八幡町文化財保護協会 研修視察部旅行
2003年(平成15年)10月14日(火)天気(曇のち雨)
亀山市内のなまこ壁
「東海道五十三次の亀山宿と関宿へ」 (会報の原稿文:川上朝史 )
八時前に曇空の役場前を出発。文化財保護協会研修旅行は三重県の亀山宿・関宿へ。男性15・女性12の27名が参加。
亀山宿と関宿は東海道五十三次(品川より大津)の宿場町で46番目と47番目に当り、町なみ保存に努力をしているということで今回の研修地に選ばれた。バスは東海北陸自動車道から東名阪自動車道に入る。長い茶髪で丸顔のガイドさんから亀山宿の話など聞きつつバスは亀山市内へ入る。
駐車場の衣笠貞之助の映画企画展の看板のある亀山市歴史博物館は残念にも休館日。歩いて多門櫓や黒門跡や藩校明倫館跡(現亀山中学校)を過ぎ行く。昔は旅館かと思われる古い瓦屋根に二階に手すり付の建物が街角に残る。やがて池堀の向うに石垣の上の天主台多門櫓が美しく目に入る。伊勢亀山城は平城で、足は伸ばさなかったが市役所・小学校が堀の向うの城内二の丸跡地にある。松並木を偲ばす大松を過ぎ、大提灯の家老・加藤家長屋門をくぐる。侍屋敷遺構を残す。亀山城の西の丸庭園への途中、なまこ壁を見る。四角い瓦を貼り、蒲鉾状の漆喰で固めたもの。四角の中の白い四つ点が面白く皆が見入る。亀山で昼食。地ビールは「乾杯のうた」。
バスで十分足らずで隣りの宿場町の関宿へ。雨が降り始める。1984年(昭和59年)、「関町関宿重要伝統的建造物群保存地区」に指定され保存に力を入れた結果、関宿は生きた博物館で江戸時代にタイムスリップ。電線も地中化。現役商店は足袋屋、食べ物屋、外でタバコ屋は廃店か。下水工事中だが、高札場跡には関郵便局が土蔵造りで白壁と低い瓦屋根が美しい。中を見るべきだったが単独行動は不安。伊勢参りの客が「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだしも泊まるなら会津屋か」とうたったという旅籠の玉屋へ。旅籠建築を修復しシンボルマークの宝珠と白い漆喰で塗篭めた竪格子窓が目立つ歴史資料館となっている。関まちなみ資料館には、古道具が並ぶが、私には昔父親に食事を運んだ「おかもち」が懐かしかった。二階には旧東海道北側の町並みの移り変わりを写真で比較してあった。「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」の地蔵院(国重要文化財)を最後に関宿を去る。私の心がけが悪いせいで天候にたたられた、などとは露も思わずバスに駆け込んだ。