]