安東伊賀守の弟・郷氏も一緒に戦死。郷氏妻は山内一豊の姉・通(北方殿)。
伊賀守娘は、一人は竹中半兵衛に、その妹は遠藤慶隆(千代の兄)に嫁ぐ。(安東系図)
一人でこの碑を探し、めぐり合ったころは日没が過ぎていました。偶然立ち寄ったガソリンスタンドのご主人が郡上八幡の水野政雄さんの奥さんのお兄さんと知りビックリしました。・・・・それから10数年後、北方町との交流で、氏の親友のA氏に会え感慨無量でした。  川上朝史
安東守就(伊賀守)戦死地 岐阜県北方町
遠藤慶隆(千代の兄)と結婚した安東伊賀守娘は翌年女の子を産みすぐ死んだ。その女の子が、後に室町殿と呼ばれる茶道・金森宗和の母となる。
安東伊賀守の弟・郷氏の妻・北方殿と息子は生きのびて竹中半兵衛宅で養育される。後に一豊が長浜城主になる頃、一豊の元へ。息子は後の土佐藩筆頭家老山内可氏である。
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