「蹴鞠道」の免許状
2007年6月17日→11月19日追加更新
蹴鞠門弟となることを免許する書状。上達するにつれ、一番右の名前がいろいろ変わる。
これが一番最初にもらった免状。以下、15枚もが残っています。今から190年ほど前。
山内一豊も蹴鞠を嗜んでいた。
彼が豊臣秀次についていたころ、飛鳥井雅継から習う。
(蹴鞠は平安後期より発達し、飛鳥井家・難波家がある。)
右為蹴鞠御門弟

着用可有之由也
難波家
伊東助次郎殿
藍白地革鴨沓
郡上八幡の白木屋伊東助次郎が難波家からもらった蹴鞠の免許状(文化13年12月・1816年)
↓下の「白紋紗上」が伊東助次郎の最後の免許状(文政13年正月・1830年)
文化十三年十二月
磯田靱負
沢山丹下
白紋紗上
右子細有之
多年鞠道依
執心今般被
候間着用可
難波家
文政十三年正月四日
弓削
沢山丹下
伊藤助次郎殿
被免之候間
絹戻上

白蔦袴