千代の母・ともの再婚相手の永井隼人が信長に破れ、関の安桜城を逃れ、近江の浅井氏を頼った約8年の間、ともは気の休まる日がなかった。唯一、安東家へ残した娘の千代の成長が支えとなった。そして、天正元年に遂に隼人が戦死した。ともは、東家の頃よりの付人・埴生太郎左衛門と、苅安の戸谷庵(現在の乗性寺)へ逃れた。この頃、大坂の石山本願寺では一向宗徒が親鸞から数えて11代の顕如と嫡子・教如が10年間に渡って信長に対し徹底抗戦をしていた。和解を望んだ父・顕如に離反した教如は郡上市・気良の八代八右衛門を頼り郡上へ隠棲しようとしていた。密かにこれを伝え聞いた母・ともは驚きと懐かしさが込み上げた。朝倉義景の娘と結婚し、信長に抗戦中の教如から「照用院釈尼友順」の名を受けた。≪山内一豊の妻≫
※苅安は郡上市美並町に、気良は郡上市明宝にある。
第32話
永井隼人討死。
母・とも、教如に発心。