第6話 ≪山内一豊の妻≫
胤行、三浦一族の娘婿を滅ぼす
郡上の祖、東胤行の娘は、本家の千葉秀胤の三男・千葉康秀に嫁ぎ1歳の孫もありました。秀胤は当時、鎌倉の最有力御家人だった三浦泰村の妹を娶り、4人の息子がありました。
三浦氏・千葉氏の隆盛を恐れる鎌倉幕府の執権・北条氏は三浦と千葉の同士討ちを企んで、胤行や一族の大須賀に千葉秀胤の追討を命じたのです。あわれ、戦いに破れた秀胤の4人の息子達は、紅蓮の炎の中で皆自害しました。胤行69歳の時でした。世に言う、宝治合戦(1247年)です。
和歌の名門の東氏が一族で血を血で洗う戦いをしたのは、これが最後ではなかったのです。事件から300年後の運命の女の母親の時代にも起こるのです。