「大和町史」(通史編)より

東常縁、和歌を贈って城を回復

あるがうちにかかる世をしも見たりけり人の昔のなおも恋しき  (東常縁)

このことを京都で伝え聞いた斎藤妙椿(みょうちん)は、「私も久しく歌道を
好む身として、無情な振る舞いをするつもりはない。東常縁がもし歌を一首
詠んで贈ってくれたら、城や領地はお返ししよう」と語った。


十首の和歌

堀川や清き流れをへだてきて住みがたき世を嘆くばかりぞ  (東常縁)

いかばかり嘆くとか知る心かなふみまよう道の末のやどりを

かたばかり残さんことをいさかかる憂き身はなにと敷島の道

思いやる心の通う道ならでたよりも知らぬ古里の空

たよりなき身を秋風の音ながらさても恋しき古里の春

さらにまた頼むに知りぬうかりしは行く末遠き契りなりけり

木の葉ちる秋の思いよあら玉の春に別るる色をみせなん

君をしもしるべと頼む道なくばなお故郷や隔てはてまし

三芳野になく雁がねといざさらばひたぶるに今君によりこん

吾世経んしるべと今も頼む哉みのの小山の松の千歳を


返歌

言の葉に君が心はみずぐきの行末とおらば跡は違わじ  (斎藤妙椿)

 山内一豊夫人顕彰会へ     郡上の領主だった東常縁  

土佐山内家より将軍・徳川綱吉の母(桂昌院)に渡った東常縁直筆「古今和歌集」