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おいる日記 No.21 (2003 H15.09.16〜12.29)  No.22

12/28 恋愛プリズム♯1 第四十七回町村議会議長全国大会 宣言・決議 12/29 市長 『ミステリー中毒』  恋の言葉に溺れるな♭1
12/25 写真 角田光代の『今、何してる?』 意外メール三通 12/26
12/22 不良債権とデフレ」15年戦争 12/24 漁協 バブル
12/18 小学校・中学校へ 12/20 最終議会
12/15 フセイン 12/17 寒暖 政治
12/12 少子高齢化日本の未来  消費税 12/14 治安、防衛、外交は票にならないが。
ソニー神話は五度崩壊した
12/09 飛騨川温泉しみずの湯 12/11 一般質問通告書 除夜祭・元旦祭行事日程表
12/04 『バカの壁』二百万部は岐阜県の人口 12/07 ミスターレディ
12/02 役人公務員官僚 12/03 『バカの壁』二百万部突破
11/30 りんご babe 歌 虫取り 12/01 メメント・モリ (死を忘れるな)
11/28 都市化(養老) 11/29 「遣米使節小栗上野介 アメリカから学んだもの」
11/26 神社 店と客との関係は、教祖と信者の関係? 11/27 PC 神社
11/24 11/25 不具合
11/20 パソコン音楽 11/22 PC 養老さん余技
11/17 現実を見ないなら利口なバカですよ(養老) 11/18 早稲田商店会
11/14 観光」と「」を共存させる男 テーマパーク方式では町並みが壊滅してしまう 11/16 センゴ 夏彦さん
11/11 地方田舎都市 11/12 歯 パソコン 『最終便に間に合えば
11/09 養老さんのインタビュー番組  死体 11/10 衆議院選挙
11/07 下水道 政治家・学者 11/08 知るとは?
11/04 都市と農山漁村の共生と対流 11/05 外出
11/01 萩原町・ペンサコーラ市交流式典 11/02 暑い マス釣り準備 バカの壁
10/27 日本シリーズ 10/29 役人
10/24 木曾三川公園  同時代 10/25 庭 景況 議会
10/21 班長会 10/22 林真理子
10/18 寒い 自然共生工法 『遅読のすすめ』 マラルメ 10/19 なるほど
10/13 小泉さんと亀井さん 10/16 合併委員会
10/10 老人福祉大会 10/12 マラソン 風呂 便秘 民報
10/08 水環境課講義 下水道 風呂 10/09 変質 合併・幻影 真相
10/06 原監督と事業者 10/07 病院 女たち
10/03 変化しない者に教育か 10/05 碁 ヤナ 合併 管理職
10/01 都市化・田舎・意識 10/02 長老 世間 腹
09/29 不信 規制緩和 強食弱肉 アユ  09/30  コンピューター
09/27 図書館 将来 09/28 身体  目からうろこを落としてくれる二冊
09/25 町長不信任 09/26 『もうひとつの日本は可能だ』
09/21 町民不在の合併? 09/23
09/18 友釣り専用区  飛騨川公園公衆便所 09/20 重い傷 暴言 薄バカ
09/16 請願書 萩原の家 圧力介入 アユ 09/17 請願書


9月16日 火 萩原の家 圧力介入 アユ

朝九時半議長室で、紹介議員たる自分と請願者と会い、議長に請願書(タイトル:町村合併決議にかかる再提案理由等の説明に関する請願書)を渡す。この内容については、いずれ紹介する。
ここを出て交流産業課へ行き、「ひだ萩原の家」と「ひだ林業の家」についてただす。この前の続き。町内業者による木の家の売上は、月五十億円ほどにもなるという。すごい。一般質問で取り上げたいので課長補佐氏に聞く。
いったん帰り、独り飯を食ってから、ある業者と会う。同じテーマだが、役場とは違う感覚が返ってくるところが面白い。業者には、切迫感がある。けれども、役場には、そうした意味での切迫感はない。業者はぎりぎりのところで生きている感じが出ている。自分も同じ立場なのでよくわかる。次に面会した県の産業振興氏にも役場にも、そうした張りつめたものはない。調整役感覚だな。
産業振興氏は「震災疎開パッケージ」業について説明をした。木造の話よりもこっちに熱が入ってしまった。斬新な産業だった。新しい時代がはじまっている。対照として益田郡の業界全体が、古さを背負ってもがいているなとわかる。
漁協へ寄り、以上のことなど話す。まとめの練習みたいだ。どの程度通ずるか測りながら話す。
夜、三区の下水道委員の集まりに出る。夕食中に思い出して急いだ。二分遅れ。いよいよ、工事費が各戸に出される段階になった。一戸あたり百万円ほどか。こまった。

小坂町の大森喜一氏による町長選の出陣式のときの、見広馬瀬村長の挨拶が手元にある。普通は、こういうことは表向き話さないものなのだが。圧力介入。いわく、
「先般の、先週の二十九日でございますが、岐阜県知事さんが益田郡にお見えになる機会がございました。そのなかでも、はっきりと申されておりますのは、国際健康保養地構想の諸事業のことですが、各町村での関連事業につきましても、もし、それだったら、一丸とならなかったら、事業から手を引くこともやむをえんだろうなと、そういうこともはっきりと申されておるわけでございます。」

話は戻って、昼に、益田橋からアユと石の様子を見る。一ヶ月ぶりか。橋をはさんで上下流の違いが際立っている。下流は石の色が見事にくすんでしまっている。上流は見事に輝いている。この輝きこそ待っていたものだ。今ごろになってそれが現れるとは。天空が明るく、太陽が肌に痛い。友釣り日よりだ。やっとだ。釣り人の姿に活気がある。三十センチ級がここで出ている。数は出なくても、大物をかけた人は、それによって最低のこの夏をよき思い出とすることができたろう。

9月20日 土 重い傷 暴言 薄バカ

この間の、再提案議会での逆転以後、議会の後遺症が深いことがだんだんわかってきた。こまった。首長の不信任案と、辞職勧告決議案の取扱いを進めていたが、それが出てきた。また、四人の合併委員が定例会最終日に辞任することになっているが、これも重い傷となっている。僕は首長のようにタフでないので、この程度で頭が混乱する。
彼は複雑な利害交錯の中でさすがのタフネスも支えられなくなったのだろう。益田はひとつ、議会はひとつ、になってこの合併をすすめたいとなんども発言していたが、彼の思いはそこの一点に集中固着して融通を欠くに至っているかと思う。

山川氏と日下部氏がメールしてきた。前者はサイト開設、後者は、サイト閲覧要請。
後者のサイトに気になる部分があった。
≪萩原の再提案、可決の朝、富岡氏は、助役の前のイスに陣取っていて、私に「あんたは萩原には関係ない。帰れ。」と、二度、言った。傍聴に行ってなぜ悪いのか。非礼を謝れ。萩原の議決に関係のない富岡氏こそ、何をしに行ったのか説明せよ。≫と日下部氏は怒っている。

富岡なる人物は、傍若無人のクセがあるようだ。県職員(益田事務所長)で、しかも上級の者には考えられない暴言行為だ。おそらく、その点では、彼はひそかに札付きであろうと推測される。また、このような明らかな非常識をなしたのは、自分を防衛するためであったろう。つい、それが出てしまった。僕などにすれば、富岡所長のほうにこそ、何をしに来たのかと聞きたい。その点の後ろめたさを隠すために、ついあの暴言となったのだろうよ。
どうも油断のならぬ者が周囲に多くなっている。こういうことは、議員以前の生活ではほとんどなかった。だから、世間知らずというか、薄バカというか、そういう者として生きておれた。世間のほうが普通なので、まずそこに合わせなくてはならないが、長年の薄バカグセがついているので、こまった。

決算調書に目を通さなくてはならないのだが、集中できない。こまった。

9月23日 火 

ここ数日のうちに、アルコールの機会が二度あって、体調を崩す。それでも、今日は、トタンのさびの部分塗りをやる。気になっていたさび色が、シルバーに変わった。一時間ほどの作業。
気になっていた、萩原カラオケ同好会の『萩原絆歌』発表会のアップをすます。三十五枚。
力が抜けてしまった感じが続く。なかなか、元に戻らない。さあて二十五日が終ってからだな。
小坂では、早子なる人物が賛成にまわったと。否決で頑張った五人は、気持の乗らない今日一日だったろう。
前の川には、残り浮きが浮いている。ここも終った。

9月25日 木 町長不信任議会

熱い議会がようやく終った。あわただしかった。ずっと緊張が続いた。今日は最終日。本日のメインは、町長不信任案の採決。八対五で否決となった。不信任案の議決は特別の場合に当てはまり、十人の賛成者がないと成立しない。出席議員の四分の三以上の賛成が要る。下呂・下呂案賛成派から三名が賛成に立った。反対派六名のうち、五名が賛成に立った。で、合計八名。また、出されていた請願書については採択議決された。

その前に、一般質問者は四名といつもより少ない。僕は、川の荒れのことと、木の家作り(町の業者の愛知県等での合計売上が、五十億円ほどになる。最も強力なこの町の産業だ)について質問した。合併についてはテーマではなかったが、否決派の同士から、合併についても触れてくれと言われたので、その場で、上記二問の前置きとして合併についての考えを言った。力まかせ、産業主義は、すでに、アメリカでも回り角にきていると。環境とか、手づくりとかが、これからのトレンドであると。だから、強引な下呂下呂案の押し込みは、時代遅れであると指摘しておいた。そんなやり方では、新市の展望は開けない。逆に、新市の将来をつぶしてしまう。こんな当たり前なことが、ぐにゃりくじけてしまったことへの町長の責任は重大だ。この人に、しっかりした信念・考えがなかったことが致命的となった。

下呂町は、経済規模が桁外れに大きいだけに、新しい街の開発発進にもがいている。巨象なので、小回りがきかない。二十年前の繁栄が、今は足かせになっている。同じ夢は来ない。にもかかわらず、同じ夢からなかなか脱出できない。日本の運命と同じだ。新しい感覚を持った首長が切に望まれる。

ハプニングがあった。午後一時から、僕の一般質問で午後の部が始まったのだが、五分たったところで停電になってしまった。二十分ほども続いた。やむなく、マイクなしでやった。
この日は、不信任案が出されていたので、テレビカメラが三台ほども回っていた。これで、ここ一ヶ月ほどの間に三回だ。

議長、副議長の選挙をやった。現議長、副議長と二人の合併委員がすべての役職を辞任し平議員を主張していたので、新しい役職の割り振りが大変だった。
議長は、賛成派の高村議員が、一票差の七票獲得して当選した(賛成派七人、否決派六人の構成がそのまま出た)。副議長は、今枝議員が八票獲得して当選した。五票は白票やらでばらばらだった。僕は立候補しなかったが、一票はいっていたので驚いた。広報委員長を辞任した。かわりに、下水道委員長を引き受けた。

新しい議会構成については、日曜日の『議会だより速報』で詳細が出る予定だ。当議会は、来年三月の新市成立までの六ヶ月間だ。

9月26日 金 『もうひとつの日本は可能だ』

議員と話す機会があった。彼は、昨日に落胆し、また腹が立ってしようがなかった。穏健人物なので、表面には出さないけれども。もうしばらくするといろいろわかってくるだろう。そのときには、簡単小説仕立てでやってみようか。
夜、請願者と話す。この人は、ずいぶん独特の切れ者だな。意外なことを考えている、かつ行動している。その意外飛躍性に驚いた。この町では、こういう人は、興味と敬遠で処遇されているんじゃないかな。

さて、今日はようやく開放気分になれた。
内橋克人の『もうひとつの日本は可能だ』を、ゆっくり読む。残すは二十頁だ。買ったのは八月二十日。これは、経済仕立ての批判論集だが、始からここまで、著者の言葉が突き刺さってくる。この歳になって、これほどに重く突き刺さってくる本を読むことになるとは、予想できなかった。新鮮を通り越して衝撃だった。衝撃という点では、二十歳のころの読書衝撃と似たところがある。その点については、今のところ老いてはいないな。
わが国の政策と、アメリカの政策とを、ひとつに絡めながら説き進んでいく。日本の今がなぜなのかが、浮かび上がってくる。そして、片田舎の益田郡合併劇の進行の裏側に潜んでいるものも。

9月27日 土 図書館 将来

ここずっと腹の調子がよくない。神経性か。昼過ぎまで寝る。寝てままで思いをめぐらせていると、だいたいいつも鬱屈してくる。起き出して、ご飯をレンジで温めて、納豆をおかずにしてすます。おいると、食事も簡便にすますことができるようだ。それから、漁協の会計氏に、川まわりと川掃除の報告書類を持っていく。
その足で、しばらくぶりで図書館へ行く。藤原審爾の『遺す言葉』を借りれないかと。これは、『もうひとつの日本は可能だ』のなかで、著者が触れていたので。岐阜県の図書館を検索してみると、可児市にのみあった。で、無理だとは思ったが一応きいてみようとコピーして持参した。すると、司書氏は言った。可児市のは大きいので、借り出し依頼が多い。その発送費が多額になる。そのぶんを払ってくれというだろうと。そうまでして借りなければならないものではないが、ともかく一応掛け合ってもらうことにした。

「遣米使節小栗上野介 アメリカから学んだもの」
群馬県倉渕村  東善寺住職 村上泰賢
誕生花・番組予告 旧の本棚を眺め探していると、三十年前の、筑摩書房による、日本の思想叢書があったので、その十五巻全部にざっと目を通した。ひどく懐かしい。文もなんだか懐かしい。古きよき時代で、ここでは、左も右も、日本の将来に信頼を置いている。そのことが伝わってきた。ただいまの日本の問題・懐疑はせっぱつまっている。と、紙面からすぐ伝わってきた。あのころは、左右ともに、お人好しでおれたのだな。

ここ十年は、アメリカの産業主義が世界を、日本を苦しめている。ゆがめている。アメリカ追随は、いよいよ終ったのだと腹を据えなければならない。と、『もうひとつの日本は可能だ』を読み終わっての第一の感想だ。政治家も経済学者も、企業家も、そこのところをうろうろしている。むろん深刻だ。けれども、この本の最終章は、日本に将来を開いて見せてくれている。それで、ほっとするのだが、日本の底力と変化への対応動きにはほんとに驚く。頭をかち割られたような衝撃だったよ。その内容について、一端をおいおい紹介したい。
合併問題のこの狭い場所で、情熱を出し合っている我々に、幸せだなあと皮肉りたくなるよ。先を見すえようぜ。

9月28日 身体 

腹の具合がよくならない。早朝に起きて、『逆さメガネ』を少し読む。それからまた寝る。十一時ごろ起きて、テレビを眺める。また寝る。それから碁を見る。また寝る。武宮がびびって負けた。
『逆さメガネ』の続きを読む。この人の考えは、都市社会化論として、反近代なので無理なく頭にはいってくる。
この人は、斎藤孝と同じに、身体をひとつの中心テーマとしている。これは、期せずして同じテーマとなったものかどうか。二人とも、身体を説いて反現代の柱のひとつとしている。

養老氏は、身体に意識をからめている。身体・意識なので、哲学的になる。齋藤氏の場合は、身体訓練的武術家的になっている。共に、文明、生活、産業、の行き過ぎに対して懐疑し警鐘している。

益田川の荒れを、嘆くだけではなくなってきた。『もうひとつの日本は可能だ』も、『逆さメガネ』も、その裏側にあるものをあばいて見せてくれる。あとは、実行だ。政治なんだろうなあ。

9月29日 月 不信 規制緩和 強食弱肉 アユ

腹の具合がよくない。腸は弱いが、胃は強かったのだが。その胃が潰瘍気味でおかしい。神経性か。
塩ジイが引退の弁のなかで言っていた。政治の世界はいやなものですと。これを、穏やかになんでもないように言う。だから、よけいに、そのにがさがしのばれる。僕もいまにがい思いをしている。出口なしのにがさだからまいる。元気が出ない。悪口でも入力しまくればと思うが、がらに合わない。

いろいろ書きたいのだが、今ひとつ乗らない。
相互不信のことを少し。内橋さんに教えられて。
例のネオコンや、ブッシュが、盛んに規制緩和を言い実行している。日本の経済学者も小泉政権もそれを真似て、立派なことのように大口を開けている。すでに、我々最小業者たちはつぶされてきた。いまは、大中企業がその標的になっている。弱者は去れ消えろが彼らの考えだ。地方では、土建業者が苦しいし、下呂の観光業者も苦しい。つぶし合いにはいっている。仁義なきやっつけ合いだ。町村合併が、それに巻き込まれている。利用されている。これが、アメリカ流規制緩和の結末である。勝ち残り強者がすべてなのだ。とんでもない者たちがアメリカを乗っ取っている。我々なんでもない地方住民がひどい目にあっている。下呂下呂推進者たちは、ブッシュ・ネオコン流にやりまくっている。勇者気取りになっている。まいったまいったよ。

さて、不信の事だが、ブッシュ・ネオコンは、キリスト教を説く。宣教者になっている。何でもありの自由競争の規制緩和だからこそ、歯止めが要る。倫理がいる。そこに一神教が登場する。その倫理を当てにして、弱肉強食のつぶしあい自由競争をやらせる。
これを真似る日本には、一神教はない。そうした倫理はない。
日本の場合は、日本教。日本教の精髄は信頼である。これは、強制のものではなく、自覚によらなければならない。自覚宗教。良くも悪くも、それが日本なのだ。キリスト、ユダヤ、イスラムの一神教が世界を支配しているなかで、日本は、稀有な国。世界文化遺産の国である。

信頼は、だから、日本の土台中の土台である。そこが破れては、日本は成り立たなくなる。ただの島国びとになってしまう。
いま日本の、一般住民たちは、それぞれ必死に、我々のよりどころ「信」を守ろうとしている。それが、ネット掲示板に切なくも出ていた。どの町からも出ていた。それを、下呂下呂推進の者たちは、得意げに押しつぶしていく。この荒廃は、なんとしても、止め修復していかなければならないが、あのリコウ者たちにはできない。俺は知らんよと逃げるぐらいが関の山だ。しかし、不信意地を残してはいい結果は生まれない。日常生活のレベルから、回復再生していかなければならない。住民たちは、知恵があるので、知らぬ顔をして、傷の手当てをしていくものだ。知っていても知らぬふりで、そうやっていくのである。

しかし、ブッシュ・ネオコン派には歯止めをかけなければならない。格好はつけているが、ただの暴力地球にしてしまうので。それを真似る日本も地方も、手下暴力輩にならぬようにと。

漁協班長会。ます釣り大会の打ち合わせが終ると、今年のアユのひどさを厳しく指摘する話しになった。センターが一度で、あと全部が、鳥塚になっているのがおかしいと。その通りだな。結果が出る前に、コリャあぶないと予想したが、その通りとなった。ここのアユの病気汚染度がひどかったということだろう。全部が鳥塚というのはおかしい。重大におかしい。

9月30日 火 夢 コンピューター

10月1日 水 都市化・田舎・意識

心身の変調が治らない。悪くなっていく。腹の具合がおかしい、食欲がないし力が出てこない。もともと、丈夫でなくて、保護して生きることをもって人生の第一目標にしていたところがあった。男一人、弱い姉一人で、少ない親族は早くに死んでしまい、なんとしてもまずは生きておらねばならなかった。で頑張ってここまで来たが、力がついに尽きたのかと思えてしまうほどに落ち込んで、普通に戻れない。こんなことは、初めてだ。ひょっとすると、日本もこの町も、郡も、似たようであるのかもしれない。古来からの日本に合わない流れの中に入り込まされているのかもしれない。

養老さんによると、世界史は、都市化への進行であると。明治維新も戦後も、都会化への強国運動であると。
僕の親戚筋は、祖母と父周辺だが、ここより田舎であった。僕は、名古屋の大学へ行ったのだが、つまり都会へ行ったのだが、どうにもなじめなかった。田舎風のもんやり感覚が懐かしい。

親しくしていた今は亡き大学の友人Kは、よく"意識"ということを言っていた。意識とは、自分の人工性を自覚することだろう。彼も、人工性・都市化になじめなかったのかと思う。都会の事どもが嬉しくも当たり前だと思っていれば、意識を意識するようなことはなかろう。
≪意識については、僕も、当時その取扱いに困っていた。Kは、卒業後も、よくこれをポツリと言っていた。僕はそれを自分流に解釈していた。要は煩悶しているのだなと。なぜ煩悶するかについては、卑近なことしか思い浮かばなかった。彼の煩悶は、そういうところにはなかったと今はわかる。つまり、つくられた意識と、これからつくろうとする意識だ。その根本的なところに彼の関心があったけれども、それ以上には進めなかった。表現できなかった。
彼は、学生運動という形で社会(自分をつくったもの)に反抗し抗議した。つまり、彼の意識は、常に安定を欠いていたということ。自分をつくってきた周りや社会と折り合いがつけられない。ということは、いつも意識が落ち着けなかったということ。彼の関心は、日常の不満な事どもを越えて、思想的、哲学的な方面に向かっていたということだったのだ。彼の意識は、そのあたりにあった。
意識の背後には都市化があることなど、思い及ばなかった。僕とKとは、しかし、都市化、人工、自然、歴史、のあたりをさまよっていたことは間違いない。そのさまよいは、つまり意識は、僕の場合一貫している。彼も、ずっとそのあたりを生きていた。ただし、二人とも、高度成長期のせわしさにまぎれることをもってありがたいとしていたが。≫

都市は、人工そのもの。日本の場合、平城京、平安京が都市の始まり。けれども、列島すべては、田舎であり地方であった。平城京人と平安京人は、ごく一握りの人工意識人であった。その練磨が洗練を生んでいった。

戦後における都市化は、それでも、まだ緩やかであったが、高度成長期以後は、これが急速に進んでいった。僕より少し年長のいとこ達には、田舎性があるけれども、僕たちからはうすくなり、僕たちの子どもの年齢の場合、もはや、田舎はなくなっている。都会ふう田舎人である。チグハグな都会・田舎である。
僕は田舎のほうに足を置いた都会ふう人であったかと思う。そのようにして粘って生きてきたのであるが、合併問題であらわになった力まかせの都市化傾向には、ぎょっとしたね。そうかそういうことかと観念したね。とともに、時代遅れの用済み者かいと思わさせられる。それやこれやで、この心身の変調が治らないのかと思う。

10月2日 木 長老 世間 腹

議員が長老を伴ってくる。合併の話。どうにも納得できないので話してみたいと。この人は、萩原の街に、何事かを期待していたようだったが、否決の臨時議会前の七月二十日に、街三区の役員と議員とが合同で諏訪公民館で会合を持ったとき、産業界と区長さんたちの意向が下呂下呂推進だったことを話し、街区の者たちが署名とかに立ち上がることは不可能だろうと言った。街に何かを期待していたので、落胆不満は大きかったようす。肩を落としていた。小さい声としては、町の落胆非難はかなりのものだろう。

結論としては、首長をはじめとして人を得なかったこと。区長さんのなかで、否決方向にしっかりリードする者が現れなかったこと。責任をとらせられるのを回避した。けれども、逆に、下呂下呂にした責任は逃げられないよ。
日本教・世間教は、悪く作用すると、大東亜戦争を代表例として、いっせいに雪崩を打つようにして動いていってしまうことだ。村社会だ。現代でもそうなのだった。興奮状態で事を起こすが、結果については、うやむやで終る。日本共同体の精髄には、傘連判の村社会共同体が今も厳としてある。我々戦後世代にも、村社会感覚は厳存する。何かの折、それが激しく生き動く。

病院へ行ったとき、腹の具合が悪いことをドクターに言う。ここ十日ほどの、不摂生と神経でと。血圧は平静。だが、腹のぐあいがおかしくて、元気が出てこない、厭世気分が続く。
ドクターは、一か月分の胃の薬を処方した。錠剤一粒ずつ。昔は、粉末だったが。なんだか落ち着けない。明後日は、碁の泊まり十人。体力気力が戻ってくれることを切に願う。

10月5日 日 碁 ヤナ 合併 管理職

瀬戸碁会は、十一時ごろに発った。昨日は来たのが、四時ごろ。いつもと様子が違って、今回は夜中、麻雀をやらなかった。純粋囲碁勉強ふうだった。
昼に、予定通りNが夫婦で来る。予定通り観葉植物を土産に持って。顔を合わせるのが、四、五年ぶりか。夫妻とも元気。環境がラクなことを物語っている。伸びやかな定年再就職をやっているようだ。本給は下がったが、売上に追われないので、精神状態のほうには余裕ができる。
アユヤナのテレビ映像を見たので、来る気になったと。あるいは、マイサイトを見て、このごろ心身が変調の様子なので、ちょいと来てくれたのかもしれない。話題がもっぱら議員のことだったので。
危なっかしい生活ぶりを直感して、相変わらずだなあと思ったことだろう。

頭と身体の調子のチグハグが続く。瀬戸碁会の幹事さんが、合併について来年は下呂市ですかと言っていた。帰りの挨拶のときだったので、それで終った。もっと何か喋りたかったのだが、終ってしまった感じ。
逆転議決から不信任案の流れには、町民が驚いている。一体どうなっているんだと。しかし、町政を馬鹿なと突き放してはおれない。
自分たちとしても、何か事を運ばなくては。
合併の町政と議会については、その裏側がだんだんとわかってきた。もっとわかってくるだろう。いびつな萩原町は、われわれの世代と時代の姿の現われなので、衝撃落胆が大きい。「いびつねじれ」の修正に向かって進むのが我々のまずもっての仕事だ。利益を事の第一として疑わない者にとっては、これは、正常でありいびつではない。正常もいびつも問題外なのだ。事は、倒れるか倒れないかだ。自分たちが生き延びるためには、なんでも有りのニヒリズムが当たり前になる。
我々、下呂下呂否決の者たちは、目線が、普通の町民にあった。事業者ではなくて、一般の生活者にあった。一部の事業者の強行は、新市に亀裂と荒廃をもたらす。それが、すでに徐々に現れてきているはずである。
戦後民主主義と、高度成長の結果がここにある。事業者たちの乱暴狼藉ぶりを、我が先輩たちはあちらからどう見ていることだろうか。

役場から、管理職移転の内示があった。四月にあったばかりのものの一部やり直しである。役場内も何か狼狽している。何なのかわからないが、普通ではないことが進行しているのは確かだな。あそこも動揺している。困った。

10月6日 月 原監督と事業者

午後広報委員会。今回はレイアウトまでやったので、終ったのが四時。夕方、功労者表彰のことで管理課長と面談する。彼とは、対面するのは一年ぶりか。椅子の向うの彼は、少し痩せてシャープな感じになっていた。全体に決意がみなぎっていると見た。僕に対しては、あのころより、だいぶ○○○らしくなったと言った。
夜、リンテンさんツネマさんゲッコウさんに来てもらって、諸般について歓談した。

寒い。秋がもう終る感じだ。すべてがしっくりこない。原因は合併関係だ。この傷は、どうにも深い。下呂下呂には、まったく残念。ほかの組合せができなかったことが残念。今の下呂下呂と比べたら、益田下呂にどれほど多くが賛成することだろうか。金山も馬瀬も小坂も、そして下呂でさえ、この組合せを喜ぶだろう。まったく残念。いったん協議会を解散して、新たな出発を待っていたので、大急ぎの強引逆転採決にはがっくりする。ちょうど、住民とともに新市のありようを決めていこうと踏み出した矢先だけに。無念残念。

原監督の辞任には、特に関心を持った。ナベツネなる「読売」会長の行動に、郡内の押し込み合併推進の事業者の姿を見たので。
巨人ファンは、読売事業には関係がない。巨人が好きだからファンである、ただそれだけだ。そこへ突然事業者のトップが出てきて、原監督を無理やり辞任させた。普通のファンのなかには、読売系をかえって嫌いになる者が出るだろう。しかし、それやこれや勘案しても、辞任させなければ、事業関係者たちが納得しなかったのだろう。原監督では、諸事業が成り立たないと。
ジャイアンツというチームは、読売系統の広告塔であった。ということがはっきりした。それは、野球チームより何よりも、まず、広告塔。その効果が最優先される。原監督は、広告塔失格とされたのである。
徳光アナが、表情をくしゃくしゃにしてこの成り行きを嘆き憤慨していた。彼はジャイアンツには、ひとすじに、理想像を託していたに違いないので、その悲憤慷慨はすさまじかった。

読売に限らず、益田郡内に限らず、全国規模で、同じ現象が進行している。事業者の横暴腕力。これを、政治のなかへ、合併協議のなかへ持ち込んだ。彼らの言い分は、「自分らは生き抜かねばならない、なりふりかまっていられない」。これで自分たちを納得させている。
政治が、彼らの論理に振り回されている。まったく情けない話だよ。
ナベツネ読売も、郡内の合併強行推進の事業者も、一般の住民・ファンを、石ころなみにみなしている。

10月7日 火 病院 女たち

七時に下呂病院へ見舞いに出かける。四人で出かける。ここは、去年の二月にいたところなので懐かしいが、様子が変わっている。六人部屋がまるまる空いている。その他の部屋も満員になっていない。これでは、経営が苦しいだろう、とすぐ思ってしまう。こんなことでは、下呂病院の新設移転が難しくなるのでは。

患者は、同年配。見舞いに行ったのも同年輩。ほかの者は、けっこう病院経験者だが、当人は、初めてだ。頑張りまくってとうとう倒れた。一番の原因はストレスかと思う。みなの考えはその点で一致した。彼は、経営については順調でその点では優だった。優良でなかったのは自分のことでなくて、家族でまいったらしい。こいつは、自分の思うようにならない。仕事の後の酒が楽しみでやってきていたが、これが、災いした。ストレスが重なった酒は、毒になってしまう。身体を大切にしてきた彼だったが、神経の変調にはまいった。

自分の場合も、議会関係で、いやなことが続いて、慣れないせいか変調になっている。これだって、あと何か一つ二つのねじれがくれば、崩れていったろう。今は、小休止だ。休息が取れれば、おおごとにはならない。神経が張り詰めてしまって、自分で調整判断能力を欠くようになったときが危ない。そういうとき、何か悪い病が進行している。と思う。

老人なのだから、すべてが弱っている。
にもかかわらず、あるいは、弱っているので、一日一日が、ひどく緊張している。妙に忙しい。一日一日が煮詰まって短い。生きてあと何年かすれば、抵抗する力を失っているだろう。ぼんやり諦めの世界にはいっているだろう。ぼんやりナムアミダブをとなえているだろう。自分と外界とに、敏感に反応する能力を失っているだろう。

家族のことに戻るが、このあいだ来たNもぽつり言っていたが、どうも二十代三十代の女たちがおかしい。枠をはずれている。我々親たちの世代が、がんと怒ったり説教したりしなくなっている。男は、おのずから、生きていく責任を身に付けているが、女たちにはこれがない。ないということは、飛び跳ねてしまって、自分でもブレーキがきかなくなっているということ。どうブレーキをかけるのかわからなくなっている。戦後のアメリカ流の、自由と民主主義の結果がここにある。あの女たちの飛び跳ねぶりを見ていると、希望の戦後民主主義の結果に呆然とする。あの司馬さんが、この事を見なくてよかったと言われているが、その通りだ。司馬さんは、戦後民主主義に希望を与え引っ張ってきた一人だから。あの人は、最晩年に、現代日本に対して、こんなはずではなかったとかなり動揺していた。そのストレスが死を早めさせたかと思う。

10月8日 水 水環境課講義 下水道 風呂

昨日、妙子さんがシンガポールから帰った。三ヶ月ぶり。
午後、水環境課へ行き、街区の下水道事業について、課長に頼んで講義してもらう。約一時間。ポイントを上手に説明してくれた。彼は、こちらの頭がくらくらにならないようにと、すっきりするようにと配慮して喋った。

その要点を思い出してみると。まず、「特環」と「農集」。前者は、国土交通省による補助事業であること。後者は、農水省の。工事中の萩原街区の場合は特環である。
中ノ島浄水場は、平成十八年に供用開始の予定。
汚泥処理に、最新技術である、オゾン処理がなされる。
一戸の負担額は、総額の五パーセントである。
 次に管路整備の話。公共マスと、それへの各戸の引き込み。プール計算方式。最後の詰めと説得は、各組の下水道委員がやらなければならないこと。これが大変であること。工事経費がかさむことと、引き込みの不平等費用のこと。

帰って、リンテンさんへ行き、この組の引き込み工事の問題点を指摘してもらう。公共マスの位置については、最終の詰めがなされていない。水洗トイレを設備しなければならないところが二、三あり、事が滑らかに進むかどうか。費用がかさむので。
これより先、役場へ行く前に、中ノ島の工事現場を見てみた。現場監督と話す。
工事請負者は、国交省の特殊法人の「下水道事業団」が予定されている。進行中の基礎土工工事はその枠外なので、地元企業がやっていた。

風呂が少し漏るようになった。そういう年齢二十年である。どうするか、エハラへ相談に行く。数年前に作り直したばかりの、現在の便利な作り付けの風呂を見せてもらう。タイル風呂ではない。近所の左官やさんが自分のうちを新築したが、彼らからしてすでにタイル風呂を作らなくなっている。ユニットバスである。
とりあえず、セメントで補修してみることにする。

10月9日 木 変質 合併・幻影 真相

『もうひとつの日本は可能だ』。始から読み返している。前回は、落ち着かなくて、読了するのに一ヶ月もかかった。今回は、そんなことにはならない。けれども、衝撃度は変わらない。これは、非常に濃密に出来上がっている。著者の全体重がのっかかっているんじゃないかな。
書かれているのは、この十年。冷戦の終結から、アメリカ単独一極支配へ。この十年のアメリカの変質。同様に日本の変質。これを、説得してくる。そして、説得される。でも、いまの日本に、その反省と新生への動きは感じられない。マスコミは、ガチャガチャやっているだけである。いつもの流れであり、日本の変質のことなど、ついぞわからない。ぼんやりテレビ・新聞をルーティンしているだけではわからないということか。

『地方議会人』九月号で、経済評論家の長谷川氏は、別の角度で警告している。体制に警告を発しているのではなく、政治人・経営人に実践的にアドバイスしている。いわく「すべての企業経営の面でかつての慣行、惰性、経験をすべて否定することから出発しないと、インフレ時代の経験の記憶を尻尾のように引きずっていては、デフレ時代の経営環境に対応できないのである」と。つまり、いまの日本の変革とは、繁栄のインフレ時代から、デフレ時代への対応・流れをしっかり見定め実現していくことであると。小泉政権の仕事とは、それをやることであると。

今回の合併劇の浅はかさを見ていると、とてもそれどころじゃない。夢、幻を実現しようと無理無体をやっている。インフレ時の幻影・夢から覚めまいとして、しゃにむに強引横暴をやっている。ボケ症状もきわまっている。時代遅れ感覚にとぐろを巻いている。実は、薄々はおかしいと自覚はしているのだが、止められないやめられない、だな。
こういう者たちが、またまた引き続き新市を引っ張っていくのかと思うと、残念でやりきれない。

大東亜戦争のとき、国民は、まるで騙されていた。真相は隠しとおされた。戦後、ようやく、参謀たちも告白をはじめた。国民は、苦かったに違いないが、まずは生活をしていかなくてはならないので、こだわってはおれない。それが一般の反応だったろう。
冷戦終結以後の、日本の十年についても、真相は語られていない。と思う。たずさわった官僚のトップはわかっているのだろうが、語らない、語れない。だらだらと、闇が続く。闇に見えない闇が続く。真相を知ってこそ、処方が工夫され出発があるのだが。
小泉総理は、明るさを演出して、真相を煙に巻いている。我々は巻かれている。テレビ風の、カス元気カス明るさだ。政治も経済もアメリカの物まねではダメだ。独自の道を工夫し進まなければならないのに。たのんまっせ日本の頭脳先生。

戦後日本は、マネーが神様だったな。マネーがやりまくったあとには、累々と荒廃が残っているのみ。僕などの世代は、親を通して戦前の面影を知っているので、ただいま立っているところのいびつさと荒れようがわかる。自分が、自分たちがミョウチクリンな者となっていることがわかる。そうしていま、不安のなかに立ちすくんでいる。強いもの勝ちのマネーが神様である。マネーは人間が創り出したものだが、いまは、マネーに見下されている。人間あってのマネーではなくて、マネーあっての人間に成り下がっている。面白くないし、そんなことではいらいらと安心しておれない。

10月12日 日 マラソン 風呂 便秘 民報

小坂御嶽山登りマラソンに出場したお客さん、もう一泊の予定だったが、お父さんのぐあいが悪くなったので、急ぎ帰ることになった。この人は、今年で九年目だ。縁。今年は、関係者が三人。

風呂のぐあいが悪くなった。漏れることがわかった。しばらく観察しておったが、原因がわかった。セメントの部分の割れ。寿命だろう。
インターネットで風呂関係の修理を見てみる。商いにかかわるので、肝心の事は載せていない。けれども、取り付けユニットバスについては、定価の約三割引きで、五、六十万円だと。問題は取り付け工事だが、これがどれほどのものか見当がつかない。百万は越すだろうかな。困った。
ともかくも、一度その方面の友達先生に電話してみたら、昼に来てくれた。先生だから、すぐに処方がわかる。再び来て、応急処置をしてくれた。ぴたり漏れは止まった。気になりだすと、強迫神経症気味になる。それから開放されてありがたい。下水道の工事費がかなりの額になるのでふるえておったので。

カミさんがまた便秘。昼に、おーいと呼んだら、どこからか、はあ-いという返事。いつもと違う感じなので、変だと思いつつ二階へ片付けに行ったら、そこのトイレにはいっている。なんだと聞いたら、便秘だと。一週前にも便秘で、何とかという薬を飲んだら出てきて、長々としたものが出てきて、感心してしまったと。
いらいらの神経性だから、食べ物などに気をつけろと言った。自分でもわかっている。わかっていてもうまくいかないときがある。
面白くない気分が続く。笑わなくなった。何日もつくなっておる感じ。入力と出力のバランスが取れている時が、幸せとしたものだ、と思う。情報でも食べ物でも入力だ。これがうまく出力されている時が幸せ。と実感できる。

はぎわら民報。今回のも納得がいく。裏面の町のインターネット掲示板の写しは、すでに直接に読んでいたので驚かないが、初めて知る町民は、なるほどと思って読んだ人が多いだろう。各町村のインターネット掲示板の町村合併投書原稿は、どこも、ああいう傾向である。
下呂・下呂の再提案可決には、腹が立つというよりも、ただ情けなくて力が抜けていく。なかなか戻ってこない。立ち直れない。ぼんやりが続く。

10月13日 月 小泉さんと亀井さん

休日・体育の日。カミさんが朝岐阜へ出かけた。関市のカラオケ道場のチャンピオン発表大会があるので。こちらからは三、四人が出場らしい。帰ったのは十一時。こってしまっている。

文春十月号。小泉さんと亀井さんがそれぞれに対談をしている。ねらいは総裁選。第一印象は、小泉さんが意外に単調でだめなこと、逆に亀井さんが我々の感覚に近いこと。亀井さんの主張は、『もうひとつの日本は可能だ』の線らしい、意外だ。

小泉さんは、猪瀬直樹と対談。これが、郵政三事業民営化改革、道路行政、特殊法人改革の話ばかりである。つまり、小泉さんは、人気取りに終始しているということだったのだ。対談の奥に透けて見える彼の中身は、表向きとは逆にコワモテなのだ。アメリカ流の、マネーゲームの、効率強食弱肉改革。だから、人気とは反対に、国民は追いつめられ不安を増している。淘汰に応援しているのだからこうなる。当然、地方も苦しい。
亀井さんは、アメリカ流をやらない。全体に手厚い従来の日本流である。けれども、やるときはやる。森内閣の政調会長のとき、二百二十三もの公共事業を切った。総額二兆八千億円。
河川改修についても、彼が環境重視を打ち出した。建設大臣ではなくて、環境大臣とさえ呼ばれた。

10月16日 木 委員会

九時半、下水道委員会。萩原浄化センター建設工事。十八年に供用開始。ただいま基礎工事をやっている。委託協定の相手方は、「日本下水道事業団」。この協定については、二十一日の臨時議会に提出される。

十時四十分、合併委員会。
十四日の合併協議会の傍聴者は一人だったと、その一人が報告した。萩原の新合併委員は一言も発言しなかったと、また、二人が遅刻した、一人は十五分の遅刻だったと。報告した議員は、下呂下呂案を否決した者だったので、報告は、非難調であった。傍聴者が一人であったことからわかるように、合併協議会は気が抜けてしまっている。遅刻者二名は、盛期には考えられないことだ。否決派は、自分から推しても、やる気が戻ってこなくて当惑が続いているが、賛成派も、力が入らないようだ。事務手続きの協議会ということなのだろうが、まるで、賛成推進者までが協議会を見放しているように見えてしまって、不気味である。
部の割り当てが五対三となっている。議会事務局があちらへ行った。下呂庁舎には、(総務、市民、観光商工、都市建設、上下水道、の各部)。萩原庁舎には、(企画、健康福祉環境、農林振興、の各部)。消防本部は下呂に、市教委は星雲会館に。

午後から、総文教、広報の各委員会。

10月18日 土 寒い 自然共生工法 『遅読のすすめ』 マラルメ

昨日は、夕方、起きていられずに寝る。なかなか起き上がれない。店から歌がかすかに聞こえる。十二時ごろ起きて出る。パソコンを覗いてから、枕もとの本を見る。非常に寒い。二階へいって、冬のもの、ガウンを引っ張り出してきてくるまる。それでも寒い。寒さをこらえてうとうとする。五時過ぎに起きる。台所へいってみると、豆腐汁が大鍋につくってあり、芋が煮てある。カミさんは、いつも大量である。レンジにかけて食べる。粉茶をのむ。千年万年布団に戻り、書類の続きを見る。寒くて身体を丸めているうちに寝てしまう。眠り病か。
八時前に起きだす。テレビを見、新聞を見る。あんまり寒いので、車を日当たりのほうへ出して運転席に座る。すぐあったかくなる。天然暖房だ。そこへ、読みかけの『遅読のすすめ』と、補正予算書類を持っていく。助手席には、昨日の役場帰りのバッグがそのままになっており、上に、地域整備課長から薦められた川関係のパンフレット等がある。

まずパンフレットを、どんなものかと開いてみる。目を見張る。にんまりする。県は、船出しているじゃないか。川島町の自然共生研究センター。自然共生工法と自然共生工法研究会。年会費三千円なら、会員になってもいいかなと思う。魚道の研究資料もある。県は本格的に取り組んでいる。だが、このあたりの工法を見ると、まるで遅れている。建設事務所が眠っているんだろうな。益田の場合、関係者はその生き物のことなど眼中にないようだ。建設事務所がばっちり目覚めているなら、この荒れぐあいにはならないはずだが。
補正予算書類を、計算機を持っていって調べる。三年目にして目をはじかなくなったか。

おととい借りてきた『遅読のすすめ』は、不思議な本だ。いまどき、ゆっくりした本だ。有用ということに悠々としている。ここには、忙しい時間が流れていない。著者の山村修という人は、図書館司書で、普通のサラリーマン生活者である。だから、ふつうの時間が流れている。
若いころは、多読でせわしない有用な読書であった。それが、遅読に変わった。心して変わった。変わらせられた。この変わろうとして変わっているところが、この本の魅力をつくっている。そこに、反時代性があらわになっているのである。彼は、そんなことは一度も言わない。反時代性などという姿勢そのものを回避しいる。回避しなければ、生活者としての日々を暮らせないから。けれども、この本は、有用ということにひじを張っているところに魅力がある。
彼は、多読速読とは、一般に有用のことだろうといっている。その一番の対象が立花隆だ。彼の多読速読の薦めだが、著者は、あれはプロのやることであるとして、拒絶している。遅読でなければならない読書があり、生活があるのだと断固として言う。そう断言しなければ彼の生活は、心身ともに成り立たない。遅読の哲学を言い、効用を言う。効用とは言いたくないのだが、この際は、敵の言葉を使っている。つまり、彼は、徹底してプロ的有用読書にたてついている。そして、これは成功している。なぜなら、その説教ではなくて、本全体に、日々日常とは別の時間がちゃんと流れているので。

僕はここに驚いたな。はじめ、なんだかまだるっこいな、でも、借りてきたんだからと読み進んでおった。もしダメな本なら、投げ出してしまうのだが、そうはならなかった。そうして、終わりに近づくにつれ、これら字間にある流れはなんだったんだろうと思い出しに努めていた。思い出したのが、なんと、二十歳ころの、我が青春じゃないか。忘れ去っていたものが、まじまじ思い出されてくる。効用、有用の対極の世界が。
マラルメだ。鈴木信太郎先生の特別講義だ。ヴェルレーヌ、マラルメ、ヴァレリー。
マラルメ。彼は、中学校の英語の教師であった。プロの詩人としては暮らしが成り立たない。熱中していたのは、詩作・思索であった。思索と詩作の時間が、彼の詩に結実していた。その何ものかが、山村さんの本にも流れている。だから、山村さんの生活全体が想像できるし、何よりありがたいのは、思いもよらない懐かしい世界を経験させてくれたこと。僕は、卒業後はずっと、有用効用の生活をするんだと力んでやってきた。力むというところがなにかだいぶおかしい。おかしいと思いつつ今日まできた。ゆえに、ずっとチグハグしておかしいのであるなあ。

10月19日 なるほど

岩佐議員と二、三時間同席する機会があった。話は、どうしても合併関係に行く。この人は、多くを喋らない傾向だが。僕が、首長とはどういう経緯、因縁ですかと聞いたら、喋った。なるほどと思ったよ。
岩佐議員、伊藤議員、首長の三人は長い因縁つきあいがあり、今度二人が不信任案に賛成起立したことは、当初からのグループの者たちには考えられないことだった。それくらいに、強く結ばれていたと。良かれ悪しかれ、三人は、ひと束で見られていたと。

伊藤議員の場合、二、三十年ほど前、彼の父親が入院治療をしたとき、倉地正春氏は、二百ccずつ全部で八百ccの輸血をしてくれた。これが最初の縁であり、以後一度の町長選落選、二度目の当選応援を通じて、深い絆で結ばれてきた。
岩佐議員の場合、中呂に世帯を持ったころだ。教育委員会にいた倉地正春氏を通じて、青年のリーダー会にはいり活躍した。小学校のPTA会長とか、いろいろやらせてもらった。自分は菅田から来た者だが、彼はそういう者にも機会をつくってくれた。そのころ、新しくできた青年会の面々は、以後ずっと多方面で活躍してきた。その者たちが、倉地町政を支えてきたわけである。
以上の因縁を聞くと、これまでの合併についてのチグハグ経緯が少し読める。今度、ああいう形で、別れたわけだが、長期の因縁のあと、それぞれが、新しい方向に歩み始めたということだろう。倉地さんは、ついに脱皮できなかったということだろう。

10月21日 火 班長会

九時、臨時議会。主なものは、中ノ島の浄化センター建設工事関係。正式には、萩原町特定環境保全公共下水道萩原浄化センターの建設工事委託に関する基本協定の締結について。協定の相手方は、「日本下水道事業団」。入札等についてもここが取り仕切る。公募入札。

今年の功労者表彰は三名。

夜、漁協班長会。次期役員人事がテーマ。会場はここで。選挙管理委員長として、司会をする。支部からは、会計のみ参加。こういう形の班長会ははじめて。今年のアユの不作の責任問題から、理事、監事の交代を求めることになった。それ以下の人事も会のなかで内定した。順送りはダメだ、の声が通った。初めてである。ようやく、漁協も新事態に入ったようだ。長かった。

昨日、にごりご温泉・高橋尚子ロード行きの写真をアップした
町立の共同露天風呂にはいってみた。広々としてよろしい。ここへ帰っても、まだほかほかしていた。強力だ。
高橋尚子の碑の前後にある山の威容には驚いた。御嶽山と乗鞍岳。神々しいものを感じたよ。

10月22日 水 林真理子

昨日は、ひさしぶりに、十五人前を用意し、続いて、十一時ごろまで会場にいたので、少し飲んだので、今日はずっとぼんやり寝たり起きたりしている。
本の発送メールが来ていたので、昼に起きて、書店まで取りに行く。それから、すぐ読み始めた。いったん寝て、また読み始めた。一時間ほどで読んでしまった。なんということだ。速読のつもりはないのだが、残念。ゆっくり読もうにも読めない。本のほうがいけない。読むというより見た。眺めた。(ちなみに言うと、『もうひとつの日本は可能だ』は、はじめに一か月、いま再読中であと数ページを残すのみだが、また一か月かかっている。本によっては、こんな遅読ができるのである。二度までも。)
この文庫本は、『禁煙の愉しみ』、山村修著。十八日の『遅読』が面白かったので、期待して注文した。結果は以上だ。もし、これを先に読んでいたなら、『遅読』は手にしなかったろう。ただし、南方熊楠と西田幾多郎の禁煙日記の部分は面白かった。この著者はその方面が秀逸のようだ。
自分の禁煙経験は十年前だが。

昨日今日と、『20代に読みたい名作』を借りてきて読んでいる。これは飛ばさないで読める。ありがたい。時間が詰まってくれるので。
これは、林真理子なる作家のものだ。初めて読む。週刊誌等で読んだことはあるが、別に気になる文ではなかった。で、なぜ借りてきたかと言うと、本のタイトルが目に止まったからで、著者ではない。これが、意外と面白い。独特の力がある。何かが気になると思いつつ読み進んでいたが、わかってきた。女性っぽい点だな。これは、幸田文の文にはない。彼女は、男性感覚になりきっている。その男性感覚が面白くて読めた。ところが、林真理子は、女性感覚そのものだ。そこを根城にしている。女性感覚たろうとしている。そこが面白い。閉口する点もあるが面白い。女性独特の押し付けがましさだ。しかし、それが、母性というものだろう。母性で男に対し、また、母性で自身の女を見ている。

少し長いが引用する。『太陽の季節』を書評した部分だ。
≪今回読み返してみて、三島由紀夫の「春の雪」が、強いイメージで甦ってくる。二つの作品の主人公は、とてもよく似ているのだ。女に愛されることは慣れている。許してもいる。が、女を愛したり、溺れたりすることは自尊心が許さないのだ。恋することに照れ、羞恥し、やがて相手の女性を憎むようになる。これは思春期独特の感情である。不思議なことに女はこういう屈折したものが芽生えてこない。もし生まれたとすると、
「本当に愛されているのだろうか」
という猜疑心だけだ。女は人を愛したり、恋したりすることが大好きである。「男を愛する」という作業を、心から楽しむことができる。
けれども男は違うのだ。すべての男とはいわないが、誇り高く、自信を持ち、かつ自己が完成しない若者にこういう現象は起こる。これは若さゆえの潔癖さで、もう少し年をとってくると、恋というものにもっと余裕を持てるはずだし、狡猾さも生まれてくるはずだ。≫

10月24日 金 木曾三川公園 歯 同時代

昨日は、思い立って各務ヶ原に向かって出発。めざすは、川島町の木曾三川公園、自然環境楽園。そこの、自然共生研究センター。堤防、土手の工法を見たかったので。行ってよかった。ここは、国交省がつくったもので、国立の川関係総合センターだ。平成十年からで、これからだ。ただいまは、世界淡水水族館の建設中。

平日でも、けっこうな人出。目につくのは、若者と、年配者。子供用の広場もつくってあった。これを、テーマパークと呼ぶのかな。
萩原の水試の一部が、ここの機関に移る予定。
今日は、その疲れが心地よい。車を日当りへ移してそのなかで、読んだり寝たりする。
薄手のジャンパーが見当たらない。大騒動で探す。カミさんが怒り出す。両方ともが、老いてバランスを失いやすくなっている。いやなものだわい。どうにも出てこないので、どっかへ忘れてきたものと諦めたが、意外なところからでてきた。車の後部の足元に落ちていた。色が黒いので、見つけにくかった。あれやこれや自信を失うことが重なっていく。
けれども、林真理子の『20代に読みたい名作』は、遅読ができ、発見ができてありがたい。この点は、自信が持てる。老いてこその発見。沢木興道師が、晩年に、座禅が下手になったと言っていたのが印象深い。下手という表現が、絶妙だ。これがこの人のわずかばかりの老い愚痴だった。

林真理子には、いいものを見つけた。独特のおりこうさんだ。この人は、自分より十二歳若いのだが、その感覚を上手に表現している。社会性がある。批判力がすばらしい。僕らの世代の女性作家では見当たらない。新しい友を見つけた喜びだ。思い出すのは、柳美里だ。こちらは、戦闘的。林は、その点、ぽっちゃりしている。時代から抜け出す目を実現している。おおらかで鋭く厚みがある。

歯が合わなくて痛いので歯医者さんへ行く。なんども行くので、慣れて話すようになってきた。話のついでに、ぽろり、彼女はこんなことを言った。「私たちのあのころは、日本が大変だったじゃない。東京オリンピックの始まる前で」と。僕は名古屋だったが、東京ははるかにすごかった。彼女は、そこで、自分をしっかり持っていることがせいいっぱいだったと。これは、どういうことかというと、田舎から、東京などへ出て行った者に共通の体験だったということ。なるほどと思い当たった。翻弄され、おおわらわの人生だったということ。こんな会話ができる我々になったということ。老いの数少ない効用の一つだろう。

会話の中に、老いをきばって生きる姿を、お互いのなかで見つけ出し、いたわりあうところがあった。競争したり、競ったりするのではなくて。僕たちは青春からずっと、日本も我々も、競り合うことが運命みたいなものだったじゃないか。だが、お互い、ある意味で敗者同士となってしまったじゃないか。

10月25日 土 庭 景況 議会

気になっていた庭木を手入れする。義兄に頼んで、店まで出かけてハシゴの選定をしてもらう。簡便のもののほうが良いことになった。相談してよかった。費用も半分ですんだ。さっそく二人ではじめた。義兄はカエデのほうをやってくれた。一番高いところは僕が登った。老いの中でも年の功がある。僕のほうがまだしも若いということ。ゴミの始末が大変だが、やってくれるとの事。ヒバのほうはなかなか片付かない。折をみてやっていくことにした。急に慣れぬ事をやったので、足腰がおかしい。
カミさんは、店がひまで、苦しい。気がまぎれない。そのイライラが伝わってきてこっちもラクではない。

僕らの年代は、一番苦しいめぐり合わせとなった。特に自営がそうじゃないかな。もう十年若ければ、馬力が違う。十年先に生まれていたら、ほとんど引退である。自分の年は、引退もならず、かといって現役では半人前だ。
大企業では、景況感が上向きになっているそうだが、地方は、最悪だ。どうにも元気が出てこない。これに老齢が手伝って、ウツ状態が深まるばかりだ。この気分は、馬力がうすくなっているぶん、まともに責められる感じだ。背負うのがやっとだ。義務感でふんばっているのみ。諦めもふんばりも中途半端。僕らの年代の者たちは、こうした感覚を耐えていることだろう。祭りきぶんの時もあったし、インウツ気分の時もあるということ。
この気分の延長で、小泉さんには交代してもらいたいという思いが強まる。民主党を応援したくなっている。何か新しいことを期待する。展開を期待しないでは苦しい。耐えがたい。すぼまりゆく景況が。取り残されていく気分が。

もう一つ、不景気な話。議会がどうもおかしい。雰囲気がギクシャクしている。九月八日の臨時議会から逆転した。賛否が逆転しただけでなく議会そのものもねじれてきている。これまで議会を引っ張ってきた議員たちが、いっせいに引き上げた傷は深い。このメンバーで一度は否決に持ち込んできたのであった。全体に張りがあった。その張りが消えてしまって、今は残骸議会のようなことになっている。この二十一日の全協では、議長が、会が終ったあと、共寿関連のことを長々と発言した。いつもの事ながら、この人は何を言おうとしているのか了解不能だ。僕だけではないようだ。当人は、相手の了解にかまわずしゃべっているんだが、その神経がわからない。無力感が加速する。

10月27日 月 日本シリーズ

庭の続きを少しする。続けたくても、長く続けられない。ヘルメットをかぶって、ハシゴに登っているだけでも必死だ。一時間もやれたかどうか。
リンテンさんに環境楽園の写真を見せに行く。その時、町内放送の時間がよくないので、一考してもらいたいと夫婦して言った。役場に伝えてみてくれということ。
お客夕食準備。そのあと、テレビ野球観戦、阪神・ダイエー。先日、第六戦を見て、これはと引き付けられてしまったので。その緊張感に驚いた。ショーではなかった。一般にプロ野球はショーだったのだが、そういうものなんだろうとしていたが、第六戦を見て、だから驚いた。選手はこれでは疲れてしまって、一般戦ではとてもやれるものではない、と解説者が言っていた。この日本シリーズは一般ではなかったということ。思い出すのは、力道山と木村政彦の一戦。あれも、ショーではなかった。何かぎょっとするものが伝わってきた。(いま、ネットで検索したら、あれは、昭和二十九年十二月二十二日1954.12.22に、蔵前国技館で。このとき中学一年生。だから、その映像は、ニュース映画で見たものだろう。)

どうも頭が働かなくて、日記に向かえなかった。これでも、ある程度の集中時間がないと書けない。一日中そわそわが続いたので、そういうことになったのだろう。いま朝の四時半だが、布団の中で、うつらうつらしながら文面を考えておったら、まとまってきたので、起きてパソコンに向かっている。

テーマは、産業界。ここの産業界と政治。すると、田中知事が出てきた。それと合わせながら、入力することにした。

10月29日 水 役人 

昨日下呂町での川の会は、めずらしい様相となった。役人が多かったので。しかも、僕たちのテーブルでは、明確な応答があった。堤防のこと、石の採取のこと。僕が、大石を堤防につかうのはけしからん。川を荒らす元になっている。と抗議したら、所長が、日本人は、一度やり始めると、そればっかりをやるところがあり、よくないです、と言った。この意味は、護岸にコンクリートをつかうことがはやった時があり、これでは水路になっていけないという声があがると、今度は、石をつかう。みんながいっせいにやる。石積みではない。飾りのために石をつかっている感じだ。石と石との間は、コンクリートで固めている。で、コンクリート堤防に見えないからどんなもんだいと威張っている。
下呂の水明館の正面は、コンクリート堤防になっている。この景観が、社長を不機嫌にした。よくわかる。殺風景で、水明館がいくらマネーを投じても、生きてこない感じになっている。で、今度は、石をコンクリート代わりにつかって、どんなもんですかとお伺いを立てた。社長は、これならよい、と上機嫌になったことだろう。この人はだいたい沈うつ傾向の表情だが、このときばかりは、破顔して一笑したことだろう。

けれども、彼は、これをどんどんやっていくと、川床がグサグサになりすべてが荒れた感じになっていくのだ、ということには思い及ばなかったろう。結果として、治水・利水・環境すべてに悪となって作用していくことに。
体験学習のためには、その道の先輩たる萩原へいらっしてくださるとよい。護岸に大石等をつかっているところほど、無残な光景を見せていること。下呂の川の風景は、萩原のようではない。さすがである、と僕は感心する。今度の、大改修モデル工事において、絶対に萩原先輩に習ってはいけない。川を、萩原のように荒らした感じにして見せておくことは、萩原びとたちが、そうした荒れたセンスの者たちであると証明して見せていることなってしまうからだ。つまり、下呂でこのような荒廃ぶりを示したなら、人をもてなす心においてもガサツだと判断されてしまう。そんなガサツな所へ、癒し観光のため訪れるだろうか。

建設所長ともう一人の課長は力説した、川の工事に大石をつかうことはよくないと。絶対とはならないだろうが、傾向としては、あの工法はつかわれなくなるだろうと。これを、はっきりと言った。言おうとして言った。これが僕には意外だった。いままで、担当の役人氏は、こういう発言をしたことがなかったので。だから、僕は、所長たちがああいうふうに断言したのでビックリした。
今日地域整備課まで本を返しがてら行って、課長に、官吏役人の世界では、上の者しか明確な発言はできないものなのかね、ときいた。すると彼は、すぐ、いえいえそんなことはないと否定した。ぼくはずっと、担当者が明確な発言をしないので、そういうものと思いこんでいたのである。要するに人によりけりであるということになる。それならそのほうがよい。下級の役人は明確な発言をできないなんてことではおかしい。でも、僕は、そういう判断をしておった。結果的には判断ミスであった。
課長はさらに、あの人たちは、技術職であると言った。一般職ではなく技術職。技術系の学校を出たエンジニア。

県職員と町職員は、同じ公務員でもかなり肌合いが違う。県職員は、直接に住民と接触しない傾向。議会とも直接向き合わない。けれども、町職員の場合は、逆である。

≪≫

11月1日 土 萩原・ペンサコーラ交流式典 

きのう三時より。挨拶のなかで、首長が、益田市いや下呂市と言い直したところがおかしいような悲しいような。この人は憎めないところを長所としてきたんだろうが、合併問題のような深刻な場面においては、これは通用しなかった。かえって、当町ばかりでなく関係町村を混乱させた。ほとほとまいりました。

写真をアップしていて、思い出して印象を強くしたのが、挨拶に立った代表が、まるで映画で見る人のようであったのが。そりゃ同じアメリカ市民だから同じようでなければおかしいんだが。その次は、すし屋さんたち。この写真がまたかわいげがあっておかしかった。町民というか庶民というか、そういう者たちのいい姿を見せてもらってほっとしたよ。とにもかくにも合併劇を通じて、人間不信の様相にはまり込まされてしまっていたので。その後遺症でいまだにがっくりがたがたしているので。
その次は、女子高生たちの写真。ちょうど席についたとき彼女たちがいて、同席のケイホウ君と一緒にちょっと話しをしたんだが、僕は、彼女たちをてっきり中学生と判断していたんだが、そう言ったら、いえ高校生です、三年生ですと言ったので、あれまあと。独特のあどけなさを見せてくる。僕たちのころの三年生の女子と言えば、威厳ぽかったように思う。警戒電線信号いっぱいか、独特のシャイっぽいふりをして。いま現に見る三年生女子たちは、独特にあどけない。けれども、栄養がよく回って肌がきれいで、独特のヤマト女らしいところをちゃんとほの見えさせておったので嬉しかったよ。こっちを、堂々喜ばせようとするサービス精神を大いに見せておった。おじさんおじいさんは、持ち上げて喜ばせるに限ると皆判断し実行しているような。

帰るときに、客人テーブルに少し寄った。本田繁子先生に挨拶したかったので。どういう挨拶かというと、彼女の英語は、ほんの少し理解できたこと、その発音が、イギリスっぽくて心地よかったこと。と言ったら、彼女は、主幹氏とともに、客人を呼びに行ったので、独特にシャイである僕はすぐその場を離れて外へ出た。

出てから、喫茶スナックのコイへ寄った。ここでは、同じ年まわりの従業員二人と、現況先行きが不安だ不安だと語り合った。言葉に表情をみんな合わせた。

11月2日 日 暑い マス釣り準備 バカの壁

暖かいのではなく暑い。木曜日に病院で、検査数値オーケーをもらったが、それで油断したか、体調は下降気味。心もそれに合わせている。二日間『バカの壁』に集中したので、消耗気味。それと、届いたネズミコンピューターが変調でまいった。これにはまいった。しまったと思ったが、長男が大丈夫だというのでおとなしく成り行きを待っている。入力したプロダクトキーなるものが拒絶されて、次に進めない。電話が通じないので、メールを送ると、金曜日の夜電話がかかってきた。指示に従って入力するが、器械は受け付けない。すると、相手は、プロダクトキーのシールをデジカメで撮って送ってくれと言う。で、送る。これがなかなかうまくいかない。字が見やすいようにと、サイズを大きくしたが、重くなって途中でストップしてしまう。で、VGAで撮って送りなおす。小さいので、数字が読みにくいが、読めないことはない。すると、折り返しメールがきて、Bを8にして入力してみてくれと。やってみてもダメ。以後なしのつぶてだ。彼らも休みに入ったということ。しかし、このトラブルは、長男が言うには、宝くじにあたったようなものだと。しかも、彼から、言うことがトロクサイと叱られる。動揺するとすばやくトロクサクなる。

昼、明日のマス釣り準備に朝霧橋まで出かける。すでに、こんな時間に、三十人ほどが来ている。さいわいテント準備を手伝ってくれた。ありがたい。こっちはとろとろして作業が間に合わない。帰ってぐっすり寝たあと、十時過ぎに起きて、『バカの壁』について入力アップ。

それにしても暑い。異常だな。いつもは、マス釣りの日は、寒くて寒くてかなわんのだが。この暑さ、何か大地の変調の予告じゃないか。

11月4日 都市と農山漁村の共生と対流 

『地方議会人』十月号。最初の論文、宮口としみち教授の「農山村の多面的な価値を人間論的に考える」を読む。書かれている内容は、まともである。驚かない。都市の者は、農山村の空気を求めているということ。そりゃそうでしょう。ゆとりのある者は、農山村へ出かけて、リフレッシュしたい。問題は、都市よりも、当の農山村にあるのだ、ということが著者にわかっているだろうか。多分わかっていない。頭では理解していても、実感からは遠いだろう。

僕は農山村地域に生活しているが、その中の街に住み暮らしている。だから、僕は農山村の中の都会ふう人である。不安定である。土地を失って、不安定である。この不景気をまともに受けて不安定である。宮口先生によって豊に美化されている農山村人ではない。
以下に笑うに笑えぬ話がある。都会から、子供たちが農山村を訪れた。都会の子どもたちは、当然山や川へ行きたいと言う。これがきっかけとなって初めて、田舎の子供たちは、山や川へ行ったと。これは笑い話にしては、深刻である。僕は笑えない。これが、一つの立派な農山村の現状である。そこをわきまえた上で、農山村のことに思いをめぐらしてほしい。農山村は、都市の憩いの場ではなくなっている。国を挙げての、また世界規模での都市化が、当の農山村を変え荒らしている。農山村が単なる憩いの場なんてことは、考えが軽すぎる。親身になって、農山村を、つまり土地を空気を自然をその人間を生活を大切に育てていかなければならない。農山村を、国を挙げて育てていかなくてはいけない。農山村こそ、そのための助けを求めている。

無理やりの合併は農山村を苦しめる。岐阜県益田郡の合併の強引さは、きちがいじみていた。長野県はむろんだが、他県でも、岐阜県のようなところは例外ではないか。どうなんだろう。益田郡の合併のありさまを、梶原知事が聞いたら、あきれるだろうと思う。梶原知事に長野県知事を求めても無理だが、もし、益田郡の合併劇の内情を知れば、首をかしげるだろう。益田郡全体の前進・全体像を見せないここの指導者に落胆するだろう。いや、始から益田郡には期待していないか。弱い地方は、経済成長期を通じて、ずっと国にうまく利用されてきた。

地方分権、地方自治を言う。国も地方も言う。だがその現場では、強引がまかり通っている。強い者勝ちがまかり通っている。地方分権・地方自治を育てていく視点を欠いている。強い者勝ちとあなた任せがまかり通っている。こんな荒れすさんだところへ、誰がわざわざやってくるか。

11月5日 水 外出

ここ一週間ずっとこもってあれこれ勉強。動きは庭の手入れのみ。カミさんのほうは仕事があるが、こっちにはない。で、勉強を仕事にする。
昨日、「総合庁舎を新市の庁舎として使用してもらえるよう運動をしたい」という集まりから声がかかり、仕事として出かける。新庁舎建設はしばらく待って、緊急の方面にその金を回してもらいたいと。総合庁舎が空くので、有効に利用されたいと。

朝から一日中外へ出ることにする。午前はリンテンさんへ。午後、漁協、若竹屋へ。若奥様がちょうど話したかったところでしたと。一時間近く話しをきいた。話し振りに感心すると、これは、桶村さんから習った成果ですと。政治を、素人から一歩一歩始めるのだという姿勢が、非常に好もしい。これを、始から、いかにも政治話ふうに始められては、閉口することになるだろう。あの姿勢が、桶村さんの指導のたまものだとすれば、彼女の二年間の、役場での仕事は実りがあった、と言える。足元からの政治、という姿勢こそ、新しい出発だからである。既成の政治の枠組みからの脱皮。くろうと政治の陳腐行き詰まりは、この合併劇が証明している。

率直に柔軟に素人姿勢をとることは、賢明である。賢明さの表れだ。今日の外出を省みてそう思う。
夕方帰ると、カミさんが出かけるところ。関へカラオケ。歌狂いの様相? したい事をするのですこぶる元気。結果は四位。

11月6日 木 下水道 政治家・学者

八時半、下水道の引き込み計測のために諏訪集会所に集まる。街区一斉。25、26、27組は、カネヨシ担当。組長の代りにでたお母さんと一緒に組内をまわる。九時から始めて、十時には終ってしまった。予定は十一時。特にむずかしいところはなかった。

しばらく見なかった組内の年配者が出てきた。皆、回覧版を見てその用意がしてあった。皆さん、急におじいさんおばあさんになってしまった感じだったが、僕だってほぼ同じ印象を与えただろう。おじいさんが四人出てきた。ついこのあいだまで、おじいさんの様子ではなかったのだが。どうも今日は、元気がなかった。事が事だけに、工事と費用が直接関係してくるので、気分がラクではない。笑い合う感じにはなれない。
仕事が入ってくれると、気がまぎれるのだが、こうもヒマでは、懐も気持ちも不安貧相になってしまう。リンテンさんと少し話す。少し庭の整理。脚立に落ち着いて乗っていられない。

オリンピックの野球、韓国戦を観る。日ごろのプロ野球とは違う。国の代表選手として試合をしている。ショーではない。このあいだのダイエー・阪神戦は、これに近い雰囲気。選手も疲れるが、見るほうも疲れる。ここでも、老いておじいさんになっていると自覚させられる。さびしい。横着には程遠い。

落ち込みを上向きにさせるには、現実から飛んで抽象に行くに限る。テーマは政治家と学者。以下に養老説。≪しみじみ思うのですが、学者はどうしても、人間がどこまで物を理解できるかということを追究していく。言ってみれば、人間はどこまで利口かということを追いかける作業を仕事としている。逆に、政治家は、人間はどこまでバカかということを読み切らないといけない。≫

11月8日 土 知るとは? 

「知ること」について、養老さんは過激なことを言う。
彼が東大出版会の理事長をしているとき、一番売れた本が『知の技法』。このタイトルに怒っている。なぜこんな本が売れるのかと、出版会で議論した。その時、ほかの者たちは、別に気にかけなかった。養老さんのみが怒った。なぜ怒るのかわからないので、皆さんはきょとんとしていたようだ。僕も、同様に気になんかならない。これでは、養老さんは変わり者になってしまう。

今また読んでいて、気づいた。一度目は、通り一遍に了解しただけであった。今度は違う。これは、彼の土台にかかわることであったと。彼にとって知るとは、ガンの告知と同じであると。それまで何気なく見ていた桜を例に出す。告知されてからは、その桜は同じでなくなった。むろん桜そのものは変わらない。変わったのは自分である。告知されて、つまり知らされて、当人ががらりと変化した。養老さんは、これが変わるということであり、知ることの本質はそこにあるのだと言う。
こりゃ過激だ。我々は、一般にはそんなところにはすんでいない。養老さんの同僚たちも、一般の席に住み暮らしている。タイトル『知の技法』をふつうに受け取って別に何も波風立たない。

しかし、養老さんは、そこに渾身の力をこめている。そのように怒る。彼は、奇をてらっているわけではないと。ごくふつうのところに立っていると。となれば、ふつうでないのは我々ということになる。
もう一つの例。これもエッとばかりに唖然とするのみ。
『論語』の次の言葉。朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。学問をして何かを知るなら、夜死んでもいいと。知るとは、体中で、自分全部で知ることであり、我々に一般的な「頭による知」とは違う。知るとは、自分の全体重がかかっていることである。知るとは、自分がガラリ変わることである。

我々は、日々情報を得ている。めまぐるしい情報の中で生きている。その変化の中で生きており、自分は変わらないとしている。養老さんは、それは逆だと言う。情報そのものは変化しないと。変化するのは自分のほうだと。(古代ギリシャの哲人ヘラクレイトスは「万物は流転する」と言った。事実として万物そのものは変化してやまない。ところが、この格言そのもの、つまり情報はヘラクレイトス以来変化していない。) 
そこに養老さんの「知ること」の哲学があるが、一般ではない。彼は言う、『平家物語』も、『方丈記』もその視点が底流していると。
こうした知り方を主張しつづけたのが小林秀雄だ。彼の文のわかりにくさはそこにあったのだと思う。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
鐘の声を聞く人、流れを見る当人は、変化・流転しつづける。しかし、情報としての上記二文は当時のままで今も変わらない。

11月10日 月 衆院選挙 

今朝までテレビ観戦。どういうわけか、まるで感激のない観戦。自分がおいてへなっているせいかと半分は思っていたが、朝になってしゃべった人が、私も、元気がないと思いましたよ、と言ったので、こりゃ自分だけではないかも。冷たくしらけた。小泉さん登場の際は、張り切ったのに、ここ三年で、急激に自分が様変わりした。それもあるけど、政治そのものがそういうものとなったのだな、と思えてしまう。
小泉さん管さんが、双子のように似ていて、しらける。元気にして見せるんだけれども、わざとらしい。安部幹事長がシラケに輪をかける。小泉安部で、落下をこの程度に抑えたということらしい。それはそれで腹が立つ。国民をバカにするんじゃないぞ。

その中で好もしかったのが、小沢、野中、塩ジイ、田中。小沢さんについては好きになれなかったものだが、今回は、光っていた。ゆったりとして落ち着いていた。政治家らしく見えた。という事は、その他の者が、ミーちゃんハーちゃんに見えてしまって困ったということ。全体がばたばたと軽薄短小に見えて困った。安部幹事長が、自信なさそうで、私はこの任務ではありませんと身体が発言していて、見るのが切なくにがかった。
ずっと近寄りがたかった政治家たちが、いつのまにか、同年か以下の者になってしまっている。

11月11日 火 地方田舎都市

口の中がひりひりと痛い。虫歯の痛さとは違う。この苦痛惨めさは、言ってもわからない。昔の人も同じだったはずだが、誰もそう言わなかった。じたばたせずに決まった方向を向いていたに違いない。

不景気とヒマと不安で、心身を持て余している。それに輪をかけて、このごろは養老さんにつかまってしまった。この人は、お医者さんであるけれども、診察をしない。死体相手の解剖医研究者。我々が、はしゃいでいたころからずっと、彼は世事を横目で見ていた。彼のテーマは、病人病気ではなくて、世間や社会や日本や世界やが直面している急激な都市化である。都市化病である。

僕は三十六七のころ、妻に死なれたのをきっかけとして、高度成長期の世間へ当てもなく、いやそれ相当の覚悟ではいっていった。突然借金と売上に毎日蹴り上げられる生活となった。妻と子どもを束にして面倒を見る生活となった。当たり前の事態であるが、僕には当たり前ではなかった。人それぞれだからな。

借金返済と売上にひりひりイライラする毎日であったが、頭も身体も右往左往して忙しかった。体力もあるから、焦る馬力があり、従って心身が繁忙でそうした充実感の中にいた。けだるさや虚しさや不安と向き合わなくてよかった。だが、いよいよそれをまともにしょわなくてはならなくなった。老いである。釈迦の教えなんかなんだとしてきたが、そうはいかなくなった。まともにお釈迦様の軍門に降っている。地獄がせまってくる。

そんな中、僕のテーマは、地方、田舎だ。都会にあこがれ都会をいいものとして追っていた者が、今まざまざと地獄を見させられている。あこがれて上っ調子になっていたぶん、傷が大きい。不快呆然とするばかりだ。都市化、都会化問題を、今まではまともに取り上げる雰囲気ではなかった。都市化ばんざいが続いていた。皆が、都市化の実現を喜んだ。そして、今、養老さんの、死者・死体を踏まえた警告が不気味に響く。田舎が荒れている。田舎は、用意ができていないぶん、その傷は深い。突然夢から覚めさせられて呆然とする。どうすればいいかわからない。市町村合併のむちゃくちゃぶりが、知恵のなさを直視させる。地方田舎が伝統として持っていた知恵が、無残にさせられている。

11月12日 水 歯 パソコン 『最終便に間に合えば』

朝歯医者さん。どうにもこつんこつん痛くて、電話して行った。向うは、来るはずだ、来なくてはいけないとしている。だから、電話するとたいがいすぐ、オーケーが出る。先生は、今日は、一言も言わなかったかな。僕は、この人とは同年なので、大体どういう感覚でいるかは、わかるつもりでいる。ほんとは、昨日行かなくてはならなかった。向うは、我慢できないはずだと踏んでいた。それが行かなかった。呆れちょっと怒っているんじゃないかな。我慢して行かなかったばっかりに、歯肉が切れてしまっている。こりゃいけない。遠くからわざわざ来る人のことを思えということだ。

帰って、昼飯兼帯の雑炊を食う。雑炊は我が好物。安くてうまい。気楽。何よりも歯にやさしい。若者には、歯になまぬるくて雑炊など食えたものではなかろう。りんごをかじれないのは、もうだいぶ前の話だが、いまは、包丁でごくうすく切って食う。それすら、このごろは噛めない。このやりきれなさは、当人でなければわからない。僕は、つい十年前までは、りんごの切れ端が食いきれないなど想像もできないことだった。

その後で、図書館へ返しに行く。二冊。ところがなんというトボケだ、つもりで用意していった一冊が違っていた。館員が、気の毒そうにして戻してよこした。いったん帰る。時間が中途半端で、我が家の臨時塗装工になるのを延ばした。パソコンの説明書を買いに行く。XP。ばかでかいシロモノがテーブルにある。うっとうしい。安いからな。しかし、しまった、安けりゃいいってものではない。うなる音だって、どっかの機械室にいるみたいだ。体力のあるときなら気にならないが。音からそらすために、音楽CDをかけっぱなしにしている。外付けスピーカーというもの、大枚五千円だが、けっこうな音がする。不自由者は、まずは満足するに限る。不足に満足せよ。若いころに読んだマルクスが、不足に満足させるからと、宗教アヘン説を喧伝していたな。

買ってきた説明本、これも一番安いのを買った。すると、物足りない。あとでまた、二千五百円のを買った。初めのは無用であった。この銭の乏しいときにあーあなんという無駄遣い。
本屋で立ち読みしていたら、立っていられないほどに眠くなった。で、車に戻って、正体を失う。
起きると、返却のつもりで持ち込んだ本を手にとって目を通してみる。これは、はじめチラッと見たとき、読めそうになかったので打っちゃっておいたもの。林真理子の『最終便に間に合えば』。直木賞作品ということなので借りてきていた。今度は、早読みだったが、とにかく読めた。真理子さんには走って申し訳ないが。と反省するほど、この中の風俗が印象に強く残った。三十代の男女の痴話喧嘩痴情である。いやこう言ってはいけない。恋愛である。この男女は、特に女は、恋愛というものをしたがっている。むきだしの欲望や、虚無ではいやなのだ。それはそうでしょう、そうカッコウつけ様式ばるところに文化文明ができるのだから。

僕が、ほほうと感心したのは、女が、男と同じように独立していることだ。かといって、おとこの独立とは違う。社会世間が、男主体で女主体とはなっていないことに、女は微妙に反応している。かわいくてずるがしこい。けれども、この自営気味の女は、男との意地の駆け引きをする。張り合う。身体は女だが、意識においては男的になっている。すぐ少子高齢化が頭に上ったよ。

11月14日 金 「観光」と「町」を共存させる男 テーマパーク方式では町並みが壊滅してしまう

保養地委員会。二月末オープン予定。三月開業。
 帰ったあと、塗装をやる。高いところはできないが、背の届くかぎりざっとやる。ぼたぼたこぼれて見苦しい。本職が本職として成り立つ事を実感した。義兄も手伝ってくれた。あとからやったぶんは、液で薄めすぎて色がうすく出ているので、やり直しだ。
夜、祭りの当番役のための合同初会合。さし当たって、六人の主な役を決める。リンテンさんが体調のため辞退したので、代わりをやるようにということだった。引き受けた。武文さんが耳が遠くなっていたのでビックリ。ぼくの歯と同じような現象。

文春十二月号。無名人国記12 「観光」と「町」を共存させる男。副題としては、テーマパーク方式では町並みが壊滅してしまう。 

愛媛県は内子町の話。人口一万一千人。役場職員の岡田文淑氏が引っ張ってきた。話は、二つある。はじめは、町並み保存が成功した話。当時、有名だったのは、妻籠宿、萩、白川、高山。成功して今では、年間六十万人が訪れる。しかし、反省する。生活からの観光の町ではないことに。町がテーマパークとなってしまったら、ふつうの住民は困惑する。一部の業者の町になってしまう。さらに、他所から資本がはいってくる。内子町は、それらに、公衆便所を提供するに過ぎない町になっていく。町と住民と観光の関係に反省する。この小さな町が、マスツーリズムに走っては失敗する。道後温泉や別府温泉を真似てはいけない。湯布院もおかしくなっている。
平凡だが、大切な原点、それは、観光は文化であること、生活に根ざし生活の中のものでなくてはならないこと、その上に立った誇り。

岡田氏は、十五年ほど干されて閑職につく。そして再登場。農家民宿『石畳の宿』の成功。町内石畳地区は、人口四百人の農村だ。そこに民宿を立ち上げた。新築ではだめということで、築八十年の農家を改築した。五千四百万円。定員十二名。この企画建物は、みんなから馬鹿にされた。半年後につぶれると予想されていたが、実際は、初年度から黒字になった。三年先まで予約が一杯だと。ありえないことが起きた。こんなところにぽつんとある民宿に誰が来るかと。しかし、繁盛。

構想から、実現までに七年がかかった。その間の決め手は、住民意識だ。その変革が、成功を生んだ。田舎のふつうの料理を出す。主婦の延長でやるもてなしだ。営業は、主婦たちの繁忙に合わせる。だから、正月やお盆、祭りの日は休みになる。一般のかきいれどきに休む。ここにも、普段着主義がある。
農村は疲弊して、代議士等お上に頼る運営が一般である。この悪循環から脱出の道として、地道な普段着からの発想を育てた。

下呂市誕生については、一番肝心なところが欠落している。住民が新市を手作りし支えるという思想。大手を振ったのは、大手業者たち。力まかせ業者まかせの新市誕生であった。非常識がまかり通った。ありえないことが起きてしまった。
下呂は、中途半端のマスツーリズムを続けていくということだろう。高度成長期日本の傷は深い。

11月16日 センゴ 夏彦さん

午前中、祭り用の酒を買っている間に、土砂降りになった。弱ったなあと思いつつ、少し小降りになったところで車に戻る。祭りが土砂降りでは、なんともならない。センゴはどうするのか。幸い、一時少し前に止む。祭りの人々は、写真にあるとおりである。子供のころの記憶では、センゴ拾いは怖かった。つぶされそうになったからである。おとなも子どもも団子状に群がった。

このあいだ司書氏に山本夏彦の本はないねーと言ったら、いえいえと言っていたが、今度行ったら、ありますよと薦めたので借りた。『一寸先はヤミがいい』。これは、最後の作品集。彼は、去年の十月に亡くなった。享年八十八歳。頑健だったが、この病には勝てなかった。二月に胃を全適していたが、見る見る回復した。十キロ痩せていたのが、五キロまで復活した。頑健だから回復は早かったが、頑健だから、悪いほうの細胞の繁殖も早かった。

この人の作品は、七、八年前か、かなり読んだ。司馬遼太郎に引き続きだったかと思う。新鮮だったのは、ブンガク臭を消しつつ、ブンガク臭が土台にあったことである。中心にあったものは、生活者、小企業の経営者、生粋の東京人、高学歴ではないこと、左翼朝日岩波正義が嫌いなこと。零細自営業者感覚の怪しさけなげなしさ。それを看板にしたこと。一年ほども付き合って閉口したことは、意図的な狭さ。都会生活者のからさ。独特の屈折。情緒的なものの挫折屈折。

今度ひさしぶり、最後の作品集ということでざっと読んでみたのだが、印象は同じである。インテリ性製の拒否と情緒のへし折りは変わらなかった。驚きの一番は二つあった。一つは、最後の随筆まで、頭がしっかりしていたこと。文がみずみずしかったこと。もうひとつは、「家に三票あり 売ろうか」のなかで、投票というものを、一回しただけであると言っていたこと(この重大な告白は以前にはしていない。文にして載せたのは初めてだろう)。昭和二十一年四月、婦人参政権が与えられた第一回選挙の投票を、人口二万人ほどの秋田の農村風景の町でしたと。このとき、投票しに行ったというより、選挙を見に行ったと。ほほうである。これら選挙行動が、山本夏彦という人物の、肝心を物語っていると見た。

最後の作品は、週刊新潮の平成十四年十月二十四日号に載った。題して、「遠きみやこにかへらばや」。寺越武志さん(五十三)のこと。コメントによると彼は、十三歳のときに漁船が座礁し救助され、三十九年ぶりに北朝鮮から故郷の石川県に帰ってきた。そのことと室生犀星の「小景異情」とを重ねて書いている。めずらしく、情緒が連綿している。最後の作品に、彼が、嫌って押さえ込んでいたらしい日本的情緒が表現されている。不思議な皮肉な印象。

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しく歌ふもの
よしや うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても 
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて 遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

11月17日 月 現実を見ないなら利口なバカですよ

一日中引きこもる。不景気とデフレでまいる。塞いでばかりでは、病気になるので、明るくするように努める。といっても、読書とパソコンしかない。こうなったら逆転で行こうと勇ましくしてみる。忙しさにまぎれるのが、一番ありがたいが、そうできないとなったら、ヒマに立ち向かうしかない。読書という会話。文字相手のおしゃべり。たまった出力はパソコン入力。

その読書が面白くないでは始まらない。イライラと虚しくなる。さいわい、今月の文春は一日付き合えた。大特集二十人の「天才たち」は読めた。といっても天才と自分では違いすぎて今ひとつ現実感がない。
特別篇の養老孟司による「天才になぞなるもんじゃない」が一番面白かった。養老さんは、その感覚全体が、自分に合う。不思議だな。彼の姿勢が合う。この人が、大体何を言うかは予想できるようになってきた。山本夏彦さんも、なれた世界ではあるが、もう付き合いにくい。本は付き合いなので、金銭仕事に関係なければ、好きなようにしたい。だから、養老さんである。文の向うの養老さんの姿勢・感覚・閃き・教養にほっとする。

頭のいい人ではなく、頑丈な脳の人になりなさいという。運鈍根。養老さんは、特殊や個性よりも普遍性が大切という。天才性とは普遍性のことだと。個性・個性と変なところへ入るんじゃなくて、まずは、率直に感覚をあわせられるようにしろと。ふつうに付き合えるようにしろと言う。この時代、こんな平凡が難しい。


少し長いが、その締めくくりの部分を引用する。
≪財務省の官僚なんて、実は自分のやっていることの意味がほとんど理解できていないはずです。なぜかと言えば、彼らが「現場」を知らないからです。彼ら自身言ってましたよ。「現場なんて知ったら、混乱してとても財務官僚なんて務まりませんよ。数字だけを見ているから予算は組めるんです」って。現実を代入しなければ、都合のいい答えが出るのは当たり前です。
頭がいいとされている連中が、現実を見ることができないと言っている。これじゃあ「利口なバカ」ですよ。日本社会がどうあるべきか、人間というのはどうあるべきかという大きな問題は見ることができない。何の原則もない、つまりは普遍性がないんですよ。それがいつも日本を誤らせてきたのに、いまだに反省していません。≫

11月18日 火 早稲田商店会

午前臨時議会。補正予算の質疑の中で、新市の庁舎関連で首長が、図書館の移動のことを言った。総文委員会でも出たわけではなく、いきなりの発言だったらしい。こっちは何のことかわからない。課長たちの間でも困ったらしい。結局は、首長が予選説明のとき正式に出ていないことを言ったものだから紛糾した。図書館移動の話は課長たちは知らないことだと。困った人だ。しまらない。

終ってから、産建委員会において商工会からの予算要望書の審議。僕は、今度の下呂下呂案に商工会長が先頭になって旗を振ったのはおかしいと発言しておいた。工の方面ならともかく、商の会長がとる行動ではない。まちの商店主たちは、おおっぴらにはしていないが、苦りきっている。

午後、総合庁舎へ行く。少し遅刻。早稲田商店界の安井潤一郎氏の講演を聴くためである。南飛騨の健康美容食材生産に関する交流会の一つとしてなされた。講演は午後の部。県の産業振興氏からかねて聞いていたので、予想はできたが、実際の話は、安井潤一郎氏という人物を得て出色のものであった。楽しくも感動した。この人があって、早稲田商店会は、全国版となった。安井氏は活力の発散ぶりから、今が旬であるとみた。

学生が帰郷するや閑散としてしまうので、夏枯れ対策として出発した。平成八年に第一回のイベントを行った。そのときに、「環境」をテーマとした。空き缶等の回収を、ユニークな方法でやった。これに、大学等が協力したので、活気が出てきた。NHKが取り上げ、一気に広まった。修学旅行の名所にさえなっている。いまは、「地震災害パッケージ」を出発させている。

東京・板橋区立文化会館で講演会
 NHK 二十一世紀ビジネス塾
 知多市防災まちづくり講演会
 早稲田商店会

実物の講演会は、大迫力であった。ナマの魅力だ。インターネットではそれが伝わらない。講演も商店街も、「ひと」が決めてだということ。平凡だがおそろしい真実。

11月20日 木 パソコン関係  オー猛烈

昨日は明け方まで、もぞもぞやっていたので、起きられない。アルコールも入れたので少しけだるい。けれども、昔のけだるさとは違う。内蔵から悪いものが出て行ったとみる。西洋医学得意の攻撃撲滅が成功したと。

パソコンを考えていると言ったら、息子がすぐに、ネズミコンピュータがいいと言った。わけがわからないままに、安いのがとりえで買った。パーツを趣味趣向必要に従ってそろえる買い方は、玄人のやることだな。パソコンには興味はあるが、マニアではないし、予算がないので、一般の関心しかなかったのだが。
午後、高山へ行った。安売り店に寄った。強烈印象だ。高山そのものが、違ってきているようだ。市全体が繁盛している。急速に都市化している。家電商品も急速に様変わりしている。安くて高性能になっている。

自分が買ったブラウン管型のパソコンは、見栄えは悪いが、CPUだけは高性能を入れた。息子が入れよというので入れた。これがはいっているのは、高い。騒音の関係もあるので、高くなるのだろう。店で、勝手にネットに接続して見ていて、すぐに気づいたのは、液晶画面の冷たさ。格好はいいが、どうもひゃっとする。気になる。その点、いま目の前にあるばかでかい十七型のブラウン管は、画面がゆるんでいるようだが、温かみはある。そこがなかなかいいと思うよ。けなしていては、一緒に住めないからな。

ひさしぶりで、レトロ写真をアップした。いや、プロバイダーが修理かなんかやっていて、受け付けなかったので、まだ手元にあるが。
もう一つ、新しい経験。音楽CDをハードデスクに取り込んで楽しむことを覚えた。五千円なりの、ローランドのスピーカーがきいた。音につつまれている感じだ。安くていい音が出てくれる。クレーダーマンと鳥羽一郎のCDを六枚とりこんだ。これを、同時に選択して、再生させると、ランダムに全部を出してくれる。いやー、便利便利。このときばかりは長生きしたいと思ったよ。ランダムに出てくる。つまり、鳥羽一郎とクレーダーマンが混じって出てくる。日本文化だわい。
こりゃ、文字の世界と違うわい。ずっと、文字の中で暮らしておったので、音楽が新鮮だよ。直接に感覚の世界だ。文字による感覚感受は、コンをつめた頭脳操作がいる。

11月22日 土 PC 養老さん余技

寒くなった。暑いほうより寒いほうがにがてだ。もう風邪気味。だが、我が家では、コタツをしない。ずっとそうだ。第一の理由は、コタツにずぼりこんでしまい、だらだらだらしがなくなるから。ストーブだけ。ガスなら快適だが、マネー。

パソコンのぐあいが悪いので、疲れる。店経由でないせいだ。パソコンは道具で、これが不調では事が進まないので疲れる。こんなことで、イライラしたくない。おいを知らされたくない。
まあしかし、NTTとビルダーとメーカーとマイクロソフトに、電話、メールでかたがつくはずだが、いろいろとトラブル。おいのせいもある。全体にトロクサイ。◎アウトルックの使いはじめに設定をしなければならないのだが、これをいいかげんにやった。で、アウトルックの不調。◎次は、ネットにつないだ場合、画像が半分しか出ない。98のほうでやればちゃんと出る。不思議だ。まちまちに出るからおかしい。例えば、オー猛烈は、五枚写真をサムネイルにした。そのうちの、二、三枚が途中で画像が止まってしまう。◎全体にインターネットの動作が遅い。98と比べてだ。ネットにつないでいない場合の操作は速くて快適だが、つなぐと、98より遅い感じがするのには予想外でまいる。◎ジャバが不調。98では、はじめから、ヤフー等で碁をやれた。これのある事を教えてもらい、重宝している。たまに、ちょっとやってみる。気分転換にはもってこいだ。それが、新機種ではできない。やがて、ジャバ関係の会社とマイクロソフトとの間の調整不調のせいで、ユーザーが独自にインストールしなければならないと画面で知らされた。で、ジャバの会社よりインストールをしてみた。これが、一時間もかかったのだが、結果は不調。碁盤の画面が出てこない。困った。

養老さんのこと。発売されたばかりの中公新書『まともな人』を少しずつ読んでいる。これは、『バカの壁』等のように、口述筆記ではない。本人執筆。『中央公論』に連載中の「鎌倉傘張り日記」を一冊にした。すでにシリーズ三冊目である。
『バカの壁』は、タイトルが皆の気を引いた。誰でも、自分に関係があるかないかと思い本に注目する。しかし、すでに百万部のベストセラーとは驚く。プロの手による筆記なので、読みやすくしてあるが、中身は、簡単ではない。行間は深い。『まともな人』は、『逆さメガネ』を入れて三冊目。で、ようやく彼の世界と表現に慣れて読めるようになってきた。楽しい。面白い。ためになる。

この人は、出発と方向においては、自分と似ている。とわかってきた。能力については段違いだが、姿勢においては、アンポ全共闘にかかるほぼ同じ時代人である。同時代人でも、出発姿勢方向において似ている。ほっとする。孤独でなくなる。この人は、我々のごときものに対しては応援メッセージを発しているんじゃないかな。気づかない人たちには気づけと批判メッセージを送っている。
この人はずっと、うずくまるようにして生きておったのが、時代が要求する人となって現れ出た。解剖学の先生が、余技とは言え、体重をかけて、時代を思想を見つめつづけてきた。

11月24日 月 祭日 孫

昨日は、急に息子が家族三人で来た。二歳半の孫が来た。すると、僕とカミさんはおじいさんおばあさんになる。僕は、赤ん坊の類はずっとにがてだったので、世のおじいさんおばあさんがどうして、孫となるとにわかに愛好をくずのか理解できなかった。ところが僕も世間並みで安心した。孫には、にゃっとしてしまうし、辛抱して相手になってやれるのだ。そうしていて、ははあん、孫とおじいさんおばあさんは相性がいいのだとわかったよ。理屈ではない、実際現場にあたって納得した。つい十年前でも、孫とおじいさんの微妙な関係はさっぱりわからなかった。ありきたりの想像を基にして判断をしておった。これは、自分本位の空想予想で、実際の重みと比べたら段違いである。格言にもある。どう言いまわしてあるか思い出せない。百聞は一見にしかず、か。

家族全部が、孫のまわりに、孫中心になる。一般現象だろう。初孫だしな。
孫についてのいちばんの印象は、おぼつかない日本語で、一生懸命に、仕事にしておるかのようにして、僕と会話を試みようとする。通じ合おうとする。これがなかなかのことだった。会話、通じ合い、コミュニケーションということは、必須肝心のことなのだとわかる。

昨日はひさしぶり、四人の宿泊客。いつもは、料理は四種類だが、今回は、カミさんがつくっていた野菜煮込みを少し味の手直しをして出した。で六種類になった。めずらしい。その野菜煮付けだが、彼女はカラオケの先生から習った。カラオケの先生は、その母上から習ったと。そのひとは九十何歳で、元気。だから、この料理は体にもいいと。一切の調味料はつかわずに、ゆっくり煮込むだけ。くどくならないところがいい。

夕方、家族が帰るとき写した。ちょうど皆さんが寄った。大前さんも来た。大前さんと僕が年寄りである。もっとも、同じ年寄りでも、大前さんとは二十歳以上も違う。セルフで写した。

11月25日 火 不具合

昼から夜中まで、パソコンデーだ。思うようにいかないのでイライラが高じたが、あちら埼玉の社員の応対が辛抱強くて、何とか解決に向かっていった。彼は二十代前半。器械の症状は、CDロム用のドライブが画面に現れなくなったこと。これが消えてしまっては、HPの作業ができない。システムのやり直しを彼の指示に従ってやる。今までのファイルが消えてしまうが仕方がない。インターネットの接続、アウトルックの接続もやり直し。よたよた自力でやれた。

システムの不具合は、ジャバのインストールによるのではないかと思う。彼に聞いたところ、ADSLでないなら、数時間では終わらないとのこと。二十四日には夜中五時間ほどインストールした。最後の二割がほとんど止まった状態だったので、我慢できずに中止にした。再挑戦しても、同じ不具合になっては困るなあ。

夜、PCと悪戦苦闘しているときに、関東のオーさんより電話。例によって酒場からで、だいぶ泥がたまっているようだ。弱気になっている。なんでも、あそこの役所で、bribeが表ざたになった。近い者が当事者になったらしい。彼は、ああいうことは特殊なことではないと言いたいらしい。極端な清廉では、事がかえってねじ曲がると言いたいらしい。だいぶまいっているようだ。程度問題だが、やはり慎重を期すべきだよ。自分などは、下のほうで生きておったので、大それたことには遇わなかったが、金の周りがいいところでは、ロード公団をはじめ、そういうことが起きるとしたものだろう。しっかりした目標、志を持ち続けることが難しいのだと思う。

彼は、このサイトをちょいちょい見ているようだから、僕が養老さんだとかについて正義感ふうにしゃべっているのが気になるのだろう。しかし、原理主義的なものとは違う。むしろ、頑固なそういう傾向には批判的なのだ。かといってなんでもありではない。養老さんに僕が引かれるのは、この人は、安保から全共闘の騒ぎについて、ずっと考え続け背負ってきた人だということ。こういう人が非常に珍しいことこそ、現状日本のゆがみを表しているのだと思う。高度成長期の「なんでもあり」に、役所が巻かれていった。あのわれわれの世代の者たちだよ。

11月26日 水 神社 店と客との関係は、教祖と信者の関係?

諏訪集会場にて引継ぎ会。神社当番組は十五年ぶり。前回の当番からの挨拶では、予算逼迫でやりくりが大変だとのこと。十五年前は、兵隊だったので、直接には気にならなかったが、今回は役が振りあたったし、年回りで非常に気になる。なんでも、当番組が、一軒当たり、かなりの寄付をしなければならないと。前回はそれはなかったが。任意に奉納酒を買ってその現金を当てたと思う。

その会で、同級生と一緒になった。彼が、外へ行こうと誘った。意外。この席での雑談の中で、伝統とか文化の継承という話になって、その点で考えが一致するところがあったので、彼の誘いとなったのだろう。よしっということになった。彼は、街の商店主としてがんばっている。
飲み屋での話の中で、一番のハイライトは、店というものがひとつの宗教であるということ。彼の店は安売りはしない。その方向でやっていくほかない。となれば、承知で来てくれる客がなければならない。それがあるうちは続けると。○○店に対するひいきだ。ひいきを別に表現すると、宗教ということになる。○○店教だ。お客は信者。それほどの関係にならなければならないし、なっているからこそ、ここまで続いてきた。
この考えからすると、この飲み屋の常連客も、ここの信者ということになる。高度成長期はともかく、この不況の中、営業にはそれほどの覚悟がいる。高級志向嗜好の店の場合には絶対だろう。

11月27日 木 PC 神社

引継ぎ会のときのお神酒の勢いに続いて、同級生との飲み屋酒が過ぎたので、一日中だるい。けれども朝、予定時間に歯医者へは行った。
カミさんも、ここずっと店でえらくがんばっていたが、その疲労のせいか、夕方寝込んでしまった。
パソコンの調子が今ひとつなので、疲れる。音が大きいのがかなわん。で、小さくBGM(クレーダーマン、鳥羽一郎に、今日は小林旭もいれた)をかけて向かっている。
新しいパソコンに転送設定を移した。サイトが九つにもなっていたのでこんがらかる(混乱する)。サイトのひとつ、geocitiesがどうしても転送を受け付けない。困った。数ヶ月前からジオからは重要メールが来ていたが、それと関係があるらしい。更新していなかったので、ストップがかかったのだろう。ここの更新はあきらめよう。画面を切るようなことはしないだろうと思うが。

夕方義兄のところへ行った。甥がちょうど仕事から帰ってきたが、表情が疲れている。緊張が続いているらしい。
祭り委員長から呼び出しがあり、出かける。委員は一人欠席。富永さんが顧問として出席。
合同会合に備えて、すべての役割分担を一応こちらで決めた。当日都合の悪い人は変更してもらうようにした。

達也君が、今日も中途で退席した。役場が忙しいとのこと。合併関係事務が大変なのだろう。彼が帰るとき、萩原のためにがんばってくれ、と言ったら、皆さん笑った。
あと残った者たちは、年配ばかり。会社等職場と違うので、ここでは、萩原弁でとろとろとやる。年配なので、お互いいたわり合いがおのずから出ている。委員長が、清書して明日持ってきてくれるとのこと。それを、こちらは、パソコンに打って、両組の三十人に配るようにする手はず。

今、朝の四時。昨日も同じ。もじゃかれているうちに時間が過ぎる。頭も体もとろとろだ。気ばかりがせく。

ここ一週間ほどは、パソコン等で落ち着かない。で、予定の本読みができない。どうも浮き足立っていけない。でかくて殿様のようなパソコンの騒音がすべての始まりか。騒音を消すために、PCにBGMをやらせているが、それも興奮を助長するか。

でも、ひとつ嬉しいことがあった。ねずみの大石担当氏からメールがあったこと。修復後の、ジャバ等について質問しておいたが、それに返事をくれた。期待していなかったのでうれしい。弱小メーカーとしての心配りをやっているんだなと思えてほっとしたよ。
現実問題として、気晴らしのヤフーネット碁が打てないでは困る。インストール八時間辛抱せよといわれたら、辛抱はできるんだが、また同じく器械に不調症状が出ては困る。

11月28日 金 都市化

ネットで頼んでおいた養老さんの文庫本が来た。『毒にも薬にもなる話』。1997年、平成九年の初版。1991〜1997にわたって中央公論に連載された、初期のもの。有名になる前のもの。百万部のベストセラーを生む人になるとは誰も予想していなかったころ。
当然自筆で文章のあやが出ていて面白いが、わかりにくい表現がちょいちょい出てくる。『バカの壁』をはじめ、このごろの養老作は口述筆記である。だから、文体は、その社の関係者のもの。独特の効果。だが、口述者の見解が深く広範なので読み応えはある。いまや養老氏は、各社から引っ張りだこだろう。

僕は、本を後ろから読む癖がある。頭からだと、行きつくまでが長いと予想されて力が出ないので、後ろからはじめる。無責任にぱらぱらとはじめる。気軽でいい。今回もまずそれをやった。十年前、退官四、五年前の作だが、文に緊張がある。口述筆記の生ぬるさはない。
最後から十頁はテーマが「臨床中国学」。面白いのは、ここにすでに作者の持論が出ていること。中国は、論語のころからもうすでに、人工の、都市化の、自然のわからない、国となっていたこと。ここらあたりが、地方国たる日本には、なかなかわかりにくいところだが、指摘されてなるほどさもありなんと思える。

都市化のポイントのひとつはエネルギー。当時のエネルギーは木材。結果としての砂漠化。今は石油。エネルギーがあれば都市化はどんどん進む。いま現在世界規模でどんどん進んでいる。
都市化の指摘は養老さんが初めてかどうか知らないが、僕はこの人によって始めて教えられた。先年死んだ同行のKは、養老さんのあることを知ったなら、大いに喜んだろうに、残念だ。
養老さんは鎌倉育ちだが、つまり、ほぼ都市の人だが、地方・田舎の視点が濃厚。どうしてそうなのか。その答えとしては、二つが思い浮かぶ。ひとつは生業としての死体取り扱い業。もうひとつが虫集め。幼少のころより好きでずっとやっていること。二つとも、都市化意識の真っ只中にはいない。むしろ、それらは、都市化近代化の批判者としてある。
養老さんの都市化批判は、単に頭のことではなく、青春期からの体重が乗っている。体重からの発言、すなわち身体からの発言である。

都市化のほかに基本姿勢として、原理主義に対する批判がある。これも、青春のころからのもので、体重が乗っている。そのきっかけとなったのが、安田講堂、全共闘騒動である。助手時代の一年間、大学は学生に占拠されて、政治の渦中に巻き込まれていた。学生たちの猛烈な行動の根拠としての原理主義に、養老さんは激しく拒否反応する。
僕は学生のころ、原理主義とは学生寮を中心として、相対した。その影響というか、後遺症というか、いまだに続いている。一銭にもならないけれども、今日まで、批判追究の心は去らない。だから、養老さんとの出会いがあった。これは学問とかの出会いではない。趣味姿勢嗜好思考志向。
当時の友人Kは、原理主義の渦中を生きた。僕は彼に、あのころのあの運動はなんだったんだろう、とよく聞いたものだったが、黙っている。わからないのでしゃべれない。そんなはずはないだろうという思いだったが、養老さんによると、あのころのあの動きについては、誰もしっかりした発言をした者がないそうである。

11月29日 土 「遣米使節小栗上野介 アメリカから学んだもの」 群馬県倉渕村  東善寺住職 村上泰賢さんが語る

今は、明けて四時。一時過ぎに眠ったのだが、もう目が覚めてしまった。
萩原へ友達を訪ねてきた若者たち六人が泊まるというので、ずっと待っていた。一時少し前に御帰還。それを待って眠る。起きていられなくなって寝る。だが、三時過ぎには目が覚めてしまい、しかも、がばっと起き出してしまう。

と、ここまできたとき、小栗上野介の1860年における遣米使節の話し、のことが深夜便の時間表にあったので、オンにしてみる。結局これを終わりまで集中して聞く。面白かった。村上泰賢さんは話し慣れていて聞きやすい。曹洞宗のお坊さんだが、ここでは維新前後における小栗の話し。村上さんの東禅寺は、上野介の菩提寺。
小栗は官軍によって権田村で切られる。勝てば官軍負ければ賊軍で、小栗は、歴史からなるべく消すようにされてきた。
小栗上野介については、司馬さんから教えられているので親しい。そのことがあるので、聞き耳を立てた。最後まで、説得力があった。これは、小栗上野介その人が、あの時代にあって、きわめて先見の明ある幕府官僚(旗本)であったことによる。
話の中心は、まずアメリカへの大旅行。サンフランシスコからパナマへ行き、ここから汽車でワシントンに向かった。帰りは、アフリカからインド洋を経て帰国。八ヶ月の旅。このとき、サンフランシスコまで随行したのが、勝海舟、福沢諭吉の咸臨丸。

小栗上野介の業績は、横須賀における造船所の創立だろう。これは今でも、米軍施設として立派に現役であるそうだ。村上さんは、ここを訪れて確かめた。
小栗は、アメリカの海軍工場等を実見して、すぐに、日本の将来を描くことができた。実際に造船所を造り、株式会社も創った。坂本竜馬に匹敵する人物であるが、幕府賊軍であったがために、評価を貶められてきた。

11月30日 日 りんご babe 歌 虫取り

昼夜逆転が続く。若者グループは、十一時ごろ帰った。後で部屋まで上がって電気毛布とストーブを点検したが、使ってなかった様子。
テレビ碁を入れたが、すぐ眠ってしまった。ぐっすり。
錦野夫妻より電話があり、果物をありがとうと。カミさんが送っていたもの。もうあたりは暗い。起きて、祭り当番の配役の入力をし、プリントしてみる。この器械には、プリンターが反応してくれないので、いったんフロッピーに取り処理する。

asahiを観ていたら、英語の勉強の音声入りが無料でとあったので、どんなものか登録して入ってみる。すると、一日一単語、あるいは、二日に一単語、あるいは週に一単語を、選べるようになっている。こりゃ、高校生にはもってこいだわい。音声入りがすばらしい。単語の範囲として、toeful,toeic,米国俗語、を選ぶ。第一日目は、babeで、例文は次のよう。Did you see that girl he was with? She was a real babe.(米国俗語)。なかなか聞き取れない。子音が聞き取れない。繰り返しクリックしていると、やがて少し聞き取れるようになってきた。アーあ、これが僕らの学生のころにあったら、六年も英語をやっていて、簡単な聞き取りさえできないと、コンプレックスせずにすんだのに。

カミさんが、丹生川大会から元気よく帰ってきた。ここのグループから、A組の優勝者が出たと、カミさんたち三人がBグループ入賞したと。あれだけがんばっていたので、入賞できないではかわいそうだな。

養老さんは、だんだんすごいことになってきた。三四十年前に連れ戻される感じだ。この人に敬服させられるのは、感覚に似たものがあるからで、その第一は、都会に対する拒否反応だな。いや拒否とは言いすぎだが、都会と地方田舎の対照が思想の土台にあるということ。楽しみの読書を越えてしまった。彼の挙げるそれぞれのテーマの論の内容が、ぐさり虚をついてくる。
養老さんを育てたもの―虫取りと大学紛争と死体と。

12月2日 火 役人公務員官僚(ニュアンスは三様)

家の中にじっと我慢している日々。風邪気味も一緒。カミさんは元気。歌の結果が新聞に出ている。関係者がみな元気。ヨシッ、俺も私も一丁やってやろうと。元気とは張り切ること。張り切るとは生きている実感があるということ。それに比べて、こっちは浮かぬ日々が続く。旅館が最高に暇で、まぎれるということがない。まともにふさぎ傾向と顔を合わせている。体調もそれにつられる。まあ、カミさんがふさぎ込んだりしていると、われらは救いようがない感じになるんだが、その点ありがたい。店のほうには、元気風が集まっている。

養老さんと会話する日が続く。今日は官僚のこと。題して服務規程。
僕は、個人営業者で、この二十年間頭にあることといったら、売り上げと借金のこと。だから、役場へ行ってみて、ここは別種の者たちが暮らすところだと新鮮だった。売り上げにも借金返済にも切り切りしない。国から保障されている。首にもならない。だから、彼らはなんとなく上品になる。ぎらぎら食いぶちに目を配らなくてもいいので。
一昔前、公務員とは失業対策事業である、と言われる向きもあったらしい。世間で働く元気の乏しい者に、安めの給料を与えて、遊んでもらっていると。

法律専門の官僚に、養老さんは、服務規程を変えろと迫ったことがあったが、まず一様にとんでもないという表情になると。服務規程結構と言っているわけだ。彼らには不利はないということだ。その第一の理由として、その規定のおかげで、彼らは、にべもなく「何々ができない」と言えるからだと。
つまり、彼らは、少し先が読める人生を送っている。限度を越えそうにがんばるということがない。本当はしなくてはならないことも回避する。しかし、たまにやりすぎる人が出る。汚職問題につかまったりする。
次のようにも言われている。官僚は紙しか見ない、と。どうもこれにも驚く。僕なんかには想像外の世界だ。思い当たりそうなのは、前の川の石石石のことだな。なるほど彼らの脳中には、紙紙紙とその数字数字数字が横行しているらしい。具体物はない。脳が関心を持たなければ、その対象物は無いも同じだ。あるのは、机上の文字数字。

しかし、官僚は日本人として別人種ではない。同じ日本人だ。ということは、役人官僚になれば、どの日本人も似たようなことになるということ。となれば、日本という国・文化のシステムの問題か。こうなるともうわからないが、日本のシステム、官僚システム、文化システムが、いま何か重大な曲がり角に来ているらしい。と思える。
明日も知れない不安定な個人営業者が恐る恐るかくのごとく申し上げてみる。

12月3日 水 『バカの壁』二百万部突破

逆転を戻すために、ずっと起きていたが、ついに七時ごろ寝る。無理しているので、心身のバランスが悪くなっている。こまぎれに寝て起きて、いま朝の五時。アンバランスの中、養老さんの課題を思い出している。この人は、一種の巨人だわいとわかってきた。知識の該博なことにはただただ恐れ入る。

単に知識の豊富な人なら関心がない。この人の場合、意識・身体・都市化とテーマが一貫している。また、「知る」とは、自分が変わることである、との持論がすべての文に一貫して展開している。読者である僕は、僕の身体は、彼の文に深く食い込まれている。これは、二十歳のころに受けた小林秀雄体験と似ている。小林の場合、身体と意識のもがきとしてあった。だから、そのままもがきとして乱雑に僕の中へ入ってきた。けれども養老さんの文は、小林の世界をさらに整理して洗練させている。

四月発売の『バカの壁』が二百万部突破したとネット新聞で見た。八月には百万部突破とあって驚いた。五万部で上等の出版界だそうな。それが、十一月の終わりには、さらに百万部を乗せた。こりゃ、ひとつの社会事変だな。僕の読み知った養老さんの書物は、一般にベストセラーになるようなものではない。同時期発売の彼のほかの本も、二、三十万部を出している。社会事変だ。日本事変だわい。何かしら異常事態?

この事態について、養老さんなら、見事に分析して見せてくれるはずだが、そうそう自分がしゃしゃり出る幕ではないと承知しておられて、多分いまは沈黙。
「バカの壁」のタイトルが皆を引き寄せる。自分自身、また相手との間に、言うにいえない、さらっとうまく表現できない壁を経験していることの証左だろうと思う。行き詰まりのあせりか。戦後日本、戦後民主主義と高度経済成長と、世界第二位といわれる経済力。それが、いま振り返って、再出発にあたって、あのタイトルが皆をひきつける。さらに、読んだ人が推薦する。なぜか。ここには、これまでの戦後日本に対する、根本疑問が展開されているので。高度成長期なら、ほとんど見向きもされなかったであろうテーマが。
この本と養老テーマがこれだけ受け入れられているのは、国民の多くが、日本再出発への準備を整えているからだ、と僕は見るんだが。

12月4日 木 『バカの壁』二百万部は岐阜県の人口

養老ワールドにつかまっている。昨日は、朝から一日かけて、『身体の文学史』を後ろから読んだり前から読んだり途中からにしたりして、変化をつけて取り組んでみた。読まされて読み終わったときはふらふら。自分のどこにこんなエネルギーがあるのか不思議だ。それほどにつかまれてしまった。反動でバランスを崩している。頭がかく乱されている。余裕がなくなっている。そうなると、カミさんのイライラや不景気やら懐ぐあいやらにゆったり対応できなくなる。アーあ。

『バカの壁』や、『逆さメガネ』のときは、面白いなあで時間を忘れさせてもらったが、上記のものと、最新作で環境のことを扱った『いちばん大事なこと』に至って、重大なことになってきた。この頭の地図が、ぐらぐら改変を迫られる。肉に食い込まれている。この年だからなあ。
養老孟司という人には、はじめ文章からして口述筆記なので気楽に構えるようサービスしてもらっていたんだが、生の文に接するようになってみて、まともに体重を浴びせられることになった。

この人は、千五百体からの死体を切り解剖した。その粘り我慢から、裏街道から、高度成長期の日本を見る。その鋭い視点が僕をえぐる。
もともと僕は、大学へ行って、初めて文明化社会・都市化社会というもの、脳化社会というものとまともに接した。田舎者が、人工そのものの都市と接した。接してすぐ何が起こるかというと、感覚のせめぎあいだ。結局は征服されるんだが、すんなりと都市化人工化意識化されたわけではない。そして田舎人でも都会人でもないところを、さまよいながら今日まで生きることになったのだな、と養老さんに教えられたわけだ。

新聞論調にしてもなんにしても、周囲のさまざまの権威からの情報は、文明から文明へのものであること当然だ。養老さんが入ってきてからはそうではなくなった。この人のは、ありきたりではない。全体重がのっかかっている。そりゃ、鎌倉生まれ育ちで、東京で学び職につき、昭和十二年生まれの現代人だ。オールマイティのエリートだが、下世話にも強い。こすい。にもかかわらず、この人は、現代と現代文明に対して、頑として対立している。柔和だから、そう見えないんだが、根には死体処理と虫取り採取がある。だから怖い。言葉の問題ではすまない。彼の肉体身体からの言葉だ。

僕のように、田舎を出て名古屋で都市化人工化意識化を歩き出した者には、彼の指摘は突き刺さる。はっきりした理由はわからないまま、田舎と都市化のあいだで迷ってきているので、びくっと目を覚まさせられる。しかも、彼は科学者の列につながる人なので、鋭い文に容赦するところがない。冷静に、批判を展開する。読んでいても、慰めというものがない。ひたすら、彼の文に切り刻まれるままでいる。死体処理と虫取りの恨みがこもっている。


『バカの壁』の奥には、そのような恐ろしい世界が秘められているとは気づけない。読みやすいように売れるようにサービスいっぱいに書かれている。それにしても二百万部突破とは。岐阜県の人口が二百十万人ですよ。『バカの壁』サークルのようなものがあれば、いちど参加したいものだよ。この本のことはそのうち文春あたりで取り上げられるだろうが、どんな内容か興味しんしん。言葉を専門にしているマスコミや文化人たちがどう反応しているか。
いま手元にある文庫新書は七冊。買った順に列挙すると。『養老孟司の〈逆さメガネ〉』、『バカの壁』、『まともな人』、『毒にも薬にもなる話』、『いちばん大事なこと』、『身体の文学史』、『異見あり』。
このうち四冊は新作。ネットの本屋タウンを見たら、在庫なしになっている。いま急ぎ印刷中だろうが、それにしてもすごい。出版社の営業部は、いや編集部も血走っているに違いない。『バカの壁』以外の新作でも、二、三十万は出ている。この先どう落ち着くか。

養老さんは、俺の努力辛抱根性がついに実ったかとにんまりしているか。虫取り・大学紛争・死体のおかげ。日本も感謝する日が来るか。そのときは、心底にんまりに違いない。

12月7日 日 ミスターレディ

六日にアルメリアへ。漁協忘年会。

ミスターレディのショー。総勢十人のフィリピン出稼ぎ。二度見てみたいとは思わないが、踊り歌ともに、なかなか練習してある。音響設備が迫力。異空間をつくるのに寄与している。特に低音を効かせている。終わりに、彼らは客席へ回ってきた。入り口にいたんだが、そこまで来て、手を差し伸べて挨拶していった。すぐそばで見ると、いかにもおとこだ。むき出しの上半身が若者のものだ。おとこの馬力が出ている。

宴席では、若い二人の仲居がついたが、これが、新鮮。よく訓練してある。会話がちゃんとやれている。やる気でやっている。シラケふてくされていない。不自然ではない。二人ともすらっと痩せタイプで、愛想がよい。そういう者が選んである。知的な感じが出ている。この仕事は、店の最前線で、給料もいいはず。こうしたタイプの仲居は、初めてだな。
このホテルは、全体がショー的異空間づくりになっている。その思想が、人にもその他にも一貫していて成功しているのだろう。飲み放題ということだったが、それで特に飲めるわけではない。けれども、隣のK君はすごかった。

宴席を抜け出して風呂に入ったが、ふらふらして気分が悪くなった。飲んでからは入るものではないな。その湯だが、ぬるぬるがなくて、どの程度の人工温泉かな。
で昨日はずっと休息。それでも、新しく探し当てたWWGoをやってみた。ここはネット碁人気一番だそうな。ルールがわからなくて手間取った。そのせいで負けになったりした。ここは、プロトップからアマチュアまで段級位を一貫させている。ここの初段は、一般の四段だ。初段申請でやってみた。大丈夫打てる。
ヤフーのJavaインストールが成功していたのでそれが使えた。ネット碁では、ゲーム感覚になる。碁盤をはさんでの対極がうそのようだ。

12月9日 火  飛騨川温泉しみずの湯

寒い。雪が降りそうな気配。八日に高山の量販電気店をのぞいた。活気がある。新製品が続いて不景気知らずと見た。ビルダーの8を買う。7で不都合はないが、道具として、6、7と買ってきたので。バージョン製品なので気軽。特に目新しくはない。

一般質問だが、任期最後になったが、教育関係をやろう。あともうひとつは、地方と都市の交流,共生。
教育関係のテーマは、自然。この問題は、環境につながり、今世紀の緊急課題でもある。これを新市の出発土台として問うてみる。

委員会二つ。
南飛騨国際健康保養地特別委員会。施設の名称は、「飛騨川温泉しみずの湯」。竣工式は二月二十一日。そして二月末日には、旧五町村は消滅。下呂市誕生。四月中ごろ、新市長と新議員が決まる。

午後から見学に行く。新任の、日本水泳振興会派遣の支配人と初対面。温厚ソフトな感じ。
全体をざっと見たが、十億円近い施設とは思えない。建物には素人だが、第一印象としてはそうだった。旧岡崎邸は、懐かしい感じを与えてくれた。鴨居の低さ。空間のだだっ広さ。僕たちの世代には懐かしい。
ここに続いて山側に広がる植樹祭会場も見る。ここは県の事業。

12月11日  一般質問通告書 除夜祭・元旦祭行事日程表

除夜祭・元旦祭から左義長までの行事日程表の原稿を、青木さんが持ってきたくれたので、ワードに入力する。これは、九日に消防小屋(詰所)で大組全員が集まって配役等を取り決めたものによる。

町議会における最後の一般質問通告書については、書式をそのままアップしてみた。各PC上で文字の配置等が乱れるかもしれない。行事日程表についても同じことが起きるかもしれない。ワードからビルダーに移したものなので、ビルダーにおいての調整がうまくできなかった。ワードからメモ帳に移し、それからビルダーに移せば、変更が効いたかもしれない。

12月14日 日 治安、防衛、外交は票にならないが。

九時十五分に裏の川掃除。前月雨でできなかったので、藻が大量に付いている。上流から、いつもの倍の量が流れてくる。

きのうは、WWGoを五、六局打った。負けが込んだ、一勝しかできなかったか。現在二十勝二十四敗。変なポカ間違いが三局もあった。自信をなくす。時間にせつかれるときに起きる。身体と同様、頭もしなやかさが失われている。(持ち時間は十分。秒読みは三十秒。)布石と、戦いの進め方の点では、このクラスで優位にあると思うんだが。
対局の中身だが、ヤフー碁より、こちらのほうがシビアーだ。

文春。自衛隊イラク派遣大論争。出席者は、佐々淳行、平沢勝栄、仙石由人、大野元裕、司会は宮崎哲弥。
柱は二つあると見た。●北朝鮮、経済、内閣延命問題でアメリカ重視一辺倒。小泉総理による自衛隊派遣約束。戦況が悪くなって、戦闘地、非戦闘地が都合よく区別できなくなった。●もうひとつは、小泉首相が選挙の勝利と内閣の延命を図っていること。いい格好をしていることだ。
首相は将来の日本の方向を第一に考えて、内閣の延命を閉ざされ、国民大衆の人気を失うことになっても、筋を通すことが大切だ。ごまかしはいけない。

外交、防衛、マクロ経済については、政府の仕事だ。地方の仕事ではない。我々には、この方面のことはわからない。理解しにくい。
事は、差し迫った具体である。国家と国民の自立に向けての、格好の試練だ。

12月15日 月 フセイン

サダム・フセインが捕まる。テレビは珍しい映像を映し出した。独裁者権力者の姿ではない。この後で、爆発物騒ぎが連続して起きている。
稀代の独裁者は、生きる道を探っていたと見る。生きて、発言することを狙っていた。彼は、逃亡中ずっとそこを中心に考えていたものと思う。
どんな人間で、何を発言するか。そこを待つ。地球と世界の構造、そして日本の構造と進路に多大の影響を与える事件となることを願う。スキャンダルで終わるようでは情けない。

朝、五時ごろから、うつらうつら考えていたのは、フセインのことではない。日本のこと、わが町のこと、そして一般質問のこと。頭がぐるぐるとめぐって、結論らしきものは出てこない。あの短い時間の中で、何をどうまとめるかと。
一度、萩原小学校と南中学校へ出かけて、校長と面会してみるか。まったく現場がわからないので。
つくづく思ったのは、二十歳のころ、大学生のころの環境がここまで大きな影響を与えてきたのであるなあということ。あのころ、加藤さんと、日本のこと世界のことを全部考えなくちゃと、大層に思いつめていたことがあった。それが細い流れとしてずっと消えないできたという事。

12月17日 火 寒暖 政治

カゼ気味のところへ、議場でも委員会室でも、暖房機の極端な効き具合でさらに悪化させた。議場では、提案説明がずっとモノトーンで続き、まいった。維持姿勢がぐらぐらしてくる。
委員会室では、ベストを脱ぎ、さらに、腕まくりまでした。すると、暖房を切る。すると、また急に寒くなる。この繰り返しでこたえた。

昨日、今日は、久しぶりで僕のほうのお客。久しぶりに買出しに行く。格好にはかまわず、むさくるしいままで出かける。困ったものだわい。
午後からは、小学校、中学校の面会コンタクトをとったので出かける予定。事務局に手配を頼んだ。
往時昭和二十七年?、僕が五年生のとき小学校の校長さんが、生徒全員を講堂に集めて、講和条約締結の説明をした。と今になってわかるが、むろん当時はわからない。択捉・国後・歯舞・色丹、のことを言った。ソ連はけしからんと怒った。そうしてついでにもう一つ強烈な思い出。この校長さんは、戦前のエリートであった。だから、戦時においては忠実に国勢を鼓舞していたに違いない。それで戦後の転換ぶりにはいらだっておったのだと思う。よくいらいらと怒っておった。壇上から、いきなり飛び出してきて、おしゃべり等していた最前列の生徒を小突いていた。怖くていやな思い出。

けれども、今にして思えば、これが希少な政治情報、教育の記憶なのである。
直接の政治ではないが、教頭さんの一人が、戦後教育の明るさを体現している様子だったな。
今何を言いたいかというと、小学校から、きちんと政治常識は語っておくべきだということ。教養としての政治。その子の将来において知恵となるような知識教養。政治とは、周囲の状況ということなので、政治専門家のものではない。一般のものであり、知恵の出発点なのである。ということが、生涯の終わりがけにきて確信できるようになった。

12月18日 水 小学校・中学校

きのう午後から、小学校、中学校へ行き校長さんと面会する。中学校では教頭さんも。予想外でびっくりしたのは中学校のほう。結論を言えば、中学校はやたらに忙しい様子。なぜかといえば、生徒は義務教育の終わりを控えており、シャバそのもの、産業社会そのもの、生活の世間そのもの、に取り込まれているということだろう。

従来の教科教育、のほかに、選択教育なるものがあった。生徒が自分で選んで受ける。選択範囲は、四つほどあった。これには、数学等もあり、また御前太鼓等もある、ということだった。僕が、持論を言うと、とんでもない時間がないと一蹴されてしまった。教師は猛烈に忙しい様子。で、あきらめた。
この忙しさを、校長さんが言い出したか、僕が言い出したかはっきりしないが、次のように形容した、中学校は「激しいもんです」と。
いい表現だと気に入って、僕は盛んに、この「激しい」、という形容詞を使った。あきらめムードで背もたれに背中を沈めた。すると、お二人は、わかってくれたかとニャッとした様子だった。

小学校では、国が意図するように「ゆとり教育」を実行中であった。環境や自然は、実際に身体で取り扱われており、さらに進めていきたいと意欲的であった。その内容については、当日教育長が答弁するであろう。

12月20日 最終議会 

昨日は、最終議会。一般質問は、ついに三年間休まず続けた。今回は、教育・文化方面。三年間と合併後の総括のつもりでやった。
時間配分をうっかりして、生涯学習課長の答弁ができなかった。つもりでは、二十分弱をこちらで消化し、あとの十分を三人で配分してくれるものと予定していたが。十五分で切り上げるべきであった。最後の五分は、繰り返しが多くなっていたかと思う。後で課長から、周到に準備していたと、また、中学校でのやり取りについて一言を予定していたということだった。失敗だった。
五人め最後に立った議員が、町長に町政を振り返ってどうかと問いただしたけれども、あらぬ答えが返ってきた。これは結局どういうことなのか。悲劇的現象なのか、喜劇的現象なのか。合併というような最重要問題に際会して、萩原町としては非常に具合が悪かった。
とにかくもここに下呂市として出発することになったわけなので、前を向いていかなければならない。で、自分としては、新市の方向について渾身の力をこめてしゃべった。つたないけれども、力をこめてみた。それに対して、担当者たちはよく応えてくれた。萩原町としては、あまりにも情けない結果に直面させられていたので、議員も職員たちも、とにかくも前進を受け入れることができる態勢が取れることになって、ほっとしていたかと思う。
最後の課長会との忘年会となったが、不思議にも、雰囲気に終始明るさがあった。

宴会の始まる前に、記念写真を撮らせていただきたいと町長、議長に申し出て了解が出て、撮った。
今日店でプリントしてみたが、まあまあの出来になっている。ナマで撮るつもりで、ASA400に設定していたが、結局ストロボをたいた。

今朝は二日酔いで衰弱。
初雪降り。で、昼におして撮りに出た。いま夕方五時。頭と身体が戻ってきたので入力している。

12月22日 月 

十九日の宴会で、がんばりすぎたらしい。酒もついで回った。後半は朦朧としていた。
その後半だが、注ぎにまわってきた仲居さんの一人にはぎょっとした。隣の課長とのやり取りの中で、彼が僕のことを挙げたら、彼女は即座に、あの人は嫌いだ、と言った。なんとまあはっきり言うもんだわいと感心した。課長もびっくりしたに違いない。彼女はすぐに、この人はよくわからんのでーと言い訳したが、正直なところはむろん僕を気に入らないのである。

帰ってから、カミさんに今日びっくりしたよ、とこれこれしかじかと説明したら、カミさんが、私も嫌いだと言った。つまり、彼女とカミさんも気に入らない者同士なのであった。彼女は、向こう気が強いたちなので、ああはっきり言う。普通は言わないことを言う。僕は、別に彼女が嫌いではない。だいぶ前の会話の中で感じたのだが、彼女は、ずいぶん誇り高くて自分を感心されたがる人物だと。誇りとコンプレックスが入り混じっている。やりにくいといえばやりにくい。しかし、奇妙に素直なようで素直でないようなところがなかなか面白い。
萩原の者は、相手の腰を折らない。すぐ感心して見せて相手を喜ばす。それをまともに受け取ると、あとから自分がだんだん窮屈になってくる。萩原人は、一歩引くところがなかなかしたたかなのである。
しかし、この場合はそんな難しいことではなくて、虫が好かない嫌いだということなのだ。

カミさんは、あんたあー、あの仕事をしていると、悪口は面前でも言われるものよー、ときた。いやはやだが、通常には起きないことが起きるという点で、ありがたく頂戴すべきなのかも。土下座の世界だからな。

12月24日 水 漁協 バブル

昨日、漁協萩下班総会。三年に一度の本部役員改選に合わせたもの。出席者。木村、桂川、今井、片山、山崎、戸谷、野村、細江武、渡辺、山内、自分。次期班長は桂川。自分は十五年やったことになる。過ぎてみれば早い。けれども、専用区問題等難しかった。また漁協全体としは、話の通りがよくなった。結局は、都市化意識の洗練ということであった。養老説によってそういう見方をするようになった。

酒は控えるようにしていたが、付き合い程度には飲んだ。その影響で、一日中ぼんやりの感じが残った。

歯医者へ行き、上下の入れ歯を新しくした。違和感があるけれども、しょうがないとする。
下呂での金子会の話になった。連絡は来たかと。来たと言った。何でも、議員の返事通知が芳しくないと。合併のねじれが尾を引いているのだろう。
藤井会からの連絡通知によると、これは美濃加茂市で五百円会費である。それに比べて、こちらは、五六千円会費。その不満も。

さっきテレビで、アメリカにおける昭和初期の恐慌のころの映像を見た。バブルとその崩壊。
日本のこのバブルについて、識者は、わかっていても止められなかったということか。そういうことなのだろう。景気の過熱は、いつまでも続くと信じていた。その崩壊などまるでわからなかった。ここに怖さがある。マスコミ等によって操られないようにしなければならないが、何よりも、知恵の教育が肝心だろう。資本による煽りを冷静に受け止める教育。けれども、我々は、次のバブルのころはみな死んでいる。新しい世代の者には、バブルは初めてであり、先人の知恵などおそらく伝わっていないだろう。五十年後には、またまた欲ぼけお祭りバブルが起きるだろう。群集化と過熱。資本の自動運動。

12月25日 木 写真 角田光代の『今、何してる?』 意外メール三通

今日は、変わった一日となった。
はじめが、電話による水明館での金子会参加への誘い。相談してみてからと迷いの返事をすると、その人は怒り出した。この事には、合併が絡んでいる。そういうわけで、はいはいと行けるものではない。僕は党員ではないし。何らかの形でそのあたりの態度表明をしたいと思う。

午後から二ヶ月ぶりで病院。血圧は、予想より低い。先生が計って百二十を切った。大丈夫ですかと聞くと、九十まで大丈夫との返事だった。変わったことはないですかと聞かれて、ないですが、老齢変調ですと言うと、かさねて、えっ? と聞かれたので、忘れっぽかったりして、と答える。春になったらエコー検診をしましょうということになった。

病院を出てから、マイサイトの写真の様子を調べに、電器屋へ行き、ネットにつないで見てみる。びっくりした。そのパソコンは、富士通の液晶十七インチだったが、写真によっては画面が濃く出すぎている。自家用の画面ではいいくらいだが、あれでは濃すぎてだめだ。修正をやりすぎたものがおかしいらしい。で、その足で萩原図書館へ行き見てみる。ここのは、デルのノートの十七インチかと思うが、やはりやや濃く出すぎている。帰ってから、サムネイルを二枚だけ修正した。無修正のものをアップしてみた。サムネイルは変更しにくいのだが、この場合は、HTMLファイルにしていたので、変更がすんなり通った。

さてその次だ。
角田光代の『今、何してる?』を借り出した。この名前がなぜか数日前印象として残ったからである。ツノダとおもっていたら、カクタだったのであれっと頭に残った。この本が新刊の棚にあった。で手にとって見た。チラッと見たとき、読めそうだと思えたので借りた。前に、林真理子で成功していたので。
早速めくってみたら、意外や読める、面白い。三十五歳の自立女性の感覚が縦横している。テーマはもっぱら、男と女のことだ。これが、なかなか可愛いんだな。男にない世界だ。ほんわかしている。男と女の事どもが著者は好きなのであるが、そのやわらかく包み込むような感覚が楽しい。
このあたり、ちょうど自分の老いがグッドタイミングのようだ。四十代では、丸さにかける。
このごろは、養老ワールドで、締め付けられていたので、開放感が楽しい。何しろ養老さんの場合、死体の世界が根にあるからな。

おっと、戻って、午前中に、意外な電話があったのだ。僕の一般質問の内容を知った人からのもの。その人は、十数年前に、同じようなテーマのものを役場等に提出していたと。それをファックスで送るから読んでみてくれと。

さらに、夜、意外なメールが二通来た。数日前にも一通来た。共通は、全部人生的に重いことだ。メールだからできた。けれども、メールとはいえ、重いものは受けるほうにも重い。
まず数日前に、昔の塾で教えた生徒が、今は四十くらいになっているが、突然のメールだ。親族の葬儀で馬瀬へ帰ったときに、合併のことを知り非常に驚くとともに、検索をしていて見つけたのでということだった。

今日受けた二通。一通は、『食う寝る座る永平寺修行記』の作者から。この本については、おいる日記 20 の8月2日にコメントしている。これは、素人の修行記であり、かつ、感覚と文章が優れている。感心したので、また楽しませてもらったので、お礼の報告としてメールしておいた。その返信が突然来た。この人は、今何をしているか。おそらく四十歳のサラリーマンを続けているのだろうけど。この本の重さを思うと、平凡に終われる人ではないと思うのだが。

もう一通は、富士通のパソコン関係の取締役からのもので、テーマは写真。この人は、tak's photo galleryをネットにアップしている。たまたま、みつけて見ているうち、感動してしまった。素人の写真であるが、素人ゆえの新鮮さがある。カメラ雑誌等では見られないものだ。この人の感覚が、僕には非常に好ましい。それで早速、一ヶ月前になるが、いい写真をありがとうございましたとメールしておいた。その返信。僕は、レトロ写真を紹介しておいた。特に、サイドカーの写真が珍しかったので。
takさんの写真は、ハードデスクに取り込んで、スライドショーにして一人見て楽しんでいる。何度見ても気持ちがよくなる。そういう写真である。飽きがこない。
(メールの内容は、営業等のことではない。写真のこと。若いころ、この人もオリンパスペンを愛用していたと。その写真をレトロとしてまとめたい意向のようだ。別に重いことは書いてないが、文の奥に、その人の現況来し方を僕としては見てしまうのである。同じ年代の者としてすっとわかるものがある。写真に現れている撮影者の感覚から判断してそう思ってしまう。こういう感覚の人には、会社生活は忍耐そのものであったろうなと。また、写真があったからこそ会社生活をここまでやってこれたのだろうなと。)

12月26日 金 

角田光代の『今、何してる?』を一日中読む。前半は、声を出して笑いまくった。で、この本はずっとそういうものかと決めていたら、第二部は違ってきた。
とにかく第一部は、文句なく楽しい。男と女のことが、どろどろはなしで、すがすがしく語られている。受験のとき読んだ、『枕草子』の清少納言の感覚を思い出したよ。無骨な生活世界を余儀なくされて、そういった種類の随筆等には縁のない人に薦めるよ。ハッとすると思うよ。しないと困るんだけど。

第二次大戦の、日本とドイツの激戦殺戮の映像をテレビで見た。角田光代とどうつながるのか、息苦しかった。
この映像には、吐き気がしてきたよ。けれども、実際にそういうことが日々連続していたんだからな。
この大戦の死者は、六千万人とされている。日本の七百兆円負債と同じく現実感をもてない。
死者六千万人のうち四千万人は、一般人であるという。
ユダヤ人は、ドイツで六百万人が殺されたと。さっぱり現実感覚が動いてくれないこと、例の負債と同じだ。

12月29日 月 市長 『ミステリー中毒』

昨日は不思議な経験をした。ある人物と会ったんだが、そこへもう一人の人物が来た。偶然だったのか、仕組まれたものかはっきりわからないが、事は、市長選のこと。後から来た人物とは初対面であり、市長選候補としてよろしくということだった。あまりに突然で、うろたえる。一応自分の考え方を手短にしゃべった。普通なら、相手のことを考えてしゃべるとしたものだが、急だったので、とにかくしっかり喋っておくことが大切と思いそうした。その人物は、僕が言ったことに対して、何か言いたそうだったが、初対面のことであり、議論のようなことになってはまずいと判断したものか、話は重ならなかった。あるいは、重ならないほうがよかったのかも知れぬ。そのあたりどうもよくわからない。いま入力しながら、判断しているのだが、いまひとつすっきりしない。
市長と市長選は、これまでの合併いきさつがあり、新市の出発にとって最重要だ。はじめにごたついたり、希望が持てなかったりではいやになってしまう。張りというものを失ってしまう。大半の市民が新しい年を迎える気分で新市を出発できることを切に期待する。

下呂へ行ったついでに、本屋へ寄った。たまたま、養老さんの文庫本、『ミステリー中毒』があり買った。これで十二冊目だが、いまのところよっぽどこの人とは合うのだろう。
スティーヴン・キングなる推理小説作家が特に好きだと。それについて養老さんは次のように書く。
「なぜキングが好きなですかのかと聞かれることがある。キングの作品をたくさん読むのは、要するにその世界に慣れているからである。」
どのくらい読むかについて次のように書く。
「なにを読んだか、あとでまとめようと思って、読み終えた推理小説を床に積んでおいたら、二月足らずで、四十冊を超える山になった。ただしほとんどは文庫本、ハードカバーは早川書房が四冊のみだった。」

一ヶ月に十冊では少ないほうだと。この読書量は僕なんかには理解を超えている。また、養老さんはゲームが好きで、これも半端じゃない。テレビゲームをやりだすと、熱中してとまらなくなる。指の皮がめくれてもやるし、画面に長時間集中しているので貧血を起こしてしまう。頭のエネルギーが莫大であるということだな。疲れを知らない。興味関心に向かって頭がどんどん進む。この人の頭、脳は、動きづめに動いていたい。まあ僕らからすれば特殊な脳だ。天才というものだろうか。本人はそうなりたいわけではないだろうが。
この本の最後を、ミステリーらしくなく締めくくる。持論を語っている。嫌いな原理主義周辺について、「絶対を主張するのは、考えようによっては、自分の我を通しているのである。主張しているのは、ともあれ自分だからである。それを仏教では昔から、「欲」という。そんなに欲を張ることはない。できれば欲を去れと教えるのが、仏教的世界のいいところであろう。言い換えれば、脳全体のバランスをとれといっているのである。」