11月・12月の郡上一揆
   (郡上一揆の店・和田昌三調べ)

 11月の郡上一揆

  1755年(宝暦5年)
        11月      この月に入り検見取に反対する百姓を厳しく取り締まる。
        
        11月26日  老中酒井忠寄に駕籠訴を決行。
                 (那比村藤吉・東気良村善右衛門・同村長助・切立村喜四郎・前谷村定次郎)
                  これをきっかけに立者が急増
 
  1756年(宝暦6年)
        11月23日  駕籠訴人・村方三役代表30人組共に帰国を命じられる。


  1757年(宝暦7年)
        11月 2日  西気良村勘助投獄される。

             8日  同人、穀見刑場で打首にされる。(このことが、裁判のとき藩に不利に動く)


  1758年(宝暦8年)
        11月26日  駕籠訴人の切立村喜四郎牢死。

 12月の郡上一揆
    
  1758年(宝暦8年)
        12月  7日  箱訴人東俣村太郎左衛門が牢死
      
            16日  定次郎の父・前谷村助左衛門牢死
      
            22日  駕籠訴人東気良村長助牢死

            26日  判決下る
                  百姓側 死刑14人(即日打首)
                  これまでの牢死19人
                  藩側 藩主の金森頼錦、領地召上げ。元家老粥川仁兵衛、八丈島へ遠島。
      
            30日  厳重な警護のもと獄門3人の首を塩漬けにして郡上へ
                  (定次郎・歩岐島村四郎左衛門・寒水村由蔵)
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