羽柴秀吉陣立朱印状 (26.8×78.9p)
天正13年(1585)
この朱印状は、秀吉が越中富山の佐々成政を攻めた時の陣立て書である。
文中、三番備えに、「山内伊右衛門尉殿 七百」とあるのは、山内一豊のことである。「遠藤左馬助殿 二百」とあるのは郡上の八幡城主・遠藤慶隆のことである。
中世の陣立ては、深い親戚同士で固めて裏切りを防ぐのが原則であった。
次に示すように山内と遠藤の親戚で固めている。
堀尾毛介殿(吉晴) 千 (一豊の甥の岳父)
山内伊右衛門尉殿 七百 (千代の夫)
佐藤六左衛門尉殿 弐百 (千代の次兄の岳父)
遠藤大隅守殿 弐百 (千代の従兄・遠藤本家)
(佐藤六左衛門の妻の実家)
遠藤左馬助殿(慶隆)弐百 (千代の兄)
長浜城歴史博物館蔵