五藤家とおまつさまのこと

@おまつ様は近江坂田郡飯村若宮左馬助の娘であったが、父が戦死したので一族の若宮氏の養女となる。

A記録によると、おまつは、丹波宰相秀勝の家臣赤尾孫助という武士に嫁し一女おしょろを生む。孫助の死後、五藤家へ再嫁し内蔵助正友を生む。正友は五藤為重の嗣子。(外記を名のっている)

B牛尾田文書参照(おまつに従った従者の手紙「左馬助様御息女は五藤内蔵助様と御縁組が相済み・・・」)

C浅井長政が永禄9年(1566)閏8月13日、おまつに与えた所領安堵状(別紙参照)
 「若宮左馬助殿御まつ御料人へ下し参らせ候」

D丸山教授発見の墓と文書のこと
 高知市安芸市南山の旧土佐藩家老五藤家から寛永時代(1624〜1644)の一対の夫婦墓古文書が発見された。今まで一豊夫人とされていた「若宮氏の娘」は家老の五藤為重の妻であったことが明らかになり牛尾田文書ともつながった。


E「外記仲間」のこと(おまつ様の遺領を今も守る人々)
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