※ 2004年の5月7日の郡上一揆遺跡巡りの資料(郡上一揆の会:和田昌三代表)からの抜粋に追加をしました。(2004.5.21)
郡上一揆の会へ (寒水川)
寒水村の由蔵(映画では岡野進一郎さん)は、帳元で、死罪獄門となりました。首は前谷村・定次郎(映画では緒方直人さん)と、歩岐島村・四郎左衛門(映画では林隆三さん)、と共に穀見の刑場にて晒し首となりました。39歳でした。
(屋敷跡)
後裔は和田政司さん(55)(八幡町愛宕町)です。旧い墓をこの地方で言う「しん抜き」をして、新墓が1958年(昭和33)に和田利右衛門さん(政司さんの父)の手によって八幡町願蓮寺洞(郡上市庁舎の横)の墓地に造られました。今日、83歳で亡くなられ通夜のあった八重子さんの夫です。
現地の寒水では、白山神社の下にあたり、寒水川を渡ったすぐ山側の場所で、地元の熱心な増田巌(70代ぐらいの年齢)さんによって旧い墓を掘り起こし建てられたものです。墓は広い屋敷跡の上にあり山の急斜面で、足の悪い人では近づけません。屋敷跡には草が生えていました。
言い伝え: 「由蔵という人は、気がちいそうて、ちょっと血が出ても根性が失えるような人やったって」
「藁打ち槌で歯を抜かしたげな」
「家の前の三尺道すれすれに石を並べかえて、前畑を広げさっせたげな」 (明宝村史)
何か、映画や一般に言われている、少し荒っぽい人間で一揆を煽動した、というようなところが少しも伺えない‘言い伝え’です。
でも、あれだけの統率の取れた戦いを5年間行ってきた百姓たちの明方筋の帳元であることや年齢を考えますと、この言い伝えのほうが真実味があるように思います。調べたくなる興味のある人ではないでしょうか。
(宝暦8年の墓)
郡上一揆の店へ