八幡町大火記念日
2003年(平成15年)7月13日(日)朝
今から84年前の1919年(大正8年)7月16日午後3時、今の尾崎町の鍋屋繭乾燥所から出火。乾燥しきった茅葺の屋根に飛び火し、私の祖父母一家(大手町)は焼け出されました。火は惣門橋を越え川合村役場一帯も焼き尽くしました。北町・中坪村の大火でした。剣村の林庄八さんらは今で言う可搬ポンプ(人力ポンプ車)で八幡まで駆けつけたそうです。きっと郡上郡中の消防組織が火を消しに来たのではないでしょうか。つい最近、殿町で大正の大火に焼け残った土蔵があって、危ないので壊したそうですが、その際、天井に大火の時の灰が積もっていたという話を聞きました。歴史は少しずつ消えていきますが、火の用心。火の用心。
高原廣見消防団長先頭に目抜き通りを整然と行進しました。
婦人防火クラブのみなさんも。ごくろうさま。
第一分団一部の消防車以下が行進
消防隊員を勇気付ける音楽隊。大きな太鼓も軽々と。
火元だった尾崎の今の通り。
尾崎自警隊の方々。演習を終えて。