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20 高知入城 1601年(慶長6年)、一豊57歳、土佐の高知に20数万石を拝領しました。 安東(あんとう)(さと)(うじ)の子・山内(あり)(うじ)宿毛(すくも)に、深尾氏を佐川に、五藤為重(ごとうためしげ)を土居に配置しました。 1603年(慶長8年)59歳になった一豊は土佐守に任ぜられました。 また、一豊は、京都妙心寺内に塔頭(たっちゅう)・大通院を建立いたしました。 この頃、この大通院へ千代の兄・遠藤慶隆(よしたか)は、稲葉氏の手引きにより何回も足繁く通いました。 円明(えんみょう)国師とその法子(ほうし)半山(はんざん)和尚の徳に打たれ郡上八幡へ半山(はんざん)和尚を招きたいと懇請(こんせい)いたしました。 半山和尚は、稲葉貞通建立の智勝院に入っておられ、円明国師第一の法子であったのです。(つづく)

高知城