別の不思議⇔康豊の妻は近江の住人・若宮善介女
一豊の妻は若宮喜助(友興)女。似すぎてる!?
山内家史料 第二代「忠義公紀」第一編
(自慶長十年 至寛永元年)より 
⇔ 初代八幡城主の遠藤盛数(見性院の父)は永禄5年岐阜(井ノ口)で病死。妻(東氏13代の東常慶の娘)は御家安泰のために関城主・永井隼人(岐阜城主・斉藤龍興の叔父)と無理矢理、再婚させられる。
一豊の弟・康豊の妻の不思議
山内康豊、長井利直女を妻に。
康豊姉の米が、長井利直妻 となっている。康豊は‘姉の夫の娘’と結婚している。米が後妻ならば・・
見性院の母の友順尼が再婚した関城主の永井隼人の甥

山内一豊の妻
 山内一豊夫人顕彰会へ