“議場に日の丸掲揚”と恩師の「言葉」
今日、私の小学校の恩師のK先生のお宅をワープロの修理で訪れた。「ついでの時でいいから見てほしい」の“ついで”に甘えて3週間ぐらい経ってからのことである。何とかワープロが直ったところで,僕が「先生、今日は八幡町議会があって議場に日の丸を掲げることを保守系の議員が多数で決めてまって、チョッと僕落ち込んでるんです。」と言った。すると、先生の表情が柔和に笑い、急に闘志のある顔に変り僕がはじめて聞くびっくりするような話を始められた。
「僕の母親は87歳まで、“二度と戦場へ子供達を送らないで”と国会まで出かけて座り込みをしたよ。」「僕は社会の問題を授業に取り上げ水俣病の水俣まで出かけたよ。」「今でも進歩的な岩波の雑誌を読み続けているよ。」「僕の父親はあの戦争に反対で、“中国の人やその子供を殺すことなんて出来ない。日本の子供と同じだから。”と現地から手紙をくれた」
「僕のおばあちゃんは息子(父)の戦死を知らされたとき、今まで飾ってあった天皇陛下の写真を表へ放り出し“息子の命まで預けた覚えはない!息子を返してくれ!”と言った。近所の人が狂ったんではないかといったが小学生の僕はそうではないと思った」
そして、「今は日本が戦争に入った昭和12年(1937年)ごろの時代に似ている。景気がどん底で政党に元気がない。川上君、これから大変だけれど頑張りなさい。」と言って寒風の吹く道端まで僕を見送ってくれた。僕の最もお世話になった恩師の思いがけない話を初めて聞かされ胸が熱くなった。車で帰ると西日に照る冬の八幡城が僕を迎えてくれた。
2002.12.17 八幡町議会議員 川上朝史