7月の「郡上一揆」より
いよいよ7月25日にビデオが発売!7月は郡上一揆の月といえます。宝暦時代も・・・
1754年(宝暦4年)
7月11日 増税反対を小駄良口の庄屋たち御蔵会所へ願い出る。
15日 吉田村(八幡町初納)へ農民集合、藩への嘆願を決める。
16日 郡中の庄屋・組頭が那留ヶ野(白鳥町)へ集合、嘆願書を作り署名押印する。
17日 郡中の庄屋が藩庁へ出頭、嘆願書を提出。
20日 藩が各村の庄屋を呼び出し検見法を申し渡す。
26日 庄屋たちが藩庁へ出頭、検見実施を断る。
※ この後、南宮神社での傘連判状(8月2日)、御蔵会所へ押寄せる(8月10日)。
映画の冒頭のシーンへとつながる。
1755年(宝暦5年)
7月16日 藩庁より庄屋・組頭36人を選んで笠松代官所への出頭を命じられる。
18日 郡中から選ばれた36人の庄屋が笠松へ出頭する。
21日 36人の庄屋検見取り受諾を命じられる。しばらくの猶予を願い出て、郡中の
意向を聞くため11人の庄屋を郡上へ帰す。
29日 この日までに、11人の庄屋と、残りの庄屋百余人が笠松代官所へ出頭する。
この後厳しい弾圧に耐えられず、庄屋たちは検見法受諾の署名捺印をする。
1756年(宝暦8年)
7月20日 老中酒井左衛門尉が、寺社奉行阿部伊予守らに駕籠訴の際の裁判のやり直しを
命ずる。
21日 裁判が始まる(12月25日までほとんど毎日)。