佐藤六左衛門のこと 郡上の系図(1) 白鳥町・長瀧寺「経聞坊」文書より
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山内対馬守室
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父・遠藤盛数
常慶の婿
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母・東常慶の娘
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兄の遠藤慶隆
※左馬助
東常縁↑東元胤↑東常慶
↑慶胤妻は佐藤六左衛門女
「東家(とうけ)遠藤家系図」
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↑母は佐藤六左衛門女
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※末子の三十郎は土佐藩へ
佐藤六左衛門(美濃の上有知=鉈尾山城主「美濃市史」)は妻を先代の遠藤大隈守胤縁より娶り、その間に生まれた娘を、千代の兄、慶隆の弟の遠藤慶胤に嫁がせている。その子は遠藤長助で1600年の稲葉氏との戦いで戦死。郡上市役所近くにある愛宕公園の五人塚に名がある。
また、佐藤六左衛門は金森長近の命で飛騨萩原に諏訪城を天正14年(先の陣立の翌年)を築城しました。(「萩原の史跡と史話」より) ※秀吉陣立表は息子にあたる。