日 本 語 教 育 史 講 座
講座のはじまりのはじめの導入
今日の講座担当は井上軒(のき)さんです。ひさしがあるのだから軒もあっても
いいんでないかと思いお呼びいたしました。質問は日本語教育に身を投じるなど
という自殺行為はせず、全うに生活したいという堅実な学生さんです。
日本語教育史って
学生: 日本語教育史て何の歴史なんですか。日本語教えてきた歴史のことですか。
軒さん: 日本語教育史というのは日本語を母語としない人たちが日本語をどのよう に身につけてきたかの歴史なんだよ。 学生: えっ。外国人に日本語を教えてきたことじゃないの。 軒さん: それも歴史の一部だけど、日本人が直接外国人に日本語を教えた歴史はそ
んな長くないんだよ。それよりも日本語を母語としない人たちがどのよう
に日本語を身につけてきたのかむしろその歴史の方がはるかに長いんだよ。
つまり日本という形ができて、日本語が近隣の言葉と違いだし、人の交流
に言葉を身につけると言う必要が出てきてからの歴史を研究するのが日本
語教育史なんだ。
学生: へー、そんなにあるんだ。じゃ、いつから始まるの。
軒さん そうね、いつからにしようか。縄文時代や弥生時代に、言葉はあったのか
な。日本の北と南にすんでいた人たちの言葉が違っていたらどうかな。卑
弥呼の時代におりてきてもいいんだ。
学生: そんな時代に日本語教育なんてあったの?
軒さん 日本語「教育」と言うと、「教育」が入っているために、いつも近代の産
物のように思ってしまうよね。でもよくよく考えてごらん。日本の対外関
係はいつ頃からかな?物と物の交流と同時に人間の交流も始まっていると
い事だよね。そのとき言葉は使っていたのかな。使っていなかったのかな。
飛鳥時代は帰化人がたくさんいたけど、彼らはどんなことばをしゃべって
いたのかな。信長の時代には基督教が入ってきたけど、布教活動したポル
トガル人はどこでどのように日本語を身につけたのかな。
学生: そうか。そんなことって考えもしなかった。
軒さん: 日本語教育史は大きく三つの区分ができるんだ。
まずは有史から1895年以前
1895年から1945年の敗戦まで
1945年以降現在進行形と言ったところ。
学生: えっ。なぜ1895年なんて中途半端なの。
軒さん: 1895年は日清戦争が終わって日本が台湾を植民地にした年なんだ。
学生: それが日本語教育史とどういう関係があるの。
軒さん: 1895年の6月に台湾を植民地としてから、すぐ台湾で日本語教育が始
められたんだよ。
学生: その時の日本語教育とそれ以前とどう違うの。
軒さん: いい質問だね。1895年に始められた日本語教育は日本語教育というよ
りも植民地教育なんだよ。でもね日本語教育の面で大変重要なことは、日
本語教育を、近代教育の一つとして、組織的に体系だって、しかも植民地
の人みんなに、日本語で日本語を教え始めた最初だったんだよ。それを最
初に行ったのが伊沢修二という人なんだ。
学生: 伊沢修二?誰、それ。
軒さん: 伊沢修二という人はね、明治時代に近代教育の基礎を作った人なんだよ。
長野県の高遠の出身でね。アメリカにも留学しているんだよ。留学中に、
そうそう、グラハム、ベルの電話実験の話を知っているのかい。
学生: 知ってる。
軒さん: その時、伊沢修二は立ち会っていたそうで、最初の電話実験はベルと伊沢
が行っていたというんだよ。日本語の音声が、英語に比べるとはっきりし
ているからだとか。
伊沢はそれだけではなく、東京音楽學校(今の東京芸術大学)や師範教育、
体操教育、実業教育、吃音教育など次々に學校を作って、カリキュラムを
作って実践した人なんだよ。彼がいなかったら、日本の近代教育はきっと
もっと形を変えていただろうね。
学生: ふーん。
軒さん: 伊沢修二の教育の中の一つとして、台湾での教育も有ったということだ。
彼が残したものは今の日本語教育にものすごい影響を残しているんだよ。
もちろん植民地教育でもあったから、日本語を台湾の人たちに「国語」と
して身につけさせようという意図が有ったことは確かだよ。
学生: 植民地教育って、日本語を押しつけたり、強制的に名前を日本人の名前に
さりしたことでしょう。
軒さん: そうなんだ。日本語教育の歴史には植民地教育もあったという負の歴史も
背負っているんだよ。でもね一方で、国内にもたくさんの外国人が日本に
留学していてそういう人たちのための日本語教育も発展したんだよ。、戦
争中はアメリカでも、日本の情報を得るために日本語教育が研究されたん
だよ。1895年から1945年というのは日本語教育がそういう時代に
有ったということなんだよ。
学生: そうなんだ。なんか複雑ね。
軒さん: 時代で考えると1895年以前は、どちらかというと外国人が日本語を身
につけるための自学自習時代。
1895年から1945年の50年は戦争の拡大とともに日本語を海外に
押しつけた時代、同時に対日戦争のために日本語教育が研究された期間。
1945年以降はやっと日本語教育が言語教育としてとらえられ、ちゃん
と考えられてれてきいる時期というものだよ。
学生: 国語教育史と日本語教育史の違いはどこにあるの。
軒さん: これもいい質問だね。
国語教育史というと日本人が日本人にどのように日本語を教育してきたと
いうことが中心になるが、日本語教育史は、先も言ったが日本語を教えて
きたか、と言うことではなく、日本語をどのように身につけてきたか、そ
れが自学自習なのか、強制なのか、ちゃんと言語教育の方法論に則った教
育だったのか、それを歴史的に見る事なんだよ。つまり、日本語を身につ
ける側から見た教育の歴史なんだ。
学生: あっ。そうか。教育の歴史と言うと教える側からなんか考える事って、多
いよね。日本語教育の歴史って、勉強する人から見た歴史なんだ。
軒さん: そうなんだ。それはね。日本語教育が子供を成長させるためにどうするか、
と言うことを考えていないからなんだよ。全く考えていないと言うことで
はないんだよ。近年になって外国人子弟が多くなってきて、成長と日本語
をどのように絡み合わせていくかということが研究されだしたのは。
戦前は植民地教育の関係で学童期の日本語教育が盛んに研究された。しか
し体系だって、しかも認知との関係や、年齢とか考慮されるようになった
のは、戦後のことななんだ。だから1945年以降とそれ以前とは性格が
違うから、分けなければならないのだ。
学生: 日本教育史の勉強ってなんかつかみ所ないな。
軒さん: そんなことないよ。
学生: だって、古代から勉強しなくちゃいけないんでしょ。
軒さん: そんなことないよ。自分の好きなところから始めればいいんだ。日本語教
育史というとなじみが全くなくて、オタクがやっているんじゃないかと思
っているかもしれないが、
学生: そうそう、だって、なんか暗いんだもの。
軒さん: でもね、視点を変えて見てごらん、近隣や遠方の人が日本をどう見て、ど
のように日本を知ろうとしたか、夢が有るんじゃない。
それって日本のこ
とをどう理解されてきたかと言うことでもあるんだよ。君が他の人にどう
理解されているかって気にならない。
学生: 別に。私は私。
軒さん: そうそうそれなんだ。私はどうでもよくても、気にしている人がいるから、
学生: それってストーカーじゃない、冗談じゃない。
軒さん: そう怒らないで。話が変な方にいってしまったね。話を戻そう。
日本語教育史は日本語をどう教えてきたかと言う風に考えると非常に狭い
世界になってしまうんだ。だから、そういう視点ではなく、どう身につけ
たかと言うことで考えると、考えやすいんだよ。どう教えてきたかで見て
いくと限られてしまって研究ではなくなってしまうんだ。単なる事実の認
定にしかすぎないんだ。
どのように身につけてきたかで考えると、すごく広がりがあるし、いろん
な分野の人が研究できるんだ。国文や古文、古代をしている人、近世文学、
近代文学の人も、歴史の人も、日本語に限らず、日本人がどのように日本
語を身につけたかも視野に入れても良いんだよ。
学生: へー!なんかわかったような。
軒さん: そうだね。でもね日本語教育史を勉強するなら、最低でも1895年から
のことは知っておいた方がいいね。というのは伊沢修二の時代から日本語
教育の教授方法が言語教育の方法としての足跡と軌を一にしているから何
だ。植民地教育という面もあるけど、近代の言語教育方法はそのほとんど
が1895年以降日本に入り、内外で実践されてきているんだよ。基礎的
な知識にはなるよ。
学生: なんかわかんないけど、勉強してみる。
軒さん: じゃ、今度は具体的な話をしよう。それまで少しは予習しておくんだよ。
特に関正昭・平高史也先生の『日本語教育史』1997:アルク は入門書
としていいと思う。
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