10月の「郡上一揆」       
                     (和田昌三「郡上一揆の店」店長調べ) 2003年10月8日
 1755(宝暦5)年10月

        23日 郡上百姓40人組、16ヶ条の願書に17ヶ条願書を加え、金森藩邸に差出す。
        
        25日 小野村半十郎が投獄される。飛脚に乱暴し免状を紛失させたとの理由で。
        
        28日 剣村善左衛門が投獄される。
        
         末  剣村藤治郎・栃洞村清兵衛が江戸表の偵察に出立。
        
         同  勝更村小百姓が、弾圧に耐えられず検見取り了承の詫び状を村三役に渡す。
        
             同様にして5千余の立百姓、700人程に激減。

 1756(宝暦6年)年10月

   12日〜19日 駕籠訴人の願いが一部聞き入れられ、入牢者の大方が釈放される。
        
        24日 駕籠訴人5人と村方三役30人が幕府評定所へ呼び出され対決。
        
              駕籠訴人の批判に三役側返す言葉なし。

 1758(宝暦8)年10月


         3日 田沼意次出席して評定所で審議。 以後たびたび出席して審議する。

         9日 田沼意次裁判の督促を指示。

        28日 前老中本多伯耆守正珍、御役御免、逼塞を命ぜられる。

              ※ 逼塞(ひっそく)=閉門謹慎より軽い刑。

        29日 幕府役人に判決下る。

             前寺社奉行・本多長門守忠央、領地召し上げ、永の預け。

             前勘定奉行・大橋近江、永の預け。

             同曲渕豊後、御役御免、閉門。

             前美濃郡代・青木次郎九郎、御役御免、逼塞他。

         同   箱訴人・向鷲見村弥十郎、検地人黒崎左一右衛門ら牢内で病気。

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