母が口ずさむ「ふるさと」と、イラクで死んだ二人の日本人
12月に入り日没も早い。夕方4時半の広報無線から「ふるさと」のメロディーが流れた。母がこれを聞いて、口ずさみだした。「ウサギ追いし彼の山 お鮒釣りし彼の川 夢は今も巡りて 忘れがたき故郷」
そして、幼き小学校時代の記憶が甦って語りだした。大中尋常小学校で、河合こうぞうさん(大島)は級長で、鷲見ひさおさん(大島)が副級長。先生が休まれた時に、級長のこうぞうさんが前へ出て、眼があったりすると手を上げた私をあててくれたりした。二人とも戦死した。本当に可哀いそうなことをした。淡々と語る中に、ひとしお母が生きた戦前の日本の若者達の顔が見えてくる。イラクで二人の外務省職員が死亡したニュースが頭に重なった。
大島に河合という医者があった。三輪久の隣りに。女医さんだった。往診を頼むと人力車で来られた。結婚しておられた。瑞雲寺へ河合さんから嫁に行っていた。女ばっかしやったんやろか。三輪耕平さんは同級生で病気で死んだ。滝下八重子(中津屋)さんも副級長。八重さんの娘が名皿部の甚九郎に嫁いだそうだが八重さんは頭の良い子だったし、おとなしく良い子に違いない。・・・・とかいろいろ話が続く。
「きよちゃんは、今金次郎や」といって、猪俣かつみさん(宮のすぐ下に家がある)のお父さんが私をほめてくれた。とてもうれしく忘れられない。
猪俣(善右衛門)で、味噌や酒やお菓子や何でもあった。宮の下が長助、菓子屋
夕飯に混ぜご飯を「うんまい(おいしい)、うんまい」と言って食べた。元気で嬉しいと私も満足。途中、お客さんで私は店へ。済ませて戻ると、母が又、茶碗に混ぜご飯をよそってきて食べようとしている。「おかあちゃん、さっき一杯たべたあー」と言ったが「いや、食べとらん」と言い出しビックリ。「うんまい、こんなうんまいご飯はない」と又食べた。おまけに、今のお客さんにもらったばかりのどぼどぼの柿まで一個をペロリ。
私は嬉しいどころか、心配になりだした。アルツハイマー症が確実に進行していく。