9月の「郡上一揆」 (和田昌三「郡上一揆の店」店長調べ)
1754(宝暦4)年 9月
9日 郡中庄屋、南宮神社へお礼参り
百姓一同が御蔵会所へ押寄せ、検見取免除の御墨付を貰ったのに感謝して
1755(宝暦5)年 9月
5日 郡上百姓40人組が江戸の金森藩邸へ訴状を提出
郡内村方三役代表の30人、幕府評定所へ呼び出される。
10日 駕籠訴人と対決させる。
1756(宝暦6)年 9月
7日 金森頼錦、参勤交代で郡上へ帰国(翌7年4月に江戸へ)
1758(宝暦8)年 9月
2日 金森に利を図ったとして老中・本多伯耆守が御役御免で逼塞を命じられる。
3日 大目付・曲淵豊後守は身柄預け。後に御役御免、閉門に。
同日 金森藩の家老・粥川仁兵衛尋問。後に八丈島へ遠島。
同日 前谷村・定次郎、切立村・喜四郎ら尋問
同日 大橋近江守を尋問。この後もたびたび尋問。後に長く預け。
10日 藩主・金森頼錦、金森邸で3回目の尋問。
14日 評定所へ初めて田沼意次が出席。幕府・藩役人を尋問。
同日 歩岐島乱闘の手負人35名が江戸へ出立。
24日 江戸着、金森屋敷預け。10月3日入牢。
16日 講釈師・馬場文耕、逮捕される。
講談で郡上一揆を題材とし幕府を批判。12月獄門。
20日 駕籠訴人・那比の藤吉・東気良村の善右衛門・同村長助が入牢。
21日 老中・本多長門守尋問。後に領地没収、長く預け。
24日 郡内村役代表30人を尋問。
26日 評定所で田沼意次、金森頼錦を尋問。松江遠江守方へ預け
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